2008年6月22日日曜日

法廷の価値


使徒言行録24・24~25・12

使徒パウロは、総督フェリクスの前で裁判を受けました。パウロを訴えたのはユダヤ教団の指導部の人々でした。彼らはパウロのことを「疫病のような人間」(24・5)と呼び、またキリスト教会をユダヤ教団の「分派活動」(同)と決めつけて、徹底的に攻撃しました。

しかし、パウロは全く怯みませんでした。彼を訴えた人々が教団の指導部であろうと、裁判を受けている場所が総督の前であろうと、パウロは恐れるということを知りませんでした。パウロは、自分のほうが間違っているとは少しも考えなかったからです。間違ったことは一つも言っていないという絶対的な確信を持っていたからです。

なかでも、彼が特別な確信をもっていたことは、「死者の復活」の教えでした。パウロにとってそれは、聖書の研究と読書に基づく確信を超えるものでした。パウロは、真の救い主イエス・キリストのお姿を光の中にはっきり見たのです。また、その声を聞きました。その光と声が、パウロを「死者の復活」に対する絶対的な信仰へと導いたのです。

その裁判はどうなったでしょうか。「フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていたので・・・裁判を延期した」(22節)と書かれています。

「この道」とは、キリスト教信仰のことです。フェリクスは、キリスト教信仰についてかなり詳しく知っていました。

その意味は、フェリクス自身がキリスト教信仰を受け入れ、洗礼を受けて教会のメンバーに加わっていたということではありません。教えの内容を詳細に把握していたということであり、敵対的な態度をとらなかったということです。好意的な態度をとってくれたとは言えないかもしれませんが、パウロの裁判を延期してくれました。

「延期する」と訳されている言葉の原意は「和らげる」「緩和する」「猶予する」などです。うまい具合にパウロをかばってくれたのです。

パウロを監禁するように百人隊長に命じましたが、それはパウロを暗殺しようとするユダヤ人たちからパウロを守るためであると見るべきです。パウロにある程度の自由を与え、友人たちがパウロの世話をすることを妨げないようにしてくれました。そのようにして、パウロの命は守られたのです。

ところで、今日お読みしました個所の最初の部分には、総督フェリクスについての興味深い話が記されています。

「数日の後、フェリクスはユダヤ人である妻のドルシラと一緒に来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスへの信仰について話を聞いた。しかし、パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと、フェリクスは恐ろしくなり、『今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする』と言った。だが、パウロから金をもらおうとする下心もあったので、度々呼び出しては話し合っていた。」

フェリクスは、先ほども申し上げたとおり、どこで聞いたのか、だれから学んだのかは分かりませんが、キリスト教信仰の内容をかなり詳しく知っていました。おそらく興味も持っていました。しかし、洗礼は受けておらず、キリスト者になっていませんでした。

ある日フェリクスは、妻のドルシラと共にパウロの話を聞きに来ました。そこでパウロはこの夫婦の前で、イエス・キリストを信じて生きるとはどういうことかを話しました。彼らは「信仰とは何か」「救いとは何か」というような点については喜んで聴いていた様子が伺えます。彼らがそれを喜んで聴いていた理由はだいたい分かります。

キリスト教信仰における救済理解は、我々はただイエス・キリストを信じる信仰によってのみ、神の恵みによってのみ救われるというものです。人間の努力や行いや実績によって救われるのではない。わたしたちの側は「ありのまま」でよい。救いの一切は神の恵みとして与えられるものです。この面のキリスト教信仰は、とてもありがたい教えなのです。フェリクス夫妻がパウロの話を聞きながら喜んだ部分は、おそらくそのようなものです。

ところが、パウロの話が「正義や節制や来るべき裁き」という点に及ぶや否や、つまり倫理的・道徳的な点に話が及ぶや否や、フェリクスは非常に恐怖心を抱き、今回はこれでおしまいとばかりに、パウロの話を中断させたのです。

たとえて言えば、フェリクスは、あのローマの信徒への手紙の前半部分(とくに1~8章)に書かれている「信仰とは何か、救いとは何か」という部分については、喜んで聴くことができたのだということです。しかし、ローマの信徒への手紙の後半部分(12章以降)にある「キリスト者の生活とはどういうものであるか」というような点に話が及ぶと、急に耳をふさぎはじめたのです。

キリスト教信仰は「恵みと信仰による救い」という点だけで終わるものではありません。「イエス・キリストによって救われた者たちはどう生きるか」というテーマが、必ず続くのです。わたしたち一人一人の生き方が厳しく問われるのです。ハイデルベルク信仰問答やウェストミンスター信仰規準も、前半は「信仰編」であり、後半は「道徳編」であるという仕方で区分されています。

つまり、フェリクスの態度は、「信仰編」は受け入れるが、「道徳編」は受け入れないというのと同じです。要するに彼は、キリスト教の“良いところ取り”をしたかったのではないでしょうか。とてもありがたくて、都合のよい部分だけを受け入れ、都合の悪い部分は受け入れない。キリスト教信仰の半分だけを受け入れて、もう半分は受け入れたくないという態度をとったのです。

この総督フェリクスについて伝えられていることは、実際の彼はかなり残虐非道な人物だったということです。そのような人物にとってキリスト教信仰における倫理的な要素は恐ろしいと感じるものであり、自分が責められている、裁かれていると感じるものだったわけです。妻ドルシラは、フェリクスの三人目の妻だったようですが、他人から奪って妻にした人であったと言われています。

とはいえ、彼が「恐ろしくなった」ことは、まだ救いようがあると感じられます。自分が大きな罪を犯していても、悪いことをしていても、そのことを恐ろしいと思わない人は、恐ろしい人です。もし本当に神がおられるなら自分の犯した罪を見逃すことはありえないと感じ、そこで全く観念し、神の前に頭(こうべ)を垂れて自分の罪を悔い改め、救い主イエス・キリストの教えに従う新しい人生を始めることができた人は幸いです。そういうふうになれない、自分自身を省みることができず、罪深い自分の姿を鏡に映してみることができず、神の前からも、自分自身からも逃げることばかり考えている人は不幸です。

フェリクスの場合は微妙です。恐怖を感じたということは、彼に良心が残っていた証拠であると言えるかもしれません。しかしフェリクスには「パウロから金をもらおうとする下心もあった」(26節)とか「ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた」(27節)と書かれています。こうなると良心のかけらもない感じです。パウロは監禁状態から解放されるたびに、釈放金を払わされていたようです。

それでも、釈放されるたびに、フェリクスに対してキリスト教信仰を宣べ伝えることができる。もしかしたらこの人が信仰を受け入れ、教会のメンバーになってくれるかもしれない。パウロは、そのことに希望を見出していたように思われます。伝道者は、相手が話を聞いてくれているかぎり、さじを投げたりしないのです。決してあきらめないのです。

「さて、二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った。祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、『だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか』と言った。フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すように命令した。パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが、彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言いたてたが、それを立証することはできなかった。パウロは、『私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません』と弁明した。しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。『お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。』パウロは言った。『私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。』そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、『皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように』と答えた。」

24・27以下には、フェリクスの次に総督として赴任したフェストゥスの話が記されています。フェストゥスもどこかしら怪しげな人物として描かれています。この人も「ユダヤ人に気に入られようとして」(9節)という動機で何事かをなすところがありました。そのようなフェストゥスの性格を、パウロ暗殺をたくらみ続けるユダヤ教指導部の人々が鋭く見抜き、彼をなんとか利用しようとしました。今日の個所にはその顛末が詳しく記されています。

しかし、フェストゥスは、ユダヤ教指導部の人々に踊らされることはありませんでした。パウロに不都合なことがあるなら、あなたたち自身が告発すればよいと言ってくれました。これは正当な判断です。陰でこそこそしないで、正々堂々と法廷の場でやりあえばよいではないかということです。こういうふうに言ってくれる総督の存在は、パウロにとってはありがたい存在であったと思われます。

実際パウロはおそらく法廷に立ちたかったのです。彼は律法学者でした。法そのもの、そして法廷という場所の意味と価値を熟知していました。法廷とは、正々堂々と戦う場所です。ただし、武器を持たないで。法に基づいて。法廷で闘うことは、陰でコソコソやることのちょうど正反対です。暗殺や密約というような、どす黒くて薄暗いやり方の正反対です。パウロはフェストゥスの前で、はっきりと言いました。「私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません」(10節)。悪いことをしていないのに私は訴えられている。暗殺されようとしている。これは理不尽ですということでしょう。

そしてパウロは、ついに言いました。「私は皇帝に上訴します」(11節)。「皇帝」とは、もちろんローマ皇帝のことです。ローマ帝国の王者であり、主権者です。その人のところまで自分は行く。私は間違っていないと言いに行く。

しかし、パウロの目的は、自己弁護のためではありませんでした。パウロがローマ皇帝のもとに行きたかった目的は、ただ一つ、伝道でした。それしか考えられません。ローマ皇帝に「救い主イエス・キリストを信じてください。洗礼を受けてください」と迫ることでした。たとえ相手が巨大な帝国の王者であれ、パウロにとっては、神に造られた一人の人間にすぎませんでした。恐れる理由など、何もなかったのです。

(2008年6月22日、松戸小金原教会主日礼拝)