2008年6月22日日曜日

説教における「反射性」の問題

オランダの改革派神学者A. A. ファン・ルーラーが聖霊論において重んじた概念の一つは「反射性」(reflexiviteit)です。この概念の正確な意味を説明することは難しいですが、とりあえずすぐに言えそうなことは「跳ね返ってくること」であり、いくらか敷衍して言えば「(コミュニケーションにおいて)一方通行でないこと。レスポンスがあること」くらいでしょうか。



この「反射性」を現代の説教学に応用した一人が、ドイツの説教学者R. ボーレンです。説教はたしかに「反射性」を有しています。すなわち、神の言葉(verbum Dei)としての説教は、決して一方通行的なものではない。聖霊論的な「反射性」におけるコミュニケーション的な相互性を有するものであると言わねばならない何かです。この言い方はややこしいかもしれません。説教者は、説教において会衆との(心の中での)対話を行うものであるというくらいに言うほうがよいかもしれません。



しかも私自身の感覚では(“私自身”の“感覚”では、です)、説教者と会衆との対話とは、単なる(心の中での)「言葉のやりとり」だけではありません。あくまでもたとえですが、会衆は説教者のネクタイの色やネクタイピンの有無、あるいはブラウスの色や眼鏡のデザインなどに関心があります。説教者の髪型、そして髪の色や量(?)に関心があります。説教者の目線や目つき(?)にも関心があります。語り口のスピードや声の高さ(または低さ)を気にしています。あるいは、会衆は説教者がいま語っていることと、これまで語ってきたこと、また他の説教者の口から聞いた説教の内容との“整合性”があるかどうかを直感的に見抜きます。



以上はほんの一例です。すべてを逆にして考えることができます。説教者は会衆の存在を意識しながら語ります。会衆の存在における上に挙げたような事柄のすべてを気にしています。疲れた表情をしておられる方を見ると、まず最初に「私の説教のどこかに問題があるからか」と疑ってみますが、同時に「昨日までの一週のあいだに何かつらいことでもあったのか」と説教の最中に想像をめぐらします。それが、説教の内容に影響を及ぼすのです。会衆の表情が全く見えておらず、ただひたすら(徹夜で書き上げた)説教原稿だけに目を落として棒読みしているだけの“説教”を「説教」と呼ぶことはできません。



語っている最中に選挙演説やウグイス嬢の大音量の黄色い声が聞こえてきて、説教が中断されそうになることもあります。突然の暴風雨や地震が起こり、わが家の安否を気遣ってソワソワしはじめる会衆の表情や態度も、説教者にははっきりと見えています。しかしまた、その説教者の目を会衆は見ています。「そんなに気にしなくてもよい」というアイコンタクトを送ってくださる方もいますが、「そろそろ説教を締めくくってほしい」と無言で訴えておられる方もいます。その真剣な訴えに気づくこともなく、自分が書きあげた説教原稿を何が何でも最後まで読みとおす“説教者”は、「良い説教者」でしょうか。私には疑問が残ります。



説教における「反射性」は、まさにこれらすべての要素を含んでいます。そこで起こるのは言葉の反射だけではなく、“空気”の反射が起こるのです。そのような“雰囲気”(atmosphere)ないし “環境”(environment)のなかで説教は、よく弾むスーパーボールのように部屋中をビヨンビヨンと飛び回るのです。



私自身は、このようなことが説教においては不可欠であると信じています。また、それゆえにこそ、私は、「インターネット伝道」というものはきわめて困難、またはほとんど不可能であると考えています。電気信号のやりとり、せいぜい“文字”や“画像”や“動画”のやりとりは「説教」を成り立たしめるほどの“雰囲気”ないし“環境”までは伝達できないと信じているからです。



「自分の掲示板への書き込みにだれもレスポンスしてくれない」という理由で孤独を感じて暴走した人がいましたが、それは孤独を感じる人のほうが悪いのです。インターネットとはそういうものであるという認識が足りない、または欠如しているのです。「反射性」は、最少でも“同じ部屋にいる”というくらいのことなしには、ほとんど期待できません。残念ながらというべきかもしれませんが、それが現実です。



2008年6月21日土曜日

神学における「実現性」の問題

今週、火曜日から昨日まで静岡県浜松市で日本キリスト改革派教会の「大会役員修養会」が行われました。その中で近藤勝彦先生の講演が行われました。日本キリスト改革派教会の多くの教師・長老たちにとっては近藤先生との初顔合わせの機会だったようです。多くの人々がとても喜んで近藤先生の講演を聴いていた様子が印象的でした。



私にとって近藤先生は「恩師」(かぎかっこをつけておきます)です。ファン・ルーラーの存在を最初に教えてくださったのも近藤先生です(リューラーですけどね)。24年前、東京神学大学一年(当時18歳)のときに、ドイツ語と哲学とを教えていただきました。組織神学(教義学・倫理学・弁証学)の講義は、近藤先生からは受けていません。



教義学と弁証学の講義は大木英夫先生から、倫理学の講義は佐藤敏夫先生から受けました(今「砂糖と塩」と誤変換しました)。芳賀力先生はまだハイデルベルクにおられた頃です。また、近藤先生には卒業論文(ティリッヒの霊的現臨の概念について)と修士論文(トレルチの倫理思想について)の指導教授にもなっていただきました。もし「あなたは近藤シューレか」と聞かれれば「そうかもしれません」と答えるかもしれません。



しかしまた、私にとって近藤先生の存在は、ある意味での“格闘相手”であり続けました(すべての学問が「恩師への批判」から始められるべきであると別の方から教えられたことがあります)。もっとも、私が直接的な仕方で近藤先生に立ち向かったことはありませんし、近藤先生が私の“相手”をしてくださったこともありません。コドモの相手をしてくれるほど近藤先生はヒマではありません。



ただ私は、「近藤理論は(少なくとも私の生きている間の)日本基督教団の中には実現(リアライゼーション)の場がない。手がかりさえもない」という確信を得ました「ので」、今からほぼ10年前のことですが、日本基督教団の教師であることをやめて日本キリスト改革派教会の教師として加入させていただくという経緯をたどりました。ですから、このたび日本キリスト改革派教会の教師と長老が近藤先生の講演を聴いて「我が意を得たり」と喜んでおられる姿を見ることができたとき、私が10年前に抱いた“確信”は外れていなかったようだと、ちょっとだけほっとしました。



ただし、今の私は「近藤理論」のすべてに同意したままではありません。大きく違ってきているところもあるということを、このたび確認できました。「神学」には「実現(リアライゼーション)の場、あるいは最低でも実現の手がかりとなるような“教団”(Kirche)」が欲しいと願うのは、私だけでしょうか。おそらくファン・ルーラーならば、「神学」は“教団”(kerk)を要求するだけではなく、“国家”(staat)をも要求する、と語るでしょうけれども(23世紀くらいの日本の神学者には「国家の神学」を大いに論じてもらいたいと願っています)。



ともかく「神学」は我々の脳内妄想であるべきでないと思います。美文の並ぶ二次元の紙面から立ち起こして事柄を三次元化していかねばならない。そのとき美文は乱れ、思想の構造は傷を負い、“売れない本”になっていくでしょうけれども、それでよいのではないでしょうか。



しかし、「説教」は支離滅裂化すべきではありません。できるかぎりクリアであるべきです。「説教」をクリアにするためにこそ「神学」がさまざまな傷を負うべきであると思います。別の角度から換言すれば、神学校(神学大学)は教会のために存在するのであって、その逆ではないということです。「神学校(神学大学)の存続のために教会が犠牲にされる」という事態が一瞬でも起こるとしたら、それは本末転倒なのです。



2008年6月15日日曜日

事実こそ力


使徒言行録24・1~23

今日の個所で使徒パウロはカイサリアという町にいます。パウロをここまで連れてきたのは、千人隊長クラウディウス・リシアが召集した四七〇名の兵隊たちでした。彼らは、パウロを暗殺しようと計画していた四十人以上のユダヤ人たちの手から、無実のパウロを助け出しました。千人隊長リシアの目から見ると、パウロの側に死刑にされたり投獄されたりする理由はないことが分かったからです。

しかし、パウロの苦難の日々が終わったわけではありませんでした。今度はカイサリアの町のローマ総督フェリクスの前に引き出されました。そして、そこで裁判が始まったのです。

「五日の後、大祭司アナニアは、長老数名と弁護士テルティロという者を連れて下って来て、総督にパウロを訴え出た。パウロが呼び出されると、テルティロは告発を始めた。『フェリクス閣下、閣下のお陰で、私どもは十分に平和を享受しております。また、閣下の御配慮によって、いろいろな改革がこの国で進められています。私どもは、あらゆる面で、至るところで、このことを認めて称賛申し上げ、また心から感謝しているしだいです。さて、これ以上御迷惑にならないよう手短に申し上げます。御寛容をもってお聞きください。実は、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を起こしている者、「ナザレ人の分派」の主謀者であります。この男は神殿さえも汚そうとしましたので逮捕いたしました。閣下御自身でこの者をお調べくだされば、私どもの告発したことがすべてお分かりになるかと存じます。』他のユダヤ人たちもこの告発を支持し、そのとおりであると申し立てた。」

この個所で分かることは、当時パウロの宣べ伝えていたキリスト教信仰に敵対していたユダヤ人たちが、パウロ自身とキリスト教信仰に対してどのような言葉で批判していたかということです。パウロに対する批判の言葉は「疫病のような人間」というものでした。また、キリスト教信仰に対する批判の言葉は「ナザレ人の分派」というものでした。

これらはもちろん批判の言葉として語られたものですから、気持ちのよいものではありません。しかし別の見方をすれば、彼らの言っていることは、ある面の真理を言い当てていると考えることができるかもしれません。

パウロは、もちろんまさか「疫病のような人間」ではありません。しかし、そのことを彼に敵対していた人々が認めたということから分かることは、パウロの影響力は、まさに疫病のように、広い範囲に力を及ぼすものであったということでもあるでしょう。

わたしたちの教会の存在、また教会が行う伝道活動は、もちろんまさか「疫病」のようなものではありません。しかし、もしわたしたちがあまりにも遠慮しすぎていると、そのうち「あの教会は毒にも薬にもならない」という批判が聞こえてくることになるかもしれません。

教会の存在が社会にもたらす影響力というものは、目に見えて華々しいものとか、状況を劇的に変貌させるものではありません。しかし、それは、ゆっくりじわじわと、そして確実に進んでいくものです。たとえばの話ですが、今のわたしたちがしているような一回30分程度の説教を聴いていただくだけでも、10年間礼拝に通えばどれくらいの時間になるだろうか、40年通えばどうだろうかというふうに考えてみていただくとよいでしょう。

「説教の内容を全く覚えていない」とおっしゃる方もいます。42才の私も、まさに42年間教会に通い続けてきまして、いろんな牧師の説教を聴いてきましたが、説教で聴いたことは、ほとんど忘れてしまいます。とくに、いつ、どの牧師が言ったかというようなことは全く覚えていません。それでいいと思っています。ですから、どうかご安心ください。

それはちょうど、わたしたちが、大人になった今となっては、小学校や中学校で教えていただいた先生の顔も名前も思い出せないことが多いのと同じだと思っています。皆さんの中に算数や国語や社会や理科についての知識を、どの先生が、いつどんなふうに教えてくださったかをはっきりと覚えているという方がおられるでしょうか。私は、全く覚えていません。先生たちの顔さえ思い出せません。たぶんそれでいいのです。

重要なのは先生ではなく、教えられた内容です。今わたしたちが持っている知識です。あるいは、いつかどこかで受けた影響そのものです。心と体の中に残っているものがあり、浸透しているものがあるというこの事実が重要なのです。宗教もそれと同じなのです。

それでももちろん、我々の存在を指して「疫病」などと言われることは、あまり気持ちのよいものではありません。しかし、強いて言うならば、パウロの宣べ伝えたキリスト教信仰には、単なる“薬”という面だけではなく、ある意味での“毒”の面が含まれていたと言えるかもしれません。

キリスト教信仰には、癒しや慰めなど爽やかな快感をもたらす面だけでなく、厳しい裁きと罪の悔い改めを迫る面がたしかにあります。「あなたが今まで信じてきたことは間違いです」と告げる面があり、「これまでの生き方を根本的に変えねばなりません」と迫る面があるのです。その要素がないような説教は説教ではありません。キリスト教信仰を受け入れることがなく、自分自身の罪を悔い改めることもなかった人々にとっては、パウロの説教は、なるほど「疫病」だったかもしれません。

キリスト教信仰に対する「ナザレ人の分派」という批判の言葉についても、いろいろと考えさせられるところがあります。当時のユダヤ人たちにとって、キリスト教会の存在は、ユダヤ教の異端的分派、つまり“ユダヤ教キリスト派”であると思われていたことの一つの証拠と言えるでしょう。

この点も、ある意味で彼らが言うとおりでした。イエス・キリスト御自身も、弟子たちも、そしてパウロも、新しい別の宗教団体をつくろうと願っていたわけではありません。むしろ、言ってみればユダヤ教そのものの全面的改革、神の民イスラエルの再建と再出発を願っていたのです。そのことを嫌がったのはユダヤ教団指導部です。イエス・キリストを殺し、弟子たちを迫害し、パウロを殺そうとしたのです。パウロたちが分派活動をしたのではなく、ユダヤ教団指導部がパウロたちを「分派」と呼んで異端視したのです。

わたしたち改革派教会、またプロテスタント教会全体も、似たような経緯を辿りました。16世紀の宗教改革者たちは、ローマ・カトリック教会の教えや活動の内容に強く反対しましたが、だからといって、新しい別の教会をつくろうと願っていたわけではありませんでした。我々もローマ・カトリック教会から追い出されたのです。追い出されるようなことを言ったりしたりしたほうが悪いと言われると立場がありませんが、わたしたちとしては、宗教改革者たちが主張した真理に耳を傾けなかった人々の責任も重大であったと言わなければなりません。

「総督が、発言するように合図したので、パウロは答弁した。『私は、閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じ上げておりますので、私自身のことを喜んで弁明いたします。確かめていただけば分かることですが、わたしが礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが「分派」と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。』」

先ほど私が申し上げた点を、パウロはカイサリアの総督フェリクスの前で、はっきりと述べています。それは、キリスト教会とその信仰を指して「分派」と呼んでいるのは彼らユダヤ人であるということです。しかし、我々は「分派」などではありえないとパウロは主張しています。なぜなら、キリスト教会は「先祖の神を礼拝している」からです。また「律法に即したことと預言者の書に書いてあること」、つまり(旧約)聖書を「ことごとく信じている」からです。

これはわたしたちにとって、非常に重要な点です。今でも繰り返し誤解されていることは、ユダヤ教の神とキリスト教の神は別の神であると思われることがあるということです。旧約聖書の神は、裁きの神であり、恐ろしい神である。新約聖書の神は、愛の神であり、優しい神である。旧約聖書はユダヤ教の書物であり、新約聖書だけがキリスト教の書物である、など。これは全く根本的な誤解です。わたしたちにとっては、旧約と新約のすべてが「聖書」です。

この聖書全体に示されている神の言葉を信じて生きていくのがキリスト者であり、キリスト教会です。キリスト教信仰は、分派としての「ユダヤ教キリスト派」であるどころか、ある意味で本来のユダヤ教であり、神の民イスラエルの本来の宗教なのです。「分派」であるとか「異端」であると言われるようなものではありえないのです。

「『更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。………もし、私を訴えるべき理由があるというのであれば、この人たちこそ閣下のところに出頭して告発すべきだったのです。さもなければ、ここにいる人たち自身が、最高法院に出頭していた私にどんな不正を見つけたか、今言うべきです。彼らの中に立って、「死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ」と叫んだだけなのです。』」

しかしまた、パウロが総督フェリクスの前で、まさに声を大にして、強く語ったのは、キリスト教信仰の核心部分である「死者の復活」という点でした。「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望」は「この人たち自身」、つまりユダヤ人たち自身、とくにファリサイ派の人々は信じていることでした。死者の復活を信じないユダヤ人たち、とくにサドカイ派の人々もいました。しかし、「死者の復活」を信じるからといって、キリスト教が異端視される理由にはならないということを、パウロは語っているのです。

特にパウロの場合、彼が信じていた「死者の復活」は、聖書というこの書物についての読書や研究によって得られた知識や確信というような次元にとどまるものではありませんでした。この点はわたしたちの場合とパウロの場合は違うというべきです。

わたしたちは、聖書を読むこと、すなわち“読書”によって「死者の復活」を信じています。しかしパウロは違いました。生ける真の救い主イエス・キリスト御自身が、彼の目の前に現れたのです!パウロとキリストは、神秘的・奇跡的な仕方で出会いを経験したのです。この出会いは、パウロにとっては二度と否定することができない事実だったのです。

自分が現実に体験した出会いの事実を否定することができない。パウロの信仰は、聖書以上に事実に基づくものでした。そのためパウロは、裁判所であれ、国会議事堂であれ、どのような場所に立たされようとも、また目の前に敵がたくさんいるような危険な場所であっても、彼の信仰を曲げることができませんでした。

パウロは、事実を事実として語っただけです。事実こそが力なのです!

(2008年6月15日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年6月14日土曜日

2008年度研究発表計画

今年度の研究発表を以下のように計画しています。



(1)「第18回 日本カルヴァン研究会」(2008年6月23日(月)午前10時~4時、青山学院大学、東京都渋谷区渋谷)の午後の部で、「カルヴァンの神学における《人間的なるもの》の評価―Dr. J. van Eckの研究に基づいて―」という研究発表を行います。久米あつみ先生、宍戸基男先生の研究発表、永井恵一氏によるジュネーヴ詩編歌の指導があります。一般聴講料1,000円(茶菓付き)、どなたも参加できます。



(2)「日本基督教団改革長老教会協議会教会研究所主催 第8回研究会」(2008年6月30日(月)午後2時~7時、日本基督教団洗足教会、東京都品川区旗の台)で、「現代の改革派神学における《人間的なるもの》の評価―A. A. ファン・ルーラーの神学の核心―」という講演を行います。落合建仁先生、松島保真先生、塚本栄興先生の研究発表があります。会費1,000円(夕食代等)、夕食不要500円(当日申込可)、どなたも参加できます。



(3)神戸改革派神学校紀要『改革派神学』第35号(2008年10月1日発行予定)に、「説教・教会形成・政治参加、そして神学―A. A. ファン・ルーラーの《教会的実践》の軌跡―」という文章を掲載していただけることになりました。これは2007年9月10日ファン・ルーラー研究会第5回神学セミナーでの研究発表「伝道と教会形成、そして神学」をもとに、大幅に加筆修正したものです。



まだ加わるかもしれません。チャンスを与えてくださった皆様に感謝しています。ご支援いただけますとうれしいです。



2008年6月8日日曜日

正義とは何か


使徒言行録23・12~35

「この者がユダヤ人に捕らえられ、殺されようとしていたのを、わたしは兵士たちを率いて救い出しました。ローマ帝国の市民権を持つ者であることが分かったからです」(27節)。

今日は、日曜学校の子どもたちがいちばん前の席に座っています。この礼拝が終わった後に、日曜学校の花の日の行事をします。日曜学校タイム、バザー、作品展示。みんなで楽しい時間を過ごしましょう!

日曜学校の皆さん。今日、皆さんにお話ししたいことは、皆さんに心からお願いしたいことです。ぜひ覚えておいてください。それは、皆さんにはぜひ将来“良い大人の人”になってほしいということです。

皆さんにはぜひそういう人になってほしいと願っている“良い大人の人”とは、他の人の話をちゃんと聞くことができる人です。とくにちゃんと聞いてほしいのは、いま困っている人や、いま助けてほしいと願っている人の話です。そしてその話を聞いた後に、その人のためにしてあげられることは何かをよく考えて、それが分かったときには一生懸命に助けてあげてほしい、ということです。そういうことができる人が“良い大人の人”です。私はそう信じています。

そういう大人の人が、聖書に登場します。今日は、その人の話をします。

今から約二千年前に、世界中を旅して、わたしたちの救い主イエスさまのお話を広めた人がいます。パウロ先生です。しかし、パウロ先生がしていることを、よく思わなかった人々がいました。その人々はイエスさまのことが大嫌いでした。パウロ先生のことも嫌いでした。だからその人々はパウロ先生のことを捕まえて殺そうとしました。陰でこそこそと相談して、四十人以上も仲間を集めて。パウロ先生は一人でした。四十人対一人です。とてもずるいと思います。

その人々がパウロ先生を捕まえて殺そうとしていることを知った、パウロ先生の味方がいました。それは、パウロ先生の親戚の人だったようです。聖書には「パウロの姉妹の子」と書いています。男の子か女の子かは分かりません。男の子なら甥(おい)、女の子なら姪(めい)と言います。その人(「子」と書いていますが、小さな子どもだったのか、大人になっていたのかということまでは分かりません)が、その話をパウロ先生に知らせました。「おじさんを殺そうとしている人々がいます。四十人以上も集まっています。何とかしたほうがよいですよ」と。

その話を聞いたパウロ先生は、「困ったことになった」と感じたと思います。パウロ先生は何も悪いことをしていなかったからです。良いことをしていました。救い主イエスさまのお話を多くの人々に広めていたのです。

パウロ先生は殺されるのが怖かったのでしょうか。どうもそういう話ではありません。殺されるのが怖かったから、死ぬのが怖かったから、「困ったことになった」と感じたのではなさそうです。パウロ先生は一人でも多くの人にイエスさまのお話を広める仕事を続けたかっただけです。自分が殺されてしまったら、死んでしまったら、仕事を続けることはできません。また、少しも悪いことをしているわけではないのに、良いことをしているのに、嫌われたり・憎まれたり・殺されたりするのは誰でも嫌なことです。どうしてそんなことをされなければならないのか、意味が分かりません。

だからパウロ先生は、助けを求めました。詳しい話は省略しますが、パウロ先生が助けを求めたのは、「千人隊長」と呼ばれていた人でした。クラウディウス・リシアさんという名前の人でした。

この人が“良い大人の人”であると私は思います。話を聞いたリシアさんは、すぐに、パウロ先生を助けることにしました。パウロ先生を殺す計画を立てていた四十人以上の人からパウロ先生を守ることにしました。そのためにリシアさんがしたことは「四七〇人」(!)の人に集まってもらい、みんなで力を合わせて一人のパウロ先生を守ることでした。

四十人の相手に四七〇人、というのは、ずるいでしょうか。そんなことはありません。パウロを殺そうとしている人たちは、陰でこそこそしていました。どこに隠れているか、待ち伏せしているか分かりません。そういう人たちからパウロ先生を守るためには、大勢の人で見張っている必要があったのです。また千人隊長リシアさんがしようとしたことは、パウロ先生を殺そうとしていた人々をやっつけたり捕まえたりすることではありませんでした。その人々と戦争をすることではありませんでした。たった一人のパウロ先生の命をみんなで守ることでした。この先生には、だれかに捕まえられたり殺されたりしなければならない理由はないことが分かったからです。

だれかに捕まえられたり殺されたりしなければならない理由がある人もいる、という話をしたいわけではありません。パウロ先生にはそういう理由は全くありませんでした、という話をしているだけです。先生がしていたことは、イエスさまのお話を広めることだけでした。本当にそれだけでした。イエスさまを信じて生きる人生は素晴らしいものです、ということを一人でも多くの人々に伝えることだけでした。

そういうことをしている先生のことを捕まえて殺そうとする人々は、やっぱりちょっとどこかおかしいということに、千人隊長リシアさんは気づいたのです。だからパウロ先生のことを、みんなで力を合わせて守ることにしました。

今日、日曜学校の皆さんにお願いしたいことは、皆さんにはぜひ、そういう大人の人になってほしい、ということです。よいことをしている人を憎んだり、その人に悪いことをしたり、殺そうとしたりする、そういう悪い大人ではなく、今困っている人を一生懸命に助けてあげることのできる、良い大人の人になってほしいのです。

そういう人が、私は「正義の味方」であると思います。正義の味方とは、悪い人をやっつける人ではなく、悪いことをしていない人、よいことをしている人を守ってあげることができる人です。また、いろんな人が言っていることをよく聞いて、その人々がしていることをよく見て、それが正しいことか、間違っていることかをきちんと見分けて、正しいことをしている人のほうの味方になってあげることができる人です。

日曜学校に通ってくれている子どもたち、またこの教会に通ってくださっている大人の人たちも、私はやはり、「正義の味方」になってほしいと願っています。私自身もそういう人になりたいと願っています。教会は神さまのこと、イエスさまのことを信じる人たちの集まりです。神さまのこと、イエスさまのことを信じているわたしたちは、この世の中でも正しい生き方をしなければならないのです。

聖書には、この千人隊長リシアさんは、神さまのこと、イエスさまのことを信じていた、とは書かれていません。教会に通っていた、とも書かれていません。でも、私はこの人のことを立派な人だと思いますし、良い大人の人だと思います。神さまのこと、イエスさまのことを信じなくてもよいとか、教会に通わなくてもよいという話をしたいのではありません。神さまのこと、イエスさまのことを信じているわたしたち、教会にまたは日曜学校に通っているわたしたちは、この千人隊長リシアさんと同じか、それ以上に正しい生き方をしなければなりません、と言っているのです。

立派な大人の人になるとか、良い大人の人になるというのは、えらそうな人になることではありません。周りの人たちがその人の前でひれ伏すとか、言うことを聞くとか、そういう人になってほしいと言っているのではありません。そんなことは、はっきり言えば、どうでもよいことです。また、私はそういうのは、あまりよいこととは思いません。

パウロ先生は、このリシアさんに助けてもらえたことが、たぶんうれしかっただろうと思います。

これから先も、イエスさまのお話を多くの人々に伝えることができる!

「皆さん教会に来てください。イエスさまのお話を聞いてください。神さまを、イエスさまを信じてください。聖書の言葉をみんなで学び、神さまに喜ばれる正しい生き方をしましょう」。こういう話を、これからも続けていくことができる!

そのことがパウロ先生にとっては本当にうれしいことだったと思います。パウロ先生は「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」(コリントの信徒への手紙一9・16)と書いた人です。イエスさまのお話ができなくなることが、他のどんなことよりもつらいことだったのです。

(2008年6月8日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年6月1日日曜日

復活の望みを抱いて生きる者


使徒言行録22・30~23・11

「翌日、千人隊長は、なぜパウロがユダヤ人から訴えられているのか、確かなことを知りたいと思い、彼の鎖を外した。そして、祭司長たちと最高法院全体の召集を命じ、パウロを連れ出して彼らの前に立たせた。そこで、パウロは最高法院の議員たちを見つめて言った。『兄弟たち、わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました。』すると、大祭司アナニアは、パウロの近くに立っていた者たちに、彼の口を打つように命じた。パウロは大祭司に向かって言った。『白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる。あなたは、律法に従ってわたしを裁くためにそこに座っていながら、律法に背いて、わたしを打て、と命令するのですか。』近くに立っていた者たちが、『神の大祭司をののしる気か』と言った。パウロは言った。『兄弟たち、その人が大祭司だとは知りませんでした。確かに「あなたの民の指導者を悪く言うな」と書かれています。』パウロは、議員の一部がサドカイ派、一部がファリサイ派であることを知って、議会で声を高めて言った。『兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。』パウロがこう言ったので、ファリサイ派とサドカイ派との間に論争が生じ、最高法院は分裂した。」

今週学びましたとおり、使徒パウロがエルサレム神殿にいたユダヤ人たちの前で語ったことは、このわたしが救い主イエス・キリストとの出会いによって回心し、ダマスコの地でキリスト者となる洗礼を受けましたということでした。そして、そのイエス・キリストがこのわたしを遠く異邦人のためにお遣わしになりました、ということでした。

そのパウロの言葉を聞いたユダヤ人たちは、声を張り上げ、「こんな男は、地上から取り除いてしまえ。生かしてはおけない」と言い始めました。そのユダヤ人たちの様子を見た千人隊長は、このパウロが生まれたときからローマ帝国の市民権をもっていることを知り、そのような人を裁判なしに処刑することはできないことが分かったので、パウロをユダヤ人の手から匿いました。今日の個所に描かれているのは、その翌日の出来事です。

この千人隊長の名前はクラウディウス・リシアでした(23・26)。この人は、この後にも大きな役割を果たす人ですので、ぜひこの名前を覚えておいてください。リシアの関心は「なぜパウロがユダヤ人から訴えられているのか確かなことを知りたい」ということだけでした。異邦人リシアの目から見ると、パウロのほうが間違っているというふうにはどうしても見えなかったのです。その意味でリシアは物事を公平かつ客観的に見る目をもっていたと言えるでしょう。

このリシアの視点は重要です。それは物事を外から見て判断する目です。想像してみていただきたいのはこの場面の様子です。パウロは一人でした。一人のパウロに大勢の人が寄ってたかって暴力を働いている。文字どおりの多勢に無勢でした。

リシアにとって我慢できなかったのは、おそらくこの点です。単純に言ってユダヤ人のやり方は卑怯です。弱い者いじめです。たとえ仮に百歩譲ってユダヤ人たちの言っていることが正しく、パウロのほうが間違っていたとしても、ユダヤ人たちのこのようなやり方は汚すぎると、リシアには感じられたに違いありません。

外から客観的に見る目が果たす役割は、事柄の内容的な核心部分にまでは踏み込まないものです。しかしそれは、どちらのやり方が卑怯であり、公平性に欠き、犯罪性をもっているかを冷静に見抜くことができます。たとえそれがどれほど正しい真理であったとしても、それを暴力的に人に強要したり、それを受け入れない人を暴力的に迫害したりすることは、端的に言って犯罪なのです。

宗教には、よくも悪しくも、自分たちの信じていることに対する絶対的な確信が伴うものです。しばしば、自分のほうが間違っていると認めることができなくなりますし、熱狂に陥ります。熱狂の中では公平な判断ができません。そこに外から客観的に見ている人の目がどうしても必要になります。

それは、もしかしたら、わたしたちの家族の目かもしれません。あるいは、友人たちや会社の同僚の目かもしれませんし、社会の人々の目かもしれません。病院の先生や学校の先生、あるいは弁護士のような人々。そういう人の目から見ると、わたしたちの姿が良い面だけではなく、悪い面もしっかり見えているということがありうるのです。

そういうことを指摘された場合には、反発するのではなく静かに耳を傾けるべきです。宗教の問題、教会の問題でわたしたちの頭がカッカしているようなとき、そのような人々がわたしたちの姿を冷静に見て、助け船を出してくれる場合があるのです。

決して間違うべきではないと思うことは、神を信じている人々の言葉や行いは常に絶対的に正しく、神を信じていない人々の言葉や行いは常に絶対的に間違っているというふうに考えてはならないということです。ユダヤ人も十分な意味で神を信じる人だからです。

このときリシアは、一緒に来た兵士と百人隊長と共に、武器をもって、パウロの身柄をユダヤ人たちから引き離しました。私自身は、武器をもって人々を威嚇する軍隊の存在を肯定する者ではありません。しかし、そうでもしないかぎりパウロは弁明の機会さえ与えられないまま殺されていたに違いないと思うとき、リシアが果たしてくれた役割には感謝しなければならない面があると考えざるをえません。

そして驚くべきことに、ローマ軍の千人隊長リシアは、当時、祭司長たちと最高法院の議員全体を召集する権限をもっていました。リシアはその権限を行使して彼らを召集した上で、その人々の前で弁明することをパウロに命じたのです。

パウロが最高法院の議員たちの前で語りはじめたとき、大祭司アナニアはパウロの口を打つように命じました。この仕打ちはイエス・キリストがお受けになったのと同じです。ヨハネによる福音書18・19以下をご覧ください。当時大祭司であったカイアファの義理の父である元大祭司アンナスがイエスさまにいろいろと質問し、それにイエスさまがお答えになったところ、大祭司の下役の一人が「大祭司に向かってそんな返事のしかたがあるか」と言ってイエスさまを平手で打ちました。そのときイエスさまは次のように言われました。「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか」(ヨハネ18・23)。

今日の個所でパウロの口を打つように命じた大祭司アナニアは、アンナスやカイアファよりも少し後の時代に大祭司になった人ですが、先輩たちの築いた悪い伝統を忠実に受け継いでいたことが分かります。返事の仕方が悪いと言っては暴力をふるう。だれかが自分の前で語っている言葉の内容が気に食わないと言っては暴力をふるう。ここまで来ると、ほとんどやくざです。知性のかけらもない。腹立たしいかぎりです。

実際、パウロは非常に腹を立てたようです。相手がだれであろうと、恐れをなして黙るような人ではありません。「白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる」とパウロは言いました。

イエスさまも、同じようなことを言われたことがあります。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている」(マタイ23・27~28)。

パウロが大祭司アナニアに向かって言った「白く塗った壁よ」は、イエスさま律法学者やファリサイ派の人々に言われた「白く塗った墓よ」と内容的にほとんど同じことです。外側は美しく見えるが、内側は壊れかけ、崩れかけの弱い柱しかない。そのような建物はすぐに崩れる。あなたがたの権威など張り子の虎であると言っているようなものです。

とても勇気ある発言であると思います。しかし、イエスさまの場合と大きく異なるのは、パウロの背後にはローマ軍の千人隊長が仁王立ちしていて、彼の命を守ってくれていたことです。だからでしょうか、パウロがかなり辛辣な言葉を言っても、それですぐに彼の口が打たれることはありませんでした。イエスさまの背後には、だれ一人、後ろ盾になってくれる人はいませんでした。状況はかなり違います。

イエスさまと比べてパウロはずるいと言いたいわけではありません。パウロという人は、自分の置かれている状況を冷静に分析し、また自分にとって好都合な要素が少しでもあれば最大限に利用し、その点では徹底的に計算づくで、語るべきことを語ることができた人であると思われるのです。それは決して悪い意味ではなく、賢いやり方なのです。

そして、パウロは、近くに立っていた者たちから「神の大祭司をののしる気か」と忠告されたとき、「兄弟たち、その人が大祭司だとは知りませんでした」と答えました。

考えられることは二つです。第一は、本当にパウロはこの人が大祭司だと知らなかったということです。第二は、要するに“とぼけた”ということです。

このときパウロが当時の大祭司はだれであるかを知らなかった可能性は、もちろんあります。かつてパウロは、ダマスコのキリスト者を迫害するために、ダマスコの会堂宛ての手紙をもらうために「大祭司」のところへ行ったことがあります(9・1)。そのときパウロは間違いなく、当時の大祭司に直接会っています。しかし、もしかしたらその後、大祭司が別の人に交替したかもしれません。パウロとしては自分が知っている大祭司ではない別の大祭司から口を打たれそうになったので「白く塗った壁よ」と言った。しかし、その人が新しい大祭司であると教えられたので、自分の言ったことを反省したのかもしれません。

しかし、もう一つの読み方としてパウロが“とぼけた”という可能性も否定しきれないと思います。かつてパウロがダマスコの会堂宛ての手紙を書いてもらったときの大祭司の名前が使徒言行録のどこにも書かれていないからです。もしかしたら同じ大祭司アナニアだったかもしれません。その昔、頭を下げて手紙を書いてもらった大祭司を今度は「白く塗った壁よ」と批判する。

もしこれが正しいなら、パウロの立場や心境に起こった大きな変化を読み取ることができそうです。かつての上司に対する事実上の決別宣言です!

ここにも、パウロが計算づくで語っている様子が描かれています。自分がこれから発言することが、サドカイ派とファリサイ派のあいだに亀裂をつくるものであることをパウロは熟知しています。そのことを意識しながら、故意にそういうことを言っているのです。しかし、サドカイ派とファリサイ派の違いについて詳しく申し上げる時間はありません。パウロが語っている言葉の中の重要なポイントに集中したいと思います。

パウロが語っている言葉は「死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判をかけられているのです」というものです。つまり、彼の容疑は復活信仰であったということです。復活を信じることが罪であると言われているのです。もっとはっきり言えば、キリスト教を信じることが罪であると言われているのです。

しかし、復活信仰は罪でしょうか。冗談ではありません。言ってよいことと悪いことがあります。キリスト教の全体がこの点にかかっていると言っても過言ではありません。

この裁判は、パウロにとっては、一歩も後ろに引き下がることができないものでした。命をかける価値のある裁判だったのです!

(2008年6月1日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年5月25日日曜日

行け、わたしがあなたを遣わす


使徒言行録22・17~29

「『さて、わたしはエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、主にお会いしたのです。主は言われました。「急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである。」わたしは申しました。「主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を投獄したり、鞭で打ちたたいていたりしていたことを、この人々は知っています。また、あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです。」すると、主は言われました。「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。」』」

エルサレムでのパウロの演説がもう少し続いています。先週の個所までに語られていたことは次のようなことでした。

熱心なユダヤ教徒であった頃のパウロが、ダマスコのキリスト者たちを迫害するための旅をしていた途中、救い主イエス・キリストとの神秘的な出会いを体験しました。そしてキリストはパウロに「ダマスコに行け」とお命じになりました。ダマスコではアナニアというキリスト者に出会いました。パウロはアナニアから「洗礼を受けなさい」と強く勧められ、そのとおり洗礼を受けました。今日の個所に語られているのは、その後に起こった出来事です。

パウロは、ダマスコからエルサレムに戻って来ました。そしてエルサレム神殿で祈っていました。するとパウロは、そこで再び、生ける真の救い主イエス・キリストと出会ったのです。

ここに注目すべき表現が出てきます。それは、パウロがイエス・キリストとの出会いの際に「我を忘れた状態」になったと言っている点です。ここでわたしたちが考えてみなければならないことは、パウロが語っている意味での「我を忘れた状態」とは、どのような状態のことなのかということです。

間違いなく言えることは、これは一種の興奮状態であるということです。自分で自分をコントロールすることが難しいほどに感情的に高ぶった状態であると言ってよいでしょう。ただしパウロの場合それは、夢見心地の状態、快楽・快感の状態ではなかったと言うべきです。むしろどこか取り乱した感じです。精神的ないし感情的に暴走しかかっている状態とも言えるでしょう。

しかし、だからといって、パウロはそのとき、物事を筋道立てて考えることもできなくなってしまうほどに、支離滅裂の混乱状態になっていたわけではありませんでした。19節以下の言葉を読むかぎり彼は、我を忘れた状態の中でもきちんと物の考える力や判断する力を失ってはいませんでした。

ただし、かなり追い詰められた状態はあったように感じます。窮地に追い込まれた状態と言ってもよい。自分で自分に答えを出すことができない状態。どうしてよいのか分からない状態。それは、おそらく心理的・精神的にはきわめて危険な状態でもあったはずです。いずれにせよ、かなり不安定な状態であったと思われるのです。

パウロはなぜ「我を忘れた状態」にあったのでしょうか。その理由が次のように語られています。

ここで分かることは一つです。パウロの心に向かって語られたイエス・キリストの言葉が「急げ。すぐエルサレムから出て行け」というものだったので、彼の精神状態が不安定になってしまったのだろうということです。

ポイントは「急げ」です。あるいは「すぐ」です。わたしたちも、まだ準備ができていないときに「急げ」だ「すぐに」だと急きたてられますと、非常に嫌な気分になりますし、心が不安定になります。そのことと今日の個所に描かれているパウロの様子とはどうやら関係があります。

パウロにとってこのイエス・キリストの御言葉の意味は、はっきり分かるものでした。パウロはダマスコで洗礼を受けてキリスト者になりました。その際アナニアから「あなたは見聞きしたことについてすべての人に対してその方の証人となる者だからです」という言葉を聞きました。それを聞いた上で、エルサレムでパウロが聞いた次の言葉が「急げ」だったわけです。

つまり、イエスさまのおっしゃった「急げ」の意味は「イエス・キリストの証人としての仕事を、一刻も早く始めなさい」です。もっとはっきり言えば、「あなたは今すぐ伝道者になりなさい」なのです。

そのような言葉を聞いたことと、パウロが「我を忘れた状態」になったこと、すなわち、心理的・精神的に不安定で危険な状態になったこととが、おそらく非常に深い関係にあると思われるのです。

わたしたちの場合にも同じことが当てはまるでしょう。「洗礼を受けてキリスト者になること」と、狭い意味での「伝道者になること」とは、全く無関係であると語ることはできませんが、しかしまた、全く一つのことであると語ることもできないでしょう。

たとえば、今日、この日曜日に洗礼を受けてキリスト者になったばかりの人がいるとします。その人に対してわたしたちが「それでは、来週の日曜日の礼拝で説教してください」とお願いすることは通常ありえません。時間が必要です。またいろんな意味での心の整理が必要です。さらに、おそらく特別な訓練が必要です。そのようにわたしたちは考えるでしょうし、そのご本人も考えるでしょう。

また、わたしたちはいわゆる幼児洗礼を重んじてきました。洗礼は子供にも(嬰児にも)授けるものですし、「授けるべきである」と教えてきました。しかし、子供に(嬰児に)説教をお願いすることはありえません。わたしたちはこの点から言えば、「洗礼を受けてキリスト者になること」と「伝道者になること」は、完全に区別しなければならない面もある、と言わねばならないのです。

その区別をした上で皆さんに考えていただきたいことは、もし、皆さんに対してイエスさまが、まだ皆さんが洗礼を受けたばかりの頃に「急げ。いますぐ伝道者になりなさい。いますぐ!早く!急いで!」と激しく急き立てられたとしたら、どのような気持ちになるだろうか、ということです。

ちょ、ちょ、ちょ、ちょ・・・ちょっと待ってくださいと言いたくならないでしょうか。何かいろいろと言い訳をして、逃げたくならないでしょうか。場合によっては腹が立ってきさえしないでしょうか。「うるさい!」と怒鳴り返したくならないでしょうか。

19節以下でパウロが語っていることも、実をいえば、いま申し上げた意味での「言い訳」なのだということをご理解いただきたいのです。

いや、いや、いや、いや・・・いやイエスさま。いきなりそんなことを言われましても、このわたしが伝道者の仕事などをすぐに始めることができるはずがないではありませんか、と言っているのです。

だって、わたしはつい最近まで、キリスト教の熱心な迫害者だったのですよ。そのことを非常に多くの人々が知っているではありませんか。わたしが元いたユダヤ教団の人々も、いま属しているキリスト教会の人々も、みんなそのことを知っています。どちらの人々も、このわたしの語る言葉など信用してくれるはずがないではありませんか。

わたしに伝道の仕事など無理です。少なくとも時間が必要です。何十年か後に、わたしが過去にしていたことなど何も知らない若い世代の人々が増えてきた頃にならば、伝道者になることを考えてもよい。しかし、今すぐになんて、そんなことができるはずがないではありませんか。

そのようなことをパウロは考え、いますぐ伝道の仕事に就くことを勧めるイエスさまに対して、激しく抵抗しているのです。この激しい抵抗と、パウロが「我を忘れた状態」になったこととが、どうやら深い関係にあるのです。

これまで申し上げてきたことをご理解いただけるならば、激しく抵抗しているパウロに対して語られているイエスさまの御言葉には、叱咤激励の意図がある、つまり、励まし(激励)の面と同時に、お叱り(叱咤)の面もあるということにお気づきいただけるでしょう。

お叱りの面のほうを先に説明しておきます。「お前は何を言っているのか。わたしはお前の事情など聞いていない。このわたしが『あなたを遣わす』と言っているのだ。わたしの命令に逆らうのか」ということです。

しかし、もちろんそれだけではありません。この御言葉には励ましの面が必ずあります。「わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが伝道者として立つことについて、誰にも文句を言わせない。わたしがあなたを護る。あなたの伝道者としての生涯をこのわたしが護る」ということです。

この点で、パウロの伝道者としての召命は、旧約聖書のエレミヤの預言者としての召命に似ています。

エレミヤも、預言者になるようにと神さまから命じられたときに、激しく抵抗しました。エレミヤは神さまに「ああ、わが主なる神よ。わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから」(エレミヤ1・6)と答えましたところ、神さまは「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」と言われました。

そして、神さまはエレミヤの口の中に「神の言葉」という団子のようなものを無理やり押し込んだ上で、「見よ、わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける」と言われました。エレミヤは、自分から進んで預言者になったイザヤとは違い、いわば無理やりその仕事を押しつけられたのです。

パウロも同じです。パウロの伝道者としての召命にも、エレミヤと同じように無理やり押しつけられた面があります。否応なしに。嫌々ながら。断りきれず。「ならざるをえない」という状況に追い込まれて。

すべての伝道者、すべての預言者が必ずそのような切迫感や悲壮感をもってその仕事に就いたわけではありませんし、そうである必要はありません。単純に「伝道者になりたい」という願いをもって伝道者になる人がいないわけではないし、いてもよいと、私は考えています。

しかし、です。パウロの場合はそうではなかったのです。エレミヤも違いました。彼らは神さまに、力ずくで組み伏せられました。パウロは地面になぎ倒され、エレミヤは神の言葉を無理やり押しつけられて、「わたしの言葉」を語るように命ぜられたのです!

(2008年5月25日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年5月18日日曜日

ためらわずに立ち上がれ


使徒言行録22・6~16

パウロはエルサレム神殿にいた大勢のユダヤ人たちの前で語り始めました。その内容は、このわたしパウロと生ける真の救い主イエス・キリストとの最初の(神秘的な!)出会いはどのようなものであったのかということです。

「『旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。わたしは地面に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と言う声を聞いたのです。「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねると、「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである」と答えがありました。一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。「主よ、どうしたらよいでしょうか」と申しますと、主は「立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる」と言われました。わたしは、その光の輝きのために目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに入りました。』」

今日の個所でパウロが語っている内容は使徒言行録9章に記されていることのほとんど繰り返しと言ってよいものです。しかし、両者を比較してみますと、二つの新しい要素が加わっていることが分かります。

第一は、この出来事が起こったのは「真昼ごろ」であったという点です。

第二は、パウロを照らした天からの光は「強い」光であったという点です。

これで分かることがあります。それは、パウロとキリストの最初の出会いの出来事は、夜の夢の中で見た幻のようなものではなかったということです。

パウロが夜に見た幻の例は使徒言行録16・9にあります。一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と願うあの有名な幻です。夜に見た幻ということであれば、眠っているときに見る夢のようなものであると説明することも可能になるでしょう。それは、一種の合理的な説明でもあります。

しかしパウロが語っていることは、そのような合理的な説明を完全に拒否するものです。パウロとイエス・キリストの出会いは真っ昼間に起こったのだと言われているのです。眠っていたどころか、旅をしている最中でした。

しかし、そうなりますと、真昼に見た天からの光といえば、それは太陽の光ではないのかと考える人もいるかもしれません。しかしそのことも、使徒言行録26・13で明確に否定されています。

詳しい説明はその個所を学ぶときまでお待ちいただきたいところですが、それは、パウロが、使徒言行録の中では二度目となる、自分自身の回心の出来事を語っている場面です。パウロは、自分が見た天からの光は「太陽よりも明るく輝いて、私とまた同行していた者との周りを照らしました」(26・13)と言っています。つまり、パウロは、その光は太陽の光ではない、ということを明確に語っているのです!

このように、パウロの見た「天からの強い光」は、夜眠っているときに見た夢であったというような合理的な説明が成り立つようなものではなく、また、太陽の光を直接見て目がくらんだというような笑い話のようなことでもありません。

しかしまた、パウロがそれと同時に確かに語っていることは、彼が「地面に倒れた」ということと、その天からの光によって「目が見えなくなった」ということです。私自身は、この二つの点については、ある意味での(と一応お断りしておきますが)心理的・精神的なショック症状のようなものであっただろうという説明が成り立つと考えております。

わたしたち人間は、激しいショックを受けたときに、本当に、地面に倒れてしまったり、目が見えなくなってしまったりするのです。人間の心と体は、別々のものでもばらばらのものでもありません。心に受けたショックや傷が、体の現象や症状として現れるのです。パウロの場合も、おそらくそのようなことが起こったのだろうと、私は考えています。

ところが、パウロが語っていることは、それだけではありません。彼が実際に体験したと言っていることは、天からの強い光は、パウロだけではなく「一緒にいた人々も見た」ということです。しかし、その光を見たのと同時に聞こえてきた声は、パウロ一人だけが聞いたのであって、他の人々は聞かなかったということです。

この光と声については、どのように説明したらよいのかが私には分かりません。その光は一緒にいた人々も見たと言われている以上、パウロの心の中だけに起こった現象であると説明することはできません。しかし、パウロ以外の人々は聞かなかったと言われているその声に関しては、パウロの心の中へと向かって語りかけられたものであると説明せざるをえないもののように思われます。

もしかしたら、次のようなことではないでしょうか。

ともかくはっきり言えることは、この光と声は、生ける真の救い主イエス・キリスト御自身のものであったということです。イエス・キリストの光はすべての人を照らす光である。しかしその声はイエス・キリストを信じる信仰を与えられた人にだけ聞こえる声である。その信仰は、すべての人に与えられるものではなく、特別に選ばれた人にのみ与えられるものである。パウロは、その信仰をもって生きるために、特別に選ばれた人であった。

「『ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした。この人がわたしのところに来て、そばに立ってこう言いました。「兄弟サウル、元どおり見えるようになりなさい。」するとそのとき、わたしはその人が見えるようになったのです。アナニアは言いました。「わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。」』」

パウロは、イエス・キリストの声に従ってダマスコに行き、そこにいたアナニアというキリスト者に出会いました。アナニアは、天からの強い光によって見えなくなったパウロの目を、見えるようにしてくれました。

パウロにとってアナニアとの出会いは、先ほど私が申し上げた点から言えば、パウロが受けた心理的・精神的ショックから立ち直るきっかけになったと考えることが可能であると思われます。一種のリハビリがパウロの身に起こったのです。キーワードは、アナニアが語っている「兄弟サウル」という呼びかけです。これは9章でも同じように記されています。

この「兄弟」という呼びかけは、この場合は同じユダヤ民族に属する同胞であるという意味ではありません。同じひとりの救い主イエス・キリストを信じる仲間の一員であり、同じ一つの教会の兄弟姉妹であるという意味です。つまり、アナニアは、この呼びかけによって、あなたパウロはもはや、かつての迫害者でありキリスト教会の敵であったパウロではない。わたしたちと同じ信仰に生きる仲間であり、兄弟姉妹であると宣言しているのです。

もっとも、9章のほうでは、パウロに出会う前のアナニアが、幻の中でイエス・キリスト御自身と葛藤している内容が紹介されていました。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました」(9・13)。

しかし、アナニアに対するイエス・キリストのお答えは、「行け。あの者は、異邦人たちや王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である」(9・15)というものでした。そのお答えを信じたアナニアが、パウロの罪を赦して「兄弟サウル」と呼びかけたのです。

そのアナニアの優しく力強い呼びかけを聞いて、パウロの目が見えるようになりました。わたしはイエス・キリストを信じる信仰者の仲間に加えられた。「兄弟」と呼んでもらえた。わたしがこれまでキリスト者に対して犯してきた大きな罪を赦してもらえた。その感謝と喜びによって、彼の目が、もう一度見えるようになったのです。

「『「今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。」』」

16節に記されているアナニアの言葉は、9章に記されている言葉とは異なります。9章ではアナニアは「洗礼を受けなさい」とは語っておらず、「聖霊で満たされるように」(9・17)と語っています。

しかし、これは別々のことではありません。「洗礼を受けること」と「聖霊で満たされること」は深い関係にあります。それは、いずれにせよ教会のメンバーに加わることを意味しています。生ける真の救い主イエス・キリストと共に永遠に生きることを決心し、約束することによって、イエス・キリストの体に加えられることを意味しているのです。

そのことを、パウロは、おそらく激しくためらっていたのです。だからこそアナニアは「今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい」と強く勧めたのです。なぜパウロは、洗礼を受けることをためらっていたのでしょうか。それは、おそらくわたしたちにも身に覚えがあることです。

家族や友人たちへの配慮でしょうか。世間体でしょうか。これまで自分が信じてきたものへのこだわりでしょうか。パウロにもそのような要素が無かったとは言えません。

何より、いまパウロがこの話をしている場所は、エルサレム神殿です。目の前にいるのは、大勢のユダヤ人たちです。その中には、最高法院の議員たちや、律法学者や長老たちもいたでしょう。

つまり、その場所とその人々は、かつてのパウロにとっての文字どおりの人生の目標そのものであったということです。エルサレムで教える者になること、最高法院の議員になること、そのようにしてユダヤ社会の頂点で指導的立場に立つことをこそ、パウロは目指していたのです。

そして、そのためにこそパウロはキリスト者を迫害することにも熱心になり、なんとかしてエルサレムで認められる人間になりたいと願っていたはずです。パウロの両親も息子がエルサレムで認められる人間になることを期待し、そのための教育も施してきたことでしょう。エルサレムの律法学校で机を並べて勉強した友人たちや先生や後輩たちもみんな、かつては仲間だった人々です。

しかし、そのすべてが間違いであったと、パウロは気づいたのです。生ける真の救い主イエス・キリストとの出会いによって。突然現れた「天からの強い光」と「声」によって。

それはおそらくパウロにとって、それまで彼を支えてきた何もかもが一気に崩れ去る体験であったでしょう。そこには恐怖も不安もあったでしょう。そして何より新しく加わろうとしているキリスト教会は、かつての彼が滅ぼそうとしていた人々である。彼らはわたしのことなど受け入れてはくれないだろう。

パウロの背中をアナニアがどんと押してくれました。「兄弟、立ち上がりなさい!」と。こういう人がいてくれたことは、パウロにとってありがたいことだったに違いありません。

いま、ためらっている方がおられるでしょうか。その人の背中を、わたしたちみんなで押しましょう。

(2008年5月18日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年5月15日木曜日

来るべき「地上の生」への瞑想

昨夜は、というか今朝未明は、久しぶりに夜なべ仕事でした。昨日の昼過ぎから今朝4時まで、ぶっ通しで頼まれ原稿を書いていました。自由気ままに書いてよいものではなく、型にはまったようなことを書く仕事だったので、疲れました。風呂に入って3時間ほど眠り、7時から二人の子どもたち(中二男、小五女)を学校へと送り出しました。生ゴミを出そうと集積所に向かったところ、第三木曜は「生ゴミの日」ではなく「陶磁器・ガラス類の日」であることが分かり(そういう知識に疎いのだ)、人目を避けながらスゴスゴ引き下がってきました。そしてその後は食器洗いと洗濯物干しをしました。・・・と、家事に協力する夫をアピールしてみせていますが、つい最近まではすべてを妻に任せきりでした。今は後悔と反省の日々です。妻は、自分の夫が最近やっと協力的になったことを喜んでくれていますが、その分自分が楽になったと考える人間ではなく、その分自分がもっと世のため人のために働くことができると新しい仕事を見つけてきます。二人ともまだ若いので(?)無理が利くうちはやれるだけやったらいいと思っています。私がファン・ルーラーから学んでいる終末論は、その構造において(形而上学的・心霊主義的な)「上」をめざすものではなく、(時間的・歴史的・地上的な)「前」をめざすものです。似たようなことをモルトマンが「水平的終末論」の名で発表しましたが、モルトマンの終末論が少なくともその着想と構造をファン・ルーラーから得ていることは明らかです。しかし、ファン・ルーラーとモルトマンには決定的な違いがあります。それを詳しく書きはじめると長くなるのでやめますが(いま寝不足で頭がぼんやりしているので)、ファン・ルーラーが「前」を強調することの最も根本的な動機は、聖書(特にパウロ書簡)と使徒信条において鮮明に告白されている「からだのよみがえり」(この肉体の復活!)という点を真剣に受けとめることにあります。話を強引に結びつけたいわけではありませんが、わたしたちが少し無理するくらいがんばって仕事して、それで何人かの人に喜んでいただけるなら、疲れも痛みもある意味で心地良いと感じられます。しかし、私は「上」のミクニに早く入れてもらいたいとは思わない!そういうことを考えないのは私が「まだ若い」からではない!「上に逃げる」つもりは全くないという意味です。カルヴァンは《来るべき生への瞑想》(meditatio futurae vitae)を「上」のことを思いめぐらすという意味で語ったかもしれませんが(現にカルヴァンはその文脈で「地上の生を軽んじよ」と勧めています)、私はこの点だけはカルヴァンに(そしてアウグスティヌスにも)従うことができません。私の人生が(一度)終わった後の行き先は「上」ではなくて「前」です。私の《来るべき生への瞑想》にはマテリアルなイメージが必ず伴います。この私がもう一度「地上に」復活するのです!終末的世界には「新しい天」だけではなく「新しい地」があるのです(もし「地」がマテリアルなものでないとしたら、それは一体何なのでしょうか)。この点を信じないならば、キリスト教信仰にはほとんど価値がありません。



2008年5月11日日曜日

地上の教会の存在理由


コリントの信徒への手紙一6・19~20

「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」

今日はペンテコステ礼拝です。今から約二千年前、この地上にキリスト教会が誕生したことを記念する日です。今日確認しておきたいことは、この地上に教会が存在する理由は何かということです。教会とは端的に言って何でしょうか。わたしたちが毎週教会に通う理由は何でしょうか。

今日開いていただきました聖書の個所に書かれていますことは、ある一つの文脈の中で語られたものです。その文脈は、問題としてはかなり深刻なことです。事柄の核心は教会に属する人々の中で起こった人間関係上の道徳的な問題です。夫婦や家族の正しい関係を破壊する不貞や不倫の関係が、教会に属する人々の中で起こった。そのことが、教会全体に混乱や不信感をもたらしている。そのことを使徒パウロが、ある面では腹を立てながら、別の面では何とかしてその問題を解決し、教会全体の良好な関係を回復しようと願いつつ、問題の核心部分に踏み込んで厳しい意見を述べているところです。

15節あたりから読んでみますと、そのことがはっきり分かるように書いています。

「あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。キリストの体の一部を娼婦の体の一部としてもよいのか。決してそうではない。娼婦と交わる者はその女と一つの体になる、ということを知らないのですか。『二人は一体となる』と言われています。」

これは二千年前に実在した一つの教会の中で、実際に起こった出来事について書かれていることです。キリスト者の中に娼婦と呼ばれる人々と関係を結んでいる人がいる。それは本当に恥ずかしいことであり、神の前で犯された罪です。その罪がどれくらい重いものであるのかを説明するためにパウロが語っていることは、あなたがたの体は「キリストの体の一部」である、ということです。その体を「娼婦の体の一部」にしてもよいのか、と問うています。あなたがたが娼婦の体の一部になるということは、キリストの体を娼婦の体に結びつけることを意味しているではないか、ということです。

パウロが語っていることは、もちろん、言うまでもなく、あなたがたはそういうことをしてはならない、ということです。それは、あなたがた自身の体を汚すことであり、またキリストの体を汚すことである、ということです。

「しかし、主に結び付く者は主と一つの霊になるのです。みだらな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです」。

「あなたがたがキリストの体の一部である」と言われていることは、ただ単に体の一体性ということだけではなく、霊の一体性という点を必ず含みます。また「一部」という点を強調しすぎないほうがよいでしょう。「あなたがたはキリストの体である」と言い切っても構いません。あなたがたは、体も霊もキリストと一つになっている。そのような者なのだから、あなたがたはみだらな行いを避けねばならない、とパウロは語っています。

なぜ今、私はこのような聖書の個所を引き合いに出しているのでしょうか。今日お話ししていますことは、地上の教会が存在する理由は何かということです。

地上の教会は、救い主イエス・キリストを信じる信仰をもって生きている人々の集まりです。しかし、今日の個所でパウロが明らかにしていることは、救い主イエス・キリストを信じる信仰をもって生きるとは、ただ単に、聖書というこの書物を勉強してわたしたちの教養の一部とするとか、キリスト教という歴史的宗教についての知識をもって生きるというようなこととは明らかに次元が異なる事柄であるということです。

私は今申し上げたようなことは無意味だとか無価値だと考えているわけではありません。聖書を勉強することも、キリスト教について知識を得ることも重要なことです。しかし、わたしたちが教会に通う理由、あるいはこの教会のメンバーになる理由、そしてそもそもこの地上に教会が存在する理由は、それだけなのかというと、決してそれだけではないと言わざるをえないのです。

勉強すること、知識を得ることも重要です。しかし、わたしたちの場合は、それだけで終わるわけではなく、強いて言えば、少なくとももう一歩先に進んでいかなければなりません。教会で学んだこと、教会で得た知識を、そのとおり実践するということを、少なくとも始めなければなりません。しかしまた、それだけでもありません。キリスト教の理論を実践するというだけでは、まだ主導権は自分の側に握られています。わたしが勉強したことを、わたしが実践に移す、というだけです。その場合の関心は、どこまで行っても、わたしの生き方という点に限定されています。厳しく言えば、自己中心的です。

しかし今日の個所でパウロが語っていることは、そのようなこととは明らかに違います。あなたがたの体は、キリストの体の一部である。主に結びつく者は、主と一つの霊になる。これはどういうことかというと、誤解を恐れずに言えば、わたしたちは今や、いわば地上を歩くキリスト自身になっているということです。今はわたしたち自身が、地上の教会が、いわばキリストであるということです。

もちろんこのように言うだけでは、非常に大きな誤解を生むでしょう。もう少し事柄を正確にお伝えする必要があるでしょう。わたしたち自身が三位一体の神に属する神の御子キリストであるわけではありません。あるいは、わたしたち自身が十字架の上で全人類の贖いのみわざを行なったわけではありません。その意味では、わたしたち自身はキリストではありません。正確に言えば、わたしたちはキリストの代理者にすぎません。

しかし、たしかに言えることは、わたしたちは今や、地上におけるキリストの代理者であるということです。法律的な書類を書くときに弁護士にお世話になったことがある方にはピンと来る話だと思いますが、本人の代理者である弁護士は、まさに全権を委任されています。代理者の押す印鑑は、本人の押す印鑑と同じ意味や重さを持っています。

わたしたちの存在、地上の教会の存在が、今やいわば地上を歩くキリストであると私が申し上げていることも、ある意味で、そのようなことです。

すぐに理解していただけそうな例から言いますと、たとえば、田舎の教会で牧師などをしていますと、その町の中にもその市の中にも教会が一つしかない、というところが実際にあります。改革派教会ということになりますと、一つの県の中に一つしかないところはたくさんあります。そういうところにおりますと、その教会が、その教会員が、その牧師が、その町の中ではキリストです。その町の人々は、その教会、その教会員、その牧師を見て、「ああ、キリストはこういうものか」と見るのです。あんなのがキリストなら、私はとてもついていけないと見る人もいます。もちろん反対もあります。あのようなキリストなら、わたしは信じる。ついていける。すべてをささげて一生お従いできる。

なぜわたしたちは、みだらな行いをしてはならないのでしょうか。わたしたちの体は、もはや自分自身のものではなく、キリストの体の一部になっているからです。「の一部」という点をことさらに強調する必要はありません。わたしたちは「キリストの体」です。「体」を強調する必要さえありません。「わたしたち自身がキリスト」なのです。わたしたち自身が地上を歩くキリストそのものになっているのです。「どうかわたしたちのことは見ないでください。キリストだけを見てください」という言い訳は通用しないのです。わたしたち自身の立ち居振る舞いのすべてが、キリストの存在を地上に映し出しているのです。

「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」。

ここに、今日お話ししたい最も重要な事柄が語られています。わたしたちの存在、地上の教会の存在が、いわば地上を歩くキリストであると語ることのできる根拠がここに語られています。注目していただきたいのは「あなたがたの体」、すなわち、わたしたちの体は「神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿」であるという点です。

教会は、救い主イエス・キリストを信じる信仰をもって生きている人々の集まりであると申しました。その教会に集まるわたしたちの体には、聖霊が宿っています。聖霊とは、神御自身です。聖霊がわたしたちの体に宿っているとは、神御自身がわたしたちの体の中に住んでおられるということです。神が住んでおられる場所が神殿です。神殿は遠い外国に立っている歴史的な建物ではありません。今わたしたちが礼拝を行っているこの建物でもありません。わたしたち自身のこの肉体、この存在そのものが聖霊なる神が宿っておられる神殿であると、パウロは語っているのです。

そのような清く貴くあるべきもの(聖霊の神殿としての人間の体)を、わたしたち自身の行いで汚してよいはずがないのです。もちろん実際には、わたしたちは何度も繰り返し罪を犯します。信仰をもって生きている人々も罪を犯します。パウロが今日の聖書の個所で強く批判している相手も、教会に属し、信仰をもって生きている人々です。キリスト者は罪を犯すことはないし、うそをつくことはないし、失敗も落ち度も無い、完璧な人間であるということは、事実ではないし、そのように語ること自体がうそになります。

しかし、だから駄目だと諦めるべきではありません。また、わたしたちは、地上の教会がキリストの代理者であるということを、あまり重苦しく考えすぎる必要もありません。パウロがわたしたちの体を「神殿」にたとえてくれていることは、わたしたちにとっての慰めでもあります。

神殿とは、なんと言ってもやはり、第一義的には、建物のことです。わたしたちが毎日住んでいる自分の家も建物です。建物は、放っておくと、すぐにほこりがたまり、ごみが出てきます。放っておくと、です。きれいにするためには掃除をすればよいのです。

忙しいときには、掃除するひまなどないかもしれません。そういうときは「四角い部屋を丸く掃く」というやり方も許されるかもしれません。しかし、全く放っておくことだけは避ける。そうすることを心がけるだけで、状況は少しずつでも改善していくでしょう。

今お話ししていることは、建物の掃除の話だけではありません。わたしたちの心と体の問題です。わたしたちが犯す罪の問題です。罪のない人間は一人もいない、というのが、聖書の教えです。わたしたちは、ちり一つ無い真空の中に生きているわけではありません。罪も悪も絶えず横行している複雑な社会の中に生きていますので、その影響を全く受けずに生きていくことは難しい面もあります。

しかし、だからこそ掃除をするのです。わたしたちの教会は「改革派教会」と言います。繰り返し聞かれることは「何を改革するのですか」ということです。その答えははっきりしています。わたしたち自身を改革するのです。教会を改革するのです。わたしたち自身、そして教会自身もまた、放っておくと汚れてくるのです。ほこりもごみも溜まってきます。だからこそわたしたちは「常に改革し続ける教会」でなければならないのです。16世紀の宗教改革の目的は、新しい教会を作ることではなく、「教会の大掃除」をすることであったと評する人がいます。そのとおりだと思います。

救い主イエス・キリストを信じる信仰によって、わたしたちが罪の中から救い出され、喜びと感謝をもって生きるようになること。

そのために自分の罪を告白し、赦しの恵みに与ること。

そのようにして自分の心と体の中身の掃除を定期的に行うこと。

それこそが地上の教会の存在理由であり、わたしたちが毎週教会に通う理由なのです。

(2008年5月11日、松戸小金原教会主日礼拝)