日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂 |
マルコによる福音書11・1~14
「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。『向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。もし、だれかが、「なぜ、そんなことをするのか」と言ったら、「主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります」と言いなさい。』二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。すると、そこに居合わせたある人々が、『その子ろばをほどいてどうするのか』と言った。二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。『ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。』こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。イエスはその木に向かって、『今から後いつまでも、お前から食べる者がないように』と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。」
今日の個所からマルコによる福音書の後半、「エルサレム編」に入ります。イエスさまの地上の生涯の最後の一週間の様子が描かれています。まさにクライマックスです。
エルサレムは当時の首都です。当時、市街地の周囲に城壁が立っていました。石の壁で守られた町でした。その中に神殿がありました。旧市街地は西暦70年に起こった戦争で破壊されました。同時に神殿も破壊されました。いま残っているのは、当時の残骸と、新しく造られた建物です。
神殿の隣に王宮がありました。神殿と王宮は回廊でつながっていました。神殿は宗教の最高地点、王宮は政治の最高地点です。宗教と政治が一体化した権力の最高地点でした。
そのエルサレムにイエスさまが向かわれました。ただし、イエスさまはおひとりではありません。12人の弟子はもちろんいます。しかし、いま私が申したいのは弟子たちのことではありません。「大勢の群衆」(10・46)が一緒でした。
群衆がエリコからずっと一緒でした。エリコからエルサレムまでの距離は30キロ。その道をイエスさまは12人の弟子、そして大勢の群衆と一緒に歩いてこられました。そして、ついにエルサレムにお着きになりました。
しかし、エリコからエルサレムまで一緒に歩いてきた大勢の群衆は、必ずしもイエスさまを信じ、イエスさまの後に従おうとした人々ではありません。もちろん、全員がそうでないとは言いません。なかにはそういう人もいたでしょう。しかし、すべての人がそうであったとは言えません。むしろ、多くは、エルサレム神殿の毎年の恒例行事の過越祭に参加するため神殿を目指していた参拝客でした。
イエスさまもまた、これから過越祭が始まろうとしている時期だからこそ、神殿に行かれたのです。いつでも良かったが、たまたまその時期に重なったということではありません。明確な意思をもって意図的に、イエスさまは過越祭の日にエルサレム神殿に到着するようにお出かけになりました。
そして、そのことには深い意味がありました。しかし、その意味の中身については、今日はあまり深く立ち入らないでおきます。
しかし、別の観点から見て、この時期にイエスさまがエルサレムに行かれることは安全面で有利であったということが言えると思います。イエスさまと12人の弟子を合わせても13人。大勢の群衆の中に紛れてしまえば目立つことはありません。
イエスさまは命を狙われていた方です。しかし大犯罪をおかして多くの人に知られ、白眼視されていたというような事実は全くない、むしろ多くの人に慕われている方でした。そういうイエスさまを、軍隊を差し向けて群衆を押しのけてでも逮捕するというようなことは、いくらなんでもできません。群衆と一緒ならば、エルサレムまで行く途中で捕まえられることはなかったと言えるでしょう。
しかし、イエスさまは、エルサレムの町にこれからお入りになる直前のところで、驚くべき行動をおとりになりました。オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、二人の弟子に「向こうの村へ行きなさい」とお命じになりました。
そして、「村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる」ので「それをほどいて、連れて来なさい」(2節)と言われました。
イエスさまはその村の事情をよくご存じだったのでしょうか。あそこに行くと、誰が住んでいる、何がある、どんなふうになっている。まだだれも乗ったことのない子ろばがつないである。その場所にあらかじめイエスさまが行かれたことがあり、その場所や状況をよくご存じだったのでこのようなことをおっしゃられたのでしょうか。全くその可能性がなかったとは言い切れませんが、この個所を読むかぎり、そうでもなさそうな様子が伺えます。
続けてイエスさまがおっしゃっている言葉が気になります。「もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい」。こんなふうにイエスさまがおっしゃったというのです。
これで分かるのは、イエスさまが「連れて来なさい」と二人の弟子に命じたまだだれも乗ったことのない子ろばの持ち主を、イエスさまご自身はおそらくご存じないし、面識もないし、事前の予約も打ち合わせもなかったということです。
突然行って、持ち主に黙って連れて来いというわけです。それでもし、持ち主に見つかって、「なぜ、そんなことをするのか」、それは泥棒ではないかと言われたら、そのとき初めて事情を説明しなさいというわけです。すぐ返すから貸してくださいと言え、というわけです。しかし、見つからなければ、そのまま黙って連れて来ても構わない、ということでもあるわけです。とんでもないといえばとんでもないことを、おっしゃられたわけです。
実際にそういう展開になりました。イエスさまに命じられたとおりに二人の弟子が行くと、表通りの戸口に子ろばがつながっていたので、それをほどきました。すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言ったので、そのとき初めて事情を説明したら、なんとか許してもらえたというのです。
大らかな人たちで良かったと思います。泥棒だ、訴えると言い始める人たちでなかったのは幸いなことでした。しかし、問題はそちら側ではないとお考えになる方々は、当然おられるでしょう。結果的に相手が許してくれたからよかったという話で済ましてしまってよいのかどうか。それが問題なのではなく、黙って連れて行こうとしたこと自体が問題だと考える人は少なくないはずです。
ですから、ここでわたしたちがよく考えなければならないことは、なぜイエスさまはそのようなことをなさったのかということです。
なぜイエスさまは、持ち主の許可を得る前に子ろばをほどいて、連れて来るようにと弟子たちにお命じになったのでしょうか。なぜイエスさまは、エルサレムに入るために子ろばに乗ることをお求めになったのでしょうか。
これから私が申し上げる答えは間違いです。そのことをあらかじめお断りしておきます。これは間違いの答えです。そのことをあらかじめお断りした上で申し上げます。
ずっと歩いてこられたイエスさまはすっかりお疲れになり、歩くのが嫌になられたので、弟子たちや群衆が歩いていてもお構いなしに、御自分だけろばにお乗りになりたかったのでしょうか。これは違います。
しかし、世の中の「偉い人たち」は、そういうことを本当にするかもしれません。イエスさまは世の中の「偉い人たち」の真似をなさったのでしょうか。それも違います。
いやいや、「もっと偉い人たち」は、世の中にあるすべてのものは自分のものだと思い込んでいて、他人のものでもなんでも、勝手に持って行けると思っているかもしれません。その人たちの真似を、イエスさまがなさったのでしょうか。それも違います。
いま申し上げたすべての答えは、間違いです。しかし、これが間違いであるということの意味は、よく考えなければならないことです。イエスさまは、世の中の「偉い人たち」の真似をなさったわけではありません。しかし、こういうふうに考えることならできます。イエスさまは、世の中の「偉い人たち」の真似をなさったのではなく、世の中の「偉い人たち」よりも上に立たれたのです。
イエスさまが子ろばに乗ってエルサレムに入城されたのは、エルサレムに住んでいる国王よりも、祭司長や律法学者よりも、ローマ総督よりも、自分は上の立場の者であるということをお示しになるためでした。世の中の「偉い人たち」の真似をなさったのではなく、その人々より私のほうが上であるということをお示しになるためでした。
そしてそれは、御自分が約束のメシア、真の救い主、神の御子であり、御子なる神ご自身であることを人々の前にお示しになるためでした。そのことは、弟子たちでさえ理解していなかったと思われますが、イエスさまははっきり自覚しておられました。
言い方は物騒になりますが、いわばそれは、イエスさまにとっては、エルサレムに住んでいる「偉い人たち」に対する一種の宣戦布告としての意味を持っていた、ということです。
しかし、イエスさまは、全くの丸腰でした。何も持たず、弟子も12人。軍隊を率いておられたわけではありません。全く普通の人の姿で、エルサレムに乗り込んで行かれました。子ろばにまたがって。子どもじみたことをしているように見えたかもしれません。
そしてイエスさまの本当の行き先はまもなくゴルゴタの丘に立てられる十字架でした。群衆は去り、弟子たちは逃げ、冷たい視線と罵声を浴び、槍と釘に刺され、血を流しながら息を引き取る十字架の上でした。
イエスさまは、エルサレム神殿で行われる過越祭にもうでる参拝客の一人ではありませんでした。過越祭で献げられる犠牲の子羊そのものになられるために、エルサレムに来られたのです。
(2015年3月15日、松戸小金原教会主日礼拝)