2005年6月12日日曜日

おそるな、ただ信ぜよ

ルカによる福音書8・40〜56


関口 康


今日の個所に描き出されておりますイエスさまのお姿は、一言で言うならば、たいへん忙しそうです。


「イエスが帰って来られると、群集は喜んで迎えた。イエスを待っていたからである。」


イエスさまは、休むひまがありません。旅先から帰ってこられた途端、たくさんの人々に囲まれてしまいました。そして、ただちに、次の仕事が飛び込んできました。


「そこへ、ヤイロという人が来た。この人は会堂長であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。十二歳ぐらいの一人娘がいたが、死にかけていたのである。」


非常に重い仕事です。会堂長ヤイロの娘は、そのとき十二歳だったというのです。


ルカが記している、会堂長がイエスさまに願った内容は「自分の家に来てくださるように」ということだけです。


しかし、マルコは、こう書いています。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」


もちろん、そういうことだと思います。十二歳で終わってよい人生などあるはずがないと、親ならば、そう考えるに決まっています。


どんな結果になろうとも、です。最後までもがき、助けを求めるでしょう。


イエスさまに来ていただきたい。娘の上に手を置いていただきたい。そうすれば、娘は助かり、生きる。そのことを、ヤイロは信じたのです。


その願いを聞いたイエスさまは、どうされたか。うれしいことに、ただちに腰を上げてくださいました。「旅行で疲れているので明日にしてください」とは言われませんでした。


もちろん、そうでしょう。人の死には「待ったなし」という面があります。


ところが、です。大急ぎでヤイロの家に向かおうとされている、そのイエスさまの行く手を阻むかのような事件が起こりました。


「イエスがそこに行かれる途中、群集が周りに押し寄せてきた。ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。イエスは、『わたしに触れたのはだれか』と言われた。人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、『先生、群集があなたを取り巻いて、押し合っているのです』と言った。しかし、イエスは、『だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ』と言われた。」


一つの仕事の途中に、全く違う別の仕事が入ってきた、という感じです。


「仕事」と呼んでしまうと、少し冷たく響いてしまうかもしれません。仕事だから仕方ない、という意味が生じてしまうかもしれません。


わたしは、決して、そういうことを申し上げたいわけではありません。しかし、一つの点だけ、ちょっと気になること、気にしておくべきことがあるのではないか、と感じています。


それは、ごく分かりやすく言うなら、イエスさまも人間であられる、ということです。


わたしたちの信仰告白によりますと、イエスさまは、まことの神ご自身でもあられますが、まことの人間、わたしたちと同じこの肉体を持つ人間として、この地上の世界に来てくださった方です。


イエスさまもまた、わたしたちと同じ人間性というものを持っておられます。


わたしたちと同じ、この肉体を持っておられます。


わたしたちと同じ、この空間と時間の枠組みの中で生きる、という地上的な制約の中に立っておられます。


そういうお方なのですから、ある意味でわたしたちと全く同じ、と考えてよい点もあるわけです。


今、この聖書の個所を読みながら、イエスさまとわたしたちとが全く同じだ、と考えてよい点があるとしたら、それは、ここです。全く違う二つの仕事を、全く同時に行うことはできない、ということです。


一人の女性が、イエスさまの服に触りました。


この人も、大きな苦しみを抱えて生きてきた人です。


なんとかしてこの苦しみから逃れたいと願ってきた人です。


イエスさまなら何とかしてくださる、と信じて、その手をイエスさまの服へと、伸ばしたのです。


もしかしたら、です。あまりよくない仮定の話かもしれません。しかし、もしかしたら、イエスさまは、どさくさに紛れてご自分の服に触った人のことを、無視することもおできになったかもしれません。


わたしは忙しい。しかも、今、わたしが向かっている行き先には、死を目前にしている小さな子どもがいる。通りがかりの人の求めにかまっている時間はない。


こういうふうに、これこそまさしく冷たい態度をとって、足ばやに先に進んでいくことも、おできになったかもしれません。


しかし、です。これは、やはり、あまりよくない仮定の話です。


イエスさまには、それがおできになりませんでした。立ち止まられ、振り返られました。そして、ご自分の服に触った人の姿を、一生懸命に探しはじめられたのです。


「女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。イエスは言われた。『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。』」


「女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し」と書かれています。なぜ隠そうとしたのでしょうか。なぜ震えているのでしょうか。なぜひれ伏すのでしょうか。


彼女は、何か悪いことをしたでしょうか。助けを求めただけです。イエスさまに助けていただきたかっただけです。


イエスさまがあまりにお忙しそうにしておられるので、自分のような者などにかかずらわっていただくのは申し訳ない、とでも考えたのでしょうか。


もしそういう理由であるとしたら、イエスさまは「それは違うよ」とおっしゃるのではないでしょうか。


イエスさまが、いつ、助けを求めてきた人を助けなかったでしょうか。「求めよ、さらば与えられん」は、イエスさまご自身の御言葉です。有言実行、ではないのでしょうか。


「今は忙しいので、今度にしてね」と、イエスさまは、言われません。イエスさまは、今、助けを求めている人を、今、助けてくださる、そういうお方なのです。


「イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。『お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。』」


もしかしたら、いえ、おそらく間違いなく、会堂長ヤイロは、イエスさまの到着が遅いことに、不満を感じたことでしょう。


十二歳の自分の娘が、今、亡くなった。もう危ない、ということは、イエスさまには、お知らせしたはずだ。


そしてイエスさまは、旅先から帰ってこられたばかりであったにもかかわらず、ただちに腰を上げてくださり、まっすぐにわが家に駆けつけてくださろうとした。


しかし、それにもかかわらず、あろうことか、イエスさまは寄り道された。途中で一件、別の仕事をお済ませになった。


そのせいで、とは言えないかもしれないけれども、イエスさまの到着が遅れ、娘の死の瞬間に間に合わなかった。


こういうときの遺族が、なんともいえない複雑な気持ちになる、ということは、わたしたちにも想像できるところではないかと思います。


もちろん、そうです。たしかに、イエスさまは、ある意味で寄り道されました。ヤイロの家に、わき目もふらず、まっすぐに行かれたわけではありませんでした。


しかし、どうでしょうか。わたしたちは、ここで何を、どう考えるべきでしょうか。


「十二年間も出血の止まらない」、「多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった」この一人の女性が、いわば最後の望み、最後の賭けとしてイエスさまに、いえ、イエスさまの服に伸ばした手を振り払ってでも、イエスさまは、ヤイロの家に、まっすぐに行くべきだったでしょうか。


ここでぜひ考えてみたいこと、考えてみていただきたいことは、人の不幸というものは、単純に比較することはできないものである、ということです。


「わたしの苦しみは、あなたの苦しみよりも大きい」と、苦しむ人ならば、だれでも、そう思います。しかし、じつは、みんな、そう思っているのです。


そして、残念ながら、というべきでしょうか、イエスさまは、まことの神ご自身であられると同時に、まことの人間でもあられます。この地上の時間と空間の枠組みの中で活動された、歴史上の一人物でもあられるのです。


その意味で、です。イエスさまは、一度に同時に、別の場所にいる別の人をいやす、ということは、なさいませんでした。冷たいと思われようとも、どう思われようとも、一人一人に対して、一つ一つのわざを、順を追ってなさるほかはありませんでした。


しかし、です。イエスさまは、ヤイロに言われました。


「イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。『恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。』」


こう語られたあとイエスさまは、そのお言葉どおり、現実に、ヤイロの娘を死の向こう側から呼び返してくださいました。


イエスさまは、一度に同時に、別の場所にいる別の人をいやすことは、なさらなかったかもしれません。


しかし、一人の人をいやされたのち、イエスさまは、すでに亡くなった人を、もう一度呼び返される、という大いなるみわざをもって、ヤイロの家族を慰めてくださったのです。


先ほど、冒頭で、人の死には「待ったなし」という面がある、と申しました。


しかし、イエスさまは、違います。


ヤイロの娘の死に「待った」をかけてくださった!


すでに亡くなっているヤイロの娘を、もう一度、呼び戻してくださった!


このような離れわざをもって、イエスさまは、ヤイロとヤイロの家族とを心から愛してくださったのです。


「恐れることはない。ただ信じなさい。」


イエスさまは、今も、わたしたちに、こう語りかけてくださっています。


(2005年6月12日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年6月5日日曜日

驚くべき救いの出来事

ルカによる福音書8・26〜39


関口 康


今日の個所に紹介されている出来事は、マタイによる福音書8・28〜34、そしてマルコによる福音書5・1〜20にも紹介されています。


ただし、マタイは、悪霊にとりつかれていた人は、二人いた、としています。それ以外の点は、だいたい同じです。この点だけ注意しておきたいと思います。


「一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。」


「ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方」とあります。カファルナウムの港から舟に乗ってガリラヤ湖をわたった向こう岸、舟から上がったところの町です。


今はフェリーが動いています。フェリーを降りたら、港の近くにピーターズフィッシュ(ペトロの魚)と呼ばれる魚の料理を食べさせてくれる食堂がありました。


そのように、今では観光地になっています。


バスガイドが、「この場所で、イエスさまが悪霊に取りつかれていた人から悪霊を追い出され、その悪霊が豚の群れに取りつき、その豚の群れが湖になだれ落ちていったのです」と、一つのなだらかな丘を指差して、見せてくれました。


そのように、今では、まるでごく普通の昔話のように、一つの語り種になっているのが今日の出来事です。


「この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。」


この男性を、変わった人だ、とか、かわいそうな人だ、というふうに見ることが妥当かどうか、そのような見方が正しいかどうかは、微妙です。


過去の彼の身に何があったのかというようなことは、何も知らされていません。


ただ、ほかの人々から見て、普通でないと感じられる格好をし、また普通の人なら住みたいとは思わないような場所に住んでいたことだけは、たしかです。


たとえば、今の日本の国の中で、この人と同じような格好をし、また同じような場所に住んでいる人がいたら、おそらく、ただちに警察の人が飛んで行って、事情を聞くなり、保護するなり、何らかの処置をするでしょう。


この人が、そのような何か特殊な事情を持った人である、と見られても仕方のないような格好、また生活をしていた、ということは、否定できません。


しかし、この人は、イエスさまを見ると、大声で何かを言いはじめた、ということが、次に記されています。


「イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。『いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。』イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。」


このような展開は、イエスさまならば当たり前だ、と考えることができるでしょうか。


たとえば、わたしたちならば、です。


この人のような、なんとなく近づきがたいところをもった人物に初めて出会い、その姿や様子を目の当たりにしたときに、どのような態度をとるでしょうか。


どうしても、つい、距離をとってしまうのではないでしょうか。


おそらくどうしても、まず最初に少し様子を見るだろうと思います。すぐに近づき、すぐに声をかけ、その人とかかわりを持とうとはしないのではないかと思います。


おそらく、わたしもそうです。牧師のくせに何だ、と思われるかもしれません。しかし、そうしてしまうであろうことを否定できません。


初対面の人、しかも、ある種の特殊性というものを持っていると感じられる人に対して、何のためらいもなく、即座にかかわることは、難しいことです。


ところが、イエスさまは、違いました。


実際、すぐに、この人から、「かまわないでくれ!(余計なお世話だ!)」という反応が返ってきました。


しかし、イエスさまは、そのような反応は、いわば全くお構いなしに、彼のふところの奥深くに入り込んで行かれたのです。「汚れた霊に男から出るように命じられた」のです。


「この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。イエスが、『名は何というか』とお尋ねになると、『レギオン』と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。」


イエスさまは、その人の名前をお尋ねになりました。「名は何というか」。


あなたの名前は何ですか。それは、一人の人との人格的な関係を始める、はじめの一歩です。


わたしたちの存在に、名前が付けられています。


名前を呼ばれるときに、それはわたしである、と気づく。


名前を尋ねられるときに、わたしの存在に関心を持っている人がいる、ということに気づく。


それが、わたしたちの名前の持つ役割、あるいは意義です。


通常、わたしたちの名前は、親たちが決めるものです。生みの親であるか、育ての親であるかはともかく、です。親の子に対する思いなども、名前にこめられています。


イエスさまは、その人の名前をお尋ねになることによって、その人との人格的かかわりを始めようとされました。


ここに、イエスさまの、人々に対する、基本的な姿勢がある、と言えます。


誰に対しても、です。


「かまわないでくれ、余計なお世話はごめんです。かかわらないでほしい」と言い出すことが分かっているような相手であっても、です。


これで分かることは、イエスさまは、この人のことを「恐ろしい人である」というふうには全く考えておられなかったに違いない、ということです。


「人を恐れる」という言葉には、いろんな意味が含まれていると思われます。


最も悪い意味は、誰かある人自身を悪魔であると見ること、あるいは悪魔的であると見ることです。


そのような見方は、本当に間違っているものです。そのように見てしまいますと、その相手とのかかわりを、完全に断ち切り、遠ざけてしまうことになるのです。


「そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。」


ここに書かれていることは、わたしたちにとって躓きに満ちたものである、ということは、ほとんど確実です。


悪霊がその人から出て行ったとか、その悪霊が豚に取りついたとか、その豚が死んだらその人が正気に戻ったとか、このようなことを、そのまま受け入れなさい、と言われると、多くの人々が困ってしまうでしょう。


わたしは、ここに書かれていることを読んで、現代のような医学も何もない時代の話という面があると考えることは、ある程度、許されるであろうと考えております。


この記事は、歴史的・時代的な制約を持っている、ということが認められて然るべきです。


しかしながら、次の二つのことは、しっかりと受けとめられなければなりません。


第一は、今日の個所の最後に語られているイエスさまの御言葉の中に出てくる点です。


「神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい」。この人の身に起こった出来事は「神がなさったこと」である、というこの点が、重要です。


悪霊が豚に取りついて云々、という一つ一つの描写の是非はともかく、その一切を「神がなさったこと」として受けとめることができれば、わたしたちとしては十分である、と思われるのです。


そしてまた第二に重要な点は、この人、つまり「悪霊に取りつかれている」と自他共に認めてきたこの一人の人が、イエスさまのみわざによって、正気に戻ったこと、自分自身を取り戻すことができたというこのこと、この結果そのものです。


途中のプロセスがどうであるかはともかく、です。


イエスさまも、これは「神がなさったこと」であるというこのこと、また結果そのものを重視されました。


イエスさまは、町の人々から出て行ってくれと言われたとき、あまり食い下がりませんでした。


イエスさまご自身は、その人から悪霊が出て、それが豚たちに取りついて、その豚たちが死んだら、この人が正気に戻ったのだ。


だから、わたしがしたことは、この人を助けるためだったのだとか、


だから、自分のしたことに間違いはないのだとか、


非難を受ける筋合いはないのだとか、


そういうことは何もお語りになりませんでした。


それどころか、町の人々に対しては、ほとんど何も言わず、再び舟に乗り、ガリラヤ湖をわたって、カファルナウムへとお帰りになりました。


これは神がなさったことである、ということ。また起こった出来事そのもの、この一人の人が、自分自身を取り戻すことができた、というこの出来事そのものに満足されました。それでご自分の役割は終わったとして、その町を立ち去られたのです。


「そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。『自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。』その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。」


この人は、自分の家に帰ることができたでしょうか。家族は、彼の帰りを待っていたでしょうか。そのようなことは、何も分かりません。


しかし、自分自身を取り戻し、自分の家に帰ること、自分の本来の姿に立ち返ること、これができるときに、ひとは「救い」の喜びを、静かに味わうのです。「救い」とは、特殊な出来事ではありません。


そのための道、この人がこの人らしさを取り戻す道を、イエスさまは、開き示してくださったのです。


安心して、わが家に帰ることができる。


そのことこそが、“驚くべき救いの出来事”なのです。


(2005年6月5日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年5月29日日曜日

突風を静める

ルカによる福音書8・16~25


関口 康


今日は、三つの段落を読みました。無理にこじつけるつもりはありません。ただ、ごく素直に読んでみて、これら三つの段落には、共通しているテーマがある、と思いました。


キーワードは「神の言葉」です。一言で言えば、神の言葉、すなわち、神の御子イエス・キリストがお語りになる御言葉を聴くわたしたち人間の態度は、どうあるべきか、ということです。


「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」


「だから、どう聞くべきかに注意しなさい」とあります。何を「どう聞くべきか」なのかと言いますと、ですから、これが「神の御言葉を」です。神の御言葉の聴き方に注意しなさい、ということです。


おそらくこれは、先週学びました、イエスさまの種蒔きのたとえ話から直接続いている話です。


イエスさまは、不特定多数の人々にはたとえ話で語られる一方で、弟子たちにはそのたとえ話の解説までお語りになりました。


多くの人々の前でたとえ話が語られている時点では、まだ隠されている部分が残されている。しかし、たとえ話に隠されている部分は、解説されることによってあらわにされる。


これでお分かりでしょう。たしかにイエスさまは、多くの人々の前でたとえ話を語られました。しかし、それで終わりにされたいのではありません。


たとえ話には、ある明確な“目的”ないし“目標”があるのです。たとえ話そのものは、その目的に到達するための単なる“手段”にすぎないのです。


「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の上に置いたりする人はいない」のです!


「入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く」のです!


イエスさまは、多くの人々がたとえ話の解説まで聴くことができる者、つまり、イエスさまの弟子に加わってもらいたいのです!


イエスさまのたとえ話の目的は、弟子仲間に「入って来る人」、加わる人を得ることです!


イエスさまともあろうお方が、多くの人には意味不明のたとえ話だけを語り、それで事足れりとする、というような乱暴なやり方で、終わられるはずがありません。


その言葉を聴いて、「それってどういう意味?」と質問してくる人々を、イエスさまは、待っておられるのです。


教会の伝道活動についても、同じようなことが言えます。


松戸小金原教会には、岩崎昭長老が運営してくださっているホームページがあります。現在までのアクセス数、なんと三万回を越えています。三万枚のチラシを配るに匹敵する、いやそれ以上の役割を、教会のホームページが担っています。


わたしも現在、純粋に教会の伝道活動の一環のつもりで、毎週の説教を、インターネットのホームページやメールを使って、不特定多数の人々に公開しております。


しかし、です。これはおそらく岩崎長老ご自身も納得してくださることだと思いますが、わたし自身は、ホームページのような方法で広く伝えることができる事柄は、本当にごくわずかなことである、と考えております。


心配してくださる方は、「説教の内容を全部公開してしまったら、わざわざ礼拝に集まる人が少なくなるのではないか」と言われます。


しかし、その点は、全く心配ご無用です。


今ここではっきり申し上げることができることは、書かれた文字や文章が伝えることのできるのは、わたしたちの教会活動全体の中では、ほんのごくわずかな要素にすぎないからです。


もちろん、教会の牧師も、教会自身も、イエスさま御自身ではありません。単純に比較することはできません。


しかし、牧師の説教の中にも、教会活動全体の中にも、直接会うことなしには、物理的距離において近づいていなければ、決して伝えることができない要素が、かならずあるのです。


手紙を書くことが、まさにそうです。ラブレターでも何でもいいです。「愛しています」と書いて送ったら、それで終わり、ということは、ありえません。


かならず次のアクションが必要です。実際に会うこと、そして、互いに愛し合うことが必要です。


イエスさまの弟子になることができた人には、イエスさまのお語りになる神の御言葉の真意が分かるのです。弟子になるまでは、その真意は、隠れたまま、秘められたままです。


ひとりで聖書を読んでも、ちっとも分からない、と言われます。無理もないことです。なぜなら、聖書は、イエス・キリストの体としての教会の中で読まれることによって、初めて理解できる言葉だからです。


聖書に記されているのは、教会の現実、そして信仰共同体としてのイスラエルの現実だからです。


教会の現実を共に体験しうる仲間に加わらなければ、聖書の御言葉は、単なる抽象的な宗教知識に留まるでしょう。


「さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群集のために近づくことができなかった。そこでイエスに、『母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます』との知らせがあった。するとイエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである』とお答えになった。」


ここに登場するのは、イエスさまの母と兄弟たちです。


イエスさまの母の名前は、マリアです。兄弟たちの名前は、ルカによる福音書には紹介されていません。


マタイによる福音書13・55とマルコによる福音書6・3には紹介されています。「ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ」です。また、複数の「姉妹たち」もいた、と書かれています。


父ヨセフが登場していないのは、なぜか、と問われることがあります。これについては、以前に一度お話ししましたように、父ヨセフは早く亡くなったのではないか、と考える人々がいます。もちろん、はっきりしたことは分かりません。


それはともかく、イエスさまの母と兄弟たちが、イエスさまのところに来たが、群集がいたので、近づくことができませんでした。


それで、彼らは、何とかしてイエスさまに近づくために、ある人にお願いして、イエスさまのほうから家族のところに近づいてくるようにと、伝えてもらった、というわけです。


家族なのですから、ある意味で、当然のことを言ったつもりだったのでしょう。


ところが、イエスさまは、そのような家族の要望を、事実上拒否されました。そして「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお語りになりました。


冷たいなあ、と感じる人が出てきても無理のない言葉でしょう。しかし、わたしたちは、このイエスさまの御言葉の真意を、よく考えてみる必要があると思います。


これも前に一度用いたことのあるたとえなのですが、たとえば、行列ができるほど有名な医者のことを、思い描いてみていただきたいのです。


多くの人々が、自分の順番を今か今かと待っている。そこに、その医者の家族が来て、わたしたちのことを先に診なさい、と言い出すとしたら、どうでしょうか。


あなたがたのことは後回しである、と言わなければならない場面も、現実にはあるのではないでしょうか。


またもう一つ、問題にされるべきことがあります。それは、そのときイエスさまがしておられたことは、「神の御言葉を語る」というお仕事であった、ということです。


逆の方向から、つまり、イエスさまの母や兄弟たちの立場から、考えてみると、どうでしょうか。


たとえば、わたしたちの子どもたちが、日曜学校の生徒が、将来、日本キリスト改革派教会の牧師になって、松戸小金原教会の礼拝で説教している。


それをわたしたちは、どれくらい“真面目に”聴くことができるでしょうか。“神の御言葉として”聴けるでしょうか。いろいろと難しい問題が生じるように思うのです。


しかし、です。もしそれが「神の言葉」として聴かれないならば、「説教」には何の意味もないのです。


この場面でイエスさまが母や兄弟たちを事実上拒絶されたことの意味は、このあたりにあると思われます。


わたしたちにとって「母や兄弟たち」は、たしかに、最優先されるべき人々です。


だからこそ、「神の言葉を聞いて行う人たち」こそが「わたしの母であり、わたしの兄弟」である、とイエスさまはお語りになったのです。


イエスさまのお気持ちを察する必要がある、と思います。


「ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、『湖の向こう岸に渡ろう』と言われたので、船出した。渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。弟子たちは近寄ってイエスを起こし、『先生、先生、おぼれそうです』と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。イエスは、『あなたがたの信仰はどこにあるのか』と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、『いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか』と互いに言った。」


なんとも興味深い話です。嵐の真っ只中にもかかわらず、イエスさまが、ぐっすり眠りこんでおられた、というのです。


強靭な神経の持ち主、とでも言うべきでしょうか。あるいは、堂々たる姿、でしょうか。


しかし、弟子たちのほうは、今にも死ぬのではないかと、悲鳴を上げていました。


そして、イエスさまをゆすって、起こします。「先生、先生、おぼれそうです」と。


弟子たちの悲鳴も聞こえなかったかのようにぐっすり眠っておられたイエスさまのほうも、悪かったと言えば悪かった・・・かもしれません。


しかし、考えてみれば、舟をこぐ仕事、そして、舟に乗っている人々を目的地まで安全に送り届ける仕事は、イエスさま御自身の仕事ではなく、弟子たちの仕事でした。


ご承知のとおり、イエスさまの弟子たちの中には、ガリラヤ湖で漁師をしていたペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネもいたのです。


彼らは、イエスさまをゆすって起こして、そのイエスさまに、何をお願いしようとしたのでしょうか。


そのとき、彼らのなすべきことは何だったのでしょうか。慌てふためき、動転し、混乱し、大騒ぎすることだったのでしょうか。


それとも、心を落ち着けること、冷静になること、自分たちが置かれている状況を冷静に見分けること、そして、正しい舵取りをすることではなかったでしょうか。


しかし、実際の彼らは、そうではありませんでした。死の恐怖に怯え、ギブアップするのみ。


眠っておられたのに弟子たちに起こされたイエスさまは、少し怒っておられるようです。風と荒波とをお叱りになりました。その途端、嵐は静まり、凪になりました。


そして、イエスさまは、弟子たちに対して、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われました。


このときのイエスさまも、少し怒っておられるようです。弟子たちが、イエスさまに叱られているようです。いえ、たしかに、叱っておられるのです!


イエスさまの御言葉は、湖の上で現実に起こっている「風と荒波」に向かって語られた言葉であることを疑う必要は、少しもありません。


しかし、その同じ御言葉は、弟子たちの耳にも、かならず聴こえたでしょう。


なぜなら、「聞く耳」が付いているのは弟子たちですから!


風と荒波に「聞く耳」は付いていませんから!


弟子たちの心の中で荒れ狂っていた「風と波」にも、いえ、まさにその「風と波」にこそ、「黙れ、静まれ」とお叱りになるイエスさまの御言葉が届いたに違いありません。


これは、おそらく何ごとにも当てはまることです。


自分のなすべきことをなしうるようになるために、わたしたちは、しっかり気を落ち着けて、正気になる必要があります。


気が動転しているときこそ、イエスさまの御言葉に耳を傾けることが大切です。


その意味で、彼らが、眠っておられたイエスさまをゆすって、目を覚ましていただいたのは、正解だったのです。


(2005年5月29日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年5月22日日曜日

種蒔きのたとえ

ルカによる福音書8・1~15


関口 康


今日からまた、ルカによる福音書の学びを再開いたします。


今日開いていただきました個所の最初の段落には、イエスさまの伝道活動の様子が記されております。


「すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」


ここで分かることが、いくつかあります。


第一は、イエスさまの伝道活動は、お一人ではなく、いつも仲間たちとご一緒であった、ということです。


「十二人」とは、イエスさまが弟子たちの中から特別に十二人をお選びになり、「使徒」と名付けられた、あの人々のことです(ルカ6・12〜16)。この十二人は――残念ながら、というべきでしょうか――全員男性でした。


しかし、イエスさまの伝道仲間は男性だけではありませんでした。女性もたくさんいました。


これが、ここで分かる第二のことです。つまり、イエスさまの伝道仲間には、男性だけではなく、女性もたくさんいた、ということです。


女性たちのうち、三人の名前が紹介されています。マグダラのマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、スサンナです。


このうちのマグダラのマリアと、二番目に紹介されているヨハナは、このように二人が並べられて紹介される個所が、ルカによる福音書の中にもう一個所あります。


それは、ルカによる福音書24・10です。イエスさまが、死人の中からよみがえられた。墓の中にはもうおられない、と知らせる二人の天使の声を聞いた何人かの婦人たちの中に、この二人がいました。


つまり、復活されたイエス・キリストの証人として、この二人の名前が紹介されているのです。


そして、もう一つ。ここで分かることの第三は、イエスさまの伝道旅行に同行した女性たちの働きを紹介する言葉として、「自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」というこの点が挙げられている、ということです。


ここで「奉仕」と訳されている言葉は、わたしたちの教会に「執事」という働きを負ってくださっている方々がおられますが、「執事」と「奉仕」とは同じ意味の言葉です。


教会活動の中で、主として経済的・実務的な側面を取り扱っていただく職務です。


実際問題として、もし教会から執事の働きが失われるなら、教会は、一歩たりとも前進できません。その重要な教会の執事的働きを、女性たちが担っていました。


もちろん、男性の執事もおられます。しかし、――ここでも再び、残念ながら、というべきでしょうか――聖書の時代には、使徒や長老として女性が選ばれることはありませんでした。


その分、執事の働きを女性が担う、という分業がなされていた、と考えることができます。


さて、その次の段落には、イエスさまが実際に語られた説教が、再び記されています。


再び、と申しましたのは、つい先ごろ、わたしたちは、このルカによる福音書6・20以下に記されている、イエスさまの説教(地上の説教!)を学んだばかりだからです。


「大勢の群集が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。『種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。』イエスはこのように話して、『聞く耳のある者は聞きなさい』と大声で言われた。」


これが、実際に多くの人々の前で、イエスさまの口から語られた説教の内容であった、ということです。表舞台で、会衆の前で、大きな声で語られた部分は、8節までです。


9節以下は、楽屋で、弟子たちの前だけで、小さな声で語られた部分です。要するに、いわゆる「楽屋話」(がくやばなし)です。


「大勢の群集」とは、要するに不特定多数の人々です。


その人々の前では、あるところまで語る。しかも「たとえ」を用いて語る。しかし、それ以上は語らない。それ以上のことについては、特定の少数の人々の前でだけ語る。


このような言葉の使い分けを、イエスさまともあろう方がなさったのだ、ということです。


ただ、しかし、そのことにはもちろん、明らかに何かの理由があった、と考えるべきであろうと思われます。


その理由について、イエスさま御自身は、次のように説明しておられます。


「弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。イエスは言われた。『あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、「彼らが見ても見えず、聞いても理解できない」ようになるためである。』」


イエスさまの弟子たちには「たとえ」の解説をしてくださる。しかし、それ以外の人々には、「たとえ」のまま、つまり、解説を加えずに語る。


その理由は、彼らが見ても見えず、聞いても理解できないようになるためである、と言われています。


要するに、イエスさまは、ある人々にとっては聞いても理解できない言葉を、わざと語っているのだ、ということになります。何となく、ひどいことを言われている気がしてきます。


しかし、イエスさまがこのようにされたことには理由があります。考えられることは、次のような理由です。


それは、このときすでに、イエスさまの身に危険が及んでいたのではないか、ということです。


イエスさまの言葉尻をとらえて、何とかしてイエスさまを捕まえ、殺そうとする人々が混ざり始めている、ということに、イエスさま御自身が、気づいておられたのではないでしょうか。


そのような人々に言葉尻をつかまえられないようにするために、イエスさまは「たとえ」をお用いになったのです。


また、今申し上げましたことのいわば裏側にある、と言いうる事柄として、イエスさまのお語りになる御言葉には、いわば常に、ある人々の急所を刺し貫くような非常に鋭い刀が隠されている、ということも、否定しえない事実として挙げておく必要があるでしょう。


イエスさまの言葉は、何も切ることができない鈍刀(なまくらがたな)ではありません。


それどころか、イエスさまの言葉は、常に、かならず、わたしたちの生命にかかわる重大な決断を迫るものです。


「聞く耳のある人」には、それが分かるのです! ああ、切られた、と感じます。


しかし、問題はその先です。


「よくも切りやがったな」と、わたしを切ったイエスさまを、憎み、恨むのか。


それとも、わたしに真実の言葉を語ってくださったイエスさまを愛し、イエスさまの前で悔い改め、イエスさまに従って生きていくことを決心するのか。


わたしたちは、舞台裏の楽屋でイエスさま御自身が語られた「たとえ」の解説を知っております。


「『このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結んだ人たちである。』」


この解説で明らかにされていることは、イエスさまが「たとえ」を用いて語られた説教の主旨は何なのか、ということです。


要するに、たとえ全く同一の神の御言葉が語られたとしても、その御言葉を聞く人々の態度や状況などによって、受けとられ方において全く違ってしまうということがありうるのだ、ということです。


道端のものとは、悪魔の誘惑が多いところで、神の御言葉を聞いた人のことである、ということです。


石地のものとは、聞いた御言葉の根が生えないので、しばらくは信じても試練に耐えられない、ということです。


茨とは、イエスさまによりますと、人生の思い煩いや富や快楽のことです。そういうものが、聞いた御言葉の種が実を結ぶに至るまで成長していくのを、妨害するのだ、ということです。


良い土地に落ちた種は、すくすくと順調に成長する。


ですから、これは、なるほど、聞き方によっては、裁きの言葉として受けとられかねません。


「わたしは良い土地である」と胸を張って、自信をもって語ることができる人は、今も昔も、それほど多くいるとは思えないからです。


むしろ、わたしたちの多くがすぐに考えてしまうことは、「わたしは道端です」、「わたしは石地です」、「わたしは茨にふさがれた地です」ということのほうでしょう。


そして、このように聞いてしまいますと、なるほど、たしかに、「ああ、わたしはイエスさまに裁かれた」と感じるのです。


しかし、それで終わりでしょうか。問題は、その先にあるのです。はたして、わたしの人生は、いつまでも、道端のままなのか、石地のままなのか、茨にふさがれたままなのか、です。


そうではない、と信じたいところです。イエスさまは、わたしたちを裁くために、この御言葉を語っておられるのではない、と信じたいところです。


いずれにせよ、語られているのは、神の御言葉です。それを受け入れることができない人々の事情を、イエスさまは、よくご存知です。いろいろな障害がある、ということを、よくご存じです。


だからこそ、「立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人」にわたしたち自身がならせていただけるように、イエスさまにお願いすることが大切です。


「聞く耳のある者」にならせていただきたいのです。


(2005年5月22日、松戸小金原教会主日礼拝)


2005年5月19日木曜日

「キリスト教の立場から」―「小金原憲法九条の会」第二回例会での発言―

このたび小金原に新しく誕生されました「憲法九条の会」で貴重な発言の機会を与えていただけるというお知らせをいただきましたとき、たいへん光栄に思いました。御厚意をいただきました皆様に心より感謝申し上げます。

しかし、どのようなことを語りうるか、皆様の御期待に副いうるかという点につきましては非常に大きな不安を持っておりますことを正直に白状しておきます。御期待に副えなかった場合はどうかお許しください。

私は昨年(2004年)の四月、松戸市小金原七丁目の「松戸小金原教会」の牧師として、他県から引っ越してきたばかりです。栗ヶ沢小学校に通う二児(小五男、小二女)の父でもあります。それ以前は高知県、福岡県、山梨県などで、やはり牧師をしておりました。出身地は岡山県岡山市です。牧師の子弟ではなく一信徒の家庭で生まれた者です。しかし、高校、大学を卒業してすぐにこの仕事に就きましたので会社勤めなどの体験はありません。

このような経歴の持ち主に対してはしばしば「世間知らずである」という目を向けられたり、そのように面と向かって言われたりすることがあります。なるほど、ある意味そうだと言えばそうなのかもしれません。最も苦手なことはお金の勘定です。

しかし、そのように見られたり言われたりすることには非常に強い抵抗感を覚えます。「そうではない!」と自己主張したくなります。「教会」といえども、間違いなく「人間の集まり」だからです。「教会」は世間の中に立っています。「世のため・人のために」教会は存在しています。それどころか「教会」は、良くも悪しくも、とにかく一つの「世間」そのものです。牧師は教会の中で十分な意味での「世間」を学ぶことができるのです。

たとえば、私が牧師として松戸に来るまでに携わってきた仕事には、家庭内争議の仲裁や離婚のお世話までありました。あるいはまた、牧師の通常の活動である「伝道」(わたしたちは「布教」という表現は用いません)や教育、結婚式やお葬式、病院や施設への慰問なども、わたしたちの場合、その場限りで終わることはほとんどありません。一人一人との間に長い期間を通して苦労して築き上げられていく信頼関係があるからこそ成り立つことです。

いろんな家庭に招かれて一緒に食事をする機会も多くあります。牧師の仕事は幸か不幸か「他人のプライバシーに首をつっこむ」仕事でもあります。いずれにせよわたしたちは浮世離れした場所へと逃避したり隠れたりということは一切していません。そうしたいという気持ちも全くありません。

どうか皆様のお仲間に加えていただき、お役に立てることが少しでもあるようでしたら何でもお申し付けいただきたいとひたすら願うばかりです。本日私がここで発言させていただくことについては、教会役員会の許可を得ておりますし、教会のみんなにも知らせております。もちろん喜んで送り出してくださいました。牧師の働きが「世のため・人のために」役立つことを、教会のみんなは喜んでくれるのです。

さて、しかし、本日私は、教会の宣伝をするためにここに参加させていただいたわけではありません。

今やわたしたちの国の中で、グラグラ揺れているどころか、実体としては全く骨抜きにされ、有名無実化されてしまったと言わざるをえない「日本国憲法第九条」とその平和主義を何とかして守りぬくために、私のような小さき者にできることがあるならば何でもさせていただきたいという一心で、参加させていただきました。

「 日本国憲法第九条

① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。                              」

なんと高貴な、そして、なんと美しい思想でしょうか!

平和の喜びを享受することこそが、全人類・全世界の希望であり究極目標であるということに、多くの異論があるのでしょうか。

その目標になんとかして到達しようと真に願う者たちにとって、「戦争」と「武力」は、国際紛争を解決する手段にはならず、かえって未解決の要素を増幅させ、世界を混沌に陥れる手段にこそなるのだということを、わたしたちは、60年前の事例を持ち出すまでもなく、ここ数年間に起こったさまざまな出来事を通して、身に沁みて確信していることではないでしょうか。

「今こそ戦争を始めるべきだ」と考えている人がこの国の中に何人いるのでしょうか。そのようなことは誰も望んでいないのではないでしょうか。ところが、今やわが国はこの「戦争」と「武力」を再び手にし、わがものとして自由に行使できるように道を整えようとしています。「戦争」と「武力」を「永久に放棄する」という約束を放棄し、破棄しようとしています。「誰も望まない戦争」を誰が始めようとしているのでしょうか。

私が日本国憲法第九条の平和主義を固く守るべきだと信じる第一の理由は、ここにあります。つまり多くの人々の願いは「戦争をしないこと」なのであって、わたしたちの思いはこの第九条に書かれているとおりの言葉で説明されるのがふさわしいということです。

教会で子どもたちにいつも教えているのは「約束は守ろうね」ということです。聖書は、約束を守ることができないことを指して「罪」と呼ぶのです。無意味で・無価値で・有害無益な約束ならば固く守る必要はないかもしれません。そのようなものに縛られるべきではないと言わなければならない場合もあります。

しかし、もう戦争はしません、もう武力を手にしませんという、これほど尊い約束を、なぜ破ろうとしているのでしょうか。全く理解に苦しみます。

またもう少し別の観点から申しますと、私が日本国憲法第九条の平和主義を固く守るべきだと信じているもう一つの理由として、この場においてはごく個人的な意見になるかもしれませんが、これがやはり、わたしたち教会の者たちにとっては、イエス・キリストと新約聖書の教えに一致している、ということにおいて重大な事柄として受けとめるべきであるということです。

「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイによる福音書5・9)

「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」(マタイによる福音書5・39)

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイによる福音書5・44)

「できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。」(ローマの信徒への手紙12・18~19)

「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」(ローマの信徒への手紙12・21)

新約聖書には他にもたくさんの平和に関する教えがあります。聖書において「平和」とは個人的な意味での「心の平安と喜び」と社会的な意味での「戦争のない状態」との両方がいわば同時に実現していることを示しています。

それでは、歴史の中の教会はいわゆる絶対平和主義の立場をとってきましたか、あるいはまた、完璧な意味での非暴力主義の立場をとってきましたかと問われるなら、必ずしもそうとは言い切れませんとお答えしなければなりません。

歴史の中ではむしろ教会こそが、キリスト教こそが戦争の当事者であり続けてきたのではないかと非難されることが多くあります。本当にそのとおりであると、恥じ入るばかりです。

日本の教会も、60年前の第二次世界大戦の際に軍部の指令に屈し、自ら信じる神にささげる礼拝の中で同時に「宮城遥拝」を行うことによって国民の戦意を奮い立たせることに加担しました。そのことを、わたしたちは深く反省しています。二度とそのようなことが起こらないよう不断の注意を払っています。

松戸小金原教会が所属する「日本キリスト改革派教会」は通常年一回開く大会(教派の最高決議機関)で靖国神社問題や日本国憲法の平和主義の堅持についてのステートメントを採択し、教会自身のある意味での「政治的態度決定」をしております。

もちろん、「教会」自体は「政党」ではありませんので、国会等の議席を獲得するための選挙運動などはしておりませんし、すべきでもないと考えております。

しかし、ドイツやオランダなどにある「キリスト教民主党」のような公党が今の日本には存在しない以上、思想的に近い立場の政党や市民運動を応援することが、教会として、またキリスト者としての政治的責任を果たして行く道であると信じております。

「小金原憲法九条の会」がこれからもますます発展していきますよう期待しております。

(2005年5月19日、小金原憲法九条の会第二回例会、於小金原市民センター)


2005年5月16日月曜日

聖霊の力を受けて

2005年度松戸小金原教会ペンテコステ礼拝


使徒言行録2・37~47


関口 康


本日はペンテコステ礼拝です。わたしたちは今、本当に喜んでおります。先ほど、小川千里兄・孝子姉ご夫妻が、揃って洗礼を受けてくださいました。


小川千里さんは、昭和8年生まれで、わたしの父、また、本教会の佐藤栄一長老や小田雅也長老とも同い年の方です。孝子さんの年齢は、伏せておきます。


わたしは、今から約10年前に、妻の母が洗礼を受けてくれたときには、60才からでも新しい人生を始めることができるのだ、などと、その年齢の方々には、なんだか失礼なことを考えておりました。


しかし、70才からでも新しい人生を始めることができるのだ、ということを今日わたしは深く確信し、神さまに感謝しております。


洗礼を受ける年齢は、決定的な問題ではありません。信仰生活の長さも、究極的な問題ではありません。


また、次の言葉を語りますと嫌な顔をされる場合があるのですが、信仰生活の歴史の長さと信仰の深さは必ずしも比例するものではない、ということも、この機会ですから、言わせていただきます。


また、どの教会の・どの牧師から洗礼を受けた、というようなことも、決定的な問題ではありません。


ある人に洗礼を授けるという光栄に与ることができた教会とその牧師は、その人がのちのち、あの教会で・あの牧師から洗礼を受けたことを「恥ずかしいことだ」と思うことにならないように、せいぜい努力し、精進すべきです。


むしろ、問題は、洗礼を受けることです。何才からでも、いつからでも、救い主イエス・キリストを信じ、教会で洗礼を受け、新しい人生を始めることが、大切なのです。


今日はペンテコステ礼拝です。先ほどお読みしました聖書の個所に記されているのは、今から約二千年前に行われたペンテコステ礼拝での出来事です。


「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」


「五旬祭の日」、これがペンテコステのことです。ユダヤ教の過越祭から数えて五〇日目を意味します。イエス・キリストが、十字架にかけられる前の夜、過越祭の食事としての最後の晩餐を行われてから五〇日目、ということにもなります。


この五旬祭の日まで、イエスさまを信じる人々の数は、百二十人ほどになっていたようです。その数字の根拠は、1・15にあります。


じつを言いますと、一時期、イエスさまが御言葉をお語りになる集会には、男性だけで五千人、女性や子供を合わせるとおそらく一万人以上も集まったりしていたのです。


ところが、みんな、散らされていきました。イエスさまが十字架にかけられて苦しんでいるときに、恐ろしくなって逃げていったのです。


ですから、百二十人という数字は、みんな散らされていった後に残されたほんのわずか一握りの人々の数である、と考えることができそうです。


しかし、その人々でさえ、胸を張って、イエスさまと共に生きていく決意や覚悟があると、言い切れる状態にはなかったと思われます。なお非常に強い迫害の恐怖や緊張感があったに違いないのです。


ところが、その弟子たちに、です。聖霊の力が降り注がれる、という出来事が起こりました。それが、二千年前のペンテコステ礼拝の中で起こったことです。


「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」とあります。このとき起こったことは何かということを説明するのは難しいと感じます。書いてあるとおり、としか言いようがありません。


ただ、ここには、聖霊の姿が「炎のような舌」と描かれています。これがおそらく重要なポイントです。


炎のような舌が、一人一人の上にとどまる。こういう出来事が起こったのです。


舌は、もちろん、わたしたちの口の中にあるこれです。食べること、飲むこと、なめることなどに使います。しかし、言葉を語ることにも使います。舌は言葉を語るためにあるのです!


そうです、神の言葉を宣べ伝えること、信仰の証しを公に告白すること、そして、人と人との間の会話とコミュニケーションを成り立たせること、言葉をもって互いに交わること、そのために舌があるのです!


聖霊の舌をいただくまでは、イエスさまの弟子たちは、舌を抜かれた状態にあったのでしょうか。「そうだ」とも言えますし、「そうでない」とも言えそうです。


そのときの弟子たちは、迫害の恐怖に怯え、あるいは、さまざまな個人的な事情から、イエス・キリストに対する信仰を公に言い表すことができずにいたのだ、と考えることができるかもしれません。


しかし、全く何も語ることができずにいた、というわけでもなかったでしょう。小さな声で、ごく近くにいる仲間たちだけに聞こえる声で、ひそひそと語り合っていた、という感じではなかったでしょうか。


だからこそ、聖霊の舌は「炎のような」と形容されているのではないでしょうか。熱く語る舌、情熱に満たされて語る舌、このような舌が、イエスさまの弟子たちに与えられたのです。


しかし、ここで、どうか、皆さんには、聖書の御言を注意深く読んでいただきたい、と願っております。


ここに書かれていることは「一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」です。「話しだした」のは、その主語は、あくまでも「一同」です。イエスさまの弟子たちです。


「聖霊が語らせるままに」とあります。これは「聖霊が操るままに」というふうに読めてしまうかもしれませんが、それは非常に危険な読み方です。


ここに描かれているのは、本人の意志に反して聖霊が勝手に話しだした、というような話ではありません。あくまでも彼ら自身が話しだしたのです。このことが重要です。


さて、この二千年前のペンテコステ礼拝で、説教を担当したのは、使徒ペトロでした。「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた」(2・14)と書かれているとおりです。


この説教の内容について、今日は、詳しくお話しする時間がありません。ぜひ今日それぞれお家に帰られてからじっくりお読みいただきたいと思います。


ある意味で、たいへん厳しいと感じられる説教であると言えます。


まず最初に語られていることは、イエス・キリストというお方が、父なる神から遣われてきた、ということです。


そのキリストが、多くの人々の前で、救いのみわざを行ってくださった。そのことは、あなたがた自身が、よく知っていることである、ということです。


ところが、そのキリストを、あなたがたは、十字架につけて殺してしまった。キリストを否定し、殺したのは、あなたがた自身である、と続きます。


しかし、そのキリストが、死人の中から、よみがえってくださった。父なる神が、その御子イエスを、主とし、メシアとしてくださった。わたしたち、キリストの弟子たちは、キリストの復活の証人である。


そして、そのキリストは、今や、父なる神の右に上げられ、父から受けとった聖霊を、注いでくださった。


このような説教でした。


そして、先ほどお読みいたしました個所に記されているのは、このペトロの説教を直接耳にした人々の反応と、それに対するペトロの答えです。


「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』と言った。すると、ペトロは彼らに言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。』」


あなたがたがイエス・キリストを十字架につけて殺したのだ。この言葉は、強い審きの言葉です。本当に厳しい言葉だと思います。


しかし、そこにいた人々は、不思議なくらいに、謙虚に、また静かに、ペトロの説教を受けとめることができました。


その気持ちの現れとしての「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」です。


悪い意味で開き直った、「今さら、どうすりゃいいんだ。やってしまったことは取り返しがつかないじゃないか」というような、投げやりな言葉ではありません。


「イエス・キリストを否定し、十字架につけてしまったわたしたちの、なすべきことを教えてください」という意味です。


それに対するペトロの答えが、「悔い改めなさい。洗礼を受けなさい。罪を赦していただきなさい」です。


「そうすれば」、あなたがたも、このわたし、わたしたちと同じように、です。


「賜物としての聖霊を受けます」です。


このわたしが、今、あなたがたに、神の御言を宣べ伝えている、この燃える炎のような聖霊の舌を、あるいは、聖霊のすべての賜物を、あなたがたも、受けとるのだ、ということです。


ここで興味深いことは、このことを、他ならぬ使徒ペトロが語っていることです。


ペトロとは、どういう人だったかを思い出していただきたいのです。


ペトロは有名な人です。何で有名かと言いますと、いちばん最初にイエスさまの弟子になったことでも有名ですし、元気があって熱心な人ということでも有名です。


しかし、このペトロは、イエスさまが十字架にかけられたときに逃げてしまった人としても有名です。鶏が鳴く前に、三度もイエスさまを「知らない」と語ったことでも有名なのです。


そのことは、ペトロ自身が、いちばんよく知っていたことです。


ですから、ここでぜひ注目していただきたいのは、この説教を語っているのは、まさにそういう人である、という点です。


「あなたがたがキリストを十字架につけて殺したのだ」と語るペトロの言葉の「あなたがた」には、ペトロ自身も当然含まれているのです。自分のことを棚に上げて言っているわけではないのです。この点が重要です。


だからこそ、です。「罪を赦していただきなさい」と語るペトロの言葉には、誰よりも先に自分自身が罪を赦していただいた感謝と喜びと悔い改めの思いが込められているのです。


このわたしをも、イエスさまを捨てて逃げたこのわたしでさえ赦してくださった、救い主イエスさまに、あなたがたも、罪を赦していただきなさい、と語っているのです。


「ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、『邪悪なこの時代から救われなさい』と勧めていた。ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」


ペトロの説教が終わった後、三千人ほどの人々が、洗礼を受けました。救い主イエス・キリストを信じて生きる約束を、多くの人々がしました。


この日をわたしたちは、歴史的キリスト教会の創立記念日としてお祝いしてきました。これが今日わたしたちが行っているペンテコステ礼拝の意義です。


「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」


ここには、歴史的キリスト教会の最初のメンバーたちの姿が描かれています。「民衆全体から好意を寄せられた」と書かれています。


彼らの姿のどの部分が、そういうものだったのでしょうか。


繰り返し出てくる言葉は、「一つ」ということです。


「信者たちは皆一つになって」、「毎日心を一つにして」、「喜びと真心をもって一緒に」、そして「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされた」とあります。


悪い意味でバラバラ、チグハグ、ドタバタの教会は、人々に不信感を与えます。「教会のくせに」とか、余計なことも言われてしまいます。


イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりにおいて、喜んで一致している教会は、豊かな祝福を受けるのです。


「この教会の仲間に加わりたい」という志を抱く人々が、起こされるのです。


(2005年5月15日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年5月9日月曜日

安心して行きなさい

ルカによる福音書7・36~50


関口 康


今日の個所の主な登場人物は、イエスさまの他に、二人います。


一人は、「あるファリサイ派の人」(36節)と紹介されています。しかし、すぐ後に名前が出てきます。「シモン」(40節)です。男の人の名前です。シモンという名のファリサイ派の男性です。


もう一人は、女性です。「この町に一人の罪深い女がいた」(37節)と書かれています。


最初に登場するのは、男性のほうです。この人は、イエスさまに、自分の家で一緒に食事をしてください、と招待しました。


そうしますと、その場に突如として割り込んできた人がいました。それが、もう一人の登場人物である、女性でした。


「さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。」


この女性の登場の仕方は、まさに文字どおり“乱入”という言葉が当てはまるものです。落ち着いた場の雰囲気や、なごやかな団らんなどは、すべてぶち壊してしまわれるようなやり方である、と言わざるをえません。


現実の体験として想像してみていただけば、きっとお分かりいただけるはずです。


食事中に、そっと背後から近づいてこられ、足に触られる。それだけで、誰でもたぶん飛び上がると思います。


しかも、その女性は泣いている。その涙で足が濡れるほど泣いている。泣いている理由は、よく分からない。


その次は、その足を髪の毛でなでられる。そして、接吻される。普通の人なら、悲鳴を上げると思います。


そして、香油を塗られる。その匂いは部屋中に充満して、落ち着いて食事などしている場合ではなくなるはずです。


ところが、です。この突然起こった騒動の中で、もう一人の登場人物であるファリサイ派のシモンは、「腹を立てた」とは書かれておりません。


そうではなくて、ちょっと不思議な、というほどでもないかもしれませんが、「この場面で、どうしてそこに?」と感じなくもないところに、関心を持ちました。


「イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、『この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに』と思った。」


シモンの関心を、わたしなりの言葉で表現してみますと、こうなります。


このわたしの目の前にいるイエスという人が、今のこの騒ぎを起こしている女性の正体ないし本性を、ズバリ見抜くことができるかどうか。それで、この人が真の宗教家としての資質を持っているどうかが分かる。


このあたりのことだと考えていただくと、きっとご理解いただけるのではないかと思います。


人の正体ないし本性をズバリと見抜く力。こういうものが、たしかに、宗教家には求められているかもしれません。


ただ、今日の個所の問題を、ひょっとしたらなんとなく複雑で面倒なものにしているかもしれないことがあるような気がします。


それは、ちょっと言いにくいことですが、この女性がまさに女性であった、ということにあるのではないかと感じます。


あまり生々しい話は、控えます。ただ、どの時代にも・どの社会にも、「自称宗教家」のような人々が異性との「不適切な」関係を持つという問題を起こすことがあります。最近も、大きな事件がありました。


今日の個所に出てくるこの女性の場合は、どうだったでしょうか。


もちろんあくまでも、周りの人の目から見て、という話ではありますが、まさに周りの人の目から見て、この女性がイエスさまに近づいてきたことには何かとてもいかがわしい目的があるのではないか、と見えたに違いないのです。


この女性は、その町の人々から、またファリサイ派シモンから、「罪深い女」という目で見られていた人です。そのような人が、です。明らかに何か「不適切な」目的で、イエスさまに近づいてきている、というふうに、人々の目には映っていたに違いないのです。


そのファリサイ派シモンが、です。


この女性、つまり、少なくとも周囲の人々から「罪深い女なのに」と思われているこの女性に対して、です。


このイエスという一人の宗教家は、はたしてこの女性の本性を、どのように見抜くのだろうかということに、関心を抱いたのだ、というふうに理解することができると思われるのです。


もう少しだけはっきり言いますと、そのように突如として現われ、文字通り“自分の体をすり寄せてくる”、「罪深い女」と見られている一人の女性の前で、このイエスさまが、どのような言葉を語り、どのような態度をとるのかという点に、シモンは関心を持ったのです。


このようにシモンが考えることは、ある意味で無理もないことです。


ところが、イエスさまは、シモンに対して、次のような話をお始めになりました。


「そこで、イエスがその人に向かって、『シモン、あなたに言いたいことがある』と言われると、シモンは、『先生、おっしゃってください』と言った。イエスはお話しになった。『ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。』シモンは、『帳消しにしてもらった額が多い方だと思います』と答えた。イエスは、『そのとおりだ』と言われた。」


イエスさまのたとえ話の意図は、非常に明白です。説明を加える余地などは、どこにもありません。それほどに分かりやすい話です。


イエスさまというお方は、こむずかしい哲学的な話などは、ほとんど全くされたことがありません。


むしろ、“こういう”話です。金貸しだとか、借金だとか、帳消しだとか。


身近といえば身近です。下世話といえば下世話。文字通りの“世間話”のような調子の話です。


しかも、このたとえ話に登場する金貸しは、実際にはなかなかお目にかかれないような優しい人です。


ある人が二人の人にお金を貸したところ、どちらにも返すお金がなかったので、両方の借金とも帳消しにしてあげたという話です。


ありがたいといえばありがたい。お人よしといえば、これ以上のお人よしは、探しても見つからないほどです。


このたとえ話の結論として引き出されている、帳消しにしてもらった額が多い方の人が、その金貸しをより多く愛するであろう、というこの点は、ファリサイ派のシモンでも納得できることでした。そりゃ、そうでしょうと、わたしも思います。


しかし、ここで興味深いことは、イエスさまというお方がこのたとえ話の中でたとえているのは、明らかに、御自分のことである、という点です。


イエスさまは、言うならば、ご自分のことを金融業者にたとえておられるのです。驚くべきことだと思います。
 
「そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。『この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。」


シモンのほうは、何となくですが、“とばっちり”を受けているような気がしなくもありません。


イエスさまを自分の家の食事に招待して、それなりに楽しくやっていたところに、突然この女性が現われて、すべてを台無しにされてしまう。


その上、イエスさまには、この女性と比較されて、「あなたは足を洗う水もくれなかった」とか、「接吻の挨拶もしなかった」とか、「頭にオリーブ油を塗ってくれなかった」とか、非難めいたことを言われてしまう。


しかし、シモンには、どうか、ここは少し我慢して、聞いてほしいところです。


別に何も、イエスさまは、シモンのほうを、あえてけなしたいわけではないのです。


イエスさまは、この女性を、ただ、かばっておられるだけです。


この女性のしたことを、そして、この女性自身を、励ましておられるだけなのです。


イエスさまが本当におっしゃりたいことは、まさに次の一点でしょう。


「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。』そして、イエスは女に、『あなたの罪は赦された』と言われた。同席の人たちは、『罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう』と考え始めた。」


「赦されることの少ない者は、愛することも少ない」。逆に言えば、「赦されることの多い者は、愛することも多い」ということです。イエスさまがおっしゃりたいのは、そのことです。


1デナリオンは、労働者の一日分の賃金に相当するそうです。500デナリオンはいくらでしょうか。50デナリオンはいくらでしょうか。


ごく単純に、たとえば500万円と50万円という数字で考えてみると、どうでしょうか(多いでしょうか)。


あるいは、もっと単純に、一年分の生活費と一か月分の生活費というふうに考えてみると、どうでしょうか。


どちらを赦してもらうほうが、ありがたいでしょうか。生活上の救いになるでしょうか。


借金の返済の問題は、当事者たちにとっては、少しも大げさではなく、文字通り、人生の問題であり、生活の問題であり、生きる望みの問題です。


ただし、誤解がありませぬように。罪の問題と借金の問題は、もちろん、イコールではありません。借金そのものが罪だと言いたいわけではありません。


しかし、このたとえ話は、よく分かる話だと思います。実感できる。しみじみと、心に伝わってくる話です。


罪の赦しとは、借金を帳消しにしてもらえるのと同じことである、ということです。心の重荷が取り去られるのです。


だからこそ、です。


「イエスは女に、『あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』と言われた。」


「あなたの信仰」とは、この女性がしたように、人の迷惑をあまり気にせず、なんとかしてイエスさまに近づき、愛を示し、依り頼むことでしょう。


その女性に、イエスさまは、慰めの言葉を語り、生きる希望を与えてくださったのです。


(2005年5月8日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年5月1日日曜日

来るべき方

ルカによる福音書7・11〜35


関口 康


今日はかなり長くお読みしました。これだけの長さを読まなければ今日の個所の真意を読み取ることは難しい、と思ったからです。


今日の最初の段落に紹介されているのは、救い主イエス・キリストがナインという町で一人の若者をよみがえらせた、という出来事です。


「それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群集も一緒だった。」


「弟子たちや大勢の群集も一緒であった」とあります。この出来事には多くの証人がいたのです。


具体的にそれはどのような出来事であったかについては、ここに書いてあることをそのまま受け入れるほかはありません。


「イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。」


「その母親はやもめであった」とあります。彼女の夫は、妻との間に一人息子を設けた後、亡くなってしまいました。ところが、その男の子も亡くなりました。その日は、その大切な一人息子の葬儀が行われていたのです。


「主はこの母親を見て」とあります。ここでふと気づかされるのは、イエスさまの視線が真っ先に向けられた先はどこか、ということです。


イエスさまの視線は、この母親へと、真っ先に向けられました。とても悲しい出来事が起こったとき、その悲しみの状況の中で最も悲しんでいるであろう人へと向けられました。


それは、イエスさまだけが特別に持っておられる力とは言えないかもしれません。人の悲しみを見抜く力です。たとえそこにたくさんの人がいても、その中で最も悲しんでいる人は誰かを見分ける力です。


そして、「憐れに思い」とあります。悲しんでいる人の心に深く共感し、またその悲しみを自分のことのように悲しむ力です。一般的には共感能力などと呼ばれます。


イエスさまは、その母親に「もう泣かなくてもよい」と言われました。もちろん、これは慰めの言葉として語られています。


しかし、イエスさまは、ただ単に、慰めの言葉をお語りになっただけではありません。“お慰みを述べられた”だけではありません。


すぐさま、そのご自身が語られた言葉の根拠となる、救いのみわざを行われました。


「そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、『若者よ、あなたに言う。起きなさい』と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、『大預言者が我々の間に現れた』と言い、また、『神はその民を心にかけてくださった』と言った。」


イエスさまは、死んだ人をよみがえらせる、というみわざを行われました。大切な人を失った誰もが考えるであろう「もう一度会いたい。会って、もう一度話がしたい」という願いをかなえてくださいました。


にわかには信じがたい、と感じる人は多いでしょう。こんなことがあってたまるか、と考える人がいても、無理もないことです。


しかし、ルカは先手を打っていました。すでに「弟子たちや大勢の群集も一緒だった」と書いていました。この出来事には多くの証人がいるということが、はっきりと示されていました。


疑う気持ちや信じられない気持ちは、わたしにも、よく分かります。しかし、この出来事は、彼らのその目が見たとおりの事実である、と言わなければなりません。


「イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。」


今日の大きな問題は、じつは、ここから始まります。


「イエスについてのこの話」とは、ナインという町で、イエスさまが死人をよみがえらせるというみわざを行われた、という話です。この話が、「ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった」のです。


人から人へ口づてに語り継がれ、広まっていく話のことを、わたしたちは、伝言(でんごん)と呼んだり、噂話(うわさばなし)と呼んだりします。


ただし、とくに噂話のほうには、少し悪い意味合いが含まれる場合が多いことは事実でしょう。


伝言ゲームという子どもの遊びがあります。あのゲームの面白さは、伝言という手段によって一つの情報が、いかに正確に伝わるかではありません。いかに間違って伝わるかが面白いのです。いかに尾ひれがついているかが、面白いのです。


ですから、それはもちろん、恐ろしいことでもあります。いつの間にか、ありもしないことを言いふらされている、という場合があるのです。今日お読みしました7・33以下に記されているイエスさまご自身の御言は、そのことを明らかにしています。


「洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」


要するに、他人は、言いたいことを言う、という戒めです。あることも、ないことも、です。歴史上のイエスさまは実際に「大食漢で大酒飲みだ」と悪口を言われていたというのです。


じつは、今日の個所にやや隠されてはいますが真の主題であると思われるのは、この点です。この主題を見抜けるようにすることが、今日聖書を長く読んだ理由です。


まとめて言えば、人が立てる噂話の問題です。その影響力の問題です。


イエスさまがナインで死人をよみがえらせた、という話は、一つの噂話として広まり、それがヨハネのところにも伝えられました。


このヨハネとは、このルカによる福音書には、すでに何度も登場している、あのヨハネです。イエスさまの母マリアの親戚であるエリサベトとザカリアの子である、あのヨハネ。イエスさまに洗礼を授けた、あのヨハネ。洗礼者ヨハネです。


このヨハネは、みんなの前で、次のように語っておりました。


「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼を授ける」(ルカ3・16)。


ヨハネが語っているこの言葉の意図は、要するに、ヨハネ自身はイスラエルが待ち望む救い主メシアではない、ということです。


来るべきメシアは、このわたし自身ではない。わたしよりも優れた方がメシアとして来られるのだ、ということです。ヨハネ自身も救い主を待ち望む一人である、ということです。


そして、ヨハネは、来るべきメシアの到来を前にして、すべての人が自分の罪を悔い改めて、洗礼を受け、身と心を清めて、救い主をお迎えすべきであるということを教えてきたのです。


そのヨハネのもとに、一つの知らせが届きました。なんと恐るべきことに、死人をよみがえらせる力なるものを持った人が、ナインの町に現れたらしい。もしかしたら、その方こそ来るべきお方なのではないかという、まさにそのような一つの噂話が届いたのです。


「ヨハネの弟子たちが、これらすべてのことについてヨハネに知らせた。そこで、ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、主のもとに送り、こう言わせた。『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。』二人はイエスのもとに来て言った。『わたしたちは洗礼者ヨハネからの使いの者ですが、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」とお尋ねするようにとのことです。』」


イエスさまについての噂話を耳にしたヨハネは、その方こそが「来るべき方」であるのかどうかを知りたいと願いました。


それでヨハネがとった行動は、なんと大胆なことに、そのことを直接イエスさま自身に質問してみる、ということでした。


ただし、ヨハネ自身ではなく、ヨハネの二人の弟子をイエスさまのところに遣わす、という方法をとりました。


ところが、このときヨハネが二人の弟子たちに託した質問には、やや余計とも思われる点もあったと言えそうです。「それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」と。


ヨハネがイエスさまに向かって投げかけた質問は、「来るべき方は、あなたですね。ようこそ、お待ちしておりました。よくぞお出でくださいました。心から歓迎いたします」というようなものではなかった、ということです。


死人をよみがえらせる、というわざが現実に行われ、そのことがたくさんの証人たちの前で行われた、という話を聞いてもなお、です。


「あなたですか。それとも、別の方ですか」と、問いを投げかけたのです。


もちろん、これはおそらく、ヨハネというこの人の思慮深さ、あるいは用心深さというべきものを表わしている点であると思われます。


人づての噂話を簡単に鵜呑みにしない、ということです。他人の語る言葉を簡単に信用しない、ということです。疑う心、批判する心が、全く無いとしたら、むしろ心配です。


だまされやすさと信仰は、ベツモノです。批判的に物事を見ることを理性的と呼ぶことができるとすれば、わたしたちの信仰は、きわめて理性的なものです。


この点で、ヨハネの投げかけた質問の内容は、間違っているとは言えないでしょう。


しかし、間違っているとは言えませんが、やや余計なことを言っている、とは言えると思います。


イエスさまご自身に対して、そのような聞き方があるでしょうか。口の聞き方が悪いとか、古い身分制度的なことを申し上げたいわけではありません。ただ、ヨハネの質問には、全く問題がなかった、とも言い切れないでしょう。ヨハネが聞いていることは、明らかに、少し余計です。


なぜ“余計”かです。ルカは、次のように書いています。


「そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。それで、二人にこうお答えになった。『行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。』」


お分かりでしょうか。イエスさまは、ヨハネから質問を託された彼の二人の弟子たちへの答えとして、「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい」と言われました。


そんなに疑うならば、です。


人から聞いた話だけでは、とてもじゃないが信じられない、と思うならば、です。


どうか今、このわたしが、あなたがたの目の前でなしている、このみわざを見なさい。また、このわたしの言葉を聞きなさい。そして、あなたがたが実際に見たこと、聞いたことを、そのままヨハネに伝えなさい。


このように、イエスさまは、言われたのです。


疑う気持ちを持つこと自体は、大切であり、必要でもある、ということは、先ほど申し上げたとおりです。このことをイエスさまご自身が否定しておられるわけでもありません。


しかし、おそらくイエスさまは、このとき、いくらか“残念な”気持ちを持っておられたような気がしてなりません。


そのとき、イエスさまは、「病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた」のです。


あるいは、ナインの町でも、最愛の一人息子を失って悲しんでいる母親を慰めるために、みわざを行われたのです。


やることをやっておられるのです。さぼっておられるわけではないのです。


うそをついておられるわけでも、ひとを騙しておられるわけでもありません。人からの名誉や賞賛がほしかったわけでもありません。そんなことには、全く興味がありません。


イエスさまは、今、現実に苦しんでいる人を、ただ、助けたいだけなのです。


また、イエスさまは、人を助けることができる知恵と力を持っておられるのです。


そして、イエスさまは、今ここで、多くの人々の中で最も大きな苦しみを負っている人を見抜き、その人のところへと一目散に駆けつけてくださるのです。


ヨハネは、「来るべき方は、あなたでしょうか。ほかの方を待つべきでしょうか」と聞く前に、イエスさまのお姿を、直接見るべきだったのです。


(2005年5月1日、松戸小金原教会主日礼拝)


2005年4月24日日曜日

信頼としての信仰

ルカによる福音書7・1〜10


関口 康


今日もまた、ルカによる福音書の続きを、読んでいきます。


今日の個所に紹介されている出来事の内容は、新共同訳聖書が付けている小見出しに書かれてあるとおりです。


救い主イエス・キリストが、百人隊長の僕をいやされた、という出来事です。


「イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。」


「これらの言葉」とありますのは、先週まで学んできました、いわゆる「平地の説教」です。マタイによる福音書では「山上の説教」として紹介されているものです。


この説教の長さは、実際にはどれくらいだったのだろうかという点に、わたしは、ふと関心を抱きました。


このようなことは、もちろん、問うてみたところで、明確な答えがあるわけではありません。


しかし、なんとなくですが、時間的な意味で、非常に長いものだったのではないか、と思いました。


ルカやマタイが記しているのは、いわばその要約のようなものではないか。実際には、もっと細かい点の説明や、丁寧な解説が加えられていたのではないか。


少なくとも、原稿の棒読みのような話ではなかったでしょう。もっと自由に、豊かに、そして、一人一人の心に染み入る説教が語られたのではないか。


そのようなことを考えてみました。


そして、その説教を終えられたイエスさまが「カファルナウムに入られた」と書かれていることにも、さっと読み流してしまわないほうがよいかもしれない、ある特別な意味が込められているような気がしてなりません。


特別に、そのようなことが、わたしの読んだ注解書の中に書かれているわけではありません。しかし、今こそ思い起こしていただきたいことがあります。


それは、「ガリラヤの町カファルナウム」というのは、イエスさまの宣教活動にとっての最初の拠点が据えられた町である、ということです。


カファルナウムにはシモン・ペトロの実家があり、イエスさまはその家で寝泊りされていたと言われます。


また、カファルナウムにはユダヤ教の会堂(シナゴグ)があり、そこでイエスさまは、安息日ごとに説教を担当しておられたとも言われます。


また、ルカによる福音書には必ずしもあまり明確ではありませんが、マルコによる福音書を読みますと、イエスさまは、とにかくこのカファルナウムを拠点とされている、ということがよく分かるように描かれています。


カファルナウムから伝道といやしの旅に出かけられても、必ずと言ってよいほど、再びカファルナウムに戻ってこられます。まさに文字通り、カファルナウムを中心に動いておられる様子が、分かるのです。


さらに、もう一つ、これもマルコによる福音書に基づいて言いうる点ですが、


イエス・キリストが十字架にかけられた三日目に死人の中からよみがえられたとき、墓の前に現れた天使が、そこにいた女性たちに語った言葉は、


「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」というものでした。


この「ガリラヤ」は、具体的には「カファルナウム」のことです。復活のイエスさまは、カファルナウムにお帰りになるのです!


わたしの申し上げたいことは、単純なことです。


そのときのイエスさまの心境は、まさに「ほっと一息」というべきものではなかったでしょうか。


一仕事終えて、やっと、安心できるわが町、心置きなく過ごせる喜びのわが家に帰り着いた、というような安堵感ではなかったでしょうか。


ところが、まさにそのような「ほっとひと息」の場面で、大きな事件は起こるのです。そういうことは、わたしたちにもあると思います。


「ああ疲れた」と、ネクタイをほどき、背広を脱ぎ、さあお茶でも飲もうかと、やかんに水をくみ、火をつけようとすると、電話がかかってくるのです。


「ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。」


病気というのは本当につらいものだと思います。すぐに治る軽い病気ならばともかく、「もう治らない」と医者から言われたり、自分で自覚できるほどの重い病気にかかった人は、絶望の淵においやられてしまいます。


ここに紹介されている一人の人は、「ある百人隊長に重んじられている部下」と呼ばれています。この人が「病気で死にかかっていた」と書かれています。何の病気であったか、なぜ病気にかかったかは、記されていません。


この部下のところに、イエスさまに来ていただきたいと願ったのは、百人隊長その人でした。「部下を助けに来てくださるように頼んだ」とあります。


ただし、自分自身がではなく、「ユダヤ人の長老たちを使いにやって」頼みました。なぜそのようにしたか、その理由は、あとのところに出てきます。


「長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。『あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。』そこで、イエスは一緒に出かけられた。」


長老たちは、百人隊長に願われるままに、イエスさまのところに行き、そして「熱心に」願いました。


「あの方」とあるのは、百人隊長のことです。「そうしていただくのにふさわしい」とは、イエスさまに、その百人隊長の部下のお見舞いに行っていただくことは、その百人隊長にとって、ふさわしい、という意味です。


理由もきちんと語られています。その百人隊長は、ユダヤ人たちのために会堂を建ててくれた、というのです。まさか、大工仕事をしてくれた、という意味ではないでしょう。おそらく、たくさんの献金をしてくださった、という意味です。


しかも、その会堂とは、おそらく、カファルナウムの会堂のことですから、毎週の安息日に、その中でイエスさまが説教をされていた、その会堂のことでしょう。


あの百人隊長は、われわれにとっての功労者である。その方の家に、部下のお見舞いに行ってくださることは「ふさわしいこと」であると、長老たちは、そういう言葉でイエスさまに訴えたのです。


「そこで、イエスは一緒に出かけられた」とあります。しかし、ここで気になることは「そこで」の意味です。


それは、イエスさまが、この長老たちの訴えの内容、あるいは説得の内容をお受け入れになったので、「一緒に出かけられた」ということでしょうか。


わたしたちの会堂を建てるために、たくさんの献金をしてくれた、あの百人隊長の功労に報いるために、イエスさまには、あの方の部下の病床にお見舞いに行っていただかなければなりません、という彼らの言い分を、イエスさまが納得されたので、出かけられた、という意味でしょうか。


そのようなことが悪いと、わたしは今、申し上げたいわけではありません。教会の長老たちならば、当然、そのようなことは、考えるべきことであると思いますし、配慮すべきことです。


しかし、そういう話だけになってしまいますと、わたしなどは、つい、逆のことを考えてしまいます。


もしこの百人隊長が、そのような貢献をしていなかったとしたら、その部下のお見舞いに行かなくてもよい、ということになるのでしょうか。そこに、なんともいえず腑に落ちないところが出てきます。


イエスさまは、その百人隊長の貢献のあるなしにかかわらず、助けを求める人のもとにかけつけてくださる、そういうお方ではないのでしょうか。


少し厳しい言い方になってしまうかもしれませんが、このときの長老たちの説得の方法には、いくらか問題があるような気がしてなりません。


持って回ったような説得の言葉は、必要なかったのではないでしょうか。


「ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。『主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。』」


ここに、先ほど「あとのところに出てきます」と申し上げました、この百人隊長がなぜ自分自身で、ではなく、長老たちに、イエスさまのところに行ってもらったか、その理由が語られています。


「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」というのが、その理由です。


わたしたちならば、「こんなこと、言わなくてもよいのに」と感じるような理由です。


自分自身をひどくおとしめるような言い方です。ものすごく悪い言い方をすれば、卑屈とさえ感じられます。


しかし、もしこれが、この人の本心からの言葉であるならば、尊重されるべきです。


そして、この人は、「主よ、御足労には及びません」と言います。


「来てくださらなくて結構です」とか「来ないでください」というような、つっけんどんな言葉ではありません。


なぜそう言いうるかと申しますと、百人隊長の友達が続けている言葉が、根拠です。


「『ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。』」


ここで分かるのは、百人隊長の信仰です。


この百人隊長は、イエスさまのお語りになる「御言」の力を信じていました。イエスさまが「ひと言」お語りになるその御言で、部下の病気はいやされる、と信じていました。


ここからまた、なぜこの百人隊長が、せっかく出かけてこられたイエスさまに「御足労には及びません」と伝えようとしたのか、その理由も分かります。


イエスさまのお語りになる「御言」が、「御言」だけが、あらゆる問題や病気や苦しみを解決する力を持っている、と信じていたからです。


長老たちは、ちょっと違っていました。たくさん献金してくださった、あの方のところには、きちんと出向いたほうがよい、という動機が見え隠れしていました。


あの人は会堂を建ててくれたと、長老たちが、そのような理由を挙げて、イエスさまを説得しようとした、ということを、百人隊長自身が知っていたかどうかは、ここには書かれていません。


しかし、もしこの百人隊長自身が、それを知ったならば、そのような理由や動機から、イエスさまに来ていただくことは、申し訳ないことであるし、筋が違う、と感じるようなことではなかったでしょうか。


「そこで、イエスは一緒に出かけられた」の「そこで」の意味が読み間違えられてしまいますと、思わぬ大きな落とし穴に陥ってしまうことになりかねません。


「『わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。』イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。『言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。』使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。」


ここで百人隊長が語ろうとしていることは、言葉というものが持っている権威のことであると思われます。


隊長が部下に向かって「行け」と言えば行く。「来い」と言えば来る。「これをしろ」と言えばする。


言葉の持つ力について、言葉に信頼することについて、彼は、語ろうとしています。


わたしに、そしてわたしの部下に、ただ一言、御言をください。


そして、部下を苦しめている病魔に向かっても、「出て行け」と命じてください。


彼は、そのように願ったのです。イエスさまを、そのような方として信頼し、すべてを委ねたのです。


そのとき、奇跡が起こったのです。


(2005年4月24日、松戸小金原教会主日礼拝)


2005年4月17日日曜日

岩の上に建てられた家

ルカによる福音書6・43〜49


関口 康


今日は、二つの段落を読みました。しかし、これは一つの話題、統一的なテーマが取り扱われている、と見ることができます。


「『悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくはとれないし、野ばらからぶどうは集められない。善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである』」。


最初の段落でイエスさまが語っておられることを一言でまとめて言いますと、わたしたちの「口が語る言葉」と「心の中にある思い」との関係は何かという問題であるということです。


ただし、この場合、「言葉」ということを、あまり狭苦しく考える必要はなく、わたしたち人間が自分自身の存在の外側に向かって示す表現のすべてが含まれている、と考えてもよいでしょう。


身振り手振り、表情や目線、最近では手話などもあります。あるいはまた、手紙や日記、小説や学術論文の文章なども、十分な意味で「言葉」です。


イエスさまがたしかに語っておられるのは「口が語る言葉」に関することです。しかし、わたしたちは、もう少し範囲を広げて、考えてみることができるでしょう。


その、わたしたちが自分の存在の外側に向かって示す表現のすべては、わたしたちの心の内側から出てくるものである、ということが示されているのです。


そしてまた、さらに、もう少し別の観点から言い直しますと、それは、人間の外面性と内面性の関係は何かということです。


ですから、その人間の外面性と内面性との間には、当然深い関連性がありますし、両者を切り離して考えることはできない、ということにもなるわけです。


そのため、これを、ごく単純に言い切ってしまいますと、わたしがしばしば用いる表現なのですが、人間とは、言うならば、薄皮一枚のような存在なのだ、ということです。


見る人が見れば、わたしたちの内側にあるものは、外から透けて見えてしまうのです。どんなに隠そうとしても、隠しているつもりでも、見られたくないものまで、見えてしまうのです。


そのことを、わたしたちは、覚悟しなければなりません。


そして、少なくとも神は、わたしたちの内側にあるものを全くお見通しである、ということを、わたしたちは、覚悟しなければなりません。


すべてをお見通しである神の御前で、わたしたちは、何を隠すことができるのでしょうか。隠すこと自体、何の意味があるのでしょうか。そのように、自問自答する必要があります。


そして、今日の個所でイエスさまが語っておられることの中で、強調点が置かれているのは、どちらかというと、悪いほうの話です。


「悪い実を結ぶ良い木はない」のほうです。あるいは「悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す」のほうです。


肯定的側面のほうよりも否定的側面のほうに、イエスさまの強調があります。


なぜそう言えるかといいますと、46節以下に、イエスさまを「主よ、主よ」と呼びながら、イエスさまの言うことを聞かない人に対する明確な批判が語られているからです。 


「『わたしを「主よ、主よ」と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。』」


このイエスさまのたとえ話の中に、わたしにとっては非常に興味深く、注目と熟考に価すると感ぜられる表現が出てきます。


それは、イエスさまの御言を聞いて行う人は皆、「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている」という、この点です。


ここで、とくに興味深く感じるのは、ルカによる福音書には書かれている「地面を深く掘り下げ」という言葉が、マタイによる福音書(7・24以下)は出てこない、という点です。


ルカの場合、イエスさまは、地面を深く掘り下げたところに「岩」が現われ、そして、その「岩」の上に土台を置いて家を建てる人の話を、語っておられます。


これの何が興味深いのかと申しますと、ルカの場合、そのようにして現われる「岩」が、イエス・キリストの御言を指している、と思われるからです。


地面を深く掘り下げると、そこに岩が現われる。その岩こそがイエス・キリストの御言である。その岩の上に家を建てるべきである。そういう話です。


しかし、ここでわたしが感じる第一の問題は、地面を深く掘ると、そこに必ず岩が現われる、というのは、果たして本当か、ということです。


あまり参考にはなりませんが、たとえば、わたしの岡山の実家のある場所は、元々は海であったところを埋め立てた、いわゆる干拓地です。


そのため、(実際にしたわけではありませんが)、5メートルほども掘り下げると、海水が出てくる、と言われています。お台場あたりは、どうでしょうか。そういう場所も、現実にはあるのです。


もちろん、もっと深く掘ればよいのかもしれません。しかし、海水が出てくるあたりよりも、さらに深く掘るとなると、どれくらい掘ればよいのでしょうか。想像できません。


わたしが感じる第二の問題は、このイエスさまのたとえ話の中で、「地面を深く掘り下げる」のは、誰の仕事として描かれているのか、ということです。


もちろん、その仕事をするのは、地面を深く掘り下げたところに出てくる「岩」の上に家を建てる人である、と言えば、そのとおりです。


しかし、ここで明らかに、「岩」とは、イエス・キリストの御言を指しています。


そうだとすると、イエス・キリストの御言は、地面の中に埋まっている、ということです!


わたしたちが立っている、この地面の中に、です!


そうだとすると、もしわたしたちが、自分の家の土台を、その岩の上に置きたいと願うならば、わたしたち自身が立っているこの地面を、深く掘り下げなければならないのです。


そういうものとして、イエスさまは、ご自身の御言の本質を描き出しておられるのです。


なぜわたしが、この点にこだわるか、その理由は何かを申し上げます。


「イエス・キリストの御言」ということで、わたしたちが通常思い描くのは、それは「上から」啓示される、ということです。


神の御子イエス・キリストにおける神の啓示は、地面の中に埋まっているようなものではなく、天から、上から降ってくるようなものである、と言われることが多いのです。


ところが、ここでルカが記していること、イエスさまご自身がそのように語られた、と言われていることは、それとは明らかに異なるのです。


「上から」ではなく、むしろ「下から」です。地面があるのは、わたしたちの足許です。イエス・キリストの御言を土台にして家を築くために、わたしたちの足許を深く掘り下げることが求められています。


もっとはっきり言うならば、わたしたちの足許とは、「地上の現実」、「日常の生活」ではないでしょうか。


そこを深く掘ると、イエスさまの御言が出てくる、ということは、見方を変えて言うなら、イエスさまの御言とは、地上の現実を深く掘り下げたところに根ざした、まさに現実的な言葉である、ということです。


もしそうだとすると、地面を深く掘り下げるのは、誰の仕事でしょうか。


わたしたち自身の務めでもある、と言うべきです。


しかし、いわばそれ以上に、あるいは、それ以前に、まず最初に、イエスさまご自身が、地面を深く掘り下げてくださったのです。


そして、そこに、イエスさま御自身が、御言という岩を、置いてくださったのです。


そのように考えることができるのです。


今日の個所で、イエスさまの一連の説教についての学びが終わります。


わたしは繰り返し、ルカは、この説教を「地上の説教」として描いている、と申し上げてきました。


イエスさまは「山から下りて、平らな所にお立ちになった」(6・17)ということを、ルカは、わざわざ強調しているのです。


その説教のしめくくりの部分に、「地面を深く掘り下げること」が語られているのです。そして、そこに現われる「岩」の上に立つことが求められているのです。


この一連の説教を理解するためのキーワードが、「山から下りること」、「平らな所に立つこと」、そして「地面を深く掘り下げること」というあたりにある、と思われてならないのです。


イエスさまの御言とはどのようなものであるのか、ということについて、イエスさまご自身がどのようにお考えになっておられるのかが、ここから分かります。


それは、地上の現実の上にしっかり立つために学ぶべき御言です。現実から目をそらすことや、地に足のつかない思想を持つことではありません。


また、それは、耳で聞くだけで、あるいは、頭で覚えるだけで済ませることのできない御言です。「聞き置いた」などというのは、イエスさまに対して失礼な言い方です。聞いたなら、それを行うべきです!


「御言を行う」とは、それを生きること、それで生活すること、です。実践すること、具体化すること、現実化することです。目に見えないもの(言葉)を目に見えるもの(現実)へと転換し、展開し、具現化することです。「絵に描いた餅」のままにしておくべきではありません。


また、先週学びました個所には、「修行を積む」ということが語られていました。わたしたちにとっての「修行」は、何だったでしょうか。


「まず自分の目から丸太を取り除いてから、兄弟の目にあるおが屑を取り除く」修行です。


「ひとを断罪するのではなく、ひとの罪を赦す」修行です。


「右の頬を打たれたら、左の頬を向ける」修行です。


それは難しいことです。だからこそ、「修行を積む」ことが求められているのです。


現代は「修行」ということがあまり重んじられない時代である、と言われます。


我慢すること、忍耐することができない人々が、増えています。


キレやすい。すぐ爆発する。自分のことを棚に上げて、ひとを責めることばかりに、心を用いる。


わたしたちは、ぜひ、「御言を生きる修行」を積み重ねて行こうではありませんか。


(2005年4月17日、松戸小金原教会主日礼拝)