2005年8月28日日曜日

多忙な日々の中で気づくべきこと

ルカによる福音書10・38~42


本日は、ひたちなか教会の皆さまと共に礼拝をささげることができますことを心より感謝いたします。


わたしがこの場所に参りますのは三回目です。最初は長谷部牧師の葬儀です。二回目は李康憲(イカンファン)牧師の就職式です。そして本日です。


何と申すべきでしょうか。ひたちなか教会の皆さまは、この数年の間、激動の中を過ごしてこられたのだと思います。


事情を知らない者が申し上げることができることは何もありませんが、ただ遠くからお祈りしておりました。


そして今日、良い機会を与えられ、皆さまにお目にかかることができると知ったときは、たいへんうれしく思い、この日を心待ちにしておりました。


この礼拝は、すぐに終わってしまいます。しかし、どうかこれからも、末永いお交わりをいただきたく、よろしくお願いいたします。


さて、先ほどお開きいただきましたのは、新約聖書・ルカによる福音書の中ではよく知られた有名な個所です。今日は、この個所を共に学んでいきたいと願っております。


この個所に最初に登場しますのは、イエスさまと弟子たちの一行です。旅行中でした。その一行が、ある村(おそらくベタニア村)にお入りになりました。


その村で一人の女性に出会いました。そして彼女の家に迎えられることになりました。


その女性の名前はマルタでした。その家にはマルタの妹であるマリアもいました。さらに、ここには出てきませんが、この姉妹には、ラザロという名前の弟が、一人いました。


イエスさまは、この兄弟のことを、以前から知っておられたようです。


「長旅、お疲れさまです。ぜひゆっくりお休みになってください。」


「お久しぶりです。ご家族の皆さまは、お元気ですか。」


このような挨拶が、交わされたのではないでしょうか。


そして姉のマルタは、イエスさまのお顔を拝見した瞬間から一種の“戦闘モード”に入ったようです。


さあ、たいへんだ。イエスさまが来てくださった。失礼など絶対にあってはならない。最高のおもてなしをしなくてはならない。そんなふうに考えたに違いありません。


そしてマルタは、まさにトップスピードで忙しく立ち回り始めました。「マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていた」と書いてあるとおりです。


「いろいろのもてなし」とあります。食事の準備を指していると思われます。ユダヤ人のご馳走は、どんなものでしょうか。肉・野菜・果物、煮物・焼物などいろいろあったでしょう。


わたしたちにも同じようなことがあるでしょう。


急に大切なお客さんが来る。大急ぎで、部屋の掃除。子どもたちが散らかした(!)部屋の掃除。


そして近くの八百屋に買い物。帰ってくると、右手で料理をしながら、左手でテーブルを整え、椅子を並べ、お皿を並べる、などなど。


しなければならないことは、山ほどあります。


目の前におられるのはイエスさまなのですから。最高のおもてなしをしなくてはならない。マルタには、まさに一つの至上命令が下っていたのです。


それで、すっかり戦闘モード。鼻息荒く、目は少し血走っている。


なぜそんなふうに言えるのかといいますと、もちろん根拠があります。二つほどあります。


第一は、そのマルタが、自分のことを手伝ってくれない妹マリアに対して、怒りをむき出しにし、さらにそのことをイエスさまに告げ口していることです。


第二の根拠は、マルタがその怒りを、マリアに対してだけではなく、大切なお客さまであるイエスさまご自身に対してもぶつけているということです。


マルタは明らかに、イエスさまに対しても怒っています。そのように間違いなく語ることができます。マルタはイエスさまに対して、次のように言っています。


「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」


わたしは、このマルタの言葉の中に、彼女の思いの中にある二つの側面を読み取りたいと願っています。


その第一は“怒り”の側面です。そして、第二は“焦り”の側面です。


まず最初に、“怒り”の側面を、読み取ってみたいと思います。


それがよく表われているのは、マルタがマリアを「わたしの姉妹」と呼んでいる点と、「わたしだけにもてなしをさせている」と言っている点です。


マルタがマリアを「わたしの姉妹」と呼んでいることでわたしに思い出されるのは、旧約聖書・創世記4章のカインとアベルの個所です。人類最初の殺人事件です。


弟アベルを殺してしまったカインに神さまが「お前の弟アベルは、どこにいるのか」とお尋ねになったところ、カインは、「知りません。わたしは弟の番人でしょうか」と答えます。


「弟の」とカインは言い、「アベルの」とは言いません。名前を呼ぶことができないのです。


わたしたちにも、同じようなことがあると思います。


いま腹が立っている相手がいて、しかし、その相手のことを話題にしなければならないとき、その人の名前を口にすることができません。名前を言わず、「妹が!」とか「牧師が!」とか言うのです。


またマルタとマリアの場合、ただ名前を口にすることができないというだけではなく、やはり、姉と妹という、ある種の上下関係があることを無視できません。


マルタにとってマリアは妹である。どちらが上で、どちらが下かは、はっきりしている。


それなのに、わたしマルタのほうがまるで奴隷のように動き回っていて、妹は静かにお座りになっておられる。立場が逆ではないのかと、マルタは言いたいのです。


しかも、マルタは、この怒りを直接マリアにぶつけているのではなく、イエスさまに言う。イエスさまに言いながら、その目の前に座っているマリアにも間接的に伝えようとしています。


妹とは向き合いたくない。口を聞くのも嫌だ、という気持ちがあるのかもしれません。


また、もう一つの点ですが、マルタがイエスさまの前で、マリアは「わたしだけにもてなしをさせている」と言っているところも、マルタが怒っている、何よりの証拠です。


「わたしだけにもてなしをさせている」とは、言い方を換えると、「わたしだけがもてなしをさせられている」ということでしょう。


考えてもみてください。


いつ、だれが、マルタに「もてなしをさせた」のでしょうか。マリアがマルタは「させられた」ので嫌々ながら、もてなしていたのでしょうか。自発的に喜んでしていたのではないのでしょうか。


しかも、そういうことをマルタは、大切なお客さまであるイエスさまの前でズケズケと言い始めています。心の中がかなり混乱している様子が、分かります。


しかしまた、わたしはこのマルタの言葉には、もう一つの見逃せない側面があると考えております。それは“焦り”の側面です。


この側面が見逃せないと、なぜそのようにわたしが考えているかと申しますと、この面については、マルタに対してわたしたちが相当の部分で同情に値するところがある、と感じるからです。


マルタは、明らかに非常に焦っていました。それが、彼女の言葉の中に非常によく表われています。


「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」


マルタが、これほどまでに腹を立てた理由の、少なくとも一つとして考えられることがあります。


それは、ひとことでいいますと、マルタとしては、大切なお客さまとしてイエスさまをお迎えできたことに対するもてなしの準備を、一刻も早く終わらせたかったのです。


その気持ちが表われているのが、「わたしだけに」という言葉です。


もしここで、「わたしだけ」ではなく、一人だけではなく、せめてもう一人、手伝ってくれる人がいれば、今わたしがしている仕事は、半分の時間で済むのに、と。


今の仕事を半分の時間で済ませることができたなら、そうすれば、わたしもまたイエスさまのみそばに駆けつけて、心静かに、御言葉に耳を傾けることができるのに、と。


おそらくマルタの思いは、ただ仕事を早く終わらせたいだけなのです。その意味で、彼女はまさに焦っているのです。


これはとてもよく分かる話であり、また、十分に同情に値する話です。


たとえば、これは、家庭や職場や教会に当てはまる話です。


特定の人だけが苦労して、他の人が楽をしている。重荷を負っている人々が極端に偏っている。みんなで力を合わせれば、早く済ませられる仕事なのに、協力しないので、いつまでも終わらない。


しかし、です。マルタがイエスさまにガミガミとまくし立てていることには、やはり、かなりの部分、行き過ぎがあるといわざるをえません。


このマルタに対するイエスさまのお答えは、次のようなものでした。


「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」


ここでイエスさまは明らかに、マルタの怒りを抑制するような、忠告するような口調で語っておられるます。ただし、それだけではありません。


まず一つの点として言いうることは、「マルタ、マルタ」と、マルタの名前を二回繰り返して読んでおられるのは愛情表現である、ということです。マルタの心を落ち着かせるために、愛情をこめて、二度、名前を呼んでおられるのです。


またもう一つの点として言いうることは、「必要なことはただ一つだけである」というイエスさまのお言葉も、多くの仕事を抱えて呻いていたマルタのことを冷たく裁くことが目的であるだけの言葉ではありえない、ということです。


いくらなんでも、です。イエスさまともあろうお方が、マルタに対して、多くのことを抱えているあなたのしていることは不必要であり、無駄であるなどと、そんな冷たいことをおっしゃるはずがないでしょう。


イエスさまが、そんなことをおっしゃるかどうかを考えてみれば、すぐ分かることだと思います。


そうではない。そうではないのです。


そうではないのだけれども、しかし・・・、というわけです。


少し落ち着きなさい。忙しいときにこそ、必要なこと、最も大切なことは何かをよく思い起こしなさい、ということを、イエスさまはマルタに求めておられるのです。


それは、次のようなことです。


あなたが最高のおもてなしをしようとしている相手の顔をよく見なさい、ということです。


その方の言葉をよく聞きなさい、ということです。


マルタがマリアに求めていることの意味をよく考えてみていただきたいと思います。


それは、最初から意図的にではないと思いますが、結果的・無意識的に「イエスさまの御言葉を聞くのは、後回しにしなさい。そんなヒマがあるくらいなら、わたしの仕事を手伝いなさい」という意味になってしまっています。


わたしがかつて田舎のほうの教会で働いていましたとき、ご近所の方から「毎週毎週、教会ナンカに通える人は、ヒマでよろしいですねえ」と皮肉を言われたことがあります。


わたしは、むきになって反論したりはしませんでした。とはいえ、もちろん、はっきり言いたいことがなかったわけではありません。


わたしたちは何も、ヒマだから教会に通っているわけではありません。


神さまの御言葉を聞くことが、わたしたちの人生において、他の何ものにも換えがたい、かけがえのないことであるゆえに、わたしたちは毎週、教会に通っているのです。


わたしたちから教会を、礼拝を、そして神の御言葉を取り去ることは、だれにもできないのです。


多忙さえも、わたしたちが神の御言葉、イエス・キリストの御言葉を聞かなくてよい理由にはなりません。


仕事が忙しいから礼拝を欠席するということは、現実には十分ありえますし、仕方がない面が、もちろんあります。


しかし、その理由を自分に与えすぎているうちに、わたしたちは、いつの間にか「ヒマだから教会に通っている。ヒマがないから教会に通えない」という話をしているのと同じことになるのです。


わたしたちは、このあたりで思い違いをしてはならないのです。


ここまでにいたします。


ひたちなか教会の皆さまがこれからも、ますます成長し、発展して行かれますよう、心からお祈りしております。


(2005年8月28日、ひたちなか伝道所主日礼拝)


2005年8月21日日曜日

マルタとマリア

ルカによる福音書10・38~42


「一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。」


イエスさまが「ある村」にお入りになりました。その村にはマルタとマリアという姉妹がいました。


村の名前は記されていません。しかし、おそらくベタニア村ではないかと思われます。ヨハネによる福音書11・1に「マリアとその姉妹マルタの村、ベタニア」(ヨハネ11・1)と書かれています。この姉妹には、ラザロという名の弟もいました。


ベタニア村はエルサレムのすぐ近くです。イエスさまが伝道の最初の拠点をそこに置かれたガリラヤ地方からは、歩けば、遠いところです。その意味で、イエスさまたちは旅の途中であった、と語ることができると思います。


また、イエスさまはマルタとマリアのことをよく知っておられたようです。少なくとも初対面ではなかったようです。このことについてもヨハネによる福音書が参考になります。「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた」(ヨハネ11・5)と記されています。


とはいえ、マルタとマリアにとって、イエスさまが自分たちの家に来てくださったことが一大事件であったことは、間違いありません。


わたしたちだって、そうでしょう。自分の家に大切なお客さまが来られるというのは、いずれにせよ一大事件です。部屋を片付けて、とか、お土産も買いに行かなきゃ、とか、お茶やお菓子や食事を準備して、など。けっこうたいへんです。


ところが、です。


自分の家に、大切なお客さまとして、イエスさまが来てくださった、というこの一大事が起こったときに、なんということでしょうか、この二人の姉妹の対応が、ほとんど百八十度といってよいほどに、全く違っていた、というのが、今日の個所のポイントです。


最初に紹介されるのは、妹マリアの側の対応です。


「マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。」


ある牧師が説教で、「妹マリアには座り癖がありました」と説明されたことが、いまだに忘れられません。いくらなんでも、それはないよなーと、マリアに同情しました。


マリアは、イエスさまのお語りになる御言葉に、耳を傾けていた。ただそれだけです。おそらく、マリアは、そのようにすることこそが、イエスさまに対して歓迎の意を表わす、最もふさわしい態度である、と考えたのです。


あるいは、もう一つ、思い当たることがあります。マリアは、とにかく、御言葉に飢え乾いていたのではないでしょうか。これは、もちろん、想像にすぎません。


おそらく彼女たちは、毎週の安息日には、近くの会堂に出かけて、祭司や律法学者たちから、聖書の御言葉を学んでいたに違いありません。


しかし、どこか腑に落ちないところがある、と感じていた。


そんなときに、です。イエスさまが自分の家に来てくださったのです。真実の御言葉、納得の行く御言葉を携えて。


そのような絶好の機会は、もう二度と訪れないかもしれないわけです。


そこで、マリアは、イエスさま御自身がお語りになる御言葉を、少しも漏らさず聞いておきたい、と願ったのではないでしょうか。


ところが、です。マリアが示したこの態度に、大いに不満を抱いた人がいました。姉のマルタです。


「マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。『主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。』」


マルタがしていた「いろいろのもてなし」は、食事の準備であったと考えることができます。「もてなし」という言葉には食事の準備という意味がある、と解説されていました。


ともかく、マルタは、非常にバタバタしていました。そして、だんだん腹が立ってきました。


何に腹を立てたのかと言いますと、いちばん腹が立ったことが、妹マリアが自分のことを手伝ってくれない、ということに、でした。


そして、次に腹を立てたのは、間違いなく、イエスさまに対して、です。


マルタは、不満のはけ口を、イエスさまに向けています。


「主よ、何ともお思いになりませんか」と語っているときの彼女の本心は、「イエスさまは、このわたしの忙しくしている姿をご覧になっても、何ともお思いになっておられないようですね」ということでしょう。


「手伝ってくれるようにおっしゃってください」とは、間違いなく、「イエスさまは何もおっしゃってくださらない」という不満の裏返しです。


マルタは、明らかに、イエスさまに腹を立てているのです。


これは、よく分かる話です。マルタの言い分は、十分に理解できます。実際、こういうことで不満を感じる人が、家庭にも、教会にも、どの時代にも、いるのだと思います。


そして、この種の不満は、ある意味で、十分に語られ、また十分に聞かれなければならないものであると、わたしは思います。


今の時代に「炊事は女性の仕事です」などと言いますと、本当に、激しく叱られます。叱られて当然です。そのような役割分担の考え方は、全く時代遅れになっています。


とは言いましても、現実的には、それを男がするか女がするかはともかく、また炊事だけに限ったことではありませんが、そのような役割分担が厳然と存在するということ自体は、否定できないことでしょう。


炊事にせよ、何にせよ、「だれかがしなければならないこと」というのがあるのです。それをだれかがしなければ、現実に物事は回っていかないのです。


その意味で、マルタは、妹マリアが自分の仕事を全く手伝ってくれない分、仕方なく、損な役回りを引き受けざるをえなかったのです。


そういうふうに、わたしたちは、マルタの立場を、よく理解する必要があるでしょう。


たとえば、です。「マルタは、イエスさまの御言葉には全く興味がなかったのです」などというような読み方をしてしまうことは、マルタに対して失礼ですし、またそれは非常に大きな誤解なのだと思います。


そんなことはないのです。マルタだって、マリアのように、イエスさまの御言葉を聞きたかったに違いありません。


でも、イエスさまのおもてなしも、しなくてならない。マリアのほうは、さっさと台所から出て行って、イエスさまの前に座り込んでしまった。だから、仕方なく、自分がしなくてならなくなった。


それなのに、イエスさままで、わたしのことを無視しておられる。さびしい。悔しい。


そういう気持ちをマルタが持っていたに違いない、と理解することが大切です。


「主はお答えになった。『マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。』」


このお答えの中で、まず注目していただきたいのは、「マルタ、マルタ」と二回続けて、マルタの名前を呼んでおられるところです。


これは、イエスさまのマルタに対する愛情表現である、と言われています。マルタの心をなだめ、落ち着かせるために、二度、名前を呼ばれたのです。


ここではっきり申し上げることができるのは、このときイエスさまは、マルタを叱っておられるわけでも、責めておられるわけでも、裁いておられるわけでもない、ということです。


しかしまた、マルタの今の心の中にあるものを、イエスさまは、見抜いておられます。あなたは多くのことに思い悩み、心を乱していると。イライラしないで、落ち着きなさいと、イエスさまは、言っておられるのです。


「『しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。』」


これは、もしかしたら、マルタにとっては大きなショックを感じる言葉だったかもしれません。


「必要なことはただ一つ」とある「ただ一つ」とは、この前に出てくる、マルタが思い悩んでいた「多くのこと」との対比で理解しうる言葉です。必要なことは、たくさんではなく一つである、という意味が、たしかに含まれている、ということです。


ということは、マルタがバタバタ忙しくしてきたことは全く不必要なことだったのだ、と言われた、というふうに、マルタが感じたかもしれません。


イエスさまから不必要だと言われてしまうようなことのために、バタバタし、イライラし、大切なお客さまであるイエスさまにまで文句を言わなくてはならないほどに追い詰められたわたしは、今まで一体、何をしてきたのだろうかと、ショックを受けてしまったかもしれません。


しかし、ここは、どうか冷静に・・・と、マルタにお願いしたくなる場面です。


「必要なことはただ一つだけである」と言われているイエスさまの御言葉の真意を理解する必要があるでしょう。


最初にはっきり申し上げたいことは、先ほども申し上げましたとおり、イエスさまは、マルタのことを叱ったり、責めたり、裁いておられるわけではない、ということです。


第二は、イエスさまが「必要なことはただ一つだけ」と語っておられる意図は、必要な「一つ」のほうを選んだマリアをほめた上で、その返す刀で、不必要な「多くのこと」に悩まされていたマルタを切り捨てておられる、というような単純な話ではない、ということです。


第三に申し上げたいことは、イエスさまが語っておられる「必要なことはただ一つだけである」という御言葉は、マルタ自身もよく分かっていたはずのことを、イエスさまが、マルタ自身に確認しておられることである、ということです。


それは、イエスさまがマルタとマリアの家をお訪ねになった目的は何なのか、ということです。


このときのイエスさまのお気持ちは、わたしがこのようにあなたがたの家に来た目的は、ご飯を食べさせてもらうためではありませんよ、あなたがたに御言葉を伝えるためですよ、ということではなかったでしょうか。


マルタよ、そのことは、あなたもよく分かっているはずですよ、ということではなかったでしょうか。


ですから、「必要なこと」とは、イエスさまが、彼女たちに願っておられたことです。


わたしの言葉を聞きなさい、ということです。


マリアは、今、それをしているのだから、それを取り上げてはなりません、ということです。


話は、ここで終わっています。ですから、この先の話は、ただの想像です。


その家にイエスさまがおられる間は、マルタも、お話を聞くことができます。


イエスさまは、マルタに「早く、今していることを済ませて、わたしの話を聞きに来なさい」とおっしゃりたかったのではないでしょうか。


(2005年8月21日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年8月7日日曜日

善いサマリア人

ルカによる福音書10・25~37


今日の個所に記されているのは、イエス・キリスト御自身が語られた、有名なたとえ話の一つです。


イエスさまは、このたとえ話を通して、わたしたちに、何を教えようとしておられるのでしょうか。そのことを考えながら読んで行きたいと思います。


ルカは、まず、イエスさまがこのたとえ話を語られた状況はどのようなものであったかを明らかにすることから始めています。


「すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。『先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。』」


「ある律法の専門家」とは、いわゆる律法学者のことです。聖書のみことばを研究する、ユダヤ教の神学者のことです。


その人がイエスさまに、試験問題を出しました。「試す」とは、試験することです。その問題は、永遠の命を受け継ぐ方法は何か、というものでした。


ところが、です。イエスさまは彼の質問にお答えにならず、逆にイエスさまのほうから質問し返されました。質問するのは、あなたではなく、わたしであると、言われたいかのようです。


「イエスが、『律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか』と言われると、彼は『「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」とあります。』イエスは言われた。『正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。』しかし、彼は自分を正当化しようとして、『では、わたしの隣人とはだれですか』と言った。」


なぜ、彼は「自分を正当化」しなければならなかったのでしょうか。この点をどう理解するかが、今日のポイントです。


それは、次のように説明できると思われます。


この律法学者がイエスさまの問いかけに応じて引き合いに出した二つの戒めは、聖書にはそう書いてある、と言っているだけです。


しかし、この二つの戒め自体は、彼自身にとっては、永遠の命を受け継ぐ方法ではなかったのです。


そうではなくて、むしろ、彼自身の答えは、この二つの戒めのうちの一つ、すなわち、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という戒めのほうだけを選ぶことだったのです。


「神を愛しなさい」という戒めは、言うならば、宗教的熱心が問われることです。これに対して、「隣人を愛しなさい」という戒めは、一種の博愛主義が問われることです。


律法学者は、この二つの戒めは必ずしも両立するものではない、と考えていたのです。答えは、どちらか一つなのだと。


そして、彼自身は、律法の専門家、宗教の専門家、ユダヤ教の神学者として、「神を愛しなさい」という戒めこそが、永遠の命を受け継ぐ方法である、という答えを持っていたのです。これは、ある意味で、当然のことと言えるでしょう。


ところが、です。イエスさまの答えは、この律法学者自身が期待したものとは、大きく異なっていたのです。だからこそ、彼は「自分を正当化」しなくてはならなくなりました。


イエスさまの答えは、「あなたの隣人を愛しなさい」という戒めのほうも、守らなくてはならない、ということであった。それで、律法学者は困ってしまったのです。


「神を愛すること」と「隣人を愛すること」、すなわち、宗教的熱心と博愛主義とは必ずしも両立するものではないと、この律法学者が考えていたに違いない、という点につきましては、さらに説明が必要でしょう。


しかし、その説明は、このたとえ話をご説明させていただく中で、することができると思いますので、今は触れないでおきます。


「イエスはお答えになった。『ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。』」


このたとえ話の中に出てくる「ある人」が置かれていた状況は、「エルサレムからエリコへ下って行く途中」でした。


この人がエルサレムで何をしていたのかということについては、何も語られていません。ただ一つ、思い当たることは、やはり、エルサレムには神殿があり、そこで行われていた礼拝に出席していた人ではないか、ということです。


そして、その後、当然、自分の家に帰ろうとしていた。ところが、その帰り道で、追いはぎに遭ってしまった、ということではないか、ということです。


彼は、半殺しの目にあい、自分の力では動くことができない状態で、道端に放置されてしまいました。


ところが、です。そこで登場するのが「ある祭司」です。宗教の専門家です。その祭司が、彼を見つけましたが、道の向こう側を通って行ってしまったのです。


この祭司についても、「その道を下って来た」とあります。つまり、それは、エルサレムからエリコに向かう下り道です。これで分かることは、この祭司も、たしかにエルサレムにいた、ということです。


この祭司も、エルサレム神殿で行われていた礼拝に参加していたのではないでしょうか。ただし、祭司の場合は、礼拝を司る側として、聖職者として、宗教の専門家として、です。


そのような人が、なぜ、目の前にいる、半殺しにされて、道端に放置されている人を、見殺しにしたのでしょうか。「道の向こう側」を通って行ったのでしょうか。


彼の気持ちを見抜くためのヒントは、やはり、この祭司が「エルサレムからの下り道」を歩いていた、という点にあると思われます。


祭司の仕事は、神殿での奉仕です。宗教の仕事です。彼は、自分のなすべき仕事は十分果たした、と感じていた。心も、体も、ぐったりと疲れていたのではないでしょうか。


そういうときに、です。この祭司は、自分にはもはや、通りがかりに出会った、たしかに困っているようだが、全く見知らぬ赤の他人を、助け起こすことができるだけの、気力も体力も残っていない、と感じたのではないでしょうか。


だから、道の向こう側を通って行った。つまり、ここでイエスさまが問題にされていることは、宗教の専門家である祭司が行うべき仕事の“質”というよりも、むしろ“量”であると思われます。


たとえ祭司であっても、です。一人の生身の人間であり、彼のこなしうる仕事の量には、限界がある。だからこそ、彼は、自分の限界を越えたわざを避けて通ろうとした。それで、半殺しの目にあっている人を、見殺しにしてしまったのではないでしょうか。


祭司の次に通りかかった「レビ人」も、道の向こう側を通って行ってしまいました。


レビ人の仕事は、神殿において祭司の仕事を助けることです。ですから、彼らについても、祭司と同じことを考えることができると思われます。


レビ人たちも、自分の仕事に疲れていたのではないでしょうか。だから、通りがかりに出会った、困っている人を助けるだけの、気力も体力も残っていなかった。


これは、わたしたちにとって、とてもよく分かる話であると思います。


ここでこそ、先ほど触れました問題を思い起こしていただくのがふさわしいと思います。


それは、イエスさまに試験問題を出した律法の専門家が、「神を愛しなさい」という戒めと「隣人を愛しなさい」という戒めの二つを引き合いに出した。しかし、最も大事な戒めはどちらか一つであって、両方ではない、と考えていたのではないか、という問題です。


彼が「自分を正当化」しようとしたことの理由を、イエスさまは、はっきりと見抜いておられたに違いありません。


今、あなたが考えていることは、まさに、今、わたしが語っているたとえ話に出てくるこの祭司やレビ人と同じではないか、ということです。


宗教の専門家たちは、「神を愛すること」、すなわち、宗教の事柄が大切であると考える。そのことは、もちろん、そのとおりである。


しかし、だからと言って、そのあなたがたが「隣人を愛すること」を軽んじてよいかというと、そんなことはありえない。


気力や体力の限界など、言い訳にならない。


そのことを、イエスさまは、教えておられるのです。


「『ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。』律法の専門家は言った。『その人を助けた人です。』そこで、イエスは言われた。『行って、あなたも同じようにしなさい。』」


「サマリア人」とは、当時のユダヤ人たちが忌み嫌っていた民族の名前です。ですから、イエスさまの意図は、「たとえサマリア人であっても」ということです。


あなたがたが最も嫌っているサマリア人であっても、もしこういうふうに、通りがかりに出会った、困っている人を助けることができる人がいるならば、です。


道の向こう側を通って行こうとするあなたがたよりも、はるかに優れているではないか。そのように、イエスさまは、おっしゃりたいのです。


実際、たとえば、このたとえ話は、わたし自身にとっても、たいへん耳が痛い、いえ、耳だけではなく、頭も、お腹も、痛くなるような話です。


毎週日曜日の夜、わたしは、いくらか不機嫌な顔をしています。そのことを、わたしの家族は、よく知っております。はた迷惑で申し訳ないと思いながらも、家族の前で不機嫌な顔をしているわたしがいます。


気力と体力の限界を痛感させられます。


日曜日は、牧師が最も不機嫌でありうる日でもあるのです。


しかし、だからといって、その牧師が、たとえ日曜日の夜であっても、です。


家族や友人たち、また助けを求めてくる人々のことを拒んでもよい、と言いうる理由は、ありません。


もちろん、これは、牧師だけの話ではないでしょう。


皆さんの中にも教会と仕事、また教会と家庭の両立、というような問題に悩んでいる方々がおられるはずです。実際、教会が皆さんの家庭にたいへんなご負担をおかけしているのではないかと、心苦しく思うことが、しばしばあります。


しかし、です。わたしたちは、「神を愛すること」と「隣人を愛すること」とを両立させなければなりません。そのように、イエスさまが命じておられるからです。


そうなると、わたしたちには、他の人々よりも、二倍の気力、二倍の体力、二倍の時間が必要である、という話になるかもしれません。


眠るひまもない。休むひまもない。真面目に考えると、死んでしまいそうだ、とお感じになる方もおられるでしょう。


しかし、ここでぜひ、みなさまに御理解いただきたいことがあります。それは、イエスさまのこのたとえ話は、明らかに、ここに出てくる律法学者への反論として語られているものである、ということです。


文脈から切り離して、このたとえ話を読んではならない、ということです。


律法学者が自分を正当化するために「神を愛すること」は「隣人を愛すること」よりも重要である、と語ったのと同じように、偏った考え方をする人々を戒めるために、このたとえ話は、語られているのです。


「神は大好きだが、人間は嫌いである」とか「教会の奉仕には誠実で熱心だが、家庭や社会では、ぶっきらぼうである」というようなことでは、やはり、困るのです。


神学者は神学だけやっておればよい、ということはありません。牧師は聖書の勉強だけをし、説教だけをしておればよい、というわけには行かないのです。


わたしたちは、神と人間の両方を、同時に、等しい重さをもって、重んじなければならないのです。


そして、両方を重んじることは、わたしたちにとって可能なことです。イエスさまは、次のように言われていました。


「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れるものは、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」(ルカ9・48)。


「この子供」も、隣人の一人です。「この子供を受け入れる」とは隣人を愛することです。イエス・キリストの名のために隣人を愛することは、イエス・キリストを愛することであり、イエス・キリストの父なる神を愛することです。


この点から言えば、「隣人を愛すること」こそが「神を愛すること」である、ということになります。


今、目の前にいる、今、助けを求めている人を、今、助けること。


そのことを、神は喜んでくださる。よきサマリア人がしていることは、それである。


わたしたちも、このサマリア人のように、隣人を愛さなければならない。


そのことを、イエスさまは、教えておられるのです。


(2005年8月7日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年8月1日月曜日

いつも喜んでいなさい

テサロニケの信徒への手紙一5・16~22

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスに置いて、神があなたがたに望んでおられることです。霊の火を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。」

今日わたしたちは、Hさんの前夜式を執り行うために、ここに集まっております。

ご本人とおくさまの御意向で、ここには、ごく親しいご友人がたと、松戸小金原教会の者たちだけがおります。それでも、このように盛大な葬送の儀となりました。ご参列くださいました皆さまに、心より感謝申し上げます。

林さんの在りし日をしのびつつ、静かなひとときを過ごしたいと思います。

先ほどお読みしましたテサロニケの信徒への手紙一5・16~22は、今から約二千年前に活躍した、いにしえのキリスト教伝道者、使徒パウロが書き残した言葉です。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」。

このみことばは、たいへん有名です。教会生活が長い方ならば、どなたでもよく知っていますし、わたしの愛唱聖句であると決めておられ、記憶しておられる方も多いものです。

しかしまた、このみことばは、たしかにそういうものではありますけれども、つまり、とても有名で、また多くの人々によく知られており、記憶されている、そういう御言葉ではありますけれども、そのことと同時に、次のような面を持っている御言葉でもあります。

それはどういう面かといいますと、このみことばは、わたしたちにとっては、厳しいと感じられ、またつらいと感じられるものでもある、という面です。

その理由は、はっきりしていると思います。

わたしたちは、「いつも喜んで」などいないからです。

「絶えず祈って」などいないからです。

「どんなことにも感謝」などしていないからです。

そのため、このみことばは、そのようなわたしたちの欠点や短所をズバリと指摘する、そのような、厳しくて、つらい言葉でもある、ということです。

わたしたちの現実は、まさに正反対ではないでしょうか。

「いつも怒っている」

「しょっちゅう祈りを忘れる」

「年がら年中、不平不満をつぶやいている」

この事情は、クリスチャンである者たちであっても、それほど変わりはしません。大差はないと思います。

それでも、です。クリスチャンである者たち、すなわち、キリスト教信仰というものを受け入れて生きている者たちは、この件に関して少しくらいはマシなところもあるかな、と思えるところもある、と言いうる点を、ひとつだけ申し上げさせていただきます。

それはどの点かといいますと、クリスチャンは、まさにこの「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」という聖書の御言葉といつも向き合いながら生きている、という点です。この御言葉を思い出すたびに、「あ、いけない」と反省し、喜ぶ努力をはじめようとするのが、クリスチャンです。

実際、わたしたちは、聖書のみことばに接するたびに、自分の顔やかたちが、今、どのようなものであるか、ということに、ハッと気づかされます。

気づいたほうがよいと思います。なぜなら、だれだって、友達がほしいでしょう。また夫や妻、親や子供や兄弟がいる人は、できるものなら、そういう人々と仲良くしていたいと思うでしょう。だれだって、ひとりで居ることは、さびしいものです。

そういうときに、です。あの人はいつも怒っているし、喜びも感謝もない。神に対しても人に対しても、不平や不満をつぶやいている。そういう人には近づきたくないと、だれでも感じるはずです。自分自身のこととして考えてみれば、分かっていただけるはずです。

ですから、やはり、わたしたちが、自分の顔やかたちが、今どのようなものであるかに気づくことは非常に大切なことです。そのときクリスチャンである者は、聖書のみことばに接するたびに、自分の姿に気づかされるのです。

今日は、Hさんの在りし日をしのぶために、わたしたちは、集まっています。

わたしと林さんとのお付き合いは、決して長いとはいえない、全くそうではない、ごく短いものでした。しかし、林さんがどう思われたかは分かりませんが、わたしは、本当に素晴らしい、深いお付き合いをさせていただいたと感じております。感謝しております。

今年の6月19日(日)には、入院されていた国立がんセンター東病院の一室で、Hさんの洗礼式を執行することができました。もちろん、Hさんご本人の願い出によります。幼い頃には教会に通っていたのだ、と言われました。しかし、戦争のどさくさの中で、洗礼を受けるきっかけを失ってしまった。だから今、洗礼を受けたいのだ、と。

Hさんが洗礼を受けたいという願いを持っておられる、というお話を、わたしは最初、この教会の中では最も親しい関係にある長谷川和子さんを通して、伺いました。

そこでわたしは、林さんの気持ちを確かめるために、Hさんの病室に参りましたところ、最初じっと黙っておられ、それから少し頭を下げ、ひょいっと、頭を前に出されました。そして「お願いします」と言われました。両眼を失明されている林さんは、そのときすぐに洗礼式が始まると思われたようです。

「いや、そうではなくて・・・」と、そこから少し説明をさせていただきました。洗礼を受けるには、少しの準備が必要である。本来ならば、きちんと教会に通っていただいて勉強会を開くことになっております、と申し上げました。「それは、そうですね」とすぐに理解し、納得してくださいました。しかし、林さんの場合には、特別に、ごく短い期間で準備させていただきました。

そして、先ほど申し上げましたように、6月19日(日)に洗礼式を行いました。Hさんがクリスチャンになられました。わたしもうれしかったです。感謝しました。感動しました。

Hさんはとても明るい方でした。洗礼を受けられる前のHさんのことを存じ上げませんので、比較して申し上げるわけではありません。しかし、洗礼を受けられ、クリスチャンになられたことを、林さんは、とても喜んでくださっていたと、信じております。

病院では、いろんなお話をさせていただきました。話題が豊富でした。プロ野球の話、お好きだった旅行や山登りの話、政治や経済の話など、いろいろでした。

またHさんは、とても優しい方でした。いつも、いろいろと配慮してくださるのです。先週の土曜日、いちばん最後にお話しくださったことは、「この部屋の温度は何度ですか」ということと、「牧師さんは夏休みにどこに行かれますか」ということでした。

緩和ケア病棟におられましたので、痛みはないのです。痛みがないということが、これほどまでに人の心を落ち着かせ、平安にするのかと思わされました。わたしも、もし自分が同じ病気にかかったら、この緩和ケアというのをしてもらいたいと、本当に思いました。

ベッドの上ですが、起き上がって、自由に何でも食べることができますし、話すことができます。トイレに行ったり、顔を洗ったりすることも、直前まで御自分でしておられました。

しかし恐ろしい面もある、と言わなくてはなりません。それは、ただひとつ、終わりが突然訪れる、ということです。この点は、緩和ケアというものの運命であると思います。

先週の木曜日、ということは、まだたったの四日前です。とてもお元気だったそうです。ところが、その翌日から突然、がくっと力が抜けた感じになられました。

土曜日の午後、病室に伺いました。わたしたちの質問に「イエス」ならば首を縦にふられ、「ノー」ならば右手を横にふられました。帰り際に「そろそろ帰ります」と言いましたら、手を伸ばして握手を求められましたので、させていただきましたところ、まだ力がありました。最後の力だったようです。

Hさんの笑顔が、忘れられません。わたしたちは今、Hさんの生涯が祝福に満ちたものであったことを喜び、感謝しつつ祈るべきです。そう言うと、Hさんには「いや、わたしも、いろいろと苦労しましたよ」と言われると思いますが。

もちろん、そうなのです。

祝福に満ちた人生には、苦労があるのです!

すべてを忍び、すべてを受け入れ、すべてを感謝し、すべてを喜ぶことができる人は、かならずや、いろんな苦労を体験しておられるのです。

一人の立派な人生の先輩を天に見送ることができた幸いを、感謝したいと思います。

(2005年8月1日、葬儀説教、於 松戸小金原教会)


2005年7月31日日曜日

贖いの契約

ルカによる福音書10・17~24


今日の個所には、とても印象的な言葉が、繰り返し出てきます。それは「喜び」です。


「七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。『主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。』」


彼らは「喜んで」帰って来ました。喜んでいる理由は明白です。もちろん、彼らの使命を果たすことができたからです。


彼らは、イエス・キリストのお名前を使うことによって、人々の心の中から悪霊を追い出すことができたのです。


「イエスは言われた。『わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。』


彼らの喜びの報告をお聞きになったイエスさまも、彼らと一緒に喜んでくださっているようです。


「イエスさまが、喜んでくださった」というように、はっきりと書かれてはいません。しかし、彼らの報告内容を、肯定的に評価してくださっていることは、明らかです。


「サタンが稲妻のように天から落ちる」とか「蛇やさそりを踏みつける」などの言葉は、ユダヤ教の伝統に由来する表現であると言われています。


しかし、イエスさまは、明らかに、これらの表現を、象徴的な意味で用いておられます。これらすべての表現は、彼らが人の心の中から悪霊を追い出すことができた、という一点を表わしています。


人の心の中から悪霊を追い出すこと、そして、いわばその代わりに聖霊を注ぎこむこと。そのために、まだ洗礼を受けていない人々に、洗礼を授けること。それこそが、まさに、イエスさまによって遣わされた弟子たちに委託された、重要な使命なのです。


ところが、イエスさまのお答えには、続きがあります。


「『しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。』」


ここでイエスさまが問題にしておられることは、弟子たちが喜んでいる理由は何か、という点です。


七十二人の弟子たちは、「悪霊さえもわたしたちに屈服します」という点を喜びました。ところが、イエスさまは、そのことを喜んではならない、と言われています。喜びどころが違う、というわけです。


なぜ彼らは、この点を喜んではならないのでしょうか。その理由は記されていません。


しかし、これは、わたしたちにとって分かりにくい話でも、身に覚えのない話でもありません。むしろ、よく分かる話であり、身に覚えのある話です。


悪霊がイエスさまの弟子たちに屈服したのは、彼らがイエスさまのお名前を使ったからです。彼ら自身の名前によるのではなく、また、彼ら自身の力によるのでもありません。


「悪霊がわたしたちに屈服する」ということを喜ぶ人々が陥りやすい罠は、そのことをなしえたのは、自分自身の力であると、いつのまにか、思い込んでしまうことでしょう。


教会の中でこの種の罠に最も陥りやすいのは、牧師たちであると思います。


教会の成長を自分の業績のように考えてしまう。いつのまにか、神の栄光ではなく、自分自身の栄光を表わすために、わざをなす。


そのようなことは間違いであると、イエスさまは、注意しておられるのです。


「『むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。』」


あなたがたの喜ぶべきことは「あなたがたの名が天に書き記されていること」であると、イエスさまは、語られています。


このわたしの名前が天に書き記されているとは、このわたし自身が天国の住人であることの証拠としての名簿に名前を書き記されている、ということです。


そのことをこそ喜びなさい、と言われているわけです。


これで分かることが、少なくとも二つあります。


第一点は、イエスさまの弟子たちは、いわば誰よりも先に、自分自身がまず天国の住人であるという自覚と喜びに満たされていなければならない、ということです。


「わたしは天国に迎え入れられるかどうか分かりません。でも、どうぞ、あなたは天国に行ってください」というような伝道の言葉は成り立ちません。それは奇妙な言葉です。


「わたしは、たしかに救われています。だから、どうか、あなたも救われてください」と語るべきです。そのことを、すなわち、このわたしが救われているということを、伝道者たちは、だれよりも先に、喜びをもって語るべきです。伝道には、この喜びが必要なのです。


第二点は、先ほど触れたことです。イエス・キリストの御名を宣べ伝えることが命ぜられている者たちは、自分の力で、人を天国に連れて行くのではない、ということです。


自分の名前を自分の手で天の名簿に書くことができる人は、誰もいません。伝道者たちもまた、自分の力ではなく、神御自身の力、また救い主の力によって、天国の名簿に名を記していただいた者である、という自覚と喜びを持たなくてはならないのです。


「そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした』」。


ここでもまた「喜び」という言葉が出てきます。イエス・キリスト御自身の喜びです。


この喜びは、弟子たちの喜びとは明らかに異なるものです。まさに、喜びどころが違うものです。


弟子たちには、はっきり言って、勘違いがありました。悪霊がわたしたちに屈服した。わたしたち自身が、悪霊に打ち勝った。もしそう思っているならば、それは誤解であると、イエスさまは、厳しく注意されました。


イエスさまの喜びは、御自分の力を誇るものではありませんでした。


神の御子イエス・キリストに、地上における救いのみわざに必要かつ十分な全権を委任された天地の主、父なる神をほめたたえるものでした。


イエスさまは、救いのみわざの実現によって輝きはじめた栄光を、御自身にではなく、父なる神にお返しになりました。


イエスさまはそのようなお方である、ということに、わたしたちは、魅力を感じます。もしイエスさまが、そうではなく、いつも自分を誇るようなお方であるならば幻滅です。


しかし、です。そうは言いましても、ただ一つの点だけ、わたしたちが誤解してはならないことがあると思われます。


それは、神の御子イエス・キリスト御自身は、父なる神さまに栄光をお返しになりますが、しかし、父なる神さまは、御子イエス・キリストに救いにかかわる一切の全権を委任されているのだ、ということです。


そのことを、イエスさまは、次に語っておられます。


「『すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。』」


父なる神さまが御子イエス・キリストに、救いにかかわる一切の全権を委任されている、というこの真理を、わたしたち改革派教会は、伝統的に「贖いの契約」と呼んできました。


それは、父なる神と御子キリストとの間に、一つの厳粛な契約関係がある、という教えです。


その契約の内容は、父なる神が救うこと(贖うこと)を決意され、そのような者としてお選びになった人々を、御子イエス・キリストにお委ねになった、というものです。


この教えは、わたしたちにとって、きわめて重要な意義を持っています。少しも大げさではなく、キリスト教信仰の根幹にかかわる教えです。


なぜならば、この教えの核心は、父なる神の御心をわたしたちが知り、かつ信じる道は、ただ一つ、神の御子イエス・キリストを通してだけである、ということにあるからであり、だからこそ、わたしたちは、イエス・キリストを通して神を知る、というただ一つの道を通らなくてはならないからです。


そして、なぜこのことが、キリスト教信仰の根幹にかかわるのかということを一言するならば、キリスト教信仰の一切がイエス・キリストにかかっているからです。


たとえば、です。イエス・キリストを抜きにした、ただ単なる神信仰というようなものは、キリスト教の信仰ではない、ということです。


もっと単純に言って、「キリストの出てこないキリスト教」などは、ありえない、ということです。


それどころか、むしろ、正反対に、キリスト教のすべてはキリストにかかっている、と言わなくてはなりません。


「それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。『あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。』」


ここでイエスさまが語っておられる「あなたがたが見ているもの」、また「あなたがたが聞いているもの」とは何でしょうか。


多くの預言者や王たち、すなわち、旧約聖書の登場人物、そしてまた神の民イスラエルに属する多くの人々が待ち望んできた救い主(メシア)であるイエス・キリスト御自身である、と答えることも可能だと思います。


しかし、もう少し広げたところで考えておくほうが、よさそうです。言うならば、それは、イエス・キリストを通して実現した救いのみわざのすべてです。


また、そのみわざは、イエス・キリストの弟子たちによっても行われました。


ですから、それは、イエスさまの弟子たちを通して、さらに、弟子たちの集まりとしての教会において実現した救いのみわざのすべてです。


それを見ることができ、救いの喜びを味わうことができる人々の「目」は、幸いであると言われています。


わたしたちも、今、それを見ています。わたしたちの「目」は、幸いなのです!


(2005年7月31日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年7月24日日曜日

神の国の進展と拡大

ルカによる福音書10・1~16


今日の個所に描かれているのは、わたしたちの救い主イエス・キリストの宣教活動によって地上に打ち立てられていく「神の国」の進展と拡大の様子は、どのようなものであったか、ということです。


「その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。」


この個所を読みますと、ルカによる福音書の最初から順々に学んでこられました皆さまには、すぐにピンと来るものがあるでしょう。


これまでに、これとよく似たことが書いてあったはずだ、ということです。もちろん、それは、9章のはじめです。


「イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、次のように言われた」(9・1〜3)。


たしかに、よく似ています。イエスさまによる弟子の派遣という点で、全く同じことがなされています。


しかし、違っているところもあると感じます。違っている第一点は人数です。前者は十二人、後者は七十二人です。


最初に行われたのは、十二使徒自身が悪霊追放という救いのわざを行うための権能委託と派遣です。


そして今日の個所で行われているのは、十二使徒とは別に、七十二人の弟子たちを特別にお選びになることです。


違っている第二点は、イエスさまが、十二人には「権能をお授け」になりましたが、七十二人については「任命された」ということです。


人数が違っている理由として考えられるのは、最も単純に言うなら、イエス・キリストの弟子仲間全体の人数が増えてきた、ということです。


当時のイエスさまの弟子仲間全体の数が「12+72=84人」しかいなかったわけではありません。もっとたくさんいました。少なく見積もっても、一万人以上はいたと考えられます。


しかしイエスさまは、多くの弟子たちの中から、「12+72=84人」を特別な弟子としてお選びになったわけです。


彼らが特別な弟子として選ばれた目的は、最も大きく分けて二つあります。


第一の目的は、少なくとも当時一万人以上はいたと思われる、イエス・キリストの弟子仲間全体を世話し、配慮することです。言ってみれば、内向きの働きです。それを、わたしたちは、一応、「牧会」という言葉で呼ぶことができるでしょう。


しかし、目的はそれだけではありません。少なくとも第二の目的があります。それはいわば外向きの働きです。


イエスさまの弟子仲間をまとめながら、外に向かって、つまり、いまだイエスさまの弟子仲間に加わっていない人々に向かって福音を宣べ伝えることです。


そのようにして、今よりさらにもっと多くの仲間を、イエスさまの弟子仲間に加えていくための働きです。つまり、それは要するに「伝道」です。


ですから、考えられることは、「牧会」と「伝道」を効果的に行っていくために、イエスさまは、多くの弟子たちの中から、特別な弟子をお選びになった、ということです。


そのような働きに就くべき人の数が増えてきた、ということは、弟子仲間の規模が拡大したので、そのお世話係の数も増やすべきだ、ということも、理由としては十分です。


たとえば、わたしたち日本キリスト改革派教会は、現在、まさに約一万人の教会です。牧師の数は約百三十人。じつは、これだけでは、まだ足りていません。実際に牧師不在の教会が、いくつかあります。牧会のわざに携わる人の数が、もっと増やされる必要があります。


しかし、です。先ほど申し上げましたとおり、イエスさまが特別な弟子をお選びになった目的は、内向きのお世話係が少ない、ということだけではなかった、というべきです。


そこには必ず外向きの理由がなければなりません。さらに多くの人々を、イエスさまの弟子仲間に加えていくために、「伝道者」の数が増やされなければならないのです。


しかし、十二人の場合と七十二人の場合とで違っていることの第二の点、つまり、前者は「権能を授けられた」が、後者は「任命された」ということが、ここにかかわってくると思われます。


七十二人の弟子たちは、先に選ばれた十二人の弟子たちのように「使徒」と呼ばれるものではありませんでした。おそらく彼らは、使徒たちを助け、かつ、いわば使徒に準ずる働きをなす人々であった、と考えられます。


ただし、なぜ「72」という数字なのか、という点については、一つの説明の仕方があります。それを手短にご紹介いたします。


そのヒントは、創世記10章にあります。そこに出てくる、箱舟物語で有名なノアの子孫の数が、ちょうど70人います。これが70の民族の先祖となったのです。


それが、さらに、イエスさまの時代に広く用いられていたギリシア語訳(七十人訳)の旧約聖書では、ノアの子孫が72人であったように書いてあるのです。


つまり、72という数字は、イエスさまの時代のユダヤ人たちにとっては、全世界の民族の数字を意味していた、というわけです。


すなわち、十二使徒はイスラエル十二部族の数に相当し、七十人ないし七十二人は世界の民族の数に相当する、というわけです。


そこからまた、イスラエルの人々にとって、七十という数字が、いろんな場面で役割を果たしはじめます。


とくに、イエスさまの時代に実在したイスラエルの最高法院(サンヘドリン)の議員の数は、七十人に議長(大祭司)を加えた七十一人だった、と言われています。


イスラエルの最高権威者集団であり、最高議決機関としての「最高法院」は、そのようなものとしてまさにイスラエル国家全体を支配していました。


その最高法院こそが、イエスさまを十字架につけるための不当な裁判をも行ったのです。つまり、イエスさまにとっていわば直接「敵」となった人々の数が、七十一人であった、ということです(ただし、イエスさまが彼らを「敵」としたわけではなく、彼らがイエスさまを「敵」としたのですが。)


イエスさまも「神の国」の建設のために、七十二人の弟子をお選びになりました。これが暗示していることは、イエスさまの宣教活動は、文字どおりの「国づくり」を意味していた、ということです。


ただし、それは、イスラエルの国家体制を打ち倒して、別の新しい国家を生み出す、という意味ではありません。もっと暗示的な意味です。


イエス・キリストが地上に打ち立てられる「神の国」は、まさに一つの霊的イスラエルなのです。


「そして、彼らに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。』」


ここでイエスさまが「収穫」という言葉で語っておられる事柄は明らかに、福音の宣教ないし伝道との関連で理解されるべきことです。


つまり、「収穫」の意味は、神の御子イエス・キリストへの信仰を告白し、キリストの体なる教会の一員になる人々を集めることです。


つまり、そのように、イエスさまを信じて、イエスさまの弟子になりたいと願っている人々が、ここでの「収穫」の意味です。


その「収穫」は「多い」とイエスさまは語っておられます。しかし、「働き手が少ない」のだ、と。


おそらく、わたしたちの周りにも、必ずや、そういう人々がいるはずです。


教会にはまだ一度も来たことがない。礼拝に出席したこともない。イエス・キリストへの信仰を告白したこともない。


しかし、そういう人々の中にも、心の中で、教会というところに、じつは関心がある。礼拝にも、じつは行ってみたい。信仰というものを、持てるものなら、持ってみたい、と考えている人々がいる。


そのような人々のことも、「収穫は多い」というこのイエスさまの御言葉の中に、間違いなく、含まれています。


ところが、その人々に実際に接し、可能なかぎり語り合い、教会と礼拝と信仰についてのお勧めをする、そのような役割を果たす人の数が少ない、と言っておられるのです。


しかしまた、実際には、そのような役割を果たす人々について、イエスさまは、「それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」とも語っておられます。


なるほど、たしかに、実際の伝道には、危険がいっぱいです。


文字どおり「噛み付いてくる」人々が必ずいます。「この世の中で何が嫌いかと言ってキリスト教ほど嫌いなものはない」と言って怒られることがあります。たじたじすることが何度もあります。


また、わたしたちが純粋で熱心であればあるほど、そういうわたしたちの姿を冷ややかに見て、笑う人々がいます。


しかし、そのことを、イエスさま御自身が、よく分かっておられます。イエスさまこそが、わたしたちの最も良き理解者であられる、ということが、わたしたちにとっての慰めです。


別にわたしたちは、何一つ、ここで悪いことをしているわけではないのですから、堂々としておればよいのです。


そして喜びと確信をもって、多くの人々に「教会に来てください。イエスさまを信じてください」とお勧めできるようになりたいものです。


イエスさまが、わたしたちの伝道を助けてくださっています。また、伝道に伴う苦労を理解してくださっています。それでよいではありませんか。


ただし、「わたしはまだ、『収穫のための働き手』と呼ばれるには、ふさわしくない」と感じている方々は、皆さんの中にもおられるはずです。


そのことも、イエスさまは、よく分かっておられます。


だからこそ、特別な弟子をお選びになり、良い意味での「専門家」を、公的かつ正式に「任命」されたのです。


イエスさまは、七十二人の弟子たちに、次のようにお命じになりました。


「財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、「この家に平和があるように」と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、「神の国はあなたがたに近づいた」と言いなさい。」


これも、十二使徒の派遣の際にイエスさまがお語りになった御言葉と、よく似ています。


しかも、今回は、「働く者が報酬を受けるのは当然だからである」というようなことを、ずいぶんはっきりと、また少しも遠慮なく、語っておられます。


イエスさまが言わんとしておられることは、良い意味での “プロ意識”を持ちなさい、ということでしょう。


そのことを、あなたがたは、少しも恥じるべきではないし、また、だからこそ、あなたがたは、伝道のために全生活をかけなさいと、イエスさまは彼らに命じておられるのです。


(2005年7月24日、松戸小金原教会主日礼拝)


2005年7月17日日曜日

イエスの弟子になるとは

ルカによる福音書9・46~62


今日は四つの段落を続けて読みました。明らかに共通しているテーマがあります。


それは「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負ってイエスの弟子になるとは、何を意味するのか」というテーマです。


しかし、このテーマは9章の初めから一貫しているものである、と理解することができます。


9章の初めには、十二使徒の派遣という出来事が記されていました。イエスさまが十二人を呼び集められて、「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能」をお授けになりました。そして、次のように言われました。


「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持って行ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい。」(ルカ9・3〜5)


ここで「旅」とは、明らかに「伝道の旅」です。弟子たちは、なぜ、伝道の旅に「何も持って行ってはならない」のでしょうか。


考えられる答えは、イエスの弟子である者は、旅先でとどまることが許された家から、すべてのものを得なさい、ということです。


伝道も一つの仕事です。伝道は彼らの職業です。これが否定されるべきではありません。


しかしまた、だからこそ、イエスさまの弟子たちに託された仕事の責任は重い、ということでもあります。


これは、今日「牧師」と呼ばれている者たちだけに限られる話ではありません。教会の存在全体にかかわることです。


そしてルカは、9章の初めからずっと、「イエスの弟子になるとは、何を意味するか」というテーマについて書いています。


イエスさまは、弟子たちに、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」と言われました。


イエスさまの弟子である者は、自分を捨てなくてはなりません。しかし、その意味は、自分の主体性や個性を塗りつぶさなくてはならない、ということではありません。


主体性や個性は、むしろ百パーセント確保されるべきです。しかし、その上で言わなければならないことは、わたしの生きる目的は、わたしのためではない、ということです。


イエスさまの弟子たちは、自己目的的に生きるべきではなく、「イエス・キリストのために」生きるべきであり、そしてイエスさまの御心に従って、「隣人を愛するために」生きるべきである、ということです。


山の上でイエスさまが栄光に輝くお姿に変貌されたとき、モーセとエリヤが現れました。ペトロが仮小屋を三つ建てましょうと提案しましたところ、イエスさま以外の二人の姿が見えなくなり、そして雲の中から声が聞こえてきました。「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」。


イエスさまの弟子である者は、イエスさまの御声だけに、忠実に聞き従わなければならない、ということです。


悪霊にとりつかれた男の子の病気を、弟子たちはいやすことができませんでした。そのことを、イエスさまはたいへん不満に思われ、「いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか」と、お叱りになりました。


イエスさまの弟子である者は、イエスさまから託された仕事を、忠実に果たさなくてはならない、ということです。


ところが、です。イエスさまの弟子である者は、時に、よからぬことを考えはじめることがありえます。イエスさまの御声に聞き従うのではなく、別の声に従って動きはじめることがありえます。


その結果、イエスさまから託された仕事を、忠実に果たすことができないということが、起こりうるのです。


「弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、言われた。『わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。』」


「自分たちのうちでだれがいちばん偉いか」と、彼らはなぜ、このようなことに関心を持ちはじめたのでしょうか。


弟子たち側の言い分として考えられるのは、現実の教会は、あからさまに言って、人間の・人間による・人間のための人間的な集まりである、ということでしょう。


その中に、立場の違いや秩序や政治がある、ということは、当然のことであり、避けがたい、ということでしょう。


しかし、イエスさまは、彼らの議論をお嫌いになりました。痛烈な皮肉もあると思われます。


一人の子供を立たせて、「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」、また「あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である」と言われました。


そんな議論をしているあなたがた大人よりも、この子供のほうが偉い、と言われたのです。


そのことと共に、ここでイエスさまが問題にされていることとしてもう一つ思い当たることは、彼らの視線、あるいは、彼らの関心の向かうところは、どこなのか、という問題です。


教会に限らず、どこでも当てはまるであろうことは、自分自身や他人の順位というようなことばかりが気になる人は、結局、いつも自分のことにしか関心がない人だ、と言われても仕方がない、ということです。


イエスさまの弟子たちが持つべき関心は、自分自身のことであってはならないでしょう。


わたしたちが持つべき関心は、神の救いと具体的な助けを必要としている、わたしたちの隣人でなければなりません。そして、その中でも、とくに、最も小さな人々、最も弱い人々でなければなりません。


「自分を捨てる」とは、自分のことばかり気にするのではなく、目を外に向けることなのです。


「そこで、ヨハネが言った。『先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせようとしました。』イエスは言われた。『やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。』」


この話の意図も、先ほどの話と、基本的構造において同じである、と言えます。


イエスさまの弟子の一人ヨハネが、イエスさまのお名前を利用して、イエスさまの弟子たちと同じような仕事を行っているが、弟子の仲間に加わらないのを不愉快に思い、その人の仕事をやめさせました。しかし、イエスさまは、そのヨハネを、おとがめになった、という話です。


これは微妙な要素を含んでいる話である、と感じます。しかし、イエスさまの意図は、はっきりしています。ここでも問題は、弟子たちの視線、ないし関心の向かうべきところは、どこであるべきか、ということです。


「微妙な要素を含んでいる」と申しました理由は、そもそも、教会の伝道の目的の中に「イエスさまの弟子仲間を集めること」は、含まれているはずだ、ということです。


たとえば、教会にたくさん人が集まるようになることは、そもそも、教会が地上に存在する目的にかかわることです。


教会の存在理由は、「洗礼を授けること」です。そして、それはただちに、イエスさまの弟子を集めることを意味します。他のどの団体も、ひとに「洗礼を授けること」はできません。他のどの団体も、「ひとをキリスト者にすること」ができないのです。


しかし、です。ここに、さらなる問題が生じます。


わたしたちは、教会に集められました。はい、それでは、その次に、わたしたちは、何をするのでしょうか。わたしたちは、ただ集まるだけでよいのでしょうか。


とにかく集まること、集めること自体が、教会の存在理由でしょうか。そうである、とも言えます。しかし、それだけではない、とも言わなければなりません。


少なくとも、もう一つの目的があります。それは、教会に集められたイエスさまの弟子たち自身の手によって、救いのわざが行われることです。


そして、ここから先は、かなり危険な要素が入り込んでくるように思われるのですが、それでも、イエスさまのご意思に従うならば、次のように語らなければなりません。


「イエスさまの弟子たちを集めること」と「弟子たちの手によって神の救いのみわざが行われること」。その二つのうち、教会の存在理由という観点から見て、どちらがより重要であるか、と問うてみるならば、その答えは、どうやら、後者である、ということです。


たしかに言いうることは、重要なことは、だれがそれをするかではなく、それが現実に行われること、つまり、人が現実に救われることが重要である、ということです。


その場合に、です。


イエスさまの弟子でない人々が、イエスさまの弟子たちがしていることの真似事をしてみたときに、イエスさまの弟子と同じようなこと、あるいは彼ら以上のことができてしまった(?)場合は、それをやめさせる必要はないと、イエスさまは教えておられるのです。


厳しい言い方かもしれませんが、ヨハネのような考えは、悪い意味での“縄張り争い”や“自意識過剰”に通じることです。イエスさまは、そのような考え方をお嫌いになったのです。


「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、『主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか』と言った。イエスは振り向いて二人を戒められた。そして、一行は別の村に行った。」


この段落の意図も、基本的に同じと言えます。多くの説明は不要でしょう。


たしかにイエスさまは、「だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい」と言われました。


しかし、だからと言って、イエスさまは、「その町を焼き滅ぼしてよい」とまでは言われませんでした。それは一種の暴力ですから。


イエスさまの御心は、敵を愛することです。そして、神の救いがこの地上に実現することです。暴力によって滅ぼしてしまっては、身も蓋もありません。


「一行が道を進んで行くと、イエスに対して、『あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります』という人がいた。イエスは言われた。『狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。』そして別の人に、『わたしに従いなさい』と言われたが、その人は、『主よ、まず、父を葬りに行かせてください』と言った。イエスは言われた。『死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。』また、別の人も言った。『主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。』イエスはその人に、『鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない』と言われた。」


この段落に語られていることもまた、イエスさまの弟子である者たちに求められていることは何かということです。具体的には、「自分を捨てること」の意味は何かです。


「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」という人に対してイエスさまは、「人の子には枕する所もない」とお答えになりました。それでもよいのか、という問いかけでしょう。


たしかに、伝道は、彼らの仕事であり、職業です。しかし、その目的は、自分の生活の糧や、自分が安心して眠ることができる場所を確保するためだけ、というようなことでは、ありえません。


もしそのように考えている人がいるならば、それは違いますと、イエスさまは、はっきりとおっしゃるのです。教会の存在と伝道は自己目的的であってはならない、ということの具体例であると言えるでしょう。


「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」という人には、「あなたは行って、神の国を言い広めなさい」とお答えになりました。


「まず家族にいとまごいに行かせてください」という人には、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」とお答えになりました。


どのように解釈してよいか、かなり迷う言葉です。わたしたちにとって、家族は、最も大切なものです。他の何かと天秤にかけられるようなものでは、ありえません。


ところが、です。現実の場面においては、イエスさまのおっしゃることの意味が、よく分かることがあります。


わたしたちが「家族」というものに悪い意味で束縛されてしまうときには、伝道することも、信仰をもつことさえも、困難になる、ということがありえます。


冷たい言い方に響いてしまうかもしれませんが、それがわれわれの現実です。これは、わたし説教者が言っていることではなくて、イエスさまがおっしゃっていることであると、どうかお考えいただきたく願います。


わたしたちは「出家」という言葉を使いません。


しかし、イエスさまは、弟子であるすべての者たちに、「家を出ること」を求めておられるのです。


(2005年7月17日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年7月10日日曜日

信仰といやし

ルカによる福音書9・37~45


今日の個所に紹介されていますのは、わたしたちの救い主イエス・キリストが、一人の男の子の病気をいやしてくださった、という出来事です。


それはどのようにして起こったのか、この出来事の持っている意味は何かというあたりのことを考えながら、読み進めていきたいと思います。


「翌日、一同が山を下りると、大勢の群集がイエスを出迎えた。」


「翌日」とあります。何の翌日かといいますと、これは間違いなく、先週学びました、イエス・キリストが山の上で祈っておられるときに、栄光に輝くお姿に変貌されたというその出来事が起こった日の翌日、ということです。


今日の個所に紹介されている、イエス・キリストが一人の男の子の病気をいやしてくださった、というこの出来事は、マタイによる福音書(17・14〜18)にも、マルコによる福音書(9・14〜27)にも紹介されています。


そして、じつをいいますと、今わたしたちが開いておりますルカによる福音書とあわせた三つの福音書において、この出来事に関して共通している点があります。


それは、三つの福音書のどれも、この男の子の病気のいやしという出来事が起こったのは、イエス・キリストのいわゆる山上の変貌ということが起こった、その次であるというこの点です。


ただし、この点について、マタイとマルコは、この二つの出来事の間にある時間の経過については、とくに記しておりません。しかし、ルカだけが「翌日」ということを明らかにしています。


これは考えてみれば当たり前のことです。


イエスさまと三人の弟子たちは、山に登っておられたわけです。


それがどの山か、ということは聖書のどこにも記されていませんが、マタイとマルコは「高い山に登られた」と書いています。先週、わたしは、もしかしたらヘルモン山かもしれない、という説があることをご紹介いたしました。


ヘルモン山も、高い山です。文字どおり「登山」という言葉が、当てはまります。


高い山に登るのは一苦労です。だからこそ、ペトロたちは、ひどく眠かったという話が、先週の個所に出てきました。山を登ってきた足も体も、疲れていたのです。


それではイエスさまはお休みにならなかったのか、というと、そんなことはないと思います。栄光のお姿に変貌されたのちに、イエスさまもお休みになったのです。


そう考えてみますと、「翌日」という言葉の意味が、分かるような気がします。


時間的に続いているようで、続いていない。夜という時間を通り過ごすことにおいて、一度切れる。ぐっすり休み、新しい力に満たされて、立ち上がる。


そのようなイエスさまと弟子たちの姿を、思い浮かべることができます。


そして、山を下りました。すると、また大勢の群集が、イエスさまを取り囲みました。イエスさまには、十分に休息することができる時間がありません。


「そのとき、一人の男が群集の中から大声で言った。『先生、どうかわたしの子を見てやってください。一人息子です。悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。』」


この男の子の病気について、マタイは「てんかん」と、はっきり記しています(マタイ17・15)。マルコとルカは病名を記しておらず、病状の説明だけをしています。


引きつけが起きる。倒れる。口から泡を吹く。マルコは「歯ぎしりする」とも書いています(マルコ9・18)。


今では、それは、脳の慢性的な病気であると言われています。薬を飲んでコントロールできるようになった、と言われています。


しかし、それはごく最近のことです。長い間、治らない病気とされてきました。イエスさまの時代には、「悪霊が取りついた結果」と見られていました。


そのように説明するしかなかった、といいますか、そんなのは全く何の説明でもないわけです。原因不明のことは何でも「悪霊」と、説明にならない説明をするしかなかったのです。


イエスさまに助けを求めたのは、この男の子のお父さんでした。「先生、どうかわたしの子を見てやってください」と。


この父親は、この男の子を「わたしの子」と呼んでいます。「一人息子です」とも言っています。


わたしの子、たった一人の子が、病気で苦しんでいます。どうか見てやってください。助けてください。


これは、この父親の悲痛な叫びです。しかしまた、力強い叫びでもあると思います。


ここで少し、残念な話をしなくてはなりません。すべての人に当てはまる話ではない、ということを、あらかじめはっきりお断りしておきます。


ただ、しかし、世の父親の中には、自分の子どもが生まれつきの障害をもっていることが分かった途端に、妻子を置いて出て行くケースがあります。子どもの現実と向き合うことができない父親がいます。


しかし、この父親は違いました。


この子はわたしの子どもである。わたしのたった一人の、かけがえのない子どもである。


そのことを、イエスさまの前で、強く訴えました。


「わたしの子」と呼んでいる、その一言に、この父親の子どもに対する深い愛情を読み取ることができるように思われます。


ところが、です。この父親は、その心の中に、大きな不満を抱えていました。そして、イエスさまに向かって、助けを求めているようでもありますが、同時に一つの大きな苦情を述べたい気持ちをもっていました。


「『この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できませんでした』」。


「お弟子たち」とあります。原文には「あなたの弟子たち」と書かれています。


イエスさま、あなたの弟子たちは、一体、何なのですか、と言いたいのです。


「わたしの」大切な一人息子の病気を、「あなたの」弟子たちは、治すことができませんでした。それは「あなたの」責任です、と言いたいのです。


これは決して、この父親の言いがかりとは言えません。弟子たちを育て、訓練する責任は、たしかに、イエスさまにあります。


イエスさまは、十二人の弟子たちに「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能」をお授けになりました(ルカ9・1)。免許皆伝が行われました。


そして、彼らは、実際の現場に出て行って、イエスさまから授かった力を用いて、助けを求めてきた人を助けようと試みました。


とくに、このとき、イエスさまは、三人の弟子たちと共に山に登っておられたわけですから、イエスさまの留守中、自分たちだけで何とかして、この男の子の病気を治そうと努力したのだと思います。


ところが、弟子たちは、悪霊に打ち勝ち、病気をいやすことができる力を、不覚にも、まだ持っていませんでした。助けを求めてきた人を、助けることができなかったのです。


こういうときに空しい気持ちになるのは、助けを求めた人と求められた人との、両者です。


これが欲しいと願って入った店に、それがなかったということが三回続くと、その店には二度と行かないと心に誓うのが、わたしたちです。


診てもらっても治らない医者のところには、二度と行かないと心に誓うのが、わたしたちです。


この父親も、自分のかけがえのない一人息子の病気を治すことができないイエスさまの弟子たちなど、二度と信用しない、と心に誓いはじめていたのではないでしょうか。


しかし、それでも、弟子たちではなく、イエスさまご自身ならば、何とかしてくださるかもしれないと、まさに最後の望みを抱きつつ、この父親は、イエスさまのところに来ていたに違いありません。


最後の望み、と言いますのは、イエスさまとその弟子たちに頼ることを、「これで最後にしよう」という意味です。それは、非常に重大な決意です。


「これで最後にしよう」という決意は、抱くほうも、抱かれるほうも、本当に辛いものです。


わたしたちの教会生活においても、長い年月の間には、時として、そういう思いを抱くほどに追い詰められることがあると思います。


「これで最後にしよう」。今日、もし恵みを感じることができなかったならば。


「これで最後にしよう」。今日、もし喜びを感じることができなかったならば。


そこには、お互いの真剣勝負があります。イエスさまの弟子として生きる道は、甘えた気持ちだけでは、乗り越えていくことができそうもありません。


「イエスはお答えになった。『なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。』」


イエスさまは、激しくお怒りになりました。もちろん、弟子たちに対して、です。教師として、弟子たちを育て、訓練する責任において、です。


なんとだらしない、なんと無力で、みじめな結果だろうか、と。あなたがたに足りないのは、「信仰」である、と。


おそらく、弟子たちは、震え上がる気持ちで、そしてまた、自分自身のあまりの無力さに打ちのめされる気持ちで、イエスさまのお言葉を聞いたに違いありません。


このとき、イエスさまが激しくお怒りになりながら、お話しになったことの中に、たいへん気になる言葉が出てきます。


「いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。」


このお言葉は、反対の方向から言い直しますと、「わたしは、あなたがたと、いつまでも永久に、一緒にいることができるわけではない」ということでもあります。


「先生、ごめんなさい。わたしたちには、できませんでした。先生がやってください」と言って、弟子たちが、自分の責任を放棄し、自分が本当はしなければならなかったことを、イエスさまに丸投げしてきたときには、いつでも、イエスさまは、我慢して弟子たちの尻拭いをすることになるわけです。


しかし、そういうことができるのも、今のうちだけであって、いつまでも永久に、そのようにできるわけではない、ということを、イエスさまは、ここではっきりおっしゃっています。


それは、もちろん、イエスさまが、これからエルサレムにお入りになり、そこで不当な裁判をお受けになり、十字架にかけられて死ぬ(殺される)ということを、強く自覚しておられたからです。


ご自身の死ということを強く自覚しておられたがゆえに、弟子たちの体たらくが、我慢できなかったのです。いつまであなたがたの面倒を見なければならないのか、と。


とはいえ、それはまた、明らかに、言葉の裏側に、弟子たちに対する愛情も込められている、と言ってよいものでもあるでしょう。「もちろん、わたしがあなたがたと一緒にいることができる間は、面倒をみることができるのだけれどね」と。


また、もう一つのことも、思い当たります。イエスさまが、この先、助けの御手を差し伸べたいと願っておられる相手は、もはや、弟子たちではありえない、ということです。


なぜなら、今やイエスさまの弟子たちは、いわばイエス様の側に立って、イエスさまと共に、世の多くの人々を助けるわざに就いているはずだからです。


イエスさまが助けたいと願っておられるのは、弟子たちではなく、世の多くの人々です。


少しひどい言い方に聞こえてしまうかもしれませんが、イエスさまは、いつまでも永久に、弟子たちの面倒など、見てくださいません。


そんなことをしているよりも、一人でも多くの世の人々を助けたい、とお考えになります。


イエスさまというお方は、そういうお方なのです。


「『あなたの子供をここに連れて来なさい。』」


このように、イエスさまは、この父親にお命じになりました。


「あなたの」大切な子どもを助けることができなかった「わたしの」弟子たちの無力をお詫びしたい、という不甲斐ないお気持ちを、持っておられたのではないでしょうか。


そして、イエスさまが、弟子たちの代わりに、この男の子の病気をいやしてくださいました。


しかし、本当は、この子の病気をいやすことは、弟子たち自身がしなければならないことだったのです。


(2005年7月10日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年7月3日日曜日

山上の変貌

ルカによる福音書9・28~36


「この話をしてから八日ほどたったとき」


「この話」とありますのは、前回学びました個所に記されている、イエス・キリスト御自身がお語りになった、神の言葉の説教のことです。


前回の個所でイエスさまは弟子たちに、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」とお語りになりました。


イエス・キリストの弟子として生きることを決心し、約束したすべての者たちは、自分を捨てなければなりません。そして日々、自分の十字架を背負わなければなりません。


「自分を捨てる」とは、自分のために生きるのをやめるということです。自分のために生きることをやめて、イエス・キリストのために生きることを始めるのです。イエス・キリストのために命を失う者は、自分の命を救うことになるのです。


キリストのために生きること、それはただちに父なる神の御心を行うことを意味します。またキリストに従うことは、父なる神に従うことを意味します。イエス・キリストは、父なる神の御子であり、地上において父なる神の御心を示す役割を担われるお方だからです。


イエス・キリストに従わない者は、父なる神にも従っていません。それは、神に背いて生きるのと同じです。神に背いて生きることを、聖書は、端的に「罪」と呼びます。神に従わない人生を送る人は、救われていません。


わたしたちの救いとは、イエス・キリストにおいて御自身を現された父なる神に従って生きる人生を送ることなのです。


このことは、わたしたちにとって、いくぶん困惑させられることでもあります。


イエス・キリストに従って生きる者たちには自分を捨てること、そして、日々、自分の十字架を背負って生きることが求められます。それこそが救いの道であると言われるわけですが、なんと厳しい道でしょうか。わたしたちは、この厳しさに耐えられるでしょうか。


しかし、です。ここで間違いなく言いうることは、わたしたちの前に差し出されている選択肢は二つである、ということです。


イエス・キリストに従って、自分を捨て、自分の十字架を背負って生きる、救いの道に進むか。それとも、自分を捨てることなく、自分の十字架を背負おうとしない、滅びの道に進むか、です。


どちらを歩むのもいやだ、と感じる人が多いのではないでしょうか。どちらの道であれ、結局、厳しいではないか。もっと楽な道はないのか、と探しはじめるのではないでしょうか。


あれか・これかの二者択一などは、したくありません。どちらでもない、第三の道を探したくなるのが、わたしたちです。


しかし、イエス・キリストは、こう言われました。


「わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。」


要するに、第三の道はない、ということです。


イエス・キリストを恥じるとは、イエス・キリストをいわば相対化することです。絶対視しないこと、距離をおくことです。


それは、他にもいろいろとある、いくつかの道の中の一つとして、イエス・キリストに従う道を見ることです。


わたしにとって大切なのは、イエス・キリストだけではない、キリスト教だけではない、教会だけではないと考えて、距離を置き、それなりの付き合い方をすることです。


熱心であること、近づきすぎることが、恥ずかしいのです。


ところが、そのようにイエス・キリストを恥じる人を、イエス・キリストは恥じる、と言われています。


イエス・キリストを信じるか・信じないか、あるいはまた、イエス・キリストに従って生きるか・従わないかには第三の道はありません。


もう一つ、先週触れることができなかったのは、9・27の御言葉です。


「確かに言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国を見るまでは決して死なない者がいる。」


これは解釈が難しい言葉です。イエス・キリストの弟子たちの中の誰かが終末における神の国の実現の日まで長生きする、というふうにも読めます。しかし、そういう意味ではありません。


イエス・キリストに従い、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って生きる者たちはすべて、神の国を見ることができる、という意味です。


ところが、その一方で、イエス・キリストに従わない者たちがいる。その人々は神の国を見ることができない、という意味です。


問われていることはイエス・キリストに従うか・従わないかです。ここでも、道は二つに一つである、ということが語られているのです。


「この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。」


イエスさまは、祈られるときには、しばしば、山に登られました。


しかし、なぜ山に登られたのかという理由が記されている個所を、わたしは知りません。山がお好きだったから、とか、都会の喧騒を離れて静かな場所に行かれたかったから、というようなことが明記されている個所を探しても、見つかりません。


また、この個所で、イエスさまが三人の弟子たちを連れて登られた山がどの山だったか、ということも、記されていません。


一説によりますと、ヘルモン山ではないかと考えられています。ガリラヤ湖よりも北にある、高さ二千七百メートルほどの山です。山頂に雪が積もる山です。


しかし、山の名前が記されていない、ということが、尊重されるべきかもしれません。どの山でこの出来事が起こったかということは、問題になっていません。


大切なことは、どの山で起こったかではなく、それが山で起こった、ということです。


山という場所が、聖書の中で重要な役割を果たしてきた、ということは、よく知られています。モーセが十戒の二枚の石の板を神さまからいただいたのも、山でした。


山に神が住むという、いわゆる山岳信仰は、世界各地にあります。聖書の場合は、山だけに神さまが住んでおられる、と信じられているわけではありませんので、いわゆる山岳信仰と一緒くたにすることはできません。


しかし、山で神に祈り、山で神に出会うという場面が、聖書の中には多く出てきます。牧師たちの中にも、山が好きという人が、時々います。


「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。」


山の上でイエスさまが、栄光に輝くお姿へと変貌された。これが、この個所が証言している最も大切なことです。


そして、変貌されたイエスさまは、モーセとエリヤという二人の旧約聖書的英雄たちと語り合っておられました。


興味深いのは、この二人とも、シナイ山(ホレブ山も同じ)で主なる神の御声を聴いたという共通点を持っていることです。


モーセのシナイ山での出来事は、出エジプト記19章以下に記されています。エリヤのシナイ山での出来事は、列王記上19・8以下に記されています。


要するに、山に関係がある人々、と呼ぶことができる二人が、イエスさまの御前に現れた、と語ることができます。


この二人が、イエスさまの御前で話し合っていた話題は、たいへん深刻なものでした。イエスさまがエルサレムで遂げようとしておられる最期は、どうなるのか、ということでした。


なぜ、モーセとエリヤなのでしょうか。先ほどは、山に関係がある人々、と呼ぶことができる二人、と申しました。しかし、おそらくそれだけではありません。


彼らは旧約聖書的英雄である、とも申しました。間違いなく言いうることは、この二人は、旧約聖書に記されている数多くの登場人物の中でも、最も有名で、また最も尊敬されている、最も代表的な人々である、ということです。


この二人こそ旧約聖書を文字どおり代表する人々である、と語ることができます。彼らの存在は、いわば旧約聖書の存在そのものである、とさえ言えます。


だからこそ、彼らは、イエス・キリストの最期の姿を、知っていました。旧約聖書は、救い主メシアの最期を知っています。


この二人、モーセとエリヤがイエスさまの御前に現れて、イエスさまと語り合いました。この出来事の意味は、明白です。


イエスさまは、彼らの証言、旧約聖書的証言を確認し、御自身がこれからエルサレムの町に入っていかれ、十字架の死の日を迎えるための備えをしておられたのです。


「ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。『先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。』ペトロは、自分でも何を言っているか、分からなかったのである。」


ここに描かれている弟子たちの姿は、なんともこっけいです。


彼らの先生であるイエスさまが、これからエルサレムで起こる御自身の十字架上の死について決心と覚悟を固め、備えをしているときに、弟子たちが寝ぼけているというのですから。


「ペトロは、自分でも何を言っているか、分からなかったのである」と書かれています。寝ぼけて訳の分からないことを口走ってしまった、ということでしょう。


ペトロの提案は、イエス・キリストのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ、全部で三つの仮小屋を建てましょう、というものでした。


何のための「仮小屋」でしょうか。幕屋(テント)と訳すことも可能な、宿泊のための仮設住宅です。


ペトロの意図は、たぶん次のことです。せっかくモーセ先生とエリヤ先生が来てくださったのですから、すぐに帰ってしまわれないように、こちらで宿泊していただきましょう、と言いたかったのではないでしょうか。精一杯のもてなしのつもりだったのだと思われます。


ところが、このペトロの提案は、雲の中から聞こえてきた声によって退けられました。それは、父なる神の声です。


「ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。すると、『これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け』と言う声が雲の中から聞こえた。その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時はだれにも話さなかった。」


父なる神が弟子たちにお示しになったことは、イエス・キリストに聞きなさい、ということでした。


モーセとエリヤの姿は、消えました。イエスさまとモーセとエリヤとの三人が横並びの関係にあるのではない、ということが示された、と言えます。


ペトロに悪気はありませんでした。しかし、彼の提案は、まるで、イエスさまとモーセとエリヤとを横に並べようとするものでした。この提案が、退けられたのです。


その理由は最初に申し上げたことです。道は二つに一つしかないからです。


この三人を横に並べて考えることができるとするならば、イエスさまを選ばなくとも、モーセかエリヤを選ぶだけでも、救われる道があるかのようです。


しかし、第三の道はありません。


イエス・キリストに従うか・従わないか。


この二つの道だけが、いえ、じつは、ただ一つの道だけが、弟子たちに示されたのです。


(2005年7月3日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年7月2日土曜日

『日本の説教 第13巻『田中剛二』(日本キリスト教団出版局、2004年)

田中剛二(一八九九~一九七九年)は、広島県三原市に日本基督教会教師の次男として生まれた。神戸神学校卒業後、日本基督教会教師となり、高知教会にて十二年余多田素牧師のもと副牧師として働いたのち、アメリカのプリンストン神学校とウェストミンスター神学校に留学。帰国後神港教会牧師になる。第二次大戦終結の翌年の日本基督改革派教会の創立大会(一九四六年)より二年遅れの一九四八年、四九才の田中は「私の教団離脱は私の悔い改めである」と記した理由書を教団に提出、神港教会と共に新教派に加入した。

田中は比類なき賜物を持ち、神港教会牧師として、改革派教会の教師として、神戸改革派神学校教授として、国内屈指の名説教者として、二児の父として、高潔な人格者として働きぬいた。多くの協力者にも恵まれ、歴史的改革派信仰および厳正な長老主義教会政治に立脚する新教派形成をリードすることにおいて日本プロテスタンティズムの全体的発展に貢献した第一人者であったと言って間違いない。カルヴァン研究をふくむ主要著作を収録した『田中剛二著作集』全四巻(神港教会刊、新教出版社発売、一九八二~一九八六年)は不朽の輝きを持っている。

この田中剛二牧師の説教集がこのたび「日本の説教」第一三巻として出版されたことを、わたし評者は心より喜ぶ者である。内容はテサロニケの信徒への手紙一の講解説教である。聖書への密着度や釈義的明晰性には活躍中から定評が高かった。だからこそ、時代を越えて読まれる価値もある。時事問題への言及は、全く見当たらない。

しかし田中の説教は「教会形成」を目指すものであった(安田吉三郎氏の解説より)。たとえば、次のように語られている個所がある(傍点は評者による)。

「わたしたちは、〔原始教会の〕その姿が、今日の教会の姿とどんなに大きく違っているかということを、痛感させられ〔ざるをえない〕のです。〔しかし〕これが、改革派教会の開拓伝道でなければなりません。」(二五頁)。

「わたしたちはみな、信仰と愛と望みについて学び、また、それらを与えられています。これがわたしたちを、神港教会という、キリストの教会たらしめているもの…なのです」(三四頁)。

このような言い回しでさえ極めて少ない。しかし、田中の説教は「わたしたち改革派教会」「わたしたち神港教会」をキリストの教会として建て上げてゆく言葉を語ることにおいて、真に具体的かつ現実的なものであった。常に模範としたい説教の姿がある。

(『季刊 教会』、日本基督教団改革長老教会協議会、第59号、2005年夏季号掲載)