『純粋理性批判』を毎日少しずつ読んでいます。読みながらともかく感じていることは、カントの時代はある意味で幸せだったようだということです。
どういうことか。カントの時代においては、数学や物理学、あるいは言語学や心理学といった諸学がそれぞれの自治権を主張して独立していく前の、いわばそれらすべてがごちゃ混ぜで混とんの中にあるような、その意味でプリミティヴな思索を一個の統一した(?)「哲学」として提示できたようだということです。
今日のような「理系」と「文系」の区別もない。よく言えば両刀使いでバランスがとれている。悪く言えばどちらも中途半端。スペシャリストというよりはジェネラリスト。事柄を広く浅く、そして大づかみに知っている蘊蓄人間。
カント自身がそういう人物であったに違いないと言っているわけではありません。提示されている「哲学」の性格がそのような人間の教育を目指すものであるように思われると言っているのです。
また、悪い意味で言っているのでもありません。むしろ、うらやましい。関心や能力において極端な偏りがあるエキセントリックでアンバランスな人間(たとえば私)よりもはるかに周囲の信頼を得られそうな人間像を期待できます。
しかしその上で感じることは、現代の「神学」との決定的な違いです。現代の「神学」は、言うまでもなく、もはや「諸学の女王」(regina scientiarum)ではありえません。それどころか、今や、神学者にして説教者である人自身が、自分の仕事を指して「余計なものとして生の外側に立っているように見える永遠の見張り番」(A. A. ファン・ルーラー)であると語るほどになっています。要するに我々の存在と仕事はこの世界の中では役立たずの無用の長物のように見えるだろうということを、現代の神学者たちは強く自覚しているのです。
しかしこのことをファン・ルーラーは自嘲や謙遜として言っているのではありません。我々は「永遠の見張り番」として「まさに根本的に生きている」のであり、「庶民の生に可能なすべての事柄に首を突っ込む」存在であると言っているのです。
また、現代においてはもし「神学」と「説教」が物知り博士の知識の披瀝のようなもの、さらには、諸学と人類にとっての「最後の答え」のようなものになってしまっている場合には、もはや、根本的かつ致命的な間違いを犯しているとみなされます。なぜなら、「神学」こそが、あるいは「説教」こそが、諸学と人類に対して「最初の問い」を不断に投げかけ続けるべきものだからです。
神学と説教の発する問いに、哲学と諸学が答えるべきです。そう、強いて言うならば、「世界の外にある神」の発する問いに、「神の外にある世界」が答えるべきです。三位一体の神は、なんら「答え」ではなく「謎」そのものです。
2008年1月11日金曜日
2008年1月10日木曜日
「自然神学に拠らない上からの哲学」の可能性
「神の外にある世界」(アウグスティヌス)と「世界の外にある神」(カント)の両者はいずれにせよ何らかの関係にあるという点までは、(懐疑論者でないかぎり)神学者と哲学者の間で一致していると見てよいのではないでしょうか。しかし、カントは「神の存在証明=自然神学=一般啓示論」を否定し、またその路線を現代神学者カール・バルトが受け継ぎました。
ただし、カントの場合はいわゆる《上からの哲学》としての「啓示の哲学」(Wijsbegeerte der openbaring/Philosophy of Revelation、ヘルマン・バーフィンクの表現)のような立場はとらないはずですから、《下からの哲学》としての「人間学」をひっさげて、理性の限界まで昇り詰めて行く他はない。他方、バルト以後の現代神学者たちは、《下からの神学》に逆戻りすることには大いに躊躇がある。《上からの神学》にとどまりながら(自然神学による解決を避けながら)、世界と神の相互関係を適切に評価する道を探っている段階にあると言ってよいでしょう。
たとえば、20世紀中盤に活躍した「バルト後の改革派教義学者」アーノルト・A. ファン・ルーラー[1908-1970]は、おそらくカントあたりから言わせればドクマティスムス(このコンテクストでは「教義至上主義」くらいに訳したい)の骨頂である「三位一体論」で両者の関係を考えました。三位一体論には「キリスト論」(Christologie)から相対的に独立している「聖霊論」(pneumatologie)が含まれるので、そこに、人間存在に内住(inhabitatio)することによって神と人間の媒介となるGeist(神の霊、聖霊)の問題を正当に扱う場(locus)があると見たからです。
また、現在のオランダプロテスタント神学大学総長でユトレヒト大学教授である実践神学者ヘリット・イミンクはファン・ルーラーの聖霊論的パースペクティヴをさらに哲学的に翻訳し、「神と人間の相互主観的(ないし共同主観的)関係性」(intersubjectieve betrekking tussen God en mens)という概念をもってキリスト教的実践の土台の再構築を試みています。
私はキリスト者なので、ドグマティスムス(独断論、ですか。まあそうかもしれません)と罵られようと何と言われようと、ファン・ルーラーからイミンクへと継承された「三位一体論的聖霊論」こそが両者の関係をつなぐ唯一かつ最良の道であると(いささかの臆面もなく)語ることができるのですが、キリスト教信仰を受け入れない哲学者たち(哲学者のすべてがキリスト教信仰を受け入れないという意味ではない)にとっては、そう易々とはドグマティスムスに白旗を上げることはできないかもしれません。
しかし、たとえばあのヘーゲルの『精神現象学』(Phänomenologie des Geistes)を「聖霊現象学」と翻訳することによって《自然神学に拠らない上からの哲学》を追求する勇気のある哲学者は、日本にいないでしょうか。ヘーゲルの意図が一種の「聖霊論」を目指すものであったことは、火を見るより明らかです。「上から」とか言った瞬間にまともに相手にしてくれる人は極端に少なくなるのだろうなあと思いながら、これを書いています。
ただし、カントの場合はいわゆる《上からの哲学》としての「啓示の哲学」(Wijsbegeerte der openbaring/Philosophy of Revelation、ヘルマン・バーフィンクの表現)のような立場はとらないはずですから、《下からの哲学》としての「人間学」をひっさげて、理性の限界まで昇り詰めて行く他はない。他方、バルト以後の現代神学者たちは、《下からの神学》に逆戻りすることには大いに躊躇がある。《上からの神学》にとどまりながら(自然神学による解決を避けながら)、世界と神の相互関係を適切に評価する道を探っている段階にあると言ってよいでしょう。
たとえば、20世紀中盤に活躍した「バルト後の改革派教義学者」アーノルト・A. ファン・ルーラー[1908-1970]は、おそらくカントあたりから言わせればドクマティスムス(このコンテクストでは「教義至上主義」くらいに訳したい)の骨頂である「三位一体論」で両者の関係を考えました。三位一体論には「キリスト論」(Christologie)から相対的に独立している「聖霊論」(pneumatologie)が含まれるので、そこに、人間存在に内住(inhabitatio)することによって神と人間の媒介となるGeist(神の霊、聖霊)の問題を正当に扱う場(locus)があると見たからです。
また、現在のオランダプロテスタント神学大学総長でユトレヒト大学教授である実践神学者ヘリット・イミンクはファン・ルーラーの聖霊論的パースペクティヴをさらに哲学的に翻訳し、「神と人間の相互主観的(ないし共同主観的)関係性」(intersubjectieve betrekking tussen God en mens)という概念をもってキリスト教的実践の土台の再構築を試みています。
私はキリスト者なので、ドグマティスムス(独断論、ですか。まあそうかもしれません)と罵られようと何と言われようと、ファン・ルーラーからイミンクへと継承された「三位一体論的聖霊論」こそが両者の関係をつなぐ唯一かつ最良の道であると(いささかの臆面もなく)語ることができるのですが、キリスト教信仰を受け入れない哲学者たち(哲学者のすべてがキリスト教信仰を受け入れないという意味ではない)にとっては、そう易々とはドグマティスムスに白旗を上げることはできないかもしれません。
しかし、たとえばあのヘーゲルの『精神現象学』(Phänomenologie des Geistes)を「聖霊現象学」と翻訳することによって《自然神学に拠らない上からの哲学》を追求する勇気のある哲学者は、日本にいないでしょうか。ヘーゲルの意図が一種の「聖霊論」を目指すものであったことは、火を見るより明らかです。「上から」とか言った瞬間にまともに相手にしてくれる人は極端に少なくなるのだろうなあと思いながら、これを書いています。
「世界の外にある神」と「神の外にある世界」の関係
カントを「敬虔なキリスト者」や「教義学者」に仕立て上げたいわけではない、と書いたことを少し後悔しています。結論めいたことを書くのはまだ早すぎますし、そうである可能性がゼロでないとしたら、その可能性をチェックリストからあらかじめ除いておくこと自体が「独断論的」態度であろうと思いなおしました。カントは「敬虔なキリスト者」だったかもしれないし、「教義学者」だったかもしれない。そのように考えることにします。
ところで、実を言うと、今日は二つほど私にとって興味深い《発見》があったのです。
第一の《発見》は、熊野純彦氏の『カント 世界の限界を経験することは可能か』(NHK出版、2002年)の69ページ、「神は世界のそとにある。このことは、カントにとって『超越論的感性論』で確立された、空間と時間の超越論的観念性からみちびかれる、ひとつの決定的な帰結であった」という言葉がヒントになって気づかされたことです。
この熊野氏の言葉はお世辞でなく本当に素晴らしい。これほどの明晰なカント解説を熊野氏の本以前に読んだことがありません。熊野氏はあとがきで「かならずしもカント哲学を専門に勉強してきたわけではない」とおそらく謙遜で書いておられますが、カント哲学を自家薬籠中の物にしている人にしか書けないような見事な要約であると思いました。
さて、この言葉から気づかされたこととは何か。カントにおける「世界の外なる神」(熊野氏)とは、あの西暦四世紀のラテン教父にして教義学者であるアウグスティヌスの『三位一体論』の命題、「三位一体の神の外なるみわざは区別されない」(opera Dei trinitatis ad extra sunt indivisa)をちょうど裏側から言っているものではないかということです。
「三位一体の神の外なるみわざ」は経綸的三位一体(economische triniteit)のことであり、神の経綸的みわざとしての「創造」(Creatio)、「贖い」(Redemptio)、「聖化と完成」(Sanctificatio et perfectio)のことを指します。三位一体論の神秘においては、神の「創造」のみわざによって造られた「世界」(mundum)は「神の外」(extra Dei)にある。
この真理は西暦四世紀の神学者が語っていたことです。熊野氏によるとカントの結論は、「神」は「世界の外」にある。「神の外にある世界」(アウグスティヌス)と「世界の外にある神」(カント)という二つの命題は、内容的には全く同じことであり、ちょうど裏側から言い直されているだけのものではないでしょうか。
第二の《発見》は、熊野氏ではなく、20世紀のオランダ改革派教会の「三大」教義学者の一人であるエプケ・ノールドマンスの次の言葉です。
「カントは自然神学、すなわち一般啓示論を批判した」(Kant kritiseerde de natuurlijke theologie, de leer van de algemene openbaring. In: Oepke Noordmans, Verzamelde Werken, deel 3, Uitgeversmaatschappij J. H. Kok- Kampen, 1981, p. 439)。
核心的な事柄を短く一言で言い表せる人が真の学者であると私は思います。熊野氏とノールドマンスは真の学者です。それはともかく。カントがその不可能性を暴いてみせた「神の存在証明」とはすなわち「自然神学」(theologia naturalis)のことである。これは理解していました。しかし、「自然神学」とはすなわち「一般啓示論」(doctrina revelatio generalis)のことである。この点は今日ノールドマンス(の本)に指摘されるまではぼんやりしていたところでした。そう、カントはなるほどたしかに「一般啓示論」を批判したのです。
一般啓示論は歴史上の「改革派教義学」の十八番でした。改革派教義学は16世紀のカルヴァンから19世紀末のアブラハム・カイパーやヘルマン・バーフィンクあたりに至るまで一貫して「一般啓示論」を肯定的に語り続けました。
しかし、20世紀最大の教義学者カール・バルトが「一般啓示論」を事実上否定しました。あらゆる「下からの神学」(theology from below)をバルトは否定したのです。このバルトにカントの強い影響があったことが知られています。面白くなってきました。
ところで、実を言うと、今日は二つほど私にとって興味深い《発見》があったのです。
第一の《発見》は、熊野純彦氏の『カント 世界の限界を経験することは可能か』(NHK出版、2002年)の69ページ、「神は世界のそとにある。このことは、カントにとって『超越論的感性論』で確立された、空間と時間の超越論的観念性からみちびかれる、ひとつの決定的な帰結であった」という言葉がヒントになって気づかされたことです。
この熊野氏の言葉はお世辞でなく本当に素晴らしい。これほどの明晰なカント解説を熊野氏の本以前に読んだことがありません。熊野氏はあとがきで「かならずしもカント哲学を専門に勉強してきたわけではない」とおそらく謙遜で書いておられますが、カント哲学を自家薬籠中の物にしている人にしか書けないような見事な要約であると思いました。
さて、この言葉から気づかされたこととは何か。カントにおける「世界の外なる神」(熊野氏)とは、あの西暦四世紀のラテン教父にして教義学者であるアウグスティヌスの『三位一体論』の命題、「三位一体の神の外なるみわざは区別されない」(opera Dei trinitatis ad extra sunt indivisa)をちょうど裏側から言っているものではないかということです。
「三位一体の神の外なるみわざ」は経綸的三位一体(economische triniteit)のことであり、神の経綸的みわざとしての「創造」(Creatio)、「贖い」(Redemptio)、「聖化と完成」(Sanctificatio et perfectio)のことを指します。三位一体論の神秘においては、神の「創造」のみわざによって造られた「世界」(mundum)は「神の外」(extra Dei)にある。
この真理は西暦四世紀の神学者が語っていたことです。熊野氏によるとカントの結論は、「神」は「世界の外」にある。「神の外にある世界」(アウグスティヌス)と「世界の外にある神」(カント)という二つの命題は、内容的には全く同じことであり、ちょうど裏側から言い直されているだけのものではないでしょうか。
第二の《発見》は、熊野氏ではなく、20世紀のオランダ改革派教会の「三大」教義学者の一人であるエプケ・ノールドマンスの次の言葉です。
「カントは自然神学、すなわち一般啓示論を批判した」(Kant kritiseerde de natuurlijke theologie, de leer van de algemene openbaring. In: Oepke Noordmans, Verzamelde Werken, deel 3, Uitgeversmaatschappij J. H. Kok- Kampen, 1981, p. 439)。
核心的な事柄を短く一言で言い表せる人が真の学者であると私は思います。熊野氏とノールドマンスは真の学者です。それはともかく。カントがその不可能性を暴いてみせた「神の存在証明」とはすなわち「自然神学」(theologia naturalis)のことである。これは理解していました。しかし、「自然神学」とはすなわち「一般啓示論」(doctrina revelatio generalis)のことである。この点は今日ノールドマンス(の本)に指摘されるまではぼんやりしていたところでした。そう、カントはなるほどたしかに「一般啓示論」を批判したのです。
一般啓示論は歴史上の「改革派教義学」の十八番でした。改革派教義学は16世紀のカルヴァンから19世紀末のアブラハム・カイパーやヘルマン・バーフィンクあたりに至るまで一貫して「一般啓示論」を肯定的に語り続けました。
しかし、20世紀最大の教義学者カール・バルトが「一般啓示論」を事実上否定しました。あらゆる「下からの神学」(theology from below)をバルトは否定したのです。このバルトにカントの強い影響があったことが知られています。面白くなってきました。
2008年1月9日水曜日
本の人を動かす力
「カントを読もうと考えた理由」については十分に説明できていないというか、まだ何も言っていないのと同じであることは分かっているつもりです。とりあえず書きとめておいたことは、熊野純彦氏のカント入門書を買って読んで面白かったということまでです。
しかし、私はそのようなことがとても重要であると思っているのです。書店に本が並んでいて、それを読んで触発され、それまでしたこともなかったようなことを新たに開始する。私の場合は、熊野氏の本を読んだ数日後にamazonでカントの『純粋理性批判』の原書を注文するに至り、二日後には原書が手元に届き、それを読みはじめるや否や、すぐさまDogmatikerの訳語を「独断論者」とする従来の解釈は妥当か、などとブログに綴りはじめるに至りました。
拙速といえば、これほど拙速なやり方はない。よくいえばスピーディー(自分で言わないほうが良さそうです)。この速度は、ひと昔前では考えられなかったことです。
しかし、もし熊野氏の本を読まなかったとしたら、あるいは、もし熊野氏の本の装丁が美しくなく、手にとって読んでみようと感じられないようなものであったとしたら、あるいは、熊野氏の本が「本」ではなくて、たとえばブログのような形態のものであったとしたら、GoogleやYahooでちょいちょいと検索すればパッと出てくるようなデータであったとしたら、私はamazonに原書を注文しようと決心するまでに至っただろうか、私の場合はそうはならなかったに違いないと、そんなことを考えてみるのです。
やはり「本」という物体(Thing/Ding)のもつ、人を動かす力はものすごいものだと純粋にリスペクトする者です。ブログは、なんというか、ブログでしかない。弱く、繊細で、はかない存在のように思えてなりません(ブログが果たして「存在」(Being/Sein)ないし「形態」(Form/Gestalt)なのかどうかも私にはよく分からない)。こういう感想(「ブログはしょせんブログでしかない、やはり本でなくちゃね」的な物言い)自体が、カントに言わせると「独断論的」なものかもしれませんが。
しかし、私はそのようなことがとても重要であると思っているのです。書店に本が並んでいて、それを読んで触発され、それまでしたこともなかったようなことを新たに開始する。私の場合は、熊野氏の本を読んだ数日後にamazonでカントの『純粋理性批判』の原書を注文するに至り、二日後には原書が手元に届き、それを読みはじめるや否や、すぐさまDogmatikerの訳語を「独断論者」とする従来の解釈は妥当か、などとブログに綴りはじめるに至りました。
拙速といえば、これほど拙速なやり方はない。よくいえばスピーディー(自分で言わないほうが良さそうです)。この速度は、ひと昔前では考えられなかったことです。
しかし、もし熊野氏の本を読まなかったとしたら、あるいは、もし熊野氏の本の装丁が美しくなく、手にとって読んでみようと感じられないようなものであったとしたら、あるいは、熊野氏の本が「本」ではなくて、たとえばブログのような形態のものであったとしたら、GoogleやYahooでちょいちょいと検索すればパッと出てくるようなデータであったとしたら、私はamazonに原書を注文しようと決心するまでに至っただろうか、私の場合はそうはならなかったに違いないと、そんなことを考えてみるのです。
やはり「本」という物体(Thing/Ding)のもつ、人を動かす力はものすごいものだと純粋にリスペクトする者です。ブログは、なんというか、ブログでしかない。弱く、繊細で、はかない存在のように思えてなりません(ブログが果たして「存在」(Being/Sein)ないし「形態」(Form/Gestalt)なのかどうかも私にはよく分からない)。こういう感想(「ブログはしょせんブログでしかない、やはり本でなくちゃね」的な物言い)自体が、カントに言わせると「独断論的」なものかもしれませんが。
理由の分析
「カントを読もうと考えた理由」の中身を自分なりに分析してみることが、哲学書を読むことを志す人間にふさわしい態度ではないかと考えました。斬新ないし奇抜な分析ができず、月並みなことしか言えなくても、そういうことを気に病む必要はない(たぶん)。
重要なことは、自分の言葉や行為の意味をできるだけ正確あるいは精密に把握しておくことです。そのようにして、自分の言葉や行為に対して、いつでも責任をとれるように(答弁可能な状態に)しておくことです。
間違いなく言える第一の点は、その本を買う前に「カント」という名前を私が知っていたということです。中学だったか高校だったかは忘れましたが、社会科の授業で習ったのが最初です。大学時代にはカントの本(すべて日本語版です)を買い集めた時期もあります。「カント」の名前を学校で習って知っていた。かつては真剣に読んでみようと思ったこともあった。これが、熊野氏の本を買う気になった理由の第一点です。逆に考えれば、学校教育の現場で「教師が告げ、生徒が聞く」言葉はやはり重い、ということでもある。日本でキリスト教の書物がちっとも売れないと言われる原因に「学校で教えられたことがない名前の人の本だから」という点も少なからずあるのではないかと、これから疑ってみようと思います。
第二点は、装丁の美しさでした。つまり「見た目」ないし「外見」です。カント的にいえば「直観(Anschauung)によって直接認識される対象」です。一昨年くらいに出版された竹内一郎氏の『人は見た目が九割』(新潮新書)という本を私も読みました。「本」も「見た目が九割」ではないかと言いたくなります。熊野氏の本は、見た目が美しかった。
第三点は、値段です。定価1,000円(税別)は、カント入門書としては手頃と感じられました。あとは、著者が「東京大学」の先生であるとか出版社が「NHK出版」であるとかいうある面の権威を感じられる要素があることも加えたいところですが、「東大+NHKの最強タッグチームの作品であるゆえに買いたくなった」というわけでは全くなく、「おっ、面白そうだ」と思えた本を買ってみると、書いた人が東大の先生で、出版に携わったのがNHKさんだったという順序でした。「さすがだなあ」とは思いました。
重要なことは、自分の言葉や行為の意味をできるだけ正確あるいは精密に把握しておくことです。そのようにして、自分の言葉や行為に対して、いつでも責任をとれるように(答弁可能な状態に)しておくことです。
間違いなく言える第一の点は、その本を買う前に「カント」という名前を私が知っていたということです。中学だったか高校だったかは忘れましたが、社会科の授業で習ったのが最初です。大学時代にはカントの本(すべて日本語版です)を買い集めた時期もあります。「カント」の名前を学校で習って知っていた。かつては真剣に読んでみようと思ったこともあった。これが、熊野氏の本を買う気になった理由の第一点です。逆に考えれば、学校教育の現場で「教師が告げ、生徒が聞く」言葉はやはり重い、ということでもある。日本でキリスト教の書物がちっとも売れないと言われる原因に「学校で教えられたことがない名前の人の本だから」という点も少なからずあるのではないかと、これから疑ってみようと思います。
第二点は、装丁の美しさでした。つまり「見た目」ないし「外見」です。カント的にいえば「直観(Anschauung)によって直接認識される対象」です。一昨年くらいに出版された竹内一郎氏の『人は見た目が九割』(新潮新書)という本を私も読みました。「本」も「見た目が九割」ではないかと言いたくなります。熊野氏の本は、見た目が美しかった。
第三点は、値段です。定価1,000円(税別)は、カント入門書としては手頃と感じられました。あとは、著者が「東京大学」の先生であるとか出版社が「NHK出版」であるとかいうある面の権威を感じられる要素があることも加えたいところですが、「東大+NHKの最強タッグチームの作品であるゆえに買いたくなった」というわけでは全くなく、「おっ、面白そうだ」と思えた本を買ってみると、書いた人が東大の先生で、出版に携わったのがNHKさんだったという順序でした。「さすがだなあ」とは思いました。
カントを読もうと考えた理由
なぜカントを読もうと考えたか、その理由も書いておきます。
きっかけは単純でした。たぶん一年くらい前ですが、近くの「すばる書店」の思想書コーナーで熊野純彦氏の『カント 世界の限界を経験することは可能か』(NHK出版、2002年)という小さな本を見つけました。著者(熊野氏)の名前を知っていたわけではなく、またカント自身に対する関心も、学生時代ほどにはありませんでした。その本を手にとって開く気になったのは、「装丁がきれいだな」という点に関心を抱いたからでした。
家族と一緒だったので、子供たちがマンガを選んでいる間の時間つぶしだと、熊野氏の本をパラパラめくってみました。「おっ、なんか面白そうだぞ」と感じはじめた頃に「お父さーん、マンガ買ったから、もう帰るよー」と子供たちの声。熊野氏の本は買わずじまいとなりました。
しかしその日以来、その書店に行くたびに、その本が気になって気になって仕方なくなりました。ついに買ったのが、昨年末でした。もしかしたら、一年ほど前にパラパラめくったのと同じ本が(売れないまま)待っていてくれたのかもしれません。熊野氏の本はとても面白かったです。
直接カントを読んでみようと考えた理由は、いわばこれだけです。
きっかけは単純でした。たぶん一年くらい前ですが、近くの「すばる書店」の思想書コーナーで熊野純彦氏の『カント 世界の限界を経験することは可能か』(NHK出版、2002年)という小さな本を見つけました。著者(熊野氏)の名前を知っていたわけではなく、またカント自身に対する関心も、学生時代ほどにはありませんでした。その本を手にとって開く気になったのは、「装丁がきれいだな」という点に関心を抱いたからでした。
家族と一緒だったので、子供たちがマンガを選んでいる間の時間つぶしだと、熊野氏の本をパラパラめくってみました。「おっ、なんか面白そうだぞ」と感じはじめた頃に「お父さーん、マンガ買ったから、もう帰るよー」と子供たちの声。熊野氏の本は買わずじまいとなりました。
しかしその日以来、その書店に行くたびに、その本が気になって気になって仕方なくなりました。ついに買ったのが、昨年末でした。もしかしたら、一年ほど前にパラパラめくったのと同じ本が(売れないまま)待っていてくれたのかもしれません。熊野氏の本はとても面白かったです。
直接カントを読んでみようと考えた理由は、いわばこれだけです。
2008年1月8日火曜日
Dogmatikerを「教義学者」と訳せないかと考えている理由
カントの書物を腰を据えてじっくり読みたいと思い立ってまだ数日も経たない者が(純粋理性批判の原書をやっと手にしえたのは先週の土曜日のことですから)、「誤訳の可能性を発見した」と言い張って一端の論客ぶってみせたいわけではありません。
私の関心は誤訳かどうかという点にはほとんどありません。これは今回のケースだけではなく常にそうです。私には他人の間違いを指摘して喜ぶような悪い趣味はありません。また、翻訳という事柄に少しでもかかわったことのある人は、「どこにも突っ込みどころがないような完璧な翻訳など、この世に存在しない」ことをどこかで知っています。
カントの哲学は、キリスト教神学、とりわけ私自身の最大の関心事である「改革派教義学」にとっていかなる関係にあるのかを、可能なかぎり正確にとらえたいと願っているだけです。そのためにカント自身の言葉を、できるかぎり当時の思想史的背景に照らし合わせながら「歴史的に」把握したいだけです。
また、まさかカントを「敬虔なキリスト者」や「教義学者」に仕立て上げたいわけでもありません。そんなことは不可能ですし、意味がない。事柄は正反対であって、カント哲学は歴史上の「改革派教義学」の最大のライバルであり続けたし、今でも一人の巨人として、我々の行く手を阻む存在であり続けています。
私の関心事は、そうであるという自覚がカント自身にどれくらいまであったのかという点です。
換言すれば、自分の発言が後代の歴史(とくに改革派教義学の歴史)に遺した(極めて有効な批判としての)影響力を、カント自身がどれくらい深く自覚していたか、です。
「史的カント」の異端審問を行いたいわけでもなく(これも意味がない)、むしろ「カント先生、よくぞ言ってくださった」と感謝したいのです。
私の関心は誤訳かどうかという点にはほとんどありません。これは今回のケースだけではなく常にそうです。私には他人の間違いを指摘して喜ぶような悪い趣味はありません。また、翻訳という事柄に少しでもかかわったことのある人は、「どこにも突っ込みどころがないような完璧な翻訳など、この世に存在しない」ことをどこかで知っています。
カントの哲学は、キリスト教神学、とりわけ私自身の最大の関心事である「改革派教義学」にとっていかなる関係にあるのかを、可能なかぎり正確にとらえたいと願っているだけです。そのためにカント自身の言葉を、できるかぎり当時の思想史的背景に照らし合わせながら「歴史的に」把握したいだけです。
また、まさかカントを「敬虔なキリスト者」や「教義学者」に仕立て上げたいわけでもありません。そんなことは不可能ですし、意味がない。事柄は正反対であって、カント哲学は歴史上の「改革派教義学」の最大のライバルであり続けたし、今でも一人の巨人として、我々の行く手を阻む存在であり続けています。
私の関心事は、そうであるという自覚がカント自身にどれくらいまであったのかという点です。
換言すれば、自分の発言が後代の歴史(とくに改革派教義学の歴史)に遺した(極めて有効な批判としての)影響力を、カント自身がどれくらい深く自覚していたか、です。
「史的カント」の異端審問を行いたいわけでもなく(これも意味がない)、むしろ「カント先生、よくぞ言ってくださった」と感謝したいのです。
2008年1月7日月曜日
直前段落の「諸学の女王としての形而上学」という表現との関係を考えて
引き続きカントの『純粋理性批判』(岩波文庫)を読んでいます。Dogmatikerをどのように訳すべきかという問題にまだ引っかかっています。「形而上学の統治は、最初は独断論者の執政下にあって専制的であった」(14ページ)の一つ前の段落に、カントは「形而上学が諸学の女王と呼ばれていた時代があった」(Es war eine Zeit, in welcher sie die Köningin aller Wissenschaften genannt wurde)と記しています。
この「諸学の女王」(regina scientiarum)という表現は「神学の婢」(ancilla theologiae)と対比的に用いられるものですが、いずれも主としてヨーロッパ中世の思想状況を表す言葉として通用しています。とくに後者の「神学の婢」という言葉は、13世紀の教義学者トーマス・アクィナス[1225頃-1274]の名前と結びつけられて理解されるのが通例です。そして、この場合の「諸学の女王」の主語は主として「神学」(theologia)であり、他方「神学の婢」の主語は主として「哲学」(philosophia)です。
ところがカントがこの個所に書いていることは「形而上学が諸学の女王と呼ばれていた」であり、「神学が」でも「哲学が」でもありません。なぜか。一つ考えられる可能性はカントにとって「形而上学」(Metaphysik)とは「神学」(theologia)の言い換えであり、しかもその場合の「神学」とは(トーマスにおいてそうであったように)純粋に「キリスト教の」神学を指していたということです。つまり、カントにおいて「形而上学」と「キリスト教神学」は、事実上の同義語として用いられていたという可能性です。
しかし岩波文庫版ではこの「形而上学は諸学の女王」うんぬんの話題のすぐ次の段落の話題が「形而上学の統治は、独断論者の執政下にあって専制的」うんぬんと訳されていて、なんとなくアリストテレスの時代の話をカントがしているかのように話が運んでいます。そうである可能性を完全に否定することはできないかもしれませんが、うまく話がつながりません。
トーマスの時代(中世)の話をしていたかと思うと、あれれ、アリストテレスの時代の話(紀元前)まですっ飛んだぞとなる。Anfänglich(初めの頃)の一言で、一気にそこまで時間をさかのぼらせる。そのような(無理を感じる)話の流れを読み取るよりもはるかに蓋然性の高い読み方があると思われます。
それは、「形而上学の統治」を「神学の支配」と読み替え、また「独断論者の執政下」を「教義学者の管理下」くらいに読み替えて、「神学(ないし形而上学)の支配は、教義学者の管理下にあって専制的であった」というあたりの落とし所を考えながら訳すことです(カントのドイツ語はこのように訳すことが可能です)。
そうすれば、カントの時代(18世紀)のヨーロッパの大学における「神学(ないし形而上学)の没落過程」を描いていると理解できるので(本当にそのとおりの状況があったと思われますから)、よいのではないかと愚考します。
この「諸学の女王」(regina scientiarum)という表現は「神学の婢」(ancilla theologiae)と対比的に用いられるものですが、いずれも主としてヨーロッパ中世の思想状況を表す言葉として通用しています。とくに後者の「神学の婢」という言葉は、13世紀の教義学者トーマス・アクィナス[1225頃-1274]の名前と結びつけられて理解されるのが通例です。そして、この場合の「諸学の女王」の主語は主として「神学」(theologia)であり、他方「神学の婢」の主語は主として「哲学」(philosophia)です。
ところがカントがこの個所に書いていることは「形而上学が諸学の女王と呼ばれていた」であり、「神学が」でも「哲学が」でもありません。なぜか。一つ考えられる可能性はカントにとって「形而上学」(Metaphysik)とは「神学」(theologia)の言い換えであり、しかもその場合の「神学」とは(トーマスにおいてそうであったように)純粋に「キリスト教の」神学を指していたということです。つまり、カントにおいて「形而上学」と「キリスト教神学」は、事実上の同義語として用いられていたという可能性です。
しかし岩波文庫版ではこの「形而上学は諸学の女王」うんぬんの話題のすぐ次の段落の話題が「形而上学の統治は、独断論者の執政下にあって専制的」うんぬんと訳されていて、なんとなくアリストテレスの時代の話をカントがしているかのように話が運んでいます。そうである可能性を完全に否定することはできないかもしれませんが、うまく話がつながりません。
トーマスの時代(中世)の話をしていたかと思うと、あれれ、アリストテレスの時代の話(紀元前)まですっ飛んだぞとなる。Anfänglich(初めの頃)の一言で、一気にそこまで時間をさかのぼらせる。そのような(無理を感じる)話の流れを読み取るよりもはるかに蓋然性の高い読み方があると思われます。
それは、「形而上学の統治」を「神学の支配」と読み替え、また「独断論者の執政下」を「教義学者の管理下」くらいに読み替えて、「神学(ないし形而上学)の支配は、教義学者の管理下にあって専制的であった」というあたりの落とし所を考えながら訳すことです(カントのドイツ語はこのように訳すことが可能です)。
そうすれば、カントの時代(18世紀)のヨーロッパの大学における「神学(ないし形而上学)の没落過程」を描いていると理解できるので(本当にそのとおりの状況があったと思われますから)、よいのではないかと愚考します。
2008年1月6日日曜日
補足説明
カントばかり読んでいるわけではありませんし、この日記は「カント読書録」として設けたわけでもありませんが、その時その時に関心を持っていることを率直に書くことが、日記を長続きさせる秘訣であると思っています。
カントが『純粋理性批判』等の中で繰り返し批判しているDogmatikerを「独断論者」と訳すことが正しいかどうかを考えています。ほとんど長年の伝統のようにみなされている学術的訳語に対して物申すことには勇気が必要です。
しかし、カントの時代的思想的背景や彼のキリスト教そのものに対しては好意的な理解を示していた事実などを鑑みるならば、いったんは(字義どおり)「教義学者」と訳すべきではないか。そしてその上で、事実上の「独断論」に陥っていた(この判断には賛否両論が認められるべきですが)「教義学」への批判をカントが行っていると考えるべきではないかと思うのです。
もしかしたらカントの念頭にあったかもしれない、近代哲学との対立関係にあったDogmatiker(教義学者)として思い当たるのは、デカルト哲学を異端視したことで知られるユトレヒト大学神学部の創始者ヒスベルトゥス・フーティウス(Gisbertus Voetius [1589-1676])とその後継者たちです。『啓蒙とは何か』などを読むかぎりカントがオランダの教会事情を熟知しつつ苦々しく感じていたことは明らかです(たとえばその中でカントは、オランダ(改革派)教会の中会(Classis)が所属教会の会員に信仰告白文書への宣誓を求めているのは不当であると述べています。『啓蒙とは何か 他四篇』、篠田英雄訳、岩波文庫、1974年改訳版、13~14ページを参照)。
当時のオランダ改革派教会の「信仰告白文書」とはベルギー信仰告白(別名「オランダ信仰告白」)、ハイデルベルク信仰問答、ドルト教理規準の三つのことです。
ヨーロッパのキリスト教史、とりわけ教義学の歴史を学ぶことのきわめて少ないわが国においてDogmatikerを正しく訳すことができないとしても、何の不思議も驚きもありません。
カントが『純粋理性批判』等の中で繰り返し批判しているDogmatikerを「独断論者」と訳すことが正しいかどうかを考えています。ほとんど長年の伝統のようにみなされている学術的訳語に対して物申すことには勇気が必要です。
しかし、カントの時代的思想的背景や彼のキリスト教そのものに対しては好意的な理解を示していた事実などを鑑みるならば、いったんは(字義どおり)「教義学者」と訳すべきではないか。そしてその上で、事実上の「独断論」に陥っていた(この判断には賛否両論が認められるべきですが)「教義学」への批判をカントが行っていると考えるべきではないかと思うのです。
もしかしたらカントの念頭にあったかもしれない、近代哲学との対立関係にあったDogmatiker(教義学者)として思い当たるのは、デカルト哲学を異端視したことで知られるユトレヒト大学神学部の創始者ヒスベルトゥス・フーティウス(Gisbertus Voetius [1589-1676])とその後継者たちです。『啓蒙とは何か』などを読むかぎりカントがオランダの教会事情を熟知しつつ苦々しく感じていたことは明らかです(たとえばその中でカントは、オランダ(改革派)教会の中会(Classis)が所属教会の会員に信仰告白文書への宣誓を求めているのは不当であると述べています。『啓蒙とは何か 他四篇』、篠田英雄訳、岩波文庫、1974年改訳版、13~14ページを参照)。
当時のオランダ改革派教会の「信仰告白文書」とはベルギー信仰告白(別名「オランダ信仰告白」)、ハイデルベルク信仰問答、ドルト教理規準の三つのことです。
ヨーロッパのキリスト教史、とりわけ教義学の歴史を学ぶことのきわめて少ないわが国においてDogmatikerを正しく訳すことができないとしても、何の不思議も驚きもありません。
カントの意図は何か
Amazonは速いです。カントの『純粋理性批判』の原書Kritik der reinen Vernunftがもう届きました。たった二日で来ました。
それにしても、人生の中でカントの原書を手にする日が訪れるとは想像もしていませんでした。ドイツ語など大して読めるわけでもないのに、今かなり興奮しています。
原書を調べたいと思ったことには、もちろん理由があります。岩波文庫版(篠田英雄訳)の「第一版序文」のなかの一文、「形而上学の統治は、最初は独断論者の執政下にあって専制的であった」(14ページ)に、誤訳とまではいえないにしても、余りにも強い偏見や作為に基づく訳文である可能性を感じたからです(講談社学術文庫版の天野貞祐訳も、この一文に限っては事情は同じです)。
原文はこうでした。Anfänglich war ihre Herrschaft, unter der Verwaltung der Dogmatiker, despotisch. (S. 6) これをなるべく中立的な語調で訳すとしたら、「初めの頃、形而上学〔神学の哲学的呼び換え〕の支配は教義学者の管理下にあって専制的なものであった」というくらいでしょう。
カントが問題にしていることは、ヨーロッパの大学の歴史ではないでしょうか。それは多くの場合、聖職者養成機関(神学校)として出発しました。その後そこに神学(または形而上学)以外の諸学が加わって総合大学となり、学園としての拡大ないし発展が起こりました。そしてそのうち学園全体の中での神学部(または哲学部形而上学科など)の相対的重要性が低くなっていくという経過を辿りました。
これら一連の経過の「最初の頃」の話を、ここでカントはしているのだと思われます。
それにしても、人生の中でカントの原書を手にする日が訪れるとは想像もしていませんでした。ドイツ語など大して読めるわけでもないのに、今かなり興奮しています。
原書を調べたいと思ったことには、もちろん理由があります。岩波文庫版(篠田英雄訳)の「第一版序文」のなかの一文、「形而上学の統治は、最初は独断論者の執政下にあって専制的であった」(14ページ)に、誤訳とまではいえないにしても、余りにも強い偏見や作為に基づく訳文である可能性を感じたからです(講談社学術文庫版の天野貞祐訳も、この一文に限っては事情は同じです)。
原文はこうでした。Anfänglich war ihre Herrschaft, unter der Verwaltung der Dogmatiker, despotisch. (S. 6) これをなるべく中立的な語調で訳すとしたら、「初めの頃、形而上学〔神学の哲学的呼び換え〕の支配は教義学者の管理下にあって専制的なものであった」というくらいでしょう。
カントが問題にしていることは、ヨーロッパの大学の歴史ではないでしょうか。それは多くの場合、聖職者養成機関(神学校)として出発しました。その後そこに神学(または形而上学)以外の諸学が加わって総合大学となり、学園としての拡大ないし発展が起こりました。そしてそのうち学園全体の中での神学部(または哲学部形而上学科など)の相対的重要性が低くなっていくという経過を辿りました。
これら一連の経過の「最初の頃」の話を、ここでカントはしているのだと思われます。
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