2016年8月8日月曜日

アタナシオスは世界を敵に回す(athanasius contra mundum)

ゲオルク・ジンメル『哲学の根本問題』
午前中ゲオルク・ジンメル『哲学の根本問題』を読む。趣味ではなく、教科研究として。「体系的形式という固定的完結性は、しばしば学説の内部生命に立ち入ることを妨げるものであり、また生命のほんの束の間の外皮として...見捨てられてしまう」に感動。

「哲学体系の抽象的で硬直した概念は、長いこと哲学体系に心を砕き、その深部での興奮を求めて努力した者の眼にのみ、概念内部の激しい動き、そこに息づいている世界感情の広がりを開いて見せてくれる」と、ジンメルが『哲学の根本問題』の「序」に書いている。説教も同じ。時間かけなくちゃ。

「教義学」(theologia dogmatica=教義神学)という言葉をタイトルとして初めて使用した本は、1659年にルーカス・フリードリッヒ・ラインハルト(Lucas Friedrich Reinhart [1623-1686])が出版したSynopsis theologiae christianae dogmaticae(キリスト教教義学概論)である(ファン・ルーラー全集(オランダ語版)第1巻、248頁の編注)。

教会の牧師だった25年(いつまたその続きがあるかはGod only knows)で得たある意味最大の経験値は「孤独忍耐力」だったかもと今日ふと思う。書斎で何時間でも何日でもひとりでいること多々。クリスマス等の大型イベントでも、すべて終わって最後片付けて教会の鍵を閉める仕事は牧師。

なので、牧師が「孤独」で悩んでいるという話がもしあっても理解できない。アタナシオスがクリスマス行事のあと教会の鍵を閉めたかどうかは知らないが、「孤軍奮闘」を意味するらしい「アタナシオスは世界を敵に回す」(athanasius contra mundum)という格言は納得しまくる。

教会の現実をご存じない方々はもしかして「群れているだけだ」と思っておられるかもしれないが、「群れている」わけではないからね。こと牧師は孤独に耐えてナンボ。強がっているわけでも粋がっているわけでもなくて本質的にそういう存在なのが牧師。そのこと知らずに牧師にならないほうがいいと思う。

生徒は夏休みでも、先生は学期再開の準備のために毎日勤務。キリスト教学校なので、職員室で毎朝お祈りをする。今日は私がお祈りの当番をした。夏休み中の生徒の健康と安全のためにお祈りした。いばってないよ、当然でしょ。夏休みが終わったら全員元気に学校に戻ってきてほしいと、マジで祈っている。

【追記】

上の書き込みに誤解される要素があったようですので、以下の点を追記します。

私が書いた「孤独」に悪い意味はありません。「会員との関係を築けない牧師」という意味の「孤立」ではありません。

イエスさまのオリブ山の「ひとりの祈り」や、十字架上の「孤独」を《追体験》(nacherleben)できなければ、どうして聖書の福音を宣べ伝えることができるでしょう。

ボンヘッファーの「ひとりになれない人は交わりに入ることに注意せよ。交わりに入れない人はひとりになることに注意せよ」(『共に生きる生活』)という言葉をきっとご存じだと思いますが、まさにその意味です。

もっとも、その場合の「孤独」は、イエスさまの十字架上の「孤独」の《追体験》(nacherleben)であるほどの「完全な孤独」の意味でなければならないことも事実です。「半分孤独、半分交わり」というようなバランス感覚ではなく、逆説的な弁証法関係です。

ボンヘッファーは「マコトニ神、マコトニ人」との類比で「孤独」と「交わり」の関係を考えていると思いますが、私は違います。教会の関係性は、他の団体(学校や政党や会社など)にたとえることができない独特の関係性なので、どう言ってもどのみち誤解されてしまうところがあります。

教会の関係性は学校や政党や会社等とは異なる独特の関係性であると、いま書いたばかりですが、学校の教師の「孤独」や、政治家や首相の「孤独」や、会社の社長や役員の「孤独」などと、牧師の「孤独」は、ある意味で似ていなくもありません。リーダー論のような話でもないのですが。

ちょうど10年前に出たようですが、吉本隆明さんの『ひきこもれ』という本の趣旨は、完全に合致はしませんが、私の言いたいことにある意味で最も近いです。ひとりの時間を苦にするな、ということです。

ファン・ルーラーだけでなく、読みはじめて何年目かになる青野太潮先生の「十字架の神学」の影響が、私に加わってきています。書きはじめると長くなるのでやめますが、「十字架の逆説」の問題です。「孤独こそが交わりである」というような言い方になります。

私は博士論文を書いたことがないので、自分の体験として語ることができる立場にはいませんが、あれを書くためには「完全な孤独」と言えるほど長期にわたって引きこもらなければならないようです。途中でチャラチャラしているようだと完成しないし、失敗する。それと似ています。

そういえば「どうでもいいですよ」という歌がありましたね

6月28日に購入したが読んでいない(実はあまり興味がない)
要らぬ釈明ではあるが、都知事選についても、8月6日についても、リオ五輪についても全く触れようとせず、自分のどうでもいいことばかり書いているのは、社会や政治に無関心だからではなく、慎重になっているからでもなくて、ネットの皆さんのたくさんの情報を読ませていただくことで精一杯だからだ。

うっかり忘れていたが、ファン・ルーラーの文章に「神学」の落とし穴を鋭く指摘する言葉がある。たとえば「絶対的なものを追い求め続ける人は非常に惨めな結末に至る。自分の人生を指と指の間にはさんでいるような感覚、あるいはまた、本来の自分の姿をいつも忘れているというような感覚に襲われる。」 

あるいは、「我々は自分ひとりだけで何かの責任を負うのだろうか。あるいは、もっと性急に我々はあらゆることの責任を負うのだろうか。そうなると我々はまるで全世界をひとりで背負うアトラスのようになる。まるで自分が巨人か英雄でもあるかのような感情を抱きながら毎日を過ごすようになる」など。

両者ともファン・ルーラーのエッセイの一節である。各エッセイのタイトルは、前者が「相対的なことを真剣に」(1956年)で、後者が「我々は神なしでありうるか」(1966年)。あいだが10年開いているが、基本のパースペクティヴが変わっていない。いずれも「神学」の落とし穴を指摘している。

「自分の人生を指と指の間にはさんでいるような感覚」と「まるで自分が全世界をひとりで背負うアトラスであるかのような、巨人か英雄のような感情を抱きながら過ごすようになる」は、一見正反対のことを言っているようだが、趣旨は同じだ。自分の人生を指先ではさむ巨人に自分がなっているということだ。 

絶対的な存在こそが何よりも大事なのであって、それと比べれば相対的なものは大したことがない。自分自身の存在も、世界の存在も、絶対的な「神」と比べれば大したことがない、という論理と感情にとらわれているときの我々は非常に危険な状態にある、ということをファン・ルーラーは鋭く指摘している。 

そういう論理と感覚のとりこになってしまわないで、もっと遊ぼうぜ、楽しもうぜ、相対的なことに真剣に取り組もうぜ、どうでもいいことに関心を持とうぜとファン・ルーラーは言っている。こういう話は、高校生は嫌がるかもね。根が真面目だもんな。「その場しのぎで軽薄だ」とか言われてしまいそうだ。

私のキャパが小さいだけなのに、まるでみんなが同じ結論でなければならないかのような書き方をしていると、これはこれで叱られてしまうだろうが、全世界をひとりで論じ尽くせる人は存在しないという断言口調の言葉に慰められる人はいると思うので、私のキャパの問題は度外視して書いておくことにする。

ファン・ルーラーのエッセイ(いずれも拙訳):

「相対的なことを真剣に」(1956年)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2013/03/1956_22.html

「我々は神なしでありうるか」(1966年)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2013/03/1966.html

2016年8月7日日曜日

「内向け」の話し方と「外向け」の話し方

記事とは関係ありません
私が過去に居住し、「教会担任教師」(伝道師、牧師)として働いたのは4箇所。高知県、福岡県、山梨県、千葉県。最初の高知県では親である教会(南国市)が子である伝道所(高知市。後の教会)を生み出す「開拓伝道」に従事したので厳密にいえば高知県内の2箇所(南国市、高知市)で計6年間働いた。 

第二の福岡県(北九州市)の教会ではわずか10ヶ月しか働かなかったので、客観的な記録としてはカウントできるとしても、自分の自覚としても、おそらくその教会の方々の感覚としても、「教会担任教師」としての責任ある働きができたとはとても言いがたい。申し訳ないことをしたと、今でも思っている。

第三の山梨県も「1箇所」としてカウントすべきかどうかで悩む要素がある。着任時は甲府市にあった教会が、7ヶ月後に甲府市の西隣の中巨摩郡敷島町(現在の甲斐市)に転居したからだ。転居と同時に教会名称を変更した。本質的には同一の教会だが、すべてが刷新された。山梨県では計5年9ヶ月働いた。

そして現時点では最後の第四の千葉県(松戸市)の教会では、過去最長の11年9ヶ月働いた。高知県6年+福岡県10ヶ月+山梨県5年9ヶ月+千葉県11年9ヶ月を足しても24年4ヶ月にしかならないが、福岡県と山梨県の間に1年半の神戸滞在がある。後からとってつけた言い方をすれば「国内留学」。

それとは別にカウントを難しくする要素がある。日本基督教団の場合、按手礼を受けていない教師を「補教師」、受けている教師を「正教師」と区別するが、「補教師」は「教師」であるという認識は教団内では一致している。しかし、按手礼を受けていない人は「教師」でないとする考えも教団の外にはある。

その立場の人々からすれば、私が日本基督教団の「補教師」(未按手教師)だった期間を「牧師」として働いた期間としてカウントすることには違和感があるだろう。私はどちらでもいいのだが。しかし、「伝道師」が「教会担任教師」(教会で働く教師)であることは、日本基督教団においては確実な認識だ。

どうして私が今こんなことを書いているのかといえば、私が最近よくネットでもリアルでも「25歳で牧師になって25年間教会で働いて現在50歳です」というような自己紹介をしているのは、話を一般向けに分かりやすくしているだけのことで、なんら厳密な話ではないと釈明する必要を感じているからだ。

「25歳で牧師になった」というのも実は厳密な言い方ではない。1965年11月生まれの私は「日本基督教団補教師」としての准允を受けた1990年4月は24歳だった。それを25歳だ25歳だと言っているのは、さばを読んでいるわけではなく、これまた一般向けに話を単純化しているだけのことだ。

自分の過去の経歴についてどうのこうの言いたいわけではない。経歴詐称をしているつもりもない(そんなことする必然性がない)。むしろ逆。「これまでナニしてきたんですか」という質問を受ける機会が増えたので、ごく大雑把に説明するために「25歳+25年=50歳」という方便を使っているだけだ。

「内向け」の話し方と「外向け」の話し方を変えてはいけないだろうか。「伝道師」と「牧師」の違いも、「補教師」と「正教師」の違いも、「准允」と「按手」の違いも、「伝道所」と「教会」の違いも、外部の方々はご存じないし、おそらく興味もない。外向けに話を分かりやすくすることは詐称ではない。

小金教会の主日礼拝に出席しました

今日(2016年8月7日日曜日)は日本基督教団小金教会(千葉県松戸市小金174)の主日礼拝に出席させていただき、聖餐の恵みにも与りました。明日から水曜まで全国連合長老会中高生修養会が行われることを知り、中高生のためにお祈りしました。

日本基督教団小金教会(千葉県松戸市小金174)
今日出席させていただいた日本基督教団小金教会(千葉県松戸市小金174)はJR常磐線「北小金駅」から徒歩9分(750m)。JR「東京駅」から電車と徒歩で最短52分。とても便利です。首都圏の教会をお探しの方に小金教会をおすすめします。

JR常磐線「北小金駅」から徒歩9分(750m)

2016年8月6日土曜日

原稿依頼が届きました!

納豆朝食
今朝はやっとちょっと夏休みらしい寝方ができた。といっても教員の夏休みではまだない。朝5時にセットしたままのケータイアラーム音で目が覚めるも、すぐ止めて睡眠時間延長。起床9時半。おお快挙。でも寝始めたのがいつもより遅くて2時半頃になったので、実質2時間延長。爆睡というほどではない。

以前も書いたが、「紙の本」の利点は、ひとりの思想家を追いかける場合、その人の/についての著作物の総量を目で見ることができることだ。パーフェクトコレクションは無理だとしても。かなり巨大な著作家でも、製本されているものを全部タテに並べると、両腕を最大に広げたくらいで収まることが多い。

マンガは別だ。字と絵のコラボで分量が多くなるのは当然。それはそれですばらしい。いま書いているのは字だけで書かれた本(しかも主に神学書)をひとりの人が一生かけてどれくらい書けるか。両腕を最大に広げたくらいの4倍ほど私が持っているのはカール・バルト。でもそれも原著と翻訳の両方を含む。

こういう話を「デジタル本」についてはできない。両腕をめいっぱい広げたくらいの分量だという説明が成立しない。書斎の本の総量を減らすために、すべてをデジタル化したうえですべてを売却ないし廃棄したいという衝動にかられなくもないが、躊躇はある。それで毎日、本の谷底で睡眠。最近地震が多い。

書かないほうがよさそうな明らかに口幅ったい言い草ではありますが、隠退を考えておられる牧師先生がたに切にお願いしたいのは、教会を壊して(建造物破壊の意味ではないです)おやめになることだけはくれぐれもないように、次の牧師を招聘できる体力を教会に残していただけるように、ということです。

生徒が夏休み中でのんびり気分の土曜日の朝は、自宅(借家)でひとり納豆朝食。納豆が苦手な人ごめんなさい。山椒の佃煮は「さん志ょうや本家」(兵庫県宝塚市)の高級品。同僚の先生からいただきました。とても美味しいです!ありがとうございます。

政治と法が不可分の関係にあることは断言できるが、「法は倫理の最低限」という意味では、法の論理を超えた言葉は現実生活の中で許容されるべきだとも思う。理詰めで考える場合も、こと政治問題にかんしては、適法かどうかだけを問う人が多いし、それで間違っていないと思うが、それがすべてではない。

法学や政治学の話をしたいわけではない。宗教と神学と聖書の話をしたがっている。新約聖書の使徒パウロのローマの信徒への手紙の話をしたがっている。「あなたがたはノモス(律法=法)のもとではなく、カリス(恩恵=法を超えたもの)のもとにいる」(ローマ6章14節)という話をしたがっている。

でも、長くは書かない。すぐに終わる。理詰めが苦手だからだ。というか、いつでも一定の論理を定めて詰めていくような考え方や話し方をイヤだと思うからだ。読む前聴く前から結論が分かっている話を、私は読みたいとも聴きたいとも思わないので私もしない。自分にしてほしいと思うことを人にもせよだ。

東京神学大学の学生だった頃、一般教養の精神医学で、赤星進教授の講義を受けたひとりだが、赤星教授推薦のテレンバッハ『メランコリー(改訂増補版)』木村敏訳、みすず書房、1985年)はよく読んだ。秩序(オルトヌンク)からの解放が精神衛生にとって重要であることを理解させてもらえる名著だ。

脳の機能不全に関してはシロウトが立ち入ることのできる余地は全くない。宗教と聖書と神学にできるのは、「あなたがたはノモスのもとではなく、カリスのもとにいる!」と宣言し、説得し、法秩序遵守主義の堂々巡りから解放されて、もっと自由で気楽な人生を送れるように、互いに励まし合うことだけだ。

やたらとだらだら字を書きたくなるのは、土曜日の解放感ゆえか、真夏の暑さにうなされているのか、たぶんそのどちらかだ。

「教会に通わせても治らなかった」と親御さんに言われたことがある。「教会は病院ではない」という答えがありうるが、ならば教会とは何なのかをよく考えなくてはならない。教会に医師やカウンセラーがいれば解決するかというと、そうでもない。教会はノモスから完全にフリーかというと、そうでもない。

「これは脳の病気である」と判断するのも人の脳であることも考えなくてはならない。この件に関して純粋な客観性はないと考えるほうが妥当。「これは脳の病気だ」と考えたがる傾向を持つ脳の病気があるのかないのか。脳は自分にとってより受け容れやすいほうを選択する傾向を持つらしい。薬物依存然り。

脳機能障害(法的表現)の方々を攻めて(または責めて)いるのではなく、教会の護教や防御をしているのでもなく、お互いに少しでもストレスが軽くなればと心から願っているだけだ。そこから先は極度にプライバシーの領域であるゆえに、踏み込むことはほとんど不可能である。

なるほど南方熊楠さんの名前は山川出版社の倫理の教科書に載っていたのですね。そういう事情でしたか。別のルートで学ばれたかもしれませんが、教科書的存在ということであれば、ある意味で納得しました。私が高校生だったころの倫理社会の教科書に載っていたかどうかは覚えてません。どうだったかな。

今夜は少し早めにひとりで美味しいカレーを食べた。冷凍保存していたごはんをレンジで解凍し、トップバリューさんの50円レトルトカレー(200グラム!)を2つ買って(さらに倍!400グラム!)レンジで温めてごはんにかけ、スーパーのお惣菜コーナーで買った野菜かき揚げを乗せて。超贅沢だ!

facebookをツイッターのように使うと、ひと昔前だと(そんな昔からあったのか)「場をわきまえろ」的なことを言われたものだが(そうだったのか)、最近は状況が変わったと思う。facebookのツイッター化。もナニも、使い方のルールなんか初めからなかった。自分でルールを作ればよし。

ちなみに私は「既読」がついて「読みやがれ」「なぜ読まない」「いつ読むのかイライラ」的強制力が機能する連絡ツールは、精神衛生上、自分からすすんでは一切使わないし、極力使いたくないので、その種のものは基本すべてスルー。だんだんそう悠長なことを言えなくなってきているのだが。ひたひたと。

おお、『現代の倫理』(山川出版社、2016年)の筆頭著者の濱井修先生(1936年-)は私は存じないが、東大と東京女子大で長く教えられた倫理学者で、マックス・ヴェーバーの研究が多い方なのだな。ヴェーバーとトレルチの関係は当然ご存じだろう。私が今考えていることは的外れでもなさそうだ。

原稿依頼のようなものが来なくなって、何年になるだろう。完全に忘れ去られたなと寂しく思っていたら、昨日はがきで久しぶりに原稿依頼が届いた。日本基督教団東京教区千葉支区の支区報『しののめ』最新号(第36号)の「新人教師紹介」の原稿(700字)。一生懸命書きます!ありがとうございます!


2016年8月5日金曜日

平積み生活 8ヶ月目

またすぐに平積みに戻されるトレルチ
昨年末(2015年12月24日)に今の借家に引っ越して来て8ヶ月目に突入したが、多くの本が平積みのままだ。その中から久しぶりにトレルチ関係の本を引っ張りだしてみたが全部は揃わない。かなり深い地層に潜ってしまっているらしい。やれやれ。

まあべつに本は飾っておくものではなくて読むものなので、本棚が無くても平積みでもそれ自体は問題ないのだが、それって、どうせ同じお腹に入るんだからという理屈でメインディッシュのビーフステーキの上に熱いコーヒーをぶっかけて、その上にデザートのアイスクリームを乗せて食べるような感じかも。

もう少しリアルなたとえで言えば、平積み生活は、うっかり手を滑らせてノートパソコンをコンクリート床の上に落とし、ハードディスクがめちゃくちゃに壊れてしまった状態に似ている。マザーボードに破損がなくCPUやメモリーなどの調子がいくら良くても、どうしようもないというか、仕事にならない。

その意味では、もちろん私は今の平積み生活からなんとか抜け出したいと願っているし、その努力もしているが、なかなか問屋がおろさない。でもまだかろうじて毎日明るく前向きに生きていけるのは、どう言ったらいいのか、「この本は全部自分のものだ」という思いがあるからかも。古本ばかりなのだけど。

これは報告しなくては。先日落札した『現代の倫理』(山川出版社、2016年)が古書店から届いた。教科書の最新版が未使用で古書店に出回っているというのはどういうことか分からないがあえて問うまい。店長さんがとても丁寧な方で、うれしかった。
『現代の倫理』山川出版社、2016年

プロテスタントのどこがダメかを骨の髄まで

画像の岩波文庫はアンセルムス『クール・デウス・ホモ』
今日はトレルチの論文「倫理学の根本問題」(1902年)を紐解きながら聖書と倫理の歴史的関係を追跡。トレルチは学校現場で読むと彼の意図がよく分かることを実感。「聖書は倫理の代替でありうるか」という焦眉の問題の核心に迫る。

トレルチの論文「倫理学の根本問題」(Grundprobleme der Ethik. Erörtert aus Anlaß von Herrmanns Ethik, 1902)が書かれたのは100年以上前。改めて読んで、プロテスタントのどこがダメかを骨の髄まで知らされ、涙が出た。

ほら、そこ、私が今「プロテスタントのどこがダメかを骨の髄まで知らされ」と書いただけで拒絶反応を起こしているあなた、まさにそこがダメなのだ。そこをトレルチが直接指摘しているわけではないが、他者への攻撃にはめっぽう強いのに、他者から批判されたり、自己批判したりすることにめっぽう弱い。

天才というのは間違いなくいる。トレルチの文章を読みながら、そんなことまで思わされた。今の我々、いやピンポイントの私の状況を、100年以上前のドイツでぴたりと言い当てている。大雑把な占い師然とした当てずっぽうとしてでなく、徹底的な研究と厳密な学問的手続きを経て。かなわないと思った。

ありがたかったのは、トレルチ自身が前世紀初頭のドイツのプロテスタント教会のど真ん中に立ち、激しい苦悩と惨めさの中で書いた文章だと思えたことだ。なんら他人ごとではない。泣きながら書いたのではないかと感じるほどだ。外で言うなとは言わない。だが、中に立ち続けつつ言える人を私は尊敬する。

2016年8月4日木曜日

神学は理系向きの学問だと思う

Windows10「アニバーサリー・アップデート」インストール完了
バルトの神学が贖罪論中心だったのは、私見によれば、キリストが十字架で遺棄されることで万人が救いへ選ばれるという彼の思想ゆえだった。万人の救いを擁護する人は少なくないが、贖罪論中心を批判する人も増えてきた。「万人は救われるが、贖罪論は中心ではない」とする論理はどうしたら成り立つか。

というようなことを、勤務校からの帰りの車の中で考えていた。申し訳ないことに最近カーステで流す音楽はレベッカさんでもコブクロさんでもない。かつて一時期夢中で聴いてその後いったん沈静化し、長年を経て再び聴きはじめた曲への関心の再沈静化は音もなく訪れる。歳をとった証拠かも。若干寂しい。

理系クラスの中に、聖書の授業が終わると質問しに来てくれて、聖書の中のこのこととあのこととを両立させようとすると論理的な矛盾が起こるのではないかという趣旨のことを言ってくれる生徒がいる。正直アタマが下がる。そうだ、それが神学的思考というものだよ。神学は理系向きの学問だと思うよ事実。

2016年8月3日水曜日

「夢を見ることは時には孤独にもなるよ」と康さんが書いて康さんが口ずさむ

昼休み中、シュールだったので記念写真(除籍本です)
まあいいや。私に教師はいなかったんだった。昔からかわいくないもんな。多くの方にお世話になった。感謝の心を失ったことはない。その意味ではその全員が私の教師だ。でもどなたかの弟子にしていただいたことはない。強いて言えばファン・ルーラー先生だな笑。私が5歳のときに亡くなられた方だけど。

考えたことがなかったが、私が幼稚園年長組だった6歳になったばかりのクリスマス礼拝で成人洗礼を受けた1971年12月26日(日)は、ファン・ルーラー先生がまだ若い62歳で突然の心臓発作で亡くなった1970年12月15日(火)のほぼ1年後だったようだ。無理やり関連づけてみただけだが。

私は自分には教師はいないと思っているし、どなたかの弟子にしていただいたことは一度もないと思っているので、私も教会や学校に自分の弟子がいると考えたことは一度もないし、今後も考えることはありえない。みんな私を友達だと思っている。いいよそれで。そのほうがお互い気楽。弟子とかキモいし笑。

とにかく夢中の数ヶ月の中で知らずにいた歌謡曲を、このところ毎日聴いている。「夢を見ることは時には孤独にもなるよ 誰もいない道を進むんだ」と康さんが書いたらしい歌詞を、康さんが口ずさむ。無理やり関連づけてみただけだが。

あらあら、もうこんな時間か。そろそろ休むとしよう、明日も勤務だ。

2016年8月2日火曜日

青春の盛夏の聖書

みんな大好きだ!
目に見える私の持ち物はといえば大多数は本だ。あとは何もないと、何ら大げさでなく言える。私の部屋は紙のにおい以外、ほとんど無臭だ。だって何もないもの。「本ばかり集めて、物欲のかたまりですよね」と言ったら大先輩の先生(地歴科)が「それは物欲とは言わないよ」と教えてくださった。

生徒の夏休み中は当然授業はない。今日はずっと職員室にこもって教科会議資料づくりに没頭。仮タイトル(変更の可能性が高い)は「聖書と進学」。誤変換ではない。「受験に関係ない」と言われる教科をどう改革していくか。「新入りなので」は黙っている理由にならない。聖書の授業は休憩時間ではない。

4年後(2020年頃)にはセンター試験が廃止され新しい入試制度が導入される流れなので、宗教科としてもそういうことをしっかり見据える必要がある。宗教と人生が関連しあっていることはかなり認知されていると思う。学校において重要なことは、それを正規の「教科」としてどのように実現するかだ。