2015年5月28日木曜日

閉口箇所

教会で「世間」は学べます
学業のみ卒えて牧師になる者たちは「世間を知らない人たち」だと、教会の中で、たいていの場合ネガティヴに評価する向きがある。言わんとすることが分からないわけではないが、困惑は相当ある。私の話ではない。会議のような場所で一般論としてこういうことを平然と述べる人がいるので、閉口してきた。

そういう評価が教会に根強くあることを熟知する牧師志願者の中に、なかばその批判をかわすためのエクスキューズ目的で「何年か」回り道して、牧師になる人がいると思う。それが悪いわけではない。でも、気にはなる。「教会の外」を指す「世間」というのは、そんな「何年か」ごときで分かるものなのか。

学校もそうだ。高卒で神学部に入学し、卒業してすぐ牧師になれば、なるほど「つぶし」はきかない。このご時世、別の仕事をしながらでないと牧師を続けるのが難しいことも事実。その事情を熟知する人が「何年か」回り道する。だけど、そんな「何年か」ごときの副専攻できく「つぶし」が足しになるのか。

他人の生き方をとやかく言いたいわけではない。ただ、教会の中でも十分すぎるほど「世間」は学べるのだが、とは言いたい。他のどこよりタテ社会だったり、他のどこより手に負えない修羅場だったりする場合があるし、他のどこより慎重さを要する場合もある。それに、情報源に事欠くことは今はもうない。

しかし、そういうことよりもっと気になるのはやはり、そんな「何年か」ごときのエクスキューズ回り道で分かるような「世間」なのかという問題のほうだ。「何十年か」の人もいるだろうが、人生には年限がある。はっきり言うと語弊が出るが、「残り数年」で分かるような「教会」なのかと言いたくもなる。

「なめてる」「なめてない」というような低次元の話にはしたくない。言いたいことは、ひとつだけだ。教会で「世間」は十分学べる。神学部「しか」出ていないとか、牧師「しか」したことないとか、自分で言ったり人に言われたりするのは自由だが、現実はそんなに単純ではないのだが、と言いたいだけだ。

2015年5月27日水曜日

終末論的にユスラウメを味わいました

今日一日のハイライトをまとめました。緊迫のドキュメント。

今日は祈祷会終了後、ユスラウメをいただきました。私は初めてでしたが、さくらんぼのようで美味しかったです。

ユスラウメを食べたのは私は初めてでした
おひるは、BIGチキンカツ弁当をいただきました。「デイリーヤマザキ松戸小金原店」で買いました。美味しかったです。阿藤店長、ごちそうさまでした。

BIGチキンカツ弁当を食べました
午後は教会月報『まきば』と教会カレンダーの印刷作業でした。私は原稿を書いただけです。編集・印刷・紙折り・配布は、すべて教会の方々がしてくださいます。

教会月報と教会カレンダーができました

以下は『まきば』の巻頭言「今月の言葉」の全文です。

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松戸小金原教会月報『まきば』第420号(2015年5月31日発行)

巻頭言「今月の言葉」

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。」
(マルコによる福音書13:32)

牧師 関口 康

イエス・キリストが再び来てくださり、神が世界を完成してくださる終末がいつであるかは誰も知りません。「何年何月何日が終末です」というデマに惑わされてはいけません。

それがいつであるかが分からないことがわたしたちの人生に緊張をもたらします。だからこそ、イエスさまは繰り返し「目を覚ましていなさい」と教えておられます。

しかし、わたしたちは、目を覚まして、緊張して、何をすればよいのでしょうか。「心配で夜も眠れません」「緊張しすぎて何もできません」ということになっては困ります。当たり前の日常生活を、神と教会に励まされながら、地味に地道にコツコツと営むことが大切です。

ある教会の牧師(故人)のおくさまから伺った話です。まだ若かった先生が在職中に亡くなりました。その数日前に、子どもさんが亡くなりました。二人の家族を続けて失いました。失意の中で何日も寝込んでしまったそうです。無理もないことです。

しかし、ある日、ふと我に返ったそうです。「洗濯をしなくちゃ。ごはん作らなくちゃ」。その思いで立ち直ることができました、と教えてくださいました。

日常生活は、ふだんはただひたすら面倒なだけかもしれません。しかし、失意の中にあるときは、日常生活こそが人を救います。

2015年5月26日火曜日

自伝を書く年齢ではないが

しつこいようだが学生時代はこういう車に乗っていた
実を言うと、ひとり暮らしをしたことがほとんどない。厳密に言えば、過去まもなく50年の人生で、1年だけある。大学生だった婚約者の卒業を待つ1年だった。私は四国、妻は東京。当時ネットがなく、電話は高いので、連絡に苦労した記憶だけが残っている。でも、いま書いているのは、別の話題である。

高校からストレートで東京神学大学に入学した。生後から高卒までの18年間は実家で過ごし、東京神学大学の6年間(大学院まで)は学生寮で過ごし、1年だけひとり暮らしの後、結婚して来年で25年になる。18+6+1+25=50。計算は合っている。子ども二人。いま大学生の男子と高校生の女子。

まだ過去を振り返って懐かしむ年齢に達していないという自覚くらいはあるのでウカツなことを書いて地雷を踏まないように気をつける所存だが、幸せだったかどうかを問われれば、「もちろん私は幸せだった」と照れながら当然のように答える。しかし妻子にはいろいろと辛い思いをさせてきた。申し訳ない。

facebookのプロフィールを書くと「住んだことがある場所」を自動的に表示してくれる。合計9個所。岡山県岡山市(出身地)→東京都三鷹市→高知県高知市→高知県南国市(ここで結婚)→福岡県北九州市→兵庫県神戸市→山梨県甲府市→山梨県甲斐市→千葉県松戸市(現在地)。引っ越しは疲れる。

これからどうなるかは分からない。古い考えなのかどうなのか、伝道者は神の召しに応えてどこでも行けるように固定資産を持たないほうがいいと信じてきたので、そういうものは全くない。地方教会の牧会が長く、大学や神学校の図書館が遠かったので、本だけは自前で抱えてきた。重いものは、それだけだ。

来年で結婚25年。最初の15年間は、家事というものをすべて妻に押し付けてきた。本当に申し訳ないことをしてしまっていた。その後、自分でもするようになり、子どもの弁当作りをした年もある。今では、だいたい何でもできるようになった。公共料金の支払いなどもすべて私がする。億劫でなくなった。

幼児の頃から運動が苦手で走るのが遅い。球技は特にひどく、前にまっすぐボールを投げることさえいまだにできない。幼稚園児の私についてのイラストだったはずだが、亡き伯母から「ずっとひとりで黙って本を読んでいるような子だった」と言われたことがある。当時の記憶はないが、さもありなんと思う。

はっきり分かるのは、私はうさぎではありえないということだ。ならば亀か。それも分からない。ゆっくりのろのろ歩いて来たことだけはたしかだ。シャーペン以上重いものを持ったことがないと豪語していた。今はシャーペンさえ持たず、指先でカチカチ音を鳴らしているだけ。絵に描いたような無芸大食だ。

ここで話が終わるほうが面白い気がするので、ここで終わることにする。

コスパ教育

聖書と改革派教義学を哲学と現代神学が塞いでいる(まずい)
自慢するのをお許しいただきたい。親の私ががーがーがーがー口うるさく言い続けたせいで(ごめんよ)、うちの大学生男子も高校生女子も、あらゆることのコスパを考える人間になった。目標のクオリティは決して落とさず、そこに至る最良・最短・最安コースを選択し、着実に攻略する。ありがたいことだ。

しかし、今書いたことは誤解されたくないと思っている。見下げられたくもない。「目標のクオリティは決して落とさず」に強調がある。「そこに至る最良・最短・最安コース」についても最大の強調は「最良」にある。それは単純な話ではない。複雑で微妙なニュアンスを含めてうるさく言ってきたつもりだ。

あくまでもたとえだが、愚痴を聞いてもらえる優しい店長や元気な高校生バイトの子たちが頑張っている徒歩5分のコンビニの商品と、自動車でしか辿り着けない郊外型の量販店の商品を比べて、後者が2円から100円安いとする。私は迷わず前者を選ぶ。そんな値段の比較自体が時間の無駄なので、しない。

想像の要素を含んだ言い方で申し訳ないが、最近は、歩いていける範囲にコンビニ一つ見当たらない町が増えているのではないだろうか。しかし、我々はいつまでも自分で車を運転できると思わないほうがいい。いつか老いる。自分の力では何もできなくなる。長い目で見れば、最寄りのコンビニはありがたい。

お店の話だけではない。学校も病院も、可能であれば職場も(そして教会もとカッコつけてそっと書く)みな同じことが言える。近ければいいわけではないし、安ければいいわけでもない。ただ「最良」でなければならない。「目標のクオリティ」そのものは一切譲ってはならない。そこを譲ると一生後悔する。

それはもちろん、自分の価値観でよいし、そうでなければならない。他人だ世間だの評判だ平均だ統計だに振り回されてはならない。親の意見にも振り回されるなと、親の私が口うるさく言い続けてきた自己矛盾。まあ、それはともかくとして。簡単に言えば、どうぞご自由に生きてくださいという話ではある。

うるさく言い続けはしたが、私には責任はない。「親の意見に振り回されるな」と、さんざん言ってきたのだから。もう知りません(笑)。

2015年5月24日日曜日

ツイッターの140字枠を利用して説教原稿を書いてみました

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂

さっそくですが、ツイッターの「140字枠」を利用して説教原稿を書いてみました。今日のペンテコステ礼拝の説教原稿は「26ツイート」(3640字)でした。はたして論旨の明瞭さ等において少しは改善されているでしょうか。

教会の時代(2015年ペンテコステ記念礼拝説教)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2015/05/24.html

使徒言行録2・1~13

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信仰深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。』人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。しかし、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って、あざけるものもいた。」

今日はペンテコステ礼拝です。「ペンテコステ」という言葉は何度聞いても耳慣れないものがあります。意味を説明すべきかもしれませんが、これは固有名詞であると考えてください。毎年ペンテコステという日がやってくる。その日に教会に行くとペンテコステ礼拝がある。そういうことだと覚えてください。

「ペンテコステ」という言葉の意味は、重要ではありません。それが分かったからといって「ペンテコステ礼拝」の意義が分かるわけではありません。重要なのは「ペンテコステ礼拝」を行う意義です。ごく大雑把に言えば、今日はキリスト教会の設立記念日です。それが「ペンテコステ礼拝」を行う意義です。

5月24日がそうだという意味ではありません。日付は毎年変わります。なぜ毎年変わるのかも説明すべきかもしれませんが、それも割愛します。日付もあまり重要ではないからです。しかし、乱暴に言い過ぎることは控えます。日付に関して大切なことが、ひとつあります。それは、イースターとの関係です。

今年のイースターは4月5日でした。どうしたことでしょうか、今年から突然、日本中で「イースター、イースター」と大騒ぎでした。大騒ぎの波に乗って教会にたくさん人が来てくださればよかったのですが、残念ながら、そういうふうにはなりませんでした。いえ別に、文句を言いたいわけではありません。

そして今日が5月24日。4月5日から7週間後です。一週間が7日。7週かける7日は49日。たす1日で50日。つまりイースターから50日目がペンテコステです。これは毎年同じです。イースターの日付も毎年変わりますが、イースターの50日後に必ずペンテコステが来るという関係は変わりません。

毎年変わらないのはイースターから50日目にペンテコステが来ることです。イースターとペンテコステのこの関係が重要です。しかし、50日であるのは歴史の事実に基づいているだけです。50日でなければならないわけではありません。重要なのは、イースターの後にペンテコステが来るという順序です。(続きは「説教」ブログで

スライドにしてみました。ハーフミラーのプロンプターが欲しくなります(要らない要らない)。

教会の時代 ペンテコステ礼拝

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
使徒言行録2・1~13

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信仰深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。』人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。しかし、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って、あざけるものもいた。」

今日はペンテコステ礼拝です。「ペンテコステ」という言葉は何度聞いても耳慣れないものがあります。意味を説明すべきかもしれませんが、これは固有名詞であると考えてください。毎年ペンテコステという日がやってくる。その日に教会に行くとペンテコステ礼拝がある。そういうことだと覚えてください。

「ペンテコステ」という言葉の意味は、重要ではありません。それが分かったからといって「ペンテコステ礼拝」の意義が分かるわけではありません。重要なのは「ペンテコステ礼拝」を行う意義です。ごく大雑把に言えば、今日はキリスト教会の設立記念日です。それが「ペンテコステ礼拝」を行う意義です。

5月24日がそうだという意味ではありません。日付は毎年変わります。なぜ毎年変わるのかも説明すべきかもしれませんが、それも割愛します。日付もあまり重要ではないからです。しかし、乱暴に言い過ぎることは控えます。日付に関して大切なことが、ひとつあります。それは、イースターとの関係です。

今年のイースターは4月5日でした。どうしたことでしょうか、今年から突然、日本中で「イースター、イースター」と大騒ぎでした。大騒ぎの波に乗って教会にたくさん人が来てくださればよかったのですが、残念ながら、そういうふうにはなりませんでした。いえ別に、文句を言いたいわけではありません。

そして今日が5月24日。4月5日から7週間後です。一週間が7日。7週かける7日は49日。たす1日で50日。つまりイースターから50日目がペンテコステです。これは毎年同じです。イースターの日付も毎年変わりますが、イースターの50日後に必ずペンテコステが来るという関係は変わりません。

毎年変わらないのはイースターから50日目にペンテコステが来ることです。イースターとペンテコステのこの関係が重要です。しかし、50日であるのは歴史の事実に基づいているだけです。50日でなければならないわけではありません。重要なのは、イースターの後にペンテコステが来るという順序です。

イースターは、十字架にかかって死んだイエスさまが復活されたことを記念する日です。しかし、復活されたイエスさまのお姿を目撃したのは、イエスさまの弟子たちだけでした。そのときの彼らのことをわたしたちは「教会」とは呼びません。イエスさまの復活の50日後に「教会」が初めて誕生したのです。

しかし、使徒言行録(1:3)によれば、復活されたイエスさまが弟子たちの前に姿を現されたのは「40日」だったと記されています。「50日」ではありません。50日後のペンテコステには教会が誕生します。しかし、教会が誕生する10日前にイエスさまの姿が弟子たちの目にも見えなくなったのです。

その10日間は弟子たちにとって不安な日々だったでしょう。イエスさまは彼らの心の拠り所だったからです。その彼らにとって、目に見えるイエスさまがいてくださるのと、目に見えないイエスさまを信じることとでは、どちらが安心でしょうか。それは目に見えるお姿のほうが安心であるに決まっています。

わたしたちも大切な家族や友人の死に立ち会ってきました。その方々は今も神と共に生きておられるとわたしたちは信じていますが、その方々の姿をわたしたちの目で見ることはできません。悲しみや寂しさがあります。このわたしたちと同じことが、イエスさまと弟子たちとの関係の中にもあったと言えます。

しかし、その彼らのもとに新しく心の拠り所となるご存在が来てくださいました。そのご存在を聖書は「聖霊」と呼びます。教会は「聖霊」を神であると信じています。聖霊は神です。その聖霊なる神が、弟子たちのもとに来てくださいました。それが今日お読みしました聖書の個所に描かれている出来事です。

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」(1~2節)。「五旬祭」がペンテコステです。「一同」とはイエスさまの弟子たちです。彼らは集会中でした。そのとき彼らに不思議な出来事が起こりました。

「そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(3~4節)。書いてあるとおりのことが起こったとすれば、まさに不思議な出来事です。オカルト的怪奇現象だとしか言いようがありません。

しかし、わたしたちがある程度考えてよいことは、聖書もまた、文学的な表現を用いて書かれているということです。たとえば、現代の自然科学の観点から聖書を読んで、このようなことはありえないなどと言って完全に退けてしまうのは、聖書の読み方としてふさわしくないし、間違っているとさえ言えます。

そして、この個所に登場するのは「炎のような舌」です。それが「分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」と書かれています。弟子たち自身の「舌」は彼らの口の中にあります。しかしこのとき起こったのは、彼ら自身の「舌」ではなく、別の「舌」が現れ、それが彼らにとどまったということです。

そして、その「舌」が彼らに「とどまった」とは、頭の上にくっついたわけではなく、彼らの体の中、口の中に入り込んだことを意味します。つまり、弟子たちは「二つの舌」を持つに至ったのです。しかし、そのように言いますと語弊が出てきそうです。「二枚舌」といえば悪い意味しかありえないからです。

しかし、彼らに与えられたのは「炎のような舌」でした。すると「聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」のです。「ほかの国々の言葉」だけ読むと、彼らに与えられたのは外国語をしゃべれる能力のようなものかと考えたくなりますが、そういう話だけではないと思われます。

なぜなら、イエスさまの弟子たちの仕事は、聖書に基づいて神の言葉を説教することだからです。神の言葉を全世界にあまねく宣べ伝えることが、彼らの仕事であり、使命です。そのことを考えれば、「炎のような舌」を与えられ彼らが「ほかの国々の言葉で話しだした」ことの意味は、おのずから分かります。

その意味はこうです。その日以来弟子たちは、燃えるような熱心さで、国境や言語の違いを越えた全世界に向かって、神の言葉を宣べ伝えるようになったということです。それ以外の意味は考えられません。それが今からおよそ二千年前の「五旬祭の日」(これが「ペンテコステ」です)に起こった出来事です。

その日をわたしたちは「教会」が誕生した記念日として覚えてきました。わたしたちが今日何を記念しているのかといえば、イエスさまの弟子たちが全世界に熱心に神の言葉を宣べ伝えるようになったことを記念しているのです。それが彼らにできるようになったのは、「炎のような舌」が与えられたからです。

そして、この「炎のような舌」こそが「聖霊」であると考えることが可能です。そして「聖霊」は端的に神です。つまり、このとき彼らに起こったのは、ただ単に外国語をしゃべれる能力が与えられたということだけで終わる話ではありえません。彼らの中に端的に「神」が宿ってくださったことを意味します。

しかしそれは、彼らが神になったということではありません。人間は神にはなりません。人間は人間です。しかし彼らは、人間のままで神の言葉を語るようになったのです。そのために、別の「舌」が与えられました。それは、生まれつきの人間には決して語りえない「神の言葉」を語れるようになるためです。

それは二枚舌ではありませんと、先ほどから申しています。しかしそれは「悪い意味ではない」と言いたいだけです。もしかしたら本当に、ある意味で二枚舌かもしれません。なぜなら、代々の教会が宣べ伝えてきた、そして今のわたしたちが宣べ伝えている神の言葉は、人間の思いとは異なるものだからです。

そのことはわたしたちが聖書を読むたびに感じることです。聖書の言葉が人間の思いとかけ離れていると感じることは多いです。どこを読んでも必ず共感できるわけではなく、むしろ反発を感じたり、葛藤を覚えたりすることのほうが多いのが聖書です。聖書には人間の思い通りのことが書かれていないのです。

しかし、それでいいのです。神はわたしたちの手下ではありません。立場は逆です。人間のほうこそ神のしもべになるべきです。人間の願いや野心がすべて人間の思いどおりに実現するなら、人間はモンスターです。人間には罪があるからです。この世界は、人間の思いどおりになどならないほうがいいのです。

わたしたちは、自分の罪を悔い改め、神に従うべきです。そのことを教会は、これまで宣べ伝えてきたように、これからも、世の終わりまで宣べ伝えて行かなくてはなりません。しかし、そのためには、人間の思いのままを語る舌とは異なるもう一つの「舌」、すなわち、神の言葉を語る「舌」が必要なのです。

(2015年5月24日、松戸小金原教会ペンテコステ記念礼拝)

2015年5月23日土曜日

教会は要りませんか

明日はペンテコステ礼拝です

対抗意識がないと言うとうそになるが、日本のカール・バルト研究は80年を超え、豊富な蓄積があるが、日本のファン・ルーラー研究は20年に満たない。私より若い有力な日本人研究者がオランダから帰国してくださったので日本のファン・ルーラー研究は風前の灯だとは思わないが、多勢に無勢ではある。

私にとってファン・ルーラーの神学は読むたびに心躍り、勇気づけられるものではあるのだが、「どこが面白いのか」と改めて尋ねられると答えに窮するものがある。彼は特段に新しいことを言ったわけではない。彼は改革派教会の牧師だった。改革派教会を二分する諸問題の「調停案」を出し続けた人だった。

その意味ではファン・ルーラーは「教会の内政」を扱う神学者だったと言えるので、そもそも教会の現実を知らない人が彼の本を読んでもちんぷんかんぷんだろうし、彼の本が「伝道文書」になりうるかと考えれば、答えは否である。彼の神学は教会の内部で苦しんでいる人だけに理解できるものかもしれない。

しかも、ファン・ルーラーの神学の本質は「調停案」だったと私は思う。教会を二分する問題に対してどちらか一方に立つというより両者の和解や再統合に道を開こうとする。見方によっては旗幟鮮明であることの反対に見える。対立する両者の和解を求める人は、両者から愛されることなく、むしろ嫌われる。

それでも社会における教会の存在が巨大だったり影響力が大きかったりすれば「調停案の神学」にも一定の意義を認めてもらえる可能性がある。しかし日本の教会の現実に、それは全く当てはまらない。教会を二分する問題のどちらか一方に立つ、旗幟鮮明でセンセーショナルな神学のほうがよく売れるだろう。

ファン・ルーラー自身がそのことを自覚していた。1908年に生まれ、1970年に62歳で亡くなった。私の神学は21世紀になれば認められるだろうと言っていたと伝えられている。オランダ国内に限って言えば彼の予想は当たったと言える。しかし日本では21世紀になってもまだ認められそうにない。

「調停案の神学は要りませんか」と言いながら、マッチ売りの少女のように売り歩きたい。そんなことを考えながら過ごした週末の午後であった。やれやれ困った、明日はペンテコステの礼拝なのに。いやむしろ、これこそ明日を迎えるにふさわしい思いかもしれない。「教会は要りませんか」と売り歩きたい。

2015年5月22日金曜日

ツイッターで説教原稿を改善する方法

「枠内に字を書き、切り取り、メモ帳に貼り付けていく」の図
こんなの書くとたぶん多くの方に笑われるか怒られるかするだけだと思うが、教会の牧師たちの説教を良くするために役立ちそうな方法のひとつとして、ツイッターを活用することに可能性があるのではないかと昨夜しきりと考えていた。ポイントは「1ツイート140字」というツイッター固有の字数制限だ。

説教原稿を万年筆かボールペンかシャーペンで書いている牧師たちはスルーしてほしい。全く無関係な話をする。私のしていることを他の方々に押し付ける意図は皆無だが、パソコンのワープロで説教原稿を書いている私は、一回の説教の字数を「40字×40行×3頁=4800字以内」に自主制限している。

しかも、「40字×40行×3頁=4800字以内」の中に、説教タイトル、聖書個所、署名(関口康)、そして説教のための聖書テキスト(新共同訳)の全文引用、さらに日付、場所まで含めている。つまり私の言葉の部分はもっと少ない。たとえば5月17日の説教の私の言葉の部分は約4200字だった。

「4200字だって?」この数にピンと来る方はネット界隈にはきっと多い。1ツイートの「140字」で割り切れる。きっかり30ツイート分。もっと長い牧師はいるが、私の日曜日の説教は「30ツイート」である。これを少し噛み砕きながら私が読むと、聖書朗読と説教を合わせてちょうど30分になる。

30ツイートだなんて書き始めればわけもない、とお思いの方は多いだろう。ただしそれは炎上しなければの話。連続ツイートの途中を抜かれ、前後の文脈から切り離されて「こんなことを言いやがった」と晒しリツイートされることがなく、平穏無事に30ツイートを連続して書き終えることができればの話。

それとよく似たことが、牧師たちの説教にも起こる。礼拝中、とくに牧師の説教が始まるや否や、睡眠時間が始まり、ほぼ説教の終わりまでいびきの爆音さえ会堂内に響かせていたような人が、全く説教を聴いていなかったかといえばそうでもない。興味ある部分、琴線に触れる部分だけはちゃんと聴いている。

そして、場合によっては説教後に牧師に近づき、今の説教の評価をしてくださる。牧師たちは大いに歓迎すべきだ。ただ、牧師たちはその場合「前後の文脈がある話なので、そこだけ抜かれても困るんだけどな」と内心思っている。真面目な牧師は全部説明し直したくなるが、それを始めるとたぶん逃げられる。

でも、そういう「連続ツイートの途中を抜かれたリツイートをされて炎上」というパターンは、ツイッター生活が長い人なら自分で痛い目に遭ったことがあるだろうし、ハタで目撃しては他山の石にしてきたのではないか。この辺りのツイッター的日常茶飯事が牧師たちの説教に応用できるのではないかと思う。

「連続ツイートの途中を抜かれたリツイートされて炎上」というパターンがなぜ起こるのか。私が思い当たるのは、筆者にとっての「連続ツイート」は読者にとってはどうでもいいことで、読者にとっては1ツイート単位でしか決して読みはしないということだ。140字ごとの完結性が求められているわけだ。

これが説教にも応用できそうなのだ。私の一回の説教原稿の長さは「30ツイート」(4200字)ほどだと先ほど書いた。原稿を書く側の人間は「4200字」のすべてでひとつの話だと考えたがっている。しかし説教を聴く側の意識は必ずしもそうではない。だいたい「140字」ずつの単位で聴いている。

一回の説教は「140字×30ツイート」なのだという意識を持ちながら原稿を書くと、聴きやすい説教になるのではないかと愚考する。おそらくその原稿は重複が多い。前のツイートに書いたことを次のツイートで「それ」という指示代名詞で済ませないで、名詞をまた書くと重複が起こる。それでいいのだ。

しかし、日曜日の前に説教原稿をツイッターで流すのはやめておこう。教会に集まる人たちの苦労が否定されていると感じる方がおられる。しかし、ツイッター公式サイトの140字の枠を利用することはできる。枠内に字を書き、切り取り、メモ帳に貼り付けていく。30ツイート分で一回の説教原稿になる。

これもツイッター公式サイトを利用して書いている。140字ずつ。今13ツイート目。あと17ツイートで一回の説教分だ。そう思いながら書けば、ゴールが近く見えるのではないか。朦朧とした意識の中で「あと○ツイート...あと○ツイート...」とカウントダウンしながら書く説教原稿も悪くない。

あとはハイデルベルク説教分析方法を組み合わせると、より高いクオリティを得られるだろうと期待する。1ツイート分140字の「主語」を見てみればよい。どれも「私は」「私は」「私は」になっているようなら、説教者のエゴイスティックなモノローグだ。聴く側の人々のうんざりした表情が目に浮かぶ。

2015年5月21日木曜日

難しいです

今日の一皿

木曜日は自宅研究日の大学生男子と昼食。朝9時の開店と同時にスーパーに駆け込む。見つけたのは特価品の豚バラ肉。よく焼いて、高知県馬路村産ゆずポン酢をかけて、野菜を添えて、美味しく頂いた。歴史とは、若者にしっかり食べさせることを言うのだ。

それにしても難しいものだ。「それは宗教である」がほとんど罵倒の意味しか持たない時代の中で(そうでもなかった時代が過去のいつ頃にどれほどあったかはよく知らないのだが)、ど宗教のど教会のど牧師をしている。でも自分ではよく分からないが、私を見て「宗教くさい」と思う人はたぶん少ないはずだ。

昨日友人とスカイプで話しているときに言ったばかりだが、私は人を支配するのが苦手なので、悪い意味で私に支配されていると感じている人はたぶん一人もいない。だが反面、私は「面倒見のよい」牧師のほうではないと自覚している。ウザいほどに支配的で手厚いほうが「宗教」の語感に近いかもしれない。

ど宗教のど教会のど牧師をしている以上、「それは宗教である」の罵倒的意味から逃げることはできない。しかし私自身は、誰からも支配されたくないので、誰をも支配したくない。ウザいほどの支配が「宗教」の意味ならば、逃げたいと思う。めざすは「支配しない面倒見の良さ」のようなことか。難しいぞ。

「誰をも支配しない面倒見の良い牧師」にどうしたらなれるだろうか。概念矛盾のようにも思えるが、なれるものならなりたい。私は「宗教」の腐敗臭を自分自身にこそ(加齢臭と共に)感じながら生きている者として、それを真剣に考えているつもりだ。でも、明確な答えがないまま虚しく時間が過ぎていく。

2015年5月20日水曜日

反省しきり

先週(5月15日)久しぶりにお訪ねしました
仕事柄なのかなんなのか、牧師たちの中に自己反省が強めの人は多いが、「それ反省されても困るんだけど」と感じることがある。具体的なことは割愛するが、牧師の存在理由にかかわる自問といえばピンと来るだろうか。同じ仕事の人は昔も今も溢れるほどいる。牧師の存在理由なんか今さら問わないでくれ。

あと牧師の露悪や自虐。いいけど。私もやるけど。自分について自慢げなのもどうかと思うが。痛々しさを見せることを狙っているところもあるのだろうけど。私もやるから気持ちは分かるけど。でも、露悪や自虐をする人に限って「そうだ、あなたの存在は悪くて恥ずかしい」と指摘されると激怒したりする。

私は基本が優等生なので(どこがだ)「言えない、できない」と思っていることが、実はたくさんある。牧師と教会の批判ができない。愛情表現の範囲内のことは言えても、それ以上は言えない。それには私なりの明確な理由がある。その理由には旧約聖書的背景がある。といえば、すぐ分かる方は多いだろう。

「旧約聖書的背景」とは、サウルについてダビデが言った「わたしの主君であり、主が油を注がれた方に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ」(サムエル記上24:7)という言葉だ。私が牧師と教会に「甘い」のは、ひとえにこれが理由だ。

サムエル記上24:7の説明をしはじめると長くなるのでやめておくが、この個所の事柄と、牧師と教会に対して「甘い」私の態度とを結びつけることが拡大解釈であるとは思わない。私は善意に満ちあふれているようなタイプの人間ではないが、「主が油を注がれた方に手をかけること」は心理的に不可能だ。

でも、はっきり言っておく。私が牧師と教会に「甘い」のは黙っているだけだ。黙っていられる状況であれば10年でも20年でも黙ったままでいる。でも、気づいていないわけではない。顔で笑って心で泣いているだけだ。我慢強いわけではない。「主が油を注がれた方に手をかけること」ができないだけだ。

もちろん同じことを私に対して考えている方がおられるだろう。私のことを笑顔で黙って何年でも我慢しておられる方々は少なくないだろう。そのことを分かろうともしないで、私だけが我慢しているなどと勘違いしてはいないつもりだ。だから私は、大体いつも逃げ口上として「お互いさまですよね」と言う。

逃げ場も救いもないような話にだんだんなってきた気がするので、そろそろやめる。最後に思い出話をひとつ。

2001年8月に某青年会修養会で講演の機会を得た。第一講演終了後(全部で講演は三つ)の質疑応答のとき、一人の牧師(私より少し年上の人)に青年たちの前で激怒されたことを忘れられない。

どの部分が逆鱗にふれたのかは分からない。私の想像では、次の部分ではないかと思う。以下、講演録から自己引用。

「わたしはなぜ、牧師をしているのだろうか」。このような自分の職業上のアイデンティティにかかわる問題は、その職業に就く「前に」片付けておかなければならなかったはずです。しかし、いつまで経ってもその答えを出すことができない「憂うつな牧師」が増えています。そんなふらちな牧師にイラだち、キレる信徒が増えてくるかもしれません。いえいえ、そのようなことは間違いなく現在進行中の事柄なのです。

要らぬことを言ってしまったようだ。申し訳ない。反省しきり。