2009年5月8日金曜日

どうしたら道は開けるか(6)

たしか5歳のときです(1970年!)。私の目の前を聖餐のパンと杯が通過していく。まるで逃げていくとんぼを追いかけるかのような目でそれを見た日のことを、今でもまざまざと思い起こすことができます。「おい、こら、おれを無視するな!おれは毎週教会に通っているのだし、この聖書の神を信じることはやぶさかではないと思っている。そのおれに、この集団のメンバーである以外の何でありうると言わせたいのか」という感覚を抱きました。



もちろん当時はまだこのような説明表現を用いることができませんでしたが、とにかく非常にむかっ腹が立ちました(あの小さなパンそれ自体が欲しかったわけではありません)。そして居ても立ってもいられなくなって牧師のところに行き、もしかしたら相当強い抗議めいた口調で(内心の意図は間違いなく「抗議」でした)「洗礼というのを受けさせてください」と申し出、小学校入学前のクリスマス(1971年12月26日)に洗礼を受けました。



しかし、言うまでもないことですが、当時の私に「キリスト教が何であるか」を十分な意味で理解できるはずはない。実感としては、この私は「教会」なるもののメンバーであるということだけであって、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。自分の所属する「教会」とは何なのかを言葉で説明することはできません。しかし、「教会」とは何なのかということは、感覚的実体としてははっきり分かっていました。ラテン語表現で言い直せば、教会の壁(muros ecclesiae)の「外」(extra)と「内」(intra)の違いが肌感覚のレベルで分かる。しかし、このようなことは別に、私の特殊能力のようなものではありえず、この国でキリスト者の家庭に生まれ育った人々の多くが知っている感覚なのだと思います。



しかし、です。少年時代の私がまさに肌感覚レベルで理解していたことは、「教会」はこの国の中で「マイノリティ」であるということでした。そして「教会」は、その中にいるかぎりにおいてはとても居心地の良い場所でした。良い意味での矜持をもつことができました。教会の「人間関係」に居心地の良さを感じたことはありませんでした(たぶん一度も)。牧師の説教は、むしろ居たたまれない気持ちにさせられるものでした(説明省略)。



どうしたら道は開けるか(5)

「どうしたら道は開けるか」と書いてきましたが、自分の中ではだんだん馬鹿らしくなってきたところもあって困っています。「道は開いていない」などとは実は少しも感じていないもう一人の私がいたりしますし、ブレイクスルーの手段はインターネットであるなどと実は全く思っていない私がいたりする。



私が受けたと自称する「底値教育」は(もちろんこの表現は100%冗談ですが)事実ですし、「教団離脱者」であることも「普通の牧師」であることも事実です。しかしそのすべては間違いなく自分の強い意思で選んだものでした。これまでの自分を振り返ってみて改めて気づかされることは、私が歩んできた道のすべては誰かに決めてもらったものではないと言えるということです。



しかしそうは言いましても、自分では決めることができない要素も、人生には当然あります。たとえば、「1965年に生まれたこと」などは典型的なそれです(この文脈では「昭和40年」と言いたい)。



戦後20年。日本の歴史の中の「古いもの」と「新しいもの」が渾然としていた時代でした(自宅の前の道に初めてアスファルトがひかれたときのことを記憶しています)。その中で「古い日本」にとってはまさしく《対極》の位置に立つ空間・時間・思想・行動をもつ集団の中にどうやらこの私は所属しているらしいと、もちろんそのような説明表現を用いてではありませんでしたが、感づいたのは、まだ幼い頃のことでした。



2009年5月5日火曜日

どうしたら道が開けるか(4)

さて、ひどくネガティヴなことを書き連ねて来ましたが、私自身は絶望しているわけではないということも書いておきます。ブレイクスルーの鍵は、やはりインターネットではないでしょうか。つい最近、茂木健一郎氏の「ブログ論」みたいなのを読み、ちょっとした興奮を覚えました。



ここ(↓)で読めます。



前編 http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2007/03/post_4ad8.html



後編 http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2007/03/post_c73c.html



これを読むまで知らずにいたために吃驚仰天したことは、「え?茂木氏ほどの人がブログなんてやってたの?」ということでした。この驚きの意味はお察しのとおり、この方、語ったり書いたりする言葉のすべてが有料化しうるほどの有名人であるのに、無料で読める文章を公開しちゃったりしてたんだー(へえ)ということです。



なかでも、「そーそー」と肯きながら読んだ茂木氏の言葉は、「そんなに甘いもんじゃないですよ、ブログというものは」 とか「読者を獲得するプロセスというものは、すごく長い時間がかかるわけです」というあたり。



私の当面の(「当面の」です)目標は、要するに、どうしたら日本語版『ファン・ルーラー著作集』を出版できるかです。



(1)そのために、まずは「ファン・ルーラー」の名前を売ること。すなわち、「んな人、知らん」と言わせないほど、ファン・ルーラーを日本の中で有名人にすること。



(2)それと同時に、「ファン・ルーラーの訳者」として立候補してきた「関口 康」を信頼していただくこと。すなわち、「底値教育」を受けてきた「教団離脱者」でもある「普通の牧師」の私のしている仕事に対して「こいつの訳なら金を払ってやってもいいかな」と思ってもらえるようになること。



以上の二点を達成するためにブログが役に立つのではないかと、私は茂木氏のブログ論を読む前から考えてきました。そして、この方の文章を読んで、我が意を得たりと満足感を味わっているところです。



ただし、ここで問題が二つ。第一は、現在の日本のキリスト教出版社が茂木氏のような発想を受け入れてくださるかどうかです。第二は、私がブログにこれまで書いてきたことは「信頼を得ること」にとっては逆効果なことばかりだったかもしれないよーということです。



今の私が考えはじめていることは、まず最初にブログ版『ファン・ルーラー著作集』(もちろん無料公開)を仕上げ、それを多くの方々に「立ち読み」していただいた後、それを本にして有料で売るという、いわゆる「ブログ本」の方式です。しかし、このやり方が神学書に通用するものかどうかは全く未知数です。



それでも、たしか渡辺信夫先生の『プロテスタント教理史』(キリスト新聞社、2006年)は、ブログではなかったはずですがどこかの教会のホームページで公開されていた文章をまとめたものだと聞いたことがあります。



つまり、前例はあるということです。しかし冒険的要素が強いやり方であることは認めます。渡辺信夫先生との決定的な違いは、「ファン・ルーラー」は(そしてもちろん「関口 康」も)日本では依然として「だれそれ?」な存在である、ということにあるのですから。



どうしたら道は開けるか(3)

しかし、私が抱いているこのポリシーには悪い面もあるということに、繰り返し気づかされてもきました。悪い面とは何でしょうか。それは、私がこのポリシーを保持し続けているかぎり、「牧師職はあくまでも牧師職なのであって、それ自体に固有の職務があるのであって、牧師職自体が研究職ではないし、また牧師職自体が教育職でもない」という見方を自分自身では払拭することができないということです。



私の経験から言わせていただけば、この見方こそが実はかなりのクセモノなのであって、わたしたちを相当悩ませてきたものでもあります。今は詳述するのを控えますが、これこそが「牧師の神学研究」を著しく阻害してきた要因であると断言できます。



別の表現でいろいろと言い換えてみれば、事柄のグロテスクさをよく分かっていただけるはずです。



「牧師職」を「研究職」からも「教育職」からも切り離して扱おうとすることは、「神学を営むこと(doing Theology)をもって生計を立ててもよい権限もしくは資格を有する者は、神学部・神学大学・神学校の教授職に就いている『神学博士』(Theological Doctor)ないしそれに準じる者に限ります」と言っているのと同じです。



「神学校から遠い地域の教会に仕えている、神学校で教える可能性のない(普通の)牧師たちは、今さら神学など学んでも無意味なのだから、そんな無駄でつまらないことを続けるのはおやめなさい」と言っているのと同じです。



当然のことながら、そのように語る人々の心のなかに思い描かれているイメージは、神学部・神学大学・神学校の教授ポストを中心とする“同心円”です。その円の中心(場所および人物)に物理的・距離的に近い教会のメンバーシップを取得することないしその牧師になることが、スゴロクで言うところの「アガリ」。「それ以外の(一般の?)教会員と(一般の?)牧師たちには、残念ながら“神学権”は認められておりません。どうぞお引き取りください」と言っているのと同じです。



「権限も資格もないのに強引に続けたいなら、どうぞご勝手に。ただし、マニア的趣味(「無資格者が営む神学」を指す揶揄)に熱中するのも程々にしてくださいね。それはあなたの現実逃避ですから」と言っているのと同じです。



どうしたら道は開けるか(2)

教育と研究の関係を「収入と支出の関係」という観点から見る。これはもちろん、かなり強めの皮肉を込めて書いていることです。この見方が事柄のすべてを物語りえているとも思っていません。



しかし、この観点から言うならば、「研究をサボっている教育者」は支出が少ない分だけ残金が多いわけですから、比較的余裕のある生活をしている可能性があります。逆に「教育職に就くことができない(就職先が見つからない)研究者」はゼロサム(プラマイゼロ)ないし借金生活でしょう。これはおそらく厳粛な事実です。



ここで起こるひとつの問題は、「牧師は教育職なのか」という点です。おそらく多くの人々は「教育職と見てもよさそうな面もあるかもしれませんが、たぶんそれだけではないでしょうね」というような、曖昧だけれど実態に即した答え方をするでしょう。「そもそも牧師は職業の名に値するのか」という問いさえ、日本では繰り返し投げかけられてきたわけでして。田舎の教会で「神学の研究と教育」とか言われてもねえと、あからさまな顰蹙(ひんしゅく)の目を見、つぶやきの声を聞いたこともたびたびあります(しかし、私自身が田舎の教会で「神学の研究と教育」の重要性を主張したわけではありません。間接的に“釘を刺された”のです)。



私が24歳と5ヶ月で伝道の仕事に就いて以来抱いてきたポリシーのようなものは、「牧師は教会の献金のみで生きるべきだ」ということでした。このポリシーが間違っていると言われるならそれまでのことですし、生活に窮する場面は多々ありました(苦しい状態であることは今も全く変わっていません)。しかし、「教会の献金だけで生きる」とは、教会の存在理由である「伝道」の仕事に百パーセント専念できるということですので、私の「自由」が百パーセント確保されている状態であるということです。いわゆる「ひもつき」のお金に振り回されたり悩まされたりせずに済んだことだけは幸いでした。



2009年5月4日月曜日

どうしたら道は開けるか(1)

「教育の場は自分の研究のはけ口」は確かにダメな発想ですね。学生たちが迷惑します。



ただ、今ふと考えさせられたことは、うんと世知辛くなりますが、教育と研究の関係は、その教育者≒研究者の「生計」という観点からみれば、収入と支出の関係のようなものではないだろうかということだったりもします。



今の世の中、研究だけで「食える」という人は、(スーパーエリートのような人のことは知る由もありませんが)ほぼ皆無でしょう。それどころか、ほとんどすべてが私費持ち出しです。



しかし、教育者には(多寡はともかく)支払いがあるでしょう。



教育職に就かないで研究を続けることの限界はお金です。ここですべてが足止めされます。ファン・ルーラー研究会の10年間の悩みも、結局「お金の問題」に集約されるものでした。



これを、これを、ブレイクスルーしなければ。



今の心境は、ほとんどマテリアリストです。



2009年5月3日日曜日

くめど尽きせぬ命の泉


ヨハネによる福音書4・1~15

「さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、洗礼を授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、――洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである――ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。しかし、サマリアを通らねばならなかった。それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。サマリアの女が水をくみに来た。イエスは『水を飲ませてください』と言われた。弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。すると、サマリアの女は、『ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか』と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。イエスは答えて言われた。『もしあなたが、神の賜物を知っており、また、「水を飲ませてください」と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。』女は言った。『主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。』イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。』女は言った。『主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくていいように、その水をください。』」

先週学びましたイエス・キリストのみことばは、たいへん抽象的で分かりにくいものでした。私の説明も悪かったと反省しております。

しかし、今日の話はとても具体的で分かりやすいものです。これは自信を持って言えることです。この個所に描かれていますのは、わたしたちの救い主イエス・キリストと一人の女性との出会いの物語です。

これはわたしたちにも分かる話です。わたしたちは地上に生きられた歴史上の人物としてのイエスさまにお目にかかったことはありません。しかし、普通の意味での人と人との出会いの体験ならば、必ずあります。その体験が重要なのです。今日の個所を読みながらわたしたちの日常生活における出会いの体験のあの場面この場面を思い出していただいて結構です。そのような読み方が可能であると思われるのです。

最初の段落に記されていますことは、イエスさまとその女性との出会いが起こるまでの経緯についての事情説明です。しかし、内容的には興味深いことが含まれていますので、少しだけ立ち止まっておきたいと思います。

ここに書かれていることは、イエスさまが宣教活動を開始されましたので、イエスさまのもとに多くの人が集まるようになりましたということです。しかし気になるのは、2節に「洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである」という断り書きです。この断り書きの意味は、洗礼の儀式はイエスさま御自身ではなくイエスさまの弟子たちが行っていたということであると思われます。

しかし、だからといってその洗礼はイエス・キリストの洗礼ではなく弟子たちの洗礼であったと言わなければならないわけではありません。そもそも、たとえばペトロの洗礼であるとかヤコブの洗礼とかヨハネの洗礼というようなものは存在しません。「何々先生の洗礼」なるものは、そもそも存在しないのです。少なくともそのような洗礼をキリスト教会は行ってきませんでした。「いや、キリスト教にもいろいろある」と言われるかもしれません。少なくとも改革派教会では、洗礼に対するそのような考え方は到底受け入れられないものです。

洗礼の主体はイエス・キリストであり、イエス・キリストの体なる教会です。どれほど間違っても洗礼の主体は教師個人ではありません。儀式を行った教師が誰であれ、それが「イエス・キリストの洗礼」であることには変わりがないのです。この点がぐらつきますと、わたしたちの信仰生活は真の神への信仰によって成り立つものではなく、ただ単なる人間関係だけで成り立つものへと変質してしまうでしょう。

イエスさま御自身が洗礼の儀式を行われなかった理由は、ここには記されていません。しかし、すぐに思い当たります。「私はもろもろの弟子たちからではなく、イエスさまの手から直接洗礼を授けていただいた人間である」というような話が独り歩きし、そのような洗礼が何かある特別な意味を持ち始めるというようなことをイエスさま御自身が最も警戒なさったからに違いありません。そのような信仰のあり方は、本来のキリスト教とは最も遠いものであると言わなければなりません。

さて、イエスさまの弟子が増えてきたことが、ユダヤ教団の人々、とくにファリサイ派に属する人々の耳に入るようになりました。この「ファリサイ派」の人々は、バプテスマのヨハネのもとに遣わされた人々(1・24)の関係者であることは間違いありません。彼らは一種の警察権力であり、ユダヤ社会とユダヤ教団を脅かす存在が出てくることを絶えず警戒していた人々でした。その彼らの目から見れば、イエスさまとその弟子たちの集団は危険な存在に見えたようです。彼らが動き始めたことをイエスさまが察知なさいました。

もちろんイエスさまたちは何も悪いことをしていたわけではありませんので、逃げることも隠れることも必要ないだろうと言われるならば、なるほどそのとおりです。しかし、権力をもつ人々が自分たちに都合が悪い存在を闇から闇へと葬り去ることがありうることは否定できません。そのことをイエスさまはご存知でした。そのため、より安全な場所に身を移すことをお考えになり、ユダヤ教団の本拠地であるエルサレム神殿のある地域からは遠いガリラヤ地方に行くことになさいました。

ところが、です。ユダヤからガリラヤへ行く途中、イエスさまは、サマリアと呼ばれる地域を通らなければなりませんでした。ただし、「通らねばならなかった」(4節)の意味は、その道しかなかったということではないように思われます。道は他にもあります。しかし、イエスさまにとってできるだけ安全な道を選ぶとしたら、このサマリアを通る道が最適であったということでしょう。

なぜこの道が最適だったのでしょうか。それは9節に「ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである」と書かれているとおりです。ユダヤ人はサマリア人を民族的・宗教的に差別していました。自分たちが忌み嫌っている人々が住んでいる町にも近づこうとしませんでした。ですから、サマリアの町を通ることがイエスさまにとってはユダヤ教団の人々の追跡を逃れるために最適な道であったと考えられるのです。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉があります。それとは趣旨が異なるかもしれませんが、似たようなところもあります。しかし、わたしたちが考えておきたいことは、嫌いな人の住んでいる町には近づきたくもない、その人の家の前は通りたくもないというような心理状態はどのようなものだろうかということです。

同じ空気を吸いたくもない。その相手が地上に存在していることさえ許せない。そのように敵意や憎悪がエスカレートしていくことがわたしたちにも全くないとは言えないはずです。とはいえ、この場面では、ユダヤ人たちのサマリア人嫌いが結果的にイエスさまの身の安全の確保につながったようであることは、決して良いことであったとは思いませんが、皮肉であるとしか言いようがありません。

そのようにして、イエスさまは、ともかくサマリア地方を通る道を選択なさいました。そしてシカルという町に着きました。この地方は山坂険しいところでもありますので当然お疲れになりました。神の御子もお疲れになるのです。そして、シカルの町の井戸のそばに座りこんでしまわれました。女性がイエスさまと出会ったのは、この場所でした。

それは「正午ごろのことである」(6節)と記されています。なぜ時間のことが記されているかははっきりとは分かりませんが、それはおそらく、真昼間の出来事であったという意味でしょう。

つまり、太陽が真上から容赦なく地上を照らす灼熱地獄。そのときイエスさまは疲れと渇きの絶頂の状態であられたのだということが暗示されているのではないかと思われます。その状態のイエスさまが水を求めて井戸端にへたり込んでおられる様子は、想像すると何とも言えない気持ちにさせられます。「かわいそうだ」という言い方には語弊がありますが、なんとかしてあげたいような気持ちにもなります。

そこに女性が現れました。彼女は井戸に水をくみに来ました。その女性に対してイエスさまが「水を飲ませてください」とお願いなさったのです。「おい、水を飲ませろ」と強盗のように脅したわけではありませんし、上から命令なさったわけでもありません。哀れな姿としか表現のしようがないほど憔悴しきった中で水を求めておられるイエスさまの様子が目に浮かびます。違うでしょうか。

ところが、その女性は、ある意味で当然の、しかし、何となく冷たい感じもする言葉をイエスさまに投げ返しました。「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」。

これがある意味で当然の言葉であったと申しましたのは、先ほども触れましたように、ユダヤ人はサマリア人を宗教的・民族的に差別していたからです。とくにユダヤ人の側がサマリア人を馬鹿にし、見くだしていました。そのユダヤ人であるイエスさまがサマリア人の女性に頭を下げてお願いする。それは明らかにタブーを破る行為でした。それは彼女の側からすれば、天地がひっくり返るほど驚くべきことであったに違いありません。

しかし、何となく冷たい感じもすると申しましたのは、目の前に現実に疲れきっており渇ききっている人が横たわっているのに、すぐには助けようとしないで、この私にそんなことをどうして頼むのですかと理屈を言って突き放しているようでもあるからです。

わたしたちならどうするだろうかと、ここでも考えておくことが重要です。嫌いな人や憎い人、敵対関係にある人が、目の前で困っている。そして、その相手が自分に対して頭を下げて助けを求めてきた。自分はその人を助けることができる力や技術を持っている。しかし、そこには単純に乗り越えることができない壁や障害がある。助けるべきか、立ち去るべきか。そのようなことで悩むことがわたしたちにもあるのではないでしょうか。

しかし、そのような場面でわたしたちは実際にどのようにするでしょうか。相手の出方次第であるという面があるかもしれません。頭の下げ方がまだ足りない。それこそ地面に這いつくばってでも願うなら、よし分かった、言うことを聞いてやってもよい、となるか。それとも、はいはい、どうぞどうぞ、となるか。

イエスさまは、この場面で何とも不思議なことを語り始められました。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるかを知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」(10節)。「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(14節)。

「あれれ?イエスさまはお願いしている立場であるはずなのに、逆のことを言っているぞ」と思われても仕方がないようなことをおっしゃっています。しかし、このイエスさまの言葉が、このあと、彼女を救いに導くものになりました。「水を飲ませてください」から始まるなにげない会話をきっかけにして、この女性の人生に根本的な変化が起こりました。本当に渇いているのはイエスさまではなく自分自身であったということに彼女は気づきました。イエスさまがそのことに気づかせてくださったのです。

この続きは来週お話しいたします。

(2009年5月3日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年5月1日金曜日

カルヴァン、ゲットだぜ!

今年(2009年)は、宗教改革者ジャン・カルヴァンの生誕500年。日本でも各地で記念行事が行われています。



パーフェクトではありませんが国内と海外で今年行われる記念行事をほぼ一覧できる「カルヴァン生誕500年(2009年)関連行事カレンダー」を私が作成しましたので、これを見て「どれに参加しようかな?」と選んでいただけるとうれしいです。



すでに終了したものもありますが、まだまだたくさん残っていますので、すべての集会が多くの人で満たされますよう期待しています。



ちなみに私は、子どもたちに大人気の「ポケモン スタンプラリー」を真似て「カルヴァン スタンプラリー」を企画しませんかと一応提案してみたのですけどね。全国共通の「カルヴァンスタンプ」を作って全国の集会に設置していただき、「カルヴァンスタンプ帳」にたくさんスタンプを集めた人に「カルヴァンマスター認定証」を出しましょうと。



冗談だと思われたらしく即座に却下されましたが。ナニ、こちらは大真面目だったのですけどね。



ともかく今年を機に、日本におけるカルヴァン研究が盛んになっていくことを願っています。



2009年4月26日日曜日

御父は御子にすべてを委ねられた


ヨハネによる福音書3・31~36

「『上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。この方は、見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。その証しを受け入れる者は、神が真実であることを確認したことになる。神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。神が“霊”を限りなくお与えになるからである。御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。』」

わたしたちが今行っていますようにヨハネによる福音書を前から順々に学んでいきますと、今日の個所のようなところも避けて通ることができません。しかし、この個所を読む人のだれもが感じるでありましょうことは、ここに書かれていることは非常に難しいことのようだということです。その場合の「難しい」の意味は、ここで用いられている表現があまりにも抽象的すぎるので具体的にいったいどのようなことをイメージすればよいのかが分からない、というあたりにあるように思われます。

ヨハネによる福音書が明らかにしていることは、このような難しい言葉をわたしたちの救い主イエス・キリスト御自身がおっしゃったのだということです。しかし、他の三つの福音書(いわゆる共観福音書)には、今日の個所に記されているようなイエスさまの言葉は全く出てきません。ヨハネによる福音書だけに出てくるという意味でこの個所のイエスさまの言葉は「ヨハネ的特徴」をもっていると言えなくもありません。

しかし、わたしたちは、今日の個所を前にして「この個所は難しい」と言うだけで手をこまねいているわけにも行きません。何とか少しでも理解しておく必要があります。ここで語られていることは何なのかをできるだけ正しくとらえて、分かりやすくお話ししなければなりません。しかし、そうすることが難しいと感じます。

結論的なことから先に言ってしまえば、この個所にはキリスト教信仰の根幹にかかわる真理が語られています。言い方を換えれば、キリスト教がなぜキリスト教なのかという点にかかわる事柄、すなわち、キリスト教をキリスト教にするものがここにあります。それはどういうことなのかについて説明してみたいと願っております。

イエスさまは「上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来られる方は、すべてのものの上におられる」と語っておられます。「上から来られる方」とは、神の御子なる救い主イエス・キリストのことです。「上から来られる」も「天から来られる」も同じ意味です。「神から来られる」と言い直すこともできます。「神に属する」も同じです。イエス・キリストは父なる神のもとから地上に来られた方なのです。それに対して「地から出る者」とか「地に属する者」と言われているのは、わたしたち人間のことです。地上に生きている全人類のことです。

ここで用いられている「上から、天から、神からのもの」という表現と「地から出る」とか「地に属する」という表現は反対のことを意味しているのであり、両者が比較される関係に置かれていることは明らかです。しかし、読み間違いが起こってはならないゆえに注意すべきことは、「地から出る」とか「地に属する」の意味を、ただちに「汚らわしい」とか「罪深い」とか「悪に満ちた」というようなこととしてとらえてしまうことは間違いであるということです。少なくともこの部分ではそのような意味で理解しないほうがよいと思われます。

ここで語られていることは、「地に属する者」は「上から」または「天から」来られた方の語る言葉を「受け入れない」ということだけです。イエス・キリストの語る言葉を受け入れない人はやっぱり汚らわしいとか罪深いという話になってしまうかもしれませんが、ここでの「受け入れない」は「受け入れることができない」です。それはまるで外国語、あるいは宇宙語(?)を聴いているような感じがするので、すぐには理解できそうもないというくらいの話に近いことです。「神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される」とあるとおりです。

神の言語と地上の言語は異なるのです。人間は神の言語を理解できないのです。しかし、「理解できないのです」と言うだけで済ませるわけには行きません。理解できない言葉を理解できるようにするために、翻訳という手続きを経る必要があります。神の言語が人間の言語へと翻訳されなくてはならないのです。

そしてこの話が、今日の個所で私自身が最も重要であると受けとめている点につながります。キリスト教がなぜ「キリスト教」なのかという問いに対する答え、つまりキリスト教をキリスト教にするものがあるのは35節のみことばです。「御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた」。

ご承知のとおり、ここで「御父」とは天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった創造者にしてわたしたち全人類の父なる神のことです。「御子」とは、わたしたちの救い主イエス・キリストのことです。ですから35節のみことばにおいては、その両者、すなわち、御父と御子との関係がどのようなものであるかが語られているのです。

両者の関係はどのようなものなのでしょうか。ここには「御父」が「その手に」、つまり御子の手に「すべてをゆだねられた」と語られています。天地万物の創造者である御父が「すべて」を御子イエス・キリストにゆだねられたのです。ゆだねるとは、任せること、託すことです。委任すること、委託すること、任命すること、あるいは任職することです。わたしたちが何かの委員になるというときの「委」の字の意味です。父なる神は、御自身が取り組んでこられた仕事のすべてを、そしてその仕事を通して関係をもってきたすべての存在、人や物を、御子イエス・キリストに託されたのです。

父なる神のみわざとは、大きく分けると、創造と摂理の二つです。「創造」とはこの世界を神がお造りになったことです。しかし、神は世界をお造りになっただけで放置される方ではありません。それを保ち、治め、管理してくださる方でもあります。その神の保ち、治め、管理してくださる働きを、わたしたちは「摂理」と呼ぶのです。

御父が御子に委ねられた「すべて」の中には、もちろんわたしたち自身の存在も入っています。また、今ここにいるわたしたちだけでなく、過去の世界に生きた人々も、そしてこれから生まれてくる子どもたちも含まれています。

ただし、創造のみわざはすでに完了していますので、御父が御子に委ねられたのは主に摂理のみわざです。わたしたちの存在を保ち、治め、管理する摂理のみわざのすべてが、イエス・キリストに委ねられたのです。イエス・キリストにおいて神のすべてのわざが行われるのです。それが意味していることは、神とはどういうお方か、神のみわざとは何なのかを知りたい人は、イエス・キリストの姿を見れば分かるのだということです。

この点が、先ほど申しました、神の言葉が翻訳される必要があるという点にかかわってきます。御子の姿は具体的です。地上における歴史上の一人物です。イエス・キリストの姿は神を信じない人々の目にも見えました。このひとりの人の姿が、神の言葉を、わたしたち人間に理解可能な言語へと翻訳しているのです。

御子が流してくださった血と汗と涙は、わたしたちが流す血と汗と涙と同じものです。「わたしたちの血は赤いが、御子の血は青い」というようなことはありえません。また、御子が生きられた世界は、わたしたちが生きているこの世界と同じものです。ベツレヘムも、ガリラヤ湖も、エルサレム神殿も、すべては実在しています。わたしたち自身がその場所に行くこともできます。イエスさまが歩かれたのと同じ道を歩くことができます。すべては現実そのものです。

それがわたしたちの信じている宗教の本質です。わたしたちの信仰は、ただ単なる神を信じているというようなものではなく、あの歴史上の一人物であるイエスというこの方のお姿と、この方の歴史的・現実的・地上的・具体的なお働きの中に現されたものを通して知りうる神を信じているのです。つまり、わたしたちの信じている神は、単なる神というようなものではなく、イエス・キリストという鏡に映った神であり、イエス・キリストという眼鏡を通して見える神なのです。

わたしたちの宗教は、ただ単なる神信仰ではなく、イエス・キリスト教なのです。まさにこれこそが「御父が御子にすべてを委ねられた」と言われている意味であり、キリスト教をキリスト教にするものであると語ることができるでしょう。

ややこしい話をすることをお許しください。御父と御子の関係に対してわたしたち改革派教会は、17世紀以来、一つの呼び名をつけてきました。「贖いの契約」(pactum salutis/ Covenant of Salvation)といいます。この「贖いの契約」という概念は、わたしたち改革派教会が特別に重んじてきたウェストミンスター信仰告白などに登場する「わざの契約」(foedus operum/ Covenant of Works)と「恵みの契約」(foedus gratiae/ Covenant of Grace)とに並ぶいわば第三の契約概念として、重要な意味と位置づけを与えられてきました。

「わざの契約」とは、堕落前のアダムと神との間で交わされた契約です。「わざ」の意味は、神がアダムに課された命令の内容です。すなわち、もしわたしの命令をあなたが守るという条件を満たすならば、わたしはあなたの命を守ってあげますと、神はアダムに約束してくださったのです。ところが、アダムはその命令に背いて罪を犯し、堕落しました。しかし、神は、命令に背いて罪を犯したアダムを憐れんでくださり、「恵みの契約」を結びなおしてくださいました。つまり、「恵みの契約」とは、堕落後のアダムと神との間で交わされた契約であるということになります。

このように、「わざの契約」も「恵みの契約」も、神と人間との間の契約であることには変わりありません。ところが、「贖いの契約」とは、父なる神と御子イエス・キリストとの間の契約であるという点で、前二者とは性質を異にするものです。それを神学的に突き詰めて言えば、御父も御子も同じひとりの三位一体の神御自身であるということになります。

つまり「御父が御子にすべてを委ねる」とは、結局のところ、三位一体の神の内部(?)における話であるということになります。この「贖いの契約」の内容は、厳密に考えていきますとどこまでも深く難しい問題になっていきますので、深入りすることは控えなければなりません。とにかくご理解いただきたいことは、今日の個所に出てくる、御父が御子にすべてを委ねるという話は、キリスト教信仰における重要な点であるということです。


しかし、なぜこのようなことが重要なのかについては、どうしても触れておかねばなりません。とくに旧約聖書を学ぶ人々がしばしば感じることは、(父なる)神という方は人間に裁きと滅びをもたらす、とても恐ろしい方であるということです。実際にそのように言われることが、たびたびあります。ところが、新約聖書に示されている神の姿は、間違いなく、愛と憐れみに満ちた方です。それでは両者の関係はどうなっているのかという疑問が、わたしたちの心の中に避けがたく起こってくるのです。

そのときに、です。このいわゆる「贖いの契約」という点が重要な意味を持ち始めるのです。「わたしたちの父なる神は決して恐ろしい方ではない」ということを説明するために、この点を考える必要が生じるのです。

繰り返し申せば、わたしたちの宗教は単なる神信仰ではなく、イエス・キリスト教です。イエス・キリストの十字架と復活において示された神の愛を信じる宗教です。父なる神のすべてのみわざは、イエス・キリストにおける愛の中で理解されるべきです。そのことを今日、皆さんになんとかご理解いただきたいと願いました。

しかし、かなり難しい話になりましたので、これくらいにしておきます。

(2009年4月26日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年4月19日日曜日

天から与えられなければ


ヨハネによる福音書3・22~30

「その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた。他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた。そこは水が豊かであったからである。人々は来て、洗礼を受けていた。ヨハネはまだ投獄されていなかったのである。ところがヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めのことで論争が起こった。彼らはヨハネのもとに来て言った。『ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています。』ヨハネは答えて言った。『天から与えられなければ、人は何も受けることができない。わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。』」

今日、たった今、Sさんの洗礼式を行うことができました。本当にうれしいことです。準備のための勉強会のときご本人がお話しくださったことは、この日を迎えることができたのは長年の求道生活の結果であるということでした。これまでのすべてを導いてくださった神さまに、心から感謝いたします。

繰り返し申し上げてきましたとおり、わたしたちが洗礼を受けるということと、わたしたちが教会のメンバーになるということは、内容的には全く等しいことです。決して別のことではありません。洗礼式は入会式です。これは入り口なのであって出口ではないし、ゴールでもありません。信仰生活の開始または出発、それが洗礼式です。

そして、信仰生活とは教会生活です。教会と全く無関係であるような信仰生活はありません。教会には通わないが信仰はあると、どうしても言いたい人がいるかもしれません。そのようにどうしても言いたい人々に向かってどのように言えばわたしたちの立場を理解していただけるでしょうか。

教会には通わないが信仰はあるというのは、一人の神学者(ファン・ルーラー)の言葉を借りて言うなら、「音楽は聞くがコンサートには行かないというのと同じ」です。わたしたちが自分独りの部屋でCDを聴いて楽しむ。またはDVDでもよいでしょう。そのこととコンサートに行くことは同じである、少しも変わりはないと言われてしまえばそれまでです。しかし、演奏者たち、あるいは音楽家たちは、全く違うと言うでしょう。わたしの音楽は録音ではなく、生(ライヴ)で聴いてほしいと、きっと願うでしょう。

また、独りの部屋で聖書を読み、参考書を読む。あるいは独りの部屋で賛美歌を歌う。独りで祈りをささげる。それで十分であると言われればそれまでです。しかしそれで本当に満足できる人はいないということを、わたしたちは知っています。信仰生活は教会生活なのです。今申し上げたようなことすべては、独りですることではなく、教会のみんなと一緒にすることなのです。

このことは、しつこく言う必要はないことかもしれません。しかし、たとえば、わたしたちが持っているこの賛美歌のほとんどに、なぜ和音がつけられているのかを考えてみていただくとよいでしょう。ひとりでコーラスができるという人はすごい能力の持ち主なのかもしれませんが、なんだか寂しい感じもします。また、独りの部屋で祈ることは大事なことではあります。しかし、いつでもどこでも独りで祈っていると、それは単なる独り言と全く区別がつかなくなっていくでしょう。

聖書もそうです。断言できることは、この聖書という書物は、独りで読んでもほとんど全く理解できないようにできているものです。なぜなら、聖書は教会の書物だからです。つまり、これは教会の具体的な状況が前提されている書物なのであって、その前提を抜きにしてこれを読もうとしても理解できるはずがないのです。

しかし、です。「洗礼を受けて信仰生活を始めるとは教会のメンバーになることです」と申し上げますと、必ずと言ってよいほど一つの典型的な誤解に陥ってしまう人々がいるということを知らずにいるわけではありません。それはたしかに誤解なのですが、「火の無いところに煙は立たず」と言われますように、全く根拠のない、根も葉もない誤解であるとも言い切れないものがあることを否定できません。

それはどういう誤解なのかということを今日は考えてみたいと願っています。実を言いますと、今申し上げました問題が、今日お読みしました個所で扱われているのです。

ここに記されていますことは、わたしたちの救い主イエス・キリストが弟子たちと共に神の国の福音を宣べ伝える宣教のみわざを開始されて間もなくの頃に起こった出来事です。イエスさまは人々に洗礼を授けておられました。ところが、それと同じ頃に、イエスさまに洗礼を授けたことで知られるあのバプテスマのヨハネも洗礼を授けていたのです。

このことが何を意味するのかと言いますと、イエスさまが伝道活動を開始されたときにヨハネは自分自身の伝道活動をやめたわけではなかったということです。全く同じ時期に、いわば同時並行的に、イエスさまもヨハネも、それぞれ別々に洗礼を授けていたのです。

ところが、です。そのことで厄介な問題が起こってきたようなのです。それはどのような問題だったのかと申しますと、要するにイエスさまが洗礼を授ける人の数が増えていくことによって、ヨハネが洗礼を授ける人の数が減っていったということです。そしてその様子を知ったヨハネの教会の人々が、非常に腹を立てはじめたのです。「みんながあの人の方に行っています」と、ヨハネに向かって文句を言いだしたのです。

彼らが言いたかったことは、おそらく次のようなことであると思われます。「ヨハネ先生、あなたが洗礼を授けたあのイエスという人の教会が流行りはじめたせいで、こちらの教会は減る一方です。こちらが減っているのは、あなたがあのイエスという人に洗礼を授けてしまったせいではありませんか。そしてあなた自身は自分の伝道をすっかりサボるようになってしまったからではありませんか。ヨハネ先生、あなたもなんとかしてください」。

先ほど申しました誤解とは、まさにこの点に関係しています。洗礼を受けるとは教会のメンバーになることです。洗礼を受けた人の数だけ教会のメンバーがいます。そのことは誤解でも何でもなく、紛れもない事実です。しかし、そこにすぐにでも一つの誤解が紛れ込んできます。ただしそれは完全な誤解であるとは言い切れないものでもあります。この点にこの問題のとらえ方の難しさもあります。それは要するに、教会が人に洗礼を授ける理由ないし動機が、他の教会あるいは他の宗教団体との、数ないし量にかかわる単純かつ純粋な競争心に基づくものになってしまうのだということです。

私は今とてもややこしい言い方をしてしまいました。もっと分かりやすく言い直します。ヨハネの教会の人々が陥った誤解ないし罠は、要するに、洗礼を純粋かつ単純に人集めという次元だけでとらえてしまったということです。別の言い方をすれば、「天から」という視点を失い、すべてを全く地上的な次元でだけとらえきってしまったということです。

もちろん彼らに対する同情の余地はたくさんあるのです。はっきり言えそうなことは、ヨハネの教会の人々は自分たちの教会の人数がだんだん減っていくことに対して強い危機感を覚えたに違いないということです。

かつては人がたくさん集まっていた。活発な活動もできていた。そのことに喜びや誇りも感じていた。しかし、今は寂しいかぎりである。閑古鳥が鳴いている。そしてこちらの教会が今やすっかり寂しくなった原因を考えてみると、どうやら自分たちの先生が洗礼を授けたあのイエスという人が始めた新しい伝道所に人がどんどん集まり、そちらのほうで洗礼を受ける人が増えてきたからだということが、次第に明らかになってきた。それではわたしたちのほうもがんばって伝道しましょうという話になれば、それはそれで良い結果を生みそうなものですが、現実はそのようにスムーズに進んで行きませんでした。ヨハネの教会の人々の怒りの矛先は、彼らの先生に向かいはじめたのです。

本来はこちらに来るべき人々があちらのほうにどんどん盗られているというふうに彼らは事柄を認識しました。まるでデパートの安売り競争でもあるかのように。勝った負けたを争う純粋な競争原理を、伝道という事柄の中にストレートに持ち込んでしまったのです。あるいは縄張り争い。こちらの領域をあちらの人々が侵した。境界線を踏み越えてきた。我々の陣地に土足で入り込み、こちらの人々を奪って行った。

こういう考え方、ないし物事の捉え方を、こと教会に関する事柄の中へとストレートに持ち込むことがどれほど事柄にそぐわないかということについては、説明する必要はないでしょう。仮に百歩譲って、あちらの教会が増えたせいでこちらが減った、というような因果関係が証明できたとしても、だからといってあちらを恨んだりこちらに腹を立てたりするというのは、ほとんどそれは逆恨みのようなものです。

伝道とは競争でしょうか。教会の存在理由は単なる人集めでしょうか。もちろん、そのような面が全くないと言い張ることはできません。伝道は人集めではないと言い切るべきではありません。人が集まっているところが教会なのであって、人が一人もいないところは教会ではないのです。

しかし、たとえばあの伝道者パウロが、洗礼という事柄にあからさまな競争原理が持ち込まれることに対して非常に強い警戒心を抱いていた形跡があります。コリントの信徒への手紙一1・14以下に次のように記されています。

「クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。だから、わたしの名によって洗礼を受けたなどと、だれも言えないはずです。もっとも、ステファナの家の人たちにも洗礼を授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません。なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです」(一コリント1・14~17)。

ここにパウロが書いていることには明らかに誇張や矛盾があります。そのことをわたしたちは認めるべきです。すべてを真に受けるべきではありません。だれにも洗礼を授けなかったことを神に感謝しますというようなことを大っぴらに言い張る伝道者は、おそらく失格者です。しかしパウロの意図はよく分かります。私は洗礼を何人に授けたというようなことがまるで伝道者自身の手柄でもあるかのように受け取られることを、パウロは非常に嫌ったのです。そんなことのためにわたしは伝道者になったのではない!そんなことのために教会が立っているのではない!そのように言いたかったのです。

バプテスマのヨハネは謙遜な人でした。自分の教会の先生が優柔不断にふるまっているように見える、その姿に腹を立てた教会の人々に対して、まあまあ落ち着いてくださいと言っているかのようです。

ヨハネが彼らに言っています。わたし自身はメシア(=キリスト)ではありませんよと言ったじゃないですかと。

あなたがたは花嫁であり、救い主イエス・キリストは花婿である。結婚生活はこれから始まる。私ヨハネはあなたがたの介添人にすぎない。これからあなたがたは救い主イエス・キリストと生涯を共にする夫婦となり、家族となるのだと。

「わたしの弟子」ではなく、「イエス・キリストの弟子」が増えること、そしてイエス・キリストの教会のメンバーが増えることを、わたしは喜んでいるのですと。

わたしたちも、このヨハネのように語れるようになりたいものです。

(2009年4月19日、松戸小金原教会主日礼拝)