2017年4月6日木曜日
所信
各位
私が日本基督教団に戻った理由は思想信条の問題ではありません。教師転入試験の論文に私が明記したのは「教団のシステムでは教師に戒規を適用するのは不可能だと確信したので教師に戒規を適用しうる教派に移った。しかし戒規執行の事実を知り、私の考えが間違っていたことを悟った」ということでした。
1997年1月から2015年12月までの19年間も日本基督教団の外にいた人間に、教団内で執行された戒規の意味などは全く分かりませんでしたし、いまだに分かりません。これからも分からないと思います。裁判が行われているようですが、なぜ裁判になっているのか、その意味を理解できていません。
教団転入試験の面接で教師検定委員会の全員から転入(実質「復帰」)の理由を問われました。私が答えたのは「日本キリスト改革派教会のどの教会からも招聘していただけません。それで教団に戻ることにしました。いけませんか」ということでした。それで皆さんお黙りになりました。理由はそれだけです。
私は高校からストレートで東京神学大学に入学した人間ですので、専門職としての職業の根拠となる学位や資格を考えれば、牧師以外の仕事をするとしたら、無資格・未経験のパート労働がかろうじて可能なだけです。その道を選ぶよりも、責任的に働きうる牧師の職を求めているというのが正直なところです。
「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を諸教会がどのように扱っておられるかを判断する材料は、今の私にはありません。お約束できるのは、たとえ牧師が交代したからといって、各個教会が長年続けてこられたことをただちに変更するような愚かなことを私はしない、ということです。
たとえば聖書朗読や献金の順序など礼拝順序のほんの一箇所を変更するだけでも、それを牧師の一存でするようなことは、私はいまだかつてしたことがありませんし、これからもしません。それは長老主義の原則に著しく反します。長老主義だけでなく、会議制に基づくすべてのキリスト教会の原則に反します。
多くの方々からほぼ一様に、「あなたが日本基督教団の教会に牧師として復職する際には、なぜ教団を辞めたのか、なぜ戻ってきたのかを問われることになるだろう」と言われてきました。その問いに対する明確な答えを私はいまだに持っていません。唯一私に語ることができるのは「地方伝道」との関係です。
大都市圏在住者は自分の思想信条によって教会を選ぶことができますが、地方在住者にはできません。「改革派教会」の教師になって分かったのは、大都市圏の「改革派教会」で受洗した人が転勤等で地方に転居すると、最寄りの教会が属する他教団へ転出するか、「教会生活をやめる」かするということです。
後者の場合はとても残念な結果であると私は認識します。しかし単なる私の当て推量ではなく事実です。複数の実例を知っています。これこそが教派主義の持つ致命的な欠点であるということを、私は「日本キリスト改革派教会」の教師としての19年間の生活において知りました。身にしみて分かりました。
また現実問題として、約70年前に純粋な教派主義を標榜して日本基督教団を離脱した教団・教派といえど、勢いづいていた初期の頃はともかく、70年後の今でも純粋な教派主義を内実において維持しえている教会は少なく、多くの教会は日本基督教団など他の教団・教派の出身者で占められ、混合状態です。
現時点ではこれですべてです。私が表明しうる「日本基督教団に戻った理由」は「地方伝道を引き続き継続推進するためには教派主義では限界がある。合同教会が必要である」という結論に至った、ということです。これはポジティヴな理由ではないでしょうか。ご評価いただきたくよろしくお願いいたします。
2017年4月6日
日本基督教団教師 関口 康