2005年7月2日土曜日

『日本の説教 第13巻『田中剛二』(日本キリスト教団出版局、2004年)

田中剛二(一八九九~一九七九年)は、広島県三原市に日本基督教会教師の次男として生まれた。神戸神学校卒業後、日本基督教会教師となり、高知教会にて十二年余多田素牧師のもと副牧師として働いたのち、アメリカのプリンストン神学校とウェストミンスター神学校に留学。帰国後神港教会牧師になる。第二次大戦終結の翌年の日本基督改革派教会の創立大会(一九四六年)より二年遅れの一九四八年、四九才の田中は「私の教団離脱は私の悔い改めである」と記した理由書を教団に提出、神港教会と共に新教派に加入した。

田中は比類なき賜物を持ち、神港教会牧師として、改革派教会の教師として、神戸改革派神学校教授として、国内屈指の名説教者として、二児の父として、高潔な人格者として働きぬいた。多くの協力者にも恵まれ、歴史的改革派信仰および厳正な長老主義教会政治に立脚する新教派形成をリードすることにおいて日本プロテスタンティズムの全体的発展に貢献した第一人者であったと言って間違いない。カルヴァン研究をふくむ主要著作を収録した『田中剛二著作集』全四巻(神港教会刊、新教出版社発売、一九八二~一九八六年)は不朽の輝きを持っている。

この田中剛二牧師の説教集がこのたび「日本の説教」第一三巻として出版されたことを、わたし評者は心より喜ぶ者である。内容はテサロニケの信徒への手紙一の講解説教である。聖書への密着度や釈義的明晰性には活躍中から定評が高かった。だからこそ、時代を越えて読まれる価値もある。時事問題への言及は、全く見当たらない。

しかし田中の説教は「教会形成」を目指すものであった(安田吉三郎氏の解説より)。たとえば、次のように語られている個所がある(傍点は評者による)。

「わたしたちは、〔原始教会の〕その姿が、今日の教会の姿とどんなに大きく違っているかということを、痛感させられ〔ざるをえない〕のです。〔しかし〕これが、改革派教会の開拓伝道でなければなりません。」(二五頁)。

「わたしたちはみな、信仰と愛と望みについて学び、また、それらを与えられています。これがわたしたちを、神港教会という、キリストの教会たらしめているもの…なのです」(三四頁)。

このような言い回しでさえ極めて少ない。しかし、田中の説教は「わたしたち改革派教会」「わたしたち神港教会」をキリストの教会として建て上げてゆく言葉を語ることにおいて、真に具体的かつ現実的なものであった。常に模範としたい説教の姿がある。

(『季刊 教会』、日本基督教団改革長老教会協議会、第59号、2005年夏季号掲載)