2017年4月2日日曜日

福音を宣べ伝える喜びに生きる(上総大原教会)

コリントの信徒への手紙一9章19~23節

関口 康(日本基督教団教師)

「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも得るためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」

上総大原教会の皆さま、おはようございます。この教会で再び説教をさせていただきます。前回は今年の新年礼拝でした。今日もどうかよろしくお願いいたします。

私は一昨日3月31日付けで高等学校を退職しました。1年間の約束で引き受けた代用教員の仕事でした。次の職場はまだ決まっていません。今の私は日本基督教団の無任所教師です。ありていに言えば無職です。明後日4月4日に元職場から離職票を受け取り、その足でハローワークに行き、失業手当の受給手続きをします。その後はひたすら就職活動です。

しかし、ご心配には及びません。神が何とかしてくださるでしょう。これまでの私の歩みを支えてくださったように、これからも支えてくださるでしょう。そのような信仰が無い者に、どうして牧師が務まるでしょう。どうして伝道の仕事が務まるでしょう。

先ほど朗読したのはコリントの信徒への手紙一9章19節から23節までです。その箇所を含む9章全体に、伝道者パウロの生活苦の様子が、まさにありていに告白されています。たとえば次のように記されています。

「わたしを批判する人たちには、こう弁明します。わたしたちには、食べたり、飲んだりする権利が全くないのですか。わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか。あるいは、わたしとバルナバだけには、生活の資を得るための仕事をしなくてもよいという権利がないのですか。そもそも、いったいだれが自費で戦争に行きますか。ぶどう畑を作って、その実を食べない者がいますか。羊の群れを飼って、その乳を飲まない者がいますか。わたしがこう言うのは、人間の思いからでしょうか。律法も言っているではないですか」(3~8節)。

「わたしを批判する人たち」とは、教会の外から教会を批判する人々のことではありません。教会の内部の人々です。教会に通うキリスト者たちです。

それで分かるのは、パウロが教会からサポートを求めようとすると教会内部の人々からなんだかんだと批判されていたということです。やむをえずアルバイトで食いつなぎ、ほぼ自費で生活しながら福音を宣べ伝える仕事を続け、食べるにも飲むにも困るほどの生活苦を味わっていた、ということです。

「いったいだれが自費で戦争に行きますか」(7節)と記されています。しかし、そのすぐ後に「わたしたちはこの権利を用いませんでした」(12節)とも記されています。その意味は「私は自費で伝道している」ということです。生活のサポートを十分にしてくれない教会への批判や愚痴にも読めます。

「信者である妻を連れて歩く権利がないのですか」(5節)と記されています。この言葉を根拠にして、パウロには妻がいたが、その妻を置いていわば単身赴任の形で伝道していたのだという理解が古くからあります。

どれくらい古いかと言えば、西暦3世紀から4世紀にかけて活躍したギリシア教父カエサリアのエウセビオス(263年頃~339年)が、主著『教会史』の中に、西暦2世紀から3世紀にかけて活躍したギリシア教父アレクサンドリアのクレメンス(150年?~215年?)の言葉を引用する形で言及しています(エウセビオス『教会史Ⅰ』秦剛平訳、山本書店、1986年、182頁)。

単身赴任のどこが生活苦なのだろうかと疑問に思う方がおられるかもしれません。分からない方には分からないかもしれませんが、分かる方には分かると思います。なぜそうなのかを詳しく申し上げることは差し控えますが。

パウロが本当に結婚していたのか、本当にいわゆる単身赴任だったのかについては今日のこの箇所以外に根拠はないので確たることは言えません。

しかしこの箇所を読むかぎり、仮にパウロが単身赴任であったことが事実だったとしても、伝道旅行の最中もずっと妻のことが気がかりだったに違いないことが分かります。生活のことも妻のことも全く眼中になく、「そんなことなどどうでもいい」と言わんばかりの態度で伝道していたわけではないのです。そんな冷たい人間ではなかったのです。

口の悪い人はこのようなパウロの姿を指して「生活破綻者」だとか言い出すので、私は全く閉口してしまいます。そういう言葉を聴くと腹が立って腹が立って仕方がありません。私の腹が立つかどうかなどはどうでもよいことです。ある意味での客観的な観方をすれば確かにそうかもしれません。でも、それを私の前で言うなよ、と思います。

伝道者をばかにするなと言いたくなります。同時に教会をばかにするなと言いたくなります。パウロにとっては教会のサポートの少なさが不満だったかもしれません。しかし教会は教会で、できるかぎり精一杯のサポートをしていたはずです。そのこともパウロは分かっていたはずです。そういうことも分からずに一方的に文句を言っているわけではないのです。

「生活破綻者」だとか言わないでほしいと私は心から願いますが、パウロがなるほど確かに「生活破綻者」のようであったのは、伝道のためでした。福音を宣べ伝えるためでした。そして「できるだけ多くの人を得るため」(19節)でした。

どうしてそういうことになるのかは、説明の必要があるでしょう。パウロが書いているのは、伝道者である自分はユダヤ人を得るためにユダヤ人のようになり、律法に支配されている人を得るために律法に支配されている人のようになり、律法を持たない人を得るために律法を持たない人のようになり、弱い人を得るために弱い人のようになった、ということです。

パウロが言っているのは、単純に言えば、伝道したいと願っている相手に自分を「合わせる」ことです。心にもないことなのに、調子を合わせ、相手のご機嫌をとればよいという話ではありません。そんなことをすれば、すぐに魂胆を見抜かれるでしょう。かえって信頼を失うだけです。

ですから、むしろ伝道者がしなければならないのは、本気で相手に合わせることです。「何」を本気で合わせるのかといえば、語弊を恐れながらいえば、生活の「サイズ」です。あるいは、生活の「スタイル」です。そうとしか言いようがありません。

そうすることがなぜ相手を得ることになるのでしょうか。これもごく単純に言ってしまえば、そうしないかぎり伝道者が福音を宣べ伝えようとしているその相手が本当の意味で「心を開く」ことはありえないからです。

ここから先はパウロが書いていることではなく、私自身の想像の要素や読み込みの要素があることを否定しないでおきます。しかし、全くのでたらめではないつもりです。

人が福音に対してどうしたら心を開くのかという問題は、人間の心の奥底に潜む「闇」と関係があると思います。その闇とは、具体的に言えば嫉妬心です。そして、その逆の軽蔑心です。自分と他人を常に相対評価の中だけに置き続け、互いに格付けし合うことしか考えない、その発想そのものです。

嫉妬心の問題を考えるときに参考になるのは、現代のインターネットのソーシャルネットワークサービスです。そういうのにかかわることを嫌がる人がいます。その理由としてしばしば挙がるのは、ソーシャルネットワークサービスに自分の自慢話しか書かない人が多いので、そういうのを見るのが嫌だ、ということです。

「海外旅行に行きました」、「高級なレストランで食事しました」、「有名な大学に合格しました」、「結婚しました」、「子どもが生まれました」と、他人の幸せそうな話題が並ぶ。そういうのを見て一緒に喜んであげる人は少なく、不愉快に思う人が多い、ということです。

軽蔑心も、人の心の奥底に潜む深い闇です。自分より能力や知識の面で劣っていると見るや否や、その相手を徹底的に見下げ、さげすみ、おとしめる。

そういうことが日常茶飯事になっている社会や会社の中に、わたしたちは生きています。人の心の奥底に潜む闇は、すべての人が持っています。私の中にもあります。自分ではどうすることもできないまま、抱え持っています。

問題は、だからどうするのか、です。パウロが出した答えは「福音のためなら、わたしはどんなことでもします」(23節)ということです。それは「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになる」ということです。

つまりそれは、福音を宣べ伝えたいと願っている相手の生活の「サイズ」や「スタイル」に自分を合わせることです。それは、相手より上にも下にも立たないということです。相手と同じになることです。

しかし、相手に合わせようとすると、ほとんどの場合、今よりも「生活条件が悪化する」ことや「貧しくなる」ことが多いです。それが伝道の現実です。それを恐れて、どうして伝道ができるでしょう。どうして牧師が務まるでしょう。パウロが読者に問いかけているのはこのようなことだと思います。

わたしたちに求められているのは、福音を宣べ伝えることは「喜び」であると強く確信しつつ、そのような者として「生きる」ことです。

この最後の「生きる」には強調があります。「ふりをする」ことではありません。心にもないのに相手に調子を合わせてあげるというようなことではありません。本気でそうするのです。具体的にそこに身を置くのです。そうしないかぎり伝道は不可能です。

(2017年4月2日、日本基督教団上総大原教会 主日礼拝)