2007年1月2日火曜日

W. フェアボーム著『壊れた教会の信仰告白 ドルト教理規準の前史と神学』(Boekencentrum、2005年)

Aart Nederveen (関口 康訳)

別の結末もありえた。それがファン・デュールセンの歴史小説『多幸な重荷』(De last van veel geluk)の読了後、私に与えられた印象だった。オランダの歴史においては、そのとき歴史が別の方向に転がることもありえた多くの瞬間があると思える。フェアボームが著したドルト教理規準についての書物を読んだときにも同じことを感じた。

後にエスカレートしていくことになる、アルミニウスとホマルスというライデン大学教授同士の予定論についての論争は、はじめは些細なものだった。彼らの見解の相違はライデン大学内に限定されたものだった。1605年にホマルスとアルミニウスは和解した。教理の土台においては両者の間に見解の相違はないことを認め合った(p. 51)。

ところがその後、間違いが起こった。教会と政府が教説上の見解の相違に干渉した。国論が二分し、ホマルスとアルミニウスの仲もうまく行かなくなった。フェアボームはこの論争がドルト大会の会期中にどのように解決されたかを広い歴史的視野の中で見る。レモンストラント派は解雇され、彼らの教説は糾弾された。

ところが反レモンストラント派の勝利は、自明のことではなかった。顕著な事実は、1606年にはすでに国民大会(nationale synode)の組織化が話題になっていたことである。フェアボームは、もしその国民大会が先に行われたとしたらこの論争には別の結末もありえたことを示唆している(p. 255)。

さらにオランダ政府とその強力な法律顧問であったファン・オルデンバルネフェルトがレモンストラント派の味方であったという事実がある。1615年頃には、四つの中会(ホラント、ユトレヒト、オーフェルエイセル、ヘルダーラント)までもが、レモンストラント派に味方していた。ドルト大会の会期中にマウリッツの干渉によって反レモンストラント派に有利な流れが起こった。しかし、それでもなお、いろんな国の代表議員たちが、レモンストラント派の立場にしばしば接近したのである(p. 206)。

フェアボームがこれまでに出版してきた信仰告白に関する書物の注意深い読者たちは、フェアボームがドルト教理規準の内容に困難を覚えていることに気づくであろう。しかし、それは、本書を書くことについてのフェアボームの勇気を示している。彼は、現代の読者たちがドルト教理規準に抱いているいろんな疑問に答えを与えようとしているのである。

この点は必要である。なぜなら、われわれの改革派の父祖たちの論争は簡単に結論を出せるようなものではないからである。 宗教改革的諸信仰告白を信頼している人々であっても、ある部分については、繰り返して読まなければならない。フェアボームは読者たちが初期や後期の論争騒ぎの中のさまざまな微妙なニュアンスや細部の事柄を全く安易に見失っていることを知っている。

フェアボームは、ドルト教理規準は選びと遺棄をシンメトリーなものとしては見ていないことを確信している (p. 218)。神は選びの原因ではある。しかし遺棄においては神と同時に人間も役割を果たすのである。神はある人々を、彼ら自身が自らをその中に投げ込んだ悲惨の中に放置し、この人々を彼らの不信仰ゆえに呪うのである(第一命題15)。ドルト教理規準は、ここかしこで他の信仰告白諸文書よりも「より広い」立場を採っていることさえ明白である。たとえば、ハイデルベルク信仰問答が人間について「どのような善に対しても全く無能で、あらゆる悪に傾いている」(問8)と語っているところで、ドルト教理規準は「人間とはどのような祝福に満ちた善に対しても無能で、悪を好む」と、より微妙な言い方をしているのである。

フェアボームは、ドルト教理規準が語る永遠の遺棄に関する点については、距離を置いている(p. 221)。もし神の人が永遠に遺棄されるならば、人が信仰に至る現実的可能性は存在しないことになる。そのような永遠の決定を人類の歴史は真面目に受け取ることができるだろうか。フェアボームはこの点に疑いを持っている。

また、永遠の遺棄は聖書からストレートに読み出すことはできないと感じている。フェアボームは時間における遺棄、すなわち「神は神を遺棄した者たちのみを遺棄する」ということのみを語りたいと願っている。フェアボームは永遠の遺棄についてのこのような拒否を宗教改革者ブリンガー、またコールブルッヘ、ヴェールデリンク、フラーフラントなど後期の改革派神学者たちの足跡の中に見ている。

フェアボーム自身の良い意図を疑うつもりはない。しかし、わたしはこの神学的選択は本当に必要かと自問する。永遠の遺棄は聖書の中には見いだされないというフェアボームの反論は、なるほどたしかに影響力の大きい発言ではある。しかしそうであると決めつけることもできない。もしそれを言うならば、二重予定論も、また教会の他のいくつかの教義も、聖書的基本線において正しい判断を行うための思想的枠組みを提供しうるものではあるが、聖書の中に文字どおり出てくるわけではないという点で同じでありうるだろう。

『真理の友』(Waarheidvriend)誌の書評において、ドルト教理規準のなかでは運命決定論は全く話題になっていないと主張しているのは、ユトレヒト大学の教会史教授ファン・アッセルトである。神の予定(と遺棄)は、人間の自由や責任の面と同時に主張することができる事柄である。ファン・アッセルトは、そのことについての哲学的な分析が必要であると見ている。この点は、ホマルスと彼の支持者たちも考えたことである。ファン・アッセルトが多くの科学的な正しさを彼の側にもっているとしても、私は驚きはしないだろう。

しかし、ファン・アッセルトが主張していることは、フェアボームが二重予定論に関して主張している反論とは全く別の点である。私の印象では、フェアボームは予定論が過去数百年間の信仰生活において果たしてきた役割に困難を覚えているのである。フラーフラントは、改革派敬虔主義の歴史における予定論の悲劇を無駄に語ったのではないのである。

フェアボームは「重い影」(p. 271)について語る。フラーフラントは、二重予定論によって引き起こされうる信仰の確かさの類型化を目指した。真剣に問いたいことは、このような二重予定論の不毛な影響史(Wirkungsgeschichte)をドルト教理規準の神学的内容と関係づける必要があるのだろうか、ということである。

この問いへの答えを見いだそうとするとき、フェアボームは、ファン・ルーラーが予定論について有名な論文「ウルトラ改革派とリベラル派」(Ultra-gereformeerd en vrijzinnig)の中に書いたことを、今なお考慮に加えることができるであろう。実際、本書においてフェアボームは最近の神学者たちがドルト教理規準について書いていることを―これまでの著作よりも―ほとんど取り上げていない。

ファン・ルーラーは、二重予定を経験的なものと呼ぶことを恐れない。ある人々は聖書的証言に固く留まることにおいて急いでよりよく知る者になり、他の人々は子供の頃から何も語ろうとしないということを、他に何と言いうるのだろうか。この問いに対する改革派の答えは、信仰も不信仰も神の外側で生じるものではないということである。しかし、ファン・ルーラーは二重予定論を論理体系の土台にすることに対しては警告を発する。教義学においては、一つの主題が固有の出発点として機能するということは、ありえないことである。

さらにファン・ルーラーは、教義学が人生を決定するわけではない、とも述べている。予定は「生ける存在と宣べ伝えられた福音」の現実において実行される。ファン・ルーラーがノールドマンスと頓着なく付き合えるのは、神が御自身の永遠の御心を決意されるのはいちばん最後の瞬間である、ということに賛成する点である。それは内容的にはフェアボームが「神は神を棄てた者を棄てる」と述べていることに近い。ファン・ルーラーの論法は緊張を強いるものであり、批判を受けやすいものである。しかし、ファン・ルーラーの線は、フェアボームの論法よりは神学的に力強さがあるように、私には思われる。

これらの問いは、フェアボームが新しく美しい書物に書いたのとは別の話である。 しかし、本書は第二巻を要求している。第一巻においてフェアボームは、どの主題の場合も、彼が信仰告白と彼独自の立場への反応とに傾聴したことに対する最も新しい神学的な立場と素描の展望を与えている。これらはドルト教理規準の核心的テーマを扱うのにふさわしい方法である。

原文は以下URL
http://www.wapenveldonline.nl/viewArt.php?art=644