2008年6月15日日曜日

事実こそ力


使徒言行録24・1~23

今日の個所で使徒パウロはカイサリアという町にいます。パウロをここまで連れてきたのは、千人隊長クラウディウス・リシアが召集した四七〇名の兵隊たちでした。彼らは、パウロを暗殺しようと計画していた四十人以上のユダヤ人たちの手から、無実のパウロを助け出しました。千人隊長リシアの目から見ると、パウロの側に死刑にされたり投獄されたりする理由はないことが分かったからです。

しかし、パウロの苦難の日々が終わったわけではありませんでした。今度はカイサリアの町のローマ総督フェリクスの前に引き出されました。そして、そこで裁判が始まったのです。

「五日の後、大祭司アナニアは、長老数名と弁護士テルティロという者を連れて下って来て、総督にパウロを訴え出た。パウロが呼び出されると、テルティロは告発を始めた。『フェリクス閣下、閣下のお陰で、私どもは十分に平和を享受しております。また、閣下の御配慮によって、いろいろな改革がこの国で進められています。私どもは、あらゆる面で、至るところで、このことを認めて称賛申し上げ、また心から感謝しているしだいです。さて、これ以上御迷惑にならないよう手短に申し上げます。御寛容をもってお聞きください。実は、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を起こしている者、「ナザレ人の分派」の主謀者であります。この男は神殿さえも汚そうとしましたので逮捕いたしました。閣下御自身でこの者をお調べくだされば、私どもの告発したことがすべてお分かりになるかと存じます。』他のユダヤ人たちもこの告発を支持し、そのとおりであると申し立てた。」

この個所で分かることは、当時パウロの宣べ伝えていたキリスト教信仰に敵対していたユダヤ人たちが、パウロ自身とキリスト教信仰に対してどのような言葉で批判していたかということです。パウロに対する批判の言葉は「疫病のような人間」というものでした。また、キリスト教信仰に対する批判の言葉は「ナザレ人の分派」というものでした。

これらはもちろん批判の言葉として語られたものですから、気持ちのよいものではありません。しかし別の見方をすれば、彼らの言っていることは、ある面の真理を言い当てていると考えることができるかもしれません。

パウロは、もちろんまさか「疫病のような人間」ではありません。しかし、そのことを彼に敵対していた人々が認めたということから分かることは、パウロの影響力は、まさに疫病のように、広い範囲に力を及ぼすものであったということでもあるでしょう。

わたしたちの教会の存在、また教会が行う伝道活動は、もちろんまさか「疫病」のようなものではありません。しかし、もしわたしたちがあまりにも遠慮しすぎていると、そのうち「あの教会は毒にも薬にもならない」という批判が聞こえてくることになるかもしれません。

教会の存在が社会にもたらす影響力というものは、目に見えて華々しいものとか、状況を劇的に変貌させるものではありません。しかし、それは、ゆっくりじわじわと、そして確実に進んでいくものです。たとえばの話ですが、今のわたしたちがしているような一回30分程度の説教を聴いていただくだけでも、10年間礼拝に通えばどれくらいの時間になるだろうか、40年通えばどうだろうかというふうに考えてみていただくとよいでしょう。

「説教の内容を全く覚えていない」とおっしゃる方もいます。42才の私も、まさに42年間教会に通い続けてきまして、いろんな牧師の説教を聴いてきましたが、説教で聴いたことは、ほとんど忘れてしまいます。とくに、いつ、どの牧師が言ったかというようなことは全く覚えていません。それでいいと思っています。ですから、どうかご安心ください。

それはちょうど、わたしたちが、大人になった今となっては、小学校や中学校で教えていただいた先生の顔も名前も思い出せないことが多いのと同じだと思っています。皆さんの中に算数や国語や社会や理科についての知識を、どの先生が、いつどんなふうに教えてくださったかをはっきりと覚えているという方がおられるでしょうか。私は、全く覚えていません。先生たちの顔さえ思い出せません。たぶんそれでいいのです。

重要なのは先生ではなく、教えられた内容です。今わたしたちが持っている知識です。あるいは、いつかどこかで受けた影響そのものです。心と体の中に残っているものがあり、浸透しているものがあるというこの事実が重要なのです。宗教もそれと同じなのです。

それでももちろん、我々の存在を指して「疫病」などと言われることは、あまり気持ちのよいものではありません。しかし、強いて言うならば、パウロの宣べ伝えたキリスト教信仰には、単なる“薬”という面だけではなく、ある意味での“毒”の面が含まれていたと言えるかもしれません。

キリスト教信仰には、癒しや慰めなど爽やかな快感をもたらす面だけでなく、厳しい裁きと罪の悔い改めを迫る面がたしかにあります。「あなたが今まで信じてきたことは間違いです」と告げる面があり、「これまでの生き方を根本的に変えねばなりません」と迫る面があるのです。その要素がないような説教は説教ではありません。キリスト教信仰を受け入れることがなく、自分自身の罪を悔い改めることもなかった人々にとっては、パウロの説教は、なるほど「疫病」だったかもしれません。

キリスト教信仰に対する「ナザレ人の分派」という批判の言葉についても、いろいろと考えさせられるところがあります。当時のユダヤ人たちにとって、キリスト教会の存在は、ユダヤ教の異端的分派、つまり“ユダヤ教キリスト派”であると思われていたことの一つの証拠と言えるでしょう。

この点も、ある意味で彼らが言うとおりでした。イエス・キリスト御自身も、弟子たちも、そしてパウロも、新しい別の宗教団体をつくろうと願っていたわけではありません。むしろ、言ってみればユダヤ教そのものの全面的改革、神の民イスラエルの再建と再出発を願っていたのです。そのことを嫌がったのはユダヤ教団指導部です。イエス・キリストを殺し、弟子たちを迫害し、パウロを殺そうとしたのです。パウロたちが分派活動をしたのではなく、ユダヤ教団指導部がパウロたちを「分派」と呼んで異端視したのです。

わたしたち改革派教会、またプロテスタント教会全体も、似たような経緯を辿りました。16世紀の宗教改革者たちは、ローマ・カトリック教会の教えや活動の内容に強く反対しましたが、だからといって、新しい別の教会をつくろうと願っていたわけではありませんでした。我々もローマ・カトリック教会から追い出されたのです。追い出されるようなことを言ったりしたりしたほうが悪いと言われると立場がありませんが、わたしたちとしては、宗教改革者たちが主張した真理に耳を傾けなかった人々の責任も重大であったと言わなければなりません。

「総督が、発言するように合図したので、パウロは答弁した。『私は、閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じ上げておりますので、私自身のことを喜んで弁明いたします。確かめていただけば分かることですが、わたしが礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが「分派」と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。』」

先ほど私が申し上げた点を、パウロはカイサリアの総督フェリクスの前で、はっきりと述べています。それは、キリスト教会とその信仰を指して「分派」と呼んでいるのは彼らユダヤ人であるということです。しかし、我々は「分派」などではありえないとパウロは主張しています。なぜなら、キリスト教会は「先祖の神を礼拝している」からです。また「律法に即したことと預言者の書に書いてあること」、つまり(旧約)聖書を「ことごとく信じている」からです。

これはわたしたちにとって、非常に重要な点です。今でも繰り返し誤解されていることは、ユダヤ教の神とキリスト教の神は別の神であると思われることがあるということです。旧約聖書の神は、裁きの神であり、恐ろしい神である。新約聖書の神は、愛の神であり、優しい神である。旧約聖書はユダヤ教の書物であり、新約聖書だけがキリスト教の書物である、など。これは全く根本的な誤解です。わたしたちにとっては、旧約と新約のすべてが「聖書」です。

この聖書全体に示されている神の言葉を信じて生きていくのがキリスト者であり、キリスト教会です。キリスト教信仰は、分派としての「ユダヤ教キリスト派」であるどころか、ある意味で本来のユダヤ教であり、神の民イスラエルの本来の宗教なのです。「分派」であるとか「異端」であると言われるようなものではありえないのです。

「『更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。………もし、私を訴えるべき理由があるというのであれば、この人たちこそ閣下のところに出頭して告発すべきだったのです。さもなければ、ここにいる人たち自身が、最高法院に出頭していた私にどんな不正を見つけたか、今言うべきです。彼らの中に立って、「死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ」と叫んだだけなのです。』」

しかしまた、パウロが総督フェリクスの前で、まさに声を大にして、強く語ったのは、キリスト教信仰の核心部分である「死者の復活」という点でした。「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望」は「この人たち自身」、つまりユダヤ人たち自身、とくにファリサイ派の人々は信じていることでした。死者の復活を信じないユダヤ人たち、とくにサドカイ派の人々もいました。しかし、「死者の復活」を信じるからといって、キリスト教が異端視される理由にはならないということを、パウロは語っているのです。

特にパウロの場合、彼が信じていた「死者の復活」は、聖書というこの書物についての読書や研究によって得られた知識や確信というような次元にとどまるものではありませんでした。この点はわたしたちの場合とパウロの場合は違うというべきです。

わたしたちは、聖書を読むこと、すなわち“読書”によって「死者の復活」を信じています。しかしパウロは違いました。生ける真の救い主イエス・キリスト御自身が、彼の目の前に現れたのです!パウロとキリストは、神秘的・奇跡的な仕方で出会いを経験したのです。この出会いは、パウロにとっては二度と否定することができない事実だったのです。

自分が現実に体験した出会いの事実を否定することができない。パウロの信仰は、聖書以上に事実に基づくものでした。そのためパウロは、裁判所であれ、国会議事堂であれ、どのような場所に立たされようとも、また目の前に敵がたくさんいるような危険な場所であっても、彼の信仰を曲げることができませんでした。

パウロは、事実を事実として語っただけです。事実こそが力なのです!

(2008年6月15日、松戸小金原教会主日礼拝)