2014年9月24日水曜日

日記「『長い目を持つこと』と『腹をくくること』」


Wikipedia「松戸市」に「千葉県北西部の市。東京都に接する。東京都特別区部への通勤率は37.3%」とあります。「東京都特別区部」とは23区のことです。今の私は「ほぼ東京」の松戸市民です。厳密に言えばもちろん東京都民ではないので「首都圏在住」という言葉をだいたい使っています。

でも、私は出身が岡山県ですし、大学・大学院時代に東京の三鷹に6年間住んだ以外は、厳密な意味での東京都内を住所地にしたことはないので、その「ハタから見た松戸と東京の比較」という感覚からですと、松戸の「ほぼ東京感」は明白だと思っています。昔からの松戸市民に叱られる発言かもしれません。

もっとも私は、松戸が「非東京」であろうと「ほぼ東京」であろうと、そのこと自体に対してなんら利害関係はないのですが(私有不動産ゼロです)、時々引っかかることがあるとしたら、東京の人の口からけっこう繰り返し「松戸のような田舎」という言葉を聞くときくらいですね。それ聞くたびに笑えます。

Wikipedia「松戸市」に「千葉県内では千葉市、船橋市に次いで居住人口3位」とも書いてますね。私自身が松戸を誇る立場にはないし、競う思いもありませんが、ほんとにただ一つ、東京の人の口から聞く「松戸のような田舎」という評価には相当偏見があるような気がしますよと言いたいだけです。

でも、どうなんでしょうね。私が教会の牧会を始めたのは1990年ですから(最初の教会は高知県でした)、あまり厳密な言い方ではないけどバブル期の最中か直後です。日本全国に「閑静な住宅街」が生まれ、「ああ、こんな整った町ができたなら、この町のこのあたりに教会があればいいな」と夢を描く人がたぶん多かった頃です。

あれからまもなく25年。あの頃生まれた「閑静な住宅街」の中の教会は、いま成長しているでしょうか。そうだといいのですが、どうでしょうか。気になるところです。「こんな整った町の、このあたりに、こんな感じの教会があるといいな」という願いとヴィジョンが、いまどうなっているか。

「教会にもいろいろあるんだから、成長しているかどうかとかそういう問いを発すること自体が間違っている」というご意見はありえますし、私にとってはなんら他人事ではないことを書いていますので、それぞれの教会がかつて描いた夢と今の現実とのギャップがもしあるとしても、非難する意図は皆無です。

ただ、そうは言ってもやはり、考えこんでしまう要素がないわけではない。今ほどの少子高齢化が訪れることを、25年前の教会はどれほど予想していたでしょうか。大都市の、鉄道の駅から徒歩10分以内の教会。こういうところは今でもある程度の規模や勢いが維持されています。しかし他はどうでしょう。

もしくは、25年前、あるいはもっと前から、「これからは自動車で教会に通う人が増える」との予想から、広い駐車スペースを確保しつつ郊外型の会堂をたてた教会もあると思いますが、そういう教会は今どうなっているでしょうか。自動車も、ある年齢を超えると運転自体が危険になりますよね。

あくまでも想像ですが、「教会で自動車を買うから、ほらほら若い人たち、運転して、高齢会員のお迎えに行きなさい」という話になっている教会も一部あるでしょうけど、「教会で自動車を買うなんて無理」「若いから運転者になれという発想が無理」「駐車場を維持できない」という話になってませんか。

いま書いていることは直接的な意味で「うちの教会」の話ではないし、どこかの教会の当てこすりでもありません。論理(ろんり)的に考えてみているだけです。我々の「人間としての習性」と教会(毎週日曜日に礼拝する場所)の地理的な位置とが非常に密接な関係にあることは、疑いの余地がないでしょう。

長い目で見れば、いえ、長い目で見なくても、やっぱり人は必ず高齢化するし、「若い人は高齢者の世話をすべきだ」と言われても限度がある。そんなことは当然分かっていなければならない話だったと思います。「大都市の、鉄道の駅から徒歩10分以内の教会」は、少子高齢化の時代でも強いと思います。

逆も然りです。はっきり書きすぎると「読むのがツライ」と言われてしまうかもしれませんが、鉄道の駅から遠く引っ込んだ位置にある「閑静な住宅地」にある教会や、自動車でないと通えない郊外型の教会は、少子高齢化の時代には、苦しい状態ではないだろうかという気がします(「気がする」だけです)。

打開策も処方箋も思いつきません。少子高齢化をどうすることもできないのは、まさか教会のせいじゃないでしょう。政府だって大臣だってどうすることもできない。牧師たちが「少子高齢化になったのは我々のせいです。申し訳ございません」と謝ればなにか解決するなら頭ぐらいいくらでも下げますけどね。

打開策でも処方箋でもありませんが、無理やりひねり出すとしたら、すべての教会は「長い目」を持つべきだ、ということです。長い目で見れば、人は必ず高齢化します。自分で自動車を運転できなくなるし、家族が自分のために運転してくれるとも、教会が自分のために運転手を確保してくれるとも限らない。

だとしたら、鉄道の駅に近いところに教会があるほうが「長い目で見ると」いい感じです。「閑静な住宅地」の教会や郊外型の教会に「撤退」を勧めているわけではありませんが(そんなことを言う立場にないというか)、そのタイプの教会は「自分たちはこれでいいのだ」と腹をくくるほうがいいと思います。

いちばん悪いのは、そもそもタイプが違う「鉄道系教会」(「駅弁教会」とか言わないでください笑)と「閑静な住宅地教会」と「郊外型教会」を一緒くたにして「あの教会はうちより大きいだ小さいだ」「あの教会のように成長しないうちの教会の問題は牧師にある役員にある」と言っては裁き合うことです。

前半の「松戸市うんぬん」の話と後半の教会の話は、別々のようでつながっている話です。

ですが、どのように話がつながっているかを説明するのが面倒になりましたので、あとはご想像にお任せすることにします。すみません。