ルカによる福音書6・27〜36
関口 康
本日からまた、ルカによる福音書の学びに戻ります。イエス・キリストの「地上の説教」の続きです。
今日読みました段落に記されている内容は、単純明快です。
「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」
これは、愛敵の戒めと呼ばれています。イエス・キリストは、弟子たちに「敵を愛しなさい」と教えられたのです。
これは難しい教えである、と誰もが感じます。わたしも、そう感じます。
しかし、ぜひ考えてみたいことがあります。もしイエスさまが、逆のことを言われたとしたら、わたしたちは、どのように感じるだろうか、ということです。
「敵を憎むのは当たり前である。あなたがたを憎む者には親切にしなくてもよろしい。場合によっては、殺しても構いません。」
そのようにイエスさまに言っていただくことができるなら、わたしたちは安心できるでしょうか。キリスト教は、現実的な答えを出すことができる、善い宗教である、ということになるでしょうか。
「敵を愛する」だなどというような、実際にはありえない、人間の理性や感情に著しく反する、理想主義的なたわごと、ざれごとから脱却できる、という話になるでしょうか。
わたしには、どうしても、そのように考えることができないのです。
むしろ、わたしには、こう思われます。
敵を憎む思いは、常に、不断に、わたしたちの心を支配している。それは、放っておくと、日々募り、高まるばかりである。誰かにとめてもらいたいくらいである。
どうか、誰でもよいから、わたしの心の中にある、この憎しみの思いを、感情を、打ち消してほしい。
物分かりのよい言葉は、要らない。むしろ、物分かりの悪い頑固なオヤジのような人が現れて、憎しみの思いを忘れることができない、このわたしを、叱り飛ばしてほしい。
こんなふうに、思われてならないのです。
もちろん、最も理想的なことは、わたしたちの前に「敵」などというものが、一人も存在しないでいてくれることです。それが最も理想的であり、最も幸せなことです。
しかし、実際には、現実には、わたしたちの前には、必ずや「敵」が現れます。わたしたち自身が、自分の言葉や行いによって「敵」をつくってしまっているときもあります。
ですから、理想的には「敵をつくらないこと」が大切です。しかし、どんなに努力しても、「敵」が現れてきた場合には、「その敵を愛すること」が、求められているのです。
ここでイエスさまが語っておられる「敵」という言葉には、いわゆる国と国との戦争の場面で語られる「敵国」という意味はない、と言われています。「敵国」という場合には、別のギリシア語が用いられるからです(G. シュトレッカー『山上の説教註解』佐々木勝彦・庄司 眞訳、ヨルダン社、1988年、171〜172ページを参照)。
しかしながら、そのことは、イエスさまがこの愛敵の戒めにおいて、戦争における敵国の問題を意識的に避けている、ということには、なりません。あるいはまた、たとえば、宗教の団体であるところの教会は、政治の問題などには、一切かかわるべきではない、というようなことでも、全くありません。
事柄は正反対です。イエスさまの教えは、むしろ、政治の問題、戦争の問題のみに限定されるものではない、ということです。
むしろ、もっと広く、政治の問題、戦争の問題をも含む、すべての人間関係において、わたしたちには必ずや「敵」がおり、かつ、その「敵」を愛さなければならない、ということです。
わたしたちの日常生活の中で起こる、ごくごく小さなけんかや対立の問題のすべてが、イエスさまの教えの視野の中に入っている、ということです。言い逃れの余地がない、という意味で、わたしたちの全人生が、神の御前にあって、問われているのです。
ですから、その意味で、この戒めは、たしかに、わたしたちにとって、難しいものです。単純明快である、しかし、非常に難しい教えです。理解はできる、しかし、それを守ることが難しい、まさにそのような教えの典型である、と言えるでしょう。
すでに故人となられていますが、わたしの恩師のひとりに、『神の痛みの神学』という本を書いたことで有名な北森嘉蔵先生という方がおられます。この北森先生が学生たちの前でおっしゃったことが、今でも忘れられません。
「『敵』とは、要するに『愛することができない人』のことを言うのである。愛することができない人を愛しなさい、と言われるところに、痛みが生じるのである。この痛みを、イエス・キリストにおいて神が引き受けてくださったのである。これを『神の痛み』というのである。」
事情はまさにそのとおりであろうと、わたしにも、納得できるものがありました。
しかしながら、今のわたしが思うことは、北森先生がそのことを否定されたという意味ではありませんが、この痛みは「神だけの痛み」であってはならないだろう、ということです。
それはわたしたちの痛み、人間の痛みにもならなければなりません。キリストにおいて神が、神だけが、敵を愛してくださって、それですべての問題が解決するわけではありません。
神の戒め、キリストの戒めを守らなければならないのは、わたしたちなのです。
「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。」
わたしたちの人生の中で、実際に自分の頬を打たれる機会は、何度くらい訪れるでしょうか。そんなに多くはないような気がします。
わたしの父は、1933年生まれで、現在71才です。父は、終戦の年に小学6年生でした。
この父から聞いた話は、戦時中の学校で、先輩たちがよく、後輩を一列に並べて、拳骨で殴り飛ばした、ということです。父は、よく殴られた側にいたようです。
そのようなことが当たり前のように行われていた時代もあったし、じつは、今でも実際にはどこかでそのようなことが行われているのかもしれません。
わたしは、と言いますと、子どもの頃から、けんかというものが大嫌いでした。
この世の中の何がイヤかと言って、とにかく、けんかというものがいちばんイヤな人間でした。だいたい、いつも逃げ回っていました。
ただ、一人だけいる兄貴とは、時々やりあいました。しかし、4才年上の兄貴とは体格が違いすぎて、けんかにはなりませんでした。負けてくれたことはあったかもしれませんが、自分が勝ったと思ったことは一度もありません。
父も母も、わたしをこぶしで殴ったりはしませんでした。少なくとも、そのようにされた記憶が、全くありません。
だからでしょうか。
わたしも、だれかをこぶしで殴ったということが、全くありません。手が滑ってちょっと当たってしまった、というくらいのことは、あったかもしれません。しかし、殴ろうとして殴った、ということが、ありません。
とにかく、そういうことが嫌なのです。そんなことをするくらいならば、自分のほうがコテンパンにやられるほうがはるかにましだ、と思うくらいなのです。
わたしの話は、どうでもよいことです。ただ、そのような者として、いわばそのような者だけに語りうることが少しはあるかもしれない、と感じます。
他人にそういうことをしたことがない、というこのことが、今やわたしの誇りになっている、ということです。大真面目な話として、けんかに弱いことが、わたしの誇りなのです。
悔しい、と思う気持ちは、もちろん、ないわけではありません。しかし、わたしは、人からほめられたり、賞賛されることも苦手ですが、うらまれたり、憎まれたりすることは、もっと苦手です。
下げられる頭ならば、どんな頭でも下げたいと思います。謝って済むものなら、いくらでも謝りたい。ゆるしてもらいたい、と思います。
イエスさまの教えは、わたしにとっては少しも、現実離れした理想主義的なたわごとでも、ざれごとでもありません。むしろ現実そのものです。
負けるが勝ち、とは申しません。勝つ必要はないのです。
けんかして、争って、その争いに勝ったからと言って、それで幸せになれる、と思ったことは、少なくともわたしには、一度もないのです。
けんかを避けるべきです。できるだけ、争いに巻き込まれないようにするほうが、懸命です。
それでもなお、どんなに気をつけていても、争いというものは、向こうから、やってくるからです。
そのとき、どうするか。イエスさまは、わたしたちに、何を教えてくださったでしょうか。
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」
わたしは、今日の個所について、いろいろな解説をあまり付け加えたくないと感じます。
書いてあるとおりです!
この「書いてあるとおり」ということを、今日は重んじたいと思います。
イエス・キリストの復活と昇天の出来事の後に生み出された教会の中に、この「書いてあるとおり」を実践した人々がいました。
その一人としてたいへん有名なのは、キリスト教会最初の殉教者となった、ステファノです。
ステファノの殉教の場面は、使徒言行録7・54〜60にあります。
「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。」
わたしは、このステファノの出来事についても、なんのかんのと、余計な解説をしたくありません。
まさに、ここに書いてあるとおりの出来事が、現実として、事実として、歴史の中で起こったのです。
そして、こういう人を、キリスト教会は、歴史の中で生み出し続けました。
ここでも、最初に申し上げたことを、繰り返したいと思います。
もしステファノが、自分を罵り、自分を目がけて石を投げつける人々に対して、口汚く罵り返し、暴力に対しては暴力をもって立ち向かった、という話であったならば、わたしたちは、安心できるでしょうか。
抵抗することは、ステファノに許されていたことです。抵抗することのすべてが間違っている、などと誰が言えるでしょうか。
しかし、ステファノは、抵抗しませんでした。迫害する者たちのために、祈りました。
勝ったか負けたか、という観点から言えば、ステファノは負けたのかもしれません。それでも、そのステファノを、キリストは受け入れてくださいました。
キリストは、天の父なる神の右で「立ち上がって」(ふだんは“座って”おられるにもかかわらず!)、ステファノを応援し、勇気づけ、心から喜び、受け入れてくださったのです!
(2005年4月3日、松戸小金原教会主日礼拝)