2005年5月16日月曜日

聖霊の力を受けて

2005年度松戸小金原教会ペンテコステ礼拝


使徒言行録2・37~47


関口 康


本日はペンテコステ礼拝です。わたしたちは今、本当に喜んでおります。先ほど、小川千里兄・孝子姉ご夫妻が、揃って洗礼を受けてくださいました。


小川千里さんは、昭和8年生まれで、わたしの父、また、本教会の佐藤栄一長老や小田雅也長老とも同い年の方です。孝子さんの年齢は、伏せておきます。


わたしは、今から約10年前に、妻の母が洗礼を受けてくれたときには、60才からでも新しい人生を始めることができるのだ、などと、その年齢の方々には、なんだか失礼なことを考えておりました。


しかし、70才からでも新しい人生を始めることができるのだ、ということを今日わたしは深く確信し、神さまに感謝しております。


洗礼を受ける年齢は、決定的な問題ではありません。信仰生活の長さも、究極的な問題ではありません。


また、次の言葉を語りますと嫌な顔をされる場合があるのですが、信仰生活の歴史の長さと信仰の深さは必ずしも比例するものではない、ということも、この機会ですから、言わせていただきます。


また、どの教会の・どの牧師から洗礼を受けた、というようなことも、決定的な問題ではありません。


ある人に洗礼を授けるという光栄に与ることができた教会とその牧師は、その人がのちのち、あの教会で・あの牧師から洗礼を受けたことを「恥ずかしいことだ」と思うことにならないように、せいぜい努力し、精進すべきです。


むしろ、問題は、洗礼を受けることです。何才からでも、いつからでも、救い主イエス・キリストを信じ、教会で洗礼を受け、新しい人生を始めることが、大切なのです。


今日はペンテコステ礼拝です。先ほどお読みしました聖書の個所に記されているのは、今から約二千年前に行われたペンテコステ礼拝での出来事です。


「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」


「五旬祭の日」、これがペンテコステのことです。ユダヤ教の過越祭から数えて五〇日目を意味します。イエス・キリストが、十字架にかけられる前の夜、過越祭の食事としての最後の晩餐を行われてから五〇日目、ということにもなります。


この五旬祭の日まで、イエスさまを信じる人々の数は、百二十人ほどになっていたようです。その数字の根拠は、1・15にあります。


じつを言いますと、一時期、イエスさまが御言葉をお語りになる集会には、男性だけで五千人、女性や子供を合わせるとおそらく一万人以上も集まったりしていたのです。


ところが、みんな、散らされていきました。イエスさまが十字架にかけられて苦しんでいるときに、恐ろしくなって逃げていったのです。


ですから、百二十人という数字は、みんな散らされていった後に残されたほんのわずか一握りの人々の数である、と考えることができそうです。


しかし、その人々でさえ、胸を張って、イエスさまと共に生きていく決意や覚悟があると、言い切れる状態にはなかったと思われます。なお非常に強い迫害の恐怖や緊張感があったに違いないのです。


ところが、その弟子たちに、です。聖霊の力が降り注がれる、という出来事が起こりました。それが、二千年前のペンテコステ礼拝の中で起こったことです。


「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」とあります。このとき起こったことは何かということを説明するのは難しいと感じます。書いてあるとおり、としか言いようがありません。


ただ、ここには、聖霊の姿が「炎のような舌」と描かれています。これがおそらく重要なポイントです。


炎のような舌が、一人一人の上にとどまる。こういう出来事が起こったのです。


舌は、もちろん、わたしたちの口の中にあるこれです。食べること、飲むこと、なめることなどに使います。しかし、言葉を語ることにも使います。舌は言葉を語るためにあるのです!


そうです、神の言葉を宣べ伝えること、信仰の証しを公に告白すること、そして、人と人との間の会話とコミュニケーションを成り立たせること、言葉をもって互いに交わること、そのために舌があるのです!


聖霊の舌をいただくまでは、イエスさまの弟子たちは、舌を抜かれた状態にあったのでしょうか。「そうだ」とも言えますし、「そうでない」とも言えそうです。


そのときの弟子たちは、迫害の恐怖に怯え、あるいは、さまざまな個人的な事情から、イエス・キリストに対する信仰を公に言い表すことができずにいたのだ、と考えることができるかもしれません。


しかし、全く何も語ることができずにいた、というわけでもなかったでしょう。小さな声で、ごく近くにいる仲間たちだけに聞こえる声で、ひそひそと語り合っていた、という感じではなかったでしょうか。


だからこそ、聖霊の舌は「炎のような」と形容されているのではないでしょうか。熱く語る舌、情熱に満たされて語る舌、このような舌が、イエスさまの弟子たちに与えられたのです。


しかし、ここで、どうか、皆さんには、聖書の御言を注意深く読んでいただきたい、と願っております。


ここに書かれていることは「一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」です。「話しだした」のは、その主語は、あくまでも「一同」です。イエスさまの弟子たちです。


「聖霊が語らせるままに」とあります。これは「聖霊が操るままに」というふうに読めてしまうかもしれませんが、それは非常に危険な読み方です。


ここに描かれているのは、本人の意志に反して聖霊が勝手に話しだした、というような話ではありません。あくまでも彼ら自身が話しだしたのです。このことが重要です。


さて、この二千年前のペンテコステ礼拝で、説教を担当したのは、使徒ペトロでした。「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた」(2・14)と書かれているとおりです。


この説教の内容について、今日は、詳しくお話しする時間がありません。ぜひ今日それぞれお家に帰られてからじっくりお読みいただきたいと思います。


ある意味で、たいへん厳しいと感じられる説教であると言えます。


まず最初に語られていることは、イエス・キリストというお方が、父なる神から遣われてきた、ということです。


そのキリストが、多くの人々の前で、救いのみわざを行ってくださった。そのことは、あなたがた自身が、よく知っていることである、ということです。


ところが、そのキリストを、あなたがたは、十字架につけて殺してしまった。キリストを否定し、殺したのは、あなたがた自身である、と続きます。


しかし、そのキリストが、死人の中から、よみがえってくださった。父なる神が、その御子イエスを、主とし、メシアとしてくださった。わたしたち、キリストの弟子たちは、キリストの復活の証人である。


そして、そのキリストは、今や、父なる神の右に上げられ、父から受けとった聖霊を、注いでくださった。


このような説教でした。


そして、先ほどお読みいたしました個所に記されているのは、このペトロの説教を直接耳にした人々の反応と、それに対するペトロの答えです。


「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』と言った。すると、ペトロは彼らに言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。』」


あなたがたがイエス・キリストを十字架につけて殺したのだ。この言葉は、強い審きの言葉です。本当に厳しい言葉だと思います。


しかし、そこにいた人々は、不思議なくらいに、謙虚に、また静かに、ペトロの説教を受けとめることができました。


その気持ちの現れとしての「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」です。


悪い意味で開き直った、「今さら、どうすりゃいいんだ。やってしまったことは取り返しがつかないじゃないか」というような、投げやりな言葉ではありません。


「イエス・キリストを否定し、十字架につけてしまったわたしたちの、なすべきことを教えてください」という意味です。


それに対するペトロの答えが、「悔い改めなさい。洗礼を受けなさい。罪を赦していただきなさい」です。


「そうすれば」、あなたがたも、このわたし、わたしたちと同じように、です。


「賜物としての聖霊を受けます」です。


このわたしが、今、あなたがたに、神の御言を宣べ伝えている、この燃える炎のような聖霊の舌を、あるいは、聖霊のすべての賜物を、あなたがたも、受けとるのだ、ということです。


ここで興味深いことは、このことを、他ならぬ使徒ペトロが語っていることです。


ペトロとは、どういう人だったかを思い出していただきたいのです。


ペトロは有名な人です。何で有名かと言いますと、いちばん最初にイエスさまの弟子になったことでも有名ですし、元気があって熱心な人ということでも有名です。


しかし、このペトロは、イエスさまが十字架にかけられたときに逃げてしまった人としても有名です。鶏が鳴く前に、三度もイエスさまを「知らない」と語ったことでも有名なのです。


そのことは、ペトロ自身が、いちばんよく知っていたことです。


ですから、ここでぜひ注目していただきたいのは、この説教を語っているのは、まさにそういう人である、という点です。


「あなたがたがキリストを十字架につけて殺したのだ」と語るペトロの言葉の「あなたがた」には、ペトロ自身も当然含まれているのです。自分のことを棚に上げて言っているわけではないのです。この点が重要です。


だからこそ、です。「罪を赦していただきなさい」と語るペトロの言葉には、誰よりも先に自分自身が罪を赦していただいた感謝と喜びと悔い改めの思いが込められているのです。


このわたしをも、イエスさまを捨てて逃げたこのわたしでさえ赦してくださった、救い主イエスさまに、あなたがたも、罪を赦していただきなさい、と語っているのです。


「ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、『邪悪なこの時代から救われなさい』と勧めていた。ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」


ペトロの説教が終わった後、三千人ほどの人々が、洗礼を受けました。救い主イエス・キリストを信じて生きる約束を、多くの人々がしました。


この日をわたしたちは、歴史的キリスト教会の創立記念日としてお祝いしてきました。これが今日わたしたちが行っているペンテコステ礼拝の意義です。


「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」


ここには、歴史的キリスト教会の最初のメンバーたちの姿が描かれています。「民衆全体から好意を寄せられた」と書かれています。


彼らの姿のどの部分が、そういうものだったのでしょうか。


繰り返し出てくる言葉は、「一つ」ということです。


「信者たちは皆一つになって」、「毎日心を一つにして」、「喜びと真心をもって一緒に」、そして「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされた」とあります。


悪い意味でバラバラ、チグハグ、ドタバタの教会は、人々に不信感を与えます。「教会のくせに」とか、余計なことも言われてしまいます。


イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりにおいて、喜んで一致している教会は、豊かな祝福を受けるのです。


「この教会の仲間に加わりたい」という志を抱く人々が、起こされるのです。


(2005年5月15日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年5月9日月曜日

安心して行きなさい

ルカによる福音書7・36~50


関口 康


今日の個所の主な登場人物は、イエスさまの他に、二人います。


一人は、「あるファリサイ派の人」(36節)と紹介されています。しかし、すぐ後に名前が出てきます。「シモン」(40節)です。男の人の名前です。シモンという名のファリサイ派の男性です。


もう一人は、女性です。「この町に一人の罪深い女がいた」(37節)と書かれています。


最初に登場するのは、男性のほうです。この人は、イエスさまに、自分の家で一緒に食事をしてください、と招待しました。


そうしますと、その場に突如として割り込んできた人がいました。それが、もう一人の登場人物である、女性でした。


「さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。」


この女性の登場の仕方は、まさに文字どおり“乱入”という言葉が当てはまるものです。落ち着いた場の雰囲気や、なごやかな団らんなどは、すべてぶち壊してしまわれるようなやり方である、と言わざるをえません。


現実の体験として想像してみていただけば、きっとお分かりいただけるはずです。


食事中に、そっと背後から近づいてこられ、足に触られる。それだけで、誰でもたぶん飛び上がると思います。


しかも、その女性は泣いている。その涙で足が濡れるほど泣いている。泣いている理由は、よく分からない。


その次は、その足を髪の毛でなでられる。そして、接吻される。普通の人なら、悲鳴を上げると思います。


そして、香油を塗られる。その匂いは部屋中に充満して、落ち着いて食事などしている場合ではなくなるはずです。


ところが、です。この突然起こった騒動の中で、もう一人の登場人物であるファリサイ派のシモンは、「腹を立てた」とは書かれておりません。


そうではなくて、ちょっと不思議な、というほどでもないかもしれませんが、「この場面で、どうしてそこに?」と感じなくもないところに、関心を持ちました。


「イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、『この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに』と思った。」


シモンの関心を、わたしなりの言葉で表現してみますと、こうなります。


このわたしの目の前にいるイエスという人が、今のこの騒ぎを起こしている女性の正体ないし本性を、ズバリ見抜くことができるかどうか。それで、この人が真の宗教家としての資質を持っているどうかが分かる。


このあたりのことだと考えていただくと、きっとご理解いただけるのではないかと思います。


人の正体ないし本性をズバリと見抜く力。こういうものが、たしかに、宗教家には求められているかもしれません。


ただ、今日の個所の問題を、ひょっとしたらなんとなく複雑で面倒なものにしているかもしれないことがあるような気がします。


それは、ちょっと言いにくいことですが、この女性がまさに女性であった、ということにあるのではないかと感じます。


あまり生々しい話は、控えます。ただ、どの時代にも・どの社会にも、「自称宗教家」のような人々が異性との「不適切な」関係を持つという問題を起こすことがあります。最近も、大きな事件がありました。


今日の個所に出てくるこの女性の場合は、どうだったでしょうか。


もちろんあくまでも、周りの人の目から見て、という話ではありますが、まさに周りの人の目から見て、この女性がイエスさまに近づいてきたことには何かとてもいかがわしい目的があるのではないか、と見えたに違いないのです。


この女性は、その町の人々から、またファリサイ派シモンから、「罪深い女」という目で見られていた人です。そのような人が、です。明らかに何か「不適切な」目的で、イエスさまに近づいてきている、というふうに、人々の目には映っていたに違いないのです。


そのファリサイ派シモンが、です。


この女性、つまり、少なくとも周囲の人々から「罪深い女なのに」と思われているこの女性に対して、です。


このイエスという一人の宗教家は、はたしてこの女性の本性を、どのように見抜くのだろうかということに、関心を抱いたのだ、というふうに理解することができると思われるのです。


もう少しだけはっきり言いますと、そのように突如として現われ、文字通り“自分の体をすり寄せてくる”、「罪深い女」と見られている一人の女性の前で、このイエスさまが、どのような言葉を語り、どのような態度をとるのかという点に、シモンは関心を持ったのです。


このようにシモンが考えることは、ある意味で無理もないことです。


ところが、イエスさまは、シモンに対して、次のような話をお始めになりました。


「そこで、イエスがその人に向かって、『シモン、あなたに言いたいことがある』と言われると、シモンは、『先生、おっしゃってください』と言った。イエスはお話しになった。『ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。』シモンは、『帳消しにしてもらった額が多い方だと思います』と答えた。イエスは、『そのとおりだ』と言われた。」


イエスさまのたとえ話の意図は、非常に明白です。説明を加える余地などは、どこにもありません。それほどに分かりやすい話です。


イエスさまというお方は、こむずかしい哲学的な話などは、ほとんど全くされたことがありません。


むしろ、“こういう”話です。金貸しだとか、借金だとか、帳消しだとか。


身近といえば身近です。下世話といえば下世話。文字通りの“世間話”のような調子の話です。


しかも、このたとえ話に登場する金貸しは、実際にはなかなかお目にかかれないような優しい人です。


ある人が二人の人にお金を貸したところ、どちらにも返すお金がなかったので、両方の借金とも帳消しにしてあげたという話です。


ありがたいといえばありがたい。お人よしといえば、これ以上のお人よしは、探しても見つからないほどです。


このたとえ話の結論として引き出されている、帳消しにしてもらった額が多い方の人が、その金貸しをより多く愛するであろう、というこの点は、ファリサイ派のシモンでも納得できることでした。そりゃ、そうでしょうと、わたしも思います。


しかし、ここで興味深いことは、イエスさまというお方がこのたとえ話の中でたとえているのは、明らかに、御自分のことである、という点です。


イエスさまは、言うならば、ご自分のことを金融業者にたとえておられるのです。驚くべきことだと思います。
 
「そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。『この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。」


シモンのほうは、何となくですが、“とばっちり”を受けているような気がしなくもありません。


イエスさまを自分の家の食事に招待して、それなりに楽しくやっていたところに、突然この女性が現われて、すべてを台無しにされてしまう。


その上、イエスさまには、この女性と比較されて、「あなたは足を洗う水もくれなかった」とか、「接吻の挨拶もしなかった」とか、「頭にオリーブ油を塗ってくれなかった」とか、非難めいたことを言われてしまう。


しかし、シモンには、どうか、ここは少し我慢して、聞いてほしいところです。


別に何も、イエスさまは、シモンのほうを、あえてけなしたいわけではないのです。


イエスさまは、この女性を、ただ、かばっておられるだけです。


この女性のしたことを、そして、この女性自身を、励ましておられるだけなのです。


イエスさまが本当におっしゃりたいことは、まさに次の一点でしょう。


「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。』そして、イエスは女に、『あなたの罪は赦された』と言われた。同席の人たちは、『罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう』と考え始めた。」


「赦されることの少ない者は、愛することも少ない」。逆に言えば、「赦されることの多い者は、愛することも多い」ということです。イエスさまがおっしゃりたいのは、そのことです。


1デナリオンは、労働者の一日分の賃金に相当するそうです。500デナリオンはいくらでしょうか。50デナリオンはいくらでしょうか。


ごく単純に、たとえば500万円と50万円という数字で考えてみると、どうでしょうか(多いでしょうか)。


あるいは、もっと単純に、一年分の生活費と一か月分の生活費というふうに考えてみると、どうでしょうか。


どちらを赦してもらうほうが、ありがたいでしょうか。生活上の救いになるでしょうか。


借金の返済の問題は、当事者たちにとっては、少しも大げさではなく、文字通り、人生の問題であり、生活の問題であり、生きる望みの問題です。


ただし、誤解がありませぬように。罪の問題と借金の問題は、もちろん、イコールではありません。借金そのものが罪だと言いたいわけではありません。


しかし、このたとえ話は、よく分かる話だと思います。実感できる。しみじみと、心に伝わってくる話です。


罪の赦しとは、借金を帳消しにしてもらえるのと同じことである、ということです。心の重荷が取り去られるのです。


だからこそ、です。


「イエスは女に、『あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』と言われた。」


「あなたの信仰」とは、この女性がしたように、人の迷惑をあまり気にせず、なんとかしてイエスさまに近づき、愛を示し、依り頼むことでしょう。


その女性に、イエスさまは、慰めの言葉を語り、生きる希望を与えてくださったのです。


(2005年5月8日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年5月1日日曜日

来るべき方

ルカによる福音書7・11〜35


関口 康


今日はかなり長くお読みしました。これだけの長さを読まなければ今日の個所の真意を読み取ることは難しい、と思ったからです。


今日の最初の段落に紹介されているのは、救い主イエス・キリストがナインという町で一人の若者をよみがえらせた、という出来事です。


「それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群集も一緒だった。」


「弟子たちや大勢の群集も一緒であった」とあります。この出来事には多くの証人がいたのです。


具体的にそれはどのような出来事であったかについては、ここに書いてあることをそのまま受け入れるほかはありません。


「イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。」


「その母親はやもめであった」とあります。彼女の夫は、妻との間に一人息子を設けた後、亡くなってしまいました。ところが、その男の子も亡くなりました。その日は、その大切な一人息子の葬儀が行われていたのです。


「主はこの母親を見て」とあります。ここでふと気づかされるのは、イエスさまの視線が真っ先に向けられた先はどこか、ということです。


イエスさまの視線は、この母親へと、真っ先に向けられました。とても悲しい出来事が起こったとき、その悲しみの状況の中で最も悲しんでいるであろう人へと向けられました。


それは、イエスさまだけが特別に持っておられる力とは言えないかもしれません。人の悲しみを見抜く力です。たとえそこにたくさんの人がいても、その中で最も悲しんでいる人は誰かを見分ける力です。


そして、「憐れに思い」とあります。悲しんでいる人の心に深く共感し、またその悲しみを自分のことのように悲しむ力です。一般的には共感能力などと呼ばれます。


イエスさまは、その母親に「もう泣かなくてもよい」と言われました。もちろん、これは慰めの言葉として語られています。


しかし、イエスさまは、ただ単に、慰めの言葉をお語りになっただけではありません。“お慰みを述べられた”だけではありません。


すぐさま、そのご自身が語られた言葉の根拠となる、救いのみわざを行われました。


「そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、『若者よ、あなたに言う。起きなさい』と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、『大預言者が我々の間に現れた』と言い、また、『神はその民を心にかけてくださった』と言った。」


イエスさまは、死んだ人をよみがえらせる、というみわざを行われました。大切な人を失った誰もが考えるであろう「もう一度会いたい。会って、もう一度話がしたい」という願いをかなえてくださいました。


にわかには信じがたい、と感じる人は多いでしょう。こんなことがあってたまるか、と考える人がいても、無理もないことです。


しかし、ルカは先手を打っていました。すでに「弟子たちや大勢の群集も一緒だった」と書いていました。この出来事には多くの証人がいるということが、はっきりと示されていました。


疑う気持ちや信じられない気持ちは、わたしにも、よく分かります。しかし、この出来事は、彼らのその目が見たとおりの事実である、と言わなければなりません。


「イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。」


今日の大きな問題は、じつは、ここから始まります。


「イエスについてのこの話」とは、ナインという町で、イエスさまが死人をよみがえらせるというみわざを行われた、という話です。この話が、「ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった」のです。


人から人へ口づてに語り継がれ、広まっていく話のことを、わたしたちは、伝言(でんごん)と呼んだり、噂話(うわさばなし)と呼んだりします。


ただし、とくに噂話のほうには、少し悪い意味合いが含まれる場合が多いことは事実でしょう。


伝言ゲームという子どもの遊びがあります。あのゲームの面白さは、伝言という手段によって一つの情報が、いかに正確に伝わるかではありません。いかに間違って伝わるかが面白いのです。いかに尾ひれがついているかが、面白いのです。


ですから、それはもちろん、恐ろしいことでもあります。いつの間にか、ありもしないことを言いふらされている、という場合があるのです。今日お読みしました7・33以下に記されているイエスさまご自身の御言は、そのことを明らかにしています。


「洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」


要するに、他人は、言いたいことを言う、という戒めです。あることも、ないことも、です。歴史上のイエスさまは実際に「大食漢で大酒飲みだ」と悪口を言われていたというのです。


じつは、今日の個所にやや隠されてはいますが真の主題であると思われるのは、この点です。この主題を見抜けるようにすることが、今日聖書を長く読んだ理由です。


まとめて言えば、人が立てる噂話の問題です。その影響力の問題です。


イエスさまがナインで死人をよみがえらせた、という話は、一つの噂話として広まり、それがヨハネのところにも伝えられました。


このヨハネとは、このルカによる福音書には、すでに何度も登場している、あのヨハネです。イエスさまの母マリアの親戚であるエリサベトとザカリアの子である、あのヨハネ。イエスさまに洗礼を授けた、あのヨハネ。洗礼者ヨハネです。


このヨハネは、みんなの前で、次のように語っておりました。


「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼を授ける」(ルカ3・16)。


ヨハネが語っているこの言葉の意図は、要するに、ヨハネ自身はイスラエルが待ち望む救い主メシアではない、ということです。


来るべきメシアは、このわたし自身ではない。わたしよりも優れた方がメシアとして来られるのだ、ということです。ヨハネ自身も救い主を待ち望む一人である、ということです。


そして、ヨハネは、来るべきメシアの到来を前にして、すべての人が自分の罪を悔い改めて、洗礼を受け、身と心を清めて、救い主をお迎えすべきであるということを教えてきたのです。


そのヨハネのもとに、一つの知らせが届きました。なんと恐るべきことに、死人をよみがえらせる力なるものを持った人が、ナインの町に現れたらしい。もしかしたら、その方こそ来るべきお方なのではないかという、まさにそのような一つの噂話が届いたのです。


「ヨハネの弟子たちが、これらすべてのことについてヨハネに知らせた。そこで、ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、主のもとに送り、こう言わせた。『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。』二人はイエスのもとに来て言った。『わたしたちは洗礼者ヨハネからの使いの者ですが、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」とお尋ねするようにとのことです。』」


イエスさまについての噂話を耳にしたヨハネは、その方こそが「来るべき方」であるのかどうかを知りたいと願いました。


それでヨハネがとった行動は、なんと大胆なことに、そのことを直接イエスさま自身に質問してみる、ということでした。


ただし、ヨハネ自身ではなく、ヨハネの二人の弟子をイエスさまのところに遣わす、という方法をとりました。


ところが、このときヨハネが二人の弟子たちに託した質問には、やや余計とも思われる点もあったと言えそうです。「それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」と。


ヨハネがイエスさまに向かって投げかけた質問は、「来るべき方は、あなたですね。ようこそ、お待ちしておりました。よくぞお出でくださいました。心から歓迎いたします」というようなものではなかった、ということです。


死人をよみがえらせる、というわざが現実に行われ、そのことがたくさんの証人たちの前で行われた、という話を聞いてもなお、です。


「あなたですか。それとも、別の方ですか」と、問いを投げかけたのです。


もちろん、これはおそらく、ヨハネというこの人の思慮深さ、あるいは用心深さというべきものを表わしている点であると思われます。


人づての噂話を簡単に鵜呑みにしない、ということです。他人の語る言葉を簡単に信用しない、ということです。疑う心、批判する心が、全く無いとしたら、むしろ心配です。


だまされやすさと信仰は、ベツモノです。批判的に物事を見ることを理性的と呼ぶことができるとすれば、わたしたちの信仰は、きわめて理性的なものです。


この点で、ヨハネの投げかけた質問の内容は、間違っているとは言えないでしょう。


しかし、間違っているとは言えませんが、やや余計なことを言っている、とは言えると思います。


イエスさまご自身に対して、そのような聞き方があるでしょうか。口の聞き方が悪いとか、古い身分制度的なことを申し上げたいわけではありません。ただ、ヨハネの質問には、全く問題がなかった、とも言い切れないでしょう。ヨハネが聞いていることは、明らかに、少し余計です。


なぜ“余計”かです。ルカは、次のように書いています。


「そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。それで、二人にこうお答えになった。『行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。』」


お分かりでしょうか。イエスさまは、ヨハネから質問を託された彼の二人の弟子たちへの答えとして、「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい」と言われました。


そんなに疑うならば、です。


人から聞いた話だけでは、とてもじゃないが信じられない、と思うならば、です。


どうか今、このわたしが、あなたがたの目の前でなしている、このみわざを見なさい。また、このわたしの言葉を聞きなさい。そして、あなたがたが実際に見たこと、聞いたことを、そのままヨハネに伝えなさい。


このように、イエスさまは、言われたのです。


疑う気持ちを持つこと自体は、大切であり、必要でもある、ということは、先ほど申し上げたとおりです。このことをイエスさまご自身が否定しておられるわけでもありません。


しかし、おそらくイエスさまは、このとき、いくらか“残念な”気持ちを持っておられたような気がしてなりません。


そのとき、イエスさまは、「病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた」のです。


あるいは、ナインの町でも、最愛の一人息子を失って悲しんでいる母親を慰めるために、みわざを行われたのです。


やることをやっておられるのです。さぼっておられるわけではないのです。


うそをついておられるわけでも、ひとを騙しておられるわけでもありません。人からの名誉や賞賛がほしかったわけでもありません。そんなことには、全く興味がありません。


イエスさまは、今、現実に苦しんでいる人を、ただ、助けたいだけなのです。


また、イエスさまは、人を助けることができる知恵と力を持っておられるのです。


そして、イエスさまは、今ここで、多くの人々の中で最も大きな苦しみを負っている人を見抜き、その人のところへと一目散に駆けつけてくださるのです。


ヨハネは、「来るべき方は、あなたでしょうか。ほかの方を待つべきでしょうか」と聞く前に、イエスさまのお姿を、直接見るべきだったのです。


(2005年5月1日、松戸小金原教会主日礼拝)


2005年4月24日日曜日

信頼としての信仰

ルカによる福音書7・1〜10


関口 康


今日もまた、ルカによる福音書の続きを、読んでいきます。


今日の個所に紹介されている出来事の内容は、新共同訳聖書が付けている小見出しに書かれてあるとおりです。


救い主イエス・キリストが、百人隊長の僕をいやされた、という出来事です。


「イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。」


「これらの言葉」とありますのは、先週まで学んできました、いわゆる「平地の説教」です。マタイによる福音書では「山上の説教」として紹介されているものです。


この説教の長さは、実際にはどれくらいだったのだろうかという点に、わたしは、ふと関心を抱きました。


このようなことは、もちろん、問うてみたところで、明確な答えがあるわけではありません。


しかし、なんとなくですが、時間的な意味で、非常に長いものだったのではないか、と思いました。


ルカやマタイが記しているのは、いわばその要約のようなものではないか。実際には、もっと細かい点の説明や、丁寧な解説が加えられていたのではないか。


少なくとも、原稿の棒読みのような話ではなかったでしょう。もっと自由に、豊かに、そして、一人一人の心に染み入る説教が語られたのではないか。


そのようなことを考えてみました。


そして、その説教を終えられたイエスさまが「カファルナウムに入られた」と書かれていることにも、さっと読み流してしまわないほうがよいかもしれない、ある特別な意味が込められているような気がしてなりません。


特別に、そのようなことが、わたしの読んだ注解書の中に書かれているわけではありません。しかし、今こそ思い起こしていただきたいことがあります。


それは、「ガリラヤの町カファルナウム」というのは、イエスさまの宣教活動にとっての最初の拠点が据えられた町である、ということです。


カファルナウムにはシモン・ペトロの実家があり、イエスさまはその家で寝泊りされていたと言われます。


また、カファルナウムにはユダヤ教の会堂(シナゴグ)があり、そこでイエスさまは、安息日ごとに説教を担当しておられたとも言われます。


また、ルカによる福音書には必ずしもあまり明確ではありませんが、マルコによる福音書を読みますと、イエスさまは、とにかくこのカファルナウムを拠点とされている、ということがよく分かるように描かれています。


カファルナウムから伝道といやしの旅に出かけられても、必ずと言ってよいほど、再びカファルナウムに戻ってこられます。まさに文字通り、カファルナウムを中心に動いておられる様子が、分かるのです。


さらに、もう一つ、これもマルコによる福音書に基づいて言いうる点ですが、


イエス・キリストが十字架にかけられた三日目に死人の中からよみがえられたとき、墓の前に現れた天使が、そこにいた女性たちに語った言葉は、


「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」というものでした。


この「ガリラヤ」は、具体的には「カファルナウム」のことです。復活のイエスさまは、カファルナウムにお帰りになるのです!


わたしの申し上げたいことは、単純なことです。


そのときのイエスさまの心境は、まさに「ほっと一息」というべきものではなかったでしょうか。


一仕事終えて、やっと、安心できるわが町、心置きなく過ごせる喜びのわが家に帰り着いた、というような安堵感ではなかったでしょうか。


ところが、まさにそのような「ほっとひと息」の場面で、大きな事件は起こるのです。そういうことは、わたしたちにもあると思います。


「ああ疲れた」と、ネクタイをほどき、背広を脱ぎ、さあお茶でも飲もうかと、やかんに水をくみ、火をつけようとすると、電話がかかってくるのです。


「ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。」


病気というのは本当につらいものだと思います。すぐに治る軽い病気ならばともかく、「もう治らない」と医者から言われたり、自分で自覚できるほどの重い病気にかかった人は、絶望の淵においやられてしまいます。


ここに紹介されている一人の人は、「ある百人隊長に重んじられている部下」と呼ばれています。この人が「病気で死にかかっていた」と書かれています。何の病気であったか、なぜ病気にかかったかは、記されていません。


この部下のところに、イエスさまに来ていただきたいと願ったのは、百人隊長その人でした。「部下を助けに来てくださるように頼んだ」とあります。


ただし、自分自身がではなく、「ユダヤ人の長老たちを使いにやって」頼みました。なぜそのようにしたか、その理由は、あとのところに出てきます。


「長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。『あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。』そこで、イエスは一緒に出かけられた。」


長老たちは、百人隊長に願われるままに、イエスさまのところに行き、そして「熱心に」願いました。


「あの方」とあるのは、百人隊長のことです。「そうしていただくのにふさわしい」とは、イエスさまに、その百人隊長の部下のお見舞いに行っていただくことは、その百人隊長にとって、ふさわしい、という意味です。


理由もきちんと語られています。その百人隊長は、ユダヤ人たちのために会堂を建ててくれた、というのです。まさか、大工仕事をしてくれた、という意味ではないでしょう。おそらく、たくさんの献金をしてくださった、という意味です。


しかも、その会堂とは、おそらく、カファルナウムの会堂のことですから、毎週の安息日に、その中でイエスさまが説教をされていた、その会堂のことでしょう。


あの百人隊長は、われわれにとっての功労者である。その方の家に、部下のお見舞いに行ってくださることは「ふさわしいこと」であると、長老たちは、そういう言葉でイエスさまに訴えたのです。


「そこで、イエスは一緒に出かけられた」とあります。しかし、ここで気になることは「そこで」の意味です。


それは、イエスさまが、この長老たちの訴えの内容、あるいは説得の内容をお受け入れになったので、「一緒に出かけられた」ということでしょうか。


わたしたちの会堂を建てるために、たくさんの献金をしてくれた、あの百人隊長の功労に報いるために、イエスさまには、あの方の部下の病床にお見舞いに行っていただかなければなりません、という彼らの言い分を、イエスさまが納得されたので、出かけられた、という意味でしょうか。


そのようなことが悪いと、わたしは今、申し上げたいわけではありません。教会の長老たちならば、当然、そのようなことは、考えるべきことであると思いますし、配慮すべきことです。


しかし、そういう話だけになってしまいますと、わたしなどは、つい、逆のことを考えてしまいます。


もしこの百人隊長が、そのような貢献をしていなかったとしたら、その部下のお見舞いに行かなくてもよい、ということになるのでしょうか。そこに、なんともいえず腑に落ちないところが出てきます。


イエスさまは、その百人隊長の貢献のあるなしにかかわらず、助けを求める人のもとにかけつけてくださる、そういうお方ではないのでしょうか。


少し厳しい言い方になってしまうかもしれませんが、このときの長老たちの説得の方法には、いくらか問題があるような気がしてなりません。


持って回ったような説得の言葉は、必要なかったのではないでしょうか。


「ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。『主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。』」


ここに、先ほど「あとのところに出てきます」と申し上げました、この百人隊長がなぜ自分自身で、ではなく、長老たちに、イエスさまのところに行ってもらったか、その理由が語られています。


「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」というのが、その理由です。


わたしたちならば、「こんなこと、言わなくてもよいのに」と感じるような理由です。


自分自身をひどくおとしめるような言い方です。ものすごく悪い言い方をすれば、卑屈とさえ感じられます。


しかし、もしこれが、この人の本心からの言葉であるならば、尊重されるべきです。


そして、この人は、「主よ、御足労には及びません」と言います。


「来てくださらなくて結構です」とか「来ないでください」というような、つっけんどんな言葉ではありません。


なぜそう言いうるかと申しますと、百人隊長の友達が続けている言葉が、根拠です。


「『ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。』」


ここで分かるのは、百人隊長の信仰です。


この百人隊長は、イエスさまのお語りになる「御言」の力を信じていました。イエスさまが「ひと言」お語りになるその御言で、部下の病気はいやされる、と信じていました。


ここからまた、なぜこの百人隊長が、せっかく出かけてこられたイエスさまに「御足労には及びません」と伝えようとしたのか、その理由も分かります。


イエスさまのお語りになる「御言」が、「御言」だけが、あらゆる問題や病気や苦しみを解決する力を持っている、と信じていたからです。


長老たちは、ちょっと違っていました。たくさん献金してくださった、あの方のところには、きちんと出向いたほうがよい、という動機が見え隠れしていました。


あの人は会堂を建ててくれたと、長老たちが、そのような理由を挙げて、イエスさまを説得しようとした、ということを、百人隊長自身が知っていたかどうかは、ここには書かれていません。


しかし、もしこの百人隊長自身が、それを知ったならば、そのような理由や動機から、イエスさまに来ていただくことは、申し訳ないことであるし、筋が違う、と感じるようなことではなかったでしょうか。


「そこで、イエスは一緒に出かけられた」の「そこで」の意味が読み間違えられてしまいますと、思わぬ大きな落とし穴に陥ってしまうことになりかねません。


「『わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。』イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。『言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。』使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。」


ここで百人隊長が語ろうとしていることは、言葉というものが持っている権威のことであると思われます。


隊長が部下に向かって「行け」と言えば行く。「来い」と言えば来る。「これをしろ」と言えばする。


言葉の持つ力について、言葉に信頼することについて、彼は、語ろうとしています。


わたしに、そしてわたしの部下に、ただ一言、御言をください。


そして、部下を苦しめている病魔に向かっても、「出て行け」と命じてください。


彼は、そのように願ったのです。イエスさまを、そのような方として信頼し、すべてを委ねたのです。


そのとき、奇跡が起こったのです。


(2005年4月24日、松戸小金原教会主日礼拝)


2005年4月17日日曜日

岩の上に建てられた家

ルカによる福音書6・43〜49


関口 康


今日は、二つの段落を読みました。しかし、これは一つの話題、統一的なテーマが取り扱われている、と見ることができます。


「『悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくはとれないし、野ばらからぶどうは集められない。善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである』」。


最初の段落でイエスさまが語っておられることを一言でまとめて言いますと、わたしたちの「口が語る言葉」と「心の中にある思い」との関係は何かという問題であるということです。


ただし、この場合、「言葉」ということを、あまり狭苦しく考える必要はなく、わたしたち人間が自分自身の存在の外側に向かって示す表現のすべてが含まれている、と考えてもよいでしょう。


身振り手振り、表情や目線、最近では手話などもあります。あるいはまた、手紙や日記、小説や学術論文の文章なども、十分な意味で「言葉」です。


イエスさまがたしかに語っておられるのは「口が語る言葉」に関することです。しかし、わたしたちは、もう少し範囲を広げて、考えてみることができるでしょう。


その、わたしたちが自分の存在の外側に向かって示す表現のすべては、わたしたちの心の内側から出てくるものである、ということが示されているのです。


そしてまた、さらに、もう少し別の観点から言い直しますと、それは、人間の外面性と内面性の関係は何かということです。


ですから、その人間の外面性と内面性との間には、当然深い関連性がありますし、両者を切り離して考えることはできない、ということにもなるわけです。


そのため、これを、ごく単純に言い切ってしまいますと、わたしがしばしば用いる表現なのですが、人間とは、言うならば、薄皮一枚のような存在なのだ、ということです。


見る人が見れば、わたしたちの内側にあるものは、外から透けて見えてしまうのです。どんなに隠そうとしても、隠しているつもりでも、見られたくないものまで、見えてしまうのです。


そのことを、わたしたちは、覚悟しなければなりません。


そして、少なくとも神は、わたしたちの内側にあるものを全くお見通しである、ということを、わたしたちは、覚悟しなければなりません。


すべてをお見通しである神の御前で、わたしたちは、何を隠すことができるのでしょうか。隠すこと自体、何の意味があるのでしょうか。そのように、自問自答する必要があります。


そして、今日の個所でイエスさまが語っておられることの中で、強調点が置かれているのは、どちらかというと、悪いほうの話です。


「悪い実を結ぶ良い木はない」のほうです。あるいは「悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す」のほうです。


肯定的側面のほうよりも否定的側面のほうに、イエスさまの強調があります。


なぜそう言えるかといいますと、46節以下に、イエスさまを「主よ、主よ」と呼びながら、イエスさまの言うことを聞かない人に対する明確な批判が語られているからです。 


「『わたしを「主よ、主よ」と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。』」


このイエスさまのたとえ話の中に、わたしにとっては非常に興味深く、注目と熟考に価すると感ぜられる表現が出てきます。


それは、イエスさまの御言を聞いて行う人は皆、「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている」という、この点です。


ここで、とくに興味深く感じるのは、ルカによる福音書には書かれている「地面を深く掘り下げ」という言葉が、マタイによる福音書(7・24以下)は出てこない、という点です。


ルカの場合、イエスさまは、地面を深く掘り下げたところに「岩」が現われ、そして、その「岩」の上に土台を置いて家を建てる人の話を、語っておられます。


これの何が興味深いのかと申しますと、ルカの場合、そのようにして現われる「岩」が、イエス・キリストの御言を指している、と思われるからです。


地面を深く掘り下げると、そこに岩が現われる。その岩こそがイエス・キリストの御言である。その岩の上に家を建てるべきである。そういう話です。


しかし、ここでわたしが感じる第一の問題は、地面を深く掘ると、そこに必ず岩が現われる、というのは、果たして本当か、ということです。


あまり参考にはなりませんが、たとえば、わたしの岡山の実家のある場所は、元々は海であったところを埋め立てた、いわゆる干拓地です。


そのため、(実際にしたわけではありませんが)、5メートルほども掘り下げると、海水が出てくる、と言われています。お台場あたりは、どうでしょうか。そういう場所も、現実にはあるのです。


もちろん、もっと深く掘ればよいのかもしれません。しかし、海水が出てくるあたりよりも、さらに深く掘るとなると、どれくらい掘ればよいのでしょうか。想像できません。


わたしが感じる第二の問題は、このイエスさまのたとえ話の中で、「地面を深く掘り下げる」のは、誰の仕事として描かれているのか、ということです。


もちろん、その仕事をするのは、地面を深く掘り下げたところに出てくる「岩」の上に家を建てる人である、と言えば、そのとおりです。


しかし、ここで明らかに、「岩」とは、イエス・キリストの御言を指しています。


そうだとすると、イエス・キリストの御言は、地面の中に埋まっている、ということです!


わたしたちが立っている、この地面の中に、です!


そうだとすると、もしわたしたちが、自分の家の土台を、その岩の上に置きたいと願うならば、わたしたち自身が立っているこの地面を、深く掘り下げなければならないのです。


そういうものとして、イエスさまは、ご自身の御言の本質を描き出しておられるのです。


なぜわたしが、この点にこだわるか、その理由は何かを申し上げます。


「イエス・キリストの御言」ということで、わたしたちが通常思い描くのは、それは「上から」啓示される、ということです。


神の御子イエス・キリストにおける神の啓示は、地面の中に埋まっているようなものではなく、天から、上から降ってくるようなものである、と言われることが多いのです。


ところが、ここでルカが記していること、イエスさまご自身がそのように語られた、と言われていることは、それとは明らかに異なるのです。


「上から」ではなく、むしろ「下から」です。地面があるのは、わたしたちの足許です。イエス・キリストの御言を土台にして家を築くために、わたしたちの足許を深く掘り下げることが求められています。


もっとはっきり言うならば、わたしたちの足許とは、「地上の現実」、「日常の生活」ではないでしょうか。


そこを深く掘ると、イエスさまの御言が出てくる、ということは、見方を変えて言うなら、イエスさまの御言とは、地上の現実を深く掘り下げたところに根ざした、まさに現実的な言葉である、ということです。


もしそうだとすると、地面を深く掘り下げるのは、誰の仕事でしょうか。


わたしたち自身の務めでもある、と言うべきです。


しかし、いわばそれ以上に、あるいは、それ以前に、まず最初に、イエスさまご自身が、地面を深く掘り下げてくださったのです。


そして、そこに、イエスさま御自身が、御言という岩を、置いてくださったのです。


そのように考えることができるのです。


今日の個所で、イエスさまの一連の説教についての学びが終わります。


わたしは繰り返し、ルカは、この説教を「地上の説教」として描いている、と申し上げてきました。


イエスさまは「山から下りて、平らな所にお立ちになった」(6・17)ということを、ルカは、わざわざ強調しているのです。


その説教のしめくくりの部分に、「地面を深く掘り下げること」が語られているのです。そして、そこに現われる「岩」の上に立つことが求められているのです。


この一連の説教を理解するためのキーワードが、「山から下りること」、「平らな所に立つこと」、そして「地面を深く掘り下げること」というあたりにある、と思われてならないのです。


イエスさまの御言とはどのようなものであるのか、ということについて、イエスさまご自身がどのようにお考えになっておられるのかが、ここから分かります。


それは、地上の現実の上にしっかり立つために学ぶべき御言です。現実から目をそらすことや、地に足のつかない思想を持つことではありません。


また、それは、耳で聞くだけで、あるいは、頭で覚えるだけで済ませることのできない御言です。「聞き置いた」などというのは、イエスさまに対して失礼な言い方です。聞いたなら、それを行うべきです!


「御言を行う」とは、それを生きること、それで生活すること、です。実践すること、具体化すること、現実化することです。目に見えないもの(言葉)を目に見えるもの(現実)へと転換し、展開し、具現化することです。「絵に描いた餅」のままにしておくべきではありません。


また、先週学びました個所には、「修行を積む」ということが語られていました。わたしたちにとっての「修行」は、何だったでしょうか。


「まず自分の目から丸太を取り除いてから、兄弟の目にあるおが屑を取り除く」修行です。


「ひとを断罪するのではなく、ひとの罪を赦す」修行です。


「右の頬を打たれたら、左の頬を向ける」修行です。


それは難しいことです。だからこそ、「修行を積む」ことが求められているのです。


現代は「修行」ということがあまり重んじられない時代である、と言われます。


我慢すること、忍耐することができない人々が、増えています。


キレやすい。すぐ爆発する。自分のことを棚に上げて、ひとを責めることばかりに、心を用いる。


わたしたちは、ぜひ、「御言を生きる修行」を積み重ねて行こうではありませんか。


(2005年4月17日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年4月10日日曜日

自分の目の中の丸太

ルカによる福音書6・37〜42


関口 康


今日も、イエス・キリストの「地上の説教」を学んでいきます。


「『人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。』」


今お読みしましたこの御言は、わたしには、理解するのが難しいと感じられます。


先週学びました御言、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」のほうが、はるかに理解しやすいものでした。


まさに、書いてあるとおり、でした。疑問をさしはさむ余地が無いほどに明確な言葉である、と感じられるものでした。ただし、実践することは、とても難しい。そのような御言でした。


それに比べ、今日の個所にある「人を裁くな」とは、どういう意味でしょうか。


これは、たとえば、わたしたちは、どんなことがあっても、裁判というものを起こしてはならない、というようなことでしょうか。裁判官や裁判所はこの世の中から消え失せるべきである、というようなことでしょうか。


もしそうだとしたら、本当に困ってしまいます。


わたしの理解では、裁判官や裁判所の存在意義の一つは、弱者の救済ということにあります。


現実の裁判官や裁判所が、きちんとした裁きを行ってくれるどうかはともかく、です。


あるいはまた、現実の社会の現実の裁判においては、白いものを黒と言い、黒いものを白と言うことが全く無いとは言えないとしても、です。


ともかく、裁きというものは、必要ではないでしょうか。「人を裁くな」と言われてしまうと、わたしなどは、本当に困ってしまいます。


「『赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。』」


今日の個所から考えたいことは、イエス・キリストが、なぜ、このようなことを語っておられるかという、その理由です。


イエスさまは、地上の正義と公平を保つために必要な裁判のすべてを、否定されているのでしょうか。


おそらくそうではないだろう、と思いたいところです。


強調点は、「赦しなさい」のほうではないでしょうか。それならば、受け入れることができるところが出てきます。


少し屁理屈っぽい言い方になってしまいますが、「赦す」かどうかを決めるのは、「裁き」の場所でもあります。


ある罪とそれを犯した罪人が、赦されもし、刑罰を受けるために断罪されるのは、「裁き」の場所です。「裁き」のないところには「赦し」もないのです。


ですけれども、イエスさまが、たしかに語っておられることは、「人を裁くな」ということです。人を裁判にかけるな、と訳してもよいくらいです。


そうであるならば、ここでイエスさまが語っておられることを、わたしたちが、ただ、自分自身に都合がよいように、引き寄せてしまうことは、できません。


ただし、その続きに、「人を罪人だと決めるな」とも語られています。断罪するな、という意味です。


どうやら、わたしたちは、今日の個所全体の中では、とくに、このあたりのことをよく考える必要がありそうです。「断罪するな」と言われている意味は何か、ということです。


断罪するのではなく、赦しなさい、と言われている意味は何か、ということです。


ここで、たしかに思い当たることがあります。


わたしたちが、裁判所と裁判官に、何ごとか裁判してほしいと願う案件を持ち込もうとするとき、たいていの場合、いや、ほとんどの場合、このわたしに危害を及ぼした相手を断罪してほしいという、あらかじめの動機があると思われます。


わたしは赦さないし、赦したくない、という強い思いがあるからこそ、わたしたちは、裁判所に訴え出るのです。


そして、その裁判に期待することは、わたしの勝利であり、相手の敗北です。


そのことを期待することのすべてが悪いと、言いたいわけではありません。むしろ当然のことでしょう。


しかし、そこでおそらくイエスさまは、わたしたちに、ちょっと待て、とおっしゃるのではないでしょうか。


裁判所と裁判官に訴え出る前に、です。


何ごとかに決着をつけ、白黒をはっきりさせる前に、です。


このわたしに罪を犯した相手を憎む前に、とは言えないでしょう。憎しみの心は、すでに動き始め、燃え始めているからこそ、どうにかしたい、と願っているのですから。


ですから、事情はいつでも、相手を憎み始めた後に、です。


しかし、だからこそ、その憎しみの心が、あまりにも大きく広く増幅してしまう前に、です。


そのとき、せめて少しだけでも、わたしたち自身のこと、自分のことを、振り返ってみることが必要ではないか、とイエスさまは、どうやら、おっしゃっているのです。


腹を立てているとき、わたしたちの頭には、たくさん血が上っています。その真っ赤な顔を、一度でよいから、鏡に映して見てみると、よいかもしれません。


おそらく、そのとき、わたしたちは、こわい顔をしています。自分でもおそろしくなるような顔です。


わたしたちに求められているのは、そのような自分を、せめてほんのちょっとだけでも振り返ってみる、心の余裕ではないでしょうか。


「イエスはまた、たとえを話された。『盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。』」


話題に少し飛躍があるように感じます。無理に関連づける必要はないかもしれません。盲人に盲人の道案内はできない、という言い方そのものは、今では差別的と判断されますので、慎重に扱うほうがよいでしょう。


ただ、全く関係ない話が突然入ってきていると考えるのではなく、何らかの関係があると考えてよいならば、思い当たる点が全く無いわけではありません。


ここでイエスさまが語っておられるのは、師と弟子、教師と生徒の関係は、どのようなものであるのか、ということです。


そして、盲人と盲人の関係も、師と弟子の関係について考える際の参考として語られている、と受けとるのが自然でしょう。


そうであるならば、思い当たる可能性は、それほど多くはありません。


「師」とは、道案内ができる人のことです。道案内ができない人は「師」と呼ばれるにふさわしい者になるまでに至っていない、ということです。


それに対して、「弟子」とは、道案内ができる人に、道案内してもらう人のことです。


初めての海外旅行に、ツアーガイドなしで出かけるのは、かなり無謀な行為です。


教習所に通ったことがない人が、自動車の運転をするのは、無免許運転です。


そのような無茶をしないで、自分よりも事情の分かった人に道案内をしてもらうことができる人が、「弟子」と呼ばれるにふさわしい人です。


だからこそ、イエスさまは、弟子もまた、修行を積めば、師のようになれる、と語っておられるわけです。


イエスさまにとって、「師」と「弟子」の関係は、上と下の関係、というよりも、前と後の関係です。


弟子は、師の後ろを、追いかけていくのみです。ついていくのみです。


そうしているうちに、弟子のまた弟子が現われるでしょう。弟子が師となり、次の弟子が現われるでしょう。弟子が師に追いつくことがある。追い越すこともあるのです。


ここで、前の話題との関連づけを考えてみることが、できそうです。


人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。


人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。


赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。


このことを、わたしたちは、師と弟子の関係というこの観点から考えてみることができるように思われます。


次のように、考えてみることはできないでしょうか。


ここでの問題は、そもそもイエスさまが、この個所で「師」と呼んでおられるのは、何についての師であるのか、つまり、何を教える師なのか、ということです。


ひとの罪を赦す道を教える師、ではないでしょうか。


そして、その場合、その人が罪の赦しを教えることができる師となるために受けるべき修行とは、何についての修行であるのか、つまり、その人は何を学ぶべきなのか、ということも、問題になります。


師となるべき人が受けるべき、おそらく最もふさわしい修行とは、その人自身が犯した罪を赦してもらう喜びと感謝の体験を積み重ね、味わい知り、十分に学ぶこと、ではないでしょうか。


すでに言い古された、やや平板というべき言い方を許していただくなら、ひとから自分の罪を赦してもらったことがある人だけが、ひとの罪を赦すことができるのです。


自分が犯した罪に対して、深い反省と悔い改めをしたことがある人だけが、罪を犯して反省し、悔い改めている人の心の中にあるものを、理解することができるのです。


逆の言い方ができます。ひとの罪を赦したことがなく、ただ断罪することしか知らない人に、罪の赦しの道を教える資格は、ありません。教師になる資格がないのです。


イエスさまこそが、わたしたちの真の教師です。わたしたちの罪を赦してくださり、またわたしたちが人の罪を赦す道を教える師です。この師に従って、わたしたちもまた、ひとの罪を赦さなくてはならないのです。


頭に血が上っているときにこそ、わたしたちは、イエスさまの教えを思い起こすべきです。


わたしたちは、イエス・キリストによって罪赦された者である、ということを自覚することができるとき、このわたしの憎しみの心に、和らぎと安らぎが訪れることを信じてよいのです。


そのことを、です。そのことを学ぶことこそが、イエスさまがわたしたちに課せられた「修行」の内容なのです。


「『あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、「さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください」と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。』」


ここでイエスさまが語っておられることは、受けとり方によっては、非常に辛辣な皮肉のようにも響きます。


兄弟の目の中におが屑があることを指摘し、それを取り除こうとする前に、自分の目の中の丸太に気づくべきであり、何よりも先に、それを取り除くべきである、と言われています。


ごく分かりやすく言うなら、自分のことを棚に上げるな、ということでしょう。


しかし、「ひとのふり見てわがふり直せ」とか「他山の石」というようなことよりも、もう少し先に進んでいます。


兄弟の目におが屑があることを指摘し、それを取り除こうとすることは、わたしたちに許されていることであり、なすべきことでもあるのです。


他人のことなどは放っておけ、余計なお世話である、と言われているわけではないのです。そのような個人主義が語られているわけではありません。


むしろ、イエスさまは、わたしたちが積極的に「師となる道」を教えておられると言えます。兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる者になれ、と言われているのです。


そのためにこそ、です。


わたしたちは「自分の目の中の丸太」に気づく必要があります。ただ、それを取り除くことができるのは、自分自身ではないかもしれません。だれかに取ってもらう以外にないかもしれません。


「気づかないのか」と、イエスさまは、おっしゃいました。イエスさまには、わたしの目の中の丸太が、見えておられるのです。


見えなければ、取ることもできません。見えておられる方に、取っていただく必要があるのです。


いや、必ず取ってくださいます。


わたしたちを罪の中から救い出し、わたしたちの中から罪を取り除いてくださるために、イエス・キリストは、来てくださったのです!


(2005年4月10日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年4月3日日曜日

敵を愛しなさい

ルカによる福音書6・27〜36


関口 康


本日からまた、ルカによる福音書の学びに戻ります。イエス・キリストの「地上の説教」の続きです。


今日読みました段落に記されている内容は、単純明快です。


「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」


これは、愛敵の戒めと呼ばれています。イエス・キリストは、弟子たちに「敵を愛しなさい」と教えられたのです。


これは難しい教えである、と誰もが感じます。わたしも、そう感じます。


しかし、ぜひ考えてみたいことがあります。もしイエスさまが、逆のことを言われたとしたら、わたしたちは、どのように感じるだろうか、ということです。


「敵を憎むのは当たり前である。あなたがたを憎む者には親切にしなくてもよろしい。場合によっては、殺しても構いません。」


そのようにイエスさまに言っていただくことができるなら、わたしたちは安心できるでしょうか。キリスト教は、現実的な答えを出すことができる、善い宗教である、ということになるでしょうか。


「敵を愛する」だなどというような、実際にはありえない、人間の理性や感情に著しく反する、理想主義的なたわごと、ざれごとから脱却できる、という話になるでしょうか。


わたしには、どうしても、そのように考えることができないのです。


むしろ、わたしには、こう思われます。


敵を憎む思いは、常に、不断に、わたしたちの心を支配している。それは、放っておくと、日々募り、高まるばかりである。誰かにとめてもらいたいくらいである。


どうか、誰でもよいから、わたしの心の中にある、この憎しみの思いを、感情を、打ち消してほしい。


物分かりのよい言葉は、要らない。むしろ、物分かりの悪い頑固なオヤジのような人が現れて、憎しみの思いを忘れることができない、このわたしを、叱り飛ばしてほしい。


こんなふうに、思われてならないのです。


もちろん、最も理想的なことは、わたしたちの前に「敵」などというものが、一人も存在しないでいてくれることです。それが最も理想的であり、最も幸せなことです。


しかし、実際には、現実には、わたしたちの前には、必ずや「敵」が現れます。わたしたち自身が、自分の言葉や行いによって「敵」をつくってしまっているときもあります。


ですから、理想的には「敵をつくらないこと」が大切です。しかし、どんなに努力しても、「敵」が現れてきた場合には、「その敵を愛すること」が、求められているのです。


ここでイエスさまが語っておられる「敵」という言葉には、いわゆる国と国との戦争の場面で語られる「敵国」という意味はない、と言われています。「敵国」という場合には、別のギリシア語が用いられるからです(G. シュトレッカー『山上の説教註解』佐々木勝彦・庄司 眞訳、ヨルダン社、1988年、171〜172ページを参照)。


しかしながら、そのことは、イエスさまがこの愛敵の戒めにおいて、戦争における敵国の問題を意識的に避けている、ということには、なりません。あるいはまた、たとえば、宗教の団体であるところの教会は、政治の問題などには、一切かかわるべきではない、というようなことでも、全くありません。


事柄は正反対です。イエスさまの教えは、むしろ、政治の問題、戦争の問題のみに限定されるものではない、ということです。


むしろ、もっと広く、政治の問題、戦争の問題をも含む、すべての人間関係において、わたしたちには必ずや「敵」がおり、かつ、その「敵」を愛さなければならない、ということです。


わたしたちの日常生活の中で起こる、ごくごく小さなけんかや対立の問題のすべてが、イエスさまの教えの視野の中に入っている、ということです。言い逃れの余地がない、という意味で、わたしたちの全人生が、神の御前にあって、問われているのです。


ですから、その意味で、この戒めは、たしかに、わたしたちにとって、難しいものです。単純明快である、しかし、非常に難しい教えです。理解はできる、しかし、それを守ることが難しい、まさにそのような教えの典型である、と言えるでしょう。


すでに故人となられていますが、わたしの恩師のひとりに、『神の痛みの神学』という本を書いたことで有名な北森嘉蔵先生という方がおられます。この北森先生が学生たちの前でおっしゃったことが、今でも忘れられません。


「『敵』とは、要するに『愛することができない人』のことを言うのである。愛することができない人を愛しなさい、と言われるところに、痛みが生じるのである。この痛みを、イエス・キリストにおいて神が引き受けてくださったのである。これを『神の痛み』というのである。」


事情はまさにそのとおりであろうと、わたしにも、納得できるものがありました。


しかしながら、今のわたしが思うことは、北森先生がそのことを否定されたという意味ではありませんが、この痛みは「神だけの痛み」であってはならないだろう、ということです。


それはわたしたちの痛み、人間の痛みにもならなければなりません。キリストにおいて神が、神だけが、敵を愛してくださって、それですべての問題が解決するわけではありません。


神の戒め、キリストの戒めを守らなければならないのは、わたしたちなのです。


「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。」


わたしたちの人生の中で、実際に自分の頬を打たれる機会は、何度くらい訪れるでしょうか。そんなに多くはないような気がします。


わたしの父は、1933年生まれで、現在71才です。父は、終戦の年に小学6年生でした。


この父から聞いた話は、戦時中の学校で、先輩たちがよく、後輩を一列に並べて、拳骨で殴り飛ばした、ということです。父は、よく殴られた側にいたようです。


そのようなことが当たり前のように行われていた時代もあったし、じつは、今でも実際にはどこかでそのようなことが行われているのかもしれません。


わたしは、と言いますと、子どもの頃から、けんかというものが大嫌いでした。


この世の中の何がイヤかと言って、とにかく、けんかというものがいちばんイヤな人間でした。だいたい、いつも逃げ回っていました。


ただ、一人だけいる兄貴とは、時々やりあいました。しかし、4才年上の兄貴とは体格が違いすぎて、けんかにはなりませんでした。負けてくれたことはあったかもしれませんが、自分が勝ったと思ったことは一度もありません。


父も母も、わたしをこぶしで殴ったりはしませんでした。少なくとも、そのようにされた記憶が、全くありません。


だからでしょうか。


わたしも、だれかをこぶしで殴ったということが、全くありません。手が滑ってちょっと当たってしまった、というくらいのことは、あったかもしれません。しかし、殴ろうとして殴った、ということが、ありません。


とにかく、そういうことが嫌なのです。そんなことをするくらいならば、自分のほうがコテンパンにやられるほうがはるかにましだ、と思うくらいなのです。


わたしの話は、どうでもよいことです。ただ、そのような者として、いわばそのような者だけに語りうることが少しはあるかもしれない、と感じます。


他人にそういうことをしたことがない、というこのことが、今やわたしの誇りになっている、ということです。大真面目な話として、けんかに弱いことが、わたしの誇りなのです。


悔しい、と思う気持ちは、もちろん、ないわけではありません。しかし、わたしは、人からほめられたり、賞賛されることも苦手ですが、うらまれたり、憎まれたりすることは、もっと苦手です。


下げられる頭ならば、どんな頭でも下げたいと思います。謝って済むものなら、いくらでも謝りたい。ゆるしてもらいたい、と思います。


イエスさまの教えは、わたしにとっては少しも、現実離れした理想主義的なたわごとでも、ざれごとでもありません。むしろ現実そのものです。


負けるが勝ち、とは申しません。勝つ必要はないのです。


けんかして、争って、その争いに勝ったからと言って、それで幸せになれる、と思ったことは、少なくともわたしには、一度もないのです。


けんかを避けるべきです。できるだけ、争いに巻き込まれないようにするほうが、懸命です。


それでもなお、どんなに気をつけていても、争いというものは、向こうから、やってくるからです。


そのとき、どうするか。イエスさまは、わたしたちに、何を教えてくださったでしょうか。


「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」


わたしは、今日の個所について、いろいろな解説をあまり付け加えたくないと感じます。


書いてあるとおりです!


この「書いてあるとおり」ということを、今日は重んじたいと思います。


イエス・キリストの復活と昇天の出来事の後に生み出された教会の中に、この「書いてあるとおり」を実践した人々がいました。


その一人としてたいへん有名なのは、キリスト教会最初の殉教者となった、ステファノです。


ステファノの殉教の場面は、使徒言行録7・54〜60にあります。


「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。」


わたしは、このステファノの出来事についても、なんのかんのと、余計な解説をしたくありません。


まさに、ここに書いてあるとおりの出来事が、現実として、事実として、歴史の中で起こったのです。


そして、こういう人を、キリスト教会は、歴史の中で生み出し続けました。


ここでも、最初に申し上げたことを、繰り返したいと思います。


もしステファノが、自分を罵り、自分を目がけて石を投げつける人々に対して、口汚く罵り返し、暴力に対しては暴力をもって立ち向かった、という話であったならば、わたしたちは、安心できるでしょうか。


抵抗することは、ステファノに許されていたことです。抵抗することのすべてが間違っている、などと誰が言えるでしょうか。


しかし、ステファノは、抵抗しませんでした。迫害する者たちのために、祈りました。


勝ったか負けたか、という観点から言えば、ステファノは負けたのかもしれません。それでも、そのステファノを、キリストは受け入れてくださいました。


キリストは、天の父なる神の右で「立ち上がって」(ふだんは“座って”おられるにもかかわらず!)、ステファノを応援し、勇気づけ、心から喜び、受け入れてくださったのです!


(2005年4月3日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年3月27日日曜日

死に打ち勝つ真の力


コリントの信徒への手紙一15・50~58

イースターおめでとうございます。

今日は、わたしたちの救い主、イエス・キリストのご復活をお祝いする日曜日です。

また今日は、「召天者記念礼拝」としてこの礼拝をささげています。生前教会員だった方々、教会でまたは牧師が葬儀を行った方々、そして教会墓地に埋葬された方々の、それぞれご遺族に、今日の礼拝にお誘いするご案内状をお送りしました。

その方々には、これから毎年ご案内状を差し上げることにしました。今日ご出席くださいましたご遺族の方々は、後ほどご紹介させていただきます。

大切な方を失うこと、その方と地上ではもう二度と会うことができないということは、本当に寂しいことです。つらいことです。心にも、体にも、痛みや苦しみを感じます。

しかし、だからこそ、わたしたちは、その痛みや苦しみのなかから、助け出される必要があります。十分にいやされる必要があります。

亡くなった方々のことなどは早く忘れたほうがよい、という意味ではありません。そんな冷たい話ではありません。忘れる必要はありませんし、忘れるべきでもありません。

ただ、恐れるべきことがあります。大切な人の死は、わたしたちを容易に絶望においやってしまうのです。死の恐怖とは、絶望の恐怖です。希望を失うとき、わたしたちは、生きていく気力を失うのです。

今日は最初に、ある一人の方をご紹介いたします。

その方は、約9年前に、当時まだ二十歳に満たないご家族を病気で失い、その数日後、牧師であるご主人をも失いました。

短い間に、その家族のうちの男性二人を失いました。遺されたのは、二人の娘さんたちだけでした。それは本当につらい体験だったと、ご本人から伺いました。何日間も全く何も手につかず、寝込んでしまった、とも言われました。当然のことだと思います。

しかし、ある朝のことです。「あ、洗濯物がたまっている」ということに気づかれたそうです。それで我に帰られました。わたしには、まだしなければならないことがある、ということに気づかれたのです。

今どき、家事は主婦の仕事であると呼ぶのは、完全に時代遅れです。しかし、その方にとって、家事は、一つの救いになりました。

そうです。わたしたちは、どんなに辛いことがあったとしても、また、どんなに大切な人を失ったとしても、毎日の生活を、淡々と生きていかなければなりません。そのことに気づかなければならないのです。

その方は、牧師のおくさんだったときは、もっぱら家庭内におられました。しかし数年前、国際協力機構(JICA)の試験に合格され、現在ブラジルで、スタッフとして働いておられます。わたしのところにも、この方の活躍の様子を伝えるメールが届きます。本当に素晴らしい働きを続けておられます。

この方を立ち直らせた力は何なのかを、お話ししなければなりません。

わたしたち人間が持っている底力のようなものでしょうか。そういうものが全く無いとは申しません。

しかし、おそらく、ご本人は、そうではありません、とお答えになるでしょう。

そこでこそ、わたしはクリスチャンです、とお答えになるでしょう。

わたしには信仰がある。信仰が、神さまが、わたしを立ち直らせてくれた、とお答えになるでしょう。

キリスト教とは、復活を信じる信仰です。イエス・キリストを信じて生きる者たちには、永遠の命が与えられ、永遠の神の国を受け継ぐ者とされるという信仰です。

大切な人々、ご主人と最愛のご長男は、今も神のみもとで永遠に生きている、という信仰が、この方を立ち直らせました。

事実、キリスト教信仰には、わたしたち人間を、死の恐怖から、絶望の恐怖から、救い出し、立ち直らせてくれる力があります。

先ほど、聖書から、使徒パウロの言葉をお読みしました。

「兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。」

ここでパウロが書いている「肉と血」の意味は、一つの解説を参考にして申し上げますと、「今この地上に存在している人間」のことであると言われます。

今この地上に存在している人間は「神の国を受け継ぐことはできない」とは、どういうことでしょうか。わたしたちは、だれひとり、天国に行くことができないのでしょうか。

もちろん、そういう意味ではありません。

ただ、しかし、ここでパウロが言おうとしていることは、今この地上に存在している人間であるところの「肉と血」は、このままで、今のままで、何の変化もなく、自動的に、機械的に、神の国を受け継ぐことができるわけではない、という意味です。

「朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません」は、「肉と血は神の国を受け継ぐことはできません」の言い換えです。朽ちるものは、肉と血です。朽ちないものは、神の国です。

「朽ちない」とは、永遠性を意味します。永遠の神の国です。わたしたちの人生の目標としての天国です。そこに受け入れられ、そこを受け継ぐ者になるためには、わたしたち自身が「朽ちないもの」へとつくり変えられる必要があるのです。

「わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今と異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。『死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。』」

パウロは、「神秘」について語っています。「奥義」とも「秘儀」とも訳すことができるミステリーという言葉です。それは、科学的に実証された事実というようなものではありません。むしろ、宗教的真実というべきものです。端的に「信仰」と呼ぶことができる何かです。

「わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません」と言われているのは、わたしたちは、いつまでも眠り続けるわけではない、ということです。わたしたちは、「永眠者」にはならないのです。

しかし、それは、すべての人間は死なない、という意味ではありません。いやむしろ、すべての人間は、一度は必ず、たしかに死ぬのです。そして、眠りにつくのです。

ところが、パウロの信仰は、パウロの語る神秘は、それで終わりではない、と語ります。一度はたしかに死に、眠りについた者たちが、しかし、今とは異なる状態へと、すなわち、永遠に朽ちない姿へとつくりかえられるべく、よみがえるのだ、と語るのです。

そして、そのようにして、わたしたちは、永遠に朽ちない神の国を受け継ぐ者になる、というのです。

ここで大切なことは、わたしたちが「今とは異なる状態に変えられる」とは、どのような意味であるか、ということです。

先ほどわたしは、「肉と血」は、このままで、今のままで、何の変化もなく、自動的に、機械的に、神の国を受け継ぐことができるわけではない、と申しました。

その意味は、そこに救いが必要である、ということです。「救われた肉と血」が、神の国を受け継ぐのです。

いまだに救われていないもの、救われていないところを持つものが、完全に救われているものになる、完全な救いを獲得することこそが、真の変化です。「今と異なる状態に変えられること」です。

そして、その救いとは、パウロによると、救い主イエス・キリストに結ばれることです。ただひたすら、そのことです。

そのために、わたしたちは、何をなすべきでしょうか。パウロは、次のように記しています。

「死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」

ここでパウロが教えている、わたしたちがなすべきことの第一は、「神への感謝」です。

わたしたちの神は、わたしたちの救い主、イエス・キリストを死者の中からよみがえらせることのできる全能の御力をもって、わたしたちを罪の中から救い出してくださいます。

罪の中からの救い、それこそが、神がわたしたちに与えてくださる尊い賜物であり、また宝物です。

プレゼントを贈ってくださった神への感謝の生活を送ることが、大切です。

パウロがここで教えている、わたしたちがなすべきことの第二は、「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励むこと」です。

神からわたしたちに与えていただける尊い賜物であり、宝物であるところの「罪からの救い」は、しかし、このわたし個人の確信として維持し続けることは、難しいものです。

この世の中に生きるとき、じつにさまざまな罪の誘惑が、わたしたち一人一人をめがけて襲いかかって来ます。

だからこそ、わたしたちは、その誘惑に負けることなく、「動かされないようにしっかり立つ」必要があるのです。

しかし、そのためには、どうしたらよいのでしょうか。わたしたちは、ひとりで信仰を維持することは、困難ですし、ほとんど不可能とさえ言えます。

パウロは、この手紙をコリントという町にある「教会」に宛てて書きました。そのため、この手紙の中に出てくる「あなたがた」とか「わたしの愛する兄弟たち」とは常に、第一義的に「教会」のことです。

この点から言うならば、「教会」の人々に対して、ここでパウロが、「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい」と書いているとき、その場合の「主の業」とは、第一義的に「教会のわざ」のことなのです。

ですから、ここでパウロが勧めていることは、主の業としての教会のわざに励みなさい、という意味であると理解できます。

わたしたちには、「教会」が必要です。

わたしたちの救い、すなわち、永遠に朽ちない神の国を受け継ぐことができる者へと、わたしたち自身がつくり変えていただけるのだ、という確信をもって生きること、としての信仰を、この地上で保ち続けるために、

そして、そのわたしたちが、その信仰に裏打ちされて、死の恐怖、絶望の恐怖から立ち直り、元気に、明るく、力強く、そして自由に生きていくために、

「教会」が必要なのです。

クリスチャンなら、だれでも、死を恐れることはないのか、絶望の恐怖を味わうことはないのか、と言いますと、決してそんなことはありません。そんなはずがありません。

しかし、だからこそ、わたしたちは、毎週日曜日には教会に集まり、恵みの神を賛美し、聖書の御言葉を通して、救い主イエス・キリストにおける神の救いについて繰り返し学び、熱心に祈るのです。

その賛美は、その御言葉の学びは、その祈りは、「無駄にならない」のです。

「こんなことやっていて何になるのか」と、思いたくなることもあるかもしれません。しかし、どうか、教会のわざに、主の業に、失望しないでいただきたいのです。

わたしたちは、死に打ち勝つ真の力を、教会から得るのです。

(2005年3月27日、松戸小金原教会イースター礼拝)

2005年3月13日日曜日

神の国とは何か

ルカによる福音書6・12〜26


関口 康


今日は少し長く、三つの段落を読みました。


最初の段落に書かれていることは、イエス・キリストが弟子たちの中から十二人を特別に選び、「使徒」と名付けられた、という出来事です。


この中で最も気になるのは、言うまでもなく、十二番目に名前を紹介されている「後に裏切り者になったイスカリオテのユダ」のことです。


関心を抱かざるをえないことは、イエスさまはなぜこのような人をお選びになったのか、ということです。


当然考えてよいことは、少しとげのある言い方をお許しいただきたいのですが、救い主の目は節穴だったのだろうか、ということです。


この人がのちに自分を裏切るかもしれない、ということをイエス・キリストは、この人を選ぶ前に見抜くことがおできにならなかったのか、ということです。


再来週の日曜日に、わたしたちは、イースターを迎えます。その前の週に当たる来週の日曜日から、教会の暦で言うところの受難週を迎えます。


イエス・キリストがエルサレムの町に入られたとき、エルサレムの町の人々は、歓迎の意を表しました。


ところが、そのわずか4日後に、イエスさまは、ユダの裏切りによって逮捕され、その翌日、十字架につけられて死に・・・いえ、殺されました。


こんなふうに考えることは許されないでしょうか。もしこのユダがイエスさまの弟子でなかったとしたら、イエスさまが十字架にかけられることはなかったかもしれない、と。


しかし、このユダを弟子としてお選びになったのは、間違いなくイエスさま御自身でした。


そうだとしたら、イエスさまは、この人の問題性を見抜くことができなかったという点で判断を誤った、と言われても仕方がないのではないか、と。


事実としてたしかに言いうることは、ユダの裏切りがなければ、イエスさまの十字架もなかった、ということです。イエス・キリストは、ご自分がお選びになった弟子によって、死の道を歩まれることになったのです。


この問題には、ただ一つだけ、解決の道が開かれています。わたしたちは、ユダを使徒の一人に選んだことについて、イエスさまを失敗者と呼ぶことはできません。


むしろ、わたしたちに開かれているただ一つの解決の道とは、こうです。


イエスさまが十字架についてくださったのは、わたしたちを罪の中から救うためでした。


それは父なる神ご自身の御心でした。


わたしたちを罪の中から救い出すために、父なる神は、御子イエス・キリストを十字架につけてくださったのです。


そうであるならば、ユダは、父なる神と御子イエス・キリストとによる、わたしたちを罪の中から救い出すというみわざとそのご計画の中で、使徒として選ばれたのです。


恐ろしい考えかもしれません。しかし、神さまというお方は、わたしたち人間には図り知ることのできない方法で、わたしたちを救いへと導いてくださるお方なのです。


今日お読みしました第二番目の段落に書かれていることは、大勢の弟子とおびただしい民衆が、イエスさまの教えを聞くために、また病気をいやしていただくために、集まってきた、という出来事です。


ここでも、イエスさまのみわざとして、二つのことが書かれています。教えることと、いやすことです。“みことば”と“ふれあい”です。


興味深いことは、この個所に書かれていることは、イエスさまが、人々に、触れられた、という話ではない、ということです。主と客が逆転しています。


人々が、イエスさまに、何とかして触れようとした、という話です。「群集は皆、何とかしてイエスに触れようとした」とあるとおりです。


イエスさまに触れるとどうなるか、についても次のように書かれています。


「イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。」


何が興味深いか、と言いますと、そこに実際に現実にいやしが起こったとされる“ふれあい”は、まさに「ふれ“あい”」であった、ということです。双方性と相互性がある、ということです。


イエスさまのほうから手を伸ばされたのでなくても、人びとのほうから手を伸ばしてイエスさまに触れたときにも、いやしが起こったのです。


その人々は、イエスさまのほうへと自分の手を伸ばし、イエスさまから自分のいやしを、自分で手に入れたのです。イエスさまから、力を奪い取ったのです。強奪したのです。


イエスさまから力を奪いに来た人々は、「大勢の弟子とおびただしい群集」です。イエスさまは、くたくたです。


それでも、人々は遠慮しません。イエスさまの教えを聞きたい、病気をいやしていただきたい、という強い願いを持っていたのです。


ここでわたしたちが考えるべきことは、わたしたち自身は、イエス・キリストの御言を聞きたい、病気をいやしてもらいたい、という強い願いや求めを持っているだろうか、ということです。


イエスさまがくたびれておられようと、全くお構いなし、というのは、まずいかもしれません。イエスさまの力を奪い取る、強奪する、というのも、やり方としてはひどいかもしれません。


しかし、今まさに苦しみの中にいる人が、「もしよろしければ、助けてくださいませんでしょうか」などと遠慮する必要はないのです。


ここから先はどうでもよい話ですが、わたしがこれまで経験した少し大きめの病気は、椎間板ヘルニアともう一つ、尿管結石です。


特に後者は、痛み始めると、待ったなしです。横になっていても、痛くて痛くて、バンバンと床を叩き始めます。ギブアップです。


病院に駆け込む。お医者さんと看護婦さんに、泣きそうな顔で、「この痛いの何とかしてください」とお願いする。そして、モルヒネを注射してもらって一件落着です。


何が言いたいか。助けを求めるとは、まさにそのようなことではないでしょうか、ということです。遠慮などしている場合ではないはずなのです。


イエスさまに対しても、です。父なる神に対しても、教会に対しても、わたしたちは、そうであってよいはずです。


どうか、あまり遠慮なさらないでください。悩みや苦しみを自分一人で抱え込まないでください。我慢しないでください。


そして、今日お読みしました第三番目の段落に書かれていることは、イエスさまが実際に語られた説教の内容です。


マタイによる福音書5章以下のほうが、有名かもしれません。同じ説教が紹介されています。


ただし、マタイの場合、イエス・キリストは、山の上で説教しておられます。そのため、この説教は「山上の説教」とか「山上の垂訓」と呼ばれてきました。


ところが、ルカの場合、イエスさまがおられるのは、山の上ではありません。わざわざ「イエスは彼らと一緒に山から下りて」(6・17)と書かれています。そのため、ルカ福音書のこの個所は、「平地の説教」と呼ばれています。


聖書学者たちの間で一致している意見は、ルカはマタイによる福音書を知っている、ということです。


そうであるならば、まるでルカは、マタイが書いたことを修正しているかのようです。イエスさまが説教をされた場所は、山の上でなくて、山の下である、ということを、わざわざ強調しているかのようです。


マタイとルカのどちらがより史実に近いか、というような問題は、問うてみたところで答えは出ません。そのようなことよりも、もっとわたしたちが考えてみるべきことがあります。


ルカはなぜ、マタイが書いていることをまるであからさまに否定しているかのように、イエスさまを山の上から引き下ろしているのか、その意図は何なのか、ということです。


マタイが描き出している、山の上にお立ちになって語るイエスさまのお姿は、モーセの姿に重ね合わせている、と言われます。モーセが神から律法を授かった場所は、シナイ山の上でした。


マタイによると、イエスさまは、山の上で「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(マタイ5・17)と語られました。


この場合の「律法」とは、モーセの律法のことです。そしてイエスさまは、この説教の中で、モーセの律法を廃止するために、わたしが来たのではない、ということを強調しておられます。


しかし、イエスさまの教えには、新しい律法も含まれています。かつてモーセが山の上で神から受けとった古い契約を、今やイエス・キリストが、またしても山の上で新しい契約として語りなおしておられるのです。


しかし、ルカの場合は、この説明が成り立ちません。成り立たないように、わざわざ、ルカ自身が仕向けているかのようです。


ですから、ルカには明らかに、マタイとは異なる意図があるのです。それでは、この「平地の説教」の意図は、何でしょうか。


結論的なことをいろいろと言う前に、説教の内容に触れておきたいと思います。


ここには、四つの幸福と四つの不幸が語られています。そして、この四つの幸福と四つの不幸の内容は、対になっています。


「貧しい人々は幸いである」に対しては、「富んでいるあなたがたは不幸である」と語られています。


「今飢えている人々は、幸いである」に対しては、「今満腹している人々、あなたがたは、不幸である」と語られています。


「今泣いている人々は、幸いである」に対しては、「今笑っている人々は、不幸である」と語られています。


「人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである」に対しては、「すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である」と語られています。


そして、気づかされることは、「今飢えている人々」、「今泣いている人々」という仕方で、「今」ということが明らかに強調されている、ということです。


先ほどわたしが申し上げた、今まさに苦しんでいる人々は、遠慮などしないし、遠慮する必要は全く無いですよ、という意味での「今」です。


切羽詰った思いをもって、イエスさまのもとに駆けつけている人々の「今」です。


そのような人々のために、イエスさまは、一肌も、いえ何肌も脱いでくださり、くたくたになっても付き合ってくださり、助けてくださるのです。


そういう方が、今、あなたがたの前にいるのだ。このわたしが、今、あなたがたと共にいるのだ。


「神の国はあなたがたのものである」。


このわたしの救いの求めに応えてくださる救い主が、このわたしの目の前に、手を伸ばせば届く距離に、そして実際に触れ合うことができ、強い力を受けとることができる場所に、立っておられる。


そのような場所、そのような現実を、イエスさまは「神の国」とお呼びになったのです。


そのような場所、そのような現実を、わたしたちは、持っているでしょうか。


わたしたちの教会は、わたしたちの家庭は、そのような場所になっているでしょうか。


そのように、わたしたちは、自分自身に問いかけてみるべきです。


わたしは、マタイの「山上の説教」とルカの「平地の説教」が矛盾しているとか、一方が正しくて、他方は間違っている、などと言いたいわけではありません。


ただ、強調点には明らかな違いがあります。ルカの強調は、距離の近さにある、と思われます。


イエスさまは、「祈るために」山に行かれた、と書かれていました(6・12)。一緒にいたのは、信頼できる少数の弟子たちだけでした。


心静かに祈ることができる場所にいつまでも留まっていることができるなら、それはそれで、とても幸いなことでしょう。


しかし、イエスさまは、わざわざ、山の上から下りてこられました。


「大勢の弟子たちとおびただしい民衆」の中でもみくちゃにされ、面倒なことに巻き込まれることが初めから分かっているような場所へと、あえて入っていかれたのです。


イエスさまと弟子たちの関係は、上から下に、というよりも、横並びです。


「神の国」は、空の上にあるのではなく、空中にあるのでもありません。


まさに今、苦しみの中にあり、助けを求めている人々の前に、現実として、あるのです。


(2005年3月13日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年3月6日日曜日

安息日の主

ルカによる福音書6・1〜11


関口 康


今日は、二つの段落を読みました。あらかじめ申し上げておきたいことは、この二つの段落において扱われている主題は、同じである、ということです。


1節に「ある安息日に」と書かれています。また6節には「ほかの安息日には」と書かれています。描き出されているのは、いずれも「安息日」に起こった出来事であるということです。


旧約聖書の律法が定める「安息日」は土曜日です。そして、モーセの十戒の第四戒には、「安息日(あんそくにち)を覚えて、これを聖とせよ」(出エジプト記20・8、申命記5・12、いずれも口語訳聖書)と書かれています。新共同訳聖書では「安息日(あんそくび)を心に留め、これを聖別せよ」と訳されています。


そして、第四戒の続きには、「六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」と書かれています。


今日の個所、二つの段落にわたって問題になっていることは、まさに今の点です。


「安息日には・・・いかなる仕事もしてはならない」と定めているモーセの第四の戒めの真意ないし本意は何なのか、ということです。


「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは麦の穂を摘み、手でもんで食べた。」


そのときイエスさまの弟子たちは、おそらくお腹がすいていたのです。麦畑の中を通りながら、麦の穂を摘み、手でもんで食べた、というのです。


その麦畑は明らかに、弟子たち自身のものではなく、他人のものでした。しかし、彼らは、いわゆる盗みを働いたわけではありません。他人の麦畑から麦の穂を摘んで食べること自体は、許されていることでした。


ところが、です。彼らがしたことを、ファリサイ派のある人々が、強く批判しました。


「ファリサイ派のある人々が、『なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか』と言った。」


この人々が言った「安息日にしてはならないこと」とは、先ほどご紹介しましたモーセの第四戒の「安息日には・・・いかなる仕事もしてはならない」です。ファリサイ派の人々が不満に思ったのは、弟子たちが「麦の穂を摘み、手でもんで食べた」という点です。


彼らの考えによると、「麦の穂を摘むこと」は、農業という仕事における“収穫行為”に当たりました。また「手でもむこと」は、“脱穀行為”に当たりました。つまり、弟子たちは「仕事」をした、とみなされたのです。


ですから、彼らにとって、イエスさまの弟子たちがしていたことは、全くけしからんことであり、許しがたいことである、というふうに見えたのです。


しかし、どうでしょうか。ここでやや個人的な感想めいたことを言わせていただくなら、ずいぶん大げさな物言いであると思われてなりません。ささいなことに目くじらを立てるとは、まさにこのようなことを言うのではないでしょうか。


「イエスはお答えになった。『ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを取って食べ、供の者たちにも与えたではないか。』」


ここでイエスさまは、サムエル記上21・3〜6に記された出来事を引き合いに出しておられます。


ダビデ王とその軍隊が、さあこれから戦争に出かけよう、という場面です。「腹が減ってはいくさができぬ」とばかりに、何かを食べようとした。しかし、食べる物がなかったので、神殿の祭司のもとに行き、神殿に供えている聖別されたパンを食べさせてもらった、という物語です。


要するに、それは、ダビデたちが、お祭りの日に祭壇に置く“お供え物”のパンに手をつけた、という物語です。神の御前に聖別されたパンを、これから戦争に行くための軍人たちの腹ごしらえ、という目的に利用した、という物語です。


これは、聞く人によっては、非常にけしからん話であり、なんといかがわしいことか、と感じるような話です。しかし、そういうことが、旧約聖書の中に記されているのです。


ここでイエスさまが問題にしておられることは、「聖別された」とは、どういう意味か、ということです。


聖別されたパンを、ダビデたちは、「お腹がすいている」という理由で食べた。言うならば、これと同じように、「これを聖別せよ」と言われている安息日の過ごし方として「お腹がすいている」という理由で、麦の穂を摘み、手でもんで食べることの何が悪いのかと、イエスさまは答えておられるのです。


このイエスさまのお答えは、必ずしも、理路整然としたものではないかもしれません。しかし、ポイントは、はっきりしています。


「安息日には・・・いかなる仕事もしてはならない」という戒めを、「お腹がすいても、我慢しなさい」というように、拡大解釈してはならない、ということです。


また、もう一つ、別の観点から申し上げておきたいことがあります。ある注解者の言葉を読んで、ハッと気づかされたことです。


それは、そのとき弟子たちがしたことに対するファリサイ派の人々の批判には、イエスさまご自身がお答えになっている、ということです。


イエスさまという方は、弟子たちがしたことについて、誰かが抗議し、批判してくるときに、弟子たちに答えさせるのではなく、イエスさまご自身がお答えになる、そのようなお方である、ということです。


思い返していただきたいのは、シモン・ペトロがイエスさまの弟子になったあとに行われた二人の病人を、イエスさまがいやされたときのことです。


とくに二人目の病人(中風の人)をいやされる場面で、律法学者たちやファリサイ派の人々が「神を冒涜するこの男は何者だ」と心の中で考えはじめたとき、彼らの考えを知ったイエスさま御自身がお答えになっています。


また、レビが弟子になったあとに開かれた宴会の場面で、イエスさまの弟子たちが徴税人や罪人たちと食事をしていたことについて、またユダヤ教の断食規定を守らなかったことについて、ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちが抗議してきたときにも、イエスさまご自身がお答えになっています。


先週わたしは、イエスさまは弟子たちの行為を弁護されている、と申しました。イエスさまは、弟子たちの弁護士になってくださるのです。


もちろん、イエス・キリストの弟子であるとは、すなわち、イエス・キリストの教えに従って生きる人々であるということですから、教えを守る者たちの生き方についての責任は、教える者の側にある、と語ることができます。


しかし、たしかにそうではあっても、教える者たちの中には、その意味での責任をとらない人も、決して少なくないのです。ただ教えるだけであって、自分はその教えを守ろうとしないとか、自分の教えを守っている人が批判を受けたときには、弁護するのではなく、逃げてしまう、など。


イエスさまは、このような(厳しい言い方かもしれませんが)“無責任な”教師ではなかった、ということです。イエスさまは、批判する人々の前に立ちはだかって、弟子たちを守り、弁護してくださる、そういうお方なのです。この点は、特筆に価します。


「そして、彼らに言われた。『人の子は安息日の主である。』」


ここで「人の子」とは、イエスさま御自身のことです。ですから、「安息日の主」とは、イエスさま御自身のことです。


しかし、この意味については、注意が必要です。イエスさまは、安息日そのものを廃止するために来られた主ではありません。イエスさまの御言に、そのような意味は、ありません。


そうではなく、「安息日の主」の意味は、その日に礼拝され、讃美されるべき神御自身の御心を、自由なる意志をもって、実現されるお方である、ということに他なりません。


イエスさまが引き合いに出されたダビデの物語にも、そのことが当てはまります。


戦争をすることが正しいか間違っているか、ということは、問題にすべきことかもしれません。しかし、歴史的な事実として、そのとき戦争があり、それに参加せざるをえない人々がいた、ということまでを否定することはできません。


そういう場面において、です。お腹をすかしたままで戦いの場に人々を連れ出すことが、神の御心に適うことなのか、という問題です。そのような場面で、聖別されたパンだからという理由で、それを彼らに与えることができない、とする判断が、はたして、本当に神の御心に適うことなのか、という問題です。


ここで、わたしたち自身のことを考えることもできます。


わたしたちの信じるキリスト教安息日は、今日、まさに日曜日です。日曜日を、わたしたちは、聖別しなければなりません。


しかし、この聖別された今日の日、日曜日に、わたしたちは、どうなるのでしょうか。わたしたちは、何をするのでしょうか。


神さまに礼拝をささげること。


もちろん、そうです!


けれども、“ささげる”だけでしょうか。もっとはっきり言うなら、“奪われる”だけでしょうか。神さまから、豊かな恵みを、しっかりと“いただく”日でもなければならないのではないでしょうか。


日曜日にしっかり“いただく”ことがなくては、どうして、次の日からの仕事に、勇気と希望、喜びと感謝をもって、出かけることができるでしょうか。


「安息日の主」としてのイエス・キリストが、今日、この礼拝においても、わたしたちに、たくさんの恵みと力を与えてくださっているのです。


「また、ほかの安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに一人の人がいて、その右手が萎えていた。律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた。イエスは彼らの考えを見抜いて、手の萎えた人に、『立って、真ん中に出なさい』と言われた。その人は身を起こして立った。」


第二の段落の主題も、第一の主題と同じです。


しかし、今度は、律法の拡大解釈とは言えません。明確な仕事でした。治療ないし医療行為です。右手の萎えた人のその手をいやされる、という仕事を、安息日に、イエスさまがなさったのです。


「そこで、イエスは言われた。『あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。』そして、彼ら一同を見回して、その人に、『手を伸ばしなさい』と言われた。言われたようにすると、手は元どおりになった。ところが、彼らは怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った。」


このイエスさまの問いは、わたしたちにも、向けられています。問われていることは、安息日の目的は何か、ということです。


神さまに礼拝をささげること。


もちろん、そのとおりです!


しかし、ここで注意しなければならないことは、“ささげる”ということでわたしたちが意識していることは、多分に、わたしたち自身の行為である、ということです。この礼拝において、わたしたちが何をなすべきか、ということです。


“ささげる”という言い方が、どうしても、その点を意識させます。わたしたちの中から、わたしたちの側から、“出て行くもの”や“失うもの”を意識せざるをえません。


しかしながら、安息日において、そして、その日にささげられる礼拝において、わたしたちが、じつは、もっと関心を向けるべきことがあるのです。


それは、この礼拝において、神さまご自身が、わたしたちにしてくださること、わたしたちに与えてくださるものは何か、ということです。


イエスさまのお答えは、もちろん、「善を行うこと」です。「命を救うこと」です。そのことを、「人の子」と称せられる「安息日の主」イエス・キリストが、わたしたちに、してくださるのです。


そのために、安息日があります。キリスト教安息日としての「日曜日」があります。


神さまがわたしたちに恵みを、喜びを与えてくださるために、礼拝が、教会が、あるのです。


(2005年3月6日、松戸小金原教会主日礼拝)