2005年7月10日日曜日

信仰といやし

ルカによる福音書9・37~45


今日の個所に紹介されていますのは、わたしたちの救い主イエス・キリストが、一人の男の子の病気をいやしてくださった、という出来事です。


それはどのようにして起こったのか、この出来事の持っている意味は何かというあたりのことを考えながら、読み進めていきたいと思います。


「翌日、一同が山を下りると、大勢の群集がイエスを出迎えた。」


「翌日」とあります。何の翌日かといいますと、これは間違いなく、先週学びました、イエス・キリストが山の上で祈っておられるときに、栄光に輝くお姿に変貌されたというその出来事が起こった日の翌日、ということです。


今日の個所に紹介されている、イエス・キリストが一人の男の子の病気をいやしてくださった、というこの出来事は、マタイによる福音書(17・14〜18)にも、マルコによる福音書(9・14〜27)にも紹介されています。


そして、じつをいいますと、今わたしたちが開いておりますルカによる福音書とあわせた三つの福音書において、この出来事に関して共通している点があります。


それは、三つの福音書のどれも、この男の子の病気のいやしという出来事が起こったのは、イエス・キリストのいわゆる山上の変貌ということが起こった、その次であるというこの点です。


ただし、この点について、マタイとマルコは、この二つの出来事の間にある時間の経過については、とくに記しておりません。しかし、ルカだけが「翌日」ということを明らかにしています。


これは考えてみれば当たり前のことです。


イエスさまと三人の弟子たちは、山に登っておられたわけです。


それがどの山か、ということは聖書のどこにも記されていませんが、マタイとマルコは「高い山に登られた」と書いています。先週、わたしは、もしかしたらヘルモン山かもしれない、という説があることをご紹介いたしました。


ヘルモン山も、高い山です。文字どおり「登山」という言葉が、当てはまります。


高い山に登るのは一苦労です。だからこそ、ペトロたちは、ひどく眠かったという話が、先週の個所に出てきました。山を登ってきた足も体も、疲れていたのです。


それではイエスさまはお休みにならなかったのか、というと、そんなことはないと思います。栄光のお姿に変貌されたのちに、イエスさまもお休みになったのです。


そう考えてみますと、「翌日」という言葉の意味が、分かるような気がします。


時間的に続いているようで、続いていない。夜という時間を通り過ごすことにおいて、一度切れる。ぐっすり休み、新しい力に満たされて、立ち上がる。


そのようなイエスさまと弟子たちの姿を、思い浮かべることができます。


そして、山を下りました。すると、また大勢の群集が、イエスさまを取り囲みました。イエスさまには、十分に休息することができる時間がありません。


「そのとき、一人の男が群集の中から大声で言った。『先生、どうかわたしの子を見てやってください。一人息子です。悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。』」


この男の子の病気について、マタイは「てんかん」と、はっきり記しています(マタイ17・15)。マルコとルカは病名を記しておらず、病状の説明だけをしています。


引きつけが起きる。倒れる。口から泡を吹く。マルコは「歯ぎしりする」とも書いています(マルコ9・18)。


今では、それは、脳の慢性的な病気であると言われています。薬を飲んでコントロールできるようになった、と言われています。


しかし、それはごく最近のことです。長い間、治らない病気とされてきました。イエスさまの時代には、「悪霊が取りついた結果」と見られていました。


そのように説明するしかなかった、といいますか、そんなのは全く何の説明でもないわけです。原因不明のことは何でも「悪霊」と、説明にならない説明をするしかなかったのです。


イエスさまに助けを求めたのは、この男の子のお父さんでした。「先生、どうかわたしの子を見てやってください」と。


この父親は、この男の子を「わたしの子」と呼んでいます。「一人息子です」とも言っています。


わたしの子、たった一人の子が、病気で苦しんでいます。どうか見てやってください。助けてください。


これは、この父親の悲痛な叫びです。しかしまた、力強い叫びでもあると思います。


ここで少し、残念な話をしなくてはなりません。すべての人に当てはまる話ではない、ということを、あらかじめはっきりお断りしておきます。


ただ、しかし、世の父親の中には、自分の子どもが生まれつきの障害をもっていることが分かった途端に、妻子を置いて出て行くケースがあります。子どもの現実と向き合うことができない父親がいます。


しかし、この父親は違いました。


この子はわたしの子どもである。わたしのたった一人の、かけがえのない子どもである。


そのことを、イエスさまの前で、強く訴えました。


「わたしの子」と呼んでいる、その一言に、この父親の子どもに対する深い愛情を読み取ることができるように思われます。


ところが、です。この父親は、その心の中に、大きな不満を抱えていました。そして、イエスさまに向かって、助けを求めているようでもありますが、同時に一つの大きな苦情を述べたい気持ちをもっていました。


「『この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できませんでした』」。


「お弟子たち」とあります。原文には「あなたの弟子たち」と書かれています。


イエスさま、あなたの弟子たちは、一体、何なのですか、と言いたいのです。


「わたしの」大切な一人息子の病気を、「あなたの」弟子たちは、治すことができませんでした。それは「あなたの」責任です、と言いたいのです。


これは決して、この父親の言いがかりとは言えません。弟子たちを育て、訓練する責任は、たしかに、イエスさまにあります。


イエスさまは、十二人の弟子たちに「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能」をお授けになりました(ルカ9・1)。免許皆伝が行われました。


そして、彼らは、実際の現場に出て行って、イエスさまから授かった力を用いて、助けを求めてきた人を助けようと試みました。


とくに、このとき、イエスさまは、三人の弟子たちと共に山に登っておられたわけですから、イエスさまの留守中、自分たちだけで何とかして、この男の子の病気を治そうと努力したのだと思います。


ところが、弟子たちは、悪霊に打ち勝ち、病気をいやすことができる力を、不覚にも、まだ持っていませんでした。助けを求めてきた人を、助けることができなかったのです。


こういうときに空しい気持ちになるのは、助けを求めた人と求められた人との、両者です。


これが欲しいと願って入った店に、それがなかったということが三回続くと、その店には二度と行かないと心に誓うのが、わたしたちです。


診てもらっても治らない医者のところには、二度と行かないと心に誓うのが、わたしたちです。


この父親も、自分のかけがえのない一人息子の病気を治すことができないイエスさまの弟子たちなど、二度と信用しない、と心に誓いはじめていたのではないでしょうか。


しかし、それでも、弟子たちではなく、イエスさまご自身ならば、何とかしてくださるかもしれないと、まさに最後の望みを抱きつつ、この父親は、イエスさまのところに来ていたに違いありません。


最後の望み、と言いますのは、イエスさまとその弟子たちに頼ることを、「これで最後にしよう」という意味です。それは、非常に重大な決意です。


「これで最後にしよう」という決意は、抱くほうも、抱かれるほうも、本当に辛いものです。


わたしたちの教会生活においても、長い年月の間には、時として、そういう思いを抱くほどに追い詰められることがあると思います。


「これで最後にしよう」。今日、もし恵みを感じることができなかったならば。


「これで最後にしよう」。今日、もし喜びを感じることができなかったならば。


そこには、お互いの真剣勝負があります。イエスさまの弟子として生きる道は、甘えた気持ちだけでは、乗り越えていくことができそうもありません。


「イエスはお答えになった。『なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。』」


イエスさまは、激しくお怒りになりました。もちろん、弟子たちに対して、です。教師として、弟子たちを育て、訓練する責任において、です。


なんとだらしない、なんと無力で、みじめな結果だろうか、と。あなたがたに足りないのは、「信仰」である、と。


おそらく、弟子たちは、震え上がる気持ちで、そしてまた、自分自身のあまりの無力さに打ちのめされる気持ちで、イエスさまのお言葉を聞いたに違いありません。


このとき、イエスさまが激しくお怒りになりながら、お話しになったことの中に、たいへん気になる言葉が出てきます。


「いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。」


このお言葉は、反対の方向から言い直しますと、「わたしは、あなたがたと、いつまでも永久に、一緒にいることができるわけではない」ということでもあります。


「先生、ごめんなさい。わたしたちには、できませんでした。先生がやってください」と言って、弟子たちが、自分の責任を放棄し、自分が本当はしなければならなかったことを、イエスさまに丸投げしてきたときには、いつでも、イエスさまは、我慢して弟子たちの尻拭いをすることになるわけです。


しかし、そういうことができるのも、今のうちだけであって、いつまでも永久に、そのようにできるわけではない、ということを、イエスさまは、ここではっきりおっしゃっています。


それは、もちろん、イエスさまが、これからエルサレムにお入りになり、そこで不当な裁判をお受けになり、十字架にかけられて死ぬ(殺される)ということを、強く自覚しておられたからです。


ご自身の死ということを強く自覚しておられたがゆえに、弟子たちの体たらくが、我慢できなかったのです。いつまであなたがたの面倒を見なければならないのか、と。


とはいえ、それはまた、明らかに、言葉の裏側に、弟子たちに対する愛情も込められている、と言ってよいものでもあるでしょう。「もちろん、わたしがあなたがたと一緒にいることができる間は、面倒をみることができるのだけれどね」と。


また、もう一つのことも、思い当たります。イエスさまが、この先、助けの御手を差し伸べたいと願っておられる相手は、もはや、弟子たちではありえない、ということです。


なぜなら、今やイエスさまの弟子たちは、いわばイエス様の側に立って、イエスさまと共に、世の多くの人々を助けるわざに就いているはずだからです。


イエスさまが助けたいと願っておられるのは、弟子たちではなく、世の多くの人々です。


少しひどい言い方に聞こえてしまうかもしれませんが、イエスさまは、いつまでも永久に、弟子たちの面倒など、見てくださいません。


そんなことをしているよりも、一人でも多くの世の人々を助けたい、とお考えになります。


イエスさまというお方は、そういうお方なのです。


「『あなたの子供をここに連れて来なさい。』」


このように、イエスさまは、この父親にお命じになりました。


「あなたの」大切な子どもを助けることができなかった「わたしの」弟子たちの無力をお詫びしたい、という不甲斐ないお気持ちを、持っておられたのではないでしょうか。


そして、イエスさまが、弟子たちの代わりに、この男の子の病気をいやしてくださいました。


しかし、本当は、この子の病気をいやすことは、弟子たち自身がしなければならないことだったのです。


(2005年7月10日、松戸小金原教会主日礼拝)