2017年3月1日水曜日

命令したことがない

ほとんどもっぱら高齢者対象の仕事を長年続けてきたこともあり、だれかに指示したり命令したりしたことがない。だれに対しても「しなさい」と言ったことがない。そもそも自分が子どもの頃から、だれからも「しなさい」と言われたことがない。「せられえ」とか「せー」と言われたことはある(岡山弁)。

お願いならしたことがある。「もしよろしければ、これこれをしていただけませんでしょうか。なにとぞどうかよろしくお願いいたします」というようなことを言ったり書いたりはよくしてきた。しかしそれは指示でも命令でもありえない。「人を使う」ということも全くしたことがないし、考えたこともない。

協力を要請したことならある。「もしよろしければ、お助けいただけませんでしょうか。ご多忙中のところ申し訳ございません。ありがとうございます」と言ったり書いたりはよくしてきた。しかしそれは指示でも命令でもありえない。緊張しているわけでもない。それが「自然」であり「普通」であるだけだ。

妻にも子どもたちにも「しなさい」と、いまだかつて一度も言ったことがない。妻には「もしよろしければ~」で、子どもたちには「しろ」。そのどちらかだ。家庭内のことなので何の問題もない。よそさまに「しろ」も「しなさい」もない。ありえない。言い方の問題ではなく基本姿勢の問題だと思っている。

いま書いているのは「私はそうだ」ということだけで、すべての人が私と同じでなければならないと言いたいのではないし、考えているのでもない。ただ、聞こえてくるたびに嫌だと思っているし、不快に感じているし、腹が立っているし、軽蔑している。口に出して言わないだけだ。私はそういう人間である。

ほとんどもっぱら高齢者対象の仕事を長年続けてきたことと、命令も指示もしたことがないことがどうつながるのかといえば、仮に(相対的な意味での)高齢者に命令したり指示したりしても、言うこと聞いてくれるわけがないからだ。へそまげて、頭から湯気が出るだけだろう。そんなの当たり前ではないか。

まだ終わらない仕事を抱えているが、今夜はもう休ませてもらう。明日なんとか仕上げよう。