2008年7月4日金曜日

講演への補足

ファン・ルーラーの神学は「ヒューマニズム」そのものではありません。教会の「内」と「外」を明確に区別する論理を強固に保持しています。何と言ってもファン・ルーラーにはカルヴァンとドルト信仰規準の線上に立つ「二重予定論」が明確にあります。教会の内側に(神を語ることなしにすべてをなしうるかのように立つ)あの「ヒューマニズム」のようなものが入り込む余地はいささかもありません。それゆえ、たとえば、あの「未受洗者を聖餐に与らせることができるとする論理」をファン・ルーラーの神学からくみ出すことは、いかなる意味でも不可能です。これは明言できることです。しかし、だからこそ(教会の「内」と「外」の区別があるからこそ)、ファン・ルーラーは、その神学において、「ヒューマニズム」そのものにさえ恐れることなく接近していくことができるのだと思います。教会の「内」と「外」を区別する論理が明確でない場合には、「キリスト教」と「ヒューマニズム」との区別がつきにくくなる恐れが生じるのです。「キリスト教は単なるヒューマニズムではない」というような、なんとなく分かりにくい点を強調せざるをえなくなるのです。「単なる・・・ではない」と言ってはみるものの、「じゃあ何なのですか」と問われたら即座に答えに窮するような命題を主張せざるをえなくなるのです。