2014年10月20日月曜日

日記「『翻訳の問題』を扱う組織神学は、日本では当然、日本語で書かれる必要があります」

組織神学を勉強すると書斎がきれいになるそうです(都市伝説)

Google翻訳(http://translate.google.co.jp/)を使うとこうなります。

(日本語)「哲学」

→(英語)Philosophy
→(フランス語)philosophie
→(アフリカーンス語)filosofie
→(オランダ語)filosofie(またはWijsbegeerte)
→(ドイツ語)Philosophie

(日本語)「人生哲学」

→(英語)Philosophy of life
→(フランス語)philosophie de la vie
→(アフリカーンス語)filosofie van die lewe
→(オランダ語)levensbeschouwing
→(ドイツ語)Weltanschauung

興味深い結果でした。

「人生哲学」のオランダ語訳とドイツ語訳が秀逸だと思いました。

一対一対応式の日本語パッチを当てるとしたら、オランダ語訳levensbeschouwingは「人生観」、ドイツ語訳Weltanschauungは「世界観」です。

このように訳してくれるのは、ありがたいことです。逆の方向から考えてみると、そのありがたさが分かります。

オランダ語のlevensbeschouwingを見るといつでも必ず「人生観」と、またドイツ語のWeltanschauungを見るといつでも必ず「世界観」と、訳さなければならないということはない、ということを、この結果は教えてくれています。

私が知っている事実は、ネットで公開されているオランダ語のキリスト教系の新聞で、日本の新聞でいえば「総合」「社会」「政治」「経済」「国際」「教育」などのカテゴリーに並ぶ位置にある「文化(カルチャー)」とか「エンタメ」に当たるカテゴリーがlevensbeschouwingと表記されている例がある、ということです。

これどう訳しますかね。新聞紙面だけに限らず、もう少し広い文脈の中でも。

一対一対応式にleven(人生)をbeschouwing(観ること)であるのであるからして当然「人生観」でなければならぬと当て字(パッチワーク)するか。

少し応用を利かせて「人生哲学」とするか。

思い切って「カルチャー」とか「エンタメ」とするか。

こういう問題を、私は、<組織神学における>重要な課題であると認識します。

そして、「翻訳の問題」を扱う組織神学は、日本では当然、日本語で書かれる必要があります。

外国語の神学書の日本語版の中に、外国語から日本語への翻訳の問題が扱われているということが仮にあるとしても、それをどうやって日本語に訳すのかというところで、心も頭もぐちゃぐちゃになります。

これまでの日本の組織神学が一貫して「翻訳調」だったことを非難する意図はありませんが(いやちょっとあるかも)、「翻訳調」の訳書は、概して大げさです。

たしかに原文はlevensbeschouwingであり、無理やりパッチワークすれば「人生観」でしょうけれども、オランダ現地での意味は「エンタメ」くらいの軽い調子の言葉だったりする。

そういうことを知ってか知らでか、日本の従来の組織神学は、常に物々しく「人生観・世界観」とか訳し、論じる。

もちろん、同じ字、同じ言葉でも、100年前と今とで意味やニュアンスが変わっていることは日本語でもオランダ語でもありうることですから、levensbeschouwingは、オランダ現地でも、100年くらい前は物々しい概念だったのかもしれません。