2008年1月16日水曜日
SOHOとしての牧師
「牧師は仕事をしていない」という全く落胆させられる誤解が生じるのは、電車やバスなどに乗って職場通いをするという意味での「通勤」という行為をしていない牧師が多い(なかには「通勤している牧師」もいます)ことにも一因があるのではないかと思われます。
牧師の仕事は、もしそう言ってよいならば、いわば「SOHO」です。たとえば、今日も牧師室で(今ここで)、今かかわっている三つほどの委員会の仕事をしました。非常に多くのメールのやりとりをしました。その中で、委員会会議の日程を調整し、開催通知を発行し、いくつかのクレームを処理し、深々と謝罪もし、そしてまた重要な相談や決定を行いました。電話も数件かかってきました。具体的な内容は書けません。
最近の例でいえば、「神学校を紹介してほしい」、「結婚式の司式をしてほしい」、「現在通っている教会とうまく行っていない」、「教会の建物をお借りしたいのですが」、「疲れた」、「どうすれば死ねるのですか」など。
それらはいずれも教会員からの電話ではありません。ほとんどが予告なく突然、また初めて電話してこられる方々です。「電話帳で」あるいは「ネットで」連絡先を知りました、と言ってかけてこられるケースが多い。
その中には、当然のことながら、二つ返事で了承できない依頼も少なくありません。どうしたら相手を怒らせずに断るかで、神経を使います。
もちろんその中に「電話を光ファイバーに変えませんか」、「畳の張り替えをしませんか」、「屋根の塗り替えをしませんか」、「新しいコピー機に買い替えませんか」などの電話はひっきりなし。「そういうのはもう二度とかけてこないでください」と大きな声で言って、がしゃりと切ってしまったことも何度かあります。
今日一日に限っては、教会のチャイムを鳴らしてドアの中に入ってこられたお客さんは一人もいませんでした。直接顔を合わせたのは妻子だけです。それはそれは静かな一日でした。聞こえるのは(電話以外は)石油ストーブの燃える音と、私が打つキーボードの音くらいです。BGMは気が散るので、ほとんどかけません。牧師室には(まさか)テレビはありません。
電車にもバスにも自動車にも乗っておりません。歩いた距離は牧師館から教会までの10メートルくらいです(この点は反省しなければなりません。後ほどウォーキングに行こうと思います)。
しかし、です。私は今日一日だけでも非常に大勢の人とのコミュニケーションを行いました。昼食は食パン一枚かじっただけです。ゆっくり食べている時間がありませんでした。今の時間はなんだか心も体もぐったりしています。肩こりと偏頭痛と腰痛には最近再び悩まされています。
「六本木ヒルズのオフィスから地上を見下ろすと、世界を征服した気分になる」という趣旨の発言をした人がいました。そういう人の目から見ると、牧師は何に見えるでしょう。しかし、この地上の世界には実に様々な形態の「仕事」があるのだということを、多くの人々に知ってもらいたいと願っています。
我々牧師たちも、もしかしたら「宗教家」と呼ばれなければならない存在なのかもしれませんが、まさか「読書と瞑想」だけをしているわけではありません。説教の原稿だけを書いているわけではありません(説教の手を抜いているという意味ではありません)。
大学や神学校のようなところで教鞭をふるっている牧師、ラジオやテレビの番組に出演している牧師、附属の幼稚園や保育園や福祉施設の理事長をしている牧師、政治家になったり各種政治運動に参加していたりしている牧師だけが忙しく立ち働いていて、それ以外の牧師は「遊んでいる」わけではありません。
「何を御冗談を」と言いたくなります。言葉の正しい意味での「労働者」なのだと自覚しています。
2008年1月15日火曜日
家族との時間
2008年1月14日月曜日
牧師は「雇われて」いない
牧師の仕事に関しては、もう一つ、一刻も早く払拭されることを願ってきた、とんでもない誤解があります。その誤解とは「牧師を雇う」という表現です。
牧師たちはだれからも、あるいはどこからも「雇われて」いません。牧師は教会によって「招聘」されます。しかし、牧師と教会の関係は「雇用契約」に基づくものではありません。少なくとも改革派教会の考え方においてはそうです。また日本の宗教法人法の規定においてもそうです。
牧師たちは「雇用」されていませんので、「失業」という言葉も当てはまりません。事実、雇用保険に加入することができませんので、失業手当はありません。これは、私が日本基督教団の教師を退任し、日本キリスト改革派教会に加入した際に体験したことですから、明言できることです。
宗教法人法の規定において牧師は「宗教法人代表役員」です。法の理念において「法人の代表役員」とは、強いて言えば「雇用する側」の代表者です。「雇用する人」が「雇用される」ことはありえません。また「牧師を雇用する」という観念そのものを教会は持つべきではありません。教会は会社とは根本的に性質が異なるからです。
「牧師は仕事をしていない」という先述の誤解は、「会社勤務」や「賃金労働」のみを「仕事」と称することを許してきた時代遅れの判断に依拠するものと思われます。たとえば、会社勤務や賃金労働をしていない主夫ないし主婦に「無職」という失礼な呼称を強いてきた前時代的思想は一刻も早く葬り去られるべきです。「お前は誰の稼ぎのおかげで食っていると思っているのか」などの暴言は今や犯罪以外の何ものでもありません。主夫ないし主婦は、他方の配偶者に「雇用」されているわけではありません。
同様に、牧師たちもまた、「お前は誰の稼ぎのおかげで食っていると思っているのか」などという暴言に苛まれなければならない存在ではありません。
日曜日の仕事
日曜日が最も忙しい職業です。日曜日だけ牧師をするというわけではなく、毎日牧師をしています。牧師でない日は、(引退するまでは)一日もありません。「『日曜日の人』と言われることを恥と思うな」と学生時代に教えられた言葉を励みに、この仕事を1990年から続けてきました。
いまだに大真面目な顔で(そしておそらく善意の様子で)「牧師さんて、『お仕事』はしておられないんですよね?」と訊ねられることがあります。私が「牧師の仕事」という言葉を発すると、「『仕事』ではない。牧師の場合は『奉仕』と言うべきである」と、(ちょっと怖い顔で)わざわざご丁寧に正してくださる方にさえ実際に出会ったことがあります。何をおっしゃりたいのかはよく分かりませんが、これを私は間違いなく「仕事」であると捉えていますし、わざわざ「仕事でなくて奉仕」などと正される筋合いにはないし、「牧師は仕事をしていない」とか言われると、「何を言ってやがる」と憤懣やるかたない思いになります。
プロバイダとの契約やネットの通販を利用する際に申込者の職業を明かすことを求められる場合がありますが、とくに国内のサイトの場合、プルダウンメニューやボタンの中に「牧師」という選択肢を見つけることは皆無に等しく、やむをえずいつも「その他」を選択しなければならないことを、なんだかとても不愉快に思っています。「そっかー、オレたちって、『その他』なのかー」と、不幸な現実を突きつけられて、がっかりします。
「サラリーマン牧師」という極めつけの言葉を聞くと(関口はそうであるという意味で、私に面と向かってこのようなことをおっしゃる方に出会ったことは一度もありませんが)、私自身はうれしくなりますが、通常サラリーマンと呼ばれている方々に対して失礼な言い方に思えて申し訳ない気持ちになります。「サラリーマン」がなぜ批判的な意味で用いられるのでしょうか。そのような言葉の背景にどのような哲学があるのかが気になります。
牧師たちは汗も水も流していないとでも思われているのでしょうか。ぞっとするような誤解です。私がしていることは間違いなく「仕事」です。十分な意味で、汗も水も流して(または「たらして」)おります。
我々が「職業としての牧師」であることに徹すること、すなわち、我々がこの仕事の専門性を徹底的に追求していくことは、長い目で見ると教会の信頼性を高めることにつながります。それこそが、牧師たちが社会と教会にとって真に役立つ存在になっていけるための道であると信じています。
2008年1月13日日曜日
「宣教と経済」
http://sermon.reformed.jp/pdf/sermon2008-01-13.pdf (印刷用PDF)
使徒言行録16・16~24(連続講解第41回)
日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康
今日お読みしました個所の出来事が起こった町の名はフィリピ(12節)です。フィリピではすでにリディアがパウロの話を聴いて信仰に導かれ、家族と共に洗礼を受けました。ですから、今日の個所に登場するのは、パウロたちがフィリピに来て二番目に出会った、特筆すべき人物であるということになります。
その人は「占いの霊に取りつかれている女奴隷」と呼ばれています。この女性もまた、パウロたちとの出会いの中で一つの救いを体験いたしました。次のように記されています。
「わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。『この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。』彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。『イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。』すると即座に、霊が彼女から出て行った。」
この女性に取りついていた「占いの霊」とはどのようなものであったかについて分かることを申し上げておきます。原文には「ピュトンの霊」と記されています。ピュトンとはギリシア神話に登場する蛇の名前です。この蛇はデルフィ(デルポイ)という名の神託所を守護する存在でしたが、アポロンという名の神によって殺されたと伝えられています。アポロンによって殺された蛇の霊が「占いの霊」です。
そして、その霊に「取りつかれている」この女性が占いを語る方法は、口を動かさずに語る、いわゆる腹話術でした。つまりこの女性は、腹話術を使っていろんな占いの言葉を巧みに語っていた人であると考えることができるのです。
しかも、ここに二点とても気になることが記されています。第一はこの女性が「女奴隷」として紹介されていることです。第二はこの女性が「占いをして主人たちに多くの利益を得させていた」と書かれていることです。この二つの点は当然互いに関係し合っています。考えてよさそうなことは、この女性は、主人たちの奴隷として金もうけをさせられていたのであり、おそらくその金銭収入はもっぱら主人たちのものとされるのであり、彼女自身にはほとんど得るものはなかったであろう、ということです。無理やり仕事をさせられ、収入はすべて巻き上げられ、挙句の果てに捨てられる。そのような、考えてみればとてもかわいそうだとも言いうる存在、それが今日の個所に出てくる女性です。
この女性に対して(より正確にはこの女性に取りついている「霊」に対して)パウロが語った言葉は、「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」というものでした。すると、即座に霊が彼女から出て行くという出来事が起こりました。これは文字通り霊が出て行ったのだと考えるべきです。しかしまたそのことが同時に意味することは、この女性は、もはやそれ以上、主人たちのもとで腹話術師として働くのをやめたということであり、また、はっきり言えば、人をだます占いの言葉を語るのをやめたということでもあるわけです。
つまり、この女性に起こった出来事の本質ないし核心は、彼女の奴隷状態からの「解放」です。また、人をだまして金もうけをしようとする罪と悪の力からの「救出」です。この意味での「解放」と「救出」こそが救いです。そのような出来事がパウロたちとの出会いによって、そしてイエス・キリストの福音を宣べ伝える彼らの言葉によって、彼女の身に起こったのです。
しかし、この女性がその仕事をやめたとなりますと、少し心配な面が出てきます。それは、この後この女性はどうなったのだろうかということです。主人たちに殺されるのではないだろうか、殺されるまでは行かなくても相当痛い目にあわされるのではないだろうかと考えざるをえません。どこかに逃げることができたのか、それともパウロたちの仲間に加わり、彼らの庇護のもとに置かれる存在になったのか。いずれにせよ、この女性の身柄は安全な場所に保護されないかぎり、大きな危険にさらされたであろうことは、ほぼ違いありません。しかし、そのあたりのことは、残念ながら何も記されていません。
むしろ、ここに記されているのは、この主人たちが腹立ちまぎれに向けた攻撃の矛先はパウロたちであったということです。
「ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。」
ここにたしかに記されていることは「金儲けの望みがなくなってしまった」ということです。ですから、この女性が占いをやめたという点は、確実に言いうることです。そして主人たちは、彼女が占いの仕事をやめるに至った原因は、パウロたちキリスト教の連中が来たことにあると見て、逆恨みした。つかまえて役所に連れて行った。これが今日の個所のあらすじです。
これを読みながら、いろいろ考えさせられることがあります。何よりもまず思うことは、この主人たちはこの女性を働かせて得る収入だけで生きていたのだろうかということです。自分たちは遊んで暮らしていたのだろうか。もしそうだとしたら、かなり問題のある人々であったと考えざるをえません。
あるいは、あまり乱暴にあるいは断定的にあれこれ言ってしまわないで、もう少し丁寧に考えてみる必要があるかもしれません。デルフィの神託所は、今でもそうだと思いますが、町の観光名所でした。日本でいえば、古来の神社仏閣のようなところです。そして、この女性はまさに神のお告げを語る巫女でした。彼女はそれなりに訓練を受けていた可能性があります。他の女性あるいは男性では簡単に替わることができない特別な訓練を受け、能力を与えられた人であった。その訓練にもそれなりに費用がかかった。その人が突然、仕事をやめた。我々のこれまでの苦労が水の泡だ、という思いが主人たちの心に起こった。そのように考えてみることができるかもしれません。
そして、私はまだ、パウロたちの側が彼女に対して行ったことの詳しいところは述べておりません。17節以下に書かれていることです。この女性が、パウロたちの後ろについて来て、「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」と叫んだ。それを何日も繰り返すのでパウロとしては「たまりかねて」(18節)、先ほど紹介しました言葉、「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」とパウロのほうも、おそらく大声で怒鳴りつけたのです。
以前私はこの使徒言行録の学びの中で「パウロ先生はすぐ怒る」ということをいくらか批判的な観点から申し上げたことがあります。おそらく思い起こしていただけるはずです。何かあると、すぐに腹を立て、大きな声で怒鳴りつける。向かう相手を威圧する。けんか腰で語る。そのようなパウロの怒りっぽい性格と、第一回伝道旅行の際パウロとバルナバの助手として同行したヨハネ・マルコが伝道旅行の途中でエルサレムに逃げ帰ったこと、その後もパウロと行動を共にしなくなったこととは、もしかしたら関係あるかもしれない、とまで申し上げました。
女性が言っている「この人たちは、いと高き神の僕で、救いの道を宣べ伝えている人々です」という点は、でたらめではなく、事実ではありませんか。事実を事実として言っているだけです。もちろんたしかに、同じことを何度も繰り返し言われたり、ところ構わず大声で叫ばれたり、どこにでもつきまとわれたりすると、気の短い人なら、いらいらして怒鳴りつけるかもしれません。そう、おそらくパウロは、とても気の短い人だったのです。
この女性が、その後どうなったかについては何も書かれていないと、先ほど申しました。「占いの霊が彼女から出て行った」という点は、記されていることですので確実に言えることです。しかし、「パウロたちの仲間に加わった」とも書かれていません。大声で怒鳴りつけられた人の仲間になろうと思うでしょうか。パウロのやり方には何の問題もなかったと言えるでしょうか。伝道とは怒鳴りつけることでしょうか。こういうことも、タブーにしないで、一つ一つ丁寧に考えてみる必要があると思います。
しかし、それらのことをよく考えてみた上で、やはり最も大きな問題は、パウロたちが結果的に町の人々から嫌われ、捕まえられ、役所に連れて行かれることになってしまった真の理由ないし原因です。それは、事実として、パウロの語った言葉によってこの女性が占いの仕事をやめたことによって「金もうけ」ができなくなったこと、すなわち「経済的損失」を被る人々が現れた、ということです。
これは、パウロたち自身の意図するところではなかったはずです。つまり、パウロたちは、その町の人々が、あるいはその中の特定の人々がどのような仕方で収入を得ていたのかというあたりの詳しい情報を知り抜いた上で、故意に、あるいは意図的に他人の不利益を生じさせるように立ち回ったわけではなかったはずです。すべては結果として生じたことです。いわば、全くのとばっちりを受けたのです。
しかし、逆の方向に考えてみますと、そのような機会にこそ、パウロたちは、おそらく非常に多くのことを学んだに違いないとも思われるのです。わたしたち人間たちは、経験をとおしてさまざまな学習をする存在です。パウロたちも人間です。旅先で遭遇するさまざまな出来事、またその中でいろんな痛い目に会うたびに彼らが学んだであろうことは、彼らが宣べ伝えているイエス・キリストの福音は、結果として、思わず知らず、社会的に大きな影響ないし波紋を呼び起こすものでもあったのだ、ということです。
一人の人が救われ、洗礼を受け、教会員になる。信仰生活を始める。それによってその人自身は喜びと感謝の生活を始めることができるでしょう。しかしまた、それによって、別の人々のもとには不利益が生じることがありえます。その人々の不満や激怒、さらには攻撃や迫害の原因を、わたしたちのキリスト教信仰そのものが生み出すことがありうるのです。「その結果がどうなるかなんて、全く分かりませんでした」と言うだけでは済まされない問題もある、ということです。
しかし、です。今申し上げていることを私は、「だから伝道などすべきではありません。洗礼を受けることも教会生活を始めることも、できそうにもありません。そのようなことは現実的には不可能です」というような意味で言っているわけではもちろんありません。そのようなことを、この私が言うはずがありません。事実は正反対です。わたしたちには“結果責任”までとる必要があると申し上げているだけです。
わたしたちの伝道と受洗と教会生活の開始によって不利益を生じる人々がどこにおり、その人々がどのような感情を抱き、どのような反応を起こすかということを、あらかじめ十分かつ徹底的に考え抜く必要があると言っているだけです。
そして、その人々に対してできるだけ丁寧に説明し、理解を求めることが必要であると言っているだけです。
何を言っても全く理解していただけない場合があります。その場合はどうするか。
洗礼を受け、信仰生活を始めるのを思いとどまれとは決して言いません。そうではなく、そのときから始まるあらゆる試練を覚悟し、腹をくくる必要があると言っているだけです。
イエス・キリストが「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない」(マタイ10・38、ルカ14・27)と言われたとおりです。
(2008年1月13日、松戸小金原教会主日礼拝)
2008年1月12日土曜日
「世間におもねる神」と「世間に挑戦する神」
母に育てられている子供が転校先の小学校で教師を質問攻めにする。「1+1はなんで2なの?」から始まって、いろいろ。クラスの子供たちは最初「こいつはバカだ」「バカだ、バカだ」とはやし立てるが、転校生なりの発想に基づく説明にだんだん納得させられ、「教科書に書いてある」とか「他の子たちのことも考えて」という理由で転校生の質問をまともに取り上げようとしない教師たちに子供たちが反発しはじめる。興味深く見ました。
「空気を読めない」「常識が足りない」などの言葉が子供たちのユニークな発想を妨げているかもしれない、将来の天才博士の芽をつぶしているかもしれないということへの反省を促そうとしてくれているのかなと、とりあえず受けとめました。
神学の問題も同時に考えました。現代の代表的神学者の一人A. A. ファン・ルーラーは、牧師や神学者の仕事を指して「余計なものとして生の外側に立っているように見える永遠の見張り番」と呼びました。今の言葉で言い直せば、牧師や神学者は「KY」の一種と見られても仕方ない存在であるということになるかもしれません。
しかし、ファン・ルーラーは、牧師や神学者はまさに「生の外側」から、「最初の問い」を諸学と世界に向けて「不断に投げかける」存在なのだとも言っています。なるほど考えてみれば「空気を読んで世間におもねる神」(?)には違和感が無くもありません。「常識にとらわれた世間に向かって常にラディカルに最初の問いを投げかける神」(!)のほうが、我々が現代神学を通して教えられてきた神です。
しかし、です。私は、ここで話を終えるべきではないだろうとも感じます。「世間におもねる神」(?)と「世間に挑戦する神」(!)は対立関係にあるのでしょうか。葛藤は当然あるでしょう、しかしどちらか一方が真理で、反対は誤謬であると常に判断しうるのか。事柄は単純ではなさそうだと、「エジソンの母」の続きに期待しながら考えさせられました。
木曜日に始まった「交渉人」(主演 米倉涼子さん)も見ました。今春は面白そうなテレビドラマが並び、久々にわくわくしています。
このように書くと、カントばかり読み、テレビばかり見ているのかと思われそうです。現代の牧師たちも、少しは「空気を読む」努力をしているのです、ということにしておきます。
カントの「創造論」と「終末論」
「カントを読み解くコツ」に一点補足しておこうと思いました。カントの著作の中に「教義学の観点から見て面白いもの」があると書いた点に関することです。それは内容を読めばすぐに分かることです。
「人類の歴史の憶測的起源」(1786年)は、旧約聖書のモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の釈義であり、その内容は教義学における「創造論」に対応するものです。
「万物の終わり」(1794年)は、新約聖書のヨハネ黙示録の釈義であり、教義学における「終末論」に対応するものです。
「理論と実践」(1793年)については、これと教義学の直接的な対応関係を語ることにはいくらか難しい面がありますが、強いて言うとしたら「教義学序論」との対応関係を考えることができそうですし、さらに、「神学諸科解題(ないし神学百科)」における教義学と実践神学の関係の問題などを考えていくために大いに参考になりうるものです。
するとどうなるか。たしかに言いうることは、カントには少なくとも彼なりの「創造論」があり、また彼なりの「終末論」があったのだということです。この意味に限って言えば「カントは一種の教義学者であった」と語ることができそうです。
そして驚かされることは、カントの「創造論」と「終末論」の内容は、教会の伝統的聖書解釈から逸脱しているものであると言われるならばもちろんそのとおりかもしれませんが、どうしてどうして、現代人的感性をもって読めばけっこう面白いものであるということです。
また、間違いなく重要な指摘もあります。一例を挙げておきます。
「人類の最初の歴史を上述のように説明することは、人間にとって有益であり、また教訓や改善にも役立つのである。かかる説明によって我々に明らかにされるのは、次の二事である。第一は、人間に重くのしかかる数多くの害悪があるからといって、その責任を摂理に帰してはならない、ということである。また第二に、人間は自分の犯した過ちを人類の先祖の原罪に帰するいわれはない、ということである。この祖先の犯したのと同様の過ちを犯す性癖のようなものが、原罪によって子孫に遺伝されている(しかし人間が自分の意志に従って為すところの行動に、遺伝的なものが随伴する筈はない)と考えるのは誤解であって、人間は自分の犯した過失から生じたところのものを、まさしく彼自身の所為と認め、従ってまた彼の理性の濫用から発生した一切の害悪については、その責めをすべて自分自身に帰せねばならない」
(カント「人類の歴史の憶測的起源」『啓蒙とは何か 他四篇』篠田英雄訳、岩波文庫、1974年改訳版、79ページ)。
カントが言っていることに、わたしたちは腹を立ててはならないのだと思います。
彼の言いたいことは、「神の摂理」(providentia Dei)や「原罪」(peccatum originale)などの教義学的概念を一種の殺し文句のように持ち出して事足れりとすることはできないということです。教会の教義用語を、真理探究における《思考停止》の言い訳や、道義的ないし社会倫理的な問題における《責任回避》の隠れ蓑にしてはならないということです。
カントの指摘しているこの点は、「現代の」教義学においては、当然顧慮されるべき重要な要素です。
カントを読み解くコツ
さて、カントには「面白くない著作群」と「面白い著作群」の両方があると私には思われます。前者としては、三つの《批判書》(『純粋理性批判』・『実践理性批判』・『判断力批判』)やそれらの批判作業によって獲得された新しい哲学的認識論に基づく《体系書》としての『道徳形而上学』があります。後者としては、彼が雑誌や新聞などに寄稿したいずれも比較的小規模の論文があります。
社会的具体性をもっているという意味で面白いのは「啓蒙とは何か」(1784年)や「世界公民的見地における一般史の構想」(1784年)や「永遠平和のために」(1795年)などです。また、教義学の観点から見て面白いのは「人類の歴史の憶測的起源」(1786年)や「万物の終わり」(1794年)や「理論と実践」(1793年)などです。
うれしいことに、それらの多くがかなり以前から日本語に訳されています。今や私のような初学者にも容易に近づくことができるようになったのは、先人たちの血の滲むような努力あってのことです。
ところで、『純粋理性批判』を読みはじめて分かってきたことの一つは、カントの読み方にはコツがありそうだということです。それは、上記の二種類の著作群の前者と後者、つまり「面白くない著作群」と「面白い著作群」との両者の間を行ったり来たりしながら読むほうが良さそうだということです。
そのように、両者を「同時に」読むこと(この「同時に」は厳密な言い方ではありませんが)によって得られる恩恵はたくさんあると思います。何より、「面白くないもの」を読み続けることには、人間の通常の精神にとって耐えがたいものがあるからです。「面白いもの」と「面白くないもの」を行ったり来たりすることが精神のバランスを保つためにも良さそうですし、飽きないためのコツでしょう。
また両者を「同時に」読んで得られる恩恵の第二点は、月並みな言い方かもしれませんが、カントの哲学は、それが「哲学」であるかぎり、単なる抽象的で味気ない数字や記号の羅列のようなものであったはずはなく、むしろ、きわめて現実的で具体的な事実や危急の事態の中で考え抜かれた実践的思索でもあったのだ、ということを味わい知ることができることです。
とはいえ、もちろん、私の立てる「面白いもの」と「面白くないもの」の区別そのものは、個人の主観であり、独断論であり、憶測であり、趣味・嗜好の問題であると付け加えておくほうがよさそうです。「理論」(theoria)が面白いと感じられる人にとっては前者のほうが「面白い著作群」でしょうし、私のように「実践」(praxis)のほうにより多くの関心を抱き続けている人間にとっては逆の判断になる、という消息ではないかと愚考します。
2008年1月11日金曜日
哲学と神学
どういうことか。カントの時代においては、数学や物理学、あるいは言語学や心理学といった諸学がそれぞれの自治権を主張して独立していく前の、いわばそれらすべてがごちゃ混ぜで混とんの中にあるような、その意味でプリミティヴな思索を一個の統一した(?)「哲学」として提示できたようだということです。
今日のような「理系」と「文系」の区別もない。よく言えば両刀使いでバランスがとれている。悪く言えばどちらも中途半端。スペシャリストというよりはジェネラリスト。事柄を広く浅く、そして大づかみに知っている蘊蓄人間。
カント自身がそういう人物であったに違いないと言っているわけではありません。提示されている「哲学」の性格がそのような人間の教育を目指すものであるように思われると言っているのです。
また、悪い意味で言っているのでもありません。むしろ、うらやましい。関心や能力において極端な偏りがあるエキセントリックでアンバランスな人間(たとえば私)よりもはるかに周囲の信頼を得られそうな人間像を期待できます。
しかしその上で感じることは、現代の「神学」との決定的な違いです。現代の「神学」は、言うまでもなく、もはや「諸学の女王」(regina scientiarum)ではありえません。それどころか、今や、神学者にして説教者である人自身が、自分の仕事を指して「余計なものとして生の外側に立っているように見える永遠の見張り番」(A. A. ファン・ルーラー)であると語るほどになっています。要するに我々の存在と仕事はこの世界の中では役立たずの無用の長物のように見えるだろうということを、現代の神学者たちは強く自覚しているのです。
しかしこのことをファン・ルーラーは自嘲や謙遜として言っているのではありません。我々は「永遠の見張り番」として「まさに根本的に生きている」のであり、「庶民の生に可能なすべての事柄に首を突っ込む」存在であると言っているのです。
また、現代においてはもし「神学」と「説教」が物知り博士の知識の披瀝のようなもの、さらには、諸学と人類にとっての「最後の答え」のようなものになってしまっている場合には、もはや、根本的かつ致命的な間違いを犯しているとみなされます。なぜなら、「神学」こそが、あるいは「説教」こそが、諸学と人類に対して「最初の問い」を不断に投げかけ続けるべきものだからです。
神学と説教の発する問いに、哲学と諸学が答えるべきです。そう、強いて言うならば、「世界の外にある神」の発する問いに、「神の外にある世界」が答えるべきです。三位一体の神は、なんら「答え」ではなく「謎」そのものです。
2008年1月10日木曜日
「自然神学に拠らない上からの哲学」の可能性
ただし、カントの場合はいわゆる《上からの哲学》としての「啓示の哲学」(Wijsbegeerte der openbaring/Philosophy of Revelation、ヘルマン・バーフィンクの表現)のような立場はとらないはずですから、《下からの哲学》としての「人間学」をひっさげて、理性の限界まで昇り詰めて行く他はない。他方、バルト以後の現代神学者たちは、《下からの神学》に逆戻りすることには大いに躊躇がある。《上からの神学》にとどまりながら(自然神学による解決を避けながら)、世界と神の相互関係を適切に評価する道を探っている段階にあると言ってよいでしょう。
たとえば、20世紀中盤に活躍した「バルト後の改革派教義学者」アーノルト・A. ファン・ルーラー[1908-1970]は、おそらくカントあたりから言わせればドクマティスムス(このコンテクストでは「教義至上主義」くらいに訳したい)の骨頂である「三位一体論」で両者の関係を考えました。三位一体論には「キリスト論」(Christologie)から相対的に独立している「聖霊論」(pneumatologie)が含まれるので、そこに、人間存在に内住(inhabitatio)することによって神と人間の媒介となるGeist(神の霊、聖霊)の問題を正当に扱う場(locus)があると見たからです。
また、現在のオランダプロテスタント神学大学総長でユトレヒト大学教授である実践神学者ヘリット・イミンクはファン・ルーラーの聖霊論的パースペクティヴをさらに哲学的に翻訳し、「神と人間の相互主観的(ないし共同主観的)関係性」(intersubjectieve betrekking tussen God en mens)という概念をもってキリスト教的実践の土台の再構築を試みています。
私はキリスト者なので、ドグマティスムス(独断論、ですか。まあそうかもしれません)と罵られようと何と言われようと、ファン・ルーラーからイミンクへと継承された「三位一体論的聖霊論」こそが両者の関係をつなぐ唯一かつ最良の道であると(いささかの臆面もなく)語ることができるのですが、キリスト教信仰を受け入れない哲学者たち(哲学者のすべてがキリスト教信仰を受け入れないという意味ではない)にとっては、そう易々とはドグマティスムスに白旗を上げることはできないかもしれません。
しかし、たとえばあのヘーゲルの『精神現象学』(Phänomenologie des Geistes)を「聖霊現象学」と翻訳することによって《自然神学に拠らない上からの哲学》を追求する勇気のある哲学者は、日本にいないでしょうか。ヘーゲルの意図が一種の「聖霊論」を目指すものであったことは、火を見るより明らかです。「上から」とか言った瞬間にまともに相手にしてくれる人は極端に少なくなるのだろうなあと思いながら、これを書いています。