2007年2月25日日曜日

「悔い改めなさい」

使徒言行録2・22~42



今日の個所に記されていますのは、聖霊降臨と呼ばれる出来事が起こった日になされた使徒ペトロの説教です。この説教は先週学んだ部分からすでに始まっていますので、まだ続いている、というべきかもしれません。



「『イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。』」



結論的なことから先に申しますと、この使徒ペトロの説教は、とても大きな影響と結果をもたらしました。それは、41節に「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった」とあるとおりです。



その日までそのときまでは、彼らの「仲間」の数は、1・15にある「百二十人ほどの人々」であった、と考えてよいでしょう。ところが、です。ペトロの説教を聴いた人々の中から、洗礼を受ける人々が三千人ほどいた。その結果、「仲間」の数はどうなったか。単純に計算すると、百二十人と三千人を足した三千百二十人、ということになるではありませんか。



想像してみていただきたいのです。百二十人くらいなら、その全員が松戸小金原教会の礼拝堂に集まることができます。しかし、三千人が一度に集まることは無理です。



三千百二十人はどれくらいかをご理解いただくための参考として申し上げますと、それは、東関東中会が設立される直前の東部中会全体(つまり、現在の東関東中会と東部中会の合計)の会員総数(2004年度)と、ほぼ同じです。



そして、そこでわたしたちが意識すべきことは、旧東部中会がその規模になるまでに、60年の歳月がかかった、ということです。ところが、です。ペトロの説教は、いわば一瞬にして、百二十人を三千百二十人にしてしまった、それほどに、甚大かつ爆発的な影響と結果をもたらしたのだ、ということです。



もちろん、単純な比較はできませんし、あまり意味が無いかもしれません。事柄を感覚的にご理解いただくための参考として、申し上げているにすぎません。



とはいえ、私自身は、やはり、説教者の一人としていろいろなことを考えてしまいます。説教が人の心を動かすとは、何でしょうか。結果として、人が洗礼を受け、教会の仲間に加わるとは、何でしょうか。そこで起こっていることは、何でしょうか。



一つだけ申し上げることができるのは、最も単純な言い方をしますと、いくらなんでもそれは人の力ではないだろう、ということです。少なくとも、お話が



上手、というような次元の話ではないだろう、ということです。わたしたち自身がはっきり確信している事実は、そのようなことで人が洗礼を受けたりはしない、ということです。



それに、少し恐ろしいことを申し上げますが、今日の個所に出てくる使徒ペトロの説教は、はたして、今申し上げた意味での“上手なお話”であるかと、そういう視点と問いをもちながら読んでみますと、どうでしょう、必ずしもそうとはいえないのではないかと、私などは感じるのです。



はっきり言いますと、今日の個所のペトロの説教は、上手なお話であるとは言えません。心温まる感動的な説教、というわけでもありません。むしろ、ある意味で攻撃的な、人の罪を厳しく裁き、責める面を持った、厳しい説教、怖い説教です。



しかし、もちろん、その面だけでもありません。きちんと聴けば(読めば)、このペトロの説教は、厳しいだけの説教、怖いだけの説教ではないことも分かります。



大きく分けると、二つのことを、ペトロは強調しています。また、あらかじめ注意しておきたいことは、ペトロがこの説教を差し向けている相手は、その日エルサレムに集まっていた「イスラエルの人たち」(2・22)、すなわち、ユダヤ人たちであるということです。つまり、これは、ユダヤ人たちを相手に語っている説教である、ということです。



さて、二つの主張点とは何でしょうか。ペトロの説教における主張の第一点は、「あなたがた」ユダヤ人たちがイエス・キリストを殺したのだ、という点です。要するに、あなたがたは殺人者である、ということです。最も厳しい、断罪の言葉です。



しかも、ここで気づかなければならないことは、「あなたがた」という言葉が何度も繰り返されていることです(22節、23節、33節、36節)。



この場面でペトロは「わたしたち」という表現を安易に用いようとはしません。「わたしたち」がなぜ安易かといいますと、そのほうが言葉の調子がぐっと柔らかくなるからです。はっきり言えば、受けのよい話になるからです。厳しいことを言うと、必ず反発が返って来ます。そのときに、うまく交わすことができるのは、「わたしたち」という表現です。



しかし、ペトロは、そのように言いません。「あなたがた」がイエス・キリストを殺したのだ、と言うのです。神から遣わされたあの方を、殺したのだ、と言うのです。



「奇跡」と「不思議な業」と「しるし」と呼ばれている一つ一つの内容は、ルカによる福音書を学んだときに確認したとおりです。すべては“触れる”という行為を伴っていました。御言葉とふれあい。それがイエス・キリストの御業の大きな柱でした。どんな人にでも遠慮なく近づいてくださる。心と体をいやしてくださり、真に助けてくださる。真に役立つ、ためになる、意味のある、そのような御業を行ってくださる。イエスさまとは、そういうお方でした。真に愛すべきお方なのです。



そのイエスさまを、あなたがたが殺したのだ、とペトロは語ったのです。あなたがたの中にも、イエスさまに助けていただいた人がいるだろうと。いろいろと具体的にお世話になった人がいるだろうと。そのお方に対して、あなたがたは、なんとひどいことをしたのか、と言っているのです。



殺す、という言葉は、ものすごく厳しいわけですが、この罪を犯した人に当てはまるのは、だれでしょうか。はっきりしていることは、ペトロがこの説教の中で「あなたがた」と呼んで直接的に責めているのは、最高法院の70人の議員たち(祭司長、律法学者、長老、議員)のことではない、ということです。むしろ、考えられることは、議員たちは、その場にいなかったのではないか、ということです。



この点から分かることは、ペトロが説教の中で繰り返している「あなたがた」とは必ずしも、イエスさまを死刑にするために画策した最高法院の議員や、イエスさまをなぶりものにしたローマの兵隊や、裁判の判決をくだしたローマの総督ポンティオ・ピラトのことだけではないし、直接的にはその人々のことではない、ということです。



それならば、誰のことなのか、と言いますと、むしろ、その裁判に直接参加することができない、ある意味での傍観者としてのごく一般的な市民のことです。その人々に対して「あなたがたがイエスさまを殺したのだ」と言ったところで、わたしたちは殺してなどいない、殺人など犯していない、という反発が返って来てもおかしくないような一般市民に対して、ペトロは、そういうことを言っているのだ、と読むことができると思うわけです。



ところが、です。そのペトロの言葉を聴いた人々の内面に起こったのが、「大いに心を打たれた」(2・37)という出来事だったというのですから、驚きです。聖霊が働いてくださったとしか言いようがありません。



そこで起こった心の中の変化は、具体的に言って何だったでしょうか。たしかに、このわたしは、あの救い主イエス・キリストを殺す罪に、加担しました。イエス・キリストを愛することができず、大切にすることができず、最後まで従うことができませんでした。そのことを、素直に認め、受け入れ、悔い改めることができた。そういうことではないでしょうか。



さて、ペトロの説教における主張の第二点は、何でしょうか。それは、「あなたがた」が殺したイエス・キリストを、(父なる)神が復活させてくださった、ということです。人間が殺したイエスというお方を、神がよみがえらせてくださった、ということです。



このことは、一度死んだ存在を再びよみがえらせることができる神さまの偉大な力への強調であると、受けとめることもできるかもしれません。しかし、それだけだと、ただ、神さまの大きな力にびっくりしました、というようなことだけで話が終わってしまうわけです。もう少し深く考えてみる必要があると思います。



ペトロが強調している「あなたがたがイエスさまを殺したのだ」という言葉は、聴き方によっては、とても烈しい恨みのような感情が含まれていると感じるものかもしれません。しかし、私は次のようなことを考えます。人間が殺したイエスさまを神がよみがえらせてくださった、と説教が続く。そのとき、それを聴いている人々の心の中に生まれる思いは、救われた、というものであったに違いない、ということです。



これは、実際に自分の問題として考えてみることは難しいかもしれませんが、ぜひよく考えてみていただきたいのです。たとえば、わたしたちが何か取り返しのつかない過ちを犯す。人を殺してしまった、という体験を持つ人は、いないと思いますが、何か大きな傷をだれかに与えてしまった、という体験を持つ人は、少なくないのではないでしょうか。



たとえば、そのときに、です。このわたしがあの人に大きな傷を与えてしまった、取り返しのつかない過ちを犯してしまった、その傷を、その痛みを、その過ちを、神御自身がいやしてくださり、取り去ってくださったことを知る。



わたしの犯した罪は赦されているのかもしれない、と感じる。



父なる神さまが、救い主イエス・キリストが、わたしの犯した罪を、赦してくださっている、と信じることができる。



そのような思いを、このペトロの説教を聴いていた人々は、味わうことができたのではないでしょうか。



キリスト教の教会の復活信仰には、そのような内容があります。このわたしもまた、イエス・キリストを殺した人々の罪に加担したということに気づき、深い罪意識に目覚めた人は、イエス・キリストの復活を信じる信仰によってのみ、その罪が赦されたという確信を得ることができます。なぜなら、イエス・キリストは、生きておられるのですから!



「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』と言った。すると、ペトロは彼らに言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供たちにも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。』」



ペトロが彼らに勧めたことは、悔い改めることと、洗礼を受けることでした。これは、二つのことというよりも、一つのことと理解すべきです。悔い改めのない(成人)洗礼は無意味です。また、悔い改めとは、父なる神と救い主イエス・キリストへの信仰に生きる道に入ることです。神に背を向けて生きていた人が、反対に方向を変えることによって、神に向き合うようになることです。



ですから、悔い改めた人は、洗礼を受けるべきです。悔い改めと洗礼は、表裏一体の関係にある、というべきです。



そして、その悔い改めと洗礼は、同時に、最初に申し上げましたとおり、教会の「仲間」に加わることとも同じです。「わたしは悔い改めました。教会で洗礼を受けました。しかし、教会の仲間には加わりません」というのは、言葉の矛盾です。



教会は、キリストの体です。神とキリストに従って生きることが悔い改めなのですから、自分の侵した罪を悔い改め、かつ洗礼を受けた人々が、キリストの体なる教会のメンバーになり、かつ教会の活動に積極的に参加することは、神さまから特別に与えられた恵みの賜物であり、特権であると同時に、義務でもあることなのです。



そして、ペトロがこの説教の最後に述べていることは悔い改め、洗礼を受け、罪を赦していただいた人々には、「賜物としての聖霊」が与えられます、ということです。



ここでまた、再び、聖霊とは何かという問いが、呼び起こされます。聖霊とは、わたしたち人間の外側から内側へと入ってくる何ものか、浸透して来る何ものか、であり、恵みの賜物として、まさに喜ばしきプレゼントとして、与えられるものです。



「賜物としての聖霊」とは、言うならば、悔い改めた人の心を、いつまでも支えてくださる神御自身です。



一度や二度反省したくらいでは、何度でも元に戻ってしまう、弱い心を持つわたしたち人間が、二度と罪の泥沼に戻っていかないように、強く支えてくださるお方。



それが「聖霊なる神」なのです。



(2007年2月25日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年2月18日日曜日

「聖霊が語らせるままに」

使徒言行録2・1~21



「五旬節の日が来て、一同が一つになって集まっていると、」



五旬節の日に集まっていた「一同」が、新しく加わったマティアを含む十二使徒だけを指しているのか、それとも、十二人以外の人々もいたのか、たとえば、1・15にあるように「百二十人ほどの人々」も合わせての「一同」なのかということは、この文章だけでは分かりません。



分からないことは、問うても仕方ないことかもしれません。しかし、です。この「一同」がどちらの意味であるのかという問題は、ここに描かれている情景をわたしたちが自分の心の中でイメージしてみるときに重要な点ではないかと思うのです。



私が強く関心を抱く問題は、今日の箇所に描かれている「聖霊が降る」という出来事が起こったのは、十二使徒に対してだけなのか、それとも、もっと大勢の人々に対しても、それは起こったのか、つまり、少なくとも最初のキリスト者の百二十人ほどの人々にも、聖霊は降ったのか、ということです。



私はなぜ、この点に引っかかるのでしょうか。その理由は、おそらく皆様には理解していただけることです。



この「一同」に聖霊が降った結果として、その人々は「霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」と言われています。彼らが話し出したことは何でしょうか。それは明らかに、神の御言葉です。キリスト教信仰を宣べ伝える言葉、すなわち、信仰の言葉、伝道の言葉です。



それは説教であり、奨励であり、信仰告白であり、証しです。ただのおしゃべりをしていたわけではありません。おしゃべりが悪いと言いたいわけではありません。おしゃべりは良いものです。しかし、この場面でこの人々が語っていたことは単なるおしゃべりではなかったし、悪い意味での無駄話ではありませんでした。それは神の言葉であり、信仰の言葉、伝道の言葉であった、と考えるべきです。



その場合に、です。この「一同」は、果たして十二使徒だけなのか、それとも、少なくとも百二十人くらいの規模のキリスト者の集まりを想定することができるのかが、やはり大きな問題になる、と思います。



なぜなら、十二使徒は、いわば特別な人々だからです。最初のキリスト者の百二十人の団体の代表者です。選び抜かれた少数者、特選の人々です。



どうしてこれが問題になるのでしょうか。次のことを、考えてみていただきたいのです。もしこのとき聖霊が降ったのが十二使徒だけであった、と考えなければならないのだとしたら、そのとき同時に必然的に、聖霊降臨の結果として起こった「神の御言葉を語ること」(この仕事!)は、十二使徒というきわめて限定的な特別な人々だけの仕事になった、とみなされることになるのです。



しかし、ここで、わたしたちは、もう一つの可能性を考えてもよいはずです。それは、もちろん、言うまでもなく「神の御言葉を語ること」、人々にキリスト教信仰を宣べ伝える言葉を語ること、すなわち、説教なり、奨励なり、証しなりを語ることは少なくとも最初にいたと言われる百二十人ほどのキリスト者の群れ全体の仕事になった、と考えてもよいのではないか、という可能性です。



はたして、聖霊は、ごくわずかな教師や役員だけに注がれ、その人々だけが伝道の働きをするのでしょうか。それとも、聖霊は教会全体に注がれ、伝道の仕事もまた、教会全体の仕事なのでしょうか。



たとえば、教会の伝道活動は、牧師と教会役員だけがすることで、あとのみんなは見ているだけ、聞いているだけ、ということで良いのでしょうか。それではまずいのではないでしょうか。



皆さんにぜひ考えていただきたいことは、聖霊が注がれた「一同」とは誰のことなのか、です。どちらとも取れる、答えのない問いであるだけに、その結論は、わたしたち自身に委ねられている、と考えることもできるでしょう。



「一同」の意味如何によって、このあたりの考え方や姿勢を、わたしたち自身が、徹底的かつ根本的に変えなければならなくなるかもしれないのです。



「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」



聖霊とは何かという問いに対しては、「聖霊論」(Pneumatology: Doctrine of the Holy Spirit)と呼ばれる一つのまとまった教理体系があり、研究も続けられています。しかし、私自身は、聖霊とは何かという問題について多くの皆様にとってお腹にきちんとおさまるような言葉で答えようとするためには、今なお難しい問題があり、高い壁があると感じています。



しかし、何はともあれ、はっきりしていることは、聖霊とは、わたしたち人間の存在の外側から内側へと入り込んでくる何かである、ということです。



それはちょうど、かわいたスポンジに水がしみこみ、浸透していくように、あるいは、わたしたちが口から食べたり飲んだりして、お腹の中で消化されて、血となり肉となっていく食べ物飲み物のように、人間の中に外から入ってくるもの、浸透してくるもの、そのようなものとして、聖書は聖霊を描いています。聖霊について、聖書は「注がれる」とか「宿る」という表現を用いて、その動きや様子を描いています。



そして、今日の個所において聖霊は、「激しい風が吹いて来るような(天から聞こえる)音」を伴うものとして、また「炎のような舌」というイメージを伴うものとして描かれています。これらの点も重要です。



「風」と聖霊の関係について考える際には、ヨハネによる福音書に記されている、以下の主イエス御自身の御言葉を見ておく必要があります。



「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」(ヨハネ3・8)。



ここで主イエスが語っておられるのは、聖霊は風のようなものである、ということです。そして、その意味は、風は思いのままに吹く、つまり、それは自由に吹くということです。どこにでも存在するし、動き回り、あらゆるものにかかわり、あらゆるものを動かすものである、ということです。今流行している言葉でいえばユビキタスです。どこにでも存在する(偏在)、という意味です。



聖霊は風のようなものである、という場合に、とくに大切な点は、それが自由である、ということです。固定されていない、特定の人々や物に限定されない、枠にはまらない、はめることができない、拘束することができないものである、ということです。



聖霊は、拘束することができない風のようなものであるとしたら、どうなるか、です。ここで、最初の問いに戻ります。聖霊が注がれた「一同」とは、十二人の使徒たちだけのことですか、それとも、少なくとも百二十人と言われる最初のキリスト者たちの群れ全体のことですか。この問いに、答えを与えることができるようになると思います。



そして、もう一つ描かれている聖霊のイメージは「炎のような舌」です。炎は燃える。舌が燃えているのです。これは明らかに比喩です。



そして、何の比喩かも、明らかです。熱く言葉を語ることです。神の御言葉を語ること、信仰の言葉、伝道の言葉を、熱く語ることです。冷めていない、白々しくない。変に批判的だったり、斜めに見たり、クールであったりしない。



乱れ狂うほどに熱狂する必要はないかもしれません。事柄を冷静に判断できる穏やかな心を持つことは、重要です。しかし、そこにわたしたちの体重がかかっているかどうか、わたしたちの存在をそこに賭けているかどうかは、問われるかもしれません。



趣味の場合でも、わたしたちは結構、のめりこみます。熱中し、魅了されます。寝ても冷めても、そのことを考えている、というほどに心を奪われます。



それにいわば似たようなこととして、あるいは、もしかしたらそれ以上のこととして、聖霊が「炎のような舌」というイメージを伴ってわたしたち人間の内部に注がれるときに起こることは神の言葉を熱く語ることであり、救い主を信じる信仰に熱中し、魅了されることであり、教会生活、信仰生活ということを寝ても冷めても考えている、というほどに心を奪われることです。このように、考えることができます。



そして、これは単なる理論的な説明や理屈ではなく、わたしたち自身が実際に体験してきたことです。そうではないでしょうか。



先日、日本キリスト改革派教会の尊敬すべき引退教師の葬儀に参列いたしました。司式をされた牧師も、喪主のおくさまも、口を揃えて、「先生には趣味がなかった。毎週日曜日の説教とその準備のために、ひたすら力を注いでいた。引退された後も、教会で行われる礼拝や諸集会だけを楽しみにしていた。そこに出席することだけを喜んでいた」と言われました。



そのことを、とくにおくさまは、大いに愛情を込めてではありますが、やや非難めいたニュアンスもこめておられました。もっと趣味を持つべきだと口やかましく言ったことがあるとか、家族を旅行に連れて行ってほしいと思っていた頃があると。



その話を、私は、耳が痛い話として聞きました。しかしまた、私は、そのとき同時に、亡くなられた先生のお気持ちが、よく分かったのです。



趣味などなくてもよい、と申したいわけではありません。趣味は持ってもよいし、持つべきです。しかし、私は同時に確信します。牧師の仕事、伝道の仕事は、趣味にも代えがたいほどに面白いことであり、夢中になれること、魅了されることなのです!



そして、だからこそ、熱く語ることができます。「炎のような舌」を持つことができます。聖霊がわたしたち人間の中に注がれた結果として起こることは、そのようなことなのだ、ということを申し上げたいのです。



今から二千年前に、最初のキリスト者たちのもとで起こった出来事は、ただの昔話ではありません。奇妙キテレツな不思議な話でもないと考えるべきです。



突然のきっかけから、ひとが夢中になって神の御言葉を語り始める。信仰の言葉、伝道の言葉を語り始める。その言葉に心を打たれた人々が、洗礼を受け、教会の一員になり、主の日ごとに礼拝をささげ、神を賛美するようになる。そのようなことが起こったのです。



「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。』人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。しかし、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って、あざける者もいた。すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。『ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と嫁は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、天に不思議な業を、下では、地に徴を示そう。血と火と立ち込める煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。」』」



聖霊の注ぎにおいて起こったもう一つの重要な出来事は、ガリラヤ生まれの人々が外国の言葉で語り始めたことです。このことを、使徒言行録は、奇跡的な出来事として描いています。



この描き方は、もちろん間違っているわけではありません。間違っていると私が考えているわけでもありません。ただ、しかしまた、それは、いつまでも同じではない、と語ることはできると思います。



と言いますのは、わたしたちの場合には、外国の言葉を勉強することができます。聖書も、信仰の書物も、説教の言葉も、外国語に翻訳することができるし、しなければなりません。そもそも、わたしたち日本人にとっては、キリスト教の書物も言葉も、すべて外国語からの翻訳です。実際問題として、翻訳という手続きなしには、伝道という仕事は全く成り立たないのです。



しかし、それだけでもありません。聞き覚えのある言葉、心に深く馴染む言葉、まさに「自分の故郷の言葉で」(このわたしの言葉で!)神の御言葉が語られている、ということに気づいた人々が、初めて、キリスト教の正しい信仰を告白することができたのです。



この点は、わたしたちも同じではないでしょうか。残念ながら、わたしたちの頭の上を通り抜けていくような言葉がある、と言わざるをえません。私の説教が、皆さんにとってそのようなものでないことを、ただ祈るばかりです。



「今聴いているこの言葉は、“このわたしの言葉”である」と感じていただけるほどに、皆さんにとって身近な言葉が語られるとき、一つの奇跡が起こるのです。



そのとき、“かつてのわたし”ならば、考えもしなかったようなことを考え始め、実行に移しはじめる。



それが、聖霊降臨の出来事なのです。



(2007年2月18日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年2月11日日曜日

「新しい使徒の選挙」

使徒言行録1・12~26



今日の個所に描かれていることを一言で言うならば、人事(じんじ)です。新しい使徒の選挙です。そのような選挙をなぜ行わねばならなくなったかについて、その理由となる暗い出来事も、同時に記されています。



当たり前のことですが、教会の中にも人事があります。人事とは、ひとのこと、「人間の事柄、もしくは個人にかかわる事柄」(human or personnel affairs)です。



教会は「神の事柄」だけを扱っているところではありません。「人間の事柄」をも扱っているのです。



「使徒たちは、『オリーブ畑』と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。」



使徒たちは「エルサレムに戻って来た」と書かれていますが、それまではエルサレムに近いところにいた、ということも明らかにされています。エルサレムから遠く離れた場所にまで逃げてしまっていたわけではない、と言いたいのでしょう。



とはいえ、彼らは、近くではありますが、山の中にいました。彼らは山の中に「隠れていた」と、はっきり言うほうがよいでしょう。主イエス・キリストが十字架にかけられて「殺された」(使徒2・23、3・15など)後、弟子たちは、身の危険を感じ、恐怖を抱きながら、山の中に隠れていたのです。



しかし、彼らはエルサレムに戻って来ました。ですから、これは、単なる場所の移動を言っているのではありません。彼らの心の中に大きな心境の変化が起こったのです。大きな決断があり、また新しい勇気を与えられたのです。だから、彼らは戻って来た。戻って来ることができたのです。



その変化のきっかけであると考えられるのが、先週学んだ個所の出来事です。それは、復活されたイエス・キリストが天に上げられ、そのとき以来イエスさまが地上においては「不在」となられた、まさにその場面で起こりました。



それは、イエスさまが上がっていかれる天を見つめていた弟子たちに対して、二人の人が現れて言った言葉が、なんとも厳しいものだったという出来事です。



「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか」とは、あなたがたが見るべきところは違うでしょう、と言わんばかりです。



あなたがたが見るべきところは、上ではなく、前である。天国ではなく、地上の現実である。永遠の世界ではなく、あなたの目の前に山積みされているさまざまな問題である。目を向ける方向を間違っているのではないですかと、厳しく指摘されたのです。



このような指摘は、わたしたちの人生においても非常に大事なことであると私は信じています。とくに永遠の世界であるとか天国というような言葉や事柄に関わる場合、それはいずれにせよ、宗教の課題です。教会の説教の課題である、と言ってもよいでしょう。



多くの宗教は、天国を見上げなさい、永遠の世界に憧れなさい、というように教えてきたはずです。ところが、です。イエスさまの弟子たちが、天使を通して聞いた神さまの言葉は、それとは違うものだったというわけです。「おい、こら、おまえたち、天国など見ている場合ではないよ」と言われてしまった。そのような言葉で神さまから強く叱られたのだ、と考えることができるのです。



彼らがエルサレムに戻る決心をするまでには相当重い決断や勇気が必要だったと思われます。彼らの背中を押した強い力の源が神の御言葉であったことは、間違いありません。



「彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。」



ここを読んで、なんとなくほっとする気持ちを味わいました。どこにそのようなことを感じたかと言いますと、イエスさまご自身がお選びになった十二人の使徒たちのうちの、イスカリオテのユダ以外の十一人全員がそこにいた、という点です。



みんなが揃っている、というのは、やはり、気持ちがよいものです。彼らの場合、全員ではありませんでしたが。



イエスさまの死、また復活後の昇天、「不在」の事実。弟子たちとしては、逃げ出したくなったとしてもおかしくない状況であった、と言えるでしょう。



しかし、彼らは逃げ出しませんでした。彼らとイエス・キリストとの関係は、鉄と磁石のようにぴったりくっついて離れない関係であった。彼らは、イエス・キリストのもとから離れませんでしたし、離れることができませんでした。イエス・キリストにおける神の愛から離れることができなかったのです。



また、使徒職に就いている人々以外の多くの弟子たちも、集まってきました。「百二十人」を、百二十人しか残っていなかったと考えるのか、百二十人もいたと考えるのかは分かれるところかもしれません。



イエスさまのもとには「五千人」(ルカ9・10以下)以上いたこともあるのです。その意味では、百二十人「しか」でしょう。



しかし、百二十人を、わたしたちは小さな集まりと呼ぶことはできません。イエス・キリストを主と信じる教会、キリスト教会の歴史は、この「百二十人」の集まりからスタートしたのです。



ところが、残念なこともありました。イエス・キリストがお選びになった使徒は十二人であったにもかかわらず、そこには十一人しかいなかった!



この場面では大きな声で「しか」と言うべきです。



「『兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で「アケルダマ」、つまり、「血の土地」と呼ばれるようになりました。詩編にはこう書いてあります。「その住まいは荒れ果てよ、そこに住む者はいなくなれ。」また、「その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。」そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人となるべきです。』」



イエス・キリスト御自身がお選びになった十二使徒の一人であったイスカリオテのユダが、なぜその場にいなかったのかということについては、今日の個所以外に詳しい説明が出てくるのは、マタイによる福音書27・3~10です。読むとつらくなるような個所ですが、とにかく読んでみたいと思います。



「そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、『わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました』と言った。しかし彼らは、『我々の知ったことではない。お前の問題だ』と言った。そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。」
 
この個所は、読んでも全くほっとしません。安心できません。つらくなるばかりです。



それでも、ユダが自分の裏切りによってイエスさまに有罪判決が下ったので「後悔した」と書かれている点には少し心が動きます。しかし、そこで彼が考えたこと、行動に移そうとしたことは、いただけません。



「銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとした」というのは、どうでしょうか。返せば済む、とでも思ったのでしょうか。そのような考え方にこそ問題があるのではないでしょうか。



そもそも、ユダの問題は何でしょうか。お金を受け取ったことが悪かった。お金を受け取らなければよかった、というようなことでしょうか。お金を受け取りさえしなければ、何をしてもよいのでしょうか。そんなことはないはずです。



ユダの問題は、イエスさまを裏切ったことでしょう。イエスさまご自身によって使徒として選ばれて以来、共に愛し合う交わりの関係の中に置かれてきたのです。その愛をユダは裏切ったのです。イエスさまがユダを心から愛しておられた、その気持ちをユダは踏みにじったのです。



だから、はっきり言えば、お金を返そうとしたなどというのは、どうでもよいことです。情状酌量の材料にはなりません。それはいわば、万引きした子どもが「返せばいいんだろ」とか「金を払えばいいんだよね」と言って開き直っているようなものです。



そもそもユダが犯した罪は何なのでしょうか。ユダの裏切りによって傷ついているのは、だれでしょうか。イエスさまではないのでしょうか。そのことにユダは気づかないのです。人の愛や親切を全く理解できないのです。人の心の中をおもんぱかることができる想像力が、根本的に欠落しているのです。



聖書の中に、イスカリオテのユダに対する同情的な見方は、どこを探しても見当たりません。私自身の中にもユダに対する同情は、ありません。



このユダといつも比較されるのは、使徒ペトロです。ペトロは三度、イエスさまのことを「知らない」と言ってしまった後、鶏の鳴く声を聞いて、イエスさまの言われた言葉を思い出して後悔し、激しく泣いたのです。



ユダと違って、ペトロは、イエスさまの心の中にあるものを深く読み取ることができたのです。イエスさまは、このわたしペトロを、心から愛してくださっている、ということに気づくことができたのです。



わたしたちも弱い人間です。しかし、ユダの道に進むことはできません。イエスさまを裏切る罪を犯してしまったとき、立ち返る道は、ペトロの道であるべきです。



「そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てて、次のように祈った。『すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。』二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十二人の使徒の仲間に加えられることになった。」



人事のクライマックスは、選挙です。ユダが欠けた穴をだれかが埋めなくてはならなくなりました。



イエスさま御自身が、使徒職の定員を12名とお定めになったのです。それはイスラエル十二部族の数と一致していると言われます。そのため、欠員1名の補充選挙が行われることになったのです。



選挙の方法は、二人の候補者を立てた上での、くじびきでした。なぜそのような方法を用いたのかについての説明はありません。



考えられることは、くじびきは、旧約聖書の時代からイスラエルで広く用いられていた方法であるということです。



また、もう一つ考えられることは、とくに小さな団体の場合、多数決などを行って無理やり勝ち負けの白黒をはっきりつけてしまいますと、団体そのものが分裂・崩壊してしまう場合がある、ということです。もしかしたら、そのような配慮もあったのではないか、というあたりのことです。



「くじびきだからでたらめである」というわけではありません。くじびきも立派な選挙の方法です。



選挙の結果、マティアが新しい使徒に就くことになりました。これで十二人体制の使徒職が復活しました。



教会の人的土台がすえられたのです!



(2007年2月11日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年2月4日日曜日

「キリストの昇天」

使徒言行録1・6~11



「さて、使徒たちは集まって、『主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか』と尋ねた。」



弟子たちがこのような質問をしたのは、彼らがイエスさまとはどういうお方であるのかを誤解していたからである、と考える人々がいます。



イエスさまは本来、イスラエルという国を建て直すというような政治的な次元の働きをする政治的な指導者ではない。ところが、弟子たちは、ここに至ってもまだ、イエスさまのことを政治家だと思っていたので、このようなとんちんかんな質問をしているのだ、という見方です。



しかし、そのように考える必要は、全くありません。それが、わたしたちの結論です。イエス・キリストの罪の赦しの福音は、必ずや、わたしたちの日常的・文化的・政治的・社会的次元にも及ぶからです。一人一人の人間の魂が罪の中から救われることなしに国家の再建などありえません。



逆はあります。救われた一人一人こそが、国家が立て直すことができる力を与えられているのです。それは昔も今も同じです。わたしたちは政治嫌いになるべきではありません。イエス・キリストは、「イスラエルのために国を建て直してくださる」お方なのです。



私が重要と考えるのは、弟子たちが復活されたイエスさまのお姿を見て非常に驚いたという点です。いまだかつて見たことがないものを見たのです。まさに前代未聞の出来事が起こったのです。彼らの常識は全く根底から覆されてしまったのです。



ですから、考えられることは、イエスさまに対する彼らの質問は、驚きのあまり口から飛び出した言葉ではないかということです。死は人類の最後の敵です。死人の中から復活されたこの方は、死をも滅ぼす物凄い力をもっておられるのです。そのような力の持ち主であるお方が、われらの国イスラエルを建て直してくださるに違いない。そのように彼らが信じたとしても、不思議ではありません。



ただし、です。この後のイエスさまのお答えが、弟子たちの質問の内容を、ある意味で打ち消しておられるということも否定できません。問題は、イエスさまが弟子たちの質問のどの部分を打ち消しておられるのかです。イエスさまのお答えを読んでみましょう。



「イエスは言われた。『父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。』」



第一に、イエスさまのお答えには、弟子たちがイスラエルを立て直す“時”(カイロス)や“時期”(クロノス)についての質問に対する応答の側面があります。



弟子たちが「それはこの時(=今)ですか」と質問したのに対してイエスさまは、それが「今」であるかどうかについては肯定も否定もされないままで、「それはあなたがたの知ることではない」と言われることによって、時期についての言及をお避けになったのです。



しかし、イエスさまのお答えの意図は、それだけではありません。明らかにもう一つの側面があると言わなくてはなりません。第二の側面を理解するための鍵は、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」というイエスさまの御言葉の中に隠されています。



この御言葉からはっきり言えることは、このイエスさまのお答えは、弟子たちの質問の内容とはかなり食い違ったものである、ということです。



弟子たちの質問の中で、イスラエルを建て直す仕事をする役目の人である、と思われているのは主イエス・キリストであるということは明らかです。「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」というわけですから。



ところが、イエスさまのお答えの中では、イスラエルを建て直す仕事をするのは、必ずしもイエスさまではありません。そのようなことは、少なくとも今日の個所では、一言も語られていません。それどころか!



注意深く読みますと、イスラエルを建て直す仕事をするのは、イエスさま御自身ではなく、弟子たちです。「あなたがた(=弟子たち)の上に聖霊が降ると、あなたがた(=弟子たち!)は力を受ける」と言われているのです。



そして、イスラエルの中心地、エルサレムだけではなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、イスラエルという国家的・社会的枠組みを越えて、広く全世界へと出て行き、また地の果てまでも、イエス・キリストの福音を宣べ伝える証人となることが求められているのは、「あなたがた」、すなわち弟子たちなのです!



(使徒言行録においては、まさにこの「エルサレム」→「ユダヤとサマリア」→「地の果て」という順序で福音が前進していく様子が描かれています!)



先週私が強調してお話ししましたことは、人間としてのイエスさまは、今は「不在」であるというハイデルベルク信仰問答にも告白されている真理です。そして、イエスさまの不在の期間は、イエスさまの代わりに聖霊なる神が来てくださる、という真理です。



しかし、です。この真理は誤解を受けやすいものであると私は考えております。誤解を避けるために、ただちに別の言葉に言い換えなければならないものです。それはどのような誤解かと言いますと、不在のイエスさまの代わりに聖霊なる神が来てくださると信じることによって、わたしたち自身は相変わらず何もしなくてもよいと考えてしまう誤解です。



これまでは、イエスさまにすべてを頼っていた。これからは聖霊なる神にすべてを頼る。「聖霊さま」にすべてお任せ。このように考えるのは誤解であると、申し上げたいのです。



イエスさまが弟子たちと共に地上の生涯を送っておられたときは、弟子たちも彼らなりに一生懸命に働いていたとは思います。しかしまた、同時に、かなりの部分においては、イエスさまのお働きを見ていただけであった、ということも否定できません。



教会でも、同じようなことが言えます。とくに開拓伝道の時期には、しばしば、宣教師とその家族、あるいは牧師とその家族、あるいは一部の役員さんたちだけが、一生懸命に働いていて、あとのみんなは見ているだけ、という場合があると言われます。



しかし、そのようにして「見る」期間は、非常に大切なものであると、私は信じます。いわゆる見習い期間です。



最初から何でもできる人はいません。今日長老になった人に明日から説教してくださいとお願いして、それは無理ですと断られても仕方がありません。今日洗礼を受けたばかりという人に明日から長老さんになってください、とお願いするわけには行きません。それは、引き受ける側の問題ではなくて、依頼する側の問題です。そのような依頼は、してはならないものなのです。



しかし、問題はその先にあります。それは、わたしたちすべての人間が体験するお別れの問題です。



最初の宣教師、最初の牧師、最初の長老たちは、いつまでも地上に留まってくれているわけではありません。イエスさまでさえ、天に上られて、今は地上においては「不在」なのです。



その場合に、それでは、だれが教会を支えるのか、だれがわたしたち自身の信仰を支え、信仰生活を支えるのか、と考えてみていただきたいのです。



イエスさまの代わりに聖霊なる神が来てくださるという真理は、ものすごく重要です。しかしまた、そこで同時に言わなければならないことがあるわけです。



それは、その「聖霊」は「あなたがたの上に降る」方であるという真理です。そして、聖霊なる神によって「力を受ける」のは「あなたがた」であるという真理です。イエスさまの代わりに働くのは、聖霊であると同時に、聖霊を受けた弟子たち自身なのです。



わたしたちも同じです。聖霊なる神は、わたしたちの存在の中に注がれ、宿られます。聖霊を受けたわたしたち自身が力を得、わたしたち自身が働きに就くのです。



「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。『ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。』」



イエスさまとの“お別れ”のとき、彼らは「天を見つめて」いました。ところが、そこにまたしても(!)白い服を着た二人の人(ルカ24・4と同一存在か?)が現われて、非難とも皮肉とも取れるが、実際には励ましとして語られたに違いない言葉を、彼らは、聞くことになりました。



この言葉を非難ないし皮肉と受けとめるか、励ましと受けとめるかは、この言葉を聞くほうの側の人の心の状態によって変わってくるような気がします。



今まさに、天を見つめて立っている人々に向かって「なぜ天を見上げて立っているのか」と問いかけることは「あなたがたは何をやっているのですか。そんなことをしている場合ではないのではないですか」という非難の意図があると、読めなくもないのです。



実際、そうかもしれません。わたしたちには、いつの日か必ず、お別れのときが来ます。しかし、その日がすべての終わりではない、ということが、もっと重要です。



別れのさびしさに傷つき、苦しむことが悪いなどと、そんなひどいことを言うつもりは全くありません。傷ついてよいと思いますし、苦しんでよいと思います。



しかし、です。別れのさびしさを味わった次の日も、陽はまた上るのです。現実の生活が待っているのです。



会社なら、少しくらい休んでも構わないと思います。しかし、わたしたちは人生を休むわけにはいかない。人生をやめるわけには行かないのです。



イエスさまとの“お別れ”の当日、天を見上げて(ぼーっとして)立っていた弟子たちに与えられた言葉は「なぜ天を見上げて立っているのか」というものでした。



あなたがたの見るべき方向は違うのではありませんか、ということです。“上”ではなくて、“前”である。永遠の世界ではなく、時間の世界、地上の世界、現実の世界である。



“上を見上げて”ではなく、“前に向かって”生きていく。そのわたしたちの目に映る地平線上に、まことの救い主イエス・キリストがもう一度、同じ姿で戻ってきてくださるのです。



そのイエス・キリストは、わたしたちの生きるこの世界を、真に新しく造りかえてくださり、究極的な完成へと導いてくださるのです。



それが、わたしたちキリスト者が持ちうる、最大の希望なのです!



(2007年 2月 4日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年1月28日日曜日

「約束の聖霊」

使徒言行録1・1~5



本日から、新約聖書の使徒言行録の学びを始めます。



使徒言行録は28章あります。先週まで学んできたルカによる福音書は24章ありました。そのルカによる福音書の学びに約2年かかりました。これから学ぶ使徒言行録も、終わるまでに2年くらいかかるかもしれません。



2年は短いようで長い。いろんな意味で辛抱していただかなければなりません。しかしどうか、使徒言行録の学びが終わるまで、皆さん元気でいてください。もちろん、これが終わったら、まだ次もあります。とにかく聖書を学び続けましょう。それが私の願いです。



「テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。」



使徒言行録を学ぼうと願った理由は、単純です。使徒言行録の著者がルカによる福音書の著者ルカと同一人物であると考えることができるからです。そして著者であるルカ自身が、この二つの書物を内容的に連続しているものとして提示しているからです。



そのように教会は伝統的に信じてきましたし、この伝統的理解は傾聴と信頼に値します。実際に確認してみれば分かることです。ルカによる福音書の冒頭部分に、次のように記されています。



「わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました」(ルカ1・1~3)。



読み比べると分かるのは、ルカによる福音書と使徒言行録とは、どちらも「テオフィロさま」に献呈されたものである、ということです。「テオフィロ」(神を愛する者の意味)がだれなのかは分かりません。ローマの政府高官ではないかとか、ニックネームではないかなど、諸説あります。この名前は、ユダヤ人の名前である場合も、異邦人の名前の場合もあります。真相は定かではありません。



そして、使徒言行録の冒頭に書かれていることは「わたしは先に第一巻を著して」です。これがやはり決定的です。この「第一巻」がルカによる福音書であると考えられるのです。「第一巻」の内容については「イエスが行い、また教え始めてから・・・天に上げられた日まで」とありますが、これすなわちイエス・キリストの生涯のことですから、福音書の内容と合致します。つまり、使徒言行録はルカによる福音書の「第二巻」である、ということです。



証拠はこの点だけではありませんが、もちろんそのすべてを紹介しつくすことは、到底できません。1920年代に提起された、かなり古い説ではありますが有名な研究は、ルカが書いた文書である福音書と使徒言行録の中には、たくさんの医学用語が使われている、というものです。



つまり、ルカは医者であった、ということです。使徒パウロのコロサイの信徒への手紙の4・14に出てくる「愛する医者ルカ」が、ルカによる福音書と使徒言行録を書いた、と伝統的に考えられてきた。それを支持しうる根拠もある、ということです。



この説が絶対的に正しいと語ることはできないかもしれません。しかし絶対に間違っている、と否定する理由はありません。そういう場合には、面白い話として受けとめる、というくらいでよいと思います。



さらに、いくらか余談ですが、本を書く仕事ということを考えてみると、やはりそこにはどうしても、ある程度まとまった時間や体力、お金や頭脳が必要であると思われます。とくに長編の文書を書くとなると、なおさらです。第二巻まで書く。そのためには、ものすごいエネルギーが必要です。



また、福音書にせよ、使徒言行録にせよ、手紙とは違います。学術論文でもありません。歴史の教科書でもありません。それは純粋に「物語」です。読者の心をひきつける仕掛けがある。そういうものを書けるのは、相当な能力を与えられている人です。



「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」



復活なさった主イエス・キリストが弟子たちの前に「四十日にわたって」現われてくださった、というこの点は、ルカによる福音書のほうには出てきません。使徒言行録のほうで初めて紹介される事柄です。



この意味は、イエスさまが弟子たちの前に、目に見えるお姿を現わしてくださったのは、ずっとのことではなく、一時的なことであった、ということです。イエスさまのお姿は、四十日後には、目に見えなくなってしまった、ということです。



つまり、二千年前に一度起こった、あのイエスさまの復活は、人類の歴史全体の中では、まばたきほどの時間もない、ほんのごく一瞬の出来事であった、ということです。それを見て信じたのは、まさに一握りの、きわめて少数の人々にすぎなかった、ということです。



それはまた、まさに今、このわたしたち自身がイエスさまのお姿を見ることができない理由も、ここにあります。主イエスさまの復活のお姿を見ることができたのは、たったの四十日間だけだったのです。それ以上は見ることができなかったのです。



その意味で(その意味でだけ!)二千年前のイエスさまの復活を「完全な復活」と呼ぶことができないものがある、と言わざるをえません。ただし、こういうことは乱暴に言うと誤解されてしまいますので、丁寧かつ慎重に言わなければなりません。ぜひご理解いただきたいことは、完全ではないと申し上げたことの意味は、それが四十日間という期間の中だけに限定されていたという一点に一切かかっているということです。



イエスさまの復活の体には、手も足もありました。肉も骨もありました。その意味では「完全な復活」です。しかし問題は、時間が限られていたところです。“期限付き”の復活であった点です。二千年前のそれは、強いて言えば、一時的・暫定的・断片的・不完全な復活です。「完全な復活」は、世界と人類の終末において起こるのです!



この問題は、わたしたちにとって、今地上のどこを探しても、イエスさまの生きておられる姿を見ることはできないことの理由を説明するために重要です。イエスさまの不在の事実をわたしたちは厳粛に受けとめるべきです。参考になるのはハイデルベルク信仰問答です。問47の答えです。



「問47 それでは、キリストは、約束なさったとおり、世の終わりまでわたしたちと共におられる、というわけではないのですか。



 答  キリストは、まことの人間でありまことの神であられます。この方は、その人間としての御性質においては、今は地上におられませんが、その神性、威厳、恩恵、霊においては、片時もわたしたちから離れてはおられないのです。」



ハイデルベルク信仰問答に書かれていることは、神さまとしてのイエスさまはわたしたちと共にいてくださいますが、地上の人間としてのイエスさまは、今は不在であるということです。



この意味での不在は、やはり、厳粛な事実です。目に見えない霊のお姿としては、片時もわたしたちから離れておられない。そのことももちろん重要なことですが、問題になっていることが復活であり、しかも「肉体の復活」(からだのよみがえり)なのですから、目に見えない姿でしかない状態は、存在か不在かと問われるならば、限りなく不在に近い、と答えざるをえないのです。



キリスト教信仰の真髄としての「肉体の復活」の最も重要な点は、イエス・キリストとわたしたちが地上に戻ってくる、ということです。



もちろん地上の世界にも終末があるのです。しかし、終末において世界は消滅するとか破壊されるというのではなく、永遠性を帯びた世界として、永遠の栄光に包まれた神の国として完成するのですから、地上の世界はそのようなものとして、まさに存続すると信じてよいのです。



そこに、キリストとわたしたちが戻ってくる。それが復活です。それこそまさに、終末における「完全な復活」の様子です。



しかし、その反面の真理として、救い主イエス・キリストは、今から二千年前にたった一度だけ、そしてたった四十日だけ、弟子たちの前に、その復活のお姿を現された。それはいわば「不完全な復活」であった。その一回きりの出来事を、わたしたちは、二千年間、ひたすら信じ続けてきたのです。



それは、「肉体の復活」が起こるというこの点がものすごく大事なことであると、わたしたちは固く信じているからです。使徒信条において告白されている「からだのよみがえり」とは、肉体の復活です。



そして、もう一つの反面の真理が、続くところに明言されています。イエス・キリストの目に見えるお姿が、わずか四十日間の後には、見えなくなる。その意味での不在期間が始まる。しかしそのとき、リリーフが登場する。今は不在であられるイエス・キリストのいわば代わりに、この地上の世界へと来てくださるお方がいる。そのお方こそ「聖霊なる神」である、という真理です。



「そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。『エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。』」



「聖霊による洗礼」を「水による洗礼」とはまったく別のものである、と考えることはできません。「聖霊による洗礼」は、一つの比喩であるというべきです。聖霊がきよい水のようにわたしたちの存在の内側へと注がれる。人の体と心が、聖霊によって、まるで水で洗い清められるように、きよくなる。聖霊なる神のお働きによってすべてが新しく美しく造りかえられる。そのことを言いたいのです。



イエス・キリストの不在の間は、聖霊なる神が、地上にいるわたしたちの助け主として共にいてくださるのです。



(2007年1月28日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年1月21日日曜日

「復活の希望に生きよう」

ルカによる福音書の最後の段落には、イエス・キリストはよみがえられた、ということが、はっきり分かるように記されています。



「こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」



読み返してみて面白いことに気づきました。それは、よみがえられたイエスさまがお姿を現わしてくださったタイミングに関することです。四つの福音書で、それぞれ違います。今ここでいちいち比較することは割愛します。申し上げたいことは、ルカの記述には非常に興味深い一つの意図を感じる、ということです。



ルカは、主イエスの復活に関して、大きく分けて三つの出来事を記しています。



第一は、イエスさまのお墓の前で、婦人たちが、二人の人(天使)から、イエスさまはよみがえられたという言葉を聞いた、という出来事です。ただし、このとき婦人たちは、イエスさまのお姿を、まだ見ていません。天使の言葉を聞いた、そして信じただけです。



第二は、先週学びました、エルサレムからエマオまで二人の弟子が歩いている途中に、復活されたイエスさまから聖書の御言葉についての解説をしていただき、共に食事をした、という出来事です。ただし、重要なことは、弟子たちが「この方はイエスさまである」と気づいたときに、イエスさまのお姿が見えなくなった、という点です。



そして、第三の出来事を、これから学ぼうとしているわけですが、イエスさま御自身が弟子たちの真ん中に立ってくださり、弟子たちと直接会話(コミュニケーション)を交わしてくださった、という出来事です。



わたしがこのたび今さらながら気づかされたことは、この第三の出来事が、第一と第二の出来事と大きく異なる点があるということです。それは、順を追って読めば、はっきり分かることですが、第三の出来事に至って、ここに来て初めて、イエスさまが弟子たちの前に、完全にお姿を現わしてくださったのだ、ということです。



第一の出来事のように、天使のようないわば第三者から、話として伝え聞いた、というだけではない。また第二の出来事のように、「この方がイエスさまである」と気づいたときには姿が見えなくなるという、いくらか不完全な感じが残る、断片的なお姿でもない。



ここに来て初めて、全く目に見える、手で触れることができる、直接会話を交わすことができる、全くリアルな存在として、イエスさまが弟子たちの前に現われてくださったのです。それが、ルカによる福音書が描いている順序です。



そして、私が興味深いと感じたことは、第三の出来事が起こったこのタイミングです。それは、ルカが書いているとおりであるとすれば、「こういうことを話して」いたその最中、その瞬間です。つまり、彼らは、婦人たちが天使から聞いて使徒たちへと伝えた言葉を、また、エマオまでの途上で二人の弟子たちが体験したことを「話していた」のです。まさにその最中、その瞬間に、イエスさまが現われてくださったのです。



彼らの言葉がイエスさまを呼び出した、と言いたいわけではありません。人間の言葉が死者の霊を呼び出す、というようなのは別の宗教の話です。



私が申し上げたいことは、お墓の前で天使の声を聞いた婦人たちも、また、エマオまでの旅の途上でイエスさまの聖書解説を聞いた弟子たちも、本当にイエスさまはよみがえられたのだと心から確信して、一生懸命に話していたはずである、ということです。



そのように、まさに一生懸命に話していた彼らの前に、復活されたイエスさまが、お姿を現わしてくださったのです。イエスさま御自身が、「彼らの言っていることは本当ですよ」とサポート(支持)してくださるように、あるいはガード(防御)してくださるように、御自身の完全なお姿を現わしてくださったのです。



このタイミングに、イエスさまの弟子たちに対する深い愛情を、読み取ることができるように思います。それが、私がこのたび感じとった、ルカが描こうとした意図です。



「彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。」



彼らは、なぜ「恐れおののいた」のでしょうか。「恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った」と書かれていますが、彼らが恐れおののいた理由は、イエスさまのお姿が「亡霊」のように見えたからでしょうか。そうかもしれません。しかし、必ずしもそうではないと考えることもできるように思います。



なぜ「恐れおののいた」のかというと、おそらく、彼らは死んだ人がよみがえるはずがない、という絶対的な確信をもっていたからです。「亡霊」の存在なども、おそらく彼らは信じていません。「亡霊」を見たから恐れた、ということになりますと、論理的に言えば、彼らは「亡霊」の存在を信じている、という話になってしまいます。しかし、実際はそうではないのだと思います。



余談ですが、私もそうです。41年生きてきましたが、私は、今まで一度として「亡霊」なるものを見たことがありません。感じたことも全くありません。だからどんなところでも入っていけるし、何も怖くありません。基本的な大前提として、そういうものは存在しない、と思っているからです。私は無神論者ではありませんが、亡霊信仰のようなものを持っているわけではないのです。



しかし、私にとって最も恐ろしいことは、自分の確信を揺り動かされてしまうときです。亡霊など怖くありません。自分の前提が崩されることが、最も怖いのです。イエスさまの弟子たちもそうだったのではないかと思うのです。



だからこそ、ではないでしょうか、彼らは、ここに来て初めて、「亡霊」の存在を持ち出そうとした。絶対的な確信をもって受け入れている、死んだ人がよみがえるはずがない、というこの点が、イエスさまのリアルなお姿を見てしまったときに激しく揺り動かされた。しかし、自分の確信をなんとか維持するために、「亡霊」という新たなる説明の言葉を持ち込んだ。そうとでも言わないかぎり、この事態を説明することは不可能である、と思ったに違いないのです。



しかし、逆に言えば、それほどまでに、復活されたイエスさまのお姿はリアルであった、ということでもある、と言えるでしょう。



「そこで、イエスは言われた。『なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。』こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、『ここに何か食べ物があるか』と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。」



ここから分かることは、よみがえられたイエスさまには、手や足がある。肉も骨もある、ということです。そして何より、ここに書かれているような仕方でイエスさまと弟子たちとが会話されている。コミュニケーションが成り立っている。このことが、何よりも驚きです。焼いた魚を一切れペロリとお食べになったというのも面白い。コミカルな場面です。



私たちの大切な家族や友人たちに先立たれて、何がいちばん悲しいかというと、やはり何と言っても、もう会話を交わすことができないと感じる、この点です。人生の終わりは、コミュニケーションの終わりである。もはや何も語ることができない。何も聞いてもらえない。とくに夫婦や親子の場合には、もう二度と一緒に食事をすることができない。そのように感じるときに、さびしくつらいものを覚えるのです。そうではないでしょうか。



しかし、イエスさまの場合は、そうではなかった、というのです。コミュニケーションをとることができる。食事もできる。そのことが、うれしかったのです。つまり、これは、イエスさまが、わたしたち信仰者たちの日常的な生活とその交わりの中に戻ってきてくださった、ということです。



また同時に、このことは、イエスさまだけの話ではなく、わたしたち自身の話にもなる、というのが、聖書が教えていることです。使徒パウロが次のように語っているとおりです。



「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。・・・しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」(コリント一15・12~20)。



ここでパウロが書いていることは、要するに、イエスさまの身に起こった復活の出来事は、わたしたちの身にも起こります、ということです。キリストが「眠りについた人たちの初穂」である、ということの意味は、死に行くすべての人間の中でイエスさまが最初によみがえってくださった、ということです。イエスさまは、わたしたちすべての人類の中で、最初によみがえってくださった方なのです。



これがキリスト教信仰の真髄です。イエスさまがよみがえられたように、わたしたちもよみがえるのだということです。わたしたちのよみがえった体は、親しい家族や友人たちと共に、会話(コミュニケーション)もできるし、食事をすることもできる。わたしたちは、今味わっているこの楽しい人生を、もう一度取り戻すことができるのです。



そのことを信じなければ、キリスト教を信じる意味は、ほとんどありません。それは、パウロが書いているとおりです。そして、キリストの復活を信じることは、わたしたちの復活を信じることです。それもパウロが書いていることです。わたしたちの復活を信じること、そして復活の希望に生きることが、キリスト教信仰の究極目的です。



「天国でまた会いましょう」という呼びかけ方が間違っているわけではありません。しかし問題は、その天国がどこに実現するかです。天国は地上に打ち立てられるのです!わたしたちは「地上でまた会える」のです!



今の会話も、毎日の食事も、わたしたちの復活の日に、すべて取り戻されます。



今していることの何一つも無駄なことはなく、すべてに意味があり、価値があります。



イエスさまを信じ、教会につながって、安心して、人生を楽しもうではありませんか!



(2007年1月20日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年1月14日日曜日

「共に歩まれるキリスト」

ルカによる福音書24・13~35



今日の個所、私はとても好きです。非常に面白いし、興味深い。読むたびに感動します。



「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。」



「六十スタディオン」は距離です。どのくらいの長さかを調べてみましたところ、二説出てきました。一つは、新共同訳聖書の巻末付録「度量衡及び通貨」の数字です。そこに一スタディオンは約185メートルであると書いてあります。もう一つは、私が参考にしている注解書の数字です。「当時の一スタディオンは192メートルである」と書いていました。約7メートルの差があります。どちらが正しいかなどは分かりません。



どちらで計算しても、「六十スタディオン」は、だいたい11キロ強であることが分かります。その距離を、彼らは歩いたのです。歩けない距離ではないと思います。



それは時間にしてどれくらいでしょうか。私の場合、自転車で約30分です。歩くとどうでしょうか。彼らは最初二人で、途中から三人で話しながら、いや徹底的に議論しながら歩きました。そのような歩き方だと、3時間くらいはかかるのではないかと考えてみましたが、いかがしょうか。ゆっくりすぎるでしょうか。



今日は大雑把に、彼らの旅は約3時間と考えておきます。短いといえば短い。しかし、使い方次第でかなり有効な時間ともなります。



たとえば、今は3時間あれば、新幹線に乗れば、東京から神戸(兵庫県)まで、あるいは八戸(青森県)まで行ってしまいます。飛行機に乗れば、サイパンでも、グアムでも、韓国でも、行ってします。「たかが3時間、されど3時間」です。



そのあいだ、彼らは話し合っていました。「この一切の出来事」とは、婦人たちがイエスさまのお墓の前で二人の天使たちから聞いたこと、「イエスさまがよみがえられた」というあの出来事に関することです。



「話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、『歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか』と言われた。」



この話の最も面白い場面です。彼らが夢中になって、イエスさまがよみがえられたことについて話し合い、論じ合っているところに、イエスさま御自身が近づいて来てくださり、一緒に歩き始めてくださり、二人の話の間に割って入ってくださって、「その話は何のことですか」と質問をしてくださったのです!



ここから私が考えさせられることは、復活は理屈ではない、ということです。復活とはそもそも何かとか、イエス・キリストは復活したかどうかとか、われわれ人間は復活するのかどうかというようなことを、喧々諤々議論しているところに、事実としてよみがえられたイエスさま御自身が、姿を現してくださったのです。



単純に比較することはできないかもしれませんが、最近頻繁に起こっている残虐非道な事件。それらの内容に接するたびに、「ありえない。このようなひどいことができる人間の存在を、信じることができない」と言いたくなります。



しかし、その考え方は逆である、と言わなければなりません。事実のほうが先にあるのです。その意味や価値を考える作業は、いわば後です。「事実の意味を後から考えること(Nachdenken)」が重要です。「ありえない」というわれわれの思い込みや前提が、現実に起こった事実そのものを否定することはできないのです。



それにしても、イエスさまが一緒に歩いておられるのに、それに気づかない弟子たち。そして、その彼らにイエスさまが「何の話をしているのですか」と質問される。すべてをご存じのお方が、です。ふざけておられるわけではないと思いますが、ちょっととぼけたことを言っておられる。この情景は、非常にコミカルな感じがします。



しかし同時に、深刻なものも感じます。これは、わたしたち自身の姿かもしれないからです。復活など信じられない。そのような思いにとらわれているときに、目の前の事実としてイエスさま御自身が立っておられる。それでも、そのことを受け入れることができないとしたら、それは「ありえない」という思い込みや前提を持っているのです。おそらくその種の前提が、この二人の目を遮っていたのです。



「二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。『エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。』イエスが、『どんなことですか』と言われると、二人は言った。『ナザレのイエスのことです。この方は、神と民の全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。』そこで、イエスは言われた。『ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。』そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。」



二人の弟子たちは、共に歩いておられるイエスさまに、これまでエルサレムで起こった出来事をまとめてお話ししました。ただし、この内容は彼らなりのまとめ方です。事実の報道は難しいものです。そこには必ず解釈が入ります。間違った解釈も入り込むのです。



気になる第一の点は、彼らがイエスさまを「預言者」であったと語っているところです。第二の点は、イエスさまを「イスラエルを解放してくださる方」、つまり、ユダヤ人たちをローマ帝国の支配下から解放するために闘う政治家であった、と語っているところです。



彼らの見方は、全く間違っているとは言えません。彼らは、見たままを語っているだけです。見たとおりのことは、重要です。それは一種の結果です。結果は重要です。そして結果は本人の手から離れて一人歩きしていくものなのです。それも一つの結果責任です。イエスさまは、事実上、人々の目から見ると「預言者」でもあり、「政治家」でもあった、のです。それらのことは否定されるべきことではありません。



しかしまた、そのことを逆のほうから見れば、彼らが言っているまさにこの点こそが、よみがえられたイエスさま、生きておられるイエスさまが目の前におられるのに、見抜くことができなかった、まさに彼らの目を遮っていた前提ではなかったかと思われるのです。



つまり彼らは、イエスさまのことを立派な人物、偉人としてしか見ていなかったのです。尊敬していた偉人、わたしたちの先生が不条理な死を遂げた。残念でならない。政治家としては失敗した人でもある。しかし、そのお方がよみがえったと婦人たちが言っている。そんなことは、信じられない。本当のところはどうなのか。おそらくそのようなことが、彼らの思いの中にあったのです。



その彼らを、イエスさまは、愛情をこめてお叱りになりました。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち!」



愛情がこもっている、と申し上げることができる根拠は、その後イエスさまは、徹底的に聖書の御言葉の全体を彼らに語って聞かせてくださった、ということです。



教えるという仕事は、たいへんな仕事です。教師を職業にしてこられた方ならお分かりいただけるはずです。まさに一から十まで、手取り足取り、教えて聞かせる。この面倒な仕事を、イエスさま御自身が引き受けてくださったのです。



これは、愛がなければ、決してできません。教育は愛情です。説教も愛情なのです!



「一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、『一緒にお泊りください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから』と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人とも、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。」



約11キロの徒歩の旅は、終わりました。歩き疲れ、しゃべり疲れて、少し休みたいし、お腹もすいてきた。しかし、まだ学び足りない。聖書の話を、イエスさまの話をいつまでも聞いていたい。語り合いたい。学び続けたい。別れがたい。そのような思いを、彼らは抱いたに違いありません。



昨年11月17日のことです。私も神戸から東京までの3時間の新幹線の中で、私が今の世界の中で最も尊敬している神学者であるヘリット・イミンク先生(ユトレヒト大学神学部教授、オランダプロテスタント神学大学総長)を独り占めして、語り合う機会を与えられました。品川駅前で別れました。引きとめることも泣くことも(?)ありませんでしたが、ただ本当に別れがたさを感じました。この別れがたさという点の気持ちは、少し似ているところがあるのではないかと思います。



彼らは、イエスさまを無理に引き止めた。イエスさまはその求めに応じてくださった。そして、みんなで食事の席に着いたときに、イエスさまがお始めになったことは、給仕の仕事です。「はい、わたしは疲れました」と座り込んで、出てくる料理を待っているという態度とは、正反対です。イエスさまは疲れている弟子たちを「お疲れさま」とねぎらってくださるように、御自身の手でパンを裂いて、一人一人にお渡しくださいました。



しかし、おそらくもっと深い意味を読み取ってよいでしょう。



イエスさまがパンを裂く姿は、彼らがこれまで、何度も見てきたものでした!



また、この弟子たちは、最後の晩餐の席にいた弟子たちではないと思われますが、そのときの様子は、十二人の使徒たちから、聞いていたでしょう。



「これはわたしの体である」と言われながら、手渡されたパン。



「これはわたしの血である」と言われながら、手渡されたぶどう酒。



あのイエスさまのお姿のすべてを、彼らは思い起こすことができたのです。



そして、私たちの目の前にいるこのお方は、なんと、イエスさま御自身であるということが、そのとき初めて分かったのです!



しかし、それが分かった途端、イエスさまの姿が見えなくなった、と記されています。それでも彼らは全く失望していません。ここが重要です。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか!」



彼らは、イエスさまが復活されたことの意味、また復活されたイエスさまのお姿を見ることの意味が、そのとき初めて分かったのです。



復活とは、ただ単なるビックリ話ではありません。異様で非科学的な「ありえない話」というだけではありません。



聖書の教えが関係していないような、あるいは信仰という点が関係していないような、また教会の存在や伝道という事柄と関係ないような復活であるとしたら意味がありません。そのような復活を私たちが信じているわけではないのです。



聖書の御言葉が、イエス・キリスト御自身によって真に正しく解釈され、力強く語られ、広く宣べ伝えられ、それを聞く人々の心の中に真に燃えるものが生まれる。



そのとき、イエスさまは、よみがえっておられるのです!



イエスさまが、私たちの中に生きておられるのです。



(2007年1月14日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年1月7日日曜日

「生きておられるキリスト」

ルカによる福音書23・56b~24・12



約2年前から昨年11月末まで、80回にわたり、ルカによる福音書に基づいて、イエス・キリストの生涯を学んできました。しかし、ルカによる福音書は、まだ終わっていません。もう少しだけ続きがあります。



ただし、ここから先に書かれていることを「イエス・キリストの生涯」と呼んでよいかどうかは、難しい問題です。間違いなく言えることは、イエス・キリストはあのゴルゴタの十字架の上で死なれたのだ、ということです。聖書にはそのようにはっきりと書かれています。死んでいなかったとか、眠っておられただけだ、と考えることはできません。



そして、もう一つ言わなければならないことは、死に二つ以上の意味はないということです。死とは、命の終わり、人生の終わりです。そして、終わりは終わりです。終わっていないとか、まだ続いていると考えることはできません。終わりは一回限りです。終わりが二回以上あるとしたら、それは終わりではないのです。



イエスさまは、十字架の上で間違いなく死なれました。死なれました、ということは、イエスさまの生涯は終わりました、ということです。イエスさまの生涯は終わったのです。この点でわたしたちは、ルカによる福音書の続きの部分をなお「イエス・キリストの生涯」と呼び続けるのは間違いであると言わなければならないように思うのです。



続きの部分に書かれていることは、言うまでもなく、イエスさまはよみがえられた、ということです。イエスさまの生涯は終わりましたが、イエスさまはよみがえられたのです!



今「イエスさまの生涯は終わりましたが」と申しました。が、この「が」は正しい表現ではありません。正しくは(日本語としては正しくありませんが!)「イエスさまの生涯は終わったので」というべきです。イエスさまの生涯は、終わった「ので」、よみがえったのです。終わっていないものは、「よみがえり」もしません。よみがえりとは、終わったものが戻ってくることです。死んだものが、再び生きることなのです。



「婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。」



ここに記されているのは、お墓に葬られたイエスさまの世話をしようとする婦人たちの動きです。婦人会の活動、と呼んでおきます。どの時代にも、婦人会の活動が教会全体を支えてきた、と言ってよいでしょう。男性だけで教会がうまく行った試しはありません。



「準備しておいた香料を持って墓に行った」とありますが、23・56には「香料と香油を準備した」とあります。彼女たちが準備したのは、いわゆる「没薬」であると思われます。



「没薬」とは、イエスさまがユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東の国の博士(新共同訳「占星術の学者」)が、宝の箱に詰めて持ってきたもの(黄金、乳香、没薬)の一つです。それが宝となり、贈り物になったということは、たいへん高価なものであり、簡単に手に入るものではなかった、ということを意味しています。



しかし、です。婦人たちが香料をもってお墓に行ったのは、イエスさまの場合だけ特別にそうした、というわけでもないのだと思われます。多少の特別扱いはあったかもしれません。しかし、イエスさま以外の人々の中にも遺体に香油が塗られるケースはあったようです。一種の防腐剤の役割を果たしたと言われます。



ドライアイスがあるわけでない。火葬されるわけでもない。そのまま置いてあるだけです。すぐにでも腐敗臭がしはじめます。わたしたち人間は臭いのです。わたしも、人間ですから臭い。臭いに対処するための香油です。日本の葬儀で線香を焚くのも、本来の目的は臭い消しです。



このようなことは、葬儀専門の業者などない時代には、いつも教会の仕事であり、なかでも婦人の活躍に負うところ多かった、と考えることができるでしょう。そのような大変な仕事を、いつも女性たちが引き受けてくださったということに、感謝しなければなりません。



「見ると、石がわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。」



お墓に行った彼女たちが目撃したのは、驚くべきことでした。墓が開けられた。イエスさまの遺体が盗まれた。少なくとも彼女たちが最初に考えたのは、そのようなことだったはずです。なぜなら、目の前にある動かぬ事実は、お墓の穴が開いていたことと、イエスさまの遺体が無かったことだけだったからです。



そのことを、他にどのように解釈することができるでしょうか。たとえば、そこに警察官や検察官がいたとしたら、どうでしょうか。壊された、盗まれた、と考えないでしょうか。



「そのため途方に暮れていると」



彼女たちが「途方に暮れて」いたのは、目の前で起こっている事件そのものがそもそも信じがたいもの、受け入れがたいものであったために困惑、当惑していたであろうことに加えて、この事件の意味を、いろいろと考えていたからではないかとも思われます。



少しこだわってみたいのは、先ほどから申し上げている、壊された、盗まれた、と彼女たちも考えた可能性があるのではないかという点です。この関連で注目していただきたいのは、11節の記述です。



「使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。」



婦人たちが、イエスさまのお墓の前で起こった出来事を使徒たちに話しましたところ、使徒たちは、その話が「たわ言」のように思われたというのです。「たわ言」とは、意味のない話、ばかげた話、ナンセンスな話ということです。



このように書かれていることから見えてくることは、イエスさまの弟子たちには、現代の人間が持っているような意味での批判的な物の見方や考え方がちゃんとあった、ということです。昔の人間は、迷信的なことでも何でも、簡単に受け入れてしまうのだ、というようなことは、言えない、ということです。



同じように、最初に婦人たちが開いた墓穴、遺体の喪失の事実を見たときに、壊された、盗まれた、というふうにきっと考えたであろうことも、当然であると言ってよいでしょう。それくらいの客観的な物の見方は、彼女たちにも、きちんと備わっていたのです。



しかし、もしそうであるとして、次に考えてみたいことは、彼女たちは、そのとき何を考えただろうか、ということです。



イエスさまの墓が壊され、遺体が盗まれた。それを見た彼女たちが、おそらく真っ先に感じたことは恐怖でしょう。ユダヤ人たちは、イエスさまを十字架にかけて殺すだけでは満足しない。墓を壊し、遺体を痛めつける。まさに、めちゃくちゃにする。そこまでやらなければ気が済まないほどに、イエスさまを憎み、呪い、さげすんでいるのではないか。



そして、このやり方はきっとイエスさまに対してだけではなく、イエスさまを信じる人々に対してもなされるに違いない。そのような恐怖、また絶望を、彼女たちは感じたのではないでしょうか。



「彼女たちは途方に暮れていた」。彼女たちが感じていたのは、本当の恐怖であり、また本当の絶望ではないかと思われます。



イエスさまを信じ続けると、わたしもいつか、このような目に遭う。信じるのをやめようか。そこまで考えたかどうか。それは分かりません。



「輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。」



この二人の人がだれであったかは、ルカによる福音書には書かれていません。マタイとマルコは「天使」と書き、マルコは「若者」と書いています。とにかく彼女たちは、この二人の人の声を聞きました。



「婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。『なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。』そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。」



彼女たちが聞いたのは、喜びの知らせであった、と言ってよいでしょう。



墓は壊されたわけではない、イエスさまの遺体は盗まれたわけではない。目の前の現実はイエスさまを憎む人々が作り出したものではない。そのような人や事件に恐れを抱くことはないことが分かったのです。目の前の現実は、イエスさま御自身が作り出したものであった、ということが分かったのです。



イエスさまが、よみがえられたのだ!



イエスさまが、生きておられるのだ!



そのことを、彼女たちは、イエスさまのお墓の前で、信じることができたのです。このイエスさまの復活を信じる信仰から、キリスト教会の歩みが真に始まったのです。



そして、その後、彼女たちは、よみがえられたイエスさま御自身に直接お会いすることができました。しかし、それは、今日の説教の範囲を超えることです。



ただ、一つの点だけ、最後に申し上げておきたいことがあります。



それは、彼女たちがよみがえられたイエスさまにお会いしたのは、この日のすぐあとのことだった、ということです。死んだら会えるとか、死ぬまで会えない、というわけではなかった、ということです。すぐにお会いできたし、自分の人生の中で、地上の生活の中でお会いできたのです。



この点は、わたしたちとは違うところかもしれません。



わたしたちは、生きている間にこの地上でイエスさまにお会いすることは、できないかもしれません。死んだら会える、死ぬまで会えない、というのは、わたしたちには当てはまることかもしれません。



しかし、です。キリスト教的復活信仰において重要なことは、向こうの世界に行けば会える、ということではありません。



大切なことは、このわたしもイエスさまと同じようによみがえらせていただける、ということです。お会いする場所は、向こうではなく、こちらなのです。



わたしたちの人生が死の中に飲み込まれることが、希望であるはずがありません。



よみがえること、帰ってくることが、希望です。



死は打ち負かされたのです!



(2007年1月7日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年1月2日火曜日

W. フェアボーム著『壊れた教会の信仰告白 ドルト教理規準の前史と神学』(Boekencentrum、2005年)

Aart Nederveen (関口 康訳)

別の結末もありえた。それがファン・デュールセンの歴史小説『多幸な重荷』(De last van veel geluk)の読了後、私に与えられた印象だった。オランダの歴史においては、そのとき歴史が別の方向に転がることもありえた多くの瞬間があると思える。フェアボームが著したドルト教理規準についての書物を読んだときにも同じことを感じた。

後にエスカレートしていくことになる、アルミニウスとホマルスというライデン大学教授同士の予定論についての論争は、はじめは些細なものだった。彼らの見解の相違はライデン大学内に限定されたものだった。1605年にホマルスとアルミニウスは和解した。教理の土台においては両者の間に見解の相違はないことを認め合った(p. 51)。

ところがその後、間違いが起こった。教会と政府が教説上の見解の相違に干渉した。国論が二分し、ホマルスとアルミニウスの仲もうまく行かなくなった。フェアボームはこの論争がドルト大会の会期中にどのように解決されたかを広い歴史的視野の中で見る。レモンストラント派は解雇され、彼らの教説は糾弾された。

ところが反レモンストラント派の勝利は、自明のことではなかった。顕著な事実は、1606年にはすでに国民大会(nationale synode)の組織化が話題になっていたことである。フェアボームは、もしその国民大会が先に行われたとしたらこの論争には別の結末もありえたことを示唆している(p. 255)。

さらにオランダ政府とその強力な法律顧問であったファン・オルデンバルネフェルトがレモンストラント派の味方であったという事実がある。1615年頃には、四つの中会(ホラント、ユトレヒト、オーフェルエイセル、ヘルダーラント)までもが、レモンストラント派に味方していた。ドルト大会の会期中にマウリッツの干渉によって反レモンストラント派に有利な流れが起こった。しかし、それでもなお、いろんな国の代表議員たちが、レモンストラント派の立場にしばしば接近したのである(p. 206)。

フェアボームがこれまでに出版してきた信仰告白に関する書物の注意深い読者たちは、フェアボームがドルト教理規準の内容に困難を覚えていることに気づくであろう。しかし、それは、本書を書くことについてのフェアボームの勇気を示している。彼は、現代の読者たちがドルト教理規準に抱いているいろんな疑問に答えを与えようとしているのである。

この点は必要である。なぜなら、われわれの改革派の父祖たちの論争は簡単に結論を出せるようなものではないからである。 宗教改革的諸信仰告白を信頼している人々であっても、ある部分については、繰り返して読まなければならない。フェアボームは読者たちが初期や後期の論争騒ぎの中のさまざまな微妙なニュアンスや細部の事柄を全く安易に見失っていることを知っている。

フェアボームは、ドルト教理規準は選びと遺棄をシンメトリーなものとしては見ていないことを確信している (p. 218)。神は選びの原因ではある。しかし遺棄においては神と同時に人間も役割を果たすのである。神はある人々を、彼ら自身が自らをその中に投げ込んだ悲惨の中に放置し、この人々を彼らの不信仰ゆえに呪うのである(第一命題15)。ドルト教理規準は、ここかしこで他の信仰告白諸文書よりも「より広い」立場を採っていることさえ明白である。たとえば、ハイデルベルク信仰問答が人間について「どのような善に対しても全く無能で、あらゆる悪に傾いている」(問8)と語っているところで、ドルト教理規準は「人間とはどのような祝福に満ちた善に対しても無能で、悪を好む」と、より微妙な言い方をしているのである。

フェアボームは、ドルト教理規準が語る永遠の遺棄に関する点については、距離を置いている(p. 221)。もし神の人が永遠に遺棄されるならば、人が信仰に至る現実的可能性は存在しないことになる。そのような永遠の決定を人類の歴史は真面目に受け取ることができるだろうか。フェアボームはこの点に疑いを持っている。

また、永遠の遺棄は聖書からストレートに読み出すことはできないと感じている。フェアボームは時間における遺棄、すなわち「神は神を遺棄した者たちのみを遺棄する」ということのみを語りたいと願っている。フェアボームは永遠の遺棄についてのこのような拒否を宗教改革者ブリンガー、またコールブルッヘ、ヴェールデリンク、フラーフラントなど後期の改革派神学者たちの足跡の中に見ている。

フェアボーム自身の良い意図を疑うつもりはない。しかし、わたしはこの神学的選択は本当に必要かと自問する。永遠の遺棄は聖書の中には見いだされないというフェアボームの反論は、なるほどたしかに影響力の大きい発言ではある。しかしそうであると決めつけることもできない。もしそれを言うならば、二重予定論も、また教会の他のいくつかの教義も、聖書的基本線において正しい判断を行うための思想的枠組みを提供しうるものではあるが、聖書の中に文字どおり出てくるわけではないという点で同じでありうるだろう。

『真理の友』(Waarheidvriend)誌の書評において、ドルト教理規準のなかでは運命決定論は全く話題になっていないと主張しているのは、ユトレヒト大学の教会史教授ファン・アッセルトである。神の予定(と遺棄)は、人間の自由や責任の面と同時に主張することができる事柄である。ファン・アッセルトは、そのことについての哲学的な分析が必要であると見ている。この点は、ホマルスと彼の支持者たちも考えたことである。ファン・アッセルトが多くの科学的な正しさを彼の側にもっているとしても、私は驚きはしないだろう。

しかし、ファン・アッセルトが主張していることは、フェアボームが二重予定論に関して主張している反論とは全く別の点である。私の印象では、フェアボームは予定論が過去数百年間の信仰生活において果たしてきた役割に困難を覚えているのである。フラーフラントは、改革派敬虔主義の歴史における予定論の悲劇を無駄に語ったのではないのである。

フェアボームは「重い影」(p. 271)について語る。フラーフラントは、二重予定論によって引き起こされうる信仰の確かさの類型化を目指した。真剣に問いたいことは、このような二重予定論の不毛な影響史(Wirkungsgeschichte)をドルト教理規準の神学的内容と関係づける必要があるのだろうか、ということである。

この問いへの答えを見いだそうとするとき、フェアボームは、ファン・ルーラーが予定論について有名な論文「ウルトラ改革派とリベラル派」(Ultra-gereformeerd en vrijzinnig)の中に書いたことを、今なお考慮に加えることができるであろう。実際、本書においてフェアボームは最近の神学者たちがドルト教理規準について書いていることを―これまでの著作よりも―ほとんど取り上げていない。

ファン・ルーラーは、二重予定を経験的なものと呼ぶことを恐れない。ある人々は聖書的証言に固く留まることにおいて急いでよりよく知る者になり、他の人々は子供の頃から何も語ろうとしないということを、他に何と言いうるのだろうか。この問いに対する改革派の答えは、信仰も不信仰も神の外側で生じるものではないということである。しかし、ファン・ルーラーは二重予定論を論理体系の土台にすることに対しては警告を発する。教義学においては、一つの主題が固有の出発点として機能するということは、ありえないことである。

さらにファン・ルーラーは、教義学が人生を決定するわけではない、とも述べている。予定は「生ける存在と宣べ伝えられた福音」の現実において実行される。ファン・ルーラーがノールドマンスと頓着なく付き合えるのは、神が御自身の永遠の御心を決意されるのはいちばん最後の瞬間である、ということに賛成する点である。それは内容的にはフェアボームが「神は神を棄てた者を棄てる」と述べていることに近い。ファン・ルーラーの論法は緊張を強いるものであり、批判を受けやすいものである。しかし、ファン・ルーラーの線は、フェアボームの論法よりは神学的に力強さがあるように、私には思われる。

これらの問いは、フェアボームが新しく美しい書物に書いたのとは別の話である。 しかし、本書は第二巻を要求している。第一巻においてフェアボームは、どの主題の場合も、彼が信仰告白と彼独自の立場への反応とに傾聴したことに対する最も新しい神学的な立場と素描の展望を与えている。これらはドルト教理規準の核心的テーマを扱うのにふさわしい方法である。

原文は以下URL
http://www.wapenveldonline.nl/viewArt.php?art=644


2006年12月31日日曜日

信仰と希望と愛は永遠に輝く


コリントの信徒への手紙一13・1~13

今年最後の礼拝を行っています。開いていただきましたのはコリントの信徒への手紙一13章です。「愛の賛歌」と呼ばれる個所です。全体をお読みしましたが、お話しするのは13節です。

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」

コリントの信徒への手紙一も使徒パウロが書いたものです。パウロは、この手紙だけでなく、他のいくつかの手紙の中でも「信仰」と「希望」と「愛」という三つの事柄を強く結びつけて語っています。

「あなたがたがキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです。それは、あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づくものであり、あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました」(コロサイの信徒への手紙1・5)。

「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望をもって忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです」(テサロニケの信徒への手紙一1・3)。

これらの個所から明らかなのは、次のことです。

第一は、「信仰」と「希望」はイエス・キリストの御名と結びつけられているということです。つまり、パウロが信仰と希望と愛という三つを結びつけて語っている場合の、信仰と希望の意味は、「キリスト・イエスにおいて持っている信仰」であり、「わたしたちの主イエス・キリストに対する希望」である、ということです。

しかし、です。第二に明らかなことは、「愛」は必ずしもそうではない、ということです。先ほどの二つの引用には「キリスト・イエスにおいて持っている愛」とも、「わたしたちの主イエス・キリストに対する愛」とも書かれていません。

書かれているのは「すべての聖なる者たちに対して抱いている愛」です。神に対する愛でもキリストに対する愛でもなく、人間に対する愛です。そして「すべての聖なる者たち」とは教会です。キリスト者です。人間に対する愛、教会に対する愛、キリスト者に対する愛です。

もちろん、聖書全体の中には、またパウロの手紙の中にも、神に対する愛、キリストに対する愛を教えている個所が、たくさんあります。ですから、わたしは、「パウロは神への愛やキリストへの愛を知らなかった」とか「教えなかった」と言いたいわけでありません。

しかし、です。私が申し上げたいことは、パウロが「信仰」と「希望」と「愛」の三つをワンセットで扱っている個所に限って言えば、「信仰」と「愛」の役割が区別されているというような印象を受けるということです。このことを否定することができません。

「信仰」に関しては、キリストに対する信仰と言われている。「愛」に関しては、「すべての聖なる者たちに対して抱いている愛」と言われている。人間に対する愛、教会に対する愛、キリスト者に対する愛が教えられているのです。

そして、第三に明らかなことは、パウロが書いているとおりのことですが、考えてみるといくらか衝撃を感じるかもしれないことです。それは何か。注目していただきたいのは、コリント一13・2です。

「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」。

ここにはっきりと、「信仰(ピスティス)と、希望(エルピス)と、愛(アガペー)」とまとめて言うときと同じ「信仰」(ピスティス)という字が出てきます。しかし、パウロは「愛」(アガペー)がなければ「信仰」(ピスティス)は「無に等しい」と書いています。

愛がないような信仰には価値がないし、それが存在する意味もない、むなしいだけだ、ということです。あるいは、そもそもそれが「ホンモノの信仰」なのかどうかが疑わしいということです。「ニセモノの信仰ではないか」と疑ってみる必要があるということです。

そして、ここで、先ほど第二に申し上げた点を思い起こしていただきたいと思います。信仰と希望と愛の三つがワンセットで語られている場合に限って言えば、信仰と愛の役割が分けられているように見えるという点です。おそらくこの役割分担が「愛がなければ、信仰はむなしい」という話に結びつくのです。

はっきり言っておきます。「わたしは神さまを愛しています。信仰もあります。しかし人間を愛することはできません。神さまは好きですが、人間は大嫌いです」と語ることは許されていないということです。人間嫌いの告白は許されていないのです。事柄は逆の方向でなければなりません。人間に対する愛がないような信仰には、意味がないのです。

ただし、です。誤解がないように付け加えておきます。それは、わたしは今「信仰などなくても愛さえあればすべてよし」というようなことを申し上げているわけでもないということです。そのように語ることは、わたしたちには無理です。信仰が無くてもよいなら、教会も牧師も要りません。それはわたしたちにとっては、論外の事柄です。

信仰が必要です。これがわたしたちの大前提です。信仰も「いつまでも残る」と、パウロははっきり述べています。

しかし、です。パウロがここで述べていることは、どのように読んでも神さまに対する信仰への強調ではないということも、衝撃を受けることではありますが、事実です。

「キリストに対する信仰」と「すべての聖なる者たちに対する愛」を天秤にかけることは、わたしたちにはできないことです。恐れ多いことのように感じます。しかし、パウロはそれをしているように見えます。天秤にかけた上で「信仰」よりも「愛」のほうが重いと語っています。天秤はつりあっていません。「愛」のほうに傾いています!「信仰と、希望と、愛・・・その中で、最も大いなるものは、愛」なのですから!

このことを、わたしたちはどのように考えたらよいのでしょうか。「希望」はコロサイ1・5を読むかぎり「信仰」と「愛」を支える土台のようなものと考えてよいでしょう。問題は(キリストに対する)「信仰」と(人間、教会、キリスト者に対する)「愛」の関係です。

どちらか一方だけが必要で、もう一方は不必要であるという話には決してなりません。「あれか・これか」ではなく、「あれも・これも」です。両方が必要であり、両方が大切です。両方が「いつまでも残る」ものであり、その意味での“永遠性”をもっています。「信仰」と「愛」は、永遠に輝き続けるのです。

信仰と愛は、時間の中で消え去るとか、だれか・何かの力によって滅ぼされるものではありません。いつか・だれかに取り去られてむなしく終わるというふうには決してならない。それが「希望」です。永遠の希望です。

しかし、本当にそうなのかと、わたしたちの心の中には、いつでも疑問が沸き起こってきます。信仰も愛も、あっという間になくなるではないかと。「信じています」、「愛しています」と言っていた人が、今日は全く正反対のことを言っているというのが現実ではないかと。

そのような疑問が、わたしたちの心にはあります。あってもよいと、私は思います。真剣に疑ったらよいと思います。中途半端にではなく、徹底的に疑うほうがよい。人間の信仰の力も、人間の愛の力も、全くでたらめなものであり、一寸先は闇、行く先は袋小路です。

しかし、だからこそ、というべきです。徹底的に疑ってみること、そして実際に信仰の破れを体験し、愛の挫折と深い心の傷を負ってしまった先にこそ、見えてくるものもあるのです。それは、こうです。パウロが書いている「いつまでも残る」永遠の信仰、永遠の愛、永遠の希望は、わたしたち人間の力によるものではないということです。それは人間の可能性ではない。神御自身の可能性であり、神の恵みの可能性であるということです。

破れて傷つくべきであるとは申しません。申しませんが、じつは大切です。非常に大切です。破れて傷つかなければ分からないことが、わたしたちにはあるからです。

破れて傷ついて、その上でパウロが書いている、信仰も愛も「いつまでも残る」という言葉を読む。そこでわたしたちが気づかなければならないことは、そのような信仰も、そのような愛も、そして希望も、人間の可能性ではなく、神の可能性であるということです。人間にできないことを、神がしてくださるのです!

ここまで申し上げました。しかし、その上で、わたしは、もう一つのことを、付け加えなければならないと感じています。それは何か。

「信仰よりも愛のほうが重い」という言葉を聞きますと、わたしたちの耳にはどうしても、神さまよりも人間のほうが大事であると言われているかのように聞こえてしまう、という問題です。しかし、聖書と教会が教えていることは、人間よりも神さまを大事にしなさい、ということのようでもある。二つのことは、何となく矛盾していることかのように感じられるかもしれないのです。

しかし、あまり複雑に考えないでください。二つのことは単純に両立すると信じてください。二つの関係の仕組みはどうなっているかを説明することはものすごく難しいことですが、とにかく両者は両立するということを、単純に受け入れていただきたいと願っています。

神と人間、信仰と愛、教会と社会、日曜日とウィークデー。これらのことがわたしたちにとって「あれか・これか」であるはずがない。「あれも・これも」両方を同時に大切に持つことが重要なのです。

それでも、納得できない方もおられるでしょうから、一つの点だけ解決の道筋を申し上げておきます。それは、私がこれまでも何度となく繰り返し強調してきた点です。

考えていただきたいことは、神さまの目線は、どちらの方向を向いているのか、です。神さまは自己愛がとても強い方である。「鏡よ、鏡よ、鏡さん。世界でいちばん美しいのはだあれ」と言いながら、いつも自分の美しい姿を鏡に映して、うっとりしているような方である、ということなのか。

それとも、神さまは、御自身の姿などには、じつは全く関心がないお方ではないのか。御自身が創造されたこの世界とわたしたち人間の姿ばかりのほうに関心をお持ちになっている方ではないのか。

神さまは、わたしたち人間とこの世界のほうにばかり関心をもっておられ、いつも心配しておられる。わたしたちの身に何か起これば、すぐに飛んできてくださり、助けてくださり、(御子の)命をかけて救ってくださり、愛してくださるお方ではないのか。そのような方こそが神さまではないのか。

このあたりのことを考えていただくと、解決の道が見えるのではないかと思います。

わたしたちは神さまに関心を持ち、神さまを見上げ、神さまを信じなくてはなりません。しかしそのわたしたちの神さま御自身は、わたしたち人間とこの世界とに関心を持ってくださり、わたしたちをいつも見守ってくださり、わたしたちを信頼してくださっているのです。

そうすると、事柄がぐるっと戻ってくるではありませんか。わたしたちは、わたしたちに関心をもってくださっている神さまに関心をもたなければなりません。しかし、このわたしが神さまに関心をもつということが同時に意味していることは、神さまがもっておられる関心事(人間と世界!)に、このわたし自身が関心を持つ、ということでもあるのです!

わたし自身、牧師として多くの反省があります。

仕事で忙しいと感じるとき、家族の顔が見えていないことがある。

子どもの姿が見えていないことがある。

共に生きている人々に対する愛を見失うような信仰、家族を見殺しにするような信仰になってはいないか。

どこかに間違いがあるのではないか。

一年の終わりの日、新しい年を迎える直前に、わたし自身の強い反省を込めてそのように問うておきたいと思います。

(2006年12月31日、松戸小金原教会主日礼拝)