2008年7月13日日曜日
喜びまで考えぬけ
マタイによる福音書14・13~21
「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。『ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。』イエスは言われた。『行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。』弟子たちは言った。『ここにはパン五つと魚二匹しかありません。』イエスは、『それをここに持って来なさい』と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。」
今日開いていただきましたのは、おそらく皆さまも繰り返し学んで来られた個所です。わたしたちの救い主イエス・キリストが、五つのパンと二匹の魚をもって男性が五千人、女性や子どもたちを合わせればおそらく一万人くらいはいたでありましょう人々の空腹をたちどころにいやしてくださった、ひとつの奇跡物語です。
この出来事をイエスさまはまさに奇跡として行ってくださいました。そのことをわたしたちは信じる必要があります。しかし、この物語には、この点以外にも注目すべき豊かな内容があります。今日はその中のひとつを取り上げたいと思います。
イエスさまがお聞きになったのは、バプテスマのヨハネが殺されたという知らせでした。なぜヨハネが殺されなければならなかったのかをご説明する時間はありません。今考えてみたいのは、その知らせをお聞きになったイエスさまのお気持ちです。
間違いなく言えそうなことは、深く傷ついておられただろうということです。つらくて悲しい思いをもっておられたに違いありません。心も体も疲れ果てておられたでしょう。だからこそイエスさまは、「ひとり人里離れた所に退かれた」のです。
ただし、より正確に言いますと、「ひとり人里離れた所に退かれようとした」です。それは実現しませんでした。群衆がイエスさまを追いかけ、押し寄せて来ました。イエスさまは、おひとりになることができなかったのです。
しかし、イエスさまは本当に忍耐強くふるまわれました。だれよりも御自身がお疲れになっていたでありましょうのに、大勢の群衆を見て「深く憐れんでくださり」、病気の人をいやしてくださいました。イエスさまとはそういう方なのです。
イエスさまの周りには「群衆」がいました。それは非常に大勢の人です。わたしたちの仕事のなかで何が疲れるかといって、ひと相手の仕事くらい疲れるものはないと思います。相手が人間である。それぞれの人々にそれぞれの人生があり、苦労があり、考え方や価値観があります。それがまた一人一人違うのです。その一人一人の存在を受け入れ、理解し、助け、力づけること。これは重労働なのです。
イエスさまはその仕事を一生懸命に果たしてくださいました。そしていつの間にか日が暮れていました。しかもその場所は、イエスさまがそもそも「ひとり人里離れたところに退こうとされた」場所でした。繁華街ではありませんでした。そのため、弟子たちが提案したのは、群衆を解散させ、各人の夕食は各人で、村で買ってもらいましょうということでした。彼らとしては当たり前のことを言ったつもりだったと思います。
ところが、そのときイエスさまが弟子たちにお答えになったことは、おそらく弟子たちにとっては厳しいと感じる内容でした。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べるものを与えなさい」。
これがなぜ「弟子たちにとっては厳しいと感じる内容」なのでしょうか。ぜひ考えてみていただきたいことは、夕方になるまで「弟子たち」は何をしていたのだろうかということです。その答えは今日の個所には何も記されていません。しかし全く分からないわけでもありません。「弟子たち」は、イエスさまが一生懸命に働いておられたときに何もせずにぼうっとしていたわけではなかったはずです。
「弟子」の仕事は、イエスさまをお助けすることです。それ以外の何ものでもありません。イエスさまが一生懸命働いておられたとき、そのイエスさまをお助けする弟子たちもまた、一生懸命に働いていたに違いないのです。
考えられるのは次のことです。イエスさまとしては、そもそもヨハネが殺されたという出来事のなかで傷つき、疲れておられました。しかし、その御自分の心と体を鞭打って、群衆の一人一人を助ける仕事を果たされました。そしてそのときイエスさまの弟子たちも同様に、イエスさまと共に一生懸命働いて、心も体も疲れ果てていました。そのとき弟子たちは、おそらくほとんどダウン寸前だったのです。
ところが、その弟子たちに対してイエスさまは、群衆の夕食の準備を「あなたがたが」、つまり、あなたがた弟子たちがしなさいと言われたのです。
「いやいや、イエスさま、ちょっと待ってください! わたしたちも疲れているのです。わたしたちもボロボロです。そのわたしたちがどうして群衆の夕食の世話までしなければならないのでしょうか。そこまでサービスする必要や責任は、わたしたちにはないのではないでしょうか。サービス過剰ではないでしょうか。群衆たちはいわば勝手についてきただけではないでしょうか。自分の食べ物を買いに行くことは自己責任ではないでしょうか。ぜひ『どうぞご自由に』と言ってください。食べたい物を、食べたいだけ、どうぞご勝手に食べてもらったらよいのではないでしょうか」。
おそらく弟子たちは、そのように言いたかったのです。
ところが、イエスさまは、弟子たちをあえて酷使なさったのです。「わたしたちも疲れている」という文句を言わせなかったのです。「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」。そこまで世話をすること、すなわち、人々の心の世話だけではなく体の世話、食事の準備まですることが、あなたがた弟子たちの責任であり、使命でもあるということを、イエスさまは明らかになさったのです。
しかし弟子たちは、横暴とも感じられるイエスさまのご命令を前にして、明らかに抵抗しています。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」。この弟子たちの言葉はイエスさまに対する抵抗の言葉として読むことが可能です。
弟子たちがイエスさまに提案したことは、群衆たちには「村に」食べ物を買いに行かせましょう、ということでした。ところが、イエスさまは「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」と言われました。その言葉は、弟子たちの耳には、明らかに「彼らの食べ物を、あなたがたが村まで行って買ってきなさい」と聞こえたはずです。
そんなことができるものかと、彼らは抵抗しているのです。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」の「ここ」に込められている意味は、わたしたちは「ここ」から一歩も動きませんし、動けませんということです。「わたしたちだって一生懸命に働いたのです! わたしたちもボロボロです。群衆もお腹をすかしているかもしれませんが、わたしたちのお腹もすいています。イエスさま、これ以上わたしたちに何をさせようとなさっているのでしょうか。いいかげんにしてください」。彼らはこのように言いたいのです。
こういうのを今の言葉でいえば“キレる”というのです。弟子たちはイエスさまの言葉にキレたのです。「わたしたちはここから、もう一歩も動きません。ここにある、この五つのパンと二匹の魚、これで何とかできるようでしたら、どうぞ何とかなさってください。わたしたちはもう知りません」。これは一種のストライキです。座り込みのようなものです。横暴な命令にはこれ以上従うことができませんという、抵抗の姿勢です。
そのような弟子たちの態度をご覧になったイエスさまが遂に行ってくださったのが最初に申し上げた奇跡です。イエスさまは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちに渡し、群衆に配らせました。それによってすべての人のお腹が満たされたのです。
この奇跡の意味は何でしょうか。もちろんいろんな読み方が可能でしょう。しかし私は今日、その中のひとつのことだけを申し上げておきます。それは、人々のお腹を満たすという仕事を弟子たちが引き受けないならば、すなわち、「そこまではわたしたちのなすべき仕事ではない」と彼らが拒否するならば、「その仕事をわたしがする」というイエスさまの態度決定の表われであるということです。弟子たちがストライキをもってその部分の働きを拒絶するならば、御自身ひとりでそれをするということです。
言い換えるならば、イエスさまのもとに集まった人々の心の世話だけではなく体の世話、たとえば典型的に「食事の準備」という点は、いつもイエスさま御自身と共に生きている弟子たちが本来果たさねばならない仕事であるということです。
ここまで申し上げれば、皆さまにはすぐにご理解いただけるでしょう。私が考えていることは、今日の個所に登場する「弟子たち」の姿は、わたしたち自身の姿、現在の教会の姿と重ね合わせて見ることができるだろうということです。この個所を読みながらわたしたちが考えなくてはならないのは「教会の役割と使命とは何か」という問題です。
もっとも私自身は、花見川キリスト教会の礼拝に参りましたのは今日が初めてであり、皆さんがふだんどのように活動しておられるかを全く存じません。皆さんへの批判や要望のようなことを申し上げる意図はありません。そういうことではないということを、ぜひ信頼していただきたいと願っています。ごく一般論としてお聴きいただいたいのです。
私が申し上げたいことは、教会の役割と使命は、人間の心に関わるだけではなく、人間の体にも関わるということです。このあたりから教会のみんなで一緒に食事をとる機会を増やすべきだという話題に切り替えても構いませんが、私が申し上げたいことはそのようなことだけではなく、もっと根本的なことです。
わたしたち教会の者たちが真剣に考えなければならないことは、信仰と生活の関係であり、教理と倫理の関係であり、神の御言葉と現実の関係です。教会が取り組むべき課題は、精神的なことだけではなく、肉体的なことでもある。生活の問題、倫理の問題、現実の問題は、付け足しのようなものではなく、本質的なものであるということです。それらの問題に取り組むことを、わたしたちは面倒くさがるべきではないのです。
教会がとことんまで追い求めてよいこと、追い求めるべきことは、わたしたちの「喜び」です。「喜びまで考えぬくこと」、すなわち、どうしたらわたしたちが「喜びに満たされた教会」になるのか、またわたしたちが生きている現実が「喜びにあふれたもの」になるのかを徹底的に考えぬくことが重要です。その際に重要なことは、「喜び」とは心の問題だけではなく、体の問題でもあるということです。
愚痴のようなことを言いだせば、きりがありません。愚痴はできるだけ抑えましょう。それはわたしたちに何の益ももたらさないでしょう。できるだけ楽しいことを考え、語り合いましょう。それが豊かな益をもたらすでしょう。
(2008年7月13日、花見川キリスト教会礼拝説教、東関東中会講壇交換)
2008年7月8日火曜日
人間的なるものを全面的に否定する罪
先月末に二週連続で行った研究発表と講演(カルヴァン、ファン・ルーラー)で私が最もお伝えしたかったことは、もちろん、「人間的なるもの」という言葉を“批判的・否定的・糾弾的な”意味で用いてきた、日本の教会にも色濃く流れ込んでいるある種の「教会的伝統」に対する強い批判の気持ちです。「そういう言葉遣いはもうやめようではないか」という具体的な提案です。この批判と提案の根拠、つまり、「人間的なるもの」という言葉を悪い意味で語る伝統は打破されなければならないと主張するための神学的な根拠を、16世紀のカルヴァンと20世紀のファン・ルーラーという二人の神学のなかに見出すことができると申し上げたいのです。しかしまた、カルヴァンには「人間的なるものイコール(=)罪深いもの」という、この同一性の主張が全く無いとは言いきれません。この点のカルヴァンの“苦しい分裂”にファン・ルーラーは「否」を突きつけたのです。「人間的なるもの」は「罪深いもの」とイコール(=)ではありません。これは「キリスト論的視点」か、それとも「聖霊論的視点」かという問題には、直接的には関係ありません。むしろ、直接的に関係しているのは、おもに創造論です。「神は人間的なるものを初めから本質的に罪深いものに創造された」わけではないのです。被造性の本質は「はなはだ善きもの」(erant valde bona)なのです。もちろん、創造後の「堕落」の問題は無視できません。しかし、「堕落」の意味は、「被造性(creativity)の喪失」です。それゆえ、イエス・キリストの贖いのみわざ(redemptio)によって成就した「堕落からの救い」の意味は、「喪失した被造性の“回復”」です。このことを改革派神学は「再創造」(recreatio)と呼んできたのです。ファン・ルーラーは、この線に全く立っています。「人間的なるもの」は「罪深いもの」とイコール(=)ではありません。「我々人間は当然(naturally)罪を犯すのだ」と語ってはなりません。罪をナチュラライズしてはなりません。「我々人間は罪のあらゆる誘惑に打ち勝たねばならない」と語らなければなりません。罪の問題はいささかも軽視してはならないのです。しかし、そのこと(罪の問題をいささかも軽視しないこと)と、「人間的なるもの」という言葉をもっぱら“否定的・批判的・糾弾的な”意味で用いてもよいとすることは別問題です。たとえば、「人間的なるものを全面的に否定する罪」があると思います。「人間嫌いの罪」があると思います。「地上の生を否定/軽視する罪」、「自暴自棄になる罪」、そして「ただ天上の生のみを憧れる罪」、「早く地上を去りたいと懇願する罪」があると思うのです。いま書いたことは、原理的な問題というよりも、現実の問題です。この現実の問題に対してキリスト論的視点からだけで答えを出せるでしょうか。私の見方では、わたしたちがキリスト論的視点から聖書を読み、人生と世界について考えているときに常に随伴してくる宗教的感情は、「殉教」です。「自らの殉教を喜んで受け入れる罪」を語るつもりはありません。しかし「地上の生への執着心」それ自体を「罪」と呼ぶことはできないと思っています。どのような逆境の中にあっても、人は生きてよいし、生きなければならないし、生き延びる道を探し続けなければなりません。「後期高齢者」という用語を不愉快に思っている方が、教会にも大勢おられます(教会も「少子高齢化」です)。私は「後期高齢者」になられた方々には「地上の生への執着心」をできるだけ多く持っていただきたいと願っています。「早く天国に行きたい。周囲に迷惑をかけないままポックリ逝きたい」。こういう話を(人前で)するのはやめてもらいたい。「後期高齢者」になられた方々には、どうぞ遠慮なく、周囲の人々に迷惑をかけていただきたいと願っています。ただし、愚痴ばかり言わないで。謙遜に「人の世話になること」を覚えてほしいものです(これ私の愚痴ですね、すみません)。
2008年7月7日月曜日
説教は「受肉」しない
ファン・ルーラーの「キリスト論的視点」と「聖霊論的視点」の区別の意図の一つは、「キリストの人間性」としての(それ自体は独立した人格性(ペルソナ)を有さない)“肉”(サルクス)と我々自身が有している「人間の人間性」とを厳密に区別することでした。この両者を区別することに、どのような実際的な意味があるのでしょうか。即座に挙げることができる一つの例は、もし我々が事柄を神学的に厳密に語ろうとするならば、我々が行う説教は決して「受肉」しないということです。我々の説教は「受肉」しません。なぜかというと、我々の説教は(三位一体の神の第二位格としての)“永遠のロゴス”そのものではありえないからです。もしそのようなものであるとするならば、我々の説教は完全にアンタッチャブルなものになってしまいます。誰もそれを批判することができない、まさに無謬で無誤の言葉に化けてしまいます。また、その場合には、説教者の存在は“肉”(サルクス)にすぎないものとみなされざるをえません。そのとき説教者は、まるで理性や感情をもたない機械じかけの存在でなければならないかのようです!我々の説教は「受肉」するのではなく、いわば「内住」するのです。説教は、聖霊のみわざにおいて、語る者の「人間的なるもの」を通り抜けて、聴く人の「人間的なるもの」のなかへと注ぎ込まれ、混ぜ込まれ、練り込まれるのです。我々は、説教において説教者自身の「人間的なるもの」が反映されることを、なんら恐れるべきではありません。たとえば、説教において「と思います」と語ること、「わたしの証し」を織り交ぜること、あるいは葬儀説教の中で「故人について」語ることは、なんら非難されるべきことではありません。いかに厳密かつ徹底的な釈義を経ようとも、我々の説教が“純粋な神の言葉”へと蒸留されることはありえません。説教とはそのようなものであると思い込んでいる人には、何か大きな勘違いがあるのです。そのように教え込んだ教師の責任は重大です。ファン・ルーラーの言葉を借りると、説教は、どこまでも「人の手垢がついた言葉」であり続けるのです。
2008年7月6日日曜日
パウロ、王の前で語る
使徒言行録26・1~11
ユダヤの王アグリッパがパウロに「自分のことを話してよい」と言ったので、パウロは話しはじめました。場所はカイサリアです。パウロの話を聞いていたのは、アグリッパとベルニケ、ローマ人総督フェストゥス、千人隊長たち、そしてカイサリアのおもだった人々でした(25・23)。
「アグリッパはパウロに、『お前は自分のことを話してよい』と言った。そこで、パウロは手を差し伸べて弁明した。」
パウロが差し伸べた手、また足には鎖がかけられていました(26・29)。パウロはとても惨めな気持ちを、半分以上は持っていたに違いありません。
しかしパウロは実に堂々としています。おそらく彼にとっては、相手がだれであれそういうことは全く関係なかったのです。パウロは、人間を恐れるということを知りませんでした。それは彼の性格にも関係していたかもしれませんし、また彼がこれまで受けてきた様々な訓練や試練の結果かもしれません。
けれどもやはり、わたしたちが考えなければならないことは信仰です。生ける真の救い主イエス・キリストへの信仰が、パウロを強くしたのです。
パウロがアグリッパに言わなかったことは「この鎖を外してください」ということでした。「この鎖さえ外してくださるなら、こんな信仰など喜んで捨てます」ということでした。パウロにとって自分の命よりも大事なもの、それが信仰でした。信仰が、彼の存在を支えていたのです。
今日取り上げますのは、アグリッパの前でパウロが語った言葉の前半部分です。この中でパウロは、いろんな意味で“微妙なこと”を語っています。何が微妙なのでしょうか。最初に二つだけ、注目すべきポイントを挙げておきます。
第一は、パウロ自身のいわゆる“立ち位置”に関する問題です。彼自身はどこに立っているのかという問題です。とくにポイントはパウロが繰り返し用いている「ユダヤ人」という言葉です。
なぜこの「ユダヤ人」という言葉が問題になるのかというと、申し上げるまでもないことですが、パウロ自身もユダヤ人だったからです。ユダヤ人であるパウロが「ユダヤ人」の話をしているのです。それは、日本人である私が「日本人」の話をするのと同じです。その言い方には明らかに(精神的に)“距離を置こうとする”気持ちが含まれています。
そして、もう一つ重要なことは、このときパウロの目の前にいたアグリッパ王もユダヤ人であったということです。問題は、ここでパウロはすべてのユダヤ人とアグリッパ王にけんかを売っているのでしょうかということです。そのように読めなくもありません。
しかし、パウロの言い方は非常に微妙なものです。明らかに距離を置きながら、しかしまたパウロは、自分自身も十分な意味でユダヤ人であるという明確な自覚をもって語っています。そこには痛みがあり、悩みがあり、苦しみがあります。彼が語っている批判的な言葉の銃口が、彼自身にも向けられているのです。
第二のポイントは、今日取り上げます個所ではとくに、パウロ自身の過去について語られているということです。
パウロはかつて熱心なユダヤ教徒であり、また熱心なキリスト教迫害者でした。わたしたちが考えなければならない問題があります。パウロは自分のそのような過去について、今ここで胸を張って堂々と語っているのでしょうか、という問題です。
頭でも掻きながら、「いやあ、じつは私もねー、その昔はキリスト教なんか全く信じていなかったし、教会とか通っているような人間なんて殺してやりたいくらい大嫌いだったんですよー、あははー」とでも言うような感じで。ニヤニヤしながら。
私はこの個所をどう読んでも、そのように読むことはできません。パウロは明らかに、自分の過去を恥じています。ここにも痛みがあり、悩みがあり、苦しみがあります。反省と悔い改めがあります。しかし、それならばなぜパウロは、そのような恥ずかしくて痛く苦しい自分の過去をあえて口にするのでしょうか。彼は何を言いたいのでしょうか。
「『アグリッパ王よ、私がユダヤ人たちに訴えられていることすべてについて、今日、王の前で弁明させていただけるのは幸いであると思います。王は、ユダヤ人の慣習も論争点もみなよくご存じだからです。それで、どうか忍耐をもって、私の申すことを聞いてくださるように、お願いいたします。』」
最初にパウロは、アグリッパ王がユダヤ人の慣習も論争点もすべて知っている人であると言っています。これは明らかに相手の立場や知識を尊重している言葉です。皮肉や嫌味を言っているのではありません。けんか腰で突っかかっているのでもありません。
「『さて、私の若いころからの生活が、同胞の間であれ、またエルサレムの中であれ、最初のころからどうであったかは、ユダヤ人ならだれでも知っています。彼らは以前から私を知っているのです。だから、私たちの宗教の中でいちばん厳格な派である、ファリサイ派の一員として私が生活していたことを、彼らは証言しようと思えば、証言できるのです。』」
次にパウロは、すべてのユダヤ人がパウロ自身の存在と、彼の「若いころからの生活」を知っていると言っています。聞き方、または読み方によっては、少し威張っている感じの言葉に響かなくもありません。パウロは自分が有名人であると言っているのです。私のことを知らないようなユダヤ人は一人もいないと言っているのです。
しかし、パウロは、今この時点、つまりアグリッパ王の前に立って話しているこの時点での事実を述べているだけです。今この時点のパウロは、たしかに有名人です。すべてのユダヤ人がパウロの存在を知っています。パウロがかつて熱心なユダヤ教徒であり、熱心なキリスト教迫害者であったことを、今この時点におけるすべてのユダヤ人たちが知っているのです。
そのことを、パウロは知っていました。つまり、今ここでパウロがアグリッパに対して語ろうとしていることの意図は、パウロの身に起こった変化をすべてのユダヤ人が知っているという事実に注目してもらおうとしているということです。パウロの意図をより正確に言うとしたら、「この私が有名人である」ということではなく、「この私に起こった変化をすべてのユダヤ人が知っている」ということです。
「『今、私がここに立って裁判を受けているのは、神が私たちの先祖にお与えになった約束の実現に、望みをかけているからです。私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕え、その約束の実現されることを望んでいます。王よ、私はこの希望を抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです』」。
ここでパウロの微妙な言い方が一つの極まりに達しています。パウロは「私たちの先祖」と言い、「私たちの十二部族」と言っています。ポイントは「私たち」です。この「私たち」の中にパウロ自身が含まれ、すべてのユダヤ人が含まれ、さらにアグリッパ王も含まれているのです。
パウロの気持ちが伝わってきます。「神さまがわたしたちに約束を与えてくださったではありませんか。わたしたちは、その約束の実現を求めて、同じ神さまに仕えているのではありませんか。アグリッパさん、あなたもそうでしょう。違うのですか」と。
「私パウロは、わたしたちみんなの共通の目標をめざして歩んできた者でありますのに、私がその中に属し、また私が今なお心から愛している同胞であるユダヤ人から訴えられ、この手や足に鎖をかけられ、裁判を受けているのです。こんなのありですか。いくら何でもひどすぎるのではないでしょうか」と。
「『神が死者を復活させてくださるということを、あなたがたはなぜ信じ難いとお考えになるのでしょうか。』」
ここで再びパウロは、死者の復活の問題を持ち出しています。強調がこめられているのは「神が」という点です。
「死者の復活」という点に強調がこめられていないと言っているのではありません。しかし、ここでパウロが問題にしていることは、神は全知全能のお方ではないのだろうかという点であると思われます。全能とは「なんでもおできになる」ということです。パウロの問いかけの意図は、神が「なんでもおできになる」ということを、また「なんでもおできになる」神という方を、あなたがたは信じていないのですかということです。
「いくら神でも死者を復活させることはできない」ともし考えるならば、神の全能性を否定することです。「できないこともある神」は、神ではないのです。
「『実は私自身も、あのナザレの人イエスの名に大いに反対すべきだと考えていました。そして、それをエルサレムで実行に移し、この私が祭司長たちから権限を受けて多くの聖なる者たちを牢に入れ、彼らが死刑になるときは、賛成の意思表示をしたのです。また、至るところの会堂で、しばしば彼らを罰してイエスを冒瀆するように強制し、彼らに対して激しく怒り狂い、外国の町にまでも迫害の手を伸ばしたのです。』」
パウロは、自分自身の過去に触れます。過去の痛い事実の記憶を思い起こしています。ニヤニヤしながらではなく。反省と悔い改めをもって。それは、ほとんど彼のトラウマのようなものであったに違いありません。そうであるはずなのに、パウロはあえて自分の傷に触れる。
私のなかに改めてわき起こって来る問いは、パウロという人は、いったいどういう人なのだろうかということです。「普通の人ならば」という言い方はあまり用いたくありません。「日本人ならば」などは、もっと言いたくありません。私自身が「普通の人」や「日本人」の中に含まれていないかのようです。ですから、今は「私ならば」と言います。私ならば、パウロのように語れるだろうか。そのような疑問をもちます。
私ならば、自分にとって不都合なことは、なるべく語らない。人が気に入るようなことを選んで語る。すぐにでも命乞いをする。いざとなったらすぐにでも信仰を捨てる。そういうふうにならないだろうかと、自分で自分が心配になります。
パウロは、明らかに違うのです。批判の銃口を自分自身にも向ける。思い出したくない自分の過去を自分でえぐり、告白する。
その目的は、一つしか考えられません。パウロは愛するユダヤ人たちを救いたいのです。
私も百八十度変わった。神が変えてくださった。あなたがたも変わる。世界も変わる。
パウロは、目の前にいるアグリッパ王にも“伝道”しているのです。
そのために、自分のすべてをさらけだしているのです。
(2008年7月6日、松戸小金原教会主日礼拝)
「カルヴァンとファン・ルーラーをつなぐ線」とは何か
「カルヴァンとファン・ルーラーをつなぐ線」と書きました。その意味として私が考えているのは、(ドイツ神学中心の)エキュメニカルな神学思想史における線ではなく、16世紀から20世紀までの四百年間の「オランダ改革派教会」(Nederlandse Hervormde Kerk)という一教団における線です。もちろんこの教団の歴史の中にも「合理主義、進歩主義、人間中心主義」の影響がなかったとは言えません。しかし、それらをオランダ改革派教会は「ハイデルベルク信仰問答、オランダ信仰告白、ドルト教理基準」という彼ら固有の伝統的な教理的枠組みのなかで受け入れたり退けたりしてきたと見るべきでしょう。19世紀のオランダ改革派教会における支配的潮流の一つは「倫理神学」(ethische theologie)というものですが、これとて彼らはあくまでも「改革派神学」の教理的枠組みのなかで展開しています。シュライエルマッハーやリッチュルやヘルマンやトレルチの影響さえ、オランダ改革派教会にとっては間接的なものです。ファン・ルーラーの神学には「ハイデルベルク信仰問答の神学の20世紀版」という面があります。よく知られているように、ハイデルベルク信仰問答は、「慰め」や「喜び」というようなまさに《人間的なるもの》をきわめて積極的に語るものです。また「御父による創造」・「御子による贖い」・「御霊による聖化と完成」という、内在的三位一体と経綸的三位一体を充当論的に(appropriately)組み合わせて語る視点もハイデルベルク信仰問答において顕著です。カール・バルトの“回心”とまで言われた彼の「神の人間性」(1956年)という論文は、私も何度も読みました。しかし、バルトの場合の「神の人間性」は、イエス・キリストにおける「受肉」や「インマヌエル」に基礎づけられるものです。そして、このイエス・キリストにおける「受肉」や「インマヌエル」という場合の「神の人間性」は、ファン・ルーラーに言わせれば「永遠のロゴスが母マリアから摂取した“サルクス”(肉)」にすぎないものです。これは、イエス・キリストという唯一無二(ユニーク)な存在における歴史的に一回限り存在した(今も、そして永遠に、御子と共に存在し続けている)サルクスです。しかし、そのサルクス(御子が摂取した肉)は、我々自身の「人間性」とは全く異質のものであり、「人間の人間性」を論じるための土台にはなりえないものです。バルトは「聖霊」についても語っています。しかしそれは、イエス・キリストにおいて成就された《客観的な》救いのみわざの・聖霊における《主観的な》適用によって可能となる・人間の認識手段としての位置づけに甘んじるものです。ところが、《客観》と《主観》の関係は、実際には同一物(一枚のコイン)の表裏の関係にすぎません。同じことを「主語を取り換えて」言い直しているようなものです。ファン・ルーラーの「キリスト論的視点」と「聖霊論的視点」の区別の意図の一つは、バルトのこの論法に対して異議を申し立てることにありました。聖霊のみわざを“主観的なるもの”に限定してしまうことを、ファン・ルーラーは問題視したのです。「霊」という字を見るとただちに“主観的なるもの”を連想するのは、日本の教会もしばしば陥ってきたスピリチュアリズム(心霊主義)の罠です。
2008年7月4日金曜日
講演への補足
ファン・ルーラーの神学は「ヒューマニズム」そのものではありません。教会の「内」と「外」を明確に区別する論理を強固に保持しています。何と言ってもファン・ルーラーにはカルヴァンとドルト信仰規準の線上に立つ「二重予定論」が明確にあります。教会の内側に(神を語ることなしにすべてをなしうるかのように立つ)あの「ヒューマニズム」のようなものが入り込む余地はいささかもありません。それゆえ、たとえば、あの「未受洗者を聖餐に与らせることができるとする論理」をファン・ルーラーの神学からくみ出すことは、いかなる意味でも不可能です。これは明言できることです。しかし、だからこそ(教会の「内」と「外」の区別があるからこそ)、ファン・ルーラーは、その神学において、「ヒューマニズム」そのものにさえ恐れることなく接近していくことができるのだと思います。教会の「内」と「外」を区別する論理が明確でない場合には、「キリスト教」と「ヒューマニズム」との区別がつきにくくなる恐れが生じるのです。「キリスト教は単なるヒューマニズムではない」というような、なんとなく分かりにくい点を強調せざるをえなくなるのです。「単なる・・・ではない」と言ってはみるものの、「じゃあ何なのですか」と問われたら即座に答えに窮するような命題を主張せざるをえなくなるのです。
現代の改革派神学における《人間的なるもの》の評価
今週6月30日(月)のことですが、「日本基督教団改革長老教会協議会協会研究所 第8回研究会」(会場・日本基督教団洗足教会)で、「現代の改革派神学における《人間的なるもの》の評価――A. A. ファン・ルーラーの神学の根本性格――」という講演を行いました。約1時間の講演の後、30分間の質疑応答が行われました。貴重なご意見をたくさんいただくことができ、感謝でした。貴重な機会を与えてくださいました日本基督教団改革長老教会協議会教会研究所の皆様に、心より感謝いたします。23日(月)の日本カルヴァン研究会での研究発表と(図らずも)時期的に重なっていましたので、両方の準備を同時並行的に行わざるをえず、オランダ語テキストとの格闘の苦しみも加わって、私にとっては非常に過酷な神学的訓練を受けることになりました。しかし、そのおかげで、16世紀のカルヴァンと20世紀のファン・ルーラーという二人の教師をつなぐ一つの線がより明確に見えてきたような気がしています。私は、今回取り扱わせていただいたテーマと課題を、今後さらに時間をかけて煮詰めていくと共に、視野と翼を大きく広げていきたいと願っています。カルヴァンとファン・ルーラーをつなぐ「“徹底的に神中心的な”人間性の神学」('ganze theocentrische' theologie van de humaniteit)という線を、私自身が思い描いてきた「実践的教義学」の構想へとつないでいきたいと願っています。以下は、会場で配布したレジュメです(大筋を変えない程度の字句修正を行いました)。
関口 康 「現代の改革派神学における《人間的なるもの》の評価――A. A. ファン・ルーラーの神学の根本性格――」(レジュメ) ←Please click!
2008年6月29日日曜日
キリスト教の核心
使徒言行録25・13~27
「『告発者たちは立ち上がりましたが、彼について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした。パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです』」(18~19節)。
今日の個所の使徒パウロは、まだカイサリアにいます。牢獄に閉じ込められています。しかしそうしておくことが、カイサリアに駐在していたローマ人総督フェストゥスの知恵でもありました。牢獄から出してしまいますと、パウロがユダヤ人たちに暗殺される危険性があったのです。
フェストゥスのなかにパウロが宣べ伝えているキリスト教信仰を擁護してあげようなどという意思があったわけではありませんでした。おそらくそのようなことは、彼にとってはどうでもよいことでした。フェストゥスにとって重要な意味を持っていたことは、今日の個所の中に、少なくとも二つ記されています。
第一は、被告が告発されたことについて、原告の面前で弁明する機会も与えられず引き渡されるのはローマ人の慣習ではない(16節)ということです。
第二は、囚人を護送するのに、その罪状を示さないのは理に合わない(27節)ということです。
このフェストゥスの判断は、わたしたち現代人にとっては非常に納得できるものであり、うれしいことでさえあります。
この二つの点に共通していることがあります。それは、裁判やその結果としての処分は、できるだけ公明正大でなければならないということです。内容はどんなことであれ、誰かが誰かに一方的に責めたてられるばかりで、弁明や釈明の機会を与えられないまま、または罪状が明らかでないままで、処分を受けなければならないというようなことがあってはならないということです。たとえどんな人であっても闇から闇へ葬り去られるというようなことは間違っているということです。また、疑わしきは罰せず、です。
救い主イエス・キリストがお受けになった裁判とその結果としての十字架刑は、これとは全く異なる判断のもとに行われました。ポンティオ・ピラトがフェストゥスのような人であったとしたらどうなっただろうかと思わないではいられません。
もっとも、イエスさまは、十分な意味での弁明の機会が与えられたとしても、何もおっしゃらなかったかもしれません。イエスさまは、御自身の十字架刑を「父なる神の御心」として、全くお受け入れになっていたからです。
しかし、イエスさまが弁明ということを全く行われなかったからといって、そのことを理由にわたしたちが、弁明することは見苦しいことであるとか、恥ずかしいことであると考えるべきではありません。パウロは、どんな状況であれ、どんな場所であれ、遠慮なく堂々と弁明しました。それは、決して見苦しいことでも恥ずかしいことでもありません。
それどころか、パウロにとっては、そこで口を開くことをせず、弁明の機会を逃すことのほうが間違っていると考えていたに違いありません。なぜなら、パウロにとって「弁明」とは、単なる自己弁明ではなく、キリスト教信仰の正しさについての弁明であり、それがそのまま、彼にとっての“伝道”だったからです。
この点では、わたしたちも同じであるはずです。しかし、わたしたちは、このあたりの確信において怪しくなってしまいがちです。遠慮しすぎの面があります。これは皆さんに言っていることではなく、私自身に向かって言っていることです。
たとえば、わたしたちが日曜日に教会に通っているのは、わたしたちの個人的な趣味でしているというようなことではありません。救い主イエス・キリストにおいて神御自身が、わたしたちにそれを命じていることであるゆえに、していることです。そのような信仰は教会に通っていない人々には理解してもらえないことかもしれませんが、だからといって、わたしたちがその人々に対して必要以上に遠慮すべきではありません。よい意味で堂々としていればよいのです。
また、わたしたちは“伝道”のなかに押しつけがましい要素があることを、つい恐れてしまいがちです。しかし、そのことをわたしたちは、必要以上に恐れすぎるべきではありません。何か悪いことでもしているかのようにコソコソする必要は全くないのです。
もちろん、わたしたちの周りには、聞かれもしないことをこちらから畳みかけるように伝えようとすると、嫌がったり逃げて行ったりする人々は大勢います。うまくやる必要があるでしょう。
しかし、もし聞かれたら、はっきりと答えましょう。「あなたが信じていることについて話してほしい」とマイクを渡されたら、そのときは堂々と話しましょう。弁明の場が与えられたら遠慮なく語りましょう。それこそが“伝道のチャンス”だからです。そのような時と場所で、口ごもったり、ごまかしたり、逃げの一手を打ったりすべきではありません。聞かれたことに答えればよいだけです。
ところで、今日お読みしました範囲内には、パウロ自身の言葉は、一言も書かれていません。そのような範囲を私があえて選びました。私にとってたいへん興味深いと感じるものがあったからです。たいへん興味深いと感じたのは今日の範囲内に登場する三人の人物(アグリッパ王、ベルニケ、フェストゥス総督)のうち、ベルニケを除くアグリッパ王とフェストゥス総督がパウロについて語り合っている会話そのものです。
これを読みながら私がとくに面白いと感じたのは、パウロ本人がいないところで、この二人がいわば勝手にパウロのことをあれこれ言っている点です。また、二人ともパウロに対して明らかに興味をもっている点です。さらにフェストゥスがパウロから頼まれもしないのにパウロの生命と立場を擁護してくれようとしている点です。
おそらくわたしたちにも、これと同じようなことが時々、あるいはしょっちゅう、あるのかもしれないと、私には感じられました。どなたでもいいです。横田先生でも高瀬先生でもいいです。どなたか長老さんでもいいです。皆さんのうちのどなたかでもいいです。その方がいないところで、その方のことが話題になり、その方のことについていわば勝手に話が進んでいるとしたらどうでしょうか。しかも、その話は悪いほうに進んでいるのではなく、良いほうに進んでいる。こういうことは、しばしば起こるものです。
関口牧師の話が関口牧師のいないところで勝手に(?)どんどん進んでいる。「あの牧師は、どうやら最近、礼拝中に倒れたらしい。大丈夫だろうか。心配である」。先々週浜松で行われた大会役員修養会で、会う方会う方から「倒れたんだって?大丈夫?」と心配していただきました。岐阜県の先生も、香川県の先生も、長老たちも心配して声をかけてくださいました。「(関口牧師が倒れた話は)みんな知ってるよ」とも言われました。
私のことを、私の知らないところで、心配してくださっている方がいる。こういうのは、面映ゆいし、全く不思議なことだと感じました。
私の話はともかく。フェストゥス総督とアグリッパ王とが、パウロのことを、パウロがいないところで、あれこれと一生懸命に喋っている。とくにフェストゥス総督は、パウロについてユダヤ人の告発者たちがなんだかんだと文句をつけて言い立てたが、そのなかに予想していたような罪状は見当たらなかったとか、パウロとユダヤ人たちが争っているのは彼らの宗教上の問題のようだとか、パウロが間違っているかどうかを調査する方法が私には分からないとか、こういうことをいろいろと一生懸命言っているように見える。この様子が面白いと私には感じられたのです。
わたしたちにも同じようなことがあるのではないでしょうかと言いましたのは良い意味で言ったことです。申し上げたいことは、そのようなことは多かれ少なかれわたしたちにはあるのだから、わたしたち自身がいないところでわたしたちのことを勝手に話題にして、勝手に話を進めている人々に良い意味で任せたらよい面もあるでしょうということです。
もし弁明の機会が与えられたならば、そのときには、遠慮なく、堂々と語るべきです。しかし、わたしたちが全く関知しないところであれこれと噂話をしてくれていたり、良い意味でも悪い意味でも勝手に話を進めてくれていたりしている人々のところにまで、無理に押し入って、何でもかんでも聞き出す必要は全くありません。任せたらよいし、放っておけばよい。「どうぞご自由に」と思っていればよい。気にしすぎたり疑心暗鬼になったりする必要はないのです。
悪い意味で自意識過剰になるべきでもありません。どこかで誰かが私のことを心配してくれていることはありがたいことだと感謝していればよいのです。
そしてまた、そういうときに、今日の個所に出てくるフェストゥスのような人もいると考えることができたら、わたしたちの気持ちは、かなり楽になるはずです。
わたしたちは「世の中の人はすべて悪い人である」と考えるべきではありません。教会やその信仰のことを悪く言う人も、もちろんいます。しかし、人の悪口を黙って聞くことそれ自体が嫌だと感じる人も、必ずいるのです。教会の悪口を大きな声で言う人がいれば、その周りには、悪口を言っているその人のことを「嫌だなあ」と思っている人が何人かいると思ってほぼ間違いありません。
「世の中の全員がわたしたちの信仰の敵である」などと夢にも思うべきではありません。わたしたちの全く関知しないところで、わたしたちのことを応援してくれている人がいたり心配してくれている人がどこかにいるだろうと安心していればよいのです。
わたしたちは「人を信頼すること」を学ぶべきなのです。人に対していつでも必ずけんか腰で立ち向かうような態度は、間違っているのです。
18節から20節までに書かれていることに、ぜひ注目してください。先ほど少しだけですが触れたところです。この個所から分かることは、フェストゥスはパウロとユダヤ人たちとの間の「言い争い」の本質をきちんと正しく把握していたということです。「彼(パウロ)について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした」と。問題となっていることは「彼ら自身の宗教に関すること」と「死んでしまったイエスとかいう者のこと」であると。「このイエスが生きていると、パウロは主張している」と。「わたしはこれらのことの調査の方法が分からなかった」と。
事柄の本質は、まさにフェストゥスの言っているとおりです。パウロは何も悪いことをしていません。救い主イエス・キリストを信じる信仰を宣べ伝えているだけです。イエス・キリストは死人の中から復活され、今も生きておられますと語っているだけです。それがキリスト教信仰の核心だからです。イエス・キリストの死者の中からの復活、また、死者そのものの復活を信じないようなキリスト教は、キリスト教ではありません。
キリスト教と復活を信じない人がおり、また信じることができない人がいるということは、ある意味で仕方がないことです。しかし、もしそれらを信じることができるならば、人生に希望が与えられ、喜びが与えられるのです。これらのことを信じない人は、人生において大きな損をするのです。
そして、そのことをひたすら語り続けることこそが、教会の使命であり、伝道者の使命なのです。この件に関しては、黙れと言われても黙ることができません。パウロにとっては語らないことは不幸なのです。信じることをやめろと言われても、それをやめることができないのです。
この点は、わたしたちも全く同じです。
(2008年6月29日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年6月24日火曜日
カルヴァンの神学における《人間的なるもの》の評価
昨日6月23日(月)、「第18回日本カルヴァン研究会」(会場・青山学院大学)において、「カルヴァンの神学における《人間的なるもの》の評価――Dr. J. van Eckの研究(1992年)に基づいて――」という研究発表を行いました。発表後の質疑応答のなかでいろいろと有益なご指摘をいただくことができ、楽しく充実したひとときを過ごせました。以下は、会場で配布したレジュメです(語句や翻訳の誤りなどは、若干修正いたしました)。
関口 康 「カルヴァンの神学における《人間的なるもの》の評価――Dr. J. van Eckの研究(1992年)に基づいて――」(レジュメ) ←Please Click!
2008年6月22日日曜日
法廷の価値
使徒言行録24・24~25・12
使徒パウロは、総督フェリクスの前で裁判を受けました。パウロを訴えたのはユダヤ教団の指導部の人々でした。彼らはパウロのことを「疫病のような人間」(24・5)と呼び、またキリスト教会をユダヤ教団の「分派活動」(同)と決めつけて、徹底的に攻撃しました。
しかし、パウロは全く怯みませんでした。彼を訴えた人々が教団の指導部であろうと、裁判を受けている場所が総督の前であろうと、パウロは恐れるということを知りませんでした。パウロは、自分のほうが間違っているとは少しも考えなかったからです。間違ったことは一つも言っていないという絶対的な確信を持っていたからです。
なかでも、彼が特別な確信をもっていたことは、「死者の復活」の教えでした。パウロにとってそれは、聖書の研究と読書に基づく確信を超えるものでした。パウロは、真の救い主イエス・キリストのお姿を光の中にはっきり見たのです。また、その声を聞きました。その光と声が、パウロを「死者の復活」に対する絶対的な信仰へと導いたのです。
その裁判はどうなったでしょうか。「フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていたので・・・裁判を延期した」(22節)と書かれています。
「この道」とは、キリスト教信仰のことです。フェリクスは、キリスト教信仰についてかなり詳しく知っていました。
その意味は、フェリクス自身がキリスト教信仰を受け入れ、洗礼を受けて教会のメンバーに加わっていたということではありません。教えの内容を詳細に把握していたということであり、敵対的な態度をとらなかったということです。好意的な態度をとってくれたとは言えないかもしれませんが、パウロの裁判を延期してくれました。
「延期する」と訳されている言葉の原意は「和らげる」「緩和する」「猶予する」などです。うまい具合にパウロをかばってくれたのです。
パウロを監禁するように百人隊長に命じましたが、それはパウロを暗殺しようとするユダヤ人たちからパウロを守るためであると見るべきです。パウロにある程度の自由を与え、友人たちがパウロの世話をすることを妨げないようにしてくれました。そのようにして、パウロの命は守られたのです。
ところで、今日お読みしました個所の最初の部分には、総督フェリクスについての興味深い話が記されています。
「数日の後、フェリクスはユダヤ人である妻のドルシラと一緒に来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスへの信仰について話を聞いた。しかし、パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと、フェリクスは恐ろしくなり、『今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする』と言った。だが、パウロから金をもらおうとする下心もあったので、度々呼び出しては話し合っていた。」
フェリクスは、先ほども申し上げたとおり、どこで聞いたのか、だれから学んだのかは分かりませんが、キリスト教信仰の内容をかなり詳しく知っていました。おそらく興味も持っていました。しかし、洗礼は受けておらず、キリスト者になっていませんでした。
ある日フェリクスは、妻のドルシラと共にパウロの話を聞きに来ました。そこでパウロはこの夫婦の前で、イエス・キリストを信じて生きるとはどういうことかを話しました。彼らは「信仰とは何か」「救いとは何か」というような点については喜んで聴いていた様子が伺えます。彼らがそれを喜んで聴いていた理由はだいたい分かります。
キリスト教信仰における救済理解は、我々はただイエス・キリストを信じる信仰によってのみ、神の恵みによってのみ救われるというものです。人間の努力や行いや実績によって救われるのではない。わたしたちの側は「ありのまま」でよい。救いの一切は神の恵みとして与えられるものです。この面のキリスト教信仰は、とてもありがたい教えなのです。フェリクス夫妻がパウロの話を聞きながら喜んだ部分は、おそらくそのようなものです。
ところが、パウロの話が「正義や節制や来るべき裁き」という点に及ぶや否や、つまり倫理的・道徳的な点に話が及ぶや否や、フェリクスは非常に恐怖心を抱き、今回はこれでおしまいとばかりに、パウロの話を中断させたのです。
たとえて言えば、フェリクスは、あのローマの信徒への手紙の前半部分(とくに1~8章)に書かれている「信仰とは何か、救いとは何か」という部分については、喜んで聴くことができたのだということです。しかし、ローマの信徒への手紙の後半部分(12章以降)にある「キリスト者の生活とはどういうものであるか」というような点に話が及ぶと、急に耳をふさぎはじめたのです。
キリスト教信仰は「恵みと信仰による救い」という点だけで終わるものではありません。「イエス・キリストによって救われた者たちはどう生きるか」というテーマが、必ず続くのです。わたしたち一人一人の生き方が厳しく問われるのです。ハイデルベルク信仰問答やウェストミンスター信仰規準も、前半は「信仰編」であり、後半は「道徳編」であるという仕方で区分されています。
つまり、フェリクスの態度は、「信仰編」は受け入れるが、「道徳編」は受け入れないというのと同じです。要するに彼は、キリスト教の“良いところ取り”をしたかったのではないでしょうか。とてもありがたくて、都合のよい部分だけを受け入れ、都合の悪い部分は受け入れない。キリスト教信仰の半分だけを受け入れて、もう半分は受け入れたくないという態度をとったのです。
この総督フェリクスについて伝えられていることは、実際の彼はかなり残虐非道な人物だったということです。そのような人物にとってキリスト教信仰における倫理的な要素は恐ろしいと感じるものであり、自分が責められている、裁かれていると感じるものだったわけです。妻ドルシラは、フェリクスの三人目の妻だったようですが、他人から奪って妻にした人であったと言われています。
とはいえ、彼が「恐ろしくなった」ことは、まだ救いようがあると感じられます。自分が大きな罪を犯していても、悪いことをしていても、そのことを恐ろしいと思わない人は、恐ろしい人です。もし本当に神がおられるなら自分の犯した罪を見逃すことはありえないと感じ、そこで全く観念し、神の前に頭(こうべ)を垂れて自分の罪を悔い改め、救い主イエス・キリストの教えに従う新しい人生を始めることができた人は幸いです。そういうふうになれない、自分自身を省みることができず、罪深い自分の姿を鏡に映してみることができず、神の前からも、自分自身からも逃げることばかり考えている人は不幸です。
フェリクスの場合は微妙です。恐怖を感じたということは、彼に良心が残っていた証拠であると言えるかもしれません。しかしフェリクスには「パウロから金をもらおうとする下心もあった」(26節)とか「ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた」(27節)と書かれています。こうなると良心のかけらもない感じです。パウロは監禁状態から解放されるたびに、釈放金を払わされていたようです。
それでも、釈放されるたびに、フェリクスに対してキリスト教信仰を宣べ伝えることができる。もしかしたらこの人が信仰を受け入れ、教会のメンバーになってくれるかもしれない。パウロは、そのことに希望を見出していたように思われます。伝道者は、相手が話を聞いてくれているかぎり、さじを投げたりしないのです。決してあきらめないのです。
「さて、二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った。祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、『だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか』と言った。フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すように命令した。パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが、彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言いたてたが、それを立証することはできなかった。パウロは、『私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません』と弁明した。しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。『お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。』パウロは言った。『私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。』そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、『皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように』と答えた。」
24・27以下には、フェリクスの次に総督として赴任したフェストゥスの話が記されています。フェストゥスもどこかしら怪しげな人物として描かれています。この人も「ユダヤ人に気に入られようとして」(9節)という動機で何事かをなすところがありました。そのようなフェストゥスの性格を、パウロ暗殺をたくらみ続けるユダヤ教指導部の人々が鋭く見抜き、彼をなんとか利用しようとしました。今日の個所にはその顛末が詳しく記されています。
しかし、フェストゥスは、ユダヤ教指導部の人々に踊らされることはありませんでした。パウロに不都合なことがあるなら、あなたたち自身が告発すればよいと言ってくれました。これは正当な判断です。陰でこそこそしないで、正々堂々と法廷の場でやりあえばよいではないかということです。こういうふうに言ってくれる総督の存在は、パウロにとってはありがたい存在であったと思われます。
実際パウロはおそらく法廷に立ちたかったのです。彼は律法学者でした。法そのもの、そして法廷という場所の意味と価値を熟知していました。法廷とは、正々堂々と戦う場所です。ただし、武器を持たないで。法に基づいて。法廷で闘うことは、陰でコソコソやることのちょうど正反対です。暗殺や密約というような、どす黒くて薄暗いやり方の正反対です。パウロはフェストゥスの前で、はっきりと言いました。「私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません」(10節)。悪いことをしていないのに私は訴えられている。暗殺されようとしている。これは理不尽ですということでしょう。
そしてパウロは、ついに言いました。「私は皇帝に上訴します」(11節)。「皇帝」とは、もちろんローマ皇帝のことです。ローマ帝国の王者であり、主権者です。その人のところまで自分は行く。私は間違っていないと言いに行く。
しかし、パウロの目的は、自己弁護のためではありませんでした。パウロがローマ皇帝のもとに行きたかった目的は、ただ一つ、伝道でした。それしか考えられません。ローマ皇帝に「救い主イエス・キリストを信じてください。洗礼を受けてください」と迫ることでした。たとえ相手が巨大な帝国の王者であれ、パウロにとっては、神に造られた一人の人間にすぎませんでした。恐れる理由など、何もなかったのです。
(2008年6月22日、松戸小金原教会主日礼拝)