2008年5月4日日曜日

ヘブライ語で話す


使徒言行録21・27~22・5

パウロは、ついにユダヤ人たちに捕まりました。パウロがエルサレムに行くとこういう目に遭うことは火を見るより明らかだったにもかかわらず、来てしまいました。

多くの人がパウロ先生、どうかエルサレムにだけは行かないでくださいと言って、涙を流し、必死になって止めたのです。ところがパウロは死んでもいいとか、命など惜しくないとか言い張って、人々の言葉に耳を傾けようとしませんでした。

ここに至って、一つの仮定が成り立つ条件がほぼ整ったと言えるでしょう。その仮定とは何か。パウロはユダヤ人に自分を捕まえさせるために、もっとはっきり言えば、わざと捕まるために、エルサレムに行ったのではないかということです。

パウロはなぜ、そのような危ないことをするのでしょうか。命知らずの危険行為は、勇敢ではなく迷惑です。パウロは何を考えているのでしょうか。

「七日の期間が終わろうとしていたとき、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕らえ、こう叫んだ。『イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れて込んで、この聖なる場所を汚してしまった。』彼らは、エフェソ出身のトロフィモが前に都でパウロと一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思ったからである。それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。」

パウロがユダヤ人に捕まえられた場所は、エルサレム神殿の境内でした。パウロは逃げも隠れもしませんでした。人目につかないところに潜伏していたわけではなかったのです。

パウロを見つけたユダヤ人たちは、「全群衆を扇動して」彼を捕えました。彼らはたった一人のパウロを捕まえるために全群衆を動かそうとしたのです。パウロも生身の人間です。一人のパウロに数千人か数万人の群衆が襲いかかって来たら、ひとたまりもありません。あっという間に捕まって、神殿の境内から引きずりだされ、すべての門が閉ざされました。

人々が門を閉ざした理由は、これからパウロの処刑を始めるためです。神殿で人間を殺すことは神殿を汚す行為に当たります。だから人々はパウロを神殿の外に連れ出し、すべての門を閉ざしたのです。

「彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、守備大隊の千人隊長のもとに届いた。千人隊長は直ちに兵士と百人隊長を率いて、その場に駆けつけた。群衆は千人隊長と兵士を見ると、パウロを殴るのをやめた。千人隊長は近寄ってパウロを捕らえ、二本の鎖で縛るように命じた。そして、パウロが何者であるのか、また、何をしたのかと尋ねた。しかし、群衆はあれやこれやと叫び立てていた。千人隊長は、騒々しくて真相をつかむことができないので、パウロを兵営に連れて行くように命じた……。」

それはユダヤ人たちによるパウロの処刑が開始される寸前の出来事でした。ローマ軍の守備大隊の千人隊長の耳にエルサレムの混乱の様子が伝えられました。千人隊長の名前はクラウディウス・リシア(23・26、24・22)です。

この後だんだん分かってくることですが、このリシアはパウロの命を助けるために決定的な役割を果たす人物であり、バランスのとれた好人物でした。この人がパウロのもとに駆けつけると、群衆はパウロへの暴行をやめました。泣く子も黙る鬼軍曹、見るからにおっかない人だったのかもしれません。

そして、千人隊長リシアは、パウロを二本の鎖で縛るように命じ、この人は誰なのか、この人が何をしたのかとみんなに聞きました。するとみんな口々にいろんなことを言うのですが、結局何を言っているのか分かりませんでした。

おそらく群衆の多くは、自分が何を言っているのか分かっていなかったのです。ほとんどは野次馬であり、目の前の騒動を面白がっていただけでした。月並みな言い方ですが、群集心理というのは本当に恐ろしいと感じます。声の大きい人の言葉に引きずられ、自分の言葉や行いの意味を知らないまま一人の人間を殺してしまうことがありうるのです。

だからこそ、そのような場面に千人隊長リシアが登場してくれたことが、パウロの命を助けることになりました。リシアはとても賢い人でした。彼がパウロに鎖をかけたことも、頭に血が上っている人々を冷静にするための行動であったと見ることができます。

「パウロは兵営の中に連れて行かれそうになったとき、『ひと言お話ししてもよいでしょうか』と千人隊長に言った。すると、千人隊長が尋ねた。『ギリシア語が話せるのか。それならお前は、最近反乱を起こし、四千人の暗殺者を引き連れて荒れ野へ行った、あのエジプト人ではないのか。』」

もちろんまさか、いくらパウロでも、この危機的な状況の中にリシアのような人が登場することまであらかじめ計算していたわけではなかったでしょう。しかしリシアの登場によってパウロは大きなチャンスを得ました。パウロはリシアに「ひと言お話ししてもよいでしょうか」とギリシア語で願いました。これがリシアを驚かせることになったのです。

リシアが驚いた理由は、少なくとも二つあったと考えられます。

一つは「こいつは何者だ?」と単純に驚いたのだと思います。そこで起こっている騒動は、外から見るとユダヤ人同士の喧嘩のようなものに見えたはずです。みんなから殴り倒されて被害を受けているこの男も当然ユダヤ人のはず。普通のユダヤ人は、ギリシア語など話せません。

ギリシア語はローマ帝国の共通語、いわば標準語でした。イエスさまやペトロたちは、ヘブライ語の方言であるアラム語を話していました。

しかし、このユダヤ人はギリシア語を話せるではないか。かなり高度な教育を受けた教養あるユダヤ人ではないか。そのような人がなぜ多くの人々に囲まれて、ひどい暴力を受けているのか。このあたりの点にリシアは疑問を抱いたに違いありません。

またもう一つは、リシアが語っているように、最近起こったクーデターの首謀者で指名手配中の容疑者がギリシア語を話せるエジプト人だと聞いているが、それがこの男なのかと疑いました。エジプト人のくせにユダヤ人のふりをしてこんなところに紛れ込んでいたのかという点に驚いたのです。

「パウロは言った。『わたしは確かにユダヤ人です。キリキア州のれっきとした町、タルソスの市民です。どうか、この人たちに話をさせてください。』千人隊長が許可したので、パウロは階段の上に立ち、民衆を手で制した。すっかり静かになったとき、パウロはヘブライ語で話し始めた。」

しかし、パウロはもちろん確かにユダヤ人でした。パウロが生まれた「タルソス」は、よく知られているとおり、現在のトルコの位置にある古い町です。ローマ帝国キリキア州の首都でした。そこで生まれた人はすべてローマ帝国の市民権を持っていました。

パウロはその町に住むユダヤ人の家庭に生まれました。ですからパウロは幼い頃からギリシア語を話していましたし、家庭の中ではユダヤ人としてヘブライ語を学んでいました。日本人でも、外国生まれの人の多くが日本語とその国の言葉の両方を学ぶように、パウロもそのような教育を受けていたのです。

さらに一説によると、パウロはヘブライ語とギリシア語だけではなくラテン語も学んでいたと言われています。この説明が正しいとしたら、伝道者パウロは、三つの言語を自由自在に操ることができる豊かな賜物に恵まれていた人だったことになるでしょう。

そして、その賜物がパウロの力強い武器になりました。千人隊長に向かってギリシア語で語ることによって、この人に信頼してもらうことができました。「この人たちに話させてください」という願いを許可してもらうことに成功しました。

そして、千人隊長の許可を得て、強い後ろ盾をもらったパウロは、ユダヤ人の群衆の前に堂々と立ち、手で制してみんなを黙らせて(ここは私の大好きな場面です!)、すべてのユダヤ人たちが理解できるヘブライ語で演説を始めたのです。

この点について最も単純なことから申し上げますと、やはり、語学の学びは重要であるということが分かります。

パウロは、まさに今にも殺される最悪の状況の中にいましたが、彼の語学力によってその状況をひっくり返すことができました。ローマ人である千人隊長にはギリシア語を、ユダヤ人たちにはヘブライ語を語りました。それによってパウロは、千人隊長の信頼を獲得することができましたし、興奮したユダヤ人たちを静まらせることができたのです。

しかし、パウロがユダヤ人に対して「ヘブライ語で」語ったことには、もう一つの重要な意味が込められていると思われます。

「『兄弟であり父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください。』パウロがヘブライ語で話すのを聞いて、人々はますます静かになった。パウロは言った。『わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。」

パウロの演説のうち今日取り上げた部分でとくに重要なのは、パウロが「ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受けた」と言っている点です。

なぜこの点が重要なのでしょうか。それははっきりしています。ガマリエルこそは当時のユダヤ教団最大の律法学者であり、ユダヤ教団とユダヤ社会にあって最大・最高の尊敬を集める存在だったからです。

また、ガマリエルが教鞭をふるったエルサレムの律法学校は、すべての律法学者が通った学校であり、ユダヤ人にとっては最大・最高の尊敬の対象であったからです。

千人隊長が泣く子も黙る鬼軍曹だったとしたら、ガマリエルのもとで最高の教育を受けたパウロは、泣く子も黙る最高の知識人として、すべての人が一目置く存在だったのです。

パウロがわざわざ「ガマリエルの弟子」であることを語っていることには、いまエルサレム神殿にいるどんな律法学者にも、学識や経歴においては「負ける気がしない」と言いたい気持ちが込められていたかもしれません。

パウロは自分がそういう人間であることを、エルサレムの真ん中で、群衆の真ん中で、みんなに聞こえる大きな声で、あえて語りました。それは、かつてそのような者であったわたしパウロがキリスト教信仰に生きる者になりましたと伝えたいからです。ユダヤ人の皆さん、どうかイエス・キリストを信じてくださいと訴えたかったからです。

パウロは、リシアが与えてくれたチャンスを全ユダヤ人に対する伝道の機会として用いました。そのためにパウロは、意識的に「ヘブライ語で」語ったのです。

パウロはなぜ、危険を承知でエルサレムに来たのでしょうか。そうです、このチャンスを得るために来たのです。

中国の格言は「虎穴に入らずんば 虎児を得ず」です。

パウロの場合は「エルサレムに入らずんば 愛する同胞ユダヤ人を得ず」です!

(2008年5月4日、松戸小金原教会主日礼拝)