ルカによる福音書2・22〜38
先週までにクリスマスのすべての行事が、無事に終了しました。ほっと一安心、というところでしょうか。
マリアとヨセフも、イエスさまがお産まれになった後、このような、安心した気持ちになったのではないでしょうか。出産には、喜びだけではなく、苦しみが伴います。当事者たちは、たいへんです。
マリアとヨセフは、イエスさまがお生まれになってまもなくして、「その子を主に献げるため」エルサレムに連れて行った、と書かれています。
出エジプト記13・2に「すべての初子を聖別してわたしにささげよ」とあります。彼らは、聖書の御言どおりに、生まれたばかりのイエスさまをエルサレム神殿に連れて行き、主なる神さまにささげました。
そのとき、彼らに近づいてきた二人の人物がいた、ということが今日の個所に書かれています。いずれも高齢の人々でした。一人は男性、一人は女性。男性の名前はシメオン、女性の名前はアンナといいました。
「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。」
シメオンは、ある特別なお告げを、神さまから与えられていました。
「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」というお告げであった、と訳されています。原文から訳し直しますと、「主なるキリストを見るまでは、決して死なない」となります。
とても興味深い内容のお告げであると思います。いろいろと考えさせられるものがあります。
考えさせられることの第一は、「主なるキリストを見るまでは」という言葉の意味は何か、ということです。
新共同訳聖書で「会う」と訳されている「見る」の意味は、実際に目で見えるものを、直接、自分の目で見ることです。
この地上における歴史的出来事として具現化された事物を、体験的に、肉眼で把握し、知覚し、確認することです。
それは、いわば、「信じること」以上です。それが存在すること、あるいは、存在するであろうことを信じているけれども、まだ見たことがないという段階が終わり、次の段階に進んでいるのが「見る」という行為です。
外国旅行のことを考えてみるとよいかもしれません。
わたしには行ってみたい国がありますが、まだ行ったことがありません。その国が存在することは知っていますし、そこにはどのようなものがあるかを学んでもいます。
しかし、行ったことも、見たこともない。致命的とまでは言えませんが、決定的に足りないものを感じます。
わたしは、昨年の今頃、松戸小金原教会の牧師になる準備を始めていました。
以前に一度、特別伝道集会の講師として奉仕させていただきましたので、皆さんはわたしの顔を見てくださっていました。しかし、わたしは、申し訳ないことに、皆さんのお顔をぼんやりとしか覚えておりませんでした。
ですから、わたしは、皆さんを「見に」来ました。遠くで思い出す、というだけでは、限界があるのです。
「主なるキリストを見る」とは、信じること以上です。シメオンは、主なるキリストのお姿を、自分の目で見ることができる、という光栄に与るという約束を与えられていたのです。
考えさせられることの第二は、「決して死なない」という言葉の意味は何か、ということです。
キリストのお姿を見たら必ず死ぬ、という意味ではありません。「見るまでは死なない」とは、少なくともその日までは生きながらえることができる、という意味です。
これは、残念ながら、というべきでしょうか、誰にでも当てはまるという意味での一般的で普遍的な内容のお告げではありません。シメオンだけに特別に与えられた約束です。
ですから、残念ながら、主なるキリストを自分の目で見ることができない人々が、大勢います。わたしたちの場合は、聖書を通してキリストと出会うことができるだけです。
しかし、シメオンは違いました。キリストを見るまでは、決して死なない。生きている間に、主のお姿を見ることができる。このような素晴らしい約束を与えられていたのです。
ところが、そのシメオンに、一抹の不安がありました。彼の年令の問題です。命あるうちに間に合わないかもしれない、という不安であった、と言えるでしょう。
「シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。『主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。』」
「安らかに去らせる」とは、この地上の人生が終わる、という意味です。
シメオンは、彼に与えられた約束を信じて、主なるキリストのご降誕を、今か今かと、心待ちにしていました。
ところが、待てど暮らせど、救い主は来てくださらない。約束は与えられているにもかかわらず、です。彼には、その約束を信じる信仰があったにもかかわらず、です。
それはちょうど、婚約式が終わっているのに、なかなか結婚できない男女の関係のようなものです。余計にせつなく、焦る気持ちばかりが募り、みじめな思いを味わいます。
時間ばかりどんどん過ぎていく。いっそ最初から、約束など無いほうが良かったのに、と後悔する思いさえ、浮かんでくる。
しかし、その約束を最期まで信じ続けることができたのは、シメオンの勝利であると思います。神のお告げである、というその一点ゆえに、信じることができたに違いない。信仰の勝利です。
ところが、シメオンは、もはや、生きていくのも辛いほど、体力的な限界を感じていたのです。
ですから、やっと、です。「安らかに」人生を終えることができる。救い主に出会うことができた。この目で見ることができた。何とか間に合った、ということです。
神さまは、意地悪な方ではありません。しかし、時々、このような切なく苦しい気持ちを、わたしたち人間が味わってしまうようなことをなさいます。わたしたちの信仰の強さを、試しておられるのかもしれません。
「『わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。』」
シメオンは、彼の目の前に現われた救い主を、「あなたの救い」、「万民のために整えてくださった救い」、「異邦人を照らす啓示の光」、「あなたの民イスラエルの誉れ」と呼んでいます。
救い主が来てくださることが、救いそのものです。そして、その救いは、異邦人にも、イスラエルの民にも、示されました。異邦人も、イスラエルの民も、その救いに与ることができます。その意味での「万民のための救い」です。すべての民のための救いです。
このように、シメオンは、イエス・キリストを通して示された神の救いは、民族的枠組みを越えた普遍的な広がりを持っていることを告白しました。これが、救い主イエス・キリストについてシメオンが告白した第一の点です。
「父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。『御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し抜かれます――多くの人の心の中にある思いがあらわにされるためです。』」
イエス・キリストについてのシメオンの告白の第二の点は、救い主が苦しみを受ける、ということです。
「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり」とあります。「立ち上がらせたり」ともありますが、ここでの問題は「倒す」のほうです。「反対を受けるしるし」ともあり、「あなた(マリア)自身も剣で心を刺し貫かれます」とあります。
キリストが、現実のイスラエルの行き方を倒す。倒されまいと、反対もされる。抵抗勢力が生じる。その姿を見て、お腹を痛めてこの子を産んだ母マリアも、辛い立場に立たされる。剣で心を刺し貫かれる。
十字架の上に張りつけにされたイエス・キリストの姿、そしてまた十字架の前で苦しむ母マリアの姿を、シメオンが、心の目で見ていました。
シメオンは、キリストの降誕された姿を見ることには間に合いましたが、十字架と復活、その後のキリスト教会の誕生には、間に合いませんでした。
しかし、それは、一人一人の人間には、それぞれの時代にあって、それぞれに異なる、それぞれの役割がある、ということを示している、と語ることが許されるでしょう。
そのような例を聖書の中に探しはじめるならば、枚挙にいとまがありません。
たとえば、モーセは、イスラエルの民を引き連れてエジプトから脱出しましたが、約束の地カナンの地が見えるほどの距離にまで近づいたにもかかわらず、カナンに入ることができぬまま、亡くなりました。
モーセは決定的に重要な役割を担いましたが、彼の祈りには、適わなかったこともあったのです。
しかし、それでも、モーセは満足しました。シメオンも満足しました。
彼らは、満足な人生を送りました。安らかに去ることができました。なぜでしょうか。
わたしは、まだ年若き者ですので、こんなことを言うと、馬鹿だと思われるかもしれません。しかし、真面目な話、最近しょっちゅう考えさせられていることは、あと何年牧師ができるか、ということです。
日本キリスト改革派教会が定める70才定年引退の日まで、残り31年です。たった31年しか残っていない、と感じるのです。
なぜそう思うのでしょうか。わたしたちに神さまが与えてくださっている仕事の規模が、あまりに大きすぎる、と感じるからです。たったの31年くらいでは、わずかなことしかできそうにないからです。
これは、牧師だけの話ではありません。
すべてのキリスト者に委ねられている仕事は、30年、50年、100年という単位で、成し遂げられていきます。その中で、一人一人は、ほんのわずかなことを成しうるのみです。なすべきことは、山のようにあるのです。
シメオンも、あるいはモーセも、われわれと同じ思いを持っていたに違いありません。
シメオンは、イエス・キリストを自分の目で見ることができて満足しました。神の壮大で遠大なご計画の中で、このわたしもまた何か一つでも役割を果たすことができた、ということに満足したのです。
そのようなことにこそ、ひとは、喜びを見出し、希望を見出すのです。
わたしたちは、松戸小金原教会と日本キリスト改革派教会の成長と発展を見て、心から満足するでしょう。これこそが、わたしたちの希望です。
まだ見ていないのだが、と思わないでください。今、ここで、神のご計画が進められています。わたしたちは、今、ここで、それを見ているのです。
(2004年12月26日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年12月26日日曜日
2004年12月24日金曜日
すべての人々を救うために
テトスへの手紙2・11~15
「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。十分な権威をもってこれらのことを語り、勧め、戒めなさい。だれにも侮られてはなりません。」
わたしたちは今、クリスマスイヴの礼拝をささげております。たくさんの讃美、聖歌隊の讃美、ヴァイオリンとピアノによる讃美、そして小学生たちによる聖書朗読など、豊かな恵みをいただくことができ、感謝です。
今お読みいたしましたのは、使徒パウロが伝道者仲間であるテトスに宛てて書いたとされる手紙の一節です。
テトスは、クレタ島にいました。世界で最も美しい海として知られるエーゲ海にある、最も美しい島です。そこで、テトスは大切な仕事をしていました。まだそこにキリスト教の教会が存在していない地域、という意味での「伝道未開拓」の地域に新しく教会を生み出す仕事です。開拓伝道と呼ばれます。
そのことが分かるように書いているのが、1・5の御言葉です。「あなたをクレタに残してきたのは、わたしが指示しておいたように、残っている仕事を整理し、町ごとに長老たちを立ててもらうためです。」
どこかの町に教会が新しく生まれるとは、どういうことでしょうか。
教会が新しく生まれると聞いて、多くの人々が思い浮かべることは、新しい教会の建物が立つことでしょう。新しい教会の建物ができる、ということも、大切なことです。しかし、いわばもっと大切なことがある、とわたしたちは考えてきました。
そこに少なくとも二人以上の「長老」が選ばれる必要があるのだ、と。牧師を加えた少なくとも三名以上の議員による「小会」が形成される必要があるのだ、と。
もちろん、長老たちが選ばれ、小会が形成されれば、それで終わりというわけではなく、さらに教会が組織化され、制度化され、現実的・実際的に運営されていく、という必要があるのだ、と。
なぜなら、教会とは建物ではなく、人(ひと)だからです。救い主イエス・キリストを信じる信仰によって心から喜びつつ、礼拝と奉仕をささげている人々が、集まっている。それこそが教会なのです。
当時のクレタ島は、ほとんどの島民にとってはキリスト教の「キ」の字も無かった頃です。それでも、その中の一握りの人々が、新しく宣べ伝えられた信仰を受け入れ、パウロたちが主宰する諸集会に定期的に出席してくれるようになったのでしょう。
しかも、いくつかの町ごとに分かれた複数の集会が生まれていました。そこで、パウロが去ったあと、テトスに残された仕事は、複数の集会の中から長老となるべき人を選び出すこと、そしてその長老たちを中心とした教会組織を作り上げて行くことだったのです。
そのような状況の中で、パウロは、テトスにこの手紙を書き送りました。そして、この手紙の中で特に強調していることは、新しい信仰としてのキリスト教信仰を受け入れた人々は、やはり、それまでとはいくらか違った「生き方」をしなければならない、ということです。
「教会」というところに通いはじめた。最初は、おそるおそる近づいてきた。何となく敷居が高いとも感じていた。しかし、そこで教えられている信仰に、次第に目が開かされてきた。そして、やがて信仰を受け入れ、キリスト教の洗礼を受け、ついに「キリスト者」と公に名乗って生きるようになった。
そのような変化が、人生の中にもたらされた。
そのときに起こらなければならないことは何か。考え方、物の見方、価値観などが変わるにすぎないのか。それとも、生き方そのもの、生活態度にも変化が起こるのか。そこで起こるのは、"頭の中だけの変化"にすぎないのか。"体全体の変化"も伴うのか。
パウロが書いている勧めの内容は、それほど特殊なことではないと思います。見方にもよりますが、ごく普通のテーブルマナーや、一般常識程度のことです。あまりお酒を飲みすぎてはなりませんとか、思慮深く振る舞いなさいとか、良い行いの模範になりなさい、など。
「そんなの、どうでもよいことではないか。たとえそれが教会であっても、たとえそれが聖書に基づいている言葉であるといっても、このわたしの個人の生き方や立ち居振る舞いについて、こうしろ、ああしろと、とやかく言われることなど、真っ平です」と思われてしまうかもしれません。
あるいは、もう少し生真面目な人々からは、「わたしは大酒を飲むのをやめられないし、思慮深い人間にもなれない。まして、誰かの模範になることなど絶対にできません。こんなふうに言われてしまうならば、わたしはキリスト教に入ることができません」と言われてしまう理由になるかもしれません。
そのようないろいろな反応を、わたしたちは、いろんな機会に何度も聞いてきましたので、よく知っています。しかし、だからといって、わたしたちは、その先の言葉を語ることができないわけではありません。
パウロも書いています。「十分な権威をもってこれらのことを語り、勧め、戒めなさい。だれにも侮られてはなりません」(2・15)。
キリスト教の信仰をもって生きるようになった人々には、体全体の変化、存在そのものの変化がそこに必ず伴うのだ、ということを語ることにおいて、わたしたちは、だれにも侮られてはならないのです。
その意味での「わたしたちの人生における変化」を、パウロは「すべての人々に救いをもたらす神の恵み」という言葉で表現しています。そこで起こるのは、神の恵みによって救われた人々の人生が、そのことにふさわしいものへと作りかえられるという出来事です。
そして、もう一つ言えることは、生活の変化ということでわたしたちが思い描いてよいことは、この手紙の文脈を考えてみると明らかに、教会の組織とか制度というような次元の事柄と、決して無関係ではありえない、ということです。
パウロが書いているのは、教会の「長老」や「執事」や「監督」(この文脈では「牧師」の意味です)としてふさわしいのはどういう人々であるかとか、教会の交わりを大切にしていくためには、どのような生き方をすべきか、ということです。
ここで問われていることは、地上の教会に集まる人々の姿です。毎週の礼拝や諸集会に定期的に出席するようになるとか、役員として奉仕することなど、です。
このような、教会の具体的・実際的な活動に参加していく中で、わたしたちの生活が、だんだんと作りかえられて行くのです。
もっとはっきり言えば、教会の行事に、わたしたちの生活を重ね合わせていこうとするときに、それが起こるのです。
日曜日は朝早く出かけ、教会の礼拝に出席する。それでは、土曜日のお酒は少し控え目にしましょうとか、できるだけ早く眠りましょう、といった感じのことです。
言ってみれば、その程度のことにすぎません。しかし、そのようなことが、場合によっては、人生の大問題にもなりうるのです。
「キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは」という意味は、キリストが十字架の上で御自身の命をささげてくださったことだけではありません。
加えて、フィリピの信徒への手紙2・6〜7に書かれているように、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになられました」というクリスマスの出来事を含んでいます。
神の御子が人間となられたこと自体が、わたしたちのために御自身をささげてくださることなのです。
それは、「わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだった」とパウロは言います。「良い行いに熱心な民」、これが教会です。
神の御子が地上の人間としてお生まれになったのは、キリストの体なる教会をこの地上にお立てになるためです。
クリスマスの出来事の目的は、地上に教会を生み出すためです。それは、教会に連なる人々が「良い行いに熱心な民」となり、教会の中で、良い行いを行い、良い人生を生きることができるようになるためです。
クリスマスイブに、このように、みんなで教会に集まって礼拝をささげることも、そうです。クリスマスに最もふさわしいことは、教会に集まることです。
教会には、高級ホテルのようなディナーも、豪華な飾りも、美味しいお酒もありません。しかし、ここにはわたしたちの心を満たしてくれるものがあります。神の恵みがあります。
今夜初めて教会の礼拝に来てくださったという方は、ぜひメールで感想を寄せてください。プレゼントを差し上げたいと思います。
「よかった」でも「つまらなかった」でも構いません。わたしたちはこれがクリスマスの本当の祝い方であると信じています。そのことを、すべての人々に分かっていただきたいのです。
(2004年12月24日、松戸小金原教会クリスマスイヴ礼拝)
「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。十分な権威をもってこれらのことを語り、勧め、戒めなさい。だれにも侮られてはなりません。」
わたしたちは今、クリスマスイヴの礼拝をささげております。たくさんの讃美、聖歌隊の讃美、ヴァイオリンとピアノによる讃美、そして小学生たちによる聖書朗読など、豊かな恵みをいただくことができ、感謝です。
今お読みいたしましたのは、使徒パウロが伝道者仲間であるテトスに宛てて書いたとされる手紙の一節です。
テトスは、クレタ島にいました。世界で最も美しい海として知られるエーゲ海にある、最も美しい島です。そこで、テトスは大切な仕事をしていました。まだそこにキリスト教の教会が存在していない地域、という意味での「伝道未開拓」の地域に新しく教会を生み出す仕事です。開拓伝道と呼ばれます。
そのことが分かるように書いているのが、1・5の御言葉です。「あなたをクレタに残してきたのは、わたしが指示しておいたように、残っている仕事を整理し、町ごとに長老たちを立ててもらうためです。」
どこかの町に教会が新しく生まれるとは、どういうことでしょうか。
教会が新しく生まれると聞いて、多くの人々が思い浮かべることは、新しい教会の建物が立つことでしょう。新しい教会の建物ができる、ということも、大切なことです。しかし、いわばもっと大切なことがある、とわたしたちは考えてきました。
そこに少なくとも二人以上の「長老」が選ばれる必要があるのだ、と。牧師を加えた少なくとも三名以上の議員による「小会」が形成される必要があるのだ、と。
もちろん、長老たちが選ばれ、小会が形成されれば、それで終わりというわけではなく、さらに教会が組織化され、制度化され、現実的・実際的に運営されていく、という必要があるのだ、と。
なぜなら、教会とは建物ではなく、人(ひと)だからです。救い主イエス・キリストを信じる信仰によって心から喜びつつ、礼拝と奉仕をささげている人々が、集まっている。それこそが教会なのです。
当時のクレタ島は、ほとんどの島民にとってはキリスト教の「キ」の字も無かった頃です。それでも、その中の一握りの人々が、新しく宣べ伝えられた信仰を受け入れ、パウロたちが主宰する諸集会に定期的に出席してくれるようになったのでしょう。
しかも、いくつかの町ごとに分かれた複数の集会が生まれていました。そこで、パウロが去ったあと、テトスに残された仕事は、複数の集会の中から長老となるべき人を選び出すこと、そしてその長老たちを中心とした教会組織を作り上げて行くことだったのです。
そのような状況の中で、パウロは、テトスにこの手紙を書き送りました。そして、この手紙の中で特に強調していることは、新しい信仰としてのキリスト教信仰を受け入れた人々は、やはり、それまでとはいくらか違った「生き方」をしなければならない、ということです。
「教会」というところに通いはじめた。最初は、おそるおそる近づいてきた。何となく敷居が高いとも感じていた。しかし、そこで教えられている信仰に、次第に目が開かされてきた。そして、やがて信仰を受け入れ、キリスト教の洗礼を受け、ついに「キリスト者」と公に名乗って生きるようになった。
そのような変化が、人生の中にもたらされた。
そのときに起こらなければならないことは何か。考え方、物の見方、価値観などが変わるにすぎないのか。それとも、生き方そのもの、生活態度にも変化が起こるのか。そこで起こるのは、"頭の中だけの変化"にすぎないのか。"体全体の変化"も伴うのか。
パウロが書いている勧めの内容は、それほど特殊なことではないと思います。見方にもよりますが、ごく普通のテーブルマナーや、一般常識程度のことです。あまりお酒を飲みすぎてはなりませんとか、思慮深く振る舞いなさいとか、良い行いの模範になりなさい、など。
「そんなの、どうでもよいことではないか。たとえそれが教会であっても、たとえそれが聖書に基づいている言葉であるといっても、このわたしの個人の生き方や立ち居振る舞いについて、こうしろ、ああしろと、とやかく言われることなど、真っ平です」と思われてしまうかもしれません。
あるいは、もう少し生真面目な人々からは、「わたしは大酒を飲むのをやめられないし、思慮深い人間にもなれない。まして、誰かの模範になることなど絶対にできません。こんなふうに言われてしまうならば、わたしはキリスト教に入ることができません」と言われてしまう理由になるかもしれません。
そのようないろいろな反応を、わたしたちは、いろんな機会に何度も聞いてきましたので、よく知っています。しかし、だからといって、わたしたちは、その先の言葉を語ることができないわけではありません。
パウロも書いています。「十分な権威をもってこれらのことを語り、勧め、戒めなさい。だれにも侮られてはなりません」(2・15)。
キリスト教の信仰をもって生きるようになった人々には、体全体の変化、存在そのものの変化がそこに必ず伴うのだ、ということを語ることにおいて、わたしたちは、だれにも侮られてはならないのです。
その意味での「わたしたちの人生における変化」を、パウロは「すべての人々に救いをもたらす神の恵み」という言葉で表現しています。そこで起こるのは、神の恵みによって救われた人々の人生が、そのことにふさわしいものへと作りかえられるという出来事です。
そして、もう一つ言えることは、生活の変化ということでわたしたちが思い描いてよいことは、この手紙の文脈を考えてみると明らかに、教会の組織とか制度というような次元の事柄と、決して無関係ではありえない、ということです。
パウロが書いているのは、教会の「長老」や「執事」や「監督」(この文脈では「牧師」の意味です)としてふさわしいのはどういう人々であるかとか、教会の交わりを大切にしていくためには、どのような生き方をすべきか、ということです。
ここで問われていることは、地上の教会に集まる人々の姿です。毎週の礼拝や諸集会に定期的に出席するようになるとか、役員として奉仕することなど、です。
このような、教会の具体的・実際的な活動に参加していく中で、わたしたちの生活が、だんだんと作りかえられて行くのです。
もっとはっきり言えば、教会の行事に、わたしたちの生活を重ね合わせていこうとするときに、それが起こるのです。
日曜日は朝早く出かけ、教会の礼拝に出席する。それでは、土曜日のお酒は少し控え目にしましょうとか、できるだけ早く眠りましょう、といった感じのことです。
言ってみれば、その程度のことにすぎません。しかし、そのようなことが、場合によっては、人生の大問題にもなりうるのです。
「キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは」という意味は、キリストが十字架の上で御自身の命をささげてくださったことだけではありません。
加えて、フィリピの信徒への手紙2・6〜7に書かれているように、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになられました」というクリスマスの出来事を含んでいます。
神の御子が人間となられたこと自体が、わたしたちのために御自身をささげてくださることなのです。
それは、「わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだった」とパウロは言います。「良い行いに熱心な民」、これが教会です。
神の御子が地上の人間としてお生まれになったのは、キリストの体なる教会をこの地上にお立てになるためです。
クリスマスの出来事の目的は、地上に教会を生み出すためです。それは、教会に連なる人々が「良い行いに熱心な民」となり、教会の中で、良い行いを行い、良い人生を生きることができるようになるためです。
クリスマスイブに、このように、みんなで教会に集まって礼拝をささげることも、そうです。クリスマスに最もふさわしいことは、教会に集まることです。
教会には、高級ホテルのようなディナーも、豪華な飾りも、美味しいお酒もありません。しかし、ここにはわたしたちの心を満たしてくれるものがあります。神の恵みがあります。
今夜初めて教会の礼拝に来てくださったという方は、ぜひメールで感想を寄せてください。プレゼントを差し上げたいと思います。
「よかった」でも「つまらなかった」でも構いません。わたしたちはこれがクリスマスの本当の祝い方であると信じています。そのことを、すべての人々に分かっていただきたいのです。
(2004年12月24日、松戸小金原教会クリスマスイヴ礼拝)
2004年12月19日日曜日
この喜びの日を祝おう クリスマス礼拝
ルカによる福音書2・8~20
2004年度 松戸小金原教会クリスマス礼拝
関口 康
今日は、クリスマス礼拝です。わたしたちは、今日、救い主イエス・キリストがお生まれになったことをお祝いするために集まってきました。
また今日、三名の方々が新しく松戸小金原教会の会員になりました。本当に素晴らしいことであり、大いに喜ぶべきことです。
この喜びの日を、みんなで心からお祝いしたいと思います。
「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。」
「主の栄光」とは、そこに主なる神御自身がおられることを示す、天の光です。その光が彼らの周りを照らしました。
そのとき、何が起こったのでしょうか。天におられる神が、彼らに近づいてこられた、ということです。しかし、それだけではありません。神のおられる天そのものが、彼らのいる地上の世界へと、近づいてきたのです。
「天」と申しました。これを「天国」と呼ぼうと、「神の国」と呼ぼうと、同じことです。それぞれに別の場所があるわけではありません。
「天」とは神がおられる場所のことです。それはどこなのか、ということについては、説明しがたいものがあります。神がおられる場所が「天」なのです。
そして、この天が地上の世界に近づいてきた、ということは、天とは動くものである、ということです。
そのように考えるのでなければ、わたしたちキリスト者がいつも祈っている「御国を来たらせたまえ」という主の祈りの言葉の意味を理解することはできません。
「御国を来たらせたまえ」とは「御国が来ますように」、つまり、神のおられる天そのものが、わたしたちのいる地上の世界へと近づいてきますように、という意味です。
わたしたち夫婦が、事あるごとに二人の子どもたちに言い聞かせていることは、こうです。一般的には理解されないことかもしれません。
「ぼくたちは、『死んだら天国に行く』のではないよ。天国のほうから、ぼくたちのほうに来てくれるんだよ。天国は『行くところ』ではなくて、『来てくれるところ』なんだよ。そんなふうに、いつも祈っているじゃないか」。
救い主イエス・キリストがお生まれになったとき、ベツレヘムの羊飼いたちのいる場所で起こった出来事も、まさにそのことでした。「主の栄光が周りを照らした」。天国が、彼らに近づいてきたのです!
しかし、彼らは、そのことを、非常に恐れました。当然のことかもしれません。
天国が近づいてきた、ということを、わたしたちならば、どのように考えるでしょうか。
やはり、そこでどうしても考えてしまうことは、地上の人生がついに終わる、ということではないでしょうか。「お迎えに来る」という言い方があるくらいです。
羊飼いたちが自分の死を覚悟しなければならないほどの苦境に立たされていたかどうかは分かりません。厳しい労働を強いられていたとか、生命の危険があった、というようなことは、どこにも書かれていません。
しかし、人生の終わりは、ある日突然、何の予告もなく、やってくることがある、ということも事実です。天国が向こうから突然近づいてくる、ということは、人間の恐怖の理由でもあるのです。
ところが、天使の言葉は、羊飼いたちに、安心と喜びを与えるものでした。
「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』」
天使が告げたのは、大きな喜びの知らせでした。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」という知らせでした。
ひとまず明らかなことは、「天国が近づいてくる」という出来事の意味は「わたしの人生が終わる」ということだけではない、ということです。
「わたしたちのために救い主がお生まれになる」ということも、言葉の十分な意味で「天国が近づいてくること」なのです。
神の御子イエス・キリストは、わたしたちと同じ姿で、わたしたちのいる地上の世界にお産まれになりました。それは、わたしたちのいるこの地上に、真の救いがもたらされた、ということです。
わたしたちがイエス・キリストとの出会いを果たし、救われる場所は、この地上において、なのです。
なぜわたしは、このようなことを強調するのでしょうか。わたしたちの時代に生きている多くの人々が、地上での生活に絶望しているからです。
もちろん、それは今に始まったことではありません。
地上には救いがない。世界は邪悪な力で満ちている。暴力があり、殺人があり、戦争がある。わたしたちは、ここでどんなに長く生きていても、何の救いもないし、喜びもないし、希望もない。
そのように感じている人々、人生が嫌になっている人々が、たくさんいるのです。
しかし、そうではないのだ、と。この地上に、あなたがたのために、救い主がお産まれになったのだと、主なる神は、天使を通して、羊飼いたちに教えてくださいました。
死んだら天国に行けるのだから、早く天国からお迎えに来てもらいたい。地上の人生など一刻も早く終わりにしたい、などと考えるのは、やめなさいと、主なる神は、わたしたちにも教えてくださっているのです。
たとえ、傷だらけ、あざだらけの人生であるとしても、です。生きることが大切です。そして、この人生の中で、救い主なるキリストと現実に出会い、現実に救われることこそが大切なのです。
天使は、羊飼いたちに、今日お産まれになった乳飲み子は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている、と教えることによって、その方を探しに行くように促しました。
救い主は、あなたがたのすぐ近くにおられる。歩いて行ける距離に、同じ町の中におられる。そして、「その方だ」と、見ればすぐ分かるようなお姿をしておられる。
そのことを、天使を通して、主なる神は、彼らに教えてくださいました。
なぜ飼い葉桶なのか、なぜ家畜小屋なのかについての説明はありません。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」と書かれています。しかし、これは原因ではあっても、理由ではありません。
ただ、おそらく一つだけ、わたしたちに知らされていることがあります。
それは、ここで「布にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子」ということこそが、羊飼いたちがその方を救い主であると識別するための「しるし」である、と語られていることです。
ここで考えさせられることは、ベツレヘムの羊飼いたちが、そのとき置かれていた境遇は、どのようなものであったか、ということです。
言い換えるなら、“彼らにとって”、その方こそが救い主であると“感じる”ことができる姿は、どのようなものであったか、ということです。
わたしたち自身のこととして考えてみると、よく分かるでしょう。“わたしたちにとって”、その方こそが救い主であると“感じる”ことができる姿は、どのようなものでしょうか。
おそらく、わたしたちの多くは、「ごく普通の生活」をしています。そういう自覚があると思います。
この、ごく普通の生活をしている、ごく普通の人間たちにとって、自分自身の生活感覚からして、あまりにもかけ離れた姿を持つ存在を「わたしの救い主」と信じて告白することができるでしょうか。
「わたしの救い主」は、少なくとも、まさか、人生のすべてを贅沢で埋め尽くしているような存在の姿ではないだろう、と思われるのです。
贅沢のすべてがいけない、という話ではありません。わたしは今、そういう話をしようとしているのではありません。
しかし、貧しさや飢えに苦しんでいる人々が現実に存在するにもかかわらず、そのようなことに関心も配慮もなく、贅沢な人生を送っているような存在を、誰が尊敬するでしょうか。そんな救い主を、誰が信じるでしょうか。
むしろ、誰よりも貧しい姿で、枕して眠る場所もないような苦境に置かれている、そのようなお方こそ、わたしたちの人生の柱とし、支えとして信じ、受け入れるべき存在なのである、ということが語られているのです。
「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」
ベツレヘムの平原に、天使の賛美の歌声が、響きわたりました。この歌の内容も、神のおられる天とわたしたち人間の住む地上の世界との関係は、どのようなものであるのか、ということに関わっています。
そして、ここでも思い起こすべきは、「御国を来たらせたまえ」という祈りの言葉です。神の御子イエス・キリストのご降誕によって、神の栄光が輝く御国が地上に近づいてきたのです。
地上で、ひとが救われるのです。現実の救いを、地上で体験できるのです。
そして、その救いは「地上の平和」という形でもたらされるのだ、と信じてよいのです。
「地上の平和」などないではないか、と叫びたくなるような現実の中にあっても、です。わたしたちは、それを熱心に祈り求める必要があります。
地上にいるかぎり、その祈りをやめることはできません。その祈りをやめるならば、まさに、真の絶望に陥るのです。
「地には平和、御心に適う人にあれ」という訳は適切なものです。しかし、ギリシア語の原文を見ますと、もっと端的で、もっと意味深い言葉が書かれていることが分かります。
「御心に適う人」〔アンスローポイス・エウドキアース〕の「御心」〔エウドキア〕とは、わたしたち改革派教会が重んじるウェストミンスター信仰告白などでグッド・プレジャー・オブ・ゴッド(Good pleasure of God)と訳されている言葉です。
グッド・プレジャー(Good pleasure)のグッド(Good)は「善い」であり、プレジャー(pleasure)は「喜び」という意味です。ですから、直訳するならば「神の善い喜び」ということになりますが、そのような日本語はありません。「善意」とか「好意」と訳すことはできるでしょう。
しかし、それこそが、ここで「御心」と訳されている言葉の真意です。そうだとすれば、せめて、「喜びに満ちあふれた神の御心」と訳したいところです。神の御心の中身は「喜び」なのです!
「御心に適う人」とは「喜びに満ちあふれた神の御心に適う人」のことであり、要するに「喜びの人」です。
それは"永遠に神を喜ぶ"人です。しかし、それだけではありません。
だれよりも先に神御自身が「喜ぶ存在」である、ということを知り、神の喜びをわたしの喜びとして受け入れ、わたし自身が喜びに満たされて生きることができる人のことです。
地上に平和が実現することを神御自身が喜んでくださるのです。その喜びをこのわたしの喜びとすることができる人。それが「御心に適う人」です。
救い主イエス・キリストのご降誕という出来事の真の意味は、父なる神が、御子をお遣わしくださったことによって、御子を信じる者たちが、この地上の人生を喜ぶことができるようにしてくださった、ということです。
救いも、平和も、喜びも、生きながらにして体験し、味わうことができるものなのだ、ということを、神御自身が示してくださったのです。
歩いて行ける距離のところに、救いが実現しているのです。
だからこそ、です。
人生に絶望してはなりません!
恐れることなく生きていきましょう!
遠慮なく喜びましょう!
わたしたちの救い主は、いつもわたしたちと共におられるのです。
(2004年12月19日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年度 松戸小金原教会クリスマス礼拝
関口 康
今日は、クリスマス礼拝です。わたしたちは、今日、救い主イエス・キリストがお生まれになったことをお祝いするために集まってきました。
また今日、三名の方々が新しく松戸小金原教会の会員になりました。本当に素晴らしいことであり、大いに喜ぶべきことです。
この喜びの日を、みんなで心からお祝いしたいと思います。
「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。」
「主の栄光」とは、そこに主なる神御自身がおられることを示す、天の光です。その光が彼らの周りを照らしました。
そのとき、何が起こったのでしょうか。天におられる神が、彼らに近づいてこられた、ということです。しかし、それだけではありません。神のおられる天そのものが、彼らのいる地上の世界へと、近づいてきたのです。
「天」と申しました。これを「天国」と呼ぼうと、「神の国」と呼ぼうと、同じことです。それぞれに別の場所があるわけではありません。
「天」とは神がおられる場所のことです。それはどこなのか、ということについては、説明しがたいものがあります。神がおられる場所が「天」なのです。
そして、この天が地上の世界に近づいてきた、ということは、天とは動くものである、ということです。
そのように考えるのでなければ、わたしたちキリスト者がいつも祈っている「御国を来たらせたまえ」という主の祈りの言葉の意味を理解することはできません。
「御国を来たらせたまえ」とは「御国が来ますように」、つまり、神のおられる天そのものが、わたしたちのいる地上の世界へと近づいてきますように、という意味です。
わたしたち夫婦が、事あるごとに二人の子どもたちに言い聞かせていることは、こうです。一般的には理解されないことかもしれません。
「ぼくたちは、『死んだら天国に行く』のではないよ。天国のほうから、ぼくたちのほうに来てくれるんだよ。天国は『行くところ』ではなくて、『来てくれるところ』なんだよ。そんなふうに、いつも祈っているじゃないか」。
救い主イエス・キリストがお生まれになったとき、ベツレヘムの羊飼いたちのいる場所で起こった出来事も、まさにそのことでした。「主の栄光が周りを照らした」。天国が、彼らに近づいてきたのです!
しかし、彼らは、そのことを、非常に恐れました。当然のことかもしれません。
天国が近づいてきた、ということを、わたしたちならば、どのように考えるでしょうか。
やはり、そこでどうしても考えてしまうことは、地上の人生がついに終わる、ということではないでしょうか。「お迎えに来る」という言い方があるくらいです。
羊飼いたちが自分の死を覚悟しなければならないほどの苦境に立たされていたかどうかは分かりません。厳しい労働を強いられていたとか、生命の危険があった、というようなことは、どこにも書かれていません。
しかし、人生の終わりは、ある日突然、何の予告もなく、やってくることがある、ということも事実です。天国が向こうから突然近づいてくる、ということは、人間の恐怖の理由でもあるのです。
ところが、天使の言葉は、羊飼いたちに、安心と喜びを与えるものでした。
「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』」
天使が告げたのは、大きな喜びの知らせでした。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」という知らせでした。
ひとまず明らかなことは、「天国が近づいてくる」という出来事の意味は「わたしの人生が終わる」ということだけではない、ということです。
「わたしたちのために救い主がお生まれになる」ということも、言葉の十分な意味で「天国が近づいてくること」なのです。
神の御子イエス・キリストは、わたしたちと同じ姿で、わたしたちのいる地上の世界にお産まれになりました。それは、わたしたちのいるこの地上に、真の救いがもたらされた、ということです。
わたしたちがイエス・キリストとの出会いを果たし、救われる場所は、この地上において、なのです。
なぜわたしは、このようなことを強調するのでしょうか。わたしたちの時代に生きている多くの人々が、地上での生活に絶望しているからです。
もちろん、それは今に始まったことではありません。
地上には救いがない。世界は邪悪な力で満ちている。暴力があり、殺人があり、戦争がある。わたしたちは、ここでどんなに長く生きていても、何の救いもないし、喜びもないし、希望もない。
そのように感じている人々、人生が嫌になっている人々が、たくさんいるのです。
しかし、そうではないのだ、と。この地上に、あなたがたのために、救い主がお産まれになったのだと、主なる神は、天使を通して、羊飼いたちに教えてくださいました。
死んだら天国に行けるのだから、早く天国からお迎えに来てもらいたい。地上の人生など一刻も早く終わりにしたい、などと考えるのは、やめなさいと、主なる神は、わたしたちにも教えてくださっているのです。
たとえ、傷だらけ、あざだらけの人生であるとしても、です。生きることが大切です。そして、この人生の中で、救い主なるキリストと現実に出会い、現実に救われることこそが大切なのです。
天使は、羊飼いたちに、今日お産まれになった乳飲み子は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている、と教えることによって、その方を探しに行くように促しました。
救い主は、あなたがたのすぐ近くにおられる。歩いて行ける距離に、同じ町の中におられる。そして、「その方だ」と、見ればすぐ分かるようなお姿をしておられる。
そのことを、天使を通して、主なる神は、彼らに教えてくださいました。
なぜ飼い葉桶なのか、なぜ家畜小屋なのかについての説明はありません。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」と書かれています。しかし、これは原因ではあっても、理由ではありません。
ただ、おそらく一つだけ、わたしたちに知らされていることがあります。
それは、ここで「布にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子」ということこそが、羊飼いたちがその方を救い主であると識別するための「しるし」である、と語られていることです。
ここで考えさせられることは、ベツレヘムの羊飼いたちが、そのとき置かれていた境遇は、どのようなものであったか、ということです。
言い換えるなら、“彼らにとって”、その方こそが救い主であると“感じる”ことができる姿は、どのようなものであったか、ということです。
わたしたち自身のこととして考えてみると、よく分かるでしょう。“わたしたちにとって”、その方こそが救い主であると“感じる”ことができる姿は、どのようなものでしょうか。
おそらく、わたしたちの多くは、「ごく普通の生活」をしています。そういう自覚があると思います。
この、ごく普通の生活をしている、ごく普通の人間たちにとって、自分自身の生活感覚からして、あまりにもかけ離れた姿を持つ存在を「わたしの救い主」と信じて告白することができるでしょうか。
「わたしの救い主」は、少なくとも、まさか、人生のすべてを贅沢で埋め尽くしているような存在の姿ではないだろう、と思われるのです。
贅沢のすべてがいけない、という話ではありません。わたしは今、そういう話をしようとしているのではありません。
しかし、貧しさや飢えに苦しんでいる人々が現実に存在するにもかかわらず、そのようなことに関心も配慮もなく、贅沢な人生を送っているような存在を、誰が尊敬するでしょうか。そんな救い主を、誰が信じるでしょうか。
むしろ、誰よりも貧しい姿で、枕して眠る場所もないような苦境に置かれている、そのようなお方こそ、わたしたちの人生の柱とし、支えとして信じ、受け入れるべき存在なのである、ということが語られているのです。
「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」
ベツレヘムの平原に、天使の賛美の歌声が、響きわたりました。この歌の内容も、神のおられる天とわたしたち人間の住む地上の世界との関係は、どのようなものであるのか、ということに関わっています。
そして、ここでも思い起こすべきは、「御国を来たらせたまえ」という祈りの言葉です。神の御子イエス・キリストのご降誕によって、神の栄光が輝く御国が地上に近づいてきたのです。
地上で、ひとが救われるのです。現実の救いを、地上で体験できるのです。
そして、その救いは「地上の平和」という形でもたらされるのだ、と信じてよいのです。
「地上の平和」などないではないか、と叫びたくなるような現実の中にあっても、です。わたしたちは、それを熱心に祈り求める必要があります。
地上にいるかぎり、その祈りをやめることはできません。その祈りをやめるならば、まさに、真の絶望に陥るのです。
「地には平和、御心に適う人にあれ」という訳は適切なものです。しかし、ギリシア語の原文を見ますと、もっと端的で、もっと意味深い言葉が書かれていることが分かります。
「御心に適う人」〔アンスローポイス・エウドキアース〕の「御心」〔エウドキア〕とは、わたしたち改革派教会が重んじるウェストミンスター信仰告白などでグッド・プレジャー・オブ・ゴッド(Good pleasure of God)と訳されている言葉です。
グッド・プレジャー(Good pleasure)のグッド(Good)は「善い」であり、プレジャー(pleasure)は「喜び」という意味です。ですから、直訳するならば「神の善い喜び」ということになりますが、そのような日本語はありません。「善意」とか「好意」と訳すことはできるでしょう。
しかし、それこそが、ここで「御心」と訳されている言葉の真意です。そうだとすれば、せめて、「喜びに満ちあふれた神の御心」と訳したいところです。神の御心の中身は「喜び」なのです!
「御心に適う人」とは「喜びに満ちあふれた神の御心に適う人」のことであり、要するに「喜びの人」です。
それは"永遠に神を喜ぶ"人です。しかし、それだけではありません。
だれよりも先に神御自身が「喜ぶ存在」である、ということを知り、神の喜びをわたしの喜びとして受け入れ、わたし自身が喜びに満たされて生きることができる人のことです。
地上に平和が実現することを神御自身が喜んでくださるのです。その喜びをこのわたしの喜びとすることができる人。それが「御心に適う人」です。
救い主イエス・キリストのご降誕という出来事の真の意味は、父なる神が、御子をお遣わしくださったことによって、御子を信じる者たちが、この地上の人生を喜ぶことができるようにしてくださった、ということです。
救いも、平和も、喜びも、生きながらにして体験し、味わうことができるものなのだ、ということを、神御自身が示してくださったのです。
歩いて行ける距離のところに、救いが実現しているのです。
だからこそ、です。
人生に絶望してはなりません!
恐れることなく生きていきましょう!
遠慮なく喜びましょう!
わたしたちの救い主は、いつもわたしたちと共におられるのです。
(2004年12月19日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年12月12日日曜日
イエスの誕生
ルカによる福音書2・1〜7
関口 康
今日の聖書の個所に記されているのは、神の御子イエス・キリストのご降誕の次第です。
神の御子は、人間の母マリアからお産まれになりました。お母さんのお腹が大きくなり、そのお腹の中から子どもが産まれるという、そのこと自体はどこにでもある、ごく普通の出来事が起こりました。
しかし、そのようにして産まれた子どもは、神の御子であられました。決して普通ではない、全く特別な出来事が起こったのです。
「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。」
当時のユダヤは、ローマ帝国の属国でした。ルカは、イエス・キリストの誕生の出来事を、ローマ皇帝アウグストゥスが、ユダヤを含むローマ帝国の全領土の住民に、住民登録をするようにとの勅令を出した、という歴史的出来事へと関連付けています。
住民登録の目的は、ローマ帝国に税金を納める義務を負う人々の数を調べることであったと言われます。その「最初の」住民登録が実施された、ということは、このとき以前には実施されていなかったことを示しています。
これは明らかに、ローマ帝国によるユダヤへの締め付けが、それまで以上に強化されたことを意味しています。
税金の問題、と言われると、わたしたちにとっても決して他人事ではないでしょう。毎日の生活に直接かかわる事柄です。
生活上の苦しみが増し加わるとき、人々の心の苦しみも必ず増し加わります。ユダヤの人々にとっては間違いなく屈辱的なことでした。しかし、逆らう術を持たない一般市民には、どうすることもできないことでした。
「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。」
ヨセフとマリアも、住民登録をするために出かけました。出かけ“なければなりません”でした。マリアは身重の体で、ヨセフはマリアをかばいながら、長く苦しい旅をしなければなりませんでした。
ごく普通に考えてみて、妊娠中の女性が長旅を強いられるというのは、ひどい話です。ドクターストップものです。また、どんなことであれ、否応なく、強制的に何かをさせられる、ということ自体、腹立たしいことです。
しかし、そのようなこともまた、力なき一般市民にとっては抵抗することのできない運命として受け入れざるをえないことでした。
しかしまた、ルカがこのことを記している目的は、ただ単に、力なき彼らが従わざるをえなかった過酷な運命を描くことだけではない、と思われます。
実際、ルカは、たとえば、彼らの置かれた境遇はどんなものであったのか、とか、そのとき彼らが感じたことは何であったか、というようなことについては、一言も記していません。「彼らは嫌々ながら出かけて行った」とか「ローマ皇帝の勅令を怨みながら出かけて行った」というようなことは、一切書いていません。
むしろ、ルカが積極的に記していることは、御子イエス・キリストがお産まれになった場所が、ヨセフが住民登録をするために出かけて行ったダビデの町ベツレヘムであった、ということです。
明らかに「強いられた」という仕方で行かざるをえなかった彼らの旅行の行く先として指し示されたベツレヘムの地で起こった出来事は、主なる神がイスラエルの民に約束してくださっていたことの実現として起こったことである、ということです。
キリストがベツレヘムでお産まれになることについての聖書的根拠に関しては、マタイによる福音書2・4以下に書かれていることが、参考になります。
イエス・キリストがお産まれになったことを知って駆けつけた東方の博士たちの言葉を聞いたヘロデ王が、民の祭司長たちや律法学者たちに、メシアの生まれる場所について聖書にはどう書いているかを調べさせた結果、彼らは次のように答えました。
「彼らは言った。『ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」』」
ここで彼らが引用しているのは、旧約聖書のミカ書5・1です。ただし、実際のミカ書を見ますと、内容は違っているように見えます。
「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために、イスラエルを治める者が出る。」
このような違いがどうして起こったのかは分かりません。しかし、ベツレヘムからイスラエルの牧者ないしイスラエルを治める者が出る、という最も大切な点については、一致しています。
ですから、このように語ることができます。
待望されたメシアは、ベツレヘムで産まれる。そのことは、あらかじめ約束されていた。その約束の成就が起こるために、ヨセフとマリアは、ベツレヘムに出かけなければならなかった。
ところが、彼らが出かけなければならなかった直接の原因ないし理由は、ローマ皇帝アウグストゥスの命令であった。アウグストゥスがそれを命令したのは、彼自身の政治的野望の具体化でもあった。
そうであるならば、アウグストゥスの野望は、彼自身の思いや計画を越えて、メシアとしてのキリストがベツレヘムで産まれる、という主なる神御自身の約束の実現のために「用いられた」と理解する他はない、と。
わたしは今、このように語りながら、とんでもないことを口にしているような気がしています。ローマ皇帝の政治的野望は、神御自身がお与えになったものである、と言っているのと同じことですから。そんなことがあってたまるか、とお叱りを受けるかもしれません
しかし、このようなことが実際にありうる、ということは、じつは、聖書のそこかしこに見出すことができます。
最も有名な個所の一つは、旧約聖書・出エジプト記の最初の部分に登場するエジプト王ファラオの例です。
主なる神は、モーセに対し、エジプトにいるイスラエルの民を約束の地カナンに連れて行くようにお命じになります。ところが、そのモーセたちのエジプト脱出計画をエジプト王ファラオが再三にわたって阻止しようとします。
そのファラオの行為は、モーセたちを激しく悩ませ、苦しめるものとなるのですが、なんと、ファラオの心をそのように頑なにしているのは、他ならぬ主なる神御自身である、ということが、はっきりと書かれているのです(出エジプト記7・3など)。
他にも、似たような例があります。
創世記37章以下に出てくるヨセフ物語を、皆さんはよくご存知であると思います。ヤコブの十一番目の息子ヨセフが、父の寵愛を受けていたことを、十人の兄たちが妬み、弟ヨセフをエジプトの奴隷商人に銀二十枚で売り飛ばしてしまう、という物語です。
ところが、そのヨセフが、なんと、エジプトの国務大臣になります。そして、ヨセフの兄弟たちが飢饉に悩まされ、エジプトに助けを求めに来たときに、彼らの命を助ける役目を、ヨセフ自身が果たします。
そのときにヨセフが、かつて彼自身を売り飛ばした兄弟たちに対して語ったのが、次の言葉でした。
「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」(創世記45・4〜5)。
もちろん、これは、ヨセフ自身が語った一種の信仰告白です。しかし、彼が信じ、かつ告白している神のなさったことは、ヨセフを売り飛ばした兄たちの行為は、他ならぬ神御自身のご計画であった、ということに他なりません。
“こんなこと”を、“神さま”がなさるのです。モーセたちを苦しめたファラオの心を頑なにしたのは、神御自身である。ヨセフを苦しめた兄弟たちの行為は、神御自身のご計画である。“こんなことをなさる神”を、聖書は証ししているのです!
そして、そうであるならばこそ、イエス・キリストが約束の地ベツレヘムでお産まれになるために、身重のマリアと夫ヨセフに苦しい長旅をさせたローマ皇帝アウグストゥスの政治的野望もまた、神御自身のご計画にあって「用いられた」のだ、と語ることができるのです。
ひどい話といえば、こんなにひどい話はない、と言わなければならないほどです。しかし、これこそが、神さまのなさり方です。
主なる神は、わたしたちには思いも寄らない仕方で、想像を絶する仕方で、天地万物を支配し、保ち、御心のままに導いておられます。神のご計画の量りがたさを思わずにはいられません。
主なる神御自身が天地万物を支配しておられ、悪魔的な人々のわざでさえもご自身のご支配の下に置いておられるというこの信仰を、わたしたちは、「神の摂理」を信じる信仰と呼びます。
ハイデルベルク信仰問答の第27問に「神の摂理」についての解説が記されています。
「神の全能の、いま働く力です。神はこの力によって、天と地と、その中にあるすべての被造物を、いまも、手で支えるように、保持しておられます。また、神がこの力によって、これらを統治しておられますので、木の葉も草も、雨も旱魃(ひでり)も、豊かな実りの年も実らぬ年も、食べ物も飲み物も、健康も病いも、豊かさも貧困も、これらすべてが、偶然にではなく、慈しみ深き父としての神の御手から、わたしたちに届くのであります。」
「実らぬ年も」です。「病い」も「貧困」も、と告白されています。神の摂理というと、神からいただく良いものばかり、と考えがちですが、わたしたちを苦しめ、困らせるものも、摂理的に与えられるものなのです。
「神さま、そんなものは要りません。どうか取り除けてください」と、思わず言いたくなるかもしれません。
しかしまた、神の摂理というものは、わたしたちにとって、嫌なことばかりであり、主なる神への不信感の原因となるばかりである、というわけでは決してない、と語ることができます。
視野を少し広げて考えてみると分かります。モーセたちの邪魔をしたファラオも、ヨセフを売り飛ばした兄弟たちも、ヨセフとマリアを苦しめたアウグストゥスも、すべては主なる神の力強いご支配の下にある罪人たちにすぎないことが、分かるのです。
そして、そのような悪魔的な人々をも、主なる神は、御自身のご支配の下に置いておられます。神の許しなしには、彼らもまた、何一つ行うことができないのです。
そうであるならば、神を畏れる者たちは、そのような悪魔的な人々を恐れる必要が全くありません。彼らは、まさか神ではなく、神以上の存在でもないのです。
この信仰を告白することができるとき、わたしたちは、まことの神だけを畏れ、他の何ものをも恐れない、まことの強さを身につけることができるのです。
「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」
ヨセフとマリアには、さらに嫌なことが続きました。
彼らは、目的地であるベツレヘムには、何とか到着しました。そして、マリアは、初めての子どもを産みました。ところが、その子どもを飼い葉桶に寝かせた、というのです。
どこの親が、自分の子どもを、飼い葉桶に寝かせたいと思うでしょうか。ありえないことです。
しかし、ルカは、彼らの心の中の思いを描き出すことなしに書いています。このこと自体は驚くべきことです。
また、一つ指摘しておきたいことは、今日の個所にはまだ、イエス・キリストのご降誕に伴う"喜びの要素"が全く語られていない、ということです。
どちらかというと、嫌な話ばかりです。"苦しみの要素"ばかりです。「神の摂理」とは、これほどまでに過酷で苦しいものなのか、と思わせられるようなことばかりです。
また、このたび初めて気づかされたことがあります。
マタイによる福音書でも、ルカによる福音書でも、イエスさまがお産まれになったとき、ヨセフやマリア自身が「喜んだ」とは書かれていない、ということです。
東方の博士やベツレヘムの羊飼いの「喜び」については書かれています。ところが、ヨセフとマリアの「喜び」については、どこにも書かれていません。まるで、彼ら自身は喜んでいなかったかのようです。
しかし、どうかご安心ください。
神の摂理のみわざの下にあって本当の苦しみを苦しみぬいたこの夫婦に、本当の喜びが与えられました。
まさに東方の博士たちが、羊飼いたちが、小さな羊たちが、天使の軍勢が、御子のご降誕を、心から喜んでくれたではありませんか。
マリアとヨセフとしては、「産みの苦しみ」をさんざん味わわされ、閉口するばかりだったかもしれません。
しかし、彼らの苦しみの結果として起こった、神の御子イエス・キリストのご降誕の出来事を、心から喜ぶ人々の笑顔を見て、大いなる慰めを得たに違いありません。
今日の午後、日曜学校のクリスマス会を行います。子どもたちが、クリスマス劇をしてくれます。一生懸命に準備してくださった先生たちと生徒の皆さんに、感謝いたします。ご苦労もあったと思います。
今日こそ、みんなで楽しもうではありませんか!
(2004年12月12日、松戸小金原教会主日礼拝)
関口 康
今日の聖書の個所に記されているのは、神の御子イエス・キリストのご降誕の次第です。
神の御子は、人間の母マリアからお産まれになりました。お母さんのお腹が大きくなり、そのお腹の中から子どもが産まれるという、そのこと自体はどこにでもある、ごく普通の出来事が起こりました。
しかし、そのようにして産まれた子どもは、神の御子であられました。決して普通ではない、全く特別な出来事が起こったのです。
「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。」
当時のユダヤは、ローマ帝国の属国でした。ルカは、イエス・キリストの誕生の出来事を、ローマ皇帝アウグストゥスが、ユダヤを含むローマ帝国の全領土の住民に、住民登録をするようにとの勅令を出した、という歴史的出来事へと関連付けています。
住民登録の目的は、ローマ帝国に税金を納める義務を負う人々の数を調べることであったと言われます。その「最初の」住民登録が実施された、ということは、このとき以前には実施されていなかったことを示しています。
これは明らかに、ローマ帝国によるユダヤへの締め付けが、それまで以上に強化されたことを意味しています。
税金の問題、と言われると、わたしたちにとっても決して他人事ではないでしょう。毎日の生活に直接かかわる事柄です。
生活上の苦しみが増し加わるとき、人々の心の苦しみも必ず増し加わります。ユダヤの人々にとっては間違いなく屈辱的なことでした。しかし、逆らう術を持たない一般市民には、どうすることもできないことでした。
「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。」
ヨセフとマリアも、住民登録をするために出かけました。出かけ“なければなりません”でした。マリアは身重の体で、ヨセフはマリアをかばいながら、長く苦しい旅をしなければなりませんでした。
ごく普通に考えてみて、妊娠中の女性が長旅を強いられるというのは、ひどい話です。ドクターストップものです。また、どんなことであれ、否応なく、強制的に何かをさせられる、ということ自体、腹立たしいことです。
しかし、そのようなこともまた、力なき一般市民にとっては抵抗することのできない運命として受け入れざるをえないことでした。
しかしまた、ルカがこのことを記している目的は、ただ単に、力なき彼らが従わざるをえなかった過酷な運命を描くことだけではない、と思われます。
実際、ルカは、たとえば、彼らの置かれた境遇はどんなものであったのか、とか、そのとき彼らが感じたことは何であったか、というようなことについては、一言も記していません。「彼らは嫌々ながら出かけて行った」とか「ローマ皇帝の勅令を怨みながら出かけて行った」というようなことは、一切書いていません。
むしろ、ルカが積極的に記していることは、御子イエス・キリストがお産まれになった場所が、ヨセフが住民登録をするために出かけて行ったダビデの町ベツレヘムであった、ということです。
明らかに「強いられた」という仕方で行かざるをえなかった彼らの旅行の行く先として指し示されたベツレヘムの地で起こった出来事は、主なる神がイスラエルの民に約束してくださっていたことの実現として起こったことである、ということです。
キリストがベツレヘムでお産まれになることについての聖書的根拠に関しては、マタイによる福音書2・4以下に書かれていることが、参考になります。
イエス・キリストがお産まれになったことを知って駆けつけた東方の博士たちの言葉を聞いたヘロデ王が、民の祭司長たちや律法学者たちに、メシアの生まれる場所について聖書にはどう書いているかを調べさせた結果、彼らは次のように答えました。
「彼らは言った。『ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」』」
ここで彼らが引用しているのは、旧約聖書のミカ書5・1です。ただし、実際のミカ書を見ますと、内容は違っているように見えます。
「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために、イスラエルを治める者が出る。」
このような違いがどうして起こったのかは分かりません。しかし、ベツレヘムからイスラエルの牧者ないしイスラエルを治める者が出る、という最も大切な点については、一致しています。
ですから、このように語ることができます。
待望されたメシアは、ベツレヘムで産まれる。そのことは、あらかじめ約束されていた。その約束の成就が起こるために、ヨセフとマリアは、ベツレヘムに出かけなければならなかった。
ところが、彼らが出かけなければならなかった直接の原因ないし理由は、ローマ皇帝アウグストゥスの命令であった。アウグストゥスがそれを命令したのは、彼自身の政治的野望の具体化でもあった。
そうであるならば、アウグストゥスの野望は、彼自身の思いや計画を越えて、メシアとしてのキリストがベツレヘムで産まれる、という主なる神御自身の約束の実現のために「用いられた」と理解する他はない、と。
わたしは今、このように語りながら、とんでもないことを口にしているような気がしています。ローマ皇帝の政治的野望は、神御自身がお与えになったものである、と言っているのと同じことですから。そんなことがあってたまるか、とお叱りを受けるかもしれません
しかし、このようなことが実際にありうる、ということは、じつは、聖書のそこかしこに見出すことができます。
最も有名な個所の一つは、旧約聖書・出エジプト記の最初の部分に登場するエジプト王ファラオの例です。
主なる神は、モーセに対し、エジプトにいるイスラエルの民を約束の地カナンに連れて行くようにお命じになります。ところが、そのモーセたちのエジプト脱出計画をエジプト王ファラオが再三にわたって阻止しようとします。
そのファラオの行為は、モーセたちを激しく悩ませ、苦しめるものとなるのですが、なんと、ファラオの心をそのように頑なにしているのは、他ならぬ主なる神御自身である、ということが、はっきりと書かれているのです(出エジプト記7・3など)。
他にも、似たような例があります。
創世記37章以下に出てくるヨセフ物語を、皆さんはよくご存知であると思います。ヤコブの十一番目の息子ヨセフが、父の寵愛を受けていたことを、十人の兄たちが妬み、弟ヨセフをエジプトの奴隷商人に銀二十枚で売り飛ばしてしまう、という物語です。
ところが、そのヨセフが、なんと、エジプトの国務大臣になります。そして、ヨセフの兄弟たちが飢饉に悩まされ、エジプトに助けを求めに来たときに、彼らの命を助ける役目を、ヨセフ自身が果たします。
そのときにヨセフが、かつて彼自身を売り飛ばした兄弟たちに対して語ったのが、次の言葉でした。
「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」(創世記45・4〜5)。
もちろん、これは、ヨセフ自身が語った一種の信仰告白です。しかし、彼が信じ、かつ告白している神のなさったことは、ヨセフを売り飛ばした兄たちの行為は、他ならぬ神御自身のご計画であった、ということに他なりません。
“こんなこと”を、“神さま”がなさるのです。モーセたちを苦しめたファラオの心を頑なにしたのは、神御自身である。ヨセフを苦しめた兄弟たちの行為は、神御自身のご計画である。“こんなことをなさる神”を、聖書は証ししているのです!
そして、そうであるならばこそ、イエス・キリストが約束の地ベツレヘムでお産まれになるために、身重のマリアと夫ヨセフに苦しい長旅をさせたローマ皇帝アウグストゥスの政治的野望もまた、神御自身のご計画にあって「用いられた」のだ、と語ることができるのです。
ひどい話といえば、こんなにひどい話はない、と言わなければならないほどです。しかし、これこそが、神さまのなさり方です。
主なる神は、わたしたちには思いも寄らない仕方で、想像を絶する仕方で、天地万物を支配し、保ち、御心のままに導いておられます。神のご計画の量りがたさを思わずにはいられません。
主なる神御自身が天地万物を支配しておられ、悪魔的な人々のわざでさえもご自身のご支配の下に置いておられるというこの信仰を、わたしたちは、「神の摂理」を信じる信仰と呼びます。
ハイデルベルク信仰問答の第27問に「神の摂理」についての解説が記されています。
「神の全能の、いま働く力です。神はこの力によって、天と地と、その中にあるすべての被造物を、いまも、手で支えるように、保持しておられます。また、神がこの力によって、これらを統治しておられますので、木の葉も草も、雨も旱魃(ひでり)も、豊かな実りの年も実らぬ年も、食べ物も飲み物も、健康も病いも、豊かさも貧困も、これらすべてが、偶然にではなく、慈しみ深き父としての神の御手から、わたしたちに届くのであります。」
「実らぬ年も」です。「病い」も「貧困」も、と告白されています。神の摂理というと、神からいただく良いものばかり、と考えがちですが、わたしたちを苦しめ、困らせるものも、摂理的に与えられるものなのです。
「神さま、そんなものは要りません。どうか取り除けてください」と、思わず言いたくなるかもしれません。
しかしまた、神の摂理というものは、わたしたちにとって、嫌なことばかりであり、主なる神への不信感の原因となるばかりである、というわけでは決してない、と語ることができます。
視野を少し広げて考えてみると分かります。モーセたちの邪魔をしたファラオも、ヨセフを売り飛ばした兄弟たちも、ヨセフとマリアを苦しめたアウグストゥスも、すべては主なる神の力強いご支配の下にある罪人たちにすぎないことが、分かるのです。
そして、そのような悪魔的な人々をも、主なる神は、御自身のご支配の下に置いておられます。神の許しなしには、彼らもまた、何一つ行うことができないのです。
そうであるならば、神を畏れる者たちは、そのような悪魔的な人々を恐れる必要が全くありません。彼らは、まさか神ではなく、神以上の存在でもないのです。
この信仰を告白することができるとき、わたしたちは、まことの神だけを畏れ、他の何ものをも恐れない、まことの強さを身につけることができるのです。
「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」
ヨセフとマリアには、さらに嫌なことが続きました。
彼らは、目的地であるベツレヘムには、何とか到着しました。そして、マリアは、初めての子どもを産みました。ところが、その子どもを飼い葉桶に寝かせた、というのです。
どこの親が、自分の子どもを、飼い葉桶に寝かせたいと思うでしょうか。ありえないことです。
しかし、ルカは、彼らの心の中の思いを描き出すことなしに書いています。このこと自体は驚くべきことです。
また、一つ指摘しておきたいことは、今日の個所にはまだ、イエス・キリストのご降誕に伴う"喜びの要素"が全く語られていない、ということです。
どちらかというと、嫌な話ばかりです。"苦しみの要素"ばかりです。「神の摂理」とは、これほどまでに過酷で苦しいものなのか、と思わせられるようなことばかりです。
また、このたび初めて気づかされたことがあります。
マタイによる福音書でも、ルカによる福音書でも、イエスさまがお産まれになったとき、ヨセフやマリア自身が「喜んだ」とは書かれていない、ということです。
東方の博士やベツレヘムの羊飼いの「喜び」については書かれています。ところが、ヨセフとマリアの「喜び」については、どこにも書かれていません。まるで、彼ら自身は喜んでいなかったかのようです。
しかし、どうかご安心ください。
神の摂理のみわざの下にあって本当の苦しみを苦しみぬいたこの夫婦に、本当の喜びが与えられました。
まさに東方の博士たちが、羊飼いたちが、小さな羊たちが、天使の軍勢が、御子のご降誕を、心から喜んでくれたではありませんか。
マリアとヨセフとしては、「産みの苦しみ」をさんざん味わわされ、閉口するばかりだったかもしれません。
しかし、彼らの苦しみの結果として起こった、神の御子イエス・キリストのご降誕の出来事を、心から喜ぶ人々の笑顔を見て、大いなる慰めを得たに違いありません。
今日の午後、日曜学校のクリスマス会を行います。子どもたちが、クリスマス劇をしてくれます。一生懸命に準備してくださった先生たちと生徒の皆さんに、感謝いたします。ご苦労もあったと思います。
今日こそ、みんなで楽しもうではありませんか!
(2004年12月12日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年12月11日土曜日
わたしはあなたと共にいる
ヨシュア記1・5~9
今日は、初めて日本国際ギデオン協会千葉北支部の例会に出席し、奨励の奉仕をさせていただくことができますことを、心より感謝しております。
わたしは松戸小金原教会に今年の4月に赴任しました。3月までは山梨県の教会におりました。その前は、高知県や福岡県の教会で、牧師として働いていました。
わたしの行く先々に、ギデオン協会支部があり、非常に活発な活動がなされていました。高知県にいたときに、高知で全国大会が行われました。福岡県に行きましたら、次の全国大会は福岡県で開きましょうという計画を聞かされました。
全国大会が開催される地域のギデオン協会の支部は、ふだんから活発な活動がなされているところではないでしょうか。
そして、ギデオン協会といっても、そこに参加しているのは、その地の教会の信徒の方々です。間違いなく言いうることは、ギデオンが活発な地域では、教会も活発であるということです。
また、活発であるだけではなく、健全です。聖書の御言を少しでも多くの人々に何とかして読んでもらいたいという動機が、不純なわけがないのです。
そして、どの地の教会でも、ギデオン協会に関わっている人々の多くは教会の役員です。その教会の中で柱となっている方々です。
わたしの確信は、ギデオン協会が活発である地域は、教会が活発になり、健全になる、ということです。これは、お世辞で言っているのではなく、本当にそう思っております。
さて、先ほど司会の方が、旧約聖書のヨシュア記1・5~9を読んでくださいました。モーセの後継者ヨシュアに対して、主なる神御自身が語られた御言葉です。わたしの本当に大好きな御言葉でもあります。
「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。」
神の民イスラエルは、40年の間、モーセという力強い指導者に率いられて、カナンの地を目指して、砂漠の旅を続けてきました。
しかし、人間に与えられた地上の命は、永遠に続くものではありません。わたしたち信仰によって生きる者たちには、永遠の命というものが約束されているにせよ、とにかく一度は死ななければなりません。とにかく一度は、死の力が、わたしたちの行く手をさえぎるのです。
神の民イスラエルに起こった問題も、まさにそのことでした。指導者モーセが死んだ。そのため、すみやかに、指導者の交代が起こらなければならなかったのです。
そこで、主なる神が神の民イスラエルの次の指導者としてお選びになったのが、ヨシュアでした。モーセは、主の命令に従い、ヨシュアにすべての職務を委ねました。
しかし、当時のヨシュアは、誰の目から見ても頼りなさを感じる、年若い人物でした。年令がすべてではないと言われるかもしれませんが、指導力やカリスマ性から考えると、天と地ほどの差があった、と思われるのです。
また、この種の問題は、周りの人々がどう見るかということよりも、本人の自覚や思いはどうか、ということのほうが重要だったりします。
「わたしは、まだ若いので、指導力が足りない。そのような重い責任は、わたしには負いきれない」と自分で思い込んでしまう。そう感じた途端、腰や足の力が抜けて、やる気を失い、指導力を発揮できなくなる人々もいるのです。
ヨシュアはどうだったでしょうか。彼自身は、弱音を吐かない人でした。彼の弱音を記した個所は、聖書の中には、ほとんど見当たりません。
しかし、それは彼が強かったからでしょうか。精神的にも・肉体的にも強靭な人物だったからでしょうか。そうではないでしょう。
むしろ、主なる神御自身が、ヨシュアに対して、いつも、「わたしは、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ」と語りかけ、励まし続けてくださったから、重い職務を担うことができたのです。
神の御言が彼の存在とわざを、年若き頃から地上の人生の終わりに至るまで、力強く支え続けたのです。
少し気になる点を指摘しておきます。「わたしはモーセと共にいたように」(5節)とか、「わたしの僕モーセが命じた律法を」(7節)と書かれている個所です。
ここで強調されていることは、ヨシュアは、あくまでも「モーセの後継者」である、ということです。それ以上でも・それ以下でもない、ということです。
実際問題として言いうることは、初代の開拓者と二代目以降の後継者との間には、根本的な違いがある、ということです。このことは、否定したくてもできない、動かしがたい事実であり、現実です。
牧師仲間たちの中にも、初代の開拓者と比較されて、悩んだり、苦しんだり、腹を立てたりする人々を、しばしば見かけます。
しかし、わたしは、この種の問題については、よくも悪しくも開き直るしかない、と受けとめています。
開拓者には開拓者に固有な喜びと悩みがあり、後継者には後継者に固有な喜びと悩みがあるからです。
今日の例会の中で、この聖書の個所が読まれた理由を、わたしは知りません。千葉北支部の課題として、世代交代の問題があるのでしょうか。そんなことも全く知りません。もしかしたら、的外れなことを申し上げているのかもしれません。
しかし、今日皆さまにお勧めいたしますことは、主なる神を信じて歩みましょう、ということです。そして、良い意味で開き直って行きましょう、ということです。
あの牧師、あの役員、あの会員は年が若いとか、何が足りないとか、何をしてくれないと、不平不満を言い出したら、きりがありません。この種の不平不満は、世代交代期には避けられないことです。しかし、取るに足らない者を主の御用のために用いてくださる神の選びと召しとを信じて、歩んで行きたいと願います。
そして、主がヨシュアに対して「わたしはモーセと共にいたように」とお語りになったように、今や主は、わたしたちに対しても「わたしはモーセとヨシュアと共にいたように、あなたと共にいる」とお語りになります。イエス・キリストを信じるすべての人々と共に、主なる神が生きて働いてくださいます。
「あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。」
これは、わたしたちにも、今、主なる神御自身が語りかけてくださっている御言葉です。
ギデオン協会千葉北支部の働きが祝福されますよう、お祈りしております。
(2004年12月11日、日本国際ギデオン協会千葉北支部例会、日本キリスト教団柏教会)
2004年12月5日日曜日
マリアの賛歌
ルカによる福音書1・46~56
わたしたちは今日、アドベント第二主日を過ごしております。
わたしたちはアドベントを「待降節」と訳しますが、アドベントという言葉自体には「待つ」という意味はありません。アドベントの意味は「来る」です。「待望」ではなく「到来」です。
神の御子イエス・キリストがわたしたちのところに到来してくださるのを待ち望む。かつて来てくださり、やがて再び来てくださる主の到来を待ち望む。これがアドベントにふさわしいことです。
さて今日の個所に記されていますのは、マリアの歌です。天使ガブリエルによって救い主イエス・キリストのご降誕の事実を告げられたマリアがうたったとされる歌です。
この歌は、日本でもラテン語で「マグニフィカート」と呼ばれることがあります。この歌の最初の歌詞である「わたしの魂は主をあがめ」はMagnificat anima mea Dominum(マグニフィカート・アニマ・メア・ドミヌム)といいます。この中の「あがめる」を意味するマグニフィカートが、この歌のタイトルとして覚えられてきたのです。
マリアはこの歌をヨハネの母エリサベトの前で歌いました。エリサベトは聖霊に満たされて「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子様も祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう」と言いました。「そこで」マリアは、歌ったのです。
歌の内容に入る前に、エリサベトの言葉の中の最も大切な点を以下三点のみ指摘しておきます。
第一点は、エリサベトがマリアのことをはっきりと「わたしの主の母」と呼んでいる、ということです。
「主」とは、明らかに、神御自身を指して言う言葉です。ですから、エリサベトの言葉は「わたしの神の母」と言っているのと同じである、ということです。マリアは「神の母」と呼ばれたのです。実際、古代教会において、マリアは「神の母」を意味するテオトコスと呼ばれました。
これは異端的な表現ではありません。マリアの存在を正しく適切に示す表現として、教会において正統的に受け入れられました。わたしたちの教会の信仰によると、イエス・キリストは端的に神御自身である、と告白しなければならないのです。
第二点は、エリサベトの言葉の中に出てくる、マリアの挨拶の声を聞いて喜んで踊った「胎内の子」とは、バプテスマのヨハネのことである、ということです。
とくに興味深く感じましたのは「踊った」というこの表現です。非常に面白い表現ですし、またとても素晴らしい翻訳であると感じました。
外国の聖書を調べてみましたところ、たいていの場合「喜んで跳ねる」(leap for joy; huepfen vor Freunde; van vreugde opspringen等)という意味の言葉で訳されていました。
しかし日本語の「踊る」は明らかにダンスを連想させます。ダンシング・ベイビーです!この幼子こそがバプテスマのヨハネなのです。
第三点は、エリサベトがマリアに語りかけた言葉とマリアの歌との間には関係があるかどうか、ということです。
マリアの歌の内容は必ずしも、エリサベトの言葉への返事とは言えないと思われます。そのような対応関係は見当たりません。むしろ、マリアが歌っている内容は、彼女自身の体験です。全く個人的な体験です。
また、もう一つ明らかなことは、このマリアの歌には明らかにモデルがあったということです。旧約聖書サムエル記上2・1〜10の「ハンナの祈り」です。読み比べてみると非常に似ていることが分かります。
マリアは当然「ハンナの祈り」の言葉を聖書を通して学び、よく知っていたに違いありません。マリアは、それを思い起こし、ハンナの体験と自分自身の体験とを重ね合わせて見ているのです。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」
「わたしの魂は」とか「わたしの霊は」と言われています。ハンナの祈りでは、「わたしの心は」と言われています。これは、「わたし自身は」という意味です。
旧約聖書の言語であるヘブライ語には、自分自身(I myself)とかそれ自体(itself)ということを表現するためのselfに当たる再帰代名詞が存在しないので、このように表現するしかなかったと言われます。マリアはこの旧約聖書的な表現を、ハンナの祈りから受け継いでいます。
わたしの「魂」や「霊」だけが、あるいは「心」だけが、神を讃美するのではありません。このわたし自身の存在そのものが、そしてわたしの全身全霊が、救い主なる神を讃美するのです。
「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。」
マリアは、わたしが救い主なる神を喜び、讃美する理由は何であるかを述べています。
その際、彼女は自分のことを「身分の低い、主のはしため」と呼んでいます。この表現はハンナの祈りにはありません。
これについては、二つの読み方が考えられます。
本当は身分が高いのに、謙遜の表現として、自分自身をおとしめている、というような読み方がありえます。
しかし、そうではないという読み方もありえます。後者のほうが正しいと、わたしは考えます。マリアは当時のいわゆるこの世的な価値判断においては実際に「身分が低い」と見られても仕方がないような境遇や立場にあったのです。
裕福であるとはとても言えない。人から誉められたり羨ましがられたりするようなところも、特に何もない。むしろ、人から軽んじられることのほうが多いと感じる。
そのようなことで悩んだり、なんとなく憂うつな気持ちになったり、人生に絶望したりしている人は、おそらく非常に多いのだと思います。
しかし、何も持っていないほうが気楽と感じることもきっとあるでしょう。そのほうが多いかもしれません。
あの人はたくさん持っている、と思われている人が、意外に不満だらけの人生を送っているということがありえます。ごく一般論として「世の中にはお金で買えないものがある」と言われるではありませんか。
マリアは、人からうらやましがられるようなものをわたしは何一つ持っていない、と自覚しています。しかしわたしは幸せである。わたしの心は喜びで満たされている。そして今や神を喜び、讃美している。なぜなら、神がこのわたしのことを顧みてくださったからである、と歌っているのです。
「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。」
これは、マリアが本当に喜んでいた様子がよく分かる表現であると思います。
たしかにマリアは、自分が神さまから顧みられたことを喜んでいます。しかし、その彼女は明らかに、そのことをできるだけ多くの人々に知らせたいと願っていることが分かるのです。
なぜならば、マリアのことを、今から後、いつの世の人も、"あの人は幸せ者である"と語り継いでいくためには、まず最初にマリア自身が、自分の身に起こった出来事を多くの人々に語る必要があるからです。この喜びを誰かに伝えたいという意思が伝わってくるのです。
ただし、そうは言いましても、ところ構わず、だれかれなしにそういう話をしますと、自慢話のように聞かれてしまいます。煙たがられたり誤解されたりすると思いますので注意が必要です。
教会なら大丈夫です。同じ信仰を持つ仲間ならば、安心して「神さまの話」「信仰の話」ができます。
実際、そのことは、マリアにも当てはまるでしょう。「今から後、いつの世の人も」彼女を幸せ者であると言うのは、そのことを語り伝える聖書と教会があるからです。聖書と教会の存在を抜きにして考えることは、できません。
「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません。わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
ここは、マリアの歌の中で、おそらく最も具体的なことが語られている個所でしょう。ただし、ここで歌われている内容は、かなりの部分において、ハンナの祈りと重なり合います。
「勇士の弓は折られるが よろめく者は力を帯びる。
食べ飽きている者はパンのために雇われ
飢えている者は再び飢えることがない。
子のない女は七人の子を産み 多くの子を持つ女は衰える。
主は命を絶ち、また命を与え 陰府に下し、また引き上げてくださる。
主は貧しくし、また富ませ 低くし、また高めてくださる。
弱い者を塵の中から立ち上がらせ 貧しい者を芥の中から高く上げ
高貴な者と共に座に着かせ 栄光の座を嗣業としてお与えになる。」
(サムエル記上2・4〜8)
上のものが下になり、下のものが上になる。天地万物のすべてが逆さまになっていく様子が、描き出されています。
このことが神の民イスラエルに起こるというのです。「アブラハムとその子孫」に起こる。信仰によって義とされたすべての人は「アブラハムの子孫」であると使徒パウロは言いました。わたしたち教会の者たちも「アブラハムの子孫」なのです。
その出来事についてマリアの歌では「権力ある者をその座から引き降ろす」と言われ、またハンナの祈りでは「勇士の弓は折られる」と言われて、いずれも国家権力とか戦争などを示す、非常にはっきりとした政治的な表現が使われています。
ですから、ここには政治的なことが語られていると考えることもできるでしょう。
しかし、イエス・キリストの存在のみわざは、政治よりもはるかに大きいのです。政治のほうが大きいのではないかと考える人もいるかもしれません。しかし、イエス・キリストは、政治的な問題よりも、より大きく、より根本的な問題に触れているのです。
「思い上がる者を打ち散らす」とあります。傲慢の罪が問題だということです。身分や地位や名誉そのものがただちに悪いわけではないのです。それらのものが人間を傲慢にするかぎりにおいて悪いのです。
この、まさに最も根本的な問題としての「傲慢の罪」から生じるすべての問題を解決するために、救い主が来てくださったのです。
神の御子であられる方が、ご自分の立場を捨てて人間になられました。それによって、まことの「謙遜」を示してくださいました。この最も謙遜なお方を前にして、すべての人の傲慢が明らかにされたのです。
すべての傲慢な人間に“鉄槌”を食らわすために、謙遜な主イエス・キリストが来てくださったのです。
マリアがその人生の中で実際にどのような問題で悩んでいたかということは、わたしたちには知る由もありません。彼女の身近に誰か傲慢な人がいて、困らされていたのでしょうか。そのようなことも、全く分かりません。
しかし人間の傲慢の罪、このわたし自身の傲慢の罪の大きさと深さを知らされるとき、この罪から、このわたしを、わたしたちを、だれが救い出してくださるのだろうか、と祈り願う思いは、時代や歴史、人種や民族を越えて、共通のものがあります。
(2004年12月5日、松戸小金原教会主日礼拝)
わたしたちは今日、アドベント第二主日を過ごしております。
わたしたちはアドベントを「待降節」と訳しますが、アドベントという言葉自体には「待つ」という意味はありません。アドベントの意味は「来る」です。「待望」ではなく「到来」です。
神の御子イエス・キリストがわたしたちのところに到来してくださるのを待ち望む。かつて来てくださり、やがて再び来てくださる主の到来を待ち望む。これがアドベントにふさわしいことです。
さて今日の個所に記されていますのは、マリアの歌です。天使ガブリエルによって救い主イエス・キリストのご降誕の事実を告げられたマリアがうたったとされる歌です。
この歌は、日本でもラテン語で「マグニフィカート」と呼ばれることがあります。この歌の最初の歌詞である「わたしの魂は主をあがめ」はMagnificat anima mea Dominum(マグニフィカート・アニマ・メア・ドミヌム)といいます。この中の「あがめる」を意味するマグニフィカートが、この歌のタイトルとして覚えられてきたのです。
マリアはこの歌をヨハネの母エリサベトの前で歌いました。エリサベトは聖霊に満たされて「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子様も祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう」と言いました。「そこで」マリアは、歌ったのです。
歌の内容に入る前に、エリサベトの言葉の中の最も大切な点を以下三点のみ指摘しておきます。
第一点は、エリサベトがマリアのことをはっきりと「わたしの主の母」と呼んでいる、ということです。
「主」とは、明らかに、神御自身を指して言う言葉です。ですから、エリサベトの言葉は「わたしの神の母」と言っているのと同じである、ということです。マリアは「神の母」と呼ばれたのです。実際、古代教会において、マリアは「神の母」を意味するテオトコスと呼ばれました。
これは異端的な表現ではありません。マリアの存在を正しく適切に示す表現として、教会において正統的に受け入れられました。わたしたちの教会の信仰によると、イエス・キリストは端的に神御自身である、と告白しなければならないのです。
第二点は、エリサベトの言葉の中に出てくる、マリアの挨拶の声を聞いて喜んで踊った「胎内の子」とは、バプテスマのヨハネのことである、ということです。
とくに興味深く感じましたのは「踊った」というこの表現です。非常に面白い表現ですし、またとても素晴らしい翻訳であると感じました。
外国の聖書を調べてみましたところ、たいていの場合「喜んで跳ねる」(leap for joy; huepfen vor Freunde; van vreugde opspringen等)という意味の言葉で訳されていました。
しかし日本語の「踊る」は明らかにダンスを連想させます。ダンシング・ベイビーです!この幼子こそがバプテスマのヨハネなのです。
第三点は、エリサベトがマリアに語りかけた言葉とマリアの歌との間には関係があるかどうか、ということです。
マリアの歌の内容は必ずしも、エリサベトの言葉への返事とは言えないと思われます。そのような対応関係は見当たりません。むしろ、マリアが歌っている内容は、彼女自身の体験です。全く個人的な体験です。
また、もう一つ明らかなことは、このマリアの歌には明らかにモデルがあったということです。旧約聖書サムエル記上2・1〜10の「ハンナの祈り」です。読み比べてみると非常に似ていることが分かります。
マリアは当然「ハンナの祈り」の言葉を聖書を通して学び、よく知っていたに違いありません。マリアは、それを思い起こし、ハンナの体験と自分自身の体験とを重ね合わせて見ているのです。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」
「わたしの魂は」とか「わたしの霊は」と言われています。ハンナの祈りでは、「わたしの心は」と言われています。これは、「わたし自身は」という意味です。
旧約聖書の言語であるヘブライ語には、自分自身(I myself)とかそれ自体(itself)ということを表現するためのselfに当たる再帰代名詞が存在しないので、このように表現するしかなかったと言われます。マリアはこの旧約聖書的な表現を、ハンナの祈りから受け継いでいます。
わたしの「魂」や「霊」だけが、あるいは「心」だけが、神を讃美するのではありません。このわたし自身の存在そのものが、そしてわたしの全身全霊が、救い主なる神を讃美するのです。
「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。」
マリアは、わたしが救い主なる神を喜び、讃美する理由は何であるかを述べています。
その際、彼女は自分のことを「身分の低い、主のはしため」と呼んでいます。この表現はハンナの祈りにはありません。
これについては、二つの読み方が考えられます。
本当は身分が高いのに、謙遜の表現として、自分自身をおとしめている、というような読み方がありえます。
しかし、そうではないという読み方もありえます。後者のほうが正しいと、わたしは考えます。マリアは当時のいわゆるこの世的な価値判断においては実際に「身分が低い」と見られても仕方がないような境遇や立場にあったのです。
裕福であるとはとても言えない。人から誉められたり羨ましがられたりするようなところも、特に何もない。むしろ、人から軽んじられることのほうが多いと感じる。
そのようなことで悩んだり、なんとなく憂うつな気持ちになったり、人生に絶望したりしている人は、おそらく非常に多いのだと思います。
しかし、何も持っていないほうが気楽と感じることもきっとあるでしょう。そのほうが多いかもしれません。
あの人はたくさん持っている、と思われている人が、意外に不満だらけの人生を送っているということがありえます。ごく一般論として「世の中にはお金で買えないものがある」と言われるではありませんか。
マリアは、人からうらやましがられるようなものをわたしは何一つ持っていない、と自覚しています。しかしわたしは幸せである。わたしの心は喜びで満たされている。そして今や神を喜び、讃美している。なぜなら、神がこのわたしのことを顧みてくださったからである、と歌っているのです。
「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。」
これは、マリアが本当に喜んでいた様子がよく分かる表現であると思います。
たしかにマリアは、自分が神さまから顧みられたことを喜んでいます。しかし、その彼女は明らかに、そのことをできるだけ多くの人々に知らせたいと願っていることが分かるのです。
なぜならば、マリアのことを、今から後、いつの世の人も、"あの人は幸せ者である"と語り継いでいくためには、まず最初にマリア自身が、自分の身に起こった出来事を多くの人々に語る必要があるからです。この喜びを誰かに伝えたいという意思が伝わってくるのです。
ただし、そうは言いましても、ところ構わず、だれかれなしにそういう話をしますと、自慢話のように聞かれてしまいます。煙たがられたり誤解されたりすると思いますので注意が必要です。
教会なら大丈夫です。同じ信仰を持つ仲間ならば、安心して「神さまの話」「信仰の話」ができます。
実際、そのことは、マリアにも当てはまるでしょう。「今から後、いつの世の人も」彼女を幸せ者であると言うのは、そのことを語り伝える聖書と教会があるからです。聖書と教会の存在を抜きにして考えることは、できません。
「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません。わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
ここは、マリアの歌の中で、おそらく最も具体的なことが語られている個所でしょう。ただし、ここで歌われている内容は、かなりの部分において、ハンナの祈りと重なり合います。
「勇士の弓は折られるが よろめく者は力を帯びる。
食べ飽きている者はパンのために雇われ
飢えている者は再び飢えることがない。
子のない女は七人の子を産み 多くの子を持つ女は衰える。
主は命を絶ち、また命を与え 陰府に下し、また引き上げてくださる。
主は貧しくし、また富ませ 低くし、また高めてくださる。
弱い者を塵の中から立ち上がらせ 貧しい者を芥の中から高く上げ
高貴な者と共に座に着かせ 栄光の座を嗣業としてお与えになる。」
(サムエル記上2・4〜8)
上のものが下になり、下のものが上になる。天地万物のすべてが逆さまになっていく様子が、描き出されています。
このことが神の民イスラエルに起こるというのです。「アブラハムとその子孫」に起こる。信仰によって義とされたすべての人は「アブラハムの子孫」であると使徒パウロは言いました。わたしたち教会の者たちも「アブラハムの子孫」なのです。
その出来事についてマリアの歌では「権力ある者をその座から引き降ろす」と言われ、またハンナの祈りでは「勇士の弓は折られる」と言われて、いずれも国家権力とか戦争などを示す、非常にはっきりとした政治的な表現が使われています。
ですから、ここには政治的なことが語られていると考えることもできるでしょう。
しかし、イエス・キリストの存在のみわざは、政治よりもはるかに大きいのです。政治のほうが大きいのではないかと考える人もいるかもしれません。しかし、イエス・キリストは、政治的な問題よりも、より大きく、より根本的な問題に触れているのです。
「思い上がる者を打ち散らす」とあります。傲慢の罪が問題だということです。身分や地位や名誉そのものがただちに悪いわけではないのです。それらのものが人間を傲慢にするかぎりにおいて悪いのです。
この、まさに最も根本的な問題としての「傲慢の罪」から生じるすべての問題を解決するために、救い主が来てくださったのです。
神の御子であられる方が、ご自分の立場を捨てて人間になられました。それによって、まことの「謙遜」を示してくださいました。この最も謙遜なお方を前にして、すべての人の傲慢が明らかにされたのです。
すべての傲慢な人間に“鉄槌”を食らわすために、謙遜な主イエス・キリストが来てくださったのです。
マリアがその人生の中で実際にどのような問題で悩んでいたかということは、わたしたちには知る由もありません。彼女の身近に誰か傲慢な人がいて、困らされていたのでしょうか。そのようなことも、全く分かりません。
しかし人間の傲慢の罪、このわたし自身の傲慢の罪の大きさと深さを知らされるとき、この罪から、このわたしを、わたしたちを、だれが救い出してくださるのだろうか、と祈り願う思いは、時代や歴史、人種や民族を越えて、共通のものがあります。
(2004年12月5日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年11月28日日曜日
受胎告知
ルカによる福音書1・26〜38
「六ヶ月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。」
「六ヶ月目に」とあります。何の六ヶ月目なのかということを、最初にご説明いたします。今日の個所を理解するための重要なキーワードであると思われるからです。
見ていただきたいのは1・24です。「その後、妻エリサベトは身ごもって、五ヶ月の間身を隠していた」。このすぐあとに出てくる「六ヶ月目」ですから、これは「妻エリサベト」の妊娠期間を指しているというのが、ごく自然な読み方でしょう。
しかし、これは第一の可能性です。第二の可能性があると思います。そしてわたし自身は第二の可能性のほうを選びたいのです。それは六ヶ月前に起こった出来事との関連で考えられる可能性です。
六ヶ月前に何が起こったかは、1・8以下に書かれています。
「さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。天使は言った。『恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。』」
この天使はガブリエルと名乗りました。マリアに現れた天使と同じです。そして、この天使の出現からまもなくして、ザカリアの妻エリサベトが男の子を身ごもりました。その名をヨハネと名付けました。のちの偉大な預言者、バプテスマのヨハネです。
それが六ヶ月前の出来事です。そして、六ヶ月目、マリアの前に、再び天使ガブリエルが現われました。つまり、「六ヶ月目」の意味の第二の可能性は、エリサベトの妊娠期間ではなく、天使ガブリエルの出現の間隔を指している、ということです。ルカは、天使の側の動きに注目し、そちらのほうを強調していると思われるのです。
この福音書の中で、次に天使が現われるのはどの場面かを、皆さんはよくご存じでしょう。最初のクリスマスイブです。野宿していた羊飼いたちの前です。「恐れるな」と、その夜も天使は言いました。ザカリアの前でも、マリアの前でも「恐れるな」と言いました。主の天使は、同じ言葉を少なくとも三回、それぞれ違う人々に向かって語りかけました。そのことをルカは、読者に伝えようとしているのです。
ルカがしているのは、要するに「天使の話」であるということです。ですから、これはもちろん、たいへん不思議な話に属します。天使の存在など信じない人々の時代にあっては、こんなのは「神話」であると言って否定する人々が出てきて当然であるとも言えます。
しかし、今日の最初に考えてみたいと願いましたことは、まさにこの問題です。「神話」と言います。「神の話」と書きます。よく考えてみますと、神さまのお名前が出てくる話は、じつはすべて「神話」なのです。
とはいえ、わたしたちの時代において「それは神話である」と言われるなら、ただちにそれは、すべてウソの話である、という意味になってしまいます。ところが、聖書は神の話で満ち満ちています。「神話」で満ち満ちています。ということは、聖書などという書物は、まったくウソに満ち満ちている、ということを意味せざるをえないのです。
しかし、わたしたちは、まさか、聖書のすべてがウソであると考えることはありません。ただ、もし「神話」という表現が誤解を招くようでしたら、「信仰の話」と言い換えるほうがよいかもしれません。なるほど、たしかに言いうることは、聖書の物語はすべて「信仰の話」です。神学も信仰の話です。信仰についての学問的認識です。しかしそれはウソの話ではありません。
次のように理解できるのではないでしょうか。エリサベトとマリア、そして羊飼いたちに天使が現われ、「恐れるな」と語りかけた。このように、彼らが信じたのです。彼らには天使の存在を信じる信仰があり、そして実際に彼らの前に天使が現われたと彼らが信じ、彼らに向かって天使が語りかける言葉を、彼らがたしかに聴いた、と信じたのです。
このことについては、だれも否定できないでしょう。もちろん、彼らの信仰の内容を、わたしたち自身の信仰として受け入れることができるかどうかは、別問題かもしれません。しかし、わたしたちは、彼らの信仰そのものを、否定することはできないのです。
「天使は、彼女のところに来て言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。』マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。」
天使はマリアの前にも現われました。天使がマリアのところに現われた、とマリア自身が信じた、ということでもあるでしょう。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。この言葉に対して、マリアは戸惑ったと書いています。びっくりした、という意味です。
しかし、彼女がびっくりしたのは、天使が現われたこと自体ではありません。天使の存在自体に驚いたわけではありません。
それどころか、34節を見ますと、マリアは、天使に向かって、まるで当たり前のように言葉を返しています。天使と会話しています。彼女は天使の存在に気づかされて驚いたのではないのです。天使が語りかけてきた言葉の内容に、びっくりしたのです。
「おめでとう、恵まれた方」。これがのちに、ラテン語の「アヴェ・マリア」という表現で広く知られるようになりました。
しかし、マリアが驚いたのは「おめでとう」と言われたからでしょうか。おそらくそれも、彼女の驚きの理由に含まれると思います。おそらくそれだけでは、まだ十分な説明にはなりません。これはマリアの時代のパレスチナ地方では、ごく普通に使われていた挨拶の言葉だったからです。
もっと重大な言葉を、彼女は聞いてしまいました。「主があなたと共におられる」と。
「主」とは、神さまのことです。そして、神である主が「あなたと共におられる」ということは、そのとき、ただちに、神の救いがあなたと共にある、ということを意味します。このような言葉を聞くことができるのは、神への信仰をもって生きている人々にとっては、最も幸せなことです。
「主があなたと共におられる」。この言葉だけでも驚愕に価します。しかし、この言葉を聴いたときのマリアは、まだ、その本当の意味を知りませんでした。
「すると、天使は言った。『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。』」
マリアに告げられた言葉の内容は、ごく大まかに言うと、以下の点にまとめられます。
第一に、あなたは男の子を産むので、イエスと名付けなさい、ということ。第二に、その子は「いと高き方の子」と呼ばれる、ということ。第三に、この子に対して、神はダビデの王座を与えてくださり、ヤコブの家(イスラエルの民)を永遠に支配する者になる、ということです。
第一の「イエス」という名の意味については、ハイデルベルク信仰問答の第29問の答えに書かれているとおりです。イエスとは「救う者」であり、そして「罪の中から救い出す者」という意味です。ただし、このイエスという名前自体は、当時のパレスチナにおいて特別なものではなく、ごく普通のありふれた名前であったにすぎません。
第二の「いと高き方の子」と呼ばれる、ということに関して申し上げることができるのは、「いと高き方」というこの表現自体が意味していることは、必ずしも聖書的・ユダヤ教的・キリスト教的な意味での「神」に限定されるものではない、ということです。もっと広い意味であり、異教の神々や偶像のことさえ意味することがありえました。ですから、結論的に言いうることは、「いと高き方の子」という表現が、そのままただちに「神の子」を意味するというふうに、マリアが最初から理解できたとは思えないということです。
むしろ、マリアにとって最も分かりやすく、また驚くに価すると感じられたに違いないことは、第三の点です。あなたの子に神はダビデの王座を与え、ヤコブの家、イスラエルの民を支配すると言われたことです。要するに、「あなたの子どもは、イスラエルのお偉い政治家になりますよ」ということです。
しかし、これからマリアの身に起こる出来事は、それらのこととは比べ物にならない位に、もっともっと大きなことでした。「神の子」が、このわたしから産まれる。このことがマリアにとって最も驚くべき出来事であったはずです。マリアは、まだ、肝心のことに気づいていません。
「マリアは天使に言った。『どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。』」
このときマリアが戸惑っているのは、わたしは、まだ結婚もしていないのに、子どもが産まれるはずがない、というこの点です。加えて先ほどの第三の点、あなたの息子は将来、立派な政治家になります、という知らせにも戸惑っている、と言えます。
しかし、彼女が驚くべきことは、もっともっと大きなことでした。「神の子」が生まれるのですから。マリアがすぐに事態を理解できなかったのは、ガブリエルが「いと高き方の子」というやや曖昧な表現を使っていることにも、責任があるかもしれません。
「天使は答えた。『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六ヶ月になっている。神にできないことは何一つない。』」
天使はマリアの気持ちを察してくれた、と言いうるでしょう。マリアの抱いた差し当たりの疑問と不安の内容は、結婚していないのに子どもが産まれることなどありえない、というこの点だけでしたから。
この点については心配しなくてよい、ということです。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」。そして「神にできないことは何一つない」と、天使は語りました。
「神にできないことは何一つない」は、一種の決めぜりふです。これを言われると、二の句が継げないものがあります。神にできないことは何一つない、と言われると、それ以上語りうる言葉も何一つなくなります。
でも、それでよいのです。神さまがすべてのことを最善に導いてくださるのです。最終局面では、すべてを神さまに任せてしまえばよいのです。
ただ、もしここで、わたしたちが、「マリアの偉大さ」ということを語りうるとしたら、この時点で彼女が次の言葉を語りえた、というこの点であると思います。
「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。』」
この意味は、神の御言が、そのままに、自分の身に実現し、成就しますように、ということです。十分には理解できませんが、お任せします、ということでしょう。
しかし、「どうにでもなれ」というような、投げやりな言葉ではありません。神よ、あなたの言葉を信頼し、すべてを委ね、従います、という信頼と服従の表現です。
この言葉を語ることができた人、この信仰深い女性に、主なる神は、御子のご降誕の奇跡のみわざを委ねたのです。
(2004年11月28日、松戸小金原教会主日礼拝)
「六ヶ月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。」
「六ヶ月目に」とあります。何の六ヶ月目なのかということを、最初にご説明いたします。今日の個所を理解するための重要なキーワードであると思われるからです。
見ていただきたいのは1・24です。「その後、妻エリサベトは身ごもって、五ヶ月の間身を隠していた」。このすぐあとに出てくる「六ヶ月目」ですから、これは「妻エリサベト」の妊娠期間を指しているというのが、ごく自然な読み方でしょう。
しかし、これは第一の可能性です。第二の可能性があると思います。そしてわたし自身は第二の可能性のほうを選びたいのです。それは六ヶ月前に起こった出来事との関連で考えられる可能性です。
六ヶ月前に何が起こったかは、1・8以下に書かれています。
「さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。天使は言った。『恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。』」
この天使はガブリエルと名乗りました。マリアに現れた天使と同じです。そして、この天使の出現からまもなくして、ザカリアの妻エリサベトが男の子を身ごもりました。その名をヨハネと名付けました。のちの偉大な預言者、バプテスマのヨハネです。
それが六ヶ月前の出来事です。そして、六ヶ月目、マリアの前に、再び天使ガブリエルが現われました。つまり、「六ヶ月目」の意味の第二の可能性は、エリサベトの妊娠期間ではなく、天使ガブリエルの出現の間隔を指している、ということです。ルカは、天使の側の動きに注目し、そちらのほうを強調していると思われるのです。
この福音書の中で、次に天使が現われるのはどの場面かを、皆さんはよくご存じでしょう。最初のクリスマスイブです。野宿していた羊飼いたちの前です。「恐れるな」と、その夜も天使は言いました。ザカリアの前でも、マリアの前でも「恐れるな」と言いました。主の天使は、同じ言葉を少なくとも三回、それぞれ違う人々に向かって語りかけました。そのことをルカは、読者に伝えようとしているのです。
ルカがしているのは、要するに「天使の話」であるということです。ですから、これはもちろん、たいへん不思議な話に属します。天使の存在など信じない人々の時代にあっては、こんなのは「神話」であると言って否定する人々が出てきて当然であるとも言えます。
しかし、今日の最初に考えてみたいと願いましたことは、まさにこの問題です。「神話」と言います。「神の話」と書きます。よく考えてみますと、神さまのお名前が出てくる話は、じつはすべて「神話」なのです。
とはいえ、わたしたちの時代において「それは神話である」と言われるなら、ただちにそれは、すべてウソの話である、という意味になってしまいます。ところが、聖書は神の話で満ち満ちています。「神話」で満ち満ちています。ということは、聖書などという書物は、まったくウソに満ち満ちている、ということを意味せざるをえないのです。
しかし、わたしたちは、まさか、聖書のすべてがウソであると考えることはありません。ただ、もし「神話」という表現が誤解を招くようでしたら、「信仰の話」と言い換えるほうがよいかもしれません。なるほど、たしかに言いうることは、聖書の物語はすべて「信仰の話」です。神学も信仰の話です。信仰についての学問的認識です。しかしそれはウソの話ではありません。
次のように理解できるのではないでしょうか。エリサベトとマリア、そして羊飼いたちに天使が現われ、「恐れるな」と語りかけた。このように、彼らが信じたのです。彼らには天使の存在を信じる信仰があり、そして実際に彼らの前に天使が現われたと彼らが信じ、彼らに向かって天使が語りかける言葉を、彼らがたしかに聴いた、と信じたのです。
このことについては、だれも否定できないでしょう。もちろん、彼らの信仰の内容を、わたしたち自身の信仰として受け入れることができるかどうかは、別問題かもしれません。しかし、わたしたちは、彼らの信仰そのものを、否定することはできないのです。
「天使は、彼女のところに来て言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。』マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。」
天使はマリアの前にも現われました。天使がマリアのところに現われた、とマリア自身が信じた、ということでもあるでしょう。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。この言葉に対して、マリアは戸惑ったと書いています。びっくりした、という意味です。
しかし、彼女がびっくりしたのは、天使が現われたこと自体ではありません。天使の存在自体に驚いたわけではありません。
それどころか、34節を見ますと、マリアは、天使に向かって、まるで当たり前のように言葉を返しています。天使と会話しています。彼女は天使の存在に気づかされて驚いたのではないのです。天使が語りかけてきた言葉の内容に、びっくりしたのです。
「おめでとう、恵まれた方」。これがのちに、ラテン語の「アヴェ・マリア」という表現で広く知られるようになりました。
しかし、マリアが驚いたのは「おめでとう」と言われたからでしょうか。おそらくそれも、彼女の驚きの理由に含まれると思います。おそらくそれだけでは、まだ十分な説明にはなりません。これはマリアの時代のパレスチナ地方では、ごく普通に使われていた挨拶の言葉だったからです。
もっと重大な言葉を、彼女は聞いてしまいました。「主があなたと共におられる」と。
「主」とは、神さまのことです。そして、神である主が「あなたと共におられる」ということは、そのとき、ただちに、神の救いがあなたと共にある、ということを意味します。このような言葉を聞くことができるのは、神への信仰をもって生きている人々にとっては、最も幸せなことです。
「主があなたと共におられる」。この言葉だけでも驚愕に価します。しかし、この言葉を聴いたときのマリアは、まだ、その本当の意味を知りませんでした。
「すると、天使は言った。『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。』」
マリアに告げられた言葉の内容は、ごく大まかに言うと、以下の点にまとめられます。
第一に、あなたは男の子を産むので、イエスと名付けなさい、ということ。第二に、その子は「いと高き方の子」と呼ばれる、ということ。第三に、この子に対して、神はダビデの王座を与えてくださり、ヤコブの家(イスラエルの民)を永遠に支配する者になる、ということです。
第一の「イエス」という名の意味については、ハイデルベルク信仰問答の第29問の答えに書かれているとおりです。イエスとは「救う者」であり、そして「罪の中から救い出す者」という意味です。ただし、このイエスという名前自体は、当時のパレスチナにおいて特別なものではなく、ごく普通のありふれた名前であったにすぎません。
第二の「いと高き方の子」と呼ばれる、ということに関して申し上げることができるのは、「いと高き方」というこの表現自体が意味していることは、必ずしも聖書的・ユダヤ教的・キリスト教的な意味での「神」に限定されるものではない、ということです。もっと広い意味であり、異教の神々や偶像のことさえ意味することがありえました。ですから、結論的に言いうることは、「いと高き方の子」という表現が、そのままただちに「神の子」を意味するというふうに、マリアが最初から理解できたとは思えないということです。
むしろ、マリアにとって最も分かりやすく、また驚くに価すると感じられたに違いないことは、第三の点です。あなたの子に神はダビデの王座を与え、ヤコブの家、イスラエルの民を支配すると言われたことです。要するに、「あなたの子どもは、イスラエルのお偉い政治家になりますよ」ということです。
しかし、これからマリアの身に起こる出来事は、それらのこととは比べ物にならない位に、もっともっと大きなことでした。「神の子」が、このわたしから産まれる。このことがマリアにとって最も驚くべき出来事であったはずです。マリアは、まだ、肝心のことに気づいていません。
「マリアは天使に言った。『どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。』」
このときマリアが戸惑っているのは、わたしは、まだ結婚もしていないのに、子どもが産まれるはずがない、というこの点です。加えて先ほどの第三の点、あなたの息子は将来、立派な政治家になります、という知らせにも戸惑っている、と言えます。
しかし、彼女が驚くべきことは、もっともっと大きなことでした。「神の子」が生まれるのですから。マリアがすぐに事態を理解できなかったのは、ガブリエルが「いと高き方の子」というやや曖昧な表現を使っていることにも、責任があるかもしれません。
「天使は答えた。『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六ヶ月になっている。神にできないことは何一つない。』」
天使はマリアの気持ちを察してくれた、と言いうるでしょう。マリアの抱いた差し当たりの疑問と不安の内容は、結婚していないのに子どもが産まれることなどありえない、というこの点だけでしたから。
この点については心配しなくてよい、ということです。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」。そして「神にできないことは何一つない」と、天使は語りました。
「神にできないことは何一つない」は、一種の決めぜりふです。これを言われると、二の句が継げないものがあります。神にできないことは何一つない、と言われると、それ以上語りうる言葉も何一つなくなります。
でも、それでよいのです。神さまがすべてのことを最善に導いてくださるのです。最終局面では、すべてを神さまに任せてしまえばよいのです。
ただ、もしここで、わたしたちが、「マリアの偉大さ」ということを語りうるとしたら、この時点で彼女が次の言葉を語りえた、というこの点であると思います。
「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。』」
この意味は、神の御言が、そのままに、自分の身に実現し、成就しますように、ということです。十分には理解できませんが、お任せします、ということでしょう。
しかし、「どうにでもなれ」というような、投げやりな言葉ではありません。神よ、あなたの言葉を信頼し、すべてを委ね、従います、という信頼と服従の表現です。
この言葉を語ることができた人、この信仰深い女性に、主なる神は、御子のご降誕の奇跡のみわざを委ねたのです。
(2004年11月28日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年11月21日日曜日
十字架のほかに誇るものなし
ガラテヤの信徒への手紙6・11~18
「このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。」
ここで必ず問題になることが二つあります。第一は、なぜパウロはこの部分を「大きな字で」書いたと言っているのか。第二は、なぜパウロはこの部分を「自分の手で」書いたと言っているのか、ということです。
第一の問題は「大きな字」の理由です。考えられる答えの一つは、内容を強調するために大きな字で書いた、ということです。もう一つは、パウロは大きな字しか書けなかった、ということです。
結論から言いますと、前者の説明のほうがよいと思われます。内容を強調するために、大きな字で書いたのです。しかし、後者の説明のほうがよいと考える人々もいます。その理由として挙げられるのが4・12以下に記されていることです。
パウロは、とても重い病気にかかりました。その病気の姿を見たガラテヤ教会の人々はさげすんだり忌み嫌ったりしませんでした。それどころか、自分の目をえぐり出してでもパウロに与えようとしたのです。
ですから、パウロは目の病気にかかったのではないか。パウロの目は、その後も十分に癒されることは無かったのだ。それでパウロは大きな字しか書けなくなってしまったのだ、というわけです。
しかし、パウロの病気が何であったのかは特定できません。その点がはっきりしないかぎり、この問題は解決しません。仮説の上に仮説を重ねて行くことは危険です。それよりも前者の説明のほうがよいでしょう。
第二の問題は「自筆」の理由です。ここに書いてあることを素直に受けとるとしたら、今この個所から、パウロ自身が筆をとって書きはじめた、という意味にとれます。しかし、それなら、これまでの文章は、誰が書いていたのでしょうか。
この問題については、ローマの信徒への手紙16・22の記事がおそらく参考になります。「この手紙を筆記したわたしテルティオ」という名前が出てきます。パウロには、秘書がいたのです。この点は明言されていますので確実に言いうることです。ただし、ガラテヤの信徒への手紙を筆記したのがテルティオだったかどうか、までは分かりません。
しかし、わたしたちにとって大切なことは、この手紙を筆記した人物が誰か、というようなことよりも、むしろ、パウロの伝道活動は、多くのスタッフによる助けとサポートによって成り立っていた、という事実そのものです。
パウロは、自分ひとりで何もかもしていたのではありません。それどころか、彼ひとりでは何もできなかったであろう、というべきです。
誰にも迷惑をかけたくない。わたしひとりで何でもできる。誰の助けも必要ないという思いは、まことに尊いものですが、限界もあるでしょう。
パウロでさえ、自分の手で長い文章を書いたりはしませんでした。伝道旅行にも、必ずパートナーを連れて行きました。旅行先でも、いろんな人々に助けてもらっていました。
「わたしは、誰にも迷惑をかけないで、ポックリ死にたい」と仰る方々がおられます。そのような方々には、どうか、もっとたくさん、周囲の人々に迷惑をかけてください、と申しあげたいのです。教会に大勢の人々が集まっていることの理由を考えてみていただきたいのです。
「肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくないばかりに、あなたがたに無理やり割礼を受けさせようとしています。割礼を受けている者自身、実は律法を守っていませんが、あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいます。」
今日の個所、この手紙の最後には、この手紙全体の要点が書かれている、と考えることができます。内容的には、繰り返しです。もう一度全体の内容を思い返してみてください。長々と書いてきましたが、わたしの言いたかったことは要するにこの点です、ということを最後に整理し、まとめる意図があると言えます。
ガラテヤ教会の人々に、割礼を受けさせようとした人々がいました。とくに「異邦人」と呼ばれる人々は、ユダヤ人のように、幼いときに割礼を受けてはいませんでした。その異邦人たちにも割礼を受けさせるべきだ、と主張した人々がいたのです。
しかし、パウロは、そのような主張に強く反対し、また、そのようなことを語る人々に向かって激しく抗議しました。そのようなことを語る人々の中には、当時のキリスト教会の最高権威者であった使徒ペトロさえ混ざっていたのです。
そういう人に逆らって何かを語ること自体、とてもたいへんなことであると思います。とくに、当時のパウロは、キリスト教会にとっての"新入り"でしたから。
また、彼にはかつてキリスト教会に対する熱心な迫害者であった、という"前歴"がありましたから。そのような彼が、教会の中で信頼されるようになるためには、かなりの時間や努力が必要だったに違いありません。
しかし、この個所を読みながら、わたしは、もう一つの見方ができるのではないか、と思わされました。
ここでパウロは「肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくないばかりに」と書いています。
これはおそらくパウロの言うとおりなのだとは思いますが、少し微妙な問題が含まれているのでは、とも感じました。とにかく一度、逆の立場から考え直してみる必要があるのではないか。パウロが激しく抗議した人々、とくに使徒ペトロの側にも、いくらか同情の余地があるのではないか、と感じたのです。
どういうことかと申しますと、たとえば、わたしたち自身のこととして考えてみたときに、同じ教会の仲間たちが、誰かから激しい迫害を受けているような姿を黙って見ていることができるでしょうか。死んでも殺されても構わないという決意や自覚は、尊いものかもしれません。しかし、実際に殺されて死んでいく人々を、冷静に直視できる人がいるでしょうか。難しいと思うのです。
たとえば、もし、このときのペトロの行動が「教会のだれ一人、もう二度と傷つけたくないし、失いたくない」という思いに根ざしたものであったとしたら、同情の余地があるはずです。全く理解できない、とまでは言い切れないものが、あるのです。
しかし、パウロの言葉のほうが、全く理解できない、と言いたいわけではありません。そういう意味ではありません。そして、パウロが語っていることこそが、どちらかといえば"弱い人々"の立場に立っていると感じます。パウロは、イエス・キリストへの信仰を告白し、洗礼を受けたばかりの、生まれたての赤ちゃんの信仰者たちの信仰を守ろうとしているのです。
迫害の手を恐れるがゆえに、迫害を受けないように、こちら側の態度を改める、というのは、結局のところ、迫害者の側に身を置くことを意味します。事実上、迫害の正当性を認めることを意味し、当時新しく誕生したばかりのキリスト教会の信仰の自由を否定することを意味します。
しかし、本当にそれでよいのか、というのがパウロの言い分である、と言えるでしょう。迫害に屈してはならないし、認めてもならない。イエス・キリストを信じて生きる自由によって生きはじめた人々の信仰を守り抜くことこそが、教会の牧者の責任ではないのか、ということを、パウロは語っているのです。
「割礼を受けている者自身、実は律法を守っていません」と書かれています。律法主義者は、少しも律法を守っていない、つまり、神の御心を行っていない、という意味です。律法主義は端的に罪なのです。
迫害を恐れて行動することには、同情の余地があります。しかし、だからといって、罪を是認することはできないのです。
「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがありますように。」
先ほどわたしは、パウロの道だけではなく、ペトロの道もある、少なくとも同情の余地はありうる、というような話をしました。パウロのように前に進むか、ペトロのように後ろに下がるか、です。
しかし、さらによく考えてみると、そもそも、この点で、行くべきか・戻るべきかということを判断すること自体、わたしたちキリスト者には、もはや許されていないのではないか、という問題も残るのです。
それはなぜか、と言いますと、わたしたちは、まさにパウロが言うように、今はもう、イエス・キリストと共に十字架にはりつけにされてしまっているからです。
キリストへと結び合わされ、キリストと共に生きるようになった者は、十字架にはりつけにされているのです。そこから降りることは、もはやできません。イエス・キリストと共に生きる人生を、途中でやめることはできないのです。
しかし、このことを、わたしは、何か悲壮感のようなものから、申し上げているのではありません。どんなに苦しくてもつらくても、煮え湯を飲まされても、キリスト者であることをやめることができない、というような悲壮感ではありません。
そうではないはずです。わたしたちは、救われたとき、何よりもまず、この人生を喜ぶ道を教えられたはずです。
ある先生は言いました。
「騙されたと思って、信じてください。わたし自身は、キリスト者になったこと、この信仰に生きるようになったことを、ただの一度も後悔したことはありません。」
わたしも、本当にそうだと思います。しかし、わたしは少し違った言葉でお勧めします。
「決して騙したりはしません。騙されたとは思わないで、信じてください。わたし自身は、キリスト者になったこと、この信仰に生きるようになったことを、ただの一度も後悔したことはありません。」
なぜなら、信仰によって生きるとき、わたしたちには人生の喜びが与えられるからです。罪の泥沼の中で、這いずり回り続ける苦しみから解放されるからです。
だからこそ、パウロは、「わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものがあってはならない」と書いています。「大きな字で、自分の手で」書いています。
わたしには、他に誇るものは何もない。何の取り柄もないし、善いところもない、と感じる。人に見せびらかすことができるようなものは、何一つ持っていない。
しかし、わたしの誇りは、十字架である。十字架につけられて死んでくださった救い主イエス・キリスト、そして、イエス・キリストと共にこのわたしがはりつけにされているこの十字架を、わたしは誇る。
あの十字架、あの救い主イエス・キリストの贖いの死ということなしには、わたしたちは、罪の中から決して救われることはなかったのです。
十字架を誇る、とは、わたしが(キリストの十字架によって)罪から救われていることを誇る、ということでもあります。
「これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。」
最後の最後に、パウロは、またなんだか、ぶっきらぼうで、嫌味っぽい感じのことを書いています。
「これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい」。
こんな手紙を二度と書きたくない、という意味かもしれません。この手紙の中には、ケンカ腰で書いたとしか思えない、非常に乱暴に書きなぐった感じの部分もありました。こんな手紙は二度と読みたくない、と思われてしまうかもしれません。
しかし、彼はただ、分かってほしかっただけなのです。パウロの願いは、信仰によって生きる人生の幸福をみんなに味わってほしいという、ただそれだけです。
割礼を受けるかどうかなど、そんなことは、どうだってよいことだ。そんなことは問題にならない。
あなたには信仰があるか。生きる喜びがあるか。それだけが問題だ。
そのことを、それだけを、彼らに分かってほしかった。ただそれだけなのです!
このパウロの願いが、わたしたちみんなの願いとなり、この手紙を読む、すべての時代の、すべての教会の、すべての信徒たちのものとなりますように、祈りましょう。
(2004年11月21日、松戸小金原教会主日礼拝)
「このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。」
ここで必ず問題になることが二つあります。第一は、なぜパウロはこの部分を「大きな字で」書いたと言っているのか。第二は、なぜパウロはこの部分を「自分の手で」書いたと言っているのか、ということです。
第一の問題は「大きな字」の理由です。考えられる答えの一つは、内容を強調するために大きな字で書いた、ということです。もう一つは、パウロは大きな字しか書けなかった、ということです。
結論から言いますと、前者の説明のほうがよいと思われます。内容を強調するために、大きな字で書いたのです。しかし、後者の説明のほうがよいと考える人々もいます。その理由として挙げられるのが4・12以下に記されていることです。
パウロは、とても重い病気にかかりました。その病気の姿を見たガラテヤ教会の人々はさげすんだり忌み嫌ったりしませんでした。それどころか、自分の目をえぐり出してでもパウロに与えようとしたのです。
ですから、パウロは目の病気にかかったのではないか。パウロの目は、その後も十分に癒されることは無かったのだ。それでパウロは大きな字しか書けなくなってしまったのだ、というわけです。
しかし、パウロの病気が何であったのかは特定できません。その点がはっきりしないかぎり、この問題は解決しません。仮説の上に仮説を重ねて行くことは危険です。それよりも前者の説明のほうがよいでしょう。
第二の問題は「自筆」の理由です。ここに書いてあることを素直に受けとるとしたら、今この個所から、パウロ自身が筆をとって書きはじめた、という意味にとれます。しかし、それなら、これまでの文章は、誰が書いていたのでしょうか。
この問題については、ローマの信徒への手紙16・22の記事がおそらく参考になります。「この手紙を筆記したわたしテルティオ」という名前が出てきます。パウロには、秘書がいたのです。この点は明言されていますので確実に言いうることです。ただし、ガラテヤの信徒への手紙を筆記したのがテルティオだったかどうか、までは分かりません。
しかし、わたしたちにとって大切なことは、この手紙を筆記した人物が誰か、というようなことよりも、むしろ、パウロの伝道活動は、多くのスタッフによる助けとサポートによって成り立っていた、という事実そのものです。
パウロは、自分ひとりで何もかもしていたのではありません。それどころか、彼ひとりでは何もできなかったであろう、というべきです。
誰にも迷惑をかけたくない。わたしひとりで何でもできる。誰の助けも必要ないという思いは、まことに尊いものですが、限界もあるでしょう。
パウロでさえ、自分の手で長い文章を書いたりはしませんでした。伝道旅行にも、必ずパートナーを連れて行きました。旅行先でも、いろんな人々に助けてもらっていました。
「わたしは、誰にも迷惑をかけないで、ポックリ死にたい」と仰る方々がおられます。そのような方々には、どうか、もっとたくさん、周囲の人々に迷惑をかけてください、と申しあげたいのです。教会に大勢の人々が集まっていることの理由を考えてみていただきたいのです。
「肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくないばかりに、あなたがたに無理やり割礼を受けさせようとしています。割礼を受けている者自身、実は律法を守っていませんが、あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいます。」
今日の個所、この手紙の最後には、この手紙全体の要点が書かれている、と考えることができます。内容的には、繰り返しです。もう一度全体の内容を思い返してみてください。長々と書いてきましたが、わたしの言いたかったことは要するにこの点です、ということを最後に整理し、まとめる意図があると言えます。
ガラテヤ教会の人々に、割礼を受けさせようとした人々がいました。とくに「異邦人」と呼ばれる人々は、ユダヤ人のように、幼いときに割礼を受けてはいませんでした。その異邦人たちにも割礼を受けさせるべきだ、と主張した人々がいたのです。
しかし、パウロは、そのような主張に強く反対し、また、そのようなことを語る人々に向かって激しく抗議しました。そのようなことを語る人々の中には、当時のキリスト教会の最高権威者であった使徒ペトロさえ混ざっていたのです。
そういう人に逆らって何かを語ること自体、とてもたいへんなことであると思います。とくに、当時のパウロは、キリスト教会にとっての"新入り"でしたから。
また、彼にはかつてキリスト教会に対する熱心な迫害者であった、という"前歴"がありましたから。そのような彼が、教会の中で信頼されるようになるためには、かなりの時間や努力が必要だったに違いありません。
しかし、この個所を読みながら、わたしは、もう一つの見方ができるのではないか、と思わされました。
ここでパウロは「肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくないばかりに」と書いています。
これはおそらくパウロの言うとおりなのだとは思いますが、少し微妙な問題が含まれているのでは、とも感じました。とにかく一度、逆の立場から考え直してみる必要があるのではないか。パウロが激しく抗議した人々、とくに使徒ペトロの側にも、いくらか同情の余地があるのではないか、と感じたのです。
どういうことかと申しますと、たとえば、わたしたち自身のこととして考えてみたときに、同じ教会の仲間たちが、誰かから激しい迫害を受けているような姿を黙って見ていることができるでしょうか。死んでも殺されても構わないという決意や自覚は、尊いものかもしれません。しかし、実際に殺されて死んでいく人々を、冷静に直視できる人がいるでしょうか。難しいと思うのです。
たとえば、もし、このときのペトロの行動が「教会のだれ一人、もう二度と傷つけたくないし、失いたくない」という思いに根ざしたものであったとしたら、同情の余地があるはずです。全く理解できない、とまでは言い切れないものが、あるのです。
しかし、パウロの言葉のほうが、全く理解できない、と言いたいわけではありません。そういう意味ではありません。そして、パウロが語っていることこそが、どちらかといえば"弱い人々"の立場に立っていると感じます。パウロは、イエス・キリストへの信仰を告白し、洗礼を受けたばかりの、生まれたての赤ちゃんの信仰者たちの信仰を守ろうとしているのです。
迫害の手を恐れるがゆえに、迫害を受けないように、こちら側の態度を改める、というのは、結局のところ、迫害者の側に身を置くことを意味します。事実上、迫害の正当性を認めることを意味し、当時新しく誕生したばかりのキリスト教会の信仰の自由を否定することを意味します。
しかし、本当にそれでよいのか、というのがパウロの言い分である、と言えるでしょう。迫害に屈してはならないし、認めてもならない。イエス・キリストを信じて生きる自由によって生きはじめた人々の信仰を守り抜くことこそが、教会の牧者の責任ではないのか、ということを、パウロは語っているのです。
「割礼を受けている者自身、実は律法を守っていません」と書かれています。律法主義者は、少しも律法を守っていない、つまり、神の御心を行っていない、という意味です。律法主義は端的に罪なのです。
迫害を恐れて行動することには、同情の余地があります。しかし、だからといって、罪を是認することはできないのです。
「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがありますように。」
先ほどわたしは、パウロの道だけではなく、ペトロの道もある、少なくとも同情の余地はありうる、というような話をしました。パウロのように前に進むか、ペトロのように後ろに下がるか、です。
しかし、さらによく考えてみると、そもそも、この点で、行くべきか・戻るべきかということを判断すること自体、わたしたちキリスト者には、もはや許されていないのではないか、という問題も残るのです。
それはなぜか、と言いますと、わたしたちは、まさにパウロが言うように、今はもう、イエス・キリストと共に十字架にはりつけにされてしまっているからです。
キリストへと結び合わされ、キリストと共に生きるようになった者は、十字架にはりつけにされているのです。そこから降りることは、もはやできません。イエス・キリストと共に生きる人生を、途中でやめることはできないのです。
しかし、このことを、わたしは、何か悲壮感のようなものから、申し上げているのではありません。どんなに苦しくてもつらくても、煮え湯を飲まされても、キリスト者であることをやめることができない、というような悲壮感ではありません。
そうではないはずです。わたしたちは、救われたとき、何よりもまず、この人生を喜ぶ道を教えられたはずです。
ある先生は言いました。
「騙されたと思って、信じてください。わたし自身は、キリスト者になったこと、この信仰に生きるようになったことを、ただの一度も後悔したことはありません。」
わたしも、本当にそうだと思います。しかし、わたしは少し違った言葉でお勧めします。
「決して騙したりはしません。騙されたとは思わないで、信じてください。わたし自身は、キリスト者になったこと、この信仰に生きるようになったことを、ただの一度も後悔したことはありません。」
なぜなら、信仰によって生きるとき、わたしたちには人生の喜びが与えられるからです。罪の泥沼の中で、這いずり回り続ける苦しみから解放されるからです。
だからこそ、パウロは、「わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものがあってはならない」と書いています。「大きな字で、自分の手で」書いています。
わたしには、他に誇るものは何もない。何の取り柄もないし、善いところもない、と感じる。人に見せびらかすことができるようなものは、何一つ持っていない。
しかし、わたしの誇りは、十字架である。十字架につけられて死んでくださった救い主イエス・キリスト、そして、イエス・キリストと共にこのわたしがはりつけにされているこの十字架を、わたしは誇る。
あの十字架、あの救い主イエス・キリストの贖いの死ということなしには、わたしたちは、罪の中から決して救われることはなかったのです。
十字架を誇る、とは、わたしが(キリストの十字架によって)罪から救われていることを誇る、ということでもあります。
「これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。」
最後の最後に、パウロは、またなんだか、ぶっきらぼうで、嫌味っぽい感じのことを書いています。
「これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい」。
こんな手紙を二度と書きたくない、という意味かもしれません。この手紙の中には、ケンカ腰で書いたとしか思えない、非常に乱暴に書きなぐった感じの部分もありました。こんな手紙は二度と読みたくない、と思われてしまうかもしれません。
しかし、彼はただ、分かってほしかっただけなのです。パウロの願いは、信仰によって生きる人生の幸福をみんなに味わってほしいという、ただそれだけです。
割礼を受けるかどうかなど、そんなことは、どうだってよいことだ。そんなことは問題にならない。
あなたには信仰があるか。生きる喜びがあるか。それだけが問題だ。
そのことを、それだけを、彼らに分かってほしかった。ただそれだけなのです!
このパウロの願いが、わたしたちみんなの願いとなり、この手紙を読む、すべての時代の、すべての教会の、すべての信徒たちのものとなりますように、祈りましょう。
(2004年11月21日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年11月14日日曜日
互いに重荷を担いなさい
ガラテヤの信徒への手紙6・1~10
「兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、霊に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。」
ここでパウロがガラテヤ教会の人々に勧めていることは、すべての時代のすべての教会の信徒たちが、お互いに行うべき「魂の配慮」の必要性です。
教会内で行われる、この意味での「魂の配慮」を、わたしたちは「牧会」という名で呼んできました。「牧会」という言葉そのものは、牧師の「牧」の字、教会の「会」の字が使われますので、つい牧師だけの仕事であるかのように思われがちです。しかし、この意味での牧会は、牧師だけの仕事ではありません。教会員全員の仕事です。
この「牧会」というものを信徒相互で行うことを「相互牧会」と言います。ですから、パウロが書いているのは「相互牧会のすすめ」と呼ぶことができる事柄です。
「万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら」とあります。「万一・・・不注意にも」という言葉で強調されていることは、「故意や悪意からではない罪」ということでしょう。故意や悪意は少しも無かった。しかし、たとえそうであっても、「万一・・・不注意にも」、わたしたちは罪を犯してしまうことがある、ということを、パウロは認めています。
そのような場合には、「霊に導かれて生きているあなたがた」、すなわち、聖霊のみわざにおいて救い主イエス・キリストへの信仰を与えられて生きているあなたがたは、「そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい」とパウロは勧めているのです。
怖い目でにらみつけて、毛嫌いするのではありません。正反対です。「柔和な心で正しい道に立ち帰らせる」とは、罪を犯した人が真に悔い改めて、正しい信仰に基づく教会生活を再開することです。キリストの兄弟姉妹として、神の家族として、赦し合い、受け入れ合うことができるようにするために、聖書の教えに従って生きる道へと戻っていただくように、働きかけることです。そのことを、わたしたちは「牧会」において最も大切なことと考えます。
しかも、パウロは、この意味での「牧会」を「霊に導かれて生きているあなたがた」がしなさい、と言っています。わたしがします、というのではありません。牧会は伝道者・牧師だけの仕事ではありません。伝道者・牧師の仕事でもあります。しかし、それは聖霊に導かれて生きている、すべてのキリスト者の務めです。教会員全員の務めなのです。
続けて、パウロは、「あなたがた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい」と書いています。この言葉には、二つの意味を考えることができます。
考えられる第一の意味は、この言葉どおり、自分自身が罪のわざへと誘惑されないようにする、自分自身への注意と反省です。
「人のふり見てわがふり直せ」と言います。「他山の石」という言葉もあります。イエスさまは、語られました。「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる」(マタイによる福音書7・1〜2)。他人の罪を裁く人は、その裁きのまなざしの中から自分自身を見失ったり、見落としたりしてはならない、ということです。
考えられる第二の意味は、当時の律法学者たちに対する厳しい批判です。
イエスさまやパウロの目から見ると、律法学者たちは、自分のことを棚に上げて、他人を批判することに熱心な人々でした。他人の問題や欠点を見つけ出しては、その人の重荷を増し加えることが得意な人々でした。彼らは「あなたのここが問題だ。ここが悪い」と、ただ指摘するだけです。イエスさまが、そしてパウロが厳しく批判した人々は、どうやら、そのあたりに、大きな問題があったのです。
他人の批判をするだけなら、簡単です。イエスさまは、次のようにも語られました。
「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」(マタイによる福音書7・3〜5)。そのとおりです。他人の問題を指摘したいと思う人は、その前に自分の問題を、まず解決することが求められているのです。
しかし、パウロの言葉は、いわばもう一歩、先に踏み込んでいます。
「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです」。ここに「互いに重荷を担う」とありますのは、以前の日本聖書協会訳の新約聖書(1954年)では「互に重荷を負い合いなさい」と訳されていました。前の訳のほうが、わたしの心には、ぴったりはまりますし、パウロの意図を明確に言い当てることができます。
「重荷を互いに負い合う」とは、わたしの重荷をあなたが負い、あなたの重荷をわたしが負う、という相互の助け合いの関係です。この関係は「相互依存関係」(インターディペンデンス)の一種であると理解できます。「完全に自立した両者の対等関係」(サイド・バイ・サイド)を、必ずしも意味しません。言うならば、わたしの目の中の丸太をあなたに取り除いてもらいながら、あなたの目の中のおが屑をわたしに取らせていただくことです。
そのような関係が、わたしたち教会の中では許されることであるし、必要なことでもあるのです。
「完全に自立した両者の対等関係」(サイド・バイ・サイド)の関係は、ある意味で理想的であると言えます。しかし、ただそれだけが、教会の中での信徒同士の協力関係のあり方である、となると、ある人々にとっては、辛いと感じるだけです。
しかし、ある人が他の人に依存しているだけの状態が、いつまでも続く、というのも、考えものです。
一方だけが重荷を負う役目、他方は重荷を負わせる役目、というような関係が固定し、ずっと続いてしまうようであれば、やっぱりちょっと困るし、できればその関係は変えていかなければならない、と感じるでしょう。一方は、毎日泣いている。他方は、毎日笑っている。それでは困ります。
つらいときは、みんな一緒。喜ぶときも、みんな一緒。このような関係は、どのようにしたら、作っていけるのでしょうか。
「実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。めいめいが、自分の重荷を担うべきです。」
ここには、ずいぶんと厳しい言葉が語られているようにも感じます。しかし、ポイントは明確です。先ほど申し上げたことに付随する、もう一つの側面であると思われます。
パウロは、まず「互いに重荷を担いなさい」と書きました。先ほどわたしは、このことを「相互依存関係」(インターディペンデンス)という表現を用いて説明しました。しかし、パウロとしては、それだけで問題が解決するわけではないと思ったのでしょう。さらなる問題がある。「お互いに」というこの一点が教会の中で真剣に考え抜かれなければならないときには、どうしても避けられない問題がある、ということです。
第一の問題は、一言で言ってしまえば、そのような協力関係の中にさえ、思わず知らず、傲慢の罪というものが忍びこんでくる危険性がある、ということになるでしょう。
「互いに重荷を担う」とはいえ、現実はもう少しシビアである、という場合があります。一方には、常に「みんなの重荷を負わなければならない」と必死で踏ん張っている人々がいる。他方には、常に「わたしの重荷は全部だれかに負ってもらいたい」と感じている人々がいる。このような構造的な関係が、たとえ教会の中であっても、避けがたく起こってきてしまう、という問題です。
そういうときに、教会の中に忍び込んでくるのが、傲慢の罪であると、パウロは考えているようです。もっとも、ここでパウロが「実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人」と、非常に辛らつな言葉で指摘しているのは誰のことかについては、はっきり特定することができません。
「みんなの重荷を負わなければならない」という言い方そのものが傲慢だ、という意味でしょうか。「わたしの重荷は全部だれかに負ってもらいたい」という言い方のほうが傲慢でしょうか。この判断は難しいものです。
しかし、だからこそ、第二の問題が生じます。「互いに重荷を負い合う」という目標を真に達成し、実現するためには、「めいめいが自分の重荷を担う」ということが、どうしても必要であるということです。一方は全責任を負わされる、他方は全責任を丸投げする、というわけには行かないのです。
ただ、そう言いながら、わたし自身の中には、少し、どちらかと言うと弱いほうの立場を、弁護ないし応援したくなる気持ちがわいてきます。これは、教会に限った話ではありません。どこの社会にも、自分で自分の重荷を負うことが、もはや全くできない状態にある人がいるからです。自分で負える部分は、いわばゼロ。他の人に百パーセント担ってもらわなければ、生きていくことさえできない人がいるのです。
しかし、その人の重荷を担う人の側も、一苦労です。少しくらい、不平や不満を口にしたくなるときがあるでしょう。その言い分も、十分に分かるつもりです。
しかし、そういうときにこそ、わたしたちは、教会だからこそ、考えなければならないことがあるのではないでしょうか。それは、互いに重荷を担うこの場所が他ならぬ「教会」である、というこの点です。
「教会」とは、ただ単なる個人の集まりであるという以上に、組織化され、制度化された「団体」であるという性格を持っているのです。「教会」が「団体」であるかぎり、同じ負担であっても、特定の個人に偏った負担という方法ではなく、できるかぎりこの団体の総力を結集したところで「互いに担い合う」という方法がふさわしいのです。
教会の信徒同士の"魂の配慮"という意味での「牧会」ないし「相互牧会」とは何かということについて、わたしたちは、10月17日に行いました特別伝道集会の午後の第二部で、関口津矢子さんの発題から、いろいろなことを学ぶことができました。わたしも勉強させていただきました。発題の要旨が『まきば』の10月号に掲載されています。
その中で、とくに、ぜひ読み返していただきたい言葉は、以下の部分です。
「カルヴァンは、教会の組織化・制度化によって、ルターよりもいっそう教会の牧会的機能を推し進め、キリスト者がどのように生きるべきかという牧会的配慮に強調点を置きました。これが現代に受け継がれ、『教会訓練』を重んじることが改革派教会の特長になりました」(松戸小金原教会『まきば』第293号、2004年10月24日発行、5ページ)。
このことに関して、わたし自身、いつも考えさせられておりますことは、教会の組織化・制度化の目的は何か、ということです。わたしたち日本キリスト改革派教会は、おそらく日本の他のどの教派・どの教団よりも、教会の組織化・制度化ということに熱心であると思います。これは、大いに自慢してよいところです。
しかし、問題は、その目的は何か、ということです。わたしたちが重んじる教会の組織化・制度化の目的は、ただひたすら「牧会的配慮」ということが、きちんとなされていくためである、ということです。
教会には、いろんな人が集まります。しかも、多くの人々が、自分の人生に重大な危機が訪れ、大きな問題を抱えて駆け込んできます。その意味で、教会は「問題だらけ」です。「そんな言い方、しないでくださいよ」と言われるかもしれませんけれども、わたし自身は、教会とはそういうものであってよいし、そうあるべきだと考えています。
しかし、そこで、わたしたちの話が終わるわけではありません。関口津矢子さんが書いています。「わたしたちは危機的状況を乗り越えたときにこそ、信仰的な成長が与えられることを知っています。そして十分ないやしと慰めが与えられると、今度は他者を理解する者・支える者へと変えられていくのです」(同上頁)。
教会生活の「長さ」のことを言われると、立つ瀬がない、とお感じになる方がおられるようです。おそらく謙遜の表現として「教会生活の年数が長いばかりで、中身はちっとも成長していません」と言われる方がおられます。
しかし、それは禁句にしましょう。他の人々よりも少し先に救われた者たちは、やはり、今度こそは、他の人を助ける働きに就くことが求められているのです。
ただし、その場合、自分自身の重荷も、まだ少し、あるいは、たくさん、他の人々に負うてもらわなければならない状態のままであることには、変わりない。完全な意味での「自立」は、できていない。しかし、たとえそうであったとしても、他のひとの重荷を負い合おうと思う気持ちや心があるかどうかが、問われているのです。
そういう心を持っている人々が増えてくるときに、教会がぐんぐん成長しはじめます。先週、この教会のある方から伺いました。
「最近、教会に来るのが、楽しくなりました。前はそうではなかった、という意味ではありません。でも、教会の門をくぐったばかりの最初の頃は、緊張していましたし、理解できないところもありました。教会に通うのがおっくうだ、と感じたこともあります。しかし、今は、教会の中に友達もできたし、聖書の御言葉もだんだんと理解できるようになったので、教会が楽しくなりました。朝起きたときに、これから教会に行こう、という気持ちがわいてくるのです」。
この気持ちが大切ではありませんか。一つのポイントは、教会の中に友達ができた、ということです。教会の中でこそ、互いに重荷を負い合える仲間が与えられるのです。信仰によって互いに結び合わされた神の家族が与えられるのです。
そして、いわばその次に来る大事なポイントとして、この「互いに重荷を負い合おう」という一人一人の小さな心を集めて、より大きな力とするために、教会の組織化・制度化ということを、きちんとして行かなければならないのです。
この続きのところで、パウロは、いわゆる教会のお金の問題、とくに説教者への謝礼とか、牧師給与といった事柄に直接的に関わってきてしまう非常に具体的な問題を、取り上げています。わたしは牧師という立場にありますので、正直に言って、ちょっと触れにくい問題です。しかし、非常に大事なことだと思っています。
教会の組織化・制度化の目的の大きな一つに、教会財産の管理があります。しかし、そのことが直接的に、「牧会的な」問題でもあります。
なぜかといえば、わたしたちの多くが、教会の中で、信仰的なつまずきを覚え、もはや信仰生活を続けていけないのではないか、と思うほどの深い傷を受けてしまうことさえある、その最も大きな原因は、かなりの部分で、お金の問題なのです。
このことをきちんとしていくことが、教会形成において、「魂の配慮」として、最も重要なことでもあるのです。
(2004年11月14日、松戸小金原教会主日礼拝)
「兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、霊に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。」
ここでパウロがガラテヤ教会の人々に勧めていることは、すべての時代のすべての教会の信徒たちが、お互いに行うべき「魂の配慮」の必要性です。
教会内で行われる、この意味での「魂の配慮」を、わたしたちは「牧会」という名で呼んできました。「牧会」という言葉そのものは、牧師の「牧」の字、教会の「会」の字が使われますので、つい牧師だけの仕事であるかのように思われがちです。しかし、この意味での牧会は、牧師だけの仕事ではありません。教会員全員の仕事です。
この「牧会」というものを信徒相互で行うことを「相互牧会」と言います。ですから、パウロが書いているのは「相互牧会のすすめ」と呼ぶことができる事柄です。
「万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら」とあります。「万一・・・不注意にも」という言葉で強調されていることは、「故意や悪意からではない罪」ということでしょう。故意や悪意は少しも無かった。しかし、たとえそうであっても、「万一・・・不注意にも」、わたしたちは罪を犯してしまうことがある、ということを、パウロは認めています。
そのような場合には、「霊に導かれて生きているあなたがた」、すなわち、聖霊のみわざにおいて救い主イエス・キリストへの信仰を与えられて生きているあなたがたは、「そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい」とパウロは勧めているのです。
怖い目でにらみつけて、毛嫌いするのではありません。正反対です。「柔和な心で正しい道に立ち帰らせる」とは、罪を犯した人が真に悔い改めて、正しい信仰に基づく教会生活を再開することです。キリストの兄弟姉妹として、神の家族として、赦し合い、受け入れ合うことができるようにするために、聖書の教えに従って生きる道へと戻っていただくように、働きかけることです。そのことを、わたしたちは「牧会」において最も大切なことと考えます。
しかも、パウロは、この意味での「牧会」を「霊に導かれて生きているあなたがた」がしなさい、と言っています。わたしがします、というのではありません。牧会は伝道者・牧師だけの仕事ではありません。伝道者・牧師の仕事でもあります。しかし、それは聖霊に導かれて生きている、すべてのキリスト者の務めです。教会員全員の務めなのです。
続けて、パウロは、「あなたがた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい」と書いています。この言葉には、二つの意味を考えることができます。
考えられる第一の意味は、この言葉どおり、自分自身が罪のわざへと誘惑されないようにする、自分自身への注意と反省です。
「人のふり見てわがふり直せ」と言います。「他山の石」という言葉もあります。イエスさまは、語られました。「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる」(マタイによる福音書7・1〜2)。他人の罪を裁く人は、その裁きのまなざしの中から自分自身を見失ったり、見落としたりしてはならない、ということです。
考えられる第二の意味は、当時の律法学者たちに対する厳しい批判です。
イエスさまやパウロの目から見ると、律法学者たちは、自分のことを棚に上げて、他人を批判することに熱心な人々でした。他人の問題や欠点を見つけ出しては、その人の重荷を増し加えることが得意な人々でした。彼らは「あなたのここが問題だ。ここが悪い」と、ただ指摘するだけです。イエスさまが、そしてパウロが厳しく批判した人々は、どうやら、そのあたりに、大きな問題があったのです。
他人の批判をするだけなら、簡単です。イエスさまは、次のようにも語られました。
「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」(マタイによる福音書7・3〜5)。そのとおりです。他人の問題を指摘したいと思う人は、その前に自分の問題を、まず解決することが求められているのです。
しかし、パウロの言葉は、いわばもう一歩、先に踏み込んでいます。
「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです」。ここに「互いに重荷を担う」とありますのは、以前の日本聖書協会訳の新約聖書(1954年)では「互に重荷を負い合いなさい」と訳されていました。前の訳のほうが、わたしの心には、ぴったりはまりますし、パウロの意図を明確に言い当てることができます。
「重荷を互いに負い合う」とは、わたしの重荷をあなたが負い、あなたの重荷をわたしが負う、という相互の助け合いの関係です。この関係は「相互依存関係」(インターディペンデンス)の一種であると理解できます。「完全に自立した両者の対等関係」(サイド・バイ・サイド)を、必ずしも意味しません。言うならば、わたしの目の中の丸太をあなたに取り除いてもらいながら、あなたの目の中のおが屑をわたしに取らせていただくことです。
そのような関係が、わたしたち教会の中では許されることであるし、必要なことでもあるのです。
「完全に自立した両者の対等関係」(サイド・バイ・サイド)の関係は、ある意味で理想的であると言えます。しかし、ただそれだけが、教会の中での信徒同士の協力関係のあり方である、となると、ある人々にとっては、辛いと感じるだけです。
しかし、ある人が他の人に依存しているだけの状態が、いつまでも続く、というのも、考えものです。
一方だけが重荷を負う役目、他方は重荷を負わせる役目、というような関係が固定し、ずっと続いてしまうようであれば、やっぱりちょっと困るし、できればその関係は変えていかなければならない、と感じるでしょう。一方は、毎日泣いている。他方は、毎日笑っている。それでは困ります。
つらいときは、みんな一緒。喜ぶときも、みんな一緒。このような関係は、どのようにしたら、作っていけるのでしょうか。
「実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。めいめいが、自分の重荷を担うべきです。」
ここには、ずいぶんと厳しい言葉が語られているようにも感じます。しかし、ポイントは明確です。先ほど申し上げたことに付随する、もう一つの側面であると思われます。
パウロは、まず「互いに重荷を担いなさい」と書きました。先ほどわたしは、このことを「相互依存関係」(インターディペンデンス)という表現を用いて説明しました。しかし、パウロとしては、それだけで問題が解決するわけではないと思ったのでしょう。さらなる問題がある。「お互いに」というこの一点が教会の中で真剣に考え抜かれなければならないときには、どうしても避けられない問題がある、ということです。
第一の問題は、一言で言ってしまえば、そのような協力関係の中にさえ、思わず知らず、傲慢の罪というものが忍びこんでくる危険性がある、ということになるでしょう。
「互いに重荷を担う」とはいえ、現実はもう少しシビアである、という場合があります。一方には、常に「みんなの重荷を負わなければならない」と必死で踏ん張っている人々がいる。他方には、常に「わたしの重荷は全部だれかに負ってもらいたい」と感じている人々がいる。このような構造的な関係が、たとえ教会の中であっても、避けがたく起こってきてしまう、という問題です。
そういうときに、教会の中に忍び込んでくるのが、傲慢の罪であると、パウロは考えているようです。もっとも、ここでパウロが「実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人」と、非常に辛らつな言葉で指摘しているのは誰のことかについては、はっきり特定することができません。
「みんなの重荷を負わなければならない」という言い方そのものが傲慢だ、という意味でしょうか。「わたしの重荷は全部だれかに負ってもらいたい」という言い方のほうが傲慢でしょうか。この判断は難しいものです。
しかし、だからこそ、第二の問題が生じます。「互いに重荷を負い合う」という目標を真に達成し、実現するためには、「めいめいが自分の重荷を担う」ということが、どうしても必要であるということです。一方は全責任を負わされる、他方は全責任を丸投げする、というわけには行かないのです。
ただ、そう言いながら、わたし自身の中には、少し、どちらかと言うと弱いほうの立場を、弁護ないし応援したくなる気持ちがわいてきます。これは、教会に限った話ではありません。どこの社会にも、自分で自分の重荷を負うことが、もはや全くできない状態にある人がいるからです。自分で負える部分は、いわばゼロ。他の人に百パーセント担ってもらわなければ、生きていくことさえできない人がいるのです。
しかし、その人の重荷を担う人の側も、一苦労です。少しくらい、不平や不満を口にしたくなるときがあるでしょう。その言い分も、十分に分かるつもりです。
しかし、そういうときにこそ、わたしたちは、教会だからこそ、考えなければならないことがあるのではないでしょうか。それは、互いに重荷を担うこの場所が他ならぬ「教会」である、というこの点です。
「教会」とは、ただ単なる個人の集まりであるという以上に、組織化され、制度化された「団体」であるという性格を持っているのです。「教会」が「団体」であるかぎり、同じ負担であっても、特定の個人に偏った負担という方法ではなく、できるかぎりこの団体の総力を結集したところで「互いに担い合う」という方法がふさわしいのです。
教会の信徒同士の"魂の配慮"という意味での「牧会」ないし「相互牧会」とは何かということについて、わたしたちは、10月17日に行いました特別伝道集会の午後の第二部で、関口津矢子さんの発題から、いろいろなことを学ぶことができました。わたしも勉強させていただきました。発題の要旨が『まきば』の10月号に掲載されています。
その中で、とくに、ぜひ読み返していただきたい言葉は、以下の部分です。
「カルヴァンは、教会の組織化・制度化によって、ルターよりもいっそう教会の牧会的機能を推し進め、キリスト者がどのように生きるべきかという牧会的配慮に強調点を置きました。これが現代に受け継がれ、『教会訓練』を重んじることが改革派教会の特長になりました」(松戸小金原教会『まきば』第293号、2004年10月24日発行、5ページ)。
このことに関して、わたし自身、いつも考えさせられておりますことは、教会の組織化・制度化の目的は何か、ということです。わたしたち日本キリスト改革派教会は、おそらく日本の他のどの教派・どの教団よりも、教会の組織化・制度化ということに熱心であると思います。これは、大いに自慢してよいところです。
しかし、問題は、その目的は何か、ということです。わたしたちが重んじる教会の組織化・制度化の目的は、ただひたすら「牧会的配慮」ということが、きちんとなされていくためである、ということです。
教会には、いろんな人が集まります。しかも、多くの人々が、自分の人生に重大な危機が訪れ、大きな問題を抱えて駆け込んできます。その意味で、教会は「問題だらけ」です。「そんな言い方、しないでくださいよ」と言われるかもしれませんけれども、わたし自身は、教会とはそういうものであってよいし、そうあるべきだと考えています。
しかし、そこで、わたしたちの話が終わるわけではありません。関口津矢子さんが書いています。「わたしたちは危機的状況を乗り越えたときにこそ、信仰的な成長が与えられることを知っています。そして十分ないやしと慰めが与えられると、今度は他者を理解する者・支える者へと変えられていくのです」(同上頁)。
教会生活の「長さ」のことを言われると、立つ瀬がない、とお感じになる方がおられるようです。おそらく謙遜の表現として「教会生活の年数が長いばかりで、中身はちっとも成長していません」と言われる方がおられます。
しかし、それは禁句にしましょう。他の人々よりも少し先に救われた者たちは、やはり、今度こそは、他の人を助ける働きに就くことが求められているのです。
ただし、その場合、自分自身の重荷も、まだ少し、あるいは、たくさん、他の人々に負うてもらわなければならない状態のままであることには、変わりない。完全な意味での「自立」は、できていない。しかし、たとえそうであったとしても、他のひとの重荷を負い合おうと思う気持ちや心があるかどうかが、問われているのです。
そういう心を持っている人々が増えてくるときに、教会がぐんぐん成長しはじめます。先週、この教会のある方から伺いました。
「最近、教会に来るのが、楽しくなりました。前はそうではなかった、という意味ではありません。でも、教会の門をくぐったばかりの最初の頃は、緊張していましたし、理解できないところもありました。教会に通うのがおっくうだ、と感じたこともあります。しかし、今は、教会の中に友達もできたし、聖書の御言葉もだんだんと理解できるようになったので、教会が楽しくなりました。朝起きたときに、これから教会に行こう、という気持ちがわいてくるのです」。
この気持ちが大切ではありませんか。一つのポイントは、教会の中に友達ができた、ということです。教会の中でこそ、互いに重荷を負い合える仲間が与えられるのです。信仰によって互いに結び合わされた神の家族が与えられるのです。
そして、いわばその次に来る大事なポイントとして、この「互いに重荷を負い合おう」という一人一人の小さな心を集めて、より大きな力とするために、教会の組織化・制度化ということを、きちんとして行かなければならないのです。
この続きのところで、パウロは、いわゆる教会のお金の問題、とくに説教者への謝礼とか、牧師給与といった事柄に直接的に関わってきてしまう非常に具体的な問題を、取り上げています。わたしは牧師という立場にありますので、正直に言って、ちょっと触れにくい問題です。しかし、非常に大事なことだと思っています。
教会の組織化・制度化の目的の大きな一つに、教会財産の管理があります。しかし、そのことが直接的に、「牧会的な」問題でもあります。
なぜかといえば、わたしたちの多くが、教会の中で、信仰的なつまずきを覚え、もはや信仰生活を続けていけないのではないか、と思うほどの深い傷を受けてしまうことさえある、その最も大きな原因は、かなりの部分で、お金の問題なのです。
このことをきちんとしていくことが、教会形成において、「魂の配慮」として、最も重要なことでもあるのです。
(2004年11月14日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年11月8日月曜日
日本キリスト改革派教会創立宣言(1946年)現代語訳
日本キリスト改革派教会創立宣言(1946年)現代語訳
関口 康訳(改訂第2版)
2004年11月8日発行
I 第一の主張:キリスト教有神的人生観・世界観に基づく日本国家の建設
終戦後すでに九ヶ月、敗戦日本の再建は、さまざまな構想と方法とによって計画されつつあるとはいえ、聖書に「主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ、町を守る人が目覚めているのもむなしい」(詩編127・1)とあるのは本当のことです。宇宙と人類とを支配しておられる、全知・全能にして、このうえなく聖であられ、このうえなく愛に満ちた神を信じるのでなければ、一つの国といえども、よく建ち、よく保持される道はないのです。
このたびの世界大戦に当たっては、信教の自由ははなはだしく抑圧され、わたしたちの教会も歪められ、真理が大胆に主張されることはありませんでした。わたしたちはこのことを神の御前で恥じ、国のために憂いを持っていました。しかし、歴史を支配しておられる神の摂理により、信教の自由は、敗戦を通して、ついにわたしたちの国日本にもたらされるに至ったのです。
今後、よりよい日本の建設のために、わたしたちは、心を尽くして、歴史を支配しておられる、全能にして、この上なく善であられる神の御心にかなう者にならなくてはなりません。神の戒めに従って、神を敬い、隣人を愛し、たんに精神的・文化的側面においてだけではなく、「食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現わす」(コリント一10・31)ことをもって最高の目的にしなければなりません。
この有神的人生観・世界観(Theistic life- and world-view)こそ、新しい日本を建設するための、ただ一つの確かな基礎である、ということは、日本キリスト改革派教会の第一の主張であり、わたしたちの熱心はここにあるのです。
ただし、真の宗教だけが国家の基礎、また文化の根底であるという主張は、国政や文化活動そのものを宗教団体の支配下に置くべきであるとする教権主義思想を意味しているわけではありません。とりわけ、地上の政権と宗教との関係について、わたしたちは、政教分離の原則(Separation of Church and State)が、近代国家の知恵であると共に、聖書の教えにかなうものであると信じていますので、信教の自由、教会の自律性を尊重するのです。
II 第二の主張:信仰告白・教会政治・善き生活を具備した教会の建設
そもそも人類は、神の御前に一体であり、等しく罪に仕える者でした。しかし、神は、罪ある人類のために、永遠の熟慮によって救いの御計画を打ちたててくださり、御子イエス・キリストの歴史的な贖いのみわざをもってこれを歴史の中に実現してくださり、永遠の生命に定められた人々に信仰をお与えになり、召してくださり、これを義と認めてくださり、神の子としてくださり、聖なる者に造りかえてくださりながら、その神が人間と共に住んでくださるのです。
これがわたしたちの信じる宗教なのであって、その救いは人類の罪の起源と共に古く、それからまた人類のまったき救いの完成の日にまで至ります。
四千年の昔、神はアブラハムをお選びになって「信仰の父」にしてくださり、彼と契約を結び、彼の子孫に恵みを与えてくださり(ただし不信仰な者はしりぞけられました)、彼らにその知恵、大能、慈愛、真理をあらさわれたのでした。
それからまた、時は満ち、御子イエス・キリストをお遣わしくださり、このお方の十字架の死と復活によってわたしたちの救いの基礎が置かれたとき、不思議な御摂理により、この救いの福音はユダヤ人の不信仰を通して全世界に及ぶことになったのです。
すなわち、神の救いは、旧約時代の一時的なユダヤ民族的な枠組みを克服して、本来有していた国際性を発揮し、使徒たちによって「すべての国民の主、世界の光」として宣べ伝えられましたので、新約時代にあって、キリスト教会は、全世界にその存在を見ることができるようになったのです。
神だけが明らかにご存じであられる、いわゆる「見えない教会」(invisible Church)は、全世界にわたって、過去、現在、未来というすべての歴史を通し、地上と天上とを貫いている、聖なる唯一の公同教会として存在しています。
しかしながら、わたしたちは、地上において、見えない教会の唯一性が、第一に信仰告白(Confession)、第二に教会政治(Church-government)、第三に善き生活(good life)という三つの要素を充分に備えている「一つの見える教会」(visible Church)として具現化されなければならないということを確信するのです。これが、日本キリスト改革派教会の第二の主張です。
1) 信仰告白
「一つの見える教会」を構成する第一の要素である「信仰告白」について言えば、教会は、この問題に関して神の栄光と自分自身の永遠の救いのために、絶え間ない霊的な闘いに励まなければなりません。新約のキリスト教会も、初代から今日に至るまで、あらゆる異端と闘い、これに勝利し、真理を保持してきたのです。わたしたちは、このキリスト教信仰の正しい伝統に立つことに熱心な者たちです。日本キリスト改革派教会が、次に記す前文を付加してウェストミンスター信仰告白ならびに大・小教理問答書を信仰基準として採用した意図も、ここにあるのです。
日本キリスト改革派教会信仰規準の前文
神がご自身の教会にお与えになった神の御言である旧・新両約聖書は、教会の唯一で無謬の正典です。聖書において啓示されている神の御言は、教会によって信仰告白されて、教会の信仰規準になるのですが、これが教会の信条というものです。教会は、昔から、使徒信条、ニカイア信条、アタナシウス信条、カルケドン信条という四つの信条を、キリスト教会の基本信条ないし公同信条として共有してきました。宗教改革の時代に至って、改革派諸教会は、それら諸信条の正統的な信仰の伝統に立ちましたが、これらに留まるのではなく、純正に福音的であろうとし、それだけではなく、すべての教理にわたり、さらに純正であると共に、すぐれて体系的である新しい信条の作成に導かれるに至ったのです。その三十数個の信条の中では、ウェストミンスター信仰規準は、聖書に教えられている教理の体系として、最も完備されているものであることを、わたしたちは確信しています。わたしたち日本キリスト改革派教会は、わたしたち自身の言葉をもって、さらに優れた信条を作成する日を祈り求めているとはいえ、このウェストミンスター信仰規準こそ、今日、わたしたちの信仰規準として最もふさわしいものであることを確信し、讃美と感謝とをもって教会の信仰規準とするのです。
2) 教会政治
第二の要素である「教会政治」に関して言えば、長老主義(presbyterianism)が聖書的教会に固有な政治形態である、と信じることをもって、わたしたち日本キリスト改革派教会は、これを純正に実施したいと願っています。監督制(episcopalianism)、会衆制(congregationalism)は、法王制(Papism)と共に、人間的見地からすれば、それぞれに長所を持っているものなのですが、教理の純正と教会の清潔を守ることのために、長老制に勝るものはありません。わたしたちは、単に伝承主義的(traditionalistic)な意味で長老制に固執しているわけではなく、健全な理性の判断によっても、長老制は最良の政治様式であると言わざるをえないのです。第二次大戦前の「日本基督教会」は、少なくとも教会規定の上では、長老制を採用していたのです。
3) 善き生活
第三の要素である「善き生活」とは何でしょうか。わたしたちは律法主義者ではありませんが、律法廃棄論者でもありません。キリストによる贖いに基づいて、聖霊なる神がわたしたちのうちに恵みとして与えてくださる聖化は、信仰者がかならず熱心に祈り求めなければならないものです。完全な聖化は、地上においては与えられません。わたしたちは、日毎に自分自身の罪の赦しを求めていきます。わたしたちは、自分に罪を犯す者の罪を赦さなければならないとはいえ、聖霊に感化されて互いに兄弟の罪を戒め合うことは、キリストにある者がしなければならないことなのです。宗教改革運動の主要な潮流である改革派教会の最大の指導者、ジャン・カルヴァンが働いたジュネーヴの教会が、信仰生活の訓練に関して模範的な実績を示したことは、多くの人が知っている事実ではないでしょうか。
このように、わたしたちは、一つの見えない教会を、第一に信仰告白、第二に教会政治、第三に善き生活という三つの要素を有する「一つの見える教会」として具現化し、これをもって唯一の聖なる公同の教会の肢であるという事実を確信させられ、わたしたちの救いの確かさを証しすることを願っています。各地に散在している各個教会(local church)の統一は、あくまでもこれら三つの要素の一致に基づくべきであり、またこの三点は、相互に深く論理的・体系的に関係づけられていますので、教理と教会政治と生活の三者は一元的なものなのです。
日本におけるプロテスタント諸派の完全合同をめざした合同運動は、「日本キリスト教団」(United Church of Christ in Japan)の成立により、いちおう目的を達成したと考える人がいます。けれども、「日本キリスト教団」は、今日に至ってもなお、今述べたような意味での一つの教会になることができているわけではありません。彼らの全面的不成功は、それを求める方法が間違っていることに原因がある、と言う他はありません。
以上の略述によって明らかにされたと言いうることは、わたしたち日本キリスト改革派教会は、ほんの少しでも、いわゆる分派的精神(sectarianism)に由来するものではありえないのだ、という一つのことです。正しい筋道に従って形成して行く教会の公同性と統一性は、わたしたちの最も大切にするところであり、わたしたちの教会の真髄なのです。
「改革派教会」(Reformed Church)という名称も、新しい造語であるかのように誤解されてはなりません。教会の歴史が明らかにしているとおり、改革派教会とは、宗教改革によって生み出されたプロテスタント諸教会の内部に組織されたひとかたまりの教会に付けられた名称です。この名をもって呼ばれている教会は、年代的にはすでに四百年以上の歴史を持っており、ヨーロッパ大陸においてはその四分の三を占めるプロテスタント諸教派の中では最大の教派なのです。
しかも、一時代的な、あるいは一地方的な性格を帯びている教派ではありません。改革派教会は、宗教改革の原則を首尾一貫して主張する真の福音主義であるだけではなく、さらに真正なる公同性と正統性をも保有するものであって、聖書的・使徒的教会の再現を標榜する教会です。イングランドやアメリカにおいて長老教会と呼ばれる教会は、すべてこれに属しているのです。
真に世界的で正統的な地上教会でありたいと志すこの光り輝く歴史的改革派教会の一つの肢として、今日、日本人によって、日本において、わたしたち日本キリスト改革派教会が組織され、設立されるに至ったことを、わたしたちは、神の深い恵みの導きとして、厚く感謝せざるをえません。
けれどもまた、わたしたちの教会の誕生が、この国のキリスト教会の歴史における画期的な一頁となり、源清く正しい進展を経由してきたキリスト教教理を堅持する教会として、果敢な進軍をなし、健全な発達を遂げて行くことこそ、日本とその国民に対して示す、わたしたちの愛の最も優れた表現なのです。
III 世界の希望としてのカルヴァン主義
世界はまさに転換しつつあります。近代世界は、すでに終止符を打たれました。新しい世代は、すでに胎動を開始しました。そうであるならば、これから迎えようとしている時代の精神的指導者となるのは、誰なのでしょうか。宗教はすでに実力を喪失し、無神論的唯物史観に場所を譲ったと断定できるでしょうか。いいえ、そうではありません。
過去を公平に静止する人々は、世界における人類の精神文化を生み出し、かつ指導してきた最大の能力は宗教であったということを、否定できません。しかも、純正な宗教の上にだけ、健全な文明は築かれたのです。
ヨーロッパ文明について、このことを見てみましょう。古代社会の危機に際し、個人の道徳観念の腐敗、国家や社会の秩序の崩壊を救い、中世文明を樹立したのはイエス・キリストの宗教(原始キリスト教)に他なりません。中世の危機に際し、同じような働きをしたのはイエス・キリストの宗教(宗教改革のキリスト教)に他なりません。今や三度目に、近代文明がまたもや危機に直面しているのです。世界は、これが救いであるというものを何に求めることができるのでしょうか。同じように、イエス・キリストの宗教(改革派のキリスト教)の他には無いのです。
宗教改革のキリスト教は、原始キリスト教の再興です。改革派教会は、この宗教改革の真理を最もよく保有している教会です。中世に原始キリスト教が、近代に宗教改革のキリスト教が、それぞれ果たした使命こそ、じつに改革派のキリスト教が次の世代に対して負うことができる大きな使命であるということは、わたしたちの自負としてというよりも、重い責任として痛感しているところなのです。
世界の希望はカルヴァン主義の神にあるのです。
神よ、あなたの栄光を仰がせてくださいますよう、お願いいたします。わたしたちは、与えられた一切をあなたにおささげしますので、あなただけを、わたしたちの神、わたしたちの希望として仰がせてください。あなたがすでにわたしたちのうちに始めてくださっている大いなるみわざを完遂してくださいますように。
アーメン。
昭和21年4月29日 (創立大会日)
原典は「教会ハンドブック 宣言集」第三刷(1988年2月20日発行)
関口 康訳(改訂第2版)
2004年11月8日発行
I 第一の主張:キリスト教有神的人生観・世界観に基づく日本国家の建設
終戦後すでに九ヶ月、敗戦日本の再建は、さまざまな構想と方法とによって計画されつつあるとはいえ、聖書に「主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ、町を守る人が目覚めているのもむなしい」(詩編127・1)とあるのは本当のことです。宇宙と人類とを支配しておられる、全知・全能にして、このうえなく聖であられ、このうえなく愛に満ちた神を信じるのでなければ、一つの国といえども、よく建ち、よく保持される道はないのです。
このたびの世界大戦に当たっては、信教の自由ははなはだしく抑圧され、わたしたちの教会も歪められ、真理が大胆に主張されることはありませんでした。わたしたちはこのことを神の御前で恥じ、国のために憂いを持っていました。しかし、歴史を支配しておられる神の摂理により、信教の自由は、敗戦を通して、ついにわたしたちの国日本にもたらされるに至ったのです。
今後、よりよい日本の建設のために、わたしたちは、心を尽くして、歴史を支配しておられる、全能にして、この上なく善であられる神の御心にかなう者にならなくてはなりません。神の戒めに従って、神を敬い、隣人を愛し、たんに精神的・文化的側面においてだけではなく、「食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現わす」(コリント一10・31)ことをもって最高の目的にしなければなりません。
この有神的人生観・世界観(Theistic life- and world-view)こそ、新しい日本を建設するための、ただ一つの確かな基礎である、ということは、日本キリスト改革派教会の第一の主張であり、わたしたちの熱心はここにあるのです。
ただし、真の宗教だけが国家の基礎、また文化の根底であるという主張は、国政や文化活動そのものを宗教団体の支配下に置くべきであるとする教権主義思想を意味しているわけではありません。とりわけ、地上の政権と宗教との関係について、わたしたちは、政教分離の原則(Separation of Church and State)が、近代国家の知恵であると共に、聖書の教えにかなうものであると信じていますので、信教の自由、教会の自律性を尊重するのです。
II 第二の主張:信仰告白・教会政治・善き生活を具備した教会の建設
そもそも人類は、神の御前に一体であり、等しく罪に仕える者でした。しかし、神は、罪ある人類のために、永遠の熟慮によって救いの御計画を打ちたててくださり、御子イエス・キリストの歴史的な贖いのみわざをもってこれを歴史の中に実現してくださり、永遠の生命に定められた人々に信仰をお与えになり、召してくださり、これを義と認めてくださり、神の子としてくださり、聖なる者に造りかえてくださりながら、その神が人間と共に住んでくださるのです。
これがわたしたちの信じる宗教なのであって、その救いは人類の罪の起源と共に古く、それからまた人類のまったき救いの完成の日にまで至ります。
四千年の昔、神はアブラハムをお選びになって「信仰の父」にしてくださり、彼と契約を結び、彼の子孫に恵みを与えてくださり(ただし不信仰な者はしりぞけられました)、彼らにその知恵、大能、慈愛、真理をあらさわれたのでした。
それからまた、時は満ち、御子イエス・キリストをお遣わしくださり、このお方の十字架の死と復活によってわたしたちの救いの基礎が置かれたとき、不思議な御摂理により、この救いの福音はユダヤ人の不信仰を通して全世界に及ぶことになったのです。
すなわち、神の救いは、旧約時代の一時的なユダヤ民族的な枠組みを克服して、本来有していた国際性を発揮し、使徒たちによって「すべての国民の主、世界の光」として宣べ伝えられましたので、新約時代にあって、キリスト教会は、全世界にその存在を見ることができるようになったのです。
神だけが明らかにご存じであられる、いわゆる「見えない教会」(invisible Church)は、全世界にわたって、過去、現在、未来というすべての歴史を通し、地上と天上とを貫いている、聖なる唯一の公同教会として存在しています。
しかしながら、わたしたちは、地上において、見えない教会の唯一性が、第一に信仰告白(Confession)、第二に教会政治(Church-government)、第三に善き生活(good life)という三つの要素を充分に備えている「一つの見える教会」(visible Church)として具現化されなければならないということを確信するのです。これが、日本キリスト改革派教会の第二の主張です。
1) 信仰告白
「一つの見える教会」を構成する第一の要素である「信仰告白」について言えば、教会は、この問題に関して神の栄光と自分自身の永遠の救いのために、絶え間ない霊的な闘いに励まなければなりません。新約のキリスト教会も、初代から今日に至るまで、あらゆる異端と闘い、これに勝利し、真理を保持してきたのです。わたしたちは、このキリスト教信仰の正しい伝統に立つことに熱心な者たちです。日本キリスト改革派教会が、次に記す前文を付加してウェストミンスター信仰告白ならびに大・小教理問答書を信仰基準として採用した意図も、ここにあるのです。
日本キリスト改革派教会信仰規準の前文
神がご自身の教会にお与えになった神の御言である旧・新両約聖書は、教会の唯一で無謬の正典です。聖書において啓示されている神の御言は、教会によって信仰告白されて、教会の信仰規準になるのですが、これが教会の信条というものです。教会は、昔から、使徒信条、ニカイア信条、アタナシウス信条、カルケドン信条という四つの信条を、キリスト教会の基本信条ないし公同信条として共有してきました。宗教改革の時代に至って、改革派諸教会は、それら諸信条の正統的な信仰の伝統に立ちましたが、これらに留まるのではなく、純正に福音的であろうとし、それだけではなく、すべての教理にわたり、さらに純正であると共に、すぐれて体系的である新しい信条の作成に導かれるに至ったのです。その三十数個の信条の中では、ウェストミンスター信仰規準は、聖書に教えられている教理の体系として、最も完備されているものであることを、わたしたちは確信しています。わたしたち日本キリスト改革派教会は、わたしたち自身の言葉をもって、さらに優れた信条を作成する日を祈り求めているとはいえ、このウェストミンスター信仰規準こそ、今日、わたしたちの信仰規準として最もふさわしいものであることを確信し、讃美と感謝とをもって教会の信仰規準とするのです。
2) 教会政治
第二の要素である「教会政治」に関して言えば、長老主義(presbyterianism)が聖書的教会に固有な政治形態である、と信じることをもって、わたしたち日本キリスト改革派教会は、これを純正に実施したいと願っています。監督制(episcopalianism)、会衆制(congregationalism)は、法王制(Papism)と共に、人間的見地からすれば、それぞれに長所を持っているものなのですが、教理の純正と教会の清潔を守ることのために、長老制に勝るものはありません。わたしたちは、単に伝承主義的(traditionalistic)な意味で長老制に固執しているわけではなく、健全な理性の判断によっても、長老制は最良の政治様式であると言わざるをえないのです。第二次大戦前の「日本基督教会」は、少なくとも教会規定の上では、長老制を採用していたのです。
3) 善き生活
第三の要素である「善き生活」とは何でしょうか。わたしたちは律法主義者ではありませんが、律法廃棄論者でもありません。キリストによる贖いに基づいて、聖霊なる神がわたしたちのうちに恵みとして与えてくださる聖化は、信仰者がかならず熱心に祈り求めなければならないものです。完全な聖化は、地上においては与えられません。わたしたちは、日毎に自分自身の罪の赦しを求めていきます。わたしたちは、自分に罪を犯す者の罪を赦さなければならないとはいえ、聖霊に感化されて互いに兄弟の罪を戒め合うことは、キリストにある者がしなければならないことなのです。宗教改革運動の主要な潮流である改革派教会の最大の指導者、ジャン・カルヴァンが働いたジュネーヴの教会が、信仰生活の訓練に関して模範的な実績を示したことは、多くの人が知っている事実ではないでしょうか。
このように、わたしたちは、一つの見えない教会を、第一に信仰告白、第二に教会政治、第三に善き生活という三つの要素を有する「一つの見える教会」として具現化し、これをもって唯一の聖なる公同の教会の肢であるという事実を確信させられ、わたしたちの救いの確かさを証しすることを願っています。各地に散在している各個教会(local church)の統一は、あくまでもこれら三つの要素の一致に基づくべきであり、またこの三点は、相互に深く論理的・体系的に関係づけられていますので、教理と教会政治と生活の三者は一元的なものなのです。
日本におけるプロテスタント諸派の完全合同をめざした合同運動は、「日本キリスト教団」(United Church of Christ in Japan)の成立により、いちおう目的を達成したと考える人がいます。けれども、「日本キリスト教団」は、今日に至ってもなお、今述べたような意味での一つの教会になることができているわけではありません。彼らの全面的不成功は、それを求める方法が間違っていることに原因がある、と言う他はありません。
以上の略述によって明らかにされたと言いうることは、わたしたち日本キリスト改革派教会は、ほんの少しでも、いわゆる分派的精神(sectarianism)に由来するものではありえないのだ、という一つのことです。正しい筋道に従って形成して行く教会の公同性と統一性は、わたしたちの最も大切にするところであり、わたしたちの教会の真髄なのです。
「改革派教会」(Reformed Church)という名称も、新しい造語であるかのように誤解されてはなりません。教会の歴史が明らかにしているとおり、改革派教会とは、宗教改革によって生み出されたプロテスタント諸教会の内部に組織されたひとかたまりの教会に付けられた名称です。この名をもって呼ばれている教会は、年代的にはすでに四百年以上の歴史を持っており、ヨーロッパ大陸においてはその四分の三を占めるプロテスタント諸教派の中では最大の教派なのです。
しかも、一時代的な、あるいは一地方的な性格を帯びている教派ではありません。改革派教会は、宗教改革の原則を首尾一貫して主張する真の福音主義であるだけではなく、さらに真正なる公同性と正統性をも保有するものであって、聖書的・使徒的教会の再現を標榜する教会です。イングランドやアメリカにおいて長老教会と呼ばれる教会は、すべてこれに属しているのです。
真に世界的で正統的な地上教会でありたいと志すこの光り輝く歴史的改革派教会の一つの肢として、今日、日本人によって、日本において、わたしたち日本キリスト改革派教会が組織され、設立されるに至ったことを、わたしたちは、神の深い恵みの導きとして、厚く感謝せざるをえません。
けれどもまた、わたしたちの教会の誕生が、この国のキリスト教会の歴史における画期的な一頁となり、源清く正しい進展を経由してきたキリスト教教理を堅持する教会として、果敢な進軍をなし、健全な発達を遂げて行くことこそ、日本とその国民に対して示す、わたしたちの愛の最も優れた表現なのです。
III 世界の希望としてのカルヴァン主義
世界はまさに転換しつつあります。近代世界は、すでに終止符を打たれました。新しい世代は、すでに胎動を開始しました。そうであるならば、これから迎えようとしている時代の精神的指導者となるのは、誰なのでしょうか。宗教はすでに実力を喪失し、無神論的唯物史観に場所を譲ったと断定できるでしょうか。いいえ、そうではありません。
過去を公平に静止する人々は、世界における人類の精神文化を生み出し、かつ指導してきた最大の能力は宗教であったということを、否定できません。しかも、純正な宗教の上にだけ、健全な文明は築かれたのです。
ヨーロッパ文明について、このことを見てみましょう。古代社会の危機に際し、個人の道徳観念の腐敗、国家や社会の秩序の崩壊を救い、中世文明を樹立したのはイエス・キリストの宗教(原始キリスト教)に他なりません。中世の危機に際し、同じような働きをしたのはイエス・キリストの宗教(宗教改革のキリスト教)に他なりません。今や三度目に、近代文明がまたもや危機に直面しているのです。世界は、これが救いであるというものを何に求めることができるのでしょうか。同じように、イエス・キリストの宗教(改革派のキリスト教)の他には無いのです。
宗教改革のキリスト教は、原始キリスト教の再興です。改革派教会は、この宗教改革の真理を最もよく保有している教会です。中世に原始キリスト教が、近代に宗教改革のキリスト教が、それぞれ果たした使命こそ、じつに改革派のキリスト教が次の世代に対して負うことができる大きな使命であるということは、わたしたちの自負としてというよりも、重い責任として痛感しているところなのです。
世界の希望はカルヴァン主義の神にあるのです。
神よ、あなたの栄光を仰がせてくださいますよう、お願いいたします。わたしたちは、与えられた一切をあなたにおささげしますので、あなただけを、わたしたちの神、わたしたちの希望として仰がせてください。あなたがすでにわたしたちのうちに始めてくださっている大いなるみわざを完遂してくださいますように。
アーメン。
昭和21年4月29日 (創立大会日)
原典は「教会ハンドブック 宣言集」第三刷(1988年2月20日発行)
2004年11月7日日曜日
喜びを禁じる掟はない
ガラテヤの信徒への手紙5・22~26
「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。うぬぼれて、互いに挑みあったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。」
今日の個所に書かれていることを一言でまとめて言うならば、わたしたちキリスト者に与えられる霊的な賜物とは、どのようなものか、ということです。
「霊の結ぶ実」とあります。「実」の意味はフルーツ(くだもの)です。結果という意味もあります。「霊の結ぶ実」とは、救い主イエス・キリストを信じる人の内に聖霊なる神が住み込んでくださった結果として、その人に与えられる霊的な賜物のことです。賜物とは、贈り物(プレゼント)です。
このことを理解していただくために開いていただきたい関連の個所は、マタイによる福音書7・17~18です。ここでイエス・キリストは、「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、悪い木が良い実を結ぶこともできない」と語っておられます。実を見て木を知りなさい、という意味です。
しかし、これは、原因と結果の関係を機械的・法則的に結び合わせる、あの単なるいわゆる「因果論」とは異なるものである、と言わなければなりません。
マタイによる福音書をご覧いただきますと、「実を見て木を知る」という御言が記されている段落は、「偽預言者を警戒しなさい」という警告から始まっています。そして、次のように言われます。「彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である」。
ここでイエスさまが問題にしておられることは、明らかに、ひとりの人間の「内と外」、つまり、心の中にあるものと外側に見えるものとの関係です。単純に、原因と結果の関係についての話ではない、ということが分かるのです。
むしろ、ある意味で、もっと厳しいかもしれません。あの人は、あのものは、外側から見ると善いものに見えるかもしれないが、内側がひどいということがありうるから、気をつけなさい、というわけですから。
パウロの場合も、じつは、同じことが言えると思われます。
「霊の結ぶ実」、すなわち、聖霊なる神がわたしのうちに住み込んでくださった結果としてわたしに与えられる霊的賜物の意味は、このわたしの「内と外」、すなわち一人の人間の内面性と外面性は決して無関係ではありえない、ということを語っているのである、と理解することができるのです。
少し分かりにくい言い方になってしまったかもしれません。もっと平易に言い直せると思います。ごく単純に言えば、たとえば、わたしたちは、とても腹が立っているときニコニコ笑っていられることは、ほとんどありえないだろう、というようなことです。
もちろん、なかには、「顔で笑って・心で泣いて」ということが上手な方がおられるかもしれません。そのほうがオトナらしい態度であり、中身が丸見えというのはコドモっぽい、と思われるかもしれません。しかし、顔のどこかが歪んでいる。目の奥が笑っていない、ということがありえます。見抜く人は、見抜くのです。
あるいは、逆に考えてみて、その人が今このとき考えていること、心の中で思っていることが、全く外から見えないし、分からない、というのは、恐ろしいことでもあります。
児童心理学者たちが口を揃えて言うことは、「グズグズ言ったりわがままを言ったりするくらいの子どものほうが健全である」ということでしょう。
思ったことを口にできないし、表情にも表さない。質問しても答えない。固い殻に閉じこもり、無表情のマスクをかぶり、自分の中身、真の姿、あからさまな正体を寸部漏らさず隠し通してしまえる子どもがいるとしたら、周囲の人は心配になります。
いや、心配になるくらいなら、まだマシなのかもしれません。何かを隠している様子が、ほんの少しでも伺えるなら、まだ良いほうです。全く分からない。いや、じつは、自分自身でも自覚がない。自覚がない、というのが、最も恐ろしいことかもしれません。
先ほどのマタイ7章の「偽預言者を警戒しなさい」という御言にこだわるようですが、ここでイエスさまが「偽預言者」と呼んでおられるのは、明らかに、当時の宗教家たちである、ということが、ここで注目されるべき点です。
彼らは当時、最も尊敬されていたのです。誇り高い仕事でした。しかし、その宗教家たちが偽物だと。「偽預言者だ」と、イエスさまは告発されました。彼ら自身に、そうであることの自覚が無かった可能性があります。
偽預言者は本物の預言者にそっくりである、と言われます。偽キリストは本物のキリストにそっくりである、と言われるのと同じです。悪い意味でのイミテーションは、本物と見分けがつかないくらい酷似しているからこそ、商売が成り立つのです。
しかし、です。たとえ、その人々が、どんなに固い殻に閉じこもり、無表情のマスクをかぶり、また、いかなる行いにおいても善意をもって振舞うことができ、人々の尊敬を集めることができたとしても、どうしても、最後まで隠し通すことができない部分がある。本物か偽物かが、バレてしまう。
そういうところが必ずある。この点こそがまさに、イエスさまの言われる「実を見て木を知ること」であり、パウロの語る「御霊の結ぶ実」という言葉の真意です。明らかに、ひとりの人間の内側と外側との関係の問題が語られているのです。
しかし、わたしは今日ここでユダヤ教の批判をしたいわけではありません。イエスさまの時代の宗教家たちの批判をしたいわけでもありません。
あるいはまた、わたしたちの時代の、あの人・この人の批判をしたいわけでもありません。わたしたち自身の日常生活の反省や自己批判をしたいわけでもありません。そうすることは大切なことではありますが、今日の話の目的ではありません。
そうではなくて、わたしが今日申し上げたいことは、わたしたち人間は、言ってみれば、じつは「薄皮一枚」のような存在であるということです。
「神さまの目から見たら」と付け加える必要があるかもしれません。
わたしたちの内側と外側との関係、内面性と外面性との関係は、少なくとも神さまの目からご覧になったときには、まさに薄皮一枚にすぎない。透けて見える。全部見える。何もかも顕わである。神はすべてをお見通しである、ということです。神の御前で何かを隠そうだなんてことを考えること自体が愚かである、ということです。
しかし、まだ、この点だけなら、わたしたちは、どこかで責められているような気持ちが残ると思います。牧師は、何かを言いたがっている。奥歯に物が挟まったような口ぶりがある、と思われるかもしれません。
しかし、今日のポイントは、誰かへの批判でもなければ、自分への批判でもありません。むしろ、神さまの目から見るとまさに「薄皮一枚」であるこのわたしの存在は、入れ物であり、器(うつわ)であり、容器である、ということです。
そして、その入れ物の中に、もし救い主イエス・キリストを信じる信仰があり、また、その信仰を持っている人々の内側に聖霊というお方が住み込んでくださるならば、その人の存在はまさに光り輝くものになるのだ、ということです。そして、その光は、外側から見ても、よく見えるものなのだ、ということです。
まだダメでしょうか。
まだ責められているような気がする。あるいは、どこか貶(けな)されているような気がする。人間は入れ物だ。その中に宿ってくださる神が輝いている、と牧師は語る。入れ物である人間、このわたし自身は、ガラスのような存在であり、道具にすぎない、ということだ。それならば、神さまが輝くんでしょ。人間自身が輝くわけではないんでしょ、と思われるでしょうか。
しかし、そうではありません。たしかに、わたしたちは、ある意味で、わたしたちの内なる御霊の働きの輝きを外側に照らし出すことが許されている存在です。自分自身は薄皮一枚のような存在であり、透明ガラスのような存在です。けれども、わたしたちは単なる道具なのか、自分自身には存在する目的も意味もない物体にすぎないのか、というと、決してそういうことではないのです。
パウロは語ります。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」。ここでまず認めたいことは、これらの“善きもの”が、わたしたちの中には確かにある、という事実です。
そして、その上で、その次に、先週学んだガラテヤ5・16以下の御言葉、とくに19節の「肉の業は明らかです」以下に書かれていた、いわゆる「悪徳表」の内容を思い起こさなければなりません。あれらの“悪しきもの”も、わたしたちの内側には、たくさん潜んでいます。そのことを完全に否定できる人は一人もいないのです。
しかしまた、このように考えてくると分かるのは、このわたしという一人の人間の中には“善きもの”と“悪しきもの”との両方が共存している、ということです。
そして、もしそうであるならば、わたしたちの中身がすべて透けて見える、ということのすべてが悪いわけではない、と考えることもできるでしょう。わたしたちの内側にあるものすべてが悪いわけではないからです。「ほらほら、見て見て」と多くの人々に見せびらかしたいものも、わたしたちの内側には確かにあると信じることができるからです。
それこそがわたしの愛、わたしの喜びです。
わたしの内に神御自身が与えてくださった喜びは、たとえば、わたしの中で、わたしを抜きにして、神さまだけが勝手に喜んでおられるというようなものではありえません。
それは全くおかしな話です。プレゼントなのですから。神の喜びがわたしの喜びになるのです。
また、わたしの平和、わたしの寛容、わたしの親切、わたしの善意です。わたしの誠実、わたしの柔和、わたしの節制です。
そういうものを、わたしたちは、いわば先天的に生まれ持っている、と語ることについては、慎重でなければならないと思います。そうかもしれないし、そうでないかもしれません。わたしたちの心の中に、生まれたときから良いものがある、ということは、絶対的に否定されるべきことではありません。
しかし、問題が起こるのは、むしろ、“生まれた後”でしょう。
「ほらほら、見て見て」と見せびらかしたいような、このわたしの内なる善きものを、見て見ぬふりをされる。全く評価してもらえない。「それがどうしたの?」と冷たくあしらわれる。「うるさいな!」と突き飛ばされる。
そのような積み重ねの中で、わたしたちは、次第に、わたしの内なる“善きもの”には意味も価値もない、と思い込み、わたしの外に追い出してしまおうとするのです。
けれども、また、ここに挙げられている“善きもの”を、パウロが「霊の結ぶ実」と呼んでいることが救いです。
なぜなら、それが人間の内に生まれる前から備わっていたもの、と言われているのではなくて、聖霊なる神の賜物である、と言われているかぎり、それは、まさに、あとから、外から、このわたしの中に入れ込まれ、混ぜ込まれた何かである、ということを意味する以外にないからです。
そうだとすれば、一度くらい失われても、いや、何度失われても、何度でも、詰め込み直すことができるものである、と信じることができます。
そうであるならば、わたしたちは、自分の中には“善きもの”がない、ということで、絶望すべきではありません。わたしの中の“善きもの”は、言うならば、「これから身につけていくことができるもの」であり、「いつでも詰め込むことができるもの」なのです。
だからこそ、わたしは、このわたしたちの小さな入れ物の中に、大いに、どんどん、大量の神の恵みを詰め込んでいきましょう、と先週申し上げたのです。
キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿る「ようにしましょう」。讃美歌をうたい、祈りましょう、と。
豊かに宿る「ようにする」のは、自分自身です。このわたしが、キリストの言葉を、自分の中に、たくさん詰め込むのです。それは自分の努力目標です。わたしのなすべき仕事です。これこそが、先週ご紹介しましたコロサイの信徒への手紙3・16~17の真意なのです。
御言葉と讃美と祈りは、わたしたちの存在を支える生命そのものです。これらのものが失われると、わたしたちの存在は倒れてしまうのです。
豊かな神の恵みによって、このわたしが喜びに満ちあふれる存在になること。このことを禁じる掟は、どこにもない。
喜んで、楽しんで、礼拝して、讃美して、祈って、何が悪いのか、ということです。
このわたしが喜びの人生を送ることを、誰にも、何にも、邪魔させない!
これがパウロのメッセージです。
(2004年11月7日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年10月31日日曜日
聖霊なる神の導き
ガラテヤの信徒への手紙5・16~21
「わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」
パウロは、ここまでのところで、救い主イエス・キリストを信じて生きる者たちには、神が「自由」を与えてくださる、ということを、語ってきました。5・1に「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです」と書かれています。
そして、今日の個所でパウロが書いていることは、そのさらなる説明です。「ひとが自由になる」とは、「何から」自由になるということなのか。それは要するに「罪を犯したい」という欲望や誘惑の束縛からの自由である、ということです。「罪からの自由」こそが救いです。救いとは、束縛からの解放、という意味を持っているのです。
救われる、ということは、しかし、そういう欲望や誘惑を全く感じないようになる、という意味ではありません。おそらく感じると思います。
イエス・キリストへの信仰を与えられ、洗礼を受け、キリスト者になり、教会のメンバーになり、何十年も教会に通い続けるとしても、感じ続けると思います。じつは、わたしたち自身が、毎日、そのような欲望を感じ、誘惑され続けているのだと思います。その種の試練や葛藤は、生涯続くのだと思います。そうではないでしょうか。
欲望や誘惑、試練や葛藤は、死ぬまで続く。だからこそ、わたしたちは、その戦いから降りることができない。気を抜くことができない。卒業することができないのです。
パウロは「霊の導きに従って歩みなさい」と書いています。ここで「霊」とは何のことでしょうか。続きに「そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません」と書かれているのですから、ここで分かることは、「霊の導き」と「肉の欲望」は明らかに対立的な関係にあるということです。
そのことを、パウロは次にはっきり書いています。 「肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。」
「自分のしたいと思うことができない」。パウロは、これと同じようなことを、別の手紙の中にも書いています。今日の個所の言葉によく似ている表現が出てくるのは、ローマの信徒への手紙7・18~20です。
「わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もしわたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです」。
「自分のしたいと思うことができない」とか、「自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」とは、どのような状態なのでしょうか。何となく「壊れている」感じがしてきます。正常ではない感じです。
善いことをしたいという願いは、ある。その意志もある。しかし、それを実行することができない。
悪いことをしてはならないという教育を、受けた。その自覚があり、意志もある。それなのに、してはならないことを、ついつい、してしまう。
わたしたちの中に起こる試練や葛藤の様子は、まさにパウロが描き出しているとおりである、とわたしは感じます。パウロは二千年前の人なのです。そのパウロがわたしたちのことをよく知っている。なんでこんなに、この人は、このわたしの今の気持ちを見抜いているのだろうか、と思うほどです。
悪いことを、ついつい、してしまう。続けているうちに、やめられなくなる。ここで、どうやら考えられることは、やはり、わたしたちを悪事へと誘惑するものは、甘くて美味しい味がする、ということではないでしょうか。
しかし、その先は地獄です。底なし沼です。そのことを思い起こさなければなりません。
最近、本当にしつこいのが、電子メールによるいろんな種類の勧誘です。ご存じない方かもおられると思いますので少し説明しますと、わたしのメールアドレスのように、教会のホームページで公開してしまっているようなものは、確実に標的にされます。そのようなメールアドレスを自動的に探し出して集めるソフトがあるのです。
とにかく、いろんな種類の「勧誘」のメールが、毎日・毎日、数十通単位で送りつけられてきます。何を買えだの、何があるだの。女性のふりをして「わたしと付き合ってください」というようなのもあります。
真っ赤なウソです。ありえない。穴に落ちたら、その先は騙しと脅迫の世界です。
しかし、わたしたちには、時として、そのような言葉に甘く美味しい味を感じとってしまう瞬間があるのかもしれない、ということを疑ってみる必要があります。地獄の一歩手前で目が覚める。しかし、そのときは手遅れであった、ということが、ありうるのです。
「しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。」
ここでパウロが書いている「律法の下にはいません」の意味は、おそらく、「律法主義の束縛の下にはいません」ということです。律法主義は、端的に「罪」なのです。律法主義は、なんら律法そのものに忠実な生き方ではないのです。
むしろ、パウロは、「律法主義」を「肉の欲望を満足させること」へと結びつけています。とくにこの手紙の中でパウロが、「律法主義」の典型であるとして告発しているのは、「ひとが救われるためには、割礼を受けなければならない」とする教えでした。それは、自分の満足のために、自分の正しさを主張するために、しるしや証拠を欲しがっているだけなのだ、と言いたいです。
「しかし、霊に導かれているなら」と、パウロは書いています。「霊の導きに従って歩みなさい」と。この言葉と響きあうのが5・6の御言です。「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」
外から見えるしるしや証拠がある、ということで満足する生き方が、律法主義であり、割礼を受けることです。しかし、そのようなことは、問題ではない。信仰が問題である。愛が問題である。あなたの心の中にあるものは何か、ということが問題である。
ここで「霊」とは、神の霊、霊なる神、すなわち、聖霊なる神のことです。それ以外のことを考えることはできません。
聖霊なる神の導きが問題である。聖霊があなたがたのうちに注がれ、宿っているとき、あなたの中に信仰があり、愛があり、希望があり、そして喜びがある。そのことが問題である。割礼は問題ではない。これがパウロのメッセージです。
「望む善は行わず、望まない悪を行っている」。この何となく「壊れている」感じ、正常ではない状態にあるとき、わたしたちの心の中に失われているものがある、と思います。それが、じつは信仰であり、愛であり、希望であり、喜びである。
心の中がケバケバしている。霊的に飢え乾いている。イライラしている。すぐ怒る。腹が立つ。破壊衝動が起こる。攻撃的になる。イヤミの一つも口にしたくなる。投げやりになる。すべてを投げ出し、投げ棄てたくなる。生きていくのが嫌になる。まさにそのようなとき、わたしたちは、聖霊なる神の導きに従っていないのです。
「肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。」
これは、言うならば、わたしたちを地獄に連れて行く誘惑の一覧表だと思っていただくとよいかと思います。「悪徳表」という呼び名もあります。
ですから、ちょっと試しに味わってみよう、などと思わないほうがよいです。すぐに中毒になります。怖いもの見たさというのも、危険です。怪しげな格好で近づいてきたことに気づいたときには、一目散に逃げるのが、正解です。後ろから追いかけてくるかもしれません。逃げましょう。そのときは逃げてよいし、逃げなければならないのです。
しかし、おそらく、逃げきれないときもあります。この種の欲望が、誰のせいでもなく、自分自身の心の中に起こってきたときです。
わたしたちは、この種の欲望を、心の中に、打ち消しがたく、抱え持ってしまうことがあります。毒の味に魅せられてしまうことがあります。さじ加減とは言いませんが、ある程度までは、お付き合いしなければならないときもあるでしょう。
そういうときには、どうしたらよいのでしょうか。わたしは、いつも思い起こす聖書の御言があります。コロサイの信徒への手紙3・16~17です。このことは、以前にも皆さんにお話ししたことがあります。
「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。」
キリストの言葉が「豊かに宿るようにしなさい」と言われている、この「しなさい」と言われていることを誰がするのかと言いますと、もちろん、「あなたがた」がするのです。このわたしが、するのです。
肉の欲望、罪への誘惑、毒の味、悪事への絶えざる関心と興味。このようなものが心の中を完全に満たしてしまわないように、別のものを、たくさん、大量に、心の中に入れていくことが必要です。そして、人生には、世の中には、もっと面白いことがある、ということを知る必要があります。
キリストの言葉が面白い。讃美歌が面白い。祈りが面白い!
“聖霊なる神の導き”に従って生きるとは、まさにそのようなことに他なりません。聖書を学び、讃美歌をうたい、祈りをささげる。この三つのことは、わたしたちが教会や家庭で、いつも、いつも、していることです。今日もしています。今もしています。明日もするでしょう。これからずっと、していくのです。
わたしたちの心は、小さい入れ物です。悪いことだけ考えていると、すぐに、それだけで一杯になってしまいます。良いことを考えましょう。
しかし、これは、いわゆる単なる「プラス思考」というようなこととは、違います。内容も次元も全く違います。自分の言葉で、人間の言葉で、自分自身に言い聞かせるのではありません。神の言葉で、キリストの言葉で、このわたしの心を満たすのです。「豊かに宿るようにする」のです。
また、自分ひとりだけだと思うと、誰も知らないうちに、悪いことに手を染めてしまうかもしれません。みんなで聖書を読み、讃美歌をうたい、祈りをささげましょう。教会に通いましょう。わたしのことを心配している仲間がいる。祈ってくれている友達がいる、ということに気づきましょう。
わたしたちが悪事を働いているときには想像力の欠如があるのだと、しばしば言われます。一般的には産んでくれた親や兄弟や親戚のことを忘れていると言うのでしょう。わたしたちの場合は、神さまのことを忘れていると言います。教会の仲間たちのことを忘れていると言うのです。
事実、そのときわたしたちは、聖書の御言を忘れ、讃美の楽しみを忘れ、祈りを忘れているのです。神の国の宴(うたげ)の喜びを、忘れているのです。
毒の味に魅せられてしまわないために、神の恵みを豊かに味わいつくすことが、必要なのです。
(2004年10月31日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年10月27日水曜日
キリストの昇天について
ハイデルベルク信仰問答第18主日
使徒言行録1・6~11
ハイデルベルク信仰問答の第17主日の第46問から第18主日の第49問までに記されている内容は、イエス・キリストの昇天についての教理です。
この教理の意図は、使徒信条に告白されている「主は・・・天に昇り」とはどのような意味であるのか、そしてわたしたちにとってどのような益をもたらすのか、を明らかにすることです。
キリストの昇天についての聖書的証言としては、ハイデルベルク信仰問答が挙げている証拠聖句(マタイ26・64、マルコ16・19、ルカ24・51、使徒1・9)の他に、ヨハネによる福音書14・2~3とコロサイの信徒への手紙3・1~2などを挙げることができます。
「わたしの父の家には住むところがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」(ヨハネによる福音書14・2~3)。
「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものを心に留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい」(コロサイの信徒への手紙3・1~2)。
そして、ハイデルベルク信仰問答は、「キリストの昇天」ということを、「キリストが、弟子たちの目の前で、地から天に、上げられたということであります。そして、生ける者と死ねる者とを審くために、再び来られる日まで、わたしたちのために、そこに在す、ということであります」と定義しています。
これは、言葉どおりに受け入れる他はありません。地から天へと移動すること、まさに「上にあげられること」、これが昇天です。それ以上でも、それ以下でもありません。
しかし、問題は、「地」とはどこであり、「天」とはどこであるか、ということでしょう。もっとも、「地」のほうは、わたしたちが今生きている物理的・感覚的な世界のことである、ということは、おそらく議論の余地はありません。
むしろ、問題は「天」はどこか、ということです。これについて、ハイデルベルク信仰問答の表現は、非常に慎重なものです。
第46問の答えを見ていただきますと、「生ける者と死ねる者とを審くために、再び来られる日まで、わたしたちのために、そこに在す、ということであります」と書かれています。この中の「そこに在す」の「そこ」が「天」である、ということです。
つまり、「天」とはキリストがおられるところである、と言われているだけです。これが「天とはキリスト論的概念である」と言われる所以です。
また、もう一つ、「天」の所在についてハイデルベルク信仰問答が教えていることは、第49問の答えに「キリストは、天にあって、父の面前で」とある中の「父の面前」ということです。そして第49問の答えと第50問の問いに出てくる「神の右の座」ということです。
つまり、「天」とはキリストと共に父なる神もおられるところである、と言われています。しかし、それ以上のことは語られていない、と言うべきです。
父なる神と御子イエス・キリストがおられるところが「天」である。それならば、聖霊はおられないのか、ということが気になります。もちろん、聖霊もおられると考えるべきです。三位一体の神がおられるところが「天」である、と理解することができます。
しかし、これではまだ、わたしたちの疑問の答えになっていないでしょう。天はどこにあるのか。もし天という場所があるならば、それは、わたしたちが今生きている世界から非常に遠いのか、それとも、近いのか。また、そこは今のわたしたちの現実とは全くかけ離れた別世界なのか、それとも、よく似たような、あるいは全く同じと言いうる場所なのか、というあたりが、わたしたちにとって本当に知りたいことだからです。
この件については、ハイデルベルク信仰問答は、少なくとも今日の個所を見るかぎり、ズバリとした答えをわたしたちに示してくれてはいません。しかし、ヒントはあると思います。第47問の答えです。
「キリストは、真実の人間であり、真実の神であり給います。人性においては、今は、地上には、おられませんが、神性、尊厳、恩恵、霊においては、決して、わたしたちを、離れ給うことはありません」。
先ほどわたしは、「天」とはキリストがおられるところである、と申しました。そのキリストが、「今は・・・神性、尊厳、恩恵、霊においては、決して、わたしたちを離れ給うことはありません」と言われているのですから、そのキリストがおられる天とわたしたちが今生きているこの地上の世界との「距離は無い」と言われている、と考えてよいのです。
つまり、「天」と「地」は、ピッタリくっついている、ということです。両者は、いわば全くふれあっている。遠いどころか、ものすごく近いところにある、ということです。このように語ることが、わたしたちの教会において許されているのです。
しかし、ハイデルベルク信仰問答には、もう一つのメッセージがあります。第47問の答えにある、キリストは「人性においては、今は、地上には、おられません」という点です。これは、明らかに、人間の姿をとられたキリストは、現時点においては、地上においては"不在"である、というメッセージです。
この二つのメッセージ、つまりキリストのおられる天は、わたしたちの生きているこの地上の世界と全くふれあうほどに近い。しかし、キリストは、今は地上にはおられません、というこの二つのメッセージは、わたしたちにとって何を意味するのか、ということを、よくよく考える必要がある、と思われます。
ただし、このことについて、わたし自身は、教理そのものの説明よりも、まずは聖書の御言を読むことが大切であると考えています。
そこで開いていただきたいのが使徒言行録1・6~11です。これは、わたしが今年4月に松戸小金原教会に赴任してきてすぐに、イースター礼拝の次の週に、説教のテキストとして取り上げた個所ですので、記憶してくださっている方もおられるかもしれません。
そのとき、わたしが強調しましたのは、最後の11節に出てくる天使の言葉です。
「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」
この天使たちは、ちょっと腹を立てているようです。イエスさまが天に上げられていく様子を下から見上げながら、ボーっと突っ立っている弟子たちの姿が、なんとも哀れで・頼りなく・悲しげに見えたので、天使たちを通して神さまご自身が、彼らのことを厳しく叱りつけているような感じさえするのです。
「おいおい、皆さん、天を見上げている場合ですか。見るところが違うでしょう。見なければならないのは、上ではなく、前ではありませんか。あなたがたの希望は上にあるのではなく、前にあるのですから。イエスさまは、またおいでになるのですから。この地上の世界にもう一度来てくださるのですから。上なんか見上げてボーっとしている場合ではありません。しっかりしてください!」
わたしはこの個所を読むたびに、こういう声が聞こえてくるのです。
そして、使徒言行録は、このあと、聖霊降臨(ペンテコステ)の出来事を詳しく描いていきます。聖霊が弟子たちの上に注がれて、弟子たち一人一人が力を受けて、自らの命をささげ、地の果てまで自らの足で歩いてイエス・キリストの福音を宣べ伝える、勇敢な伝道者となっていったことを描くのです。
そして、その伝道者たちの旅の中で、事あるたびに、何度も繰り返し、登場するのは、幻の中で御声をかけてくださるイエスさまご自身です。
姿は見えません。しかし、御声が聞こえてくるのです。こちらに行け。あちらに行くな。こうしろ、ああしろ、と(使徒26・15以下など)。また、弱り果てているときに、「勇気を出せ」と励ましの言葉をかけてくださるのです(使徒23・11など)。
なかでも興味深いのは、幻の中に現れてくださったイエスさまが、使徒パウロに対して「自分の足で立て」と言われた御言です(使徒言行録26・16)。
これと響きあうのが、イエスさまの昇天を見ていたあの弟子たちに語られた「なぜ天を見上げて立っているのか」という、ややお叱りの言葉です。
イエスさまの御言が今も響いてきます。
「上ではなく、前を見なさい。そして、自分の足で立ちなさい。あなた自身が伝道しなさい。わたしはいつもあなたと共にいるのだから。あなたは独りではないのだから。しかし、今はわたしは天にいて、あなたがたと一緒にはいない。あなたが伝道し、あなたが教会に信仰の仲間を集めなさい。そして、この世界を神の世界にしなさい。それらは、あなたの仕事です。人任せにしてはなりません」。
さて、ハイデルベルク信仰問答第49問には、キリストの昇天がわたしたちにもたらす益は何かということが書かれています。しかし、これは、なかなか難解であると思います。
ただ、とくに、第二の点に記されていることは、今日的にも大きな意味を持つ非常に大事なメッセージを含んでいると思います。
第二の点には、キリストの昇天とは、言ってみれば、神の御子キリストが、この地上においてまとわれた、わたしたちと同じ、人間の肉体そのものを、天に持ち上がってくださった、ということを意味する、と言われています。そして、だからこそ、そのことがわたしたち自身が天に迎え入れられるときの「確かな担保」である、と言っています。
このことは、キリスト教信仰の根本にかかわる非常に大事な点です。
と言いますのは、日本の中で(日本だけではありませんが)、「天国に行く」という言葉が語られるとき思い描かれることは、「地上の肉体との別れ」ということでしょう。
しかし、そうなりますと、天国というのは、霊だけがあって、肉体がないところとして描かれざるをえません。それは、まるで、影も形も無い、純粋で無色透明で、結局そこには何も無い、真空の世界であるかのようです!
ところが、そのようなことは、聖書のどこにも書かれていません。それどころか、聖書に描かれている「天」は、たとえば、「神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治する」(ヨハネの黙示録22・5)とあるように、きわめて色鮮やかで・にぎやかで・物質的で・政治的なイメージを持っているのです!
キリスト教信仰の根本は、復活にあるのです。すべての人は一度は必ず死にますが、その後再び、体ごとよみがえります。
そして、イエス・キリストへの信仰に生きた者たちは、そのまま天に召されます。そのようにして、わたしたちは、体をもって復活し、永遠の喜びのうちに生き続けることを、待ち望んでよいのです。
この希望には「担保」がある、と言われています。とても頼もしい話ではありませんか!
(2004年10月27日、松戸小金原教会水曜礼拝)
2004年10月24日日曜日
励ましの言葉
コロサイの信徒への手紙2・1~5
「わたしが、あなたがたとラオディキアにいる人々のために、また、わたしとまだ直接顔を合わせたことのないすべての人のために、どれほど労苦して闘っているか、分かってほしい。」
ここに記されているパウロの言葉は、コロサイ教会の信徒たちへの励ましの言葉です。しかし、そのことを語るために、パウロは、このわたし自身があなたがたのために労苦し、闘っているのだ、ということを、あえて言葉にして、相手に伝えようとしているのを見ると、わたしなどは、つい、いろいろと考えさせられてしまいます。
とくに日本では、自分自身の苦労話を大っぴらに語り、わたしがこんなに苦労しているのだから、分かってほしいというような仕方で、相手の義理人情に訴える話し方のことを「浪花節」と呼ぶことがあると思います。たとえ悪気はなくても、何となく押し付けがましい話し方である、と思われてしまいます。
もちろん、こういう話し方でも十分に分かってくれる心優しい人々もいますし、じつは、そういう人のほうが多いのかもしれません。逆に考えて、自分は少しも苦労していないのに、ひとには「がんばれ、がんばれ」と語る人は、ほとんど信用を勝ち取ることができません。
しかし、世間にはいろんな人がいる、ということも事実です。ひとの話を聞く場合にも、冷たい感じの聞き方というのがあります。あなたの苦労がわたしにとって何の関係があるのですか。わたしも苦しいです。苦労話など聞きたくありません、と突き放されてしまうことがあるのです。
しかし、このことは、別の見方をするなら、自分の苦労話を安心して語ることができる相手がいる、というのは、幸いなことである、とも思えます。わたしの苦労話を善意として受けとめてくれる人がいるなら、パウロにとってコロサイ教会の人々は、そのような善意を期待できる、信頼関係のうちにある相手であった、と理解することができるかもしれません。
ところで、パウロは、彼らのために、何の苦労をしている、というのでしょうか。
「それは、この人々が心を励まされ、愛によって結び合わされ、理解力を豊かに与えられ、神の秘められた計画であるキリストを悟るようになるためです。知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。わたしがこう言うのは、あなたがたが巧みな議論にだまされないようにするためです。」
ここでパウロは、あなたがたコロサイ教会の人々とラオディキアにいる人々とが「心を励まされ、愛によって結び合わされ、理解力を豊かに与えられ、神の秘められた計画であるキリストを悟るようになるため」に、わたしは苦労しているのだ、と言っています。
この中で、とくに注目したいのは「理解力」という言葉です。また「キリストを悟る」という点が語られています。ただし、ここでの「悟る」には、以前も申し上げましたように、いわゆる仏教的意味での「悟りを開く」という意味は全くありません。むしろ「学び知ること」です。平たく言えば「勉強すること」です。
あなたがたに豊かな理解力が与えられ、キリストを学び知るために、わたしが苦労しているのだ、というのですから、パウロが苦闘している事柄として、わたしたちにとって最も分かりやすいであろう表現は、聖書に基づく「説教」とその準備である、ということではないでしょうか。
パウロも牧師の一人です。牧師は説教だけをしておればよいわけではありません。少なくとも牧会の仕事があります。しかし、説教もします。原稿も書きます。この点も、前回のこの手紙の学びの中で、すでにお話ししたことです。
そして、説教の準備というのは、意外と思われるのかどうかは分かりませんが、実際にやってみると、これはこれなりに、結構たいへんなことであると思います。
現在神戸改革派神学校で学んでいる浅野正紀神学生が、先週わたしに、一通のメールを送ってくださいました。そのメールに添えられていたのは、神学校で毎週水曜の夜に行われている祈祷会の奨励の原稿でした。「率直なところを批判してください」と書かれていましたので、率直なところの批評を書いて、送り返しました。こんなところで手加減するのは、かえって失礼だと思いましたので、遠慮なく厳しいことも書かせていただきました。
すると、浅野さんは、すぐに、わたしが指摘いたしましたすべての点を徹底的に見直してくださり、全面的に書き直して、また送ってこられました。
こういうことができる人、他人の批判を自発的に求めてこられる人には、間違いなく豊かな成長があります。浅野さんの熱心と謙遜な態度に、心から敬意を表したいと思います。
こういう人を見ていますと、わたしは、つい黙っていられなくなります。
こういうことができないのは、むしろ牧師たちです。自分の説教は素晴らしいと思い込んでいます。そう思い込んでいるかぎり、それ以上の成長は、全く期待できません。わたしは人のことは言えませんが、自分のことはすべて棚に挙げて言いますが、根本的に何か誤解しているのではないか、もう少し真面目に勉強したほうがよいのではないか、と思わされる牧師の説教に出くわすことが、しばしばあるのです。
パウロにとって、説教とは、ひとをして、神の秘められた計画であるキリストを悟らしむる何かです。「神の秘められた計画」とは、神の奥義という意味です。
そして、それは、神のすべての計画そのものを指しています。改革派信仰の表現の中で最も当てはまるのは、「神の聖定」(decrees of God)です。それは、創造者なる神によるこの世界と人類の創造のみわざから始まり、救い主イエス・キリストの十字架と復活による贖いのみわざを通り抜けて、歴史と現在における教会と世界の歩みと、終末におけるそれらの完成のみわざのすべてを含みます。
しかしまた、「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています」と書かれているように、神のすべてのご計画を把握し、かつ正しく理解するための要(かなめ)と鍵は、まさにその神のすべてのご計画の中心に立っておられる救い主イエス・キリストです。
イエス・キリストを抜きにした「聖定」の教理は、単なる運命論・宿命論に陥る危険性があります。キリストが登場しない運命論・宿命論は、キリスト教的な教えにはなりえません。パウロは「巧みな議論にだまされないようにするため」と書いています。それが正しい教えか・誤った教えかを見分けるしるしは、そこにキリストがおられるどうかという点にかかっている、ということです。
説教とは、これらのすべてについて、聖書に基づいて、できるかぎり多くの人々に語り伝える仕事です。これは人が自らの一生をささげて取り組むに価する仕事です。説教だけがそうだと言いたいのではありません。しかし、説教もそうである。たしかにそうである、と語ることは許されるのではないでしょうか。
なんだか今日は、すっかり「浅野さんの話」になってしまいました。しかし、わたしは、いつか浅野さんに直接伝えたいことがあります。あなたの努力と労苦は必ず報われるときが来ます。間違いなく報われるときが来ます。天の神さまが報いてくださるでしょう。教会のみんなが喜んでくださるでしょう、と。
ただし、広い意味での「説教」は、牧師や神学生たちだけの仕事ではありません。「説教」は、長老や日曜学校の先生はもちろんのこと、じつは、すべてのキリスト者が仕えるべき仕事でもあると思います。
「説教」は、結局、わたしたちのこの信仰を、自分の家族や友人に正しく豊かに伝えることができる真実の言葉を探し求めるわざです。ラブレターを書くときのような真剣さと熱心さが必要です。
そして「説教」は、誰よりも、このわたし自身が、喜びと確信をもって、このわたしの信仰を公に告白する行為です。
良い意味で「みんなの宿題」であると、ご理解いただければと、願っております。
(2004年10月24日、松戸小金原教会夕礼拝)
愛によって互いに仕えよ
ガラテヤの信徒への手紙5・13~15
「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです。だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。」
今日の個所で、パウロは、イエス・キリストによって救われた者たちに与えられている自由とはどのようなものであるのか、ということについて書いています。一言すれば、「キリスト者の自由とは何か」ということです。
『キリスト者の自由』というタイトルの有名な書物があります。16世紀ドイツの宗教改革者であり、プロテスタント教会の歴史的創始者ともなりましたマルティン・ルターの書物です。この書物のテーマも、まさに「キリスト者の自由」、つまり、わたしたちキリスト者に与えられている自由とはどのようなものであるのか、ということです。
「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです」とあります。「自由を得るために」と訳されている言葉は、原文では「自由のために」と書いてあるだけです。「を得る」は翻訳上補われた言葉です。
「召し出された」の意味は「呼び出された」です。ちょうど、わたしたちに誰かから電話がかかってくるように、呼び出されること、コールされることです。パウロの言葉を最も単純に直訳しますと、「あなたがたは自由のために呼び出されたのです」となります。
神がわたしたちを呼び出してくださるのは、どのような仕方でか、ということについても、一言だけ申し上げておきます。
神は、わたしたちに声をかけ、わたしたちの名を呼び、わたしたちに使命を与えてくださいます。そのために神がお用いになる手段は、聖霊なる神のみわざ、とくに、神の恵みの手段としての教会の宣教(説教)です。神は、ご自身の御言葉を、イエス・キリストを通して、聖霊において、宣教(説教)という手段を用いて、わたしたちに語りかけてくださるのです。
それならば、わたしたちは、どこから呼び出されるのでしょうか。もちろん、わたしたちがかつて属していたところからです。「ところ」とは、場所・地域・団体・家族・組織・制度・体制などの一切を含む、非常に広い意味です。
そこは、どのようなところだったのでしょうか。もちろん、彼らを、そしてわたしたちを奴隷の軛につないでいたところです。パウロ自身とガラテヤ教会の場合の「奴隷の軛」とは、ユダヤ教的律法主義であった、ということを、これまで学んできました。
パウロ自身は、突然彼の目の前に、幻のうちに現れてくださった、イエス・キリストご自身の呼びかけに応えて、ユダヤ教的律法主義によって彼の心も体もがんじがらめに拘束していたユダヤ教団を捨てて、その束縛としがらみから脱出しました。
ガラテヤ教会の人々も、今度はパウロの熱心な呼びかけに応えて、パウロと同じように、ユダヤ教的律法主義の拘束の中から脱出しました。
イエス・キリストへの信仰が、彼らの人生を根本から変えていきました。そして、それによって、彼らは、全く自由になりました。それは完全なる自由です。ルターも『キリスト者の自由』の冒頭で、「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない」と述べています(石原謙訳、岩波文庫、1955年、11ページ)。
「ただ」と、パウロは続けています。「ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい」。
ここに出てくる「ただ」(モノン)の意味は、「ただし」とか「しかし」ではありません。「ただひたすら」の「ただ」です。「ただそれだけ」の「ただ」です。「あなたの選ぶべき選択肢、あなたの進むべき道は、ただひたすら、それだけです。ただ一つです」の「ただ」です。オンリーワンという意味です。
ですから、パウロが語っていることは非常に明確です。「自由を得るために召し出されたあなたがたの進むべきただ一つの道は、その自由を"愛によって互いに仕える"という、ただ一つの目的のために用いることだけです」と、パウロは書いているのです。この「ただ」は、あまりぼんやりと読まないほうが良いと思います。パウロは、ふらふらしていません。この「ただ」によって、事柄の白黒を、はっきり付けているのです。
キリスト者に与えられたこの「自由」は、ただひたすら、「愛によって仕えること」のために用いられなければならないのです。自由の目的は、はっきりしているのです。ぼんやりさせてはならないし、ごまかしてはならないのです。
「自由の濫用」などは、もってのほかです。そのようなことのために、イエス・キリストにおいて神が、あなたに自由を与えたのでは決してありません。この点は間違ってはなりません。
これこそがパウロのメッセージです。
言葉を変えて言いますと、父なる神がイエス・キリストにおいて、わたしたちに与えてくださったのは、「罪を犯してもよい自由」などではありえない、ということでもあります。わたしたちに与えられている自由は、そのような自由ではないのです。そのような自由なら、最初から「要りません」と、きっぱりと断らなければならないのです。
全く反対です。神が与えてくださる真の自由とは「罪からの自由」です。「罪を犯さないでも済む自由」です。「罪を犯したい」という思いからの解放です。
まだ明確な犯罪とは言いきれないが実際の犯罪につながる可能性が高い行為のことを、「虞犯(ぐはん)行為」と呼びます。まさにそのような、犯罪行為に至る虞犯行為そのものや、それへの誘惑からの解放です。
あるいはまた、すでに犯した罪そのもの、犯罪行為、再犯行為、罪意識、罪責の念からの解放です。誰かに罪を犯したことへの後悔や、誰かから罪によって傷を受けた悲しみや苦しみからの解放です。
神がわたしたちに与えてくださるのは、そのような意味での「自由」です。「罪を犯すために用いてよい自由」などではありえないのです。
続けて「律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです」とあります。これは、少し慎重に読みたい言葉です。と言いますのは、パウロはこのように書いていますが、イエスさまは、あれれ、たしか、これとは少し違ったことを言っておられたような気がするからです。
見ていただきたいのは、マタイによる福音書22・34以下の記事です。
ここでイエスさまは、「律法の専門家」と称する人から、「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」と質問され、「二つの掟」であるとお答えになっています。
イエスさまにとってこの「二つの掟」とは、よく知られていますように、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という第一の掟と、「隣人を自分のように愛しなさい」という第二の掟との二つです。「隣人を自分のように愛しなさい」という掟は、イエスさまによると「第二の掟」です。つまり、律法全体を要約する掟は、一つではなくて二つである、というのが、イエスさまの教えです。
ところが、パウロのほうは、一つであると言っています。少し大げさにいえば、師弟関係の中に見解の相違がある、という感じです。ですから、この点は、やはり、かなり慎重に考えなければならないところでしょう。
それで、実際に調べてみましたところ、この件に言及している注解書が見つかりました。と言いますか、わたしがいつも参考にしている座右の書が、短い言葉ながら、きちんと説明しておりました(Vgl. P. A. Van Stempvoort, De brief van Paulus aan de Galaten. De Prediking van het nieuwe testament (PNT), G. F. Callenbach N. V. Nijkerk, 1961, p. 174〜175)。
それによると、「律法に教えられているのは、イエス・キリストにおける神による、全世界に対する愛である」と言われています。その意味は、おそらく次のようなことです。
わたしたちに求められているのは、「神に対する愛」である・・・もちろん、そのとおりです。
しかし、わたしたちが愛すべき神とイエス・キリスト御自身が愛しておられるのは、わたしたちが生きているこの世界全体と、その中で生きているわたしたち自身である、ということです。イエス・キリストは、御自身よりも、そして父なる神よりも、この世界とわたしたち人間を愛しておられるのです。
わたしたちが向けるべき視線は、「神に対して」である・・・もちろん、そのとおりです。
しかし、わたしたちが見つめるべき神とイエス・キリスト御自身のまなざしは、「この世界と人類に対して」向けられている、ということです。イエス・キリストは、御自身よりも、そして父なる神よりも、この世界とわたしたち人間を見つめておられるのです。
神がわたしたちを愛してくださいます。そして、わたしたちは、その神を愛さなければなりません。しかし、「神を愛する」とは「神に従うこと」でもあります。そして、神に従うということは、神が熱いまなざしをもって見つめ、愛してくださっているこの世界と人類を、(神と共に)愛することでもあるのです。
「律法の全体は・・・隣人愛の戒めというこの一句において成就され、遂行され、全うされるのです。ローマの信徒への手紙13・8に『人を愛する者は、律法を全うしているのです』と書かれているとおりです。ここで考えられることは、いずれにせよ、隣人への愛は、神への愛から生み出されるものである、ということです」(ibid. p. 175)。
ですから、わたしたちは、次のようにも語ることができます。
わたしたちは、神の栄光を現わし、永遠に神を喜ばなければなりません。しかし、神は、わたしたちを神御自身の栄光によって輝かせてくださり、わたしたちの存在を永遠に喜んでくださるのです。神の栄光の輝きがわたしたち自身の輝きとなり、わたしたちの輝きが隣人と世界を輝かせる光となるのです。
わたしたちのうちに時々起こるのは、「わたしは、神を愛することはできる。しかし、人間を愛することはできない」という思いです。
イエスさまの言われる「第一の掟」のほうは守ることができる。しかし、「第二の掟」は守ることができない、という思いです。
宗教的熱心はある。しかし、この世の事柄には関心を持つことができない、という思いです。
神との純粋で霊的な交わりは愛する。しかし、教会や社会の中での人間同士の“人間的な”お付き合いは、面倒くさいし、わずらわしいので、まっぴらごめんです、という思いです。
これは、わたしたちにとっては大きく強い誘惑になりうるのです。
このような思いは、とくに、教会の中で争いやいざこざが起こるときに起こりやすいものです。しかし、これは少し厳しい言い方ですが、悪い意味での律法主義の一種です。たとえば、パウロがかつて属していたユダヤ教的律法主義、とくにファリサイ派のグループの中にはこのような傾向があった、ということができます。
「神を愛すること」は大切です。しかし、一方的な宗教的熱心が「人間嫌い」の傾向をもたらすことがありうるのです。律法主義(りっぽうしゅぎ)とは、言ってみれば、一方主義(いっぽうしゅぎ)なのです。
このように考えてきますと、ここでパウロが「隣人を自分のように愛しなさい」という第二の掟だけを強調して取り上げている意図は、このような過ちに陥ることを防ぎたいということではないか、と思われてなりません。
「だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい」とあります。教会の中で、互いに愛し合い、仕え合うことをせずに、それどころか、互いにかみ合い、共食いし合うことがありえます。教会も人間の集まりですから、争いが起こるのを避けることはできません。悲しいことですが、これが現実です。
そのことを、パウロはよく知っています。よく知りながら、あえて、「隣人を愛しなさい」という人間関係の掟を強調しているのです。
この文脈で持ち出すと、「何があったのか?」と思われるかもしれませんが、先週の火曜日から金曜日までの四日間、日本キリスト改革派教会の第59回定期大会が行われました。本教会を代表して、佐藤長老とわたしが出席しました。
今年の定期大会は、比較的穏やかで、落ち着いた会議となりました。しかし、当然のことながら、異なる意見が激しくぶつかり合う場面もありました。毎度のことながら、本当に疲れる会議でした。
しかし、まさか、けんかするために、教会が存在するわけではありません。わたしたちが教会に集まっている目的は、互いに愛し合うためです。互いに祈り合い、仕え合うためです。お互いを傷つけあうためではありません。
パウロの心の中に、あなたがたは、イエス・キリストへの信仰によって、せっかく律法主義という「奴隷の軛」から自由にされ、喜びに満ちた新しい人生を始めることができたのだから、もうけんかはやめにしましょう、仲良くしましょう、という思いがあったに違いありません。
「互いに滅ぼされないように注意しなさい」。このパウロの忠告に、わたしたちは、素直に耳を傾けるべきです。
(2004年10月24日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年10月17日日曜日
本当の悩みを知る ~子育て、家庭、職業、隣人愛の問題にもふれて~
マタイによる福音書9・35~10・15
本日は特別伝道集会です。大勢の方々にお集まりいただきましたことを、心から感謝しております。
今朝、皆さんに開いていただきました聖書の個所は、マタイによる福音書9・35〜10・15です。今日はこの個所を、皆さんと一緒に学んで行きたいと願っております。
「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群集が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」
これは、わたしたちの救い主イエス・キリストの活動記録の一部です。イエスさまが、いろんな町、いろんな村を、残らず歩き回ってくださったのです。そのとき、イエスさまは、何をなさったのか。大きく分けて二つあります。
イエスさまの仕事の第一は、「会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え」と書かれていることです。これは、要するに、今ここでわたしが行っている「説教」という仕事です。「会堂で教え」とあります。ユダヤ人の安息日は、土曜日です。土曜日ごとに「会堂」に集まって礼拝が行われます。そこで説教が行われます。イエスさまは、いろんな町や村の会堂で、聖書に基づく説教をしてくださったのです。
イエスさまの仕事の第二は、「ありとあらゆる病いや患いをいやされた」と書かれていることです。「群集が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」とも書かれています。ここに「いやすこと」と「憐れむこと」という二つが書かれています。しかし、この二つは、少なくとも当時は、それほど違うことではなかったと思われます。この点は、もう少し説明が必要でしょう。
今の時代に「いやすこと」といえば、「病院の医師が治療によって患者の病気を治すこと」を意味します。「憐れむこと」とは、何でしょうか。今日の個所に書かれている元々の意味は、「同情すること」です。シンパシーを感じること、同情することです。それが、とくに宗教的な文脈では「憐れみ」という意味になります。
しかし、イエスさまの時代は、今ほどに専門分化されていたわけではありません。医者は医者、宗教家は宗教家の領分を守らなければならないというのは、ごく最近の話です。今の日本でも、田舎のほうに行けば、スポーツ用品店に大根やキャベツが売っていたりします。一人の人が何でもしなければならないということが、ありうるのです。
イエスさまの時代において、またイエスさまご自身において、「いやすこと」と「憐れむこと」の二つは、結局のところ、人の苦しみを和らげ、取り去るという点で共通する、一つの課題であった、と言えるのです。
このような働きを、教会は「牧会」と呼んできました。これはドイツ語のゼーレゾルゲの翻訳として使われてきました。ゼーレゾルゲとは「魂の配慮」という意味です。それが「牧会」です。イエスさまの仕事の第二の要素は「牧会」である、ということです。
この二つのわざがイエスさまの主な仕事でありました。そして、この二つのわざが同時に等しく重んじられるところに、イエスさまのみわざの本領が発揮されました。
イエスさまは「説教」だけをされていたのではありません。"魂の配慮"という意味での「牧会」をも、なさっていたのです。
この点は、わたしたちが、教会の存在理由について、また、牧師という人間の存在理由について考えるときに重要です。
わたしは、牧師という仕事を始めて14年目になります。その中で、時々、わたしは本当に誤解されている、と感じることがあります。
つい最近も、ありました。これは、教会の何人かの方々には、すでにお話ししたことです。
わたしは今年、小学校の父兄の立場で、松戸市の少年補導員の一人に加わることになりました。その活動をしていたときです。補導員のひとりの方が、「関口さんは、日曜日以外は、仕事をしておられないんですよねえ」と言われました。
わたしは、ただ笑うしかありませんでした。少しくらいの説明では、分かってもらえそうにありませんでした。「あはは、まあ、そのようなものです」と答えておきました。それ以上は言いませんでした。
でも、教会の皆さんは、分かってくださっています。牧師も結構忙しい、と。どこで何をしているのかは、よく分からないところもあるのだけれど、でも、何かものすごく忙しくしているようでもある、と。
そのような、まさに「何だ」と聞かれても「これだ」とはっきり答えるのが難しいような、微妙で・複雑で・デリケートな事柄についての配慮、まさに「魂の配慮」を行うことこそが牧師の仕事である、と申し上げることができます。ある人びとにとっては、たしかに、不可解で・得体の知れない存在かもしれません。
しかし、この点においては、イエスさまも、そうであった、と申し上げたいわけです。イエスさまは、二千年前のユダヤで働かれた、ひとりの牧師さんだったのです。そのように理解することができるのです。
もう一つ、牧師という仕事をしていて、事あるごとに、かならず質問されることがあります。「牧師さんは、どのようにして生活しているのですか」。もちろん、どのようにして稼いでいるのか、という質問です。この質問をなさる方の顔は、どなたも興味津々です。
そのような質問を受けるたびに、イエスさまはどうだったのか、を考えさせられます。イエスさまは、どのようにして生活しておられたのでしょうか。
じつは、そのあたりは、聖書には、あまりはっきりとは書かれておりません。しかし、間接的に分かることがあります。先ほどお読みしました個所の後半部分に、イエスさまが弟子たちに命じておられる内容が、それです。
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つ時まで、その人のもとにとどまりなさい。」
イエスさまの弟子として働く者たちは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい、ということです。このように言われるイエスさまご自身も、当然、同じように生きられたに違いないのです。
しかし、その代わり、というのは少し語弊があるかもしれませんが、イエスさまご自身も、イエスさまの弟子たちも、その仕事と生活を経済的に支援してもらえる人々を探し、その人びとに助けてもらっていたのです。
この点は、なかなか分かってもらえないところです。わたしは、今年3月までの13年間は、おもに田舎の教会で働いておりました。その中で時々困ってしまうことがありました。
牧師館には、教会の方々だけではなく、一般の方々が、突然「相談したいことがあります」と訪ねてこられることがあります。そして、話を聞くと、その帰りがけに、お金が入った封筒を渡され、「話を聞いていただいたお礼です」と言われるのです。「いただけません」と丁重にお断りするのですが、必ず押し問答になり、無理やり置いて行かれるのです。そういうものだ、と固く信じておられるのかもしれません。
しかし、これは本当に困ることです。「ただで与えなさい」というのがイエスさまの命令だからです。
ただし、牧師たちは、まさか、かすみを食べて生きているわけではありません。教会が十分な生活費を用意してくださいます。食べ物や着る物に困ったことは一度もありません。ですから、どうか皆さんには、間違っても、そのような封筒を持って来られないように、お願いいたします。
なぜお願いするか、です。大げさでも何でもなく、牧師というわたしたちの仕事の本質ないし根幹にかかわる事柄だからです。まさに、この「ただで与える」という点が貫かれているかどうかということが、教会と牧師の存在理由そのものにかかわっているからです。
考えてみていただきたいのです。おそらく今ここに集まっているわたしたちの多くが、かつてそうだったのではないでしょうか。初めて教会を訪ねようと思い立ったとき、また牧師に相談を持ちかけようと考えたときのわたしたちは、どんな状態だったか、です。
もちろん、いろんなケースがあるでしょう。しかし、多くの場合、多くの人々は、そのとき、すべてに行き詰っているのです。まさに「万策尽きた」ときに、ひとは教会を訪ね、牧師を訪ねるのです。神を求め、宗教を求めるのです。
今日の聖書の個所の全体を見渡していただきますと、ここで分かることは、イエスさまが十二人の弟子たちをお選びになり、世の人びとを助けるために派遣された最も直接的な理由は何であったか、ということです。
それは、先ほども読みましたが、「群集が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(9・36)というこの点です。ひとえに、この点です!
まさにイエスさまは、「弱り果て、打ちひしがれている群集」に対して深く同情されたゆえに、彼らを何とかして助けるために、十二人の弟子たちを派遣されたのです。
ですから、逆に言えば、もしそこにそのような「弱り果て、打ちひしがれている群集」がいなかったとしたら、イエスさまが弟子たちを派遣する理由も無かった、ということになります。
しかし、実際には、そういう人々は、たしかにいました。そして、もちろん、今でもいます。たくさんいます。わたしたちの身近なところに、あふれかえっています。いなかったとしたら、などというような仮定の話は、全く意味の無い空想にすぎません。
そして、そのような人々を助けるために、イエスさまは、かつて弟子たちを派遣されましたし、今も派遣され続けているのです。そして、教会と牧師は、その人々を助けるために、ただで与えること、そしてこのわたしの命をかけてすべてを与えなければならないのです。与えなければならないのであって、奪ってはならないのです。
気になることがあります。それは、先ほどの9・36にある「群集が飼い主のいない羊のように弱り果て」という一句です。しかし、これは、考えてみれば非常におかしいことです。困ったことです。なぜなら、その直ぐ前に「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え」と書いてあるからです。
なぜおかしいのか。なぜ困ったことなのか。それは、この個所を読む限り、イエスさまがご覧になった「弱り果て、打ちひしがれている群衆」が住んでいた町や村には「会堂」が存在した、ということが、はっきりと書かれているからです。
この「会堂」ということで、単なる宗教的な施設や建物だけを想像するのは、おそらく間違っています。少なくともその建物の中に、そこで働く宗教家たちもいたのです。当時のユダヤ教の律法学者、祭司長、長老たちは、会堂を中心に活動をしていました。その人々の宗教活動そのものが「会堂」という言葉に含まれているのです。
ということは、何を意味するのか。イエスさまがご覧になった「弱り果て、打ちひしがれている群集」には「飼い主」であるべき人びとがいた、ということです。「飼い主」は、存在しなかったのではなく、存在したのです。それなのに、彼らは「飼い主のいない羊のようだ」とイエスさまはご覧になったのです。
これは明らかに、当時の宗教家たちに対する激しい批判の意味が込められています。はっきり言ってしまえば、会堂は、そして会堂の住人たちは何の役にも立っていないではないか、ということです。「弱り果てて、打ちひしがれている」人々の助けになっていないではないか。彼らの霊的なニードに応えていないではないか、ということです。これはわたしたち教会に対する厳しい問いかけでもあります。
そして、ここでもう一つ考えられることは、このときイエスさまは、まさにそのいわば「役立たずな」会堂と宗教家たちの代わりに、十二人の「役に立つ」弟子たちをお選びになり、派遣されたに違いないのだ、ということです。
そして、とくに注目すべきことは先ほどの件です。「ただで与えなさい」という問題です。
考えられることは、当時の宗教家たちが、宗教を悪い意味での商売道具とし、私利私欲を求めることに熱心であり、目の前で困っている人びとを助け起こすことには少しも関心をもっていなかったのではないか、ということです。もしそうだとするならば、「ただで与えなさい」というイエスさまの命令には、当時の堕落した会堂と宗教家たちへの痛烈な批判が含まれていた、と考えることができるのです。
そして、もしそれが真実なら、ここにこそ、人びとの「本当の悩み」もあった、ということを考えざるをえません。
たとえば、子育てに行き詰まり、家庭生活や職業に行き詰まり、そして人生そのものに行き詰まってしまった人びとがいる。そして、いわば最後の最後に、教会に行く。しかし、そのとき、教会が役に立たない。宗教が役に立たないと感じる。そのときには完全に絶望するしかありません。そのとき、ひとは、本当の意味で行き場を失ってしまうのです。
「本当の悩み」とは、最後の最後に、心から信頼して相談できる相手がいない、ということではないでしょうか。助けを求めた人を信頼して相談したとき、与えてくれるどころか、奪われた。そのとき、ひとは、心の底から「神に見棄てられた」と感じるのです。
しかし、反対のことも言えます。もし「本当に役に立つ人々」が、助けを求めている人々に「ただで与える」ことを始めるならば、あるいは、「ただで与える、本当に役に立つ人々」がこの世界の中に増えていくならば、この世界全体が、真によきものへと変わっていくでしょう。
教会とは、地上において、そのことを追求する団体です。わたしたちは、まさにこの「本当に役に立つもの」になりたい。そして、「ただで与えるもの」になりたいのです。それこそがイエスさまが教えてくださった「愛」のかたちである、とわたしたちは信じています。
時間が無くなりました。この続きの部分は、午後の集会の中で、わたしの家内が話してくれると思います。打ち合わせもきちんと出来ております。夫婦で力を合わせて、午前と午後で一つの話になるように準備しましたので、わたしの話は、ここまでにします。
最後に一言だけ申し上げます。
困ったときには、教会に来てください。牧師館を訪ねてください。そして、何でも相談してください。十分な意味で役に立てないかもしれませんが、できるかぎりのことをさせていただきます。
その際、何も持ってくる必要はありません。とくに、お金の入った封筒は、謹んでお断りいたします。
わたしたちは皆さんの助けになりたいだけです。お役に立ちたいだけです。必要なものは、すべて神さまが満たしてくださるのです。
(2004年10月17日、松戸小金原教会特別伝道礼拝)
2004年10月10日日曜日
十字架のつまずき
ガラテヤの信徒への手紙5・7~12
「あなたがたは、よく走っていました。それなのに、いったいだれが邪魔をして真理に従わないようにさせたのですか。このような誘いは、あなたがたを召し出しておられる方からのものではありません。わずかなパン種が練り粉全体を膨らませるのです。あなたがたが決して別な考えを持つことはないと、わたしは主をよりどころとしてあなたがたを信頼しています。あなたがたを惑わす者は、だれであろうと、裁きを受けます。」
「あなたがたは、よく走っていました。それなのに」と、パウロは言います。「いったいだれが邪魔をして真理に従わせないようにさせたのですか。」
このパウロの言葉の裏側には、ガラテヤ教会の人々をかばう思いがある、と言えます。あなたがたは惑わされているだけだ、と言ってあげている、という面があります。
しかし、本当のところを言えば、ガラテヤ教会の人々には全く責任が無い、というようなことは、ありえない話です。彼ら自身が、もう少し忠実にパウロの教えにとどまっていさえすれば、そのような問題は起こらなかったのです。
「わずかなパン種が練り粉全体を膨らませるのです」とあります。「パン種」の意味は、ご存じでしょう。それ自体は小さくても全体に影響を及ぼす大きな力を持っているものについての例えです。しかし、ここでは悪い意味で使われています。
パウロは、これと同じ言葉をコリントの信徒への手紙一5・6にも書いています。この場合も「パン種」は悪い意味です。
イエスさまも「パン種」という言葉を悪い意味でお用いになりました。「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に、よく注意しなさい」(マタイによる福音書16・6)。
ふと気づかされたことがあります。「パン種」とは、一度練り粉の中に入ってしまったら、二度と取り除くことのできないもの、という意味があるのではないか、ということです。
たとえば、イエスさまは、「パン種を取り除け」とは言われませんでした。「注意しなさい」と言われただけです。"取り除くことのできないもの"だからではないでしょうか。
別の個所で、イエスさまは、似たようなことを、別の言葉で例えておられます。いわゆる「毒麦の例え」です(マタイによる福音書13・24~30)。良い種の蒔かれた麦畑に、敵が来て毒麦の種を蒔いていった。実ってみると毒麦も現れた。毒麦を抜きましょう、という僕の言葉を主人が打ち消して「そのままにしておきなさい」と答える、あの例えです。
この場合も問題になっているのは、良いものの中に悪いもののが混ざっている、ということです。ただし、毒麦の場合はある程度見分けがつきますが、パン種の場合は全く見分けがつきません。放っておくしかありません。「気をつけること」のほかには、なすすべがないのです。
しかし、いずれにせよ問題となっているのは、良いものの中に悪いものが混ざっている、ということです。そして、わたしには、このことが、今日の個所でパウロがストレートに表現している怒り、ないし苛立ちの原因になっているのではないかと思われるのです。
それはどういうことか、もう少し説明が必要でしょう。なぜパウロは、怒っているのでしょうか。苛立っているのでしょうか。その理由は次のように説明できると思います。
それは、今やガラテヤ教会を惑わしているユダヤ教的律法主義というものは、じつは、そもそもパウロ自身が持っていたものであり、今も、そしておそらくこれからも、その中から完全には抜け切ることはできず、彼の中に混ざり続けていくであろうものである、ということです。
そして、そこにこそ、パウロの弱点があった、ということです。そして、その弱点は、パウロに敵対する人々にも知られていました。敵というのは、いつでも必ず、こちらの弱点を攻めてくるのです。それは、戦術的にも・戦略的にも正しい当然のやり方かもしれませんが、攻められる側としては、たまったものではありません。
そして、パウロは実際に、そこで追い詰められる。そこで苦しむ。そして、そこで腹を立てるのです。図星を当てられたときに、人は腹をたてるのです。そうでない場合には、痛くも痒くもないのです。
実際、たとえば、パウロ自身は、幼い頃に割礼を受けています。彼は、生まれながらのユダヤ人です。熱心なユダヤ教徒になり、熱心なキリスト教迫害者にもなりました。ファリサイ派の律法学者でもありました。これは否定しようもない厳然たる事実です。
また、もう一つ、もっと重大と言いうる事件がありました。それが、使徒言行録16・3に紹介されています。
「パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを皆が知っていたからである」。
これは明らかに、パウロがキリスト者になり、伝道者になった後の出来事です。パウロ自身が弟子のテモテに割礼を授けた、というのです。「その地方に住むユダヤ人の手前」と書かれています。パウロは「ユダヤ人の手前」、つまり、ユダヤ人の目、人間の目を気にするがゆえに、自分の弟子に手ずから割礼を授けた、というのです。
そして、実際、どうやらこの事件をきっかけとして、ガラテヤ教会の中に「パウロは今なお割礼を宣べ伝えている」という噂が広がった、と考えられるのです。
11節にパウロが書いていることは、そのような背景を持っていると考えられます。“火の無いところに煙は立たない”のです。パウロ自身の側に全く責められるところが無かった、とは言い切れないのです。
ここでわたしに思い出されることがあります。
日本では一般的にも有名な内村鑑三氏は、ご承知のとおり、いわゆる「無教会主義」という立場を取りました。教会を否定する、というのですから、わたしたち教会の者たちとしては、立場が違うといわざるをえません。しかし、たいへん立派な方であり、わたしたちとしても尊敬すべきところの多い方であることは事実です。
その内村氏について、現在の無教会の指導者の一人から直接伺った話なのですが、内村氏は、じつを言うと、一度ならず、自分の弟子たちに洗礼を授けたことがある、というのです。
無教会主義と洗礼を授けることが原理的に矛盾していることは、明らかです。彼ら自身が洗礼を授けることも・受けることも拒否してきた歴史があるのです。しかし、実際の内村氏は、自分の弟子の数名に洗礼を授けた、というのです。
とくに興味深かったのが、内村氏が洗礼を授けた中の一人に、内村氏自身の実の娘さんがいた、というのです。その理由も聞きました。その娘さんが海外に留学することになったとき、海外でキリスト者として認められるためには洗礼を受けていなければ困る、という話になり、やむをえず洗礼を授けた、というのです。
こういう話を聞いてわたしたちが、「さもありなん」と言い放つとか、「やっぱり無教会主義には限界がある」というふうに断じたりすることは、事柄の取り上げ方としては、たいへん失礼な態度であると思います。内村氏としては、苦渋の選択という面もあったかもしれません。
しかし、それでもなお言わざるを得ないと感じることがあります。もし、その人が熱心に語ってきた主義・主張というものと、実際にその人が実践したこととが違っている、と見られてしまったときには、やはり、そのことについて、周りの人々に理解できる言葉で、きちんと説明することが必要である、ということです。それは誤解であるというなら、その誤解を解くために、公の場所で、きちんと語る説明責任がある、ということです。しかし、わたしは、内村氏によるそのような説明があったことを、寡聞にして知りません。
いわば(いわば、ですが)パウロも、内村氏と同じようなところに立たされた、と言えるかもしれません。内容的には異なりますが、状況は似ていると言えなくもありません。パウロの場合、他の人には「割礼を受けるべきではない」と語っておきながら、自分の弟子には割礼を授けた。あの人は信用できない、と言いだす人々が出てきたのではないでしょうか。
「兄弟たち、このわたしが、今なお割礼を宣べ伝えているとするならば、今なお迫害を受けているのは、なぜですか。そのようなことを宣べ伝えれば、十字架のつまずきもなくなっていたことでしょう。」
ここでパウロが書いていることは、明確です。このわたしが今なお割礼を宣べ伝えている、というのは全くの誤解である。もしそうであるなら、このわたしが今なお迫害を受けている理由が分からなくなるではないか、ということです。
ここで「迫害」とは、もちろんユダヤ教徒によるキリスト教徒に対する迫害です。これをわたしは、今なお受けているではないか。迫害を受けなくなるということは、ユダヤ人たちがパウロの存在を味方であると認めることを意味する。つまり、パウロがキリスト教の教えを捨てて、再びユダヤ教に戻ったと認めることを意味します。
わたしはそうなのか、と言いたいわけです。わたしはユダヤ教に戻ったのか。キリスト教を捨てたのか。そんなことはありえないことだ、と言いたいわけです。
わたしたちも、この日本の国の中で、とくに宗教という観点から、ものすごく悩む場面が今でもある、と思います。たとえば、葬式の場面しかり、お盆や正月の行事しかりです。しかし、今ここで、具体的な例を挙げていくことは控えます。
たとえば、そのような場面において、です。そこに集まっているのがみんなキリスト者ばかりである、というなら、なんと気楽なことでしょうか!しかし、実際にはそういうわけには行かないではありませんか!
実際には、いろんな宗教、いろんな立場や考えの人々がいます。そのような場面において、わたしたちが、それこそ「ユダヤ人の手前」というのと同じように、その人々の手前、周囲の人々の目を気にして、心にも無い宗教儀式に参加し、信じてもいない存在に向かって手を合せてみたり、拝んだふりをしてみたりしなければならないような場面が、全く無い、と言い切れるでしょうか。
しかし、そういうときに、手を合わせたから、お辞儀をしたから、だから、わたしはキリスト教を捨てたのか。仏教や神道の信者になったのか。このあたりのことは、時として、ものすごく難しい問題として、わたしたちの心を悩ませ、痛めつける問題として、襲いかかってくることがあるのではないでしょうか。
わたしは、この種の問題に明確で一義的な答えは無い、と考えています。パウロのように状況に応じて判断するという選択肢がありうる、と考えています。しかし、このようなことを、あまり開き直って言うつもりも、ありません。
パウロ自身は、自分自身がかつて確かに受けた割礼そのものを否定できたわけではありませんし、否定しようがありません。また、キリスト者になった後も、自分の弟子に割礼を授けました。
しかし、そのパウロが、断固として否定したことがある。すなわち、「割礼は救いのために必要かつ不可欠な条件である」というこのような考えを、パウロは断固として否定したのです。
ひとは、割礼を受けなくても救われる。割礼は、救いに至るための義務でも、責任でも、条件でもない。このようにパウロは語ったのです。
しかし、こういう考え方は、律法主義者たちには理解されないものです。パウロの立場を執拗に攻撃していた人々は、パウロが「割礼を受けるべきではない」と言ったとなると、彼は割礼そのものを否定しているのだ。ひいては、ユダヤ教の信仰そのものを否定し、結局はユダヤ人の存在そのものを否定しているのだ。だから、パウロはわれわれの敵なのだ、というふうに受け取るのです。このような三段論法こそが原理主義の特色である、と言えるでしょう。
しかし、実際のパウロは、もっともっと自由な人でした。イエス・キリストの十字架の福音によって自由なものにされていました。ひとが救われるために求められるのは、信仰だけである。問われるのは、これだけだ、と。
わたしが今なお割礼を宣べ伝えているなら、「十字架のつまずき」もなくなっていたことでしょう、とパウロは書いています。「つまずき」(スカンダロン)とは、スキャンダルの語源です。憤慨ないし激怒の対象、という意味です。
イエスさまの十字架に憤慨し、激怒するのは、もちろん、ユダヤ人たちです。しかし、なぜ彼らが憤慨し、激怒しなければならないのか。イエスさまを十字架につけて殺したのは、彼ら自身です。その彼らにとって、イエスさまこそが救い主であると語るキリスト教徒の言葉は、許しがたいものであり、憤慨と激怒の対象であった、というわけです。
このようことを、十字架の福音を、みんなの前ではっきりと語っている、このわたしパウロを差し置いて、「あいつはユダヤ教に戻った」などという噂を流すのは誰なのか。お願いですから、そのような中傷誹謗はやめてくださいと、言いたいのです。
「あなたがたをかき乱す者たちは、いっそのこと自ら去勢してしまえばよい。」
ここでパウロは、この手紙の中ではおそらく最も過激な言葉を書いています。
わたしが実際に聞いた、この個所を説教された日本の有名な牧師が語った言葉を、今でも忘れることができません。「パウロが言っていることは、要するに、“根こそぎ切り取ってしまえ”、ということです」。
言ってみれば、それだけです。しかし、さらに調べていきますと、これは非常に痛烈で激しい皮肉であることが分かってきます。
旧約聖書の申命記23・2には、「去勢した者は主の会衆に加わることができない」ということが書かれています。そうだとすると、パウロの意図は、彼らは、自分の律法によって、自分自身が裁かれている、という意味になります。
また、別の解説によると、ここでパウロは、小アジア地方にあったとされる、キュベレという女神を祀っている大神殿に仕える宦官たちのことを考えているのかもしれない、と言われます。そうだとすると、彼らは、自分のユダヤ教信仰によって異教化している、という意味になります。
とはいえ、わたしたちまで、パウロのように、皮肉とか嫌味のようなことを、人に対して書き送る手紙のようなものの中に、勢いに任せて書き殴る、というようなやり方は如何なものかとも感じます。わたしたちは、こんなことまでパウロの真似をする必要はないでしょう。ただ、パウロの強い思いを読み取ることができれば、と思います。
(2004年10月10日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年10月3日日曜日
愛の実践を伴う信仰
ガラテヤの信徒への手紙5・2~6
「ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、霊により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」
ガラテヤの信徒への手紙は全部で6章ありますので、残すところ2章分となりました。全体の3分の2をやっと読み終えたところです。5ヶ月間、ただひたすらこの手紙だけを読んできましたので、少しお疲れになったかもしれません。
わたしの予定では、今日を含めてあと7回、11月21日の日曜日まで、この手紙を読んでいきたい、と考えております。そして、11月28日が今年のアドベント(待降節)第一主日ですから、その日から、クリスマスの準備として、イエス・キリストのご降誕についての話を始めたいと願っております。ご理解とご協力をお願いいたします。
さて、使徒パウロは、この手紙の中で、わたしたちキリスト者は、救い主イエス・キリストを信じる信仰によって、そしてまた、キリストご自身へと結ばれる(結合される)ことによって、全く自由にされた者である、ということを、一貫して語ってきました。
そのことが、先週はあまり十分な仕方ではお話しできなかった、5・1にも繰り返されていました。「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。」
そしてまた、先週は「分からない、分からない」の一点張りで押し通して読み流してしまいました4・21~31にも、最後に「要するに」と、パウロ自身が自分の語ってきたことを要約している個所がありました。「要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。」
ここから読み取ることができる、一つのことがあります。それは、パウロが「自由な身の女」と呼んでいるのは、じつは、イエス・キリストのことである、ということです。
もちろん、聖書を読むかぎり、イエスさまは女性ではなく、男性としてお生まれになりました。しかし、これは例え話です。男性であるイエスさまを「母親」として例えることには、いくらか違和感があるかもしれませんが、このあたりはあまり気にしないことです。
むしろ、ここで大切なことは、自由な母から生まれた者が、自由な子どもと呼ばれるのである、ということです。
自由な母が、自分の子どもを自由な人間に育てるのです。
自由な母は、自分自身が自由になったことを心から喜んでいるゆえに、自分の子どもがかつて自分が経験した不自由な人生に戻っていくことを、黙って見ていられないのです。
そして、もちろん、そのようなことを黙って見ていられないのは、キリスト者の産みの親であるイエス・キリストご自身だけではありません。いわば育ての親であるパウロも、黙って見ていられません。だから、パウロも言います。「だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。」
そして、もちろん、それはパウロだけの話でもありません。この点については、わたしたち自身も、同じです。最近ちまたで「ビフォー・アフター」という言葉を聞くことがあります。わたしたちにも、「ビフォー・アフター」があると思います。キリスト者になる「前」と「後」です。
ほとんど何も変わっていないようだ、とお感じになる方も、おられるかもしれません。もちろん、「違い」ばかりを無理に強調する必要はありません。
しかし、もし思い出していただけるものならば、ぜひ思い出していただきたいのです。おそらく、わたしたちのうちの多くは、「キリスト者になること」のために、激しい戦いや葛藤、あるいはまた、悶絶するような苦しみを味わい、しかし、それをたしかに勝ち取ってきた、という体験をしてきたのです。
わたしは、この松戸小金原教会に4月に転任させていただいて間もなくして、教会員の皆さんのお宅に訪問させていただきました。この秋には、客員や求道者の方々のお宅にも参りたいと願っておりますが、思うように事が運ばず、申し訳ない思いで一杯です。どうか、もう少しお待ちいただきたいと願っております。
しかし、まずは、教会員の皆さんのお宅に訪問させていただけましたことを、今は本当に良かった、と感じております。それは、やはり、皆さんの「生(なま)の声」を直接聞くことができたからです。いろいろな証しや、教会に対する思い、そして、率直なご意見を聞くことができました。
もちろん、皆さんからお話しいただいたことの多くは、わたしの胸の内にしまっておかなければならないことばかりです。しかし、本当にどなたも、率直に語ってくださいました。
そして、やはり、その中でとくに、皆さん自身が「キリスト者になること」のために、じつにさまざまな戦いや葛藤、痛みや苦しみを体験してこられた、しかし、それをたしかに勝ち取ってこられたことを、伺うことができたのです。
そして、まさにどなたからも伺うことができたことは、(神さまの前で証言いたしますが)、キリスト者になったこと、教会の交わりに加えられたことは本当に良かった、という喜びと感謝のお言葉でした。これは素晴らしいことです。
自分の人生そのもの、そして教会生活、信仰生活というものを、心から喜び、感謝することができる、というのは、素晴らしいことです。そうではないでしょうか。
そして、残念ながら、というべきでしょうか。わたしたちの人生には、少なくとも過去において、この人生そのものを、喜ぶことがも受け入れることもできなかった頃、というのが、たしかにあったのです。「ビフォー・アフター」の「ビフォー」です。
そんな昔のことは忘れた、と言われるかもしれません。しかし、おそらく、わたしたちは、このわたしの人生を十分な意味で喜ぶことができなかったのです。感謝をもって受け入れることができなかったのです。
ところが、まさにある日あるとき、たしかに何かが変わった。それ以前の生活との訣別といいますか、踏ん切りといいますか、新しい出発というべきものを、体験されたのです。
もちろん、わたし自身にも、そのような体験がありました。ただし、わたしの場合は、クリスチャンホーム育ちですので、キリスト者になる「前」(ビフォー)ということを、十分な意味で認識することができません。
しかし、ある日あるとき、救い主イエス・キリストというお方を、それ以前とは違った仕方で確信をもって受け入れることができたときのことを覚えています。そしてまた、「イエス・キリストを信じる信仰によって、自分の罪が赦された」ということを、真実として深く受け入れることができたときのことを覚えています。
そのような者として、わたしにも、パウロと同じ言葉を語る資格があると思っています。「だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」。
元の木阿弥になってはならない。後ろを振り向いて、後ずさりしてはならないのです。
自動車で、今来たその道を戻っていくことを「逆走」といいます。逆走は、道路交通法違反の現行犯で逮捕されなければなりません。逆走は、いけません。後ろではなく、前に進んでいかなければなりません。
わたしたちに今すでに与えられている、救い主イエス・キリストを信じて生きる人生を、心から受け入れて、喜びと希望をもって、前に進んでいきたい。そのように願うものです。
パウロは、今日開いていただいた5・2以下にも繰り返し、キリスト者になった者たちは、もはや、割礼というものを受ける必要はない、ということを強調して語っております。
最初の2節に、「わたしパウロはあなたがたに断言します」とあります。3節にも「割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います」とあります。
もっとも、ここで「断言します」とか「はっきり言います」というのは日本語としての翻訳上の強調であって、実際はそれほどのことが書かれているわけではない、と言えなくもないのですが、パウロの気持ちは、このとおりである、と言ってよいでしょう。
パウロは何を「断言し」、何を「もう一度はっきり言う」のか、といいますと、キリスト者になった者たちは割礼を受けるべきではない、ということです。
そして、パウロは「もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります」とまで言っています。口語訳聖書では「キリストはあなたがたに用のないものになろう」と訳されていました。さらに原意に即して訳すなら、「その場合は、あなたがたにとってキリストは、価値を失うことになるだろう」ということです。
キリストが「役に立たない」とか「用のない」とか「価値を失う」とは、どういうことでしょうか。
理解できない話ではないと思います。新共同訳聖書にも「あなたがたにとって」という言葉が正しく訳し出されています。あなたがたにとって、ということが強調されなければなりません。
なぜ強調されなければならないかと言いますと、キリストが「役に立たない」し、「用がない」し、「価値がない」と感じるのは、あくまでも、わたしたち側の「感じ方」の問題だからです。たとえわたしたちがキリストからどのような感じを受けようと、キリストご自身の価値が失われるわけではない、ということも申し上げておく必要があります。
宝石でも、豪勢な家屋敷でも、立派な自動車でも、それ自体が持っている価値と、それをわたしたちが「これは価値あるものだ」と感じるかどうかは別の問題です。
これから申し上げる言葉は、突然聞くとドッキリする言葉ですが、イエスさまがお語りになり、聖書に記されている言葉ですので申し上げます。「真珠を豚に投げてはならない」(マタイによる福音書7・6)。
価値あるものを、その価値が分からない者に与えてはなりません、というイエスさまご自身の教えです。その続きにイエスさまが言われたことは、こうです。「それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう」(マタイ7・6)。
しかし、問題は、なぜそうなのか、です。なぜ、すでにキリスト者であるものが割礼を受けると、その人自身にとってキリストは、「役に立たない」・「用のない」・「価値のない」ものになってしまうのでしょうか。
この問題は、わたしたちにとって、すぐに理解できるというほど簡単なものではないかもしれません。
といいますのは、ほとんど確実に言いうることは、わたしたち21世紀の日本でキリスト者である者たちが、「割礼を受けるべきかどうか」という問題で悩むことは、ほとんど無い、ということです。
ユダヤ教それ自体の影響が、日本の中にはあまり無い、と言いうる状況にあることも関係しています。たとえば、もし日本国内の至るところにユダヤ教のシナゴーグが立ち並んでいる、というような状況でもあるなら、「割礼を受けるべきかどうか」ということが、わたしたち自身の問題になるかもしれませんが、実際にそういうことはありません。
ですから、つい、このような個所を、わたしたちとはあまり関係ない他人事のように読み流してしまう可能性があるのです。
しかし、この点は考え置くとして、わたし自身、今日のこの説教の準備のために、パウロの言葉を繰り返し読みながら、ふと気づいたことがあります。それは6節の御言の中に書かれている一つの点です。
「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」
ここに、パウロは、はっきりと、「割礼の有無は問題ではなく」と書いています。これは別の読み方ができると思います。「問題は割礼の有無ではなく」、と。
つまり、今ここでパウロ自身が問題にしていることの中心にある事柄、核心的な事柄は「割礼を受けるべきかどうか」という問題そのものではないのだ、というふうにも読めるのです。
そうではなく、真の問題、本当の問題は、「愛の実践を伴う信仰があるかどうか」ということである、と。これが問題の核心である、と。
たしかに、「割礼を受けるべきかどうか」という問題は、今の日本では問題になりません。しかし、そのこと自体が問題ではない、と言われるなら、どうでしょうか。
「信仰があるかどうか」が問題である。「そこに愛の実践が伴っているかどうか」が問題である。こう言われるなら、わたしたちにも、他人事ではないでしょう。
「信仰がありますか。そして、愛がありますか」。
加えてパウロは「希望がありますか」と聞くかもしれません。さらに加えて「自由がありますか。そして、喜びがありますか」とも聞くかもしれません。
問われるのは、これらのことです。割礼は「問題にならない」のです。
(2004年10月3日、松戸小金原教会主日礼拝)
登録:
投稿 (Atom)