2008年4月6日日曜日

試練に遭いながら


使徒言行録20・17~24

使徒言行録の今日の個所に紹介されていますのは、使徒パウロが行った演説です。これを「パウロの説教」と呼ぶことは難しいと思います。性格としてはきわめて個人的なものです。個人的な挨拶です。

事実、これはパウロから教会の人々に対する別れの挨拶でした。牧師たちは、ある教会から他の教会へと転任するとき、また自分の辞職や引退などの際に別れの挨拶をします。しかし、この演説は、ただ単なる転任や辞職や引退の挨拶ではありません。語られていることは、まさにお別れです。自分の死を予見し・自覚し・覚悟した、地上に生きるすべてのキリスト者に対する別れの挨拶。それがこの演説の趣旨です。

自分の死を覚悟している人の言葉は、とても重いものです。パウロも重い言葉を語っています。この演説は使徒言行録の中ではきわめて重要な意味を持つものであり、有名でもあり、多くの人々に愛されてきたものでもあります。そのため私はこれを、今日と来週の二回に分けて解説していくことにします。

「パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。」

この別れの挨拶をパウロは、エフェソの教会の長老たちに向かって語りました。パウロがエフェソで体験した出来事の概略は、使徒言行録19章に記されています。内容を詳しく繰り返すことはやめておきます。一つだけ申し上げておきたいことは、エフェソにおいてパウロは大胆に御言葉を語ることができ、それによって多くの人々が信仰の道に入ったことです。エフェソの多くの人々は、パウロの語る言葉に対して聞く耳を持たない人々ではなく、聞く耳を持った人々だったのです。

「『アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。』」

エフェソのキリスト者たちは、パウロの言葉に対して聞く耳を持った人々であっただけではありませんでした。言葉だけではなくパウロの生きざまをよく知っていました。それを彼らは関心をもって見守って来ました。19節には三つの点がそれぞれ短い言葉で述べられています。

事実、伝道者たちに問われることは、彼らの語る言葉だけではありません。生きざまも必ず問われるのです。強いて言うならば、言葉と行いの一致、あるいは信仰と生活の一致という点が問われるのです。

この演説の最初に、パウロの伝道者としての生きざまがどのようなものであったかを、彼自身が語っています。

第一は「自分を取るに足りない者と思い」です。ただしこれは原典から説明される必要があるところです。「取るに足りない者」と訳されている言葉は、より原意に即して訳せば「温厚な者」とか「柔和な者」となります。しかし、わたしたちは通常、日本語で自分を指して「私は温厚な者です」とか「柔和な者です」とは言わないと思います。だから翻訳するのが難しいわけです。

ここで温厚ないし柔和という場合に問題になっていることは、神と人間との前での姿勢ないし態度です。それが温厚ないし柔和であるとは、ちょうど羊が飼い主に対して従順であるのと同じことです。つまり、重要な問題は神と人間に対する従順な態度です。そして従順であるとは、相手を自分よりも上に立つ者とみなし、かつ自分は相手の下に立つ者とみなすということです。

ですから、現在の訳を生かしながら言葉を補って訳すとしたら、「神と人間の前で自分を取るに足りない者と思い」です。そしてその意味は「神と人間の前で、自分を最も小さな者とみなし、相手に対して従順に生きるべき者と思い」ということです。

第二は「涙を流しながら」です。これは文字どおりの涙です。わたしたちの目から出てくるものです。涙とは、いずれにせよ感情的なものです。キリスト教信仰には、感情的な要素があふれています。わたしたちは涙を流してもよいのです。感情的要素を無理に抑え込み、理性的に冷静にふるまうことこそがキリスト教的な態度であるというような考えがあるとしたら、それは間違いなのです。

「パウロ先生はすぐ怒る」と、私はこれまで繰り返し語ってきました。パウロは感情の起伏が激しい人であったと思われてなりません。瞬間湯沸かし器のように腹をたて、感情をむき出しにして闘うようなところがありました。涙には、悔し涙もあれば嬉し涙もあります。心や体の痛みに耐えられなくて流す涙もあれば、この世の不条理や悪の暴力的支配に憤る涙もあります。救いの喜びをあらわす涙もあります。パウロは「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマの信徒への手紙12・15)と教えています。パウロ自身がまさにそのような生きざまを示していたからに違いありません。

第三は「試練に遭いながらも主にお仕えしてきました」です。「試練」とはテストです。試されることです。何を試されるのでしょうか。パウロの場合はおもに、伝道者としての資格と自覚が試されたのだと思われます。果してわたしは本当に伝道者としてふさわしい者なのだろうかという点が試されたのだと思われます。

パウロは「試練」を「ユダヤ人の数々の陰謀」と結びつけています。激しいまでの抵抗勢力がパウロの行く手を執拗に阻んできたのです。こちらで築いた山をあちらで崩される。この正しい信仰をまさに命がけで宣べ伝え、それを受け入れた人々が信仰生活を始めることができた。ところがその信仰を奪い去り、信仰生活をやめさせようとする力が働いている。その中で実際に信仰を棄てる人々もあらわれる。

伝道とは、いたちごっこの一種です。その中で伝道者たちは、空しさや失望を必ず体験します。そして、もしかしたらわたしは伝道者にふさわしくないかもしれない、この仕事を今すぐ辞めなければならないのかもしれないという思いにさらされることがあるのです。

それこそがまさに「試練」です。試練の主語は「神」御自身です。そのテストは神御自身が企画され、計画されたものなのです。そして伝道者たちは、そのテストを受け、合格しなければなりません。また、狭い意味での伝道者だけではなく、すべての信仰者たちが、そのテストを受けなければならないのです。

「役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。」

20節において語られていることは一つのことです。パウロは「役に立つこと」を多くの人々に教えてきました。この場合の「役に立つこと」の意味は、わたしたちの“救い”にとって、あるいは、わたしたちの“信仰生活”にとって役に立つことです。そしてそれは同時に、わたしたちの“人生”にとって役に立つことでもあります。救いと信仰は、人生そのものと切り離すことができないものだからです。

その内容をパウロは二つに分けています。第一は「神に対する悔い改め」、そして第二は「わたしたちの主イエス(・キリスト)に対する信仰です。悔い改めと信仰の二つです。この順序も重要であると思います。

悔い改めとは“罪の”悔い改めです。悔い改めとは、このわたしは神の御前で罪深い人間であると自覚し、告白しつつ、その罪を二度と犯すまいと決心し、約束することです。しかし、実際の人間は、何度悔い改めてもまた罪を犯してしまいます。「しなければならないことをせず、してはならないことをする」、これこそがわたしたちの姿です。

このことを認めることは、開き直ることではありません。悔い改めによって「わたしはイエス・キリストにおける神の救いが必要な人間である」と強く自覚しつつ、真の信仰に至ることが重要なのです。救い主イエス・キリストを信じるとき、わたしたちのすべての罪は赦されます。キリスト者の人生は、神によって罪赦されて生きる人生なのです。


このことをパウロは「一つ残らず」教えました。この点は先週お話ししました「パウロの説教は長々としたものであった」という点と関連づけて理解できることかもしれません。キリスト教は10分や20分ですべてを語りつくせるようなものではないということです。24時間語り続けても、すべてを語りつくせるわけではありえません。神学校で学んでも、そこで教えることができるほどの知識を得ても、知っていることはほんのわずかです。

キリスト教信仰を「一つ残らず」学びつくすには、まさに文字どおりの“一生”かかるのです。本を2、3冊読んで「キリスト教が分かりました」と言える人はいないのです。

そしてパウロはこれを「公衆の面前でも方々の家でも」、また「ユダヤ人にもギリシア人にも」教えました。「公衆の面前でも」という点は誤解を生みやすい表現かもしれません。パウロが述べている意味は“街頭”ないし“路傍”で説教することではありません。当時でいえばユダヤ教の“会堂”で説教することが「公衆の面前で」教えることを意味していました。

この点は、今日のわたしたちにも本来当てはまることであり、また当てはめるべきことです。わたしたちの教会の“会堂”は、特定の人々が占有してもよいプライベートな空間ではありません。「ユダヤ人」であろうと「ギリシア人」であろうと、だれでも気兼ねなく立ち入ることができる、まさにすべての人が神の言葉を聞くことができる、その意味での公の(パブリックな)空間であり、かつそうあるべきなのです。

そして、それに対して、むしろできるだけプライベートな空間であるべき場所は「方々の家」のほうです。公(パブリック)にも私(プライベート)にも、すなわち、会堂でも各家庭でも、パウロは神の御言葉を大胆に宣べ伝えたのです。

「そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。』」

パウロは、これからエルサレムに行きます。エルサレムはパウロがかつて熱心なユダヤ教徒として勉学に励んだ町であり、熱心なキリスト教迫害者として力をふるった町でした。しかしまた、イエス・キリストへの信仰を与えられてからはすべてが逆転し、ユダヤ教を棄てたパウロを執拗に追いかける迫害者たちの本拠地となった町です。

そこへとパウロは向かいます。「霊」すなわち聖霊なる神御自身が促すままに。神の御心を行うために。伝道者としての使命を全うするために。そしてそのために惜しみなく自分の命をささげるために。パウロの決意と覚悟は、重くて固いものです。

(2008年4月6日、松戸小金原教会主日礼拝)