今週、火曜日から昨日まで静岡県浜松市で日本キリスト改革派教会の「大会役員修養会」が行われました。その中で近藤勝彦先生の講演が行われました。日本キリスト改革派教会の多くの教師・長老たちにとっては近藤先生との初顔合わせの機会だったようです。多くの人々がとても喜んで近藤先生の講演を聴いていた様子が印象的でした。
私にとって近藤先生は「恩師」(かぎかっこをつけておきます)です。ファン・ルーラーの存在を最初に教えてくださったのも近藤先生です(リューラーですけどね)。24年前、東京神学大学一年(当時18歳)のときに、ドイツ語と哲学とを教えていただきました。組織神学(教義学・倫理学・弁証学)の講義は、近藤先生からは受けていません。
教義学と弁証学の講義は大木英夫先生から、倫理学の講義は佐藤敏夫先生から受けました(今「砂糖と塩」と誤変換しました)。芳賀力先生はまだハイデルベルクにおられた頃です。また、近藤先生には卒業論文(ティリッヒの霊的現臨の概念について)と修士論文(トレルチの倫理思想について)の指導教授にもなっていただきました。もし「あなたは近藤シューレか」と聞かれれば「そうかもしれません」と答えるかもしれません。
しかしまた、私にとって近藤先生の存在は、ある意味での“格闘相手”であり続けました(すべての学問が「恩師への批判」から始められるべきであると別の方から教えられたことがあります)。もっとも、私が直接的な仕方で近藤先生に立ち向かったことはありませんし、近藤先生が私の“相手”をしてくださったこともありません。コドモの相手をしてくれるほど近藤先生はヒマではありません。
ただ私は、「近藤理論は(少なくとも私の生きている間の)日本基督教団の中には実現(リアライゼーション)の場がない。手がかりさえもない」という確信を得ました「ので」、今からほぼ10年前のことですが、日本基督教団の教師であることをやめて日本キリスト改革派教会の教師として加入させていただくという経緯をたどりました。ですから、このたび日本キリスト改革派教会の教師と長老が近藤先生の講演を聴いて「我が意を得たり」と喜んでおられる姿を見ることができたとき、私が10年前に抱いた“確信”は外れていなかったようだと、ちょっとだけほっとしました。
ただし、今の私は「近藤理論」のすべてに同意したままではありません。大きく違ってきているところもあるということを、このたび確認できました。「神学」には「実現(リアライゼーション)の場、あるいは最低でも実現の手がかりとなるような“教団”(Kirche)」が欲しいと願うのは、私だけでしょうか。おそらくファン・ルーラーならば、「神学」は“教団”(kerk)を要求するだけではなく、“国家”(staat)をも要求する、と語るでしょうけれども(23世紀くらいの日本の神学者には「国家の神学」を大いに論じてもらいたいと願っています)。
ともかく「神学」は我々の脳内妄想であるべきでないと思います。美文の並ぶ二次元の紙面から立ち起こして事柄を三次元化していかねばならない。そのとき美文は乱れ、思想の構造は傷を負い、“売れない本”になっていくでしょうけれども、それでよいのではないでしょうか。
しかし、「説教」は支離滅裂化すべきではありません。できるかぎりクリアであるべきです。「説教」をクリアにするためにこそ「神学」がさまざまな傷を負うべきであると思います。別の角度から換言すれば、神学校(神学大学)は教会のために存在するのであって、その逆ではないということです。「神学校(神学大学)の存続のために教会が犠牲にされる」という事態が一瞬でも起こるとしたら、それは本末転倒なのです。