2014年9月28日日曜日

主イエスは12人の弟子を使徒にしました

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂

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マルコによる福音書3・7~19

「イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた。ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、『あなたは神の子だ』と叫んだ。イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、『雷の子ら』という名を付けられた。アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。」

今日もマルコによる福音書を読んでいきます。今日お読みしました個所にはイエスさまの伝道活動が進展していく様子が記されています。

多くの人にイエスさまの存在が知られるようになりました。繰り返し申し上げているとおり、このときイエスさまはカファルナウムにおられました。シモンの家に滞在されました。安息日にはカファルナウムの会堂で説教されました。安息日以外は何をしておられたのでしょうか。とにかくいろんなところにお出かけになりました、としか言いようがありません。この町の中や外にお出かけになりました。じっと家の中におられることもありました。

カファルナウムの近くのガリラヤ湖のほとりにはよく行かれました。しかし、イエスさまご自身が湖で漁をなさったという記事は見当たりません。たぶん、イエスさまはそういうことはなさっていません。おそらくイエスさまは、ぶらぶら歩いておられただけです。漁師たちが働く姿を見ていただけ。湖を眺めておられただけです。

視点を逆にして考えてみました。汗水たらして一生懸命働いている漁師たちからすれば、「なんだ、あの人は何もしないで、ただ遊んでいるだけではないか」と見えたかもしれません。しかし、イエスさまにとっては、町の中を歩くこと、いろんな人に出会うこと、町の人に顔や名前を覚えてもらい、話しかけられたり話しかけたりすることが重要だったのです。お店で買い物したり、道端で立ち話をしたり、誘われた食事に喜んで参加したり。それがイエスさまにとっての「伝道」でした。

そのようなことをしておられるうちに、イエスさまのことを信頼してくれる人たちが町の中に次第に増えてきました。安息日ごとの会堂での説教を聞いた人たちも、ただ自分が聞いてそれで終わりということにはなりません。必ず今日の説教どうだったとか、面白かった、面白くなかったとか、ためになった、全く分からなかったとか、そういう感じの話やうわさが広がります。「伝道」とはそのようなものです。

しかも、イエスさまは説教をなさっただけではなく、いろんな人たちの病気をいやしたり、悪霊を追い出したりしてくださいました。町中のみんなから嫌われている徴税人や罪人たちの友達になってくださいました。威張り散らす律法学者に責められている人をかばってあげました。そのような一つ一つの出来事が積み重なっていく形で、町の人たちの信頼を獲得され、その人々の中からイエスさまの弟子になる人々が生み出されていきました。

今のわたしたちも、イエスさまのような伝道ができたらいいなと思います。しかし、それは難しいことです。真似できることではありません。そもそも、わたしたちには、イエスさまのような奇跡を起こす力はありません。病気の人の体に触るとすぐにいやされるとか、そういうことができません。

しかし、ここでイエスさまから学びたいことは、町の人に知られることや信頼されることと伝道は無関係ではないということです。無関係でないどころか、ダイレクトにつながっています。町の人と仲良くなること、それが伝道の第一歩です。第一歩どころか、私は、それこそが伝道のすべてであると言いたいほどです。そのようなことによってすぐに教会に人が来てくれるようになるわけではないとしても。「なんだ、あの人はいつもぶらぶら遊んでいるだけではないか」と思われてしまうとしても。

あまり抽象的な話をしても仕方がないので、今のわたしたちの教会のことを考えてみます。

町内会の活動や学校のPTA活動などにはできるだけ積極的に参加してきたつもりです。しかし、多くの行事が日曜日に行われたり、宗教的なかかわり方は敬遠されたりすることがいまだに多いです。取り付く島がない感じになることしばしばです。子ども会とか音楽のコンサートなら喜んで来てくださる方々も、宗教の話になった途端シャットアウトです。しかし、教会に誘おう、教会員を増やそうと構えて近づくと遠ざかる人も、そういうことではなくもっと日常的な普通の会話ならば応じてくださるものです。そこからしか関係を持つことができない人々が多くいる中で、わたしたちは伝道しています。

そのような事情ですので、(このことを私が言うと弁解しているように響いてしまうのであまり言いたくはないのですが)、「伝道には時間がかかる」のです。イエスさまの場合は、たちどころに弟子が増えました。そのように教会の人が増えることをわたしたちも望んではいます。しかし、イエスさまと同じようにならなくても、とにかく町の人に信頼されるためにかかわりを持ち続けること。それが大事です。それなしには、御言葉に耳を傾けていただけるスタートラインに着いていただくことさえできないのです。

そのくらいのことなら私にもお話しできることがあります。小金原6丁目のコンビニの店長と私は親友です。そうなるまでほぼ10年かかりました。今ではなんでも話しますし、毎日、お互いに励ましあっています。店長はこの町のことを何でも知っています。また、この町の将来を心配しています。もちろん私が牧師であることを知っています。店長の方からいろいろ相談してくれたり、私も愚痴を聞いてもらったりしています。

もともと、誰とでも気さくに話すオープンな方ではあるのです。しかし、私との距離が縮まったと感じたのは、3年半前の3月11日の震災の日からです。

それまでは、私のほうからは一度も、自分が牧師であることも、教会のことや聖書のことも全く話したことがありませんでした。そのこと自体は問題かもしれません。しかし、震災のあと、店長のほうから「関口さんは牧師さんですよね」と声をかけてくださり、そういう話題も解禁になりました。

これからどうなるかは分かりません。あと10年くらいしたら、もしかしたら教会に来てくださるかもしれませんが、そうならないかもしれません。そのような関係です。こういうかかわり方しかできません。しかし、これから何らかの新しい可能性があるかもしれません。「伝道」とはそのようなデリケートなものだと私は思うのです。

しかし、イエスさまの伝道は、たちまちのうちに集まる人が増えていくような爆発的なものでした。あっという間にその町の空気を変えていきました。他の町からもうわさを聞いた人々がおびただしい群衆となって、イエスさまのもとに押し寄せてきました。

小金原2丁目のパン屋さんの前に毎日行列ができています。この町であれほどの行列ができる店は他にありません。全国的に有名です。なんと、岡山の友人まで知っていました。「関口さんがあのパン屋さんと同じ町に住んでいるのがうらやましい」とまで言われました。ネットで見た、雑誌で知った、そういう人たちが集まっています。

教会もあんなふうになればいいなと思います。そうなるためにはどうしたらよいかを考えなくてはなりません。

弟子たちと共にガリラヤ湖に行かれたとき、ご自身のもとにおびただしい群衆が押し寄せてきたので、イエスさまは陸地を離れ、湖の上の舟に乗られました。それくらいイエスさまの助けを求める人が多かったということです。それが今日お読みしました最初の段落に書かれていることの主旨です。

それでイエスさまはどうなさったかということが、次の段落に書かれています。イエスさまは山に登られ、これと思う人々を呼び寄せられました。そして、その中から十二人を特別な弟子として任命し、「使徒」という職名をお与えになりました。使徒とは「遣わされた者」という意味です。

そして、その十二人に他の人とは違う特別な職務をお与えになりました。その内容は「彼らを自分のそばに置くこと」「派遣して宣教させること」「悪霊を追い出す権能を持たせること」の三つでした。これが「使徒」の職務内容です。二千年の教会の中で「使徒」と呼ばれる職務に就いたのはこのとき選ばれた十二人と、あと一人、使徒パウロだけです。十三人だけです。他にはいません。

しかし、そうは言っても、彼らとしては、使徒として選ばれたその日からすぐにこれだけの職務を果たせるわけではありません。最初は何もできません。

「使徒」の働きをいま受け継いでいるのは誰でしょうか。牧師だけでしょうか。違います。牧師と長老でしょうか。違います。牧師と長老と執事でしょうか。違います。教会のみんなが「使徒」の働きを受け継いでいます。教会役員だけが伝道するのではなく、教会のみんなが伝道します。今はそういう時代です。

しかし、伝道するためには訓練が必要です。だからこそ、使徒をお選びになったその日から、イエスさまご自身が、十二人の弟子たちを「使徒」として育てる特別な訓練をお始めになったのです。

イエスさまがこのタイミングで十二人の使徒をお選びになった理由ははっきりしています。イエスさまのもとにたくさんの人が集まるようになったからです。イエスさまおひとりでは対応しきれなくなったからです。人々がイエスさまに直接触れていただいたり、直接お話ししたりことに、物理的な限界が生じるようになったのです。

気になる表現がありましたので最後に取り上げます。それは「これと思う人々」という表現です。

以前の口語訳聖書(1954年)では「みこころにかなった者たち」と訳されていました。どちらの訳でも間違いとは言い切れませんが、強いて言えば「これと思う人々」では、かなり軽い感じがします。まるでイエスさまの好みの問題であるかのようです。しかし、それは違います。

問題は「みこころにかなった者たち」であるかどうかです。イエスさまの伝道、考え、ご意志(みこころとは意志のことです)を受け継ぎ、イエスさまに協力して自分自身も積極的に伝道する意思を持つ人をお選びになりました。足を引っ張る人や、妨害する人では困ります。

十二人の中には、イエスさまを裏切ることになるユダも含まれていました。イエスさまの目は節穴だったのかと言われても仕方がないようなことです。しかし、そのユダの裏切りも実はイエスさまの「みこころ」のうちにあったことだということは、読み進めるうちに次第に分かってきます。

(2014年9月28日、松戸小金原教会主日礼拝)