2005年4月24日日曜日

信頼としての信仰

ルカによる福音書7・1〜10


関口 康


今日もまた、ルカによる福音書の続きを、読んでいきます。


今日の個所に紹介されている出来事の内容は、新共同訳聖書が付けている小見出しに書かれてあるとおりです。


救い主イエス・キリストが、百人隊長の僕をいやされた、という出来事です。


「イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。」


「これらの言葉」とありますのは、先週まで学んできました、いわゆる「平地の説教」です。マタイによる福音書では「山上の説教」として紹介されているものです。


この説教の長さは、実際にはどれくらいだったのだろうかという点に、わたしは、ふと関心を抱きました。


このようなことは、もちろん、問うてみたところで、明確な答えがあるわけではありません。


しかし、なんとなくですが、時間的な意味で、非常に長いものだったのではないか、と思いました。


ルカやマタイが記しているのは、いわばその要約のようなものではないか。実際には、もっと細かい点の説明や、丁寧な解説が加えられていたのではないか。


少なくとも、原稿の棒読みのような話ではなかったでしょう。もっと自由に、豊かに、そして、一人一人の心に染み入る説教が語られたのではないか。


そのようなことを考えてみました。


そして、その説教を終えられたイエスさまが「カファルナウムに入られた」と書かれていることにも、さっと読み流してしまわないほうがよいかもしれない、ある特別な意味が込められているような気がしてなりません。


特別に、そのようなことが、わたしの読んだ注解書の中に書かれているわけではありません。しかし、今こそ思い起こしていただきたいことがあります。


それは、「ガリラヤの町カファルナウム」というのは、イエスさまの宣教活動にとっての最初の拠点が据えられた町である、ということです。


カファルナウムにはシモン・ペトロの実家があり、イエスさまはその家で寝泊りされていたと言われます。


また、カファルナウムにはユダヤ教の会堂(シナゴグ)があり、そこでイエスさまは、安息日ごとに説教を担当しておられたとも言われます。


また、ルカによる福音書には必ずしもあまり明確ではありませんが、マルコによる福音書を読みますと、イエスさまは、とにかくこのカファルナウムを拠点とされている、ということがよく分かるように描かれています。


カファルナウムから伝道といやしの旅に出かけられても、必ずと言ってよいほど、再びカファルナウムに戻ってこられます。まさに文字通り、カファルナウムを中心に動いておられる様子が、分かるのです。


さらに、もう一つ、これもマルコによる福音書に基づいて言いうる点ですが、


イエス・キリストが十字架にかけられた三日目に死人の中からよみがえられたとき、墓の前に現れた天使が、そこにいた女性たちに語った言葉は、


「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」というものでした。


この「ガリラヤ」は、具体的には「カファルナウム」のことです。復活のイエスさまは、カファルナウムにお帰りになるのです!


わたしの申し上げたいことは、単純なことです。


そのときのイエスさまの心境は、まさに「ほっと一息」というべきものではなかったでしょうか。


一仕事終えて、やっと、安心できるわが町、心置きなく過ごせる喜びのわが家に帰り着いた、というような安堵感ではなかったでしょうか。


ところが、まさにそのような「ほっとひと息」の場面で、大きな事件は起こるのです。そういうことは、わたしたちにもあると思います。


「ああ疲れた」と、ネクタイをほどき、背広を脱ぎ、さあお茶でも飲もうかと、やかんに水をくみ、火をつけようとすると、電話がかかってくるのです。


「ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。」


病気というのは本当につらいものだと思います。すぐに治る軽い病気ならばともかく、「もう治らない」と医者から言われたり、自分で自覚できるほどの重い病気にかかった人は、絶望の淵においやられてしまいます。


ここに紹介されている一人の人は、「ある百人隊長に重んじられている部下」と呼ばれています。この人が「病気で死にかかっていた」と書かれています。何の病気であったか、なぜ病気にかかったかは、記されていません。


この部下のところに、イエスさまに来ていただきたいと願ったのは、百人隊長その人でした。「部下を助けに来てくださるように頼んだ」とあります。


ただし、自分自身がではなく、「ユダヤ人の長老たちを使いにやって」頼みました。なぜそのようにしたか、その理由は、あとのところに出てきます。


「長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。『あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。』そこで、イエスは一緒に出かけられた。」


長老たちは、百人隊長に願われるままに、イエスさまのところに行き、そして「熱心に」願いました。


「あの方」とあるのは、百人隊長のことです。「そうしていただくのにふさわしい」とは、イエスさまに、その百人隊長の部下のお見舞いに行っていただくことは、その百人隊長にとって、ふさわしい、という意味です。


理由もきちんと語られています。その百人隊長は、ユダヤ人たちのために会堂を建ててくれた、というのです。まさか、大工仕事をしてくれた、という意味ではないでしょう。おそらく、たくさんの献金をしてくださった、という意味です。


しかも、その会堂とは、おそらく、カファルナウムの会堂のことですから、毎週の安息日に、その中でイエスさまが説教をされていた、その会堂のことでしょう。


あの百人隊長は、われわれにとっての功労者である。その方の家に、部下のお見舞いに行ってくださることは「ふさわしいこと」であると、長老たちは、そういう言葉でイエスさまに訴えたのです。


「そこで、イエスは一緒に出かけられた」とあります。しかし、ここで気になることは「そこで」の意味です。


それは、イエスさまが、この長老たちの訴えの内容、あるいは説得の内容をお受け入れになったので、「一緒に出かけられた」ということでしょうか。


わたしたちの会堂を建てるために、たくさんの献金をしてくれた、あの百人隊長の功労に報いるために、イエスさまには、あの方の部下の病床にお見舞いに行っていただかなければなりません、という彼らの言い分を、イエスさまが納得されたので、出かけられた、という意味でしょうか。


そのようなことが悪いと、わたしは今、申し上げたいわけではありません。教会の長老たちならば、当然、そのようなことは、考えるべきことであると思いますし、配慮すべきことです。


しかし、そういう話だけになってしまいますと、わたしなどは、つい、逆のことを考えてしまいます。


もしこの百人隊長が、そのような貢献をしていなかったとしたら、その部下のお見舞いに行かなくてもよい、ということになるのでしょうか。そこに、なんともいえず腑に落ちないところが出てきます。


イエスさまは、その百人隊長の貢献のあるなしにかかわらず、助けを求める人のもとにかけつけてくださる、そういうお方ではないのでしょうか。


少し厳しい言い方になってしまうかもしれませんが、このときの長老たちの説得の方法には、いくらか問題があるような気がしてなりません。


持って回ったような説得の言葉は、必要なかったのではないでしょうか。


「ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。『主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。』」


ここに、先ほど「あとのところに出てきます」と申し上げました、この百人隊長がなぜ自分自身で、ではなく、長老たちに、イエスさまのところに行ってもらったか、その理由が語られています。


「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」というのが、その理由です。


わたしたちならば、「こんなこと、言わなくてもよいのに」と感じるような理由です。


自分自身をひどくおとしめるような言い方です。ものすごく悪い言い方をすれば、卑屈とさえ感じられます。


しかし、もしこれが、この人の本心からの言葉であるならば、尊重されるべきです。


そして、この人は、「主よ、御足労には及びません」と言います。


「来てくださらなくて結構です」とか「来ないでください」というような、つっけんどんな言葉ではありません。


なぜそう言いうるかと申しますと、百人隊長の友達が続けている言葉が、根拠です。


「『ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。』」


ここで分かるのは、百人隊長の信仰です。


この百人隊長は、イエスさまのお語りになる「御言」の力を信じていました。イエスさまが「ひと言」お語りになるその御言で、部下の病気はいやされる、と信じていました。


ここからまた、なぜこの百人隊長が、せっかく出かけてこられたイエスさまに「御足労には及びません」と伝えようとしたのか、その理由も分かります。


イエスさまのお語りになる「御言」が、「御言」だけが、あらゆる問題や病気や苦しみを解決する力を持っている、と信じていたからです。


長老たちは、ちょっと違っていました。たくさん献金してくださった、あの方のところには、きちんと出向いたほうがよい、という動機が見え隠れしていました。


あの人は会堂を建ててくれたと、長老たちが、そのような理由を挙げて、イエスさまを説得しようとした、ということを、百人隊長自身が知っていたかどうかは、ここには書かれていません。


しかし、もしこの百人隊長自身が、それを知ったならば、そのような理由や動機から、イエスさまに来ていただくことは、申し訳ないことであるし、筋が違う、と感じるようなことではなかったでしょうか。


「そこで、イエスは一緒に出かけられた」の「そこで」の意味が読み間違えられてしまいますと、思わぬ大きな落とし穴に陥ってしまうことになりかねません。


「『わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。』イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。『言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。』使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。」


ここで百人隊長が語ろうとしていることは、言葉というものが持っている権威のことであると思われます。


隊長が部下に向かって「行け」と言えば行く。「来い」と言えば来る。「これをしろ」と言えばする。


言葉の持つ力について、言葉に信頼することについて、彼は、語ろうとしています。


わたしに、そしてわたしの部下に、ただ一言、御言をください。


そして、部下を苦しめている病魔に向かっても、「出て行け」と命じてください。


彼は、そのように願ったのです。イエスさまを、そのような方として信頼し、すべてを委ねたのです。


そのとき、奇跡が起こったのです。


(2005年4月24日、松戸小金原教会主日礼拝)