2008年4月23日水曜日

神学の役割としてのネーミング

「自分の手で辞書をめくれ!」にいただいたコメントも再び本編で―)



コメントごもっともです。ありがとうございます。ご指摘いただいた「意識化できない背景知」や「ふるまい」なる要素は、おそらくは《文化》ないし《習慣》の一種と言い換えうるものでしょう(こんなカビ臭い表現しか持ち出せないことを悔しく思います。なるべくなら現代思想のブリリアントな用語なども巧みに使いこなせるようになりたいものです)。そしてまた、そもそも問題にしておられたことは、「神学のセンス」が涵養される場としての「キリスト者家庭」ということでした。牧師になる・ならないは別の問題でした。教会史における「神学」の歴史的起源という問題を考えてみても、おそらくは会堂ないし各家庭における「神礼拝の体験的現実」のほうが「神学」の成立よりも先行していたに違いない。まさかいくらなんでも、まず何よりも先に純粋理論としての「神学」が存在し、それが神礼拝にかかわるすべての体験的現実を産出したという順序ではありえないでしょう(そのようなことが起こりえたのは、おそらく天地創造の最初の一瞬だけです)。その意味では、「神学」の役割は、理論よりも先行する(社会と教会における宗教的な)体験的現実の一つ一つに「名前をつけていくこと」(ネーミング)でもあるだろうという点に思い至ります。私などもたしかに、クリスマスやイースターやペンテコステの(神学的・教理的)意味など知らない頃からそれらを祝っていましたし、物心つく頃から「日曜日の朝は教会に行くものだ」ということが習慣づけられていました。「わたしはなぜクリスマスやイースターやペンテコステを祝わねばならないのか」とか「わたしはなぜ日曜日の朝は教会に行かねばならないのか」というようなことが真剣な意味で《問題》になったことは、私の場合、実を言うと、いまだかつて一度もありません。ですから、そのあたりまで遡って問い詰めて来る人を前にすると答えに窮してしまうところが私にはあります。「まあ慣れてください、あっはっは」とか言って、ごまかしてしまいます。しかし、逆のほうから言わせていただけば、私にとっては、盆も・暮れも・初詣も、桃の節句も・端午の節句も、お焼香も・お清めの塩なども、全く無縁でしたし、ただひたすら違和感のみを覚える《異文化》にすぎません。そのようなことが行われている場面に立ち会うたびに、それこそ一から十まで「なぜこのようなことを、このわたしがしなければならないのか」という疑問だらけです。やり方も知らないし、興味もありません。私は(二週間を除いては)日本から一歩も外に出たことがない人間なのですが、時々「あなたは日本人としての常識がない」と言われることがあります。そう言われるときは返す言葉がないので、たいてい黙ってやり過ごします。また、そういうときに「まあ慣れてください、あっはっは」とでも言って適当に受け流してくれる人がいればまだ救われるものがあるのですが、たいていは睨みつけられるか、あるいは白眼視されることが多かったため(日本人て何でこうなんですかね?私も正真正銘の日本人ですが)、そういう場所に行かずに済むものならできるだけ行きたくないという気持ちをわりと幼い頃から持っていたことを正直に白状しておきます。他の宗教に対する軽蔑や差別意識などは微塵もないのですが、強い違和感があるということは否定しがたい事実です。西日本(岡山県岡山市)出身の私が生まれて初めて(国鉄時代の)上野駅のホームで立ち食いうどんを注文したときに「どんぶりの底が見えないほど黒々としたうどんつゆ」を見た時に感じたのと同じくらいの違和感とショックを、他の宗教に対して感じます。この国の右翼的なタイプの人から見れば、私などは「究極の左」か「左の外」(?)にいる人間に見えるかもしれません。はっきり自覚していることは、「神学」を自分で学ぶことによってこの位置に立ちえたという順序ではなく、この位置でずっと長らく生きてきた私にとって「神学」は安住の地であったという順序です。もし私が「神学なしでは生きていけない」と語る場合は、常にこの意味です。「カナンの言葉」を失うと、私の日常会話が成り立たなくなるのです。