2008年4月10日木曜日

人体実験中

最近のことですが体と心から少し力が抜けることがあり、寂しさのような感情にとらわれています。ブログ投稿が週一ペースに落ち込んでしまっていることも無関係とは言えません。家族と教会のみんなが優しいことが助けです。牧師は(×「牧師も」○「牧師は」)人間ですから、当然のことながら一喜一憂の日々です。今週の説教で「キリスト教信仰には感情的な要素があふれています。わたしたちは涙を流してもよいのです。感情的要素を無理に抑え込み、理性的に冷静にふるまうことこそがキリスト教的な態度であるというような考えがあるとしたら、それは間違いなのです」と語ったばかりです。これはファン・ルーラーの受け売りではなく、私自身の(聖書と改革派教義学に基づく)確信です。私はたぶん多くの人の目から見て感情の起伏が少ないというか、平坦(へいたん)というか、冷淡(れいたん)なほうだと見られるような人間であると自覚しています。カモメのジョナサンのような低空飛行人間です。実際に「低血圧、低体温」でもあります。完全に落ちてしまわないが、ほとんど上がらない。「アゲアゲ」とかいう風潮とは正反対。低いところをずーっと水平に長時間どこまでも飛び続けているような感覚があります。幼い頃からスポーツがからっきしダメなのはそのような(平坦・冷淡な)心身の側に原因があるのか、それとも、スポーツをしたことがないからこのような心身になってしまったのかは、調べたことがないので分かりません。しかし、私のような人間が、とくに感情ないし精神の面でいったん不調に陥り(不調というほどの状態まで落ち込んだことはほとんどありませんが!)、感情の起伏が乱高下しはじめると、その後何が起こるかは予想がつかない面があります。上がりも・下がりも急激でないほうがよいと聞かされています。下がっているときは無理に急に上げようとしないで、気持ちが落ち着くのを待つといいのかなと自分の体で人体実験をしてみているところです。しかし、日常的な仕事と生活は上がっていようと・下がっていようと否応なしに襲いかかってきますので、それはそれで安心です。牧師たちは(「牧師たち」だけではないことは分かっているつもりですが!)落ち込んでしまったままで、寝込んでしまったままで、引きこもってしまったままで、7日間以上(水曜日も含めると「3日間以上」)過ごすことができません。陽はまた昇り、日曜日は七日ごとに襲いかかってくるのです。神御自身が牧師たちの尻を叩いてくださり、「こら牧師。引きこもっている場合か。もうすぐ日曜日だ。牧師たちよ、説教に行け!(Dominee, ga uit te preken!)」と叱咤激励してくださるのです。日曜日が「牧師たちを」救ってくれるのです。