2017年4月5日水曜日

サイボーグ009に惹かれる理由

マウスだけで描くのは難しいです
先日ヤフオクで入手した、巨匠・石ノ森章太郎先生のマンガ『サイボーグ009』(秋田書店・豪華版、全23巻)をこのところ毎日読んでいる。絵やセリフや価値観に時代性を感じるのはご愛嬌。興味深いのは、随所随所に「サイボーグは人よ。ロボットではないわ」(大意)というセリフが出てくることだ。

サイボーグについての詳しい知識などは私には全くないが、このマンガにおける「サイボーグ」とは、現在すでに実用化されている義手義足や体内に入れる人工部品がもっともっと極まった状態を指していると思われる。当然のことながら元々は人間であり、かつ「人間性」を失うことはないのがサイボーグだ。

最終的に残る人間性の根拠は、おそらく「脳」だ。脳まで入れ替えてしまえばロボットと呼ばざるをえない。私がそのようにとらえているということでなく、そういう存在としてサイボーグを石ノ森先生が描いておられる。少なくとも私にはそう読める。異説があるなら尊重する。論争に巻き込まれたくはない。

この件に関してはわりと最近書いたような気がするが、私が『サイボーグ009』というこのマンガに惹かれるのは、登場人物がかっこいいとか内容が面白いとか、そういう要素が無いわけではないが、それ以上に「それでは人間とは何なのか」という問いを、読むたびに突きつけられ、考えさせられるからだ。

どの部分まで残れば「人間」と言えるのか。どの部分からは人工の代替品に置き換えてもギリギリ「生きている」と言えるのか。全部残るのがいちばんいいに決まっているだろう。しかし加齢や病気や事故などで失ってしまう身体のパーツや能力は現実にある。あそこは動かなくなった、ここは無くなった、と。

それでも絶望しないで「人間として生きている」と喜びをもって実感できる状態はどこまでかを考えさせられてきた。他にも同じようなテーマのマンガがあるのかもしれないが、私は『サイボーグ009』しか知らないし、これ以上知りたいとは思わない。マンガそのものは何年か前からほとんど読んでいない。
お絵描きの練習をしているだけです