2014年10月21日火曜日

日記「これを俗に『渡りに船』というわけです」

青野太潮先生の『十字架の神学の展開』(新教出版社、2006年)

本日(2014年10月21日)、「2014年度第6回 十字架の神学研究会」(於千葉英和高校)において、青野太潮著『十字架の神学の展開』(新教出版社、2006年)「第1部 第5章 パウロの神中心主義」を読みました。

この章で青野先生が取り上げておられるのは、新約聖書・コリントの信徒への手紙一15・23~28の釈義問題です。この個所の「主語」は神なのか、それともキリストなのか、という難問です。

結論についてのネタバレはしないでおきます(ぜひ本を買ってください。定価3,700円(税別)です)。

しかし、私がいたく感動した点だけ申し上げます。

青野先生の釈義上の結論は、1940年代にファン・ルーラーがこの個所を取り上げて釈義したときの結論と軌を一にしています。

青野先生がこの個所についての精緻きわまる厳密な釈義に基づいて、この個所を「キリスト論的集中」の論理をもって釈義する人たちに対する明確な批判を語っておられるその結論そのものが、ファン・ルーラーの結論とかなりの面で一致しています。

1940年代のファン・ルーラーの釈義は青野先生の釈義と比べればプリミティヴなものでした。当時全盛期の只中であった「キリスト論的集中」の人たちに一蹴され、無視されました。

しかし、21世紀の青野先生の釈義は、ファン・ルーラーのプリミティヴな釈義を厳密さにおいて圧倒的に凌駕しながらも、結論は同じであるという意味で、両者の呼応関係が成立しています。

これを俗に「渡りに船」というわけです(ちがうと思う)。

実は、昨日です。ある方から電話があり、「ファン・ルーラーについて話してほしい」という依頼をいただきました(来週月曜日の「ファン・ルーラー研究会最終セミナー」ではありません)。

その電話をいただいたとき、私の心にすぐに思い浮かんだのが、この個所(コリントⅠ15・23~28)についてのファン・ルーラーの釈義が今日に至るまで激しい批判にさらされていることについて、「いつかファン・ルーラーの代わりに抗弁しなくてはならない」と私自身がずっと前から考えてきたことでした。

しかし、抗弁のための根拠をどうしたら固めることができるのかが分からないままでした。

やっとめぐりあえました。

青野先生、ありがとうございます。私、やります(大丈夫か)。

2014年10月20日月曜日

日記「『翻訳の問題』を扱う組織神学は、日本では当然、日本語で書かれる必要があります」

組織神学を勉強すると書斎がきれいになるそうです(都市伝説)

Google翻訳(http://translate.google.co.jp/)を使うとこうなります。

(日本語)「哲学」

→(英語)Philosophy
→(フランス語)philosophie
→(アフリカーンス語)filosofie
→(オランダ語)filosofie(またはWijsbegeerte)
→(ドイツ語)Philosophie

(日本語)「人生哲学」

→(英語)Philosophy of life
→(フランス語)philosophie de la vie
→(アフリカーンス語)filosofie van die lewe
→(オランダ語)levensbeschouwing
→(ドイツ語)Weltanschauung

興味深い結果でした。

「人生哲学」のオランダ語訳とドイツ語訳が秀逸だと思いました。

一対一対応式の日本語パッチを当てるとしたら、オランダ語訳levensbeschouwingは「人生観」、ドイツ語訳Weltanschauungは「世界観」です。

このように訳してくれるのは、ありがたいことです。逆の方向から考えてみると、そのありがたさが分かります。

オランダ語のlevensbeschouwingを見るといつでも必ず「人生観」と、またドイツ語のWeltanschauungを見るといつでも必ず「世界観」と、訳さなければならないということはない、ということを、この結果は教えてくれています。

私が知っている事実は、ネットで公開されているオランダ語のキリスト教系の新聞で、日本の新聞でいえば「総合」「社会」「政治」「経済」「国際」「教育」などのカテゴリーに並ぶ位置にある「文化(カルチャー)」とか「エンタメ」に当たるカテゴリーがlevensbeschouwingと表記されている例がある、ということです。

これどう訳しますかね。新聞紙面だけに限らず、もう少し広い文脈の中でも。

一対一対応式にleven(人生)をbeschouwing(観ること)であるのであるからして当然「人生観」でなければならぬと当て字(パッチワーク)するか。

少し応用を利かせて「人生哲学」とするか。

思い切って「カルチャー」とか「エンタメ」とするか。

こういう問題を、私は、<組織神学における>重要な課題であると認識します。

そして、「翻訳の問題」を扱う組織神学は、日本では当然、日本語で書かれる必要があります。

外国語の神学書の日本語版の中に、外国語から日本語への翻訳の問題が扱われているということが仮にあるとしても、それをどうやって日本語に訳すのかというところで、心も頭もぐちゃぐちゃになります。

これまでの日本の組織神学が一貫して「翻訳調」だったことを非難する意図はありませんが(いやちょっとあるかも)、「翻訳調」の訳書は、概して大げさです。

たしかに原文はlevensbeschouwingであり、無理やりパッチワークすれば「人生観」でしょうけれども、オランダ現地での意味は「エンタメ」くらいの軽い調子の言葉だったりする。

そういうことを知ってか知らでか、日本の従来の組織神学は、常に物々しく「人生観・世界観」とか訳し、論じる。

もちろん、同じ字、同じ言葉でも、100年前と今とで意味やニュアンスが変わっていることは日本語でもオランダ語でもありうることですから、levensbeschouwingは、オランダ現地でも、100年くらい前は物々しい概念だったのかもしれません。

2014年10月13日月曜日

日記「ファン・ルーラーを勉強しよう」

「ファン・ルーラー著作集草稿」苦戦中

私の場合「神学を勉強しよう」では満足できなくて、最低でも「組織神学を勉強しよう」と言いたくなるし、どうせなら「ファン・ルーラーを勉強しよう」まで言いたくなるが、「オランダ語ですよね」で話がストップする。

呼び込む手はないか。「ファン・ルーラーを勉強すると就職に有利」とか言ってみるか。

ファン・ルーラーはオランダ改革派教会(NHK)を背景にした神学者でしたので、ベルギー信仰告白(オランダ側では「オランダ信仰告白」と呼ばれる)、ハイデルベルク信仰問答、ドルトレヒト教理基準をベースにした神学を展開しました。

しかしそれは、ウェストミンスター信仰規準の神学と方向性においてほとんど一致するものです。ファン・ルーラーに質問することができないのが残念ですが、もし本人に聞けば、たぶんウェストミンスター信仰規準の神学に100%同意すると思います。

ファン・ルーラーがカイパーやバーフィンクやベルカウワーらのオランダ改革派教会(GKN)や、クラース・スキルダーらのオランダ改革派教会解放派(GKNV)に批判的だったのは、神学的に保守かリベラルかの問題というよりも、分派主義の是非の問題でした。

オランダ国内に「オランダ改革派教会」という教団は一つで十分である。教団を四分五裂させるのはやめようではないかと言いたかっただけです。それはファン・ルーラーが言い出したことではなく、ファン・ルーラーの師匠の師匠の代からの「伝統」です。

ファン・ルーラーの師匠がハイチェマ、ハイチェマの師匠がフードマーカー。フードマーカーは、GKN離脱のリーダーとなったカイパーと直接やりあったNHK側の神学者でした。

ファン・ルーラーは三位一体論と二重予定論の明確な支持者でした。よく誤解されているような、ユダヤ教的なものへの逆行などはありません。無際限の宗教多元主義のようなものに陥ったこともありません。「元の木阿弥」などのレッテルは、ファン・ルーラーには当てはまりません。

「旧約聖書こそが真の聖書であり、新約聖書は旧約聖書の巻末語句小事典に過ぎない」と、ファン・ルーラーはたしかに言いました。しかしそれは旧約軽視の現代神学に対する警鐘として言っただけです。

既刊のファン・ルーラーの聖書黙想集(ラジオ説教集)の大部分は、新約聖書の説教です。すばらしい内容です。彼が新約聖書を軽んじた形跡は皆無です。

日記「『場違い』の問題」

(この画像は記事の内容とは関係ありません)

ふと思い出したことを、当時感じたとおりのまま字にしておく。

娘の公立中学のPTA会長をしていたときのことだ。臨時採用の教員が辞校式の挨拶で「神さまの話」をしはじめた。そういうとき私はうつむかざるをえない。違和感と苦痛しか感じない。政教分離うんぬんの問題ではない。「場違い」だと思う。

「福音を恥としない」。それはいい。私も大賛成。だけど、「場違い」なことを言ったりしたりすることを「恥」と感じないことと、それ(福音を恥としないこと)とは全く別問題である。「場違い」なことをして、それを見聞きした人が違和感や反感を抱いているのに気づかないことと、それ(同上)は別だ。

それでは、公立校ではなくて私立のキリスト教学校であれば、教員が辞校式(という呼び名かどうかは知らないが)の中で「神さまの話」をすることには問題ないだろうか。絶対間違っているとまでは私は言わない。だけど、やっぱり「場違い」ではあると思う。その学校の主義主張の問題ではないと思うのだ。

「もっと別の話もあるだろうに」と、心の中の私が怒鳴っていた。ほとんど絶句に近い気分だった。臨時採用とは言え、たとえ短期間であれ子どもと向き合う場所と時間を経てこられたに違いない教員だ。なぜ「神さまの話」なのか。なぜ「人間の話」ではないのか。私は本当に、ただ不愉快でしかなかった。

ここから先は微妙な話なので言葉を選びながら手探りの気持ちで書くという感じにならざるをえない。たとえば今書いた教員の「神さまの話」とか、テレビ的歌謡曲で「神さま」とか歌っちゃう。それってやっぱり「神の名をみだりに唱える」ことだと私は思ってしまう。「場違い」は「冒瀆」の別名だと思う。

当時感じたのは、だいたい以上のようなことです。

以上は「事件編」です。「解決編」はありません。

言いっぱなし。後始末しない。

2014年10月9日木曜日

日記「しこたまイヤミを言いました」

改革派教会信仰告白集(一麦出版社)

「医学とか科学とか工学の学者の業績はしばしば報道されるけど、文学とか歴史学とか法学の学者の業績はなかなか報道されないから、文系学科は役に立ってないと言われるんじゃないかなあ。知られない業績は無いのと一緒なんだよ。」(全文)とツイートしておられた方がいました。

これ当たっていると思います。私も同じようなことを感じてきましたので、日本のキリスト教系の新聞で、神学の記事をもっと取り上げたらいいと言ったのです。

つい最近のことですが、私は、日本キリスト改革派教会の先生たちが集まっているところで、しこたまイヤミを言いました。わざわざ自分から嫌われるようなことをあえて言いました。

何年か前に一麦出版社から出た『改革派教会信仰告白集』(全6巻+別巻)の話です。

『改革派教会信仰告白集』にして日本キリスト改革派教会所属の訳者、0名。それはともかく。

ハードカバー帯の「推薦の辞」や「付録」(全集・著作集の「月報」に準じるもの)の文章を依頼された日本キリスト改革派教会所属の者、3名。

その3名は、牧田吉和先生(付録エッセイ)、袴田康裕先生(推薦の辞、顔写真つき)、そして関口康(付録エッセイ)。

こんなことで本当にいいと思ってるんですかと言いました。こういうのを見ると、外部の人は、まるで日本キリスト改革派教会の神学的代表者がこの3名であるかのように受け取りますよといいました。

私は過去18年、ただひたすら、ネットの中で露出してきただけです。リアルの場で目立つことをしたことは一度もありません。「ネットおたく」だ「ブロガー牧師」だと揶揄されてきただけの、ガチのおたくです。何かを代表する立場にありうるはずがない。ただの引きこもりです。

私などがまるで何かを代表しているかのように誤解されることがないように、日本キリスト改革派教会の先生がたには、もっと書いてもらいたいですし、もっと露出してもらいたいですと言いました。ネットに対する苦手意識とか取り払ってください。恥ずかしがってる場合じゃないですよと言いました。

これ一回だけ書きます。もう二度と書きません。ぜひ真剣に受け止めてください。お願いいたします。

2014年9月29日月曜日

日記「『ファン・ルーラー研究会 最終セミナー』のお知らせ」

アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(1908-1970)

PDF版はここをクリックしてください


親愛なる各位

突然のご連絡で申し訳ありません。

約15年半の歩みを続けてきた「ファン・ルーラー研究会」(結成1999年2月20日)を

このたび正式に解散することにいたしました。

あらゆる面で皆さまのご期待にそえませんでしたことを、心よりお詫びいたします。

今後は各自の責任でファン・ルーラーの翻訳と研究を続行いたします。

長らくお世話になりました皆さまへの感謝の思いをこめて

「最終セミナー」を開催いたします。

ぜひご参加くださいますようお願いいたします。初めての方も歓迎いたします。

               記

名称 「ファン・ルーラー研究会 最終セミナー」

日時 2014年10月27日(月)午後1時~5時

会場 日本基督教団頌栄教会
    〒155-0031 東京都世田谷区北沢1-42-10

講演 「禁欲か喜びか:ファン・ルーラーの生まれ育った場所で学んで」

講師 石原知弘先生
    (日本キリスト改革派園田教会牧師、神戸改革派神学校講師)

懇談 (1)ファン・ルーラー研究会の歩みをふりかえって
    (2)日本におけるファン・ルーラー研究の可能性と展望について

会費 無料

※参加希望者はyasushi.sekiguchi@gmail.comまでご一報くださいますと助かります。

※当日の飛び入り参加も歓迎いたします。

2014年9月29日

ファン・ルーラー研究会代表 関口 康

yasushi.sekiguchi@gmail.com

【このお知らせについて】

このお知らせをメール、ブログ、facebook、ツイッターで公開しました。

メールは「ファン・ルーラー研究会」のメーリングリストに登録してくださった方々のメールアドレス宛てにBCCでお送りしました。

しかし、5年前の名簿のメールアドレスにお送りしましたので、メールアドレスを変更された方には届いていないと思います。どうかお許しください。

日記「『査定者』に向けて説教原稿を書くと『内向きの言葉』になる」


先週9月27日、内田樹氏が「スーパーグローバル大学」に関する連続ツイートを放たれた。

氏によると(以下要約)、

・あのような大学評価のやり方では、現場は「査定者に向けて研究する」ようになる。

・査定者以外に評価されても意味ないなら、そこで語られる言葉は専一的に「閉じられた言葉」になる。そこでしか通じないジャルゴン、そこでしか通じないロジック、そこでしか通じない価値観で彩られた言葉だけがそこに行き交う。

・「パイの配分」について按分の権利を持っている人間だけに用があり、あとの人間には用がないのだから、それは「内向きの言葉」であり、知性の本質と相容れない。

まさにこのとおりだと思った。

そして、なんだかこれでやっと「謎が解けた」気がした。それは何の「謎」か。

話は飛躍するが、すでに神学部や神学校を卒業した牧師たちが、なんらかの行き詰まりを感じたのか何なのか、各人の事情は分からないが、「説教」や「牧会」や「伝道」の「塾」みたいなのに通う。

それが悪いとは思わない。

だけど、ちょっときつい言い方になってしまうのが申し訳ないのだが、そういうところに行けば行くほど、ますます「内向きの言葉」を語るようになり、宣教の本質と相容れなくなっていく。

それはどうしてなんだろうかと、私は長年疑問を抱いてきた。その「謎」が解けた気がした。

「査定者」に向けて説教原稿を書くことほど、ばかげたことはない。何の話だと食ってかかられそうだが、ことの構造がそうなっている。

これも私の長年の持論だが、「ことば」を磨きたければ、ブログを書け、ツイートしろ、facebookしろです。

ネットの向こう側には、自分が「パイの配分」に按分の権利をもっているかどうかなんかどうでもいいと思っている人がたくさんいる。もっと純粋に、よいものはよい、ダメなものはダメ、と言ってくれる人たちが、あなたを待っている。 

自分の書く文章がいいかダメかを知りたければ、そういう人たちに読んでもらえばいい。「いいね」の数はあんまり当てにならないが、ダメならダメと、はっきり言ってくれる。耐え難い中傷誹謗の場合は、ブロックしちゃえばいい。

と思うんだけどね。こういうこと言ってる私は、いつまで経っても少数派。

2014年9月28日日曜日

聖書から離れてはなりません



テモテへの手紙二3・10~17

「しかしあなたは、わたしの教え、行動、意図、信仰、寛容、愛、忍耐に倣い、アンティオキア、イコニオン、リストラでわたしにふりかかったような迫害と苦難をもいといませんでした。そのような迫害にわたしは耐えました。そして、主がそのすべてからわたしを救い出してくださったのです。キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。悪人や詐欺師は、惑わし惑わされながら、ますます悪くなっていきます。だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。」

「聖書から離れてはなりません」という説教のタイトルは私が便宜的に付けたものです。パウロが書いていることとは違います。パウロは「聖書から」ではなく「自分が学んで確信したことから」(14節)離れてはなりませんと書いています。

しかし、その先には「あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです」(14~15節)とありますので、「自分が学んで確信したこと」(14節)と「聖書」(15節)とがほとんど同じことを意味していることは明らかです。

しかし、厳密にいえば全くイコールで結んでしまわないほうがよいだろうと、私は考えています。とくに注目すべき点は「自分が学んで確信したこと」の中の「自分の確信」という側面です。パウロが書いていることは、言い方を換えれば「自分の確信に忠実であれ」ということです。ある意味での自意識の強さが表現されているとさえ読むことができます。

たとえ結果的にほとんど同じ結論になるとしても、パウロが書いている言葉そのものは、あくまでも「自分の確信」から離れてはならないということであって、「聖書」から離れてはならないということではありません。そういうことを厳密にとらえる必要があると私は思います。

なぜこのようなことを厳密にとらえる必要があるのでしょうか。それは聖書の本質にかかわる問題です。聖書は、我々人間によって学ばれねばならず、確信されねばならないものだということです。聖書は礼拝堂の講壇や祭壇の上に飾っておくものではありません。金箔付きの講壇聖書に向かって深々とお辞儀をしても何の意味もありません。自分の家のどこかに飾っておくものでもありません。

そういうものではないという意味で、聖書はただの本です。開かないまま、閉じたままでは全く意味をなしません。この本は徹底的に読まれ、学ばれ、自分の個人的な確信になる必要があります。そうでなければ聖書の存在意義はありません。

ですからこの説教のタイトルの「聖書から離れてはなりません」は、肌身離さずいつでもどこでも聖書というこの本を持ち歩きなさい、というような意味ではありません。そうすることが悪いわけではありませんが、持っているだけ、携帯しているだけでは意味がありません。読まれる必要があり、学ばれる必要があります。そして、わたしたち一人一人の個人的な確信にまでなる必要があります。それが「聖書」です。

パウロが「自分が学んで確信したことから離れてはなりません」と書いていることには理由があります。「悪人や詐欺師は、惑わし惑わされながら、ますます悪くなっていく」(13節)からです。ずいぶんと辛らつな言葉ですが、パウロが非難しているこの「悪人や詐欺師」とは誰のことでしょうか。考えられる可能性は二つです。一つは文字通りの一般的な意味での悪人や詐欺師のことです。しかし、もう一つは教会の中の悪人や詐欺師です。可能性が高いのは二つめのほうです。

次の段落にパウロが次のように書いています。「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を傾け、作り話の方にそれて行くようになります」(4・3~4節)。

これは明らかに教会内部の話です。不健全な教えを宣べ伝える教師がいるという話です。またそれだけではなく、そのような不健全な教師を好き勝手に寄せ集める教会があるという話でもあります。こうなると教会は混乱状態です。教会を混乱に陥れている人たちを指して「悪人や詐欺師」と呼んでいる可能性は高いです。

このようなことをパウロが書く意図は、そういう「悪人や詐欺師」が教会の中にもいる、いや教会の中にこそいるということをテモテに伝えることです。しかし、そのような中でこそ、あなたは自分が学んで確信したことから離れてはならない、と励ましの言葉を書いているのです。

「あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです」(14~15節)。

ここでパウロが「学ぶこと」と「親しむこと」を区別しているように読める点は、とても重要なことだと思いました。前者は、テモテは聖書をだれかからきちんと学んでいるということです。後者は、テモテは幼い日から聖書に親しんできたということです。同じことのようでもありますが、区別するほうがよいと思います。

「聖書を学ぶこと」に関しては、今では大学の学問としての聖書学という独立した専門分野が確立しています。そこまで行かなくても、教会や個人で自覚的に勉強を勉強することはできます。しかし、その意味での聖書の研究とか勉強のようなことを、子どものうちからする必要はありません。

しかし「聖書に親しむこと」については、なるべく小さい頃から始めるべきです。早すぎるということはありません。神さまの素晴らしさ、世界が作られたこと、わたしたち人間が罪を持っていること、その罪から人を救うためにイエスさまが来てくださったこと。これらのことは、子どもたちでも十分理解できます。

パウロは両方書いています。「聖書を学ぶこと」と「聖書に親しむこと」。この両方を合わせた意味での「自分の確信」です。このような確信をもって、教会の中の「悪人や詐欺師」に惑わされないで、正しい信仰の道を歩みなさいとパウロは書いているのです。

最後に一つ、大事な点を申し上げておきます。ここでの「聖書」(グラフェー)の意味はわたしたちにとっての旧約聖書のことです。当時はまだ新約聖書という形でまとまった書物はありませんでした。新約聖書が誕生したときから「聖書」が「旧約聖書」になりましたが、新約誕生以前は、旧約聖書が「聖書」(ザ・バイブル)でした。

しかし、それでは新約は「神の霊の導きによって書かれた」聖書ではないのかという心配には及びません。今では旧約・新約合わせて「聖書」です。

(2014年9月28日、松戸小金原教会主日夕拝)

主イエスは12人の弟子を使徒にしました

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂

PDF版はここをクリックしてください

マルコによる福音書3・7~19

「イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた。ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、『あなたは神の子だ』と叫んだ。イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、『雷の子ら』という名を付けられた。アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。」

今日もマルコによる福音書を読んでいきます。今日お読みしました個所にはイエスさまの伝道活動が進展していく様子が記されています。

多くの人にイエスさまの存在が知られるようになりました。繰り返し申し上げているとおり、このときイエスさまはカファルナウムにおられました。シモンの家に滞在されました。安息日にはカファルナウムの会堂で説教されました。安息日以外は何をしておられたのでしょうか。とにかくいろんなところにお出かけになりました、としか言いようがありません。この町の中や外にお出かけになりました。じっと家の中におられることもありました。

カファルナウムの近くのガリラヤ湖のほとりにはよく行かれました。しかし、イエスさまご自身が湖で漁をなさったという記事は見当たりません。たぶん、イエスさまはそういうことはなさっていません。おそらくイエスさまは、ぶらぶら歩いておられただけです。漁師たちが働く姿を見ていただけ。湖を眺めておられただけです。

視点を逆にして考えてみました。汗水たらして一生懸命働いている漁師たちからすれば、「なんだ、あの人は何もしないで、ただ遊んでいるだけではないか」と見えたかもしれません。しかし、イエスさまにとっては、町の中を歩くこと、いろんな人に出会うこと、町の人に顔や名前を覚えてもらい、話しかけられたり話しかけたりすることが重要だったのです。お店で買い物したり、道端で立ち話をしたり、誘われた食事に喜んで参加したり。それがイエスさまにとっての「伝道」でした。

そのようなことをしておられるうちに、イエスさまのことを信頼してくれる人たちが町の中に次第に増えてきました。安息日ごとの会堂での説教を聞いた人たちも、ただ自分が聞いてそれで終わりということにはなりません。必ず今日の説教どうだったとか、面白かった、面白くなかったとか、ためになった、全く分からなかったとか、そういう感じの話やうわさが広がります。「伝道」とはそのようなものです。

しかも、イエスさまは説教をなさっただけではなく、いろんな人たちの病気をいやしたり、悪霊を追い出したりしてくださいました。町中のみんなから嫌われている徴税人や罪人たちの友達になってくださいました。威張り散らす律法学者に責められている人をかばってあげました。そのような一つ一つの出来事が積み重なっていく形で、町の人たちの信頼を獲得され、その人々の中からイエスさまの弟子になる人々が生み出されていきました。

今のわたしたちも、イエスさまのような伝道ができたらいいなと思います。しかし、それは難しいことです。真似できることではありません。そもそも、わたしたちには、イエスさまのような奇跡を起こす力はありません。病気の人の体に触るとすぐにいやされるとか、そういうことができません。

しかし、ここでイエスさまから学びたいことは、町の人に知られることや信頼されることと伝道は無関係ではないということです。無関係でないどころか、ダイレクトにつながっています。町の人と仲良くなること、それが伝道の第一歩です。第一歩どころか、私は、それこそが伝道のすべてであると言いたいほどです。そのようなことによってすぐに教会に人が来てくれるようになるわけではないとしても。「なんだ、あの人はいつもぶらぶら遊んでいるだけではないか」と思われてしまうとしても。

あまり抽象的な話をしても仕方がないので、今のわたしたちの教会のことを考えてみます。

町内会の活動や学校のPTA活動などにはできるだけ積極的に参加してきたつもりです。しかし、多くの行事が日曜日に行われたり、宗教的なかかわり方は敬遠されたりすることがいまだに多いです。取り付く島がない感じになることしばしばです。子ども会とか音楽のコンサートなら喜んで来てくださる方々も、宗教の話になった途端シャットアウトです。しかし、教会に誘おう、教会員を増やそうと構えて近づくと遠ざかる人も、そういうことではなくもっと日常的な普通の会話ならば応じてくださるものです。そこからしか関係を持つことができない人々が多くいる中で、わたしたちは伝道しています。

そのような事情ですので、(このことを私が言うと弁解しているように響いてしまうのであまり言いたくはないのですが)、「伝道には時間がかかる」のです。イエスさまの場合は、たちどころに弟子が増えました。そのように教会の人が増えることをわたしたちも望んではいます。しかし、イエスさまと同じようにならなくても、とにかく町の人に信頼されるためにかかわりを持ち続けること。それが大事です。それなしには、御言葉に耳を傾けていただけるスタートラインに着いていただくことさえできないのです。

そのくらいのことなら私にもお話しできることがあります。小金原6丁目のコンビニの店長と私は親友です。そうなるまでほぼ10年かかりました。今ではなんでも話しますし、毎日、お互いに励ましあっています。店長はこの町のことを何でも知っています。また、この町の将来を心配しています。もちろん私が牧師であることを知っています。店長の方からいろいろ相談してくれたり、私も愚痴を聞いてもらったりしています。

もともと、誰とでも気さくに話すオープンな方ではあるのです。しかし、私との距離が縮まったと感じたのは、3年半前の3月11日の震災の日からです。

それまでは、私のほうからは一度も、自分が牧師であることも、教会のことや聖書のことも全く話したことがありませんでした。そのこと自体は問題かもしれません。しかし、震災のあと、店長のほうから「関口さんは牧師さんですよね」と声をかけてくださり、そういう話題も解禁になりました。

これからどうなるかは分かりません。あと10年くらいしたら、もしかしたら教会に来てくださるかもしれませんが、そうならないかもしれません。そのような関係です。こういうかかわり方しかできません。しかし、これから何らかの新しい可能性があるかもしれません。「伝道」とはそのようなデリケートなものだと私は思うのです。

しかし、イエスさまの伝道は、たちまちのうちに集まる人が増えていくような爆発的なものでした。あっという間にその町の空気を変えていきました。他の町からもうわさを聞いた人々がおびただしい群衆となって、イエスさまのもとに押し寄せてきました。

小金原2丁目のパン屋さんの前に毎日行列ができています。この町であれほどの行列ができる店は他にありません。全国的に有名です。なんと、岡山の友人まで知っていました。「関口さんがあのパン屋さんと同じ町に住んでいるのがうらやましい」とまで言われました。ネットで見た、雑誌で知った、そういう人たちが集まっています。

教会もあんなふうになればいいなと思います。そうなるためにはどうしたらよいかを考えなくてはなりません。

弟子たちと共にガリラヤ湖に行かれたとき、ご自身のもとにおびただしい群衆が押し寄せてきたので、イエスさまは陸地を離れ、湖の上の舟に乗られました。それくらいイエスさまの助けを求める人が多かったということです。それが今日お読みしました最初の段落に書かれていることの主旨です。

それでイエスさまはどうなさったかということが、次の段落に書かれています。イエスさまは山に登られ、これと思う人々を呼び寄せられました。そして、その中から十二人を特別な弟子として任命し、「使徒」という職名をお与えになりました。使徒とは「遣わされた者」という意味です。

そして、その十二人に他の人とは違う特別な職務をお与えになりました。その内容は「彼らを自分のそばに置くこと」「派遣して宣教させること」「悪霊を追い出す権能を持たせること」の三つでした。これが「使徒」の職務内容です。二千年の教会の中で「使徒」と呼ばれる職務に就いたのはこのとき選ばれた十二人と、あと一人、使徒パウロだけです。十三人だけです。他にはいません。

しかし、そうは言っても、彼らとしては、使徒として選ばれたその日からすぐにこれだけの職務を果たせるわけではありません。最初は何もできません。

「使徒」の働きをいま受け継いでいるのは誰でしょうか。牧師だけでしょうか。違います。牧師と長老でしょうか。違います。牧師と長老と執事でしょうか。違います。教会のみんなが「使徒」の働きを受け継いでいます。教会役員だけが伝道するのではなく、教会のみんなが伝道します。今はそういう時代です。

しかし、伝道するためには訓練が必要です。だからこそ、使徒をお選びになったその日から、イエスさまご自身が、十二人の弟子たちを「使徒」として育てる特別な訓練をお始めになったのです。

イエスさまがこのタイミングで十二人の使徒をお選びになった理由ははっきりしています。イエスさまのもとにたくさんの人が集まるようになったからです。イエスさまおひとりでは対応しきれなくなったからです。人々がイエスさまに直接触れていただいたり、直接お話ししたりことに、物理的な限界が生じるようになったのです。

気になる表現がありましたので最後に取り上げます。それは「これと思う人々」という表現です。

以前の口語訳聖書(1954年)では「みこころにかなった者たち」と訳されていました。どちらの訳でも間違いとは言い切れませんが、強いて言えば「これと思う人々」では、かなり軽い感じがします。まるでイエスさまの好みの問題であるかのようです。しかし、それは違います。

問題は「みこころにかなった者たち」であるかどうかです。イエスさまの伝道、考え、ご意志(みこころとは意志のことです)を受け継ぎ、イエスさまに協力して自分自身も積極的に伝道する意思を持つ人をお選びになりました。足を引っ張る人や、妨害する人では困ります。

十二人の中には、イエスさまを裏切ることになるユダも含まれていました。イエスさまの目は節穴だったのかと言われても仕方がないようなことです。しかし、そのユダの裏切りも実はイエスさまの「みこころ」のうちにあったことだということは、読み進めるうちに次第に分かってきます。

(2014年9月28日、松戸小金原教会主日礼拝)

2014年9月24日水曜日

「長い目を持つこと」と「腹をくくること」


Wikipedia「松戸市」に「千葉県北西部の市。東京都に接する。東京都特別区部への通勤率は37.3%」とあります。「東京都特別区部」とは23区のことです。今の私は「ほぼ東京」の松戸市民です。厳密に言えばもちろん東京都民ではないので「首都圏在住」という言葉をだいたい使っています。

でも、私は出身が岡山県ですし、大学・大学院時代に東京の三鷹に6年間住んだ以外は、厳密な意味での東京都内を住所地にしたことはないので、その「ハタから見た松戸と東京の比較」という感覚からですと、松戸の「ほぼ東京感」は明白だと思っています。昔からの松戸市民に叱られる発言かもしれません。

もっとも私は、松戸が「非東京」であろうと「ほぼ東京」であろうと、そのこと自体に対してなんら利害関係はないのですが(私有不動産ゼロです)、時々引っかかることがあるとしたら、東京の人の口からけっこう繰り返し「松戸のような田舎」という言葉を聞くときくらいですね。それ聞くたびに笑えます。

Wikipedia「松戸市」に「千葉県内では千葉市、船橋市に次いで居住人口3位」とも書いてますね。私自身が松戸を誇る立場にはないし、競う思いもありませんが、ほんとにただ一つ、東京の人の口から聞く「松戸のような田舎」という評価には相当偏見があるような気がしますよと言いたいだけです。

でも、どうなんでしょうね。私が教会の牧会を始めたのは1990年ですから(最初の教会は高知県でした)、あまり厳密な言い方ではないけどバブル期の最中か直後です。日本全国に「閑静な住宅街」が生まれ、「ああ、こんな整った町ができたなら、この町のこのあたりに教会があればいいな」と夢を描く人がたぶん多かった頃です。

あれからまもなく25年。あの頃生まれた「閑静な住宅街」の中の教会は、いま成長しているでしょうか。そうだといいのですが、どうでしょうか。気になるところです。「こんな整った町の、このあたりに、こんな感じの教会があるといいな」という願いとヴィジョンが、いまどうなっているか。

「教会にもいろいろあるんだから、成長しているかどうかとかそういう問いを発すること自体が間違っている」というご意見はありえますし、私にとってはなんら他人事ではないことを書いていますので、それぞれの教会がかつて描いた夢と今の現実とのギャップがもしあるとしても、非難する意図は皆無です。

ただ、そうは言ってもやはり、考えこんでしまう要素がないわけではない。今ほどの少子高齢化が訪れることを、25年前の教会はどれほど予想していたでしょうか。大都市の、鉄道の駅から徒歩10分以内の教会。こういうところは今でもある程度の規模や勢いが維持されています。しかし他はどうでしょう。

もしくは、25年前、あるいはもっと前から、「これからは自動車で教会に通う人が増える」との予想から、広い駐車スペースを確保しつつ郊外型の会堂をたてた教会もあると思いますが、そういう教会は今どうなっているでしょうか。自動車も、ある年齢を超えると運転自体が危険になりますよね。

あくまでも想像ですが、「教会で自動車を買うから、ほらほら若い人たち、運転して、高齢会員のお迎えに行きなさい」という話になっている教会も一部あるでしょうけど、「教会で自動車を買うなんて無理」「若いから運転者になれという発想が無理」「駐車場を維持できない」という話になってませんか。

いま書いていることは直接的な意味で「うちの教会」の話ではないし、どこかの教会の当てこすりでもありません。論理(ろんり)的に考えてみているだけです。我々の「人間としての習性」と教会(毎週日曜日に礼拝する場所)の地理的な位置とが非常に密接な関係にあることは、疑いの余地がないでしょう。

長い目で見れば、いえ、長い目で見なくても、やっぱり人は必ず高齢化するし、「若い人は高齢者の世話をすべきだ」と言われても限度がある。そんなことは当然分かっていなければならない話だったと思います。「大都市の、鉄道の駅から徒歩10分以内の教会」は、少子高齢化の時代でも強いと思います。

逆も然りです。はっきり書きすぎると「読むのがツライ」と言われてしまうかもしれませんが、鉄道の駅から遠く引っ込んだ位置にある「閑静な住宅地」にある教会や、自動車でないと通えない郊外型の教会は、少子高齢化の時代には、苦しい状態ではないだろうかという気がします(「気がする」だけです)。

打開策も処方箋も思いつきません。少子高齢化をどうすることもできないのは、まさか教会のせいじゃないでしょう。政府だって大臣だってどうすることもできない。牧師たちが「少子高齢化になったのは我々のせいです。申し訳ございません」と謝ればなにか解決するなら頭ぐらいいくらでも下げますけどね。

打開策でも処方箋でもありませんが、無理やりひねり出すとしたら、すべての教会は「長い目」を持つべきだ、ということです。長い目で見れば、人は必ず高齢化します。自分で自動車を運転できなくなるし、家族が自分のために運転してくれるとも、教会が自分のために運転手を確保してくれるとも限らない。

だとしたら、鉄道の駅に近いところに教会があるほうが「長い目で見ると」いい感じです。「閑静な住宅地」の教会や郊外型の教会に「撤退」を勧めているわけではありませんが(そんなことを言う立場にないというか)、そのタイプの教会は「自分たちはこれでいいのだ」と腹をくくるほうがいいと思います。

いちばん悪いのは、そもそもタイプが違う「鉄道系教会」(「駅弁教会」とか言わないでください笑)と「閑静な住宅地教会」と「郊外型教会」を一緒くたにして「あの教会はうちより大きいだ小さいだ」「あの教会のように成長しないうちの教会の問題は牧師にある役員にある」と言っては裁き合うことです。

前半の「松戸市うんぬん」の話と後半の教会の話は、別々のようでつながっている話です。

ですが、どのように話がつながっているかを説明するのが面倒になりましたので、あとはご想像にお任せすることにします。すみません。