コリントの信徒への手紙一15章20~21節
関口 康(日本基督教団教師)
「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。」
先々週の日曜日がイースター礼拝でした。私は日本基督教団下関教会(山口県下関市)から説教者としてお招きを受けて行ってきました。羽田空港から山口宇部空港までジェットに乗りました。帰りは新幹線でした。広島や岡山の実家にも立ち寄りました。そのような五泊六日の旅をしてきました。千葉若葉キリスト教会でもきっと盛大なイースター礼拝が行われたことでしょう。そういうわけで、皆さんに申し上げるのが遅くなりました。イースターおめでとうございます。
言うまでもないことですが、教会がイースターをお祝いするのはもちろん宗教的理由です。最近は日本の各地でイースターをお祝いしてくださる方々が増えているようですが、必ずしも宗教的理由ではないようです。しかし教会は間違いなく宗教団体ですので、遠慮なく宗教的理由でお祝いします。
イースターとは、イエス・キリストが死者の中から復活されたのは歴史的事実であるということを信じる人々の喜びの祝いの日です。その意味でイエス・キリストは「本当に」よみがえられたことを喜び、感謝する思いで、教会はイースター礼拝を毎年行っています。
しかし、教会がイースターをお祝いする理由は厳密に言うとそれだけではありません。少なくとももうひとつあります。それは何かといえば、イースターは「死者の中から復活したのは現時点ではイエス・キリストだけであるが、復活そのものはイエス・キリストだけで終わるものではない」ということを信じ、やがて訪れる将来において自分自身も復活するのだと信じる人々の希望の祝いの日であるということです。
私が今、やや早口で何を申し上げたのかは、きっとお分かりいただけていると信じます。それが、実は先ほど朗読していただきましたコリントの信徒への手紙一15章20節と21節に書かれている内容そのものです。それを私なりの言葉で言い換えて申し上げただけです。
まず20節を読みますと、「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」(20節)と書かれています。重要な言葉は「初穂」です。この「初穂」は英語の聖書ではだいたいfirst fruitと訳されています。つまり「最初の果実」です。
ここで考えなければならないことは、イエス・キリストの復活が「最初」(ファースト)であるということは、その「次」(ネクスト)の復活もあるということです。最初の1つだけで終わるのではなく、2つ目も3つ目もあるし、もっとたくさんあるということです。
何がもっとたくさんあるのかといえば、それが復活です。何と驚くべきことに、イエス・キリスト以外にも復活する存在があるのです。イエス・キリストが「初穂」(ファーストフルート)ならば、「次の果実」(ネクストフルーツ)もあるのです。それが全人類です。何と驚くべきことに全人類が復活するのです。そのようなことを誰が信じられるだろうか、冗談は休み休みに言ってくれと、多くの人に思われるに違いないのですが、パウロが書いているのはそのようなことです。
しかし、驚くべきことはまだ残っています。それは、この箇所にパウロが書いていることの趣旨は「イエス・キリストの復活」のほうではなく「全人類の復活」のほうであるということです。「全人類の復活」は本当に起こるのだということを言うために、その根拠として「イエス・キリストの復活」を持ち出しているだけです。このような書き方をしている以上、どちらに強調点があるかといえば、前者ではなく後者であることは明らかです。
しかも、「イエス・キリストの復活」と「全人類の復活」を聖書に基づいて比較してみると、両者が全く同じことの単純な反復ではないことが分かります。聖書によると、「イエス・キリストの復活」は40日間弟子たちの前で起こりましたが、その後父なる神のもとへと昇天することによって弟子たちの前から姿を消し、見えなくなりました。しかし「全人類の復活」は、わずか40日で終わるような一時的な出来事ではなく、永久に続く出来事として理解されるべきものです。
ですから、次のように考えることさえできます。「イエス・キリストの復活」は、今はまだ起こっていないが将来起こるであろう「全人類の復活」にとっての「予告編」の意味を持っていました。しかし、それはまだ「本編」ではありませんでした。「イエス・キリストの復活」においては「全人類の復活」のさわりの部分をほんの少しだけ、ちらりと見せてもらえたに過ぎません。
さらに次のように考えることもできます。「イエス・キリストの復活」は、キリスト信仰全体の目標ではなく、途中の通過点にすぎません。キリスト教信仰の目標は「イエス・キリストの復活」を信じることのほうではなく「全人類の復活」を信じることのほうにあります。このように申し上げるからと言って、「イエス・キリストの復活」を信じることが重要ではないと言っているのでは決してありません。それを信じることも重要です。しかしだからといってわたしたちは「イエス・キリストの復活」のほうだけを信じて事足れりとすることはできません。
イースターをお祝いする目的も同じです。「イエス・キリストの復活」をお祝いすることだけではなく、少なくとももうひとつあると申し上げたとおりです。それは、将来における「全人類の復活」を期待することです。イースターは、わたしたち自身の復活を待ち望む将来をめざす希望の祝いです。それは「イエス・キリストの復活」をお祝いすること以上に重要です。
私が言いたいのは次のようなことです。「イエス・キリストの復活」はありえないことだが、不合理なことであっても、理性を犠牲にして無理やりにでも信じ込むことがキリスト教信仰の本質なのだ、という仕方で、ようやくのところ「イエス・キリストの復活」を信じることができたというだけでキリスト教信仰が完結するわけではないということです。キリスト教信仰には、もっと大きな、人をつまずかせる要素があります。それが「全人類の復活」です。
歴史的な事実としては、「全人類の復活」についての思想はパウロが生み出した思想ではないし、新約聖書の著者たちが発明した思想でもありません。それは旧約聖書の時代からあり、サドカイ派を除くユダヤ教の人々に広く受け入れられていた思想でした(ヘンドリクス・ベルコフ『確かなる希望』藤本治祥訳、日本基督教団出版局、1971年、42頁)。事柄の歴史的な順序としては、「全人類の復活」を信じる信仰は「イエス・キリストの復活」を信じる信仰より古いです。
これで分かるのは、イエス・キリストの復活の事実が「全人類の復活」を信じる信仰を生み出したのではなく、順序はその逆であるということです。「全人類の復活」を信じる信仰が先にあり、それは「本当に」起こるのだということを、「イエス・キリストの復活」を目の当たりにした人々がその確証を得たと信じて受け入れたということです。
今日なぜ私がこのようなことをしつこいほど繰り返し強調するのかについても申し上げておきます。
「イエス・キリストの復活」を信じるだけならば、ある意味で簡単なことです。自分に当てはめて考えることをしなくて済むからです。イエス・キリストはわたしたちにとって他人ですから、他人事として考えるだけで済ますことができます。「へえ、そんな不思議なことがあったのですね。神さまの力はすごいですね」と言っていればいいだけです。
しかし「全人類の復活」は違います。他人事で済ますことができません。なぜなら、全人類の中にあなたも私も含まれるからです。あなたも私も復活するのです。そのようなことを本気で信じなければならなくなります。そのほうがわたしたちにとって、「イエス・キリストの復活」を信じることよりも、はるかに難しいはずです。
しかし、難しいことをわたしたちは信じかつ受け入れる必要があります。そうでないかぎり、復活がわたしたち自身の希望にならないからです。なぜ他人事で済ましてはいけないのでしょうか。そのことを最後に申し上げておきます。そのことを理解するために、今日の箇所の31節に書かれていることが重要です。
「死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです」(31節)と書かれています。その説明が22節にあります。「つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです」(22節)。
論理は単純です。「死が一人の人によって来た」と言われている中の「一人の人」とは最初の人類アダムです。「アダムによって死が来た」とはアダムが罪を犯したためすべての人に死が定められたという意味です。しかし、その死の定めを打ち消すために「一人の人」イエス・キリストが来ました。イエス・キリストが来てくださったので、すべての人から死が取り除かれた、ということです。
ここで考えなければならないのは、アダムによって何が始まったのかということです。この箇所には記されていませんが、それが「罪」であることは明らかです。アダムの「罪」によって「死」が来ました。しかし「キリストによってすべての人が生かされることになる」。その意味は、キリストによって「罪」が除去されるならば「死」が除去される、ということです。
そしてそれでわたしたちが理解すべきことは、「全人類の復活」を信じることは、全人類が罪から完全に取り除かれ、罪から解放される日が来ることを信じるのと同じであるということです。つまり、わたしたちは、「罪」との関係で「死」を、そして「復活」を理解する必要があるということです。
今かなりややこしいことを言いましたが、ご理解いただきたいのは、ひとつのことです。それは、「全人類の復活」と信じることと「世界と人類からすべての罪が取り除かれること」を信じることは同じことである、ということです。そういう日が必ず来ると信じることが必要なのです。
罪は永遠の存在ではありません。罪の力に飲み込まれてはいけません。罪に市民権を与えて当然視してはいけません。「人類が罪を犯すのは当然なのだ」とか「やむをえないことなのだ」などと言って是認してはいけません。そのようなことを聖書が教えているわけではありません。
しかも、わたしたちは、自分自身は罪に対して無抵抗であり、人生の最期の最期のぎりぎりまで罪の甘い蜜を味わい尽くしながら、天国に行きさえすれば罪から自由になれるなどと考えるべきではありません。神にお委ねするだけではなく、わたしたち自身も、罪の力、悪の力に対して徹底的に抵抗しなければなりません。
わたしたちは主の祈りにおいて「御国を来たらせたまえ」と祈ります。「我らを試みにあわせず、悪よりすくいいだしたまえ」と祈ります。このように祈りつつ生きていくわたしたちの人生の将来に「復活の日」が訪れます。
罪は完全に滅ぼされ、世界と人類の中から完全に取り除かれる日が来ます。罪が取り除かれれば、わたしたちが死ぬこともなくなります。その意味での「完全な救いの日」が来ます。それが「全人類の復活」です。
(2017年4月30日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)
2017年4月25日火曜日
それよりとにかく生きようぜ
大人であることと、親であることと、牧師であることと、学校の教員であったことの共通点は、自分はもはやいなくても世界は存在し続けるし、子どもは大人になるし、教会も学校も活発な活動を続けていることをこそ喜ぶべき存在であることだ。「おれが育てた」わけでもない。寂しくはあるけどね。ぐすん。
自分の存在には宿命論的な意味での「必然性」(necessity)はないという意味で「私は必要ない」と私が考えることができるのはファン・ルーラーの神学を学んだおかげだ。ものすごく楽になれる。私の存在は神の遊び(「神のいたずら」と訳しても構わない)であり、神の贅沢(luxe)なのだ。
ついでに言えば、私が存在する「意味」もないとファン・ルーラーに教えてもらった。何のために生まれて何のために生きるのか。答えられないなんてそんなのは嫌だとアンパンマンのようなことを問うても答えはない。必然性も意味も問わずに済むなら全く自由に生きることができる。ひたすら楽しめばよい。
冷たい話でも詭弁でもない。子どもを産まなければならない大人はいないし、生まれなければならなかった子どももいない。何人子どもを産まなければならないと決められている親はいないし、何人目に生まれなければならないと決められた子どももいない。必然性はない。すべては自由だ。どうぞご自由に。
そうは言っても子どもはいつか親に、そしてひょっとしたら神に、なぜ私を産んだのか、こんなふうに産んだのかと問う日が来る。「こんなふうに」と問われても親は「知らんがな」としか答えようがない場合が多いだろうが、「なぜ」には何らかの言葉はあろう。「いてほしいと思ったんだよ」くらい言える。
どれほど難しく突き詰めて考えようと、我々自身の存在の根拠ないし少なくとも出発点は、その程度のことでしかない。それ以上の何を求めるか。私の人生に何の意味と必然性があるのか。生きる意味が分からない人生に価値はないのか。そんなことはないだろう。これは悟りでも開き直りでもないと私は思う。
今書いているのは辞世の句ではない。おいおいまだ殺すなよ。強いて言えば人生の意味というのは人生の最期に分かるものかもしれないと若干期待しているところはある。最期まで分からないわけだ。だったらまだ考えるのは早すぎる。四の五の言うのは構わないが、それよりとにかく生きようぜ。飯食おうぜ。
2017年4月23日日曜日
神の恵みによって今日の私がある(千葉本町教会)
関口 康(日本基督教団教師)
「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。とにかく、わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。」
千葉本町教会のみなさま、おはようございます。日本基督教団教師の関口康です。この教会で説教させていただくのは2回目です。今日もどうかよろしくお願いいたします。
前回は2月19日でした。大きく変化したのは私の立場です。高校で聖書を教える常勤講師でしたが、代用教員でした。3月末で契約期間満了となりました。現在は日本基督教団の無任所教師です。しかし、心配はしていません。主が必ず任地を与えてくださることを信じています。みなさまにもぜひお祈りいただきたく願っています。
さて、先ほど朗読していただきましたのは、使徒パウロのコリントの信徒への手紙一15章9節から11節までです。パウロが記しているのは謙遜の言葉です。「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」(9節)。
しかしそのパウロが間髪入れずに続けているのは、使徒としてのプライドに満ちた言葉です。「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました」(10節)。
パウロが記しているのは、使徒の中で最も小さい者である私は他のすべての使徒よりもずっと多く働いてきた、ということです。このように書いているパウロの気持ちを、私はよく理解できるつもりです。聖書の言葉を自分に引き寄せすぎる読み方は慎むべきですが、他人事とは思えません。
私は神の教会を迫害したことはありません。しかし、私はもともと日本基督教団の教師でしたが、一昨年末までの19年間は日本基督教団を離れ、他の教派の教会の牧師として働いていました。そして昨年4月、日本基督教団に教師として復帰しました。教団にとって私は昨年戻ってきたばかりの新人教師です。しかし、私のプライドに賭けて言わせていただけば、昨年1年間、教団のどの教師よりも多く働かせていただきました。この点でパウロと一致していると思っています。
しかし、このようなことを私が言いますと、おそらく日本基督教団の先生がたの心中は穏やかではないでしょう。私が申し上げているのは冗談のつもりはないし、誇張でもないつもりです。しかし、こういうことは自分で言わないほうがよさそうです。ある意味でいやらしい言い方です。
みなさんにご理解いただきたく願っているのは、今日の箇所にパウロが書いているのもそのようなことだということです。ある意味でいやらしい言い方です。それを分かっていただきたくて、私の話をしました。自分で言わないほうがよさそうなことです。他の使徒と比較して自分の働きの大きさを語れば、他の使徒から激怒を買うのは目に見えています。そういうことをパウロは書いているのです。
ですから、わたしたちがよく考えなければならないのは、なぜパウロはこのような刺激の強いことをわざわざ書いているのか、です。その理由ないし動機は何でしょうか。
私が思うのは、パウロが書いているのと同じことを、パウロ以外の別の使徒たちも大いに言うべきであり、書くべきであるということです。パウロ先生はずいぶんひどいことをお書きになっている。何をおっしゃいますやら、私のほうが多く働きましたよ。わたしたちを侮辱しないでいただきたいと、そのように他の使徒たちも大いに主張すべきです。
すべてお互いさまです。他の人よりも自分が最も多く働いている。そのように主張する権利はすべての人に保証されています。どうぞご自由に。
そこで起こるのは良い意味での一種の競争心です。もちろん悪い意味にもなるでしょう。しかし、競争心を持つことがいつでも必ず悪いわけではありません。競争心は向上心に通じますので。それは学校でも会社でも社会でも同じです。教会だけが別世界でしょうか。そんなことはありません。
パウロがここまで言うならわたしたちも負けないようにもっと多く働こうではないかと、他の使徒たちは刺激され、発奮したでしょう。彼らは大いに刺激されなければならないし、発奮しなければなりません。パウロがこのようなことを書いている理由ないし動機は、まさにこの点にあると思います。
そして、やや強めの言い方をお許しいただけば、パウロが書いているのは、他の使徒たちに対する批判ないし抗議を含んでいる言葉でもあります。それは同時に当時の教会のあり方そのものに対する批判ないし抗議を含んでいます。
あなたがたは怠けている。もっと働くべきだと言っているのです。「わたしたちにはこれ以上することがない」と思い込んでいる。いくらでもできることはあるのに。あぐらをかき、手をこまねいて、教会の中の気の置けない仲間内だけに引きこもり、世に出て行かない、伝道しない。それでいいのか、いいはずがないだろうと言っているのです。
もっと発奮せよ、もっと働け、しっかりせよ。「使徒たちの中でいちばん小さいものであり、使徒と呼ばれる値打ちのない者」である私ごときから、このような厳しいことを言われないように。パウロが言いたいのは、このようなことです。
言うまでもないことですが、パウロの時代の教会は、当時の社会の中では圧倒的な少数派でした。その少数派である教会を、かつてはパウロ自身も迫害する立場にいましたので、そのことは彼の心の重荷であり続けたでしょう。しかし、それとこれとは話が別です。
そして、パウロは他の使徒たちを軽蔑していたわけではありません。むしろ尊敬していました。だからこそ、彼らの働きが自分よりも少ないと感じられることに我慢できなかったのです。
実際はどうだったでしょう。ある程度想像できるのは、当時の教会は守りの姿勢が強かったのではないかということです。当時の教会を二分した問題として知られているのは、ユダヤ人キリスト者の一部が、これから洗礼を受けて新しく教会に加わりたいと願っている異邦人に対して「洗礼だけでは足りない。割礼を受けなければならない」と主張しはじめた問題です。
使徒言行録15章が参考になります。最初の教会会議であるエルサレム会議で、その問題が取り上げられました。
ユダヤ人キリスト者の主張は、聖書に基づく神学的主張というより教会内の主導権争いの面が強かったと思われます。なぜなら、生まれてすぐに割礼を受けるユダヤ人に割礼の痛みの記憶はないからです。そのユダヤ人が異邦人に割礼を要求しはじめたのであれば、教会の敷居を高くして、異邦人が教会の中になるべく入りにくいようにしたのではないかと疑わざるをえないのです。
教会は伝道したいのでしょうか、伝道したくないのでしょうか。それがいま考えなければならない問題です。「伝道」とは、教会に新しい仲間が加わることを求めて働きかけることのすべてを指します。教会は新しい仲間を求めているのでしょうか。それとも、そうではないのでしょうか。
教会が新しい仲間を求めているならば、新しく入ってこようとしている人々のために自らの敷居を低くする必要があります。しかし「洗礼を受けるだけでは足りない、割礼を受けなければならない」と主張し始めた人々は、彼ら自身がどう考えてそのようなことを言い始めたかはともかく、結果的に事実上、教会の敷居を高くすることを要求した、としか言いようがないのです。
敷居を高くして、新しい人にとって入りにくいところにするほうが教会にとって楽な面があるかもしれません。教会生活が長く、聖書の知識に満ちた人々ばかりの教会であれば、一を聞いて十を知る人々の集まりになりますので、教会運営のようなことも、すべて身内意識を持ちうる同士のあいだで、あうんの呼吸で維持できるようになるでしょう、ある意味で。
しかし、それが教会でしょうか。伝道はどこに行ったのでしょうか。「伝道」とは、十を聞いて一も理解できない人々を教会に受け入れることです。パウロがその後半生において取り組んだ異邦人伝道とは、まさにそれです。それは、聖書の知識も教会の経験も全くない異邦人をイエス・キリストへの信仰へと導き、イエス・キリストの体なる教会に迎え入れることです。
そしてそれは同時に、わたしたち日本の教会が全力で取り組まなくてはならない働きであると私は信じています。そのためにわたしたちが何をすればよいのかを、よく考える必要があります。
今日の箇所の中でまだ触れていない問題があります。大事な問題ですが後回しにしました。それは10節にパウロが3度も繰り返している「神の恵み」についてです。「神の恵みによって今日のわたしがある」、「わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず」、「働いたのは、実はわたしではなく、神の恵みである」とパウロはたしかに記しています。
不思議な言い方ではあります。他のすべての使徒よりもわたしのほうが多く働いたとまで豪語しているパウロが、自分が働いたのではなく、神の恵みが働いたのだと書いているのですから。
しかしこれが、わたしたちが伝道とは何かを考えるときに、とても大事な点です。パウロが書いているのは「神が働いた」ということではないし、「イエス・キリストが働いた」ということでもないし、「聖霊が働いた」ということでもありません。
わたしたちは何もできませんし、何もいたしませんが、神が「わたしたちの身代わりに」伝道してくださいました、という話をパウロはしていません。「私と共に神の恵みが働く」の意味は、私は何もしないで、働かないで、あなた任せで神に委ねるという意味ではありません。
そうでなく、パウロが記しているとおり、今日の私を存在せしめている根拠として「神の恵み」があるという意味です。私の存在と常に共にあり、かつ私の働きを通して多くの人に「神の恵み」が伝えられていくという意味です。私の存在を抜きにして、私の働きなしに「神の恵み」が働いたとパウロが記していないことが重要です。「神の恵み」を我々の怠慢や引っ込み思案の言い訳にしてはいけません。
しかしまた、「神の恵み」は人の手を離れていきます。これが最も大事な点です。私が洗礼を授けた人は、私の弟子ではなく、イエス・キリストの弟子です。その人々は私の信者ではなく、神の信者です。教会は神の教会であり、イエス・キリストの教会です。
この基本が踏まえられていさえすれば、どんな競争心を働かせてでも、私が遠慮なくどんどん伝道してもよいのです。
(2017年4月23日、日本基督教団千葉本町教会 主日礼拝)
2017年4月21日金曜日
かかりつけのクリニックで定期検診を受けました
今日(2017年4月21日金曜日)の午前はかかりつけのクリニックで定期健診。身長体重測定、採血採尿検査、心電図、血圧心拍測定、腹部レントゲン等。結果は来週。胃十二指腸内視鏡検査(胃カメラ)は5月9日火曜日。自分の弱点を突き止めておくのは大事なことだと、理屈では分かっているつもり。
そして午後は、最寄りの郵便局でいろいろ手続き。必要なものをうっかり自宅(借家)に忘れたので、2往復した。そのようなことが簡単にできるほど近くて便利な郵便局だが、全業務が17時(ATMも17時30分)で終わる小さなところなので、最後は奥歯の加速装置のスイッチを押して走って息切れた。
2ヶ月くらい前「関口さんの書き込み、ちょいちょいネタが古い(笑)」と20代の若者に言われてしまったが、それがわしの売りじゃが(ここ岡山弁で)。もう本当に全く若くないんで、50代の人間に合った使い方をさせてもらうので。ガチとかブチギレとか変な言葉も使うけど。もんげーは古来の岡山弁。
昭和と言いたくない人間なので西暦を使わせてもらうが、私の生まれが1965年。それからをざっくり言えば、幼稚園児・小学生が70年代。中学生・高校生が80年代前半、大学生・大学院生が80年代後半。そんな感じなので、あの頃にドバッと出てきた新しいカルチャーの影響をひどく受けすぎている。
先週金曜日(4月14日)、1966年に刊行が始まった「サイボーグ009」(サンデーコミックス版、全15巻)を送料込み2,240円で入手。子どもの頃叶わなかった全巻購入がネットのおかげで実現。私はマニアではないが次第にマニアックになっていく性質を自覚しつつある。加速に気をつけよう。
我々の世代(1960年代生まれ)が小学生だった頃に、日本のキリスト教会がぐちゃぐちゃに壊れ始めた。日曜学校の生徒もどんどん減った。言っていることもやっていることも変わった。これは日本の教会史を学んで後からとって付けた感想ではなく、51年ずっと教会に通う中で感覚的に味わったことだ。
当時の変化との関係は明白ではないが、今の教会に50代の信者は少ない。だからこそ私は、50代の人間(キリスト者)としての発言の仕方をよく考える必要を感じている。年齢の問題ではなく世代の問題として。1960年代に生まれた者として体験した新しいカルチャーの中で、何を考え、何を語るかを。
いろんな教会のホームページを拝見していて「献金は寄付金や入場料ではない」だの「我々は○○ではない」だのと否定の言葉が目立つときはけっこう気になる。どう書いても誤解する人は誤解すると思うので、想定問答のような書き方は控えめにするほうが「より明るい調子の」ホームページになる気がする。
そして午後は、最寄りの郵便局でいろいろ手続き。必要なものをうっかり自宅(借家)に忘れたので、2往復した。そのようなことが簡単にできるほど近くて便利な郵便局だが、全業務が17時(ATMも17時30分)で終わる小さなところなので、最後は奥歯の加速装置のスイッチを押して走って息切れた。
2ヶ月くらい前「関口さんの書き込み、ちょいちょいネタが古い(笑)」と20代の若者に言われてしまったが、それがわしの売りじゃが(ここ岡山弁で)。もう本当に全く若くないんで、50代の人間に合った使い方をさせてもらうので。ガチとかブチギレとか変な言葉も使うけど。もんげーは古来の岡山弁。
昭和と言いたくない人間なので西暦を使わせてもらうが、私の生まれが1965年。それからをざっくり言えば、幼稚園児・小学生が70年代。中学生・高校生が80年代前半、大学生・大学院生が80年代後半。そんな感じなので、あの頃にドバッと出てきた新しいカルチャーの影響をひどく受けすぎている。
先週金曜日(4月14日)、1966年に刊行が始まった「サイボーグ009」(サンデーコミックス版、全15巻)を送料込み2,240円で入手。子どもの頃叶わなかった全巻購入がネットのおかげで実現。私はマニアではないが次第にマニアックになっていく性質を自覚しつつある。加速に気をつけよう。
我々の世代(1960年代生まれ)が小学生だった頃に、日本のキリスト教会がぐちゃぐちゃに壊れ始めた。日曜学校の生徒もどんどん減った。言っていることもやっていることも変わった。これは日本の教会史を学んで後からとって付けた感想ではなく、51年ずっと教会に通う中で感覚的に味わったことだ。
当時の変化との関係は明白ではないが、今の教会に50代の信者は少ない。だからこそ私は、50代の人間(キリスト者)としての発言の仕方をよく考える必要を感じている。年齢の問題ではなく世代の問題として。1960年代に生まれた者として体験した新しいカルチャーの中で、何を考え、何を語るかを。
いろんな教会のホームページを拝見していて「献金は寄付金や入場料ではない」だの「我々は○○ではない」だのと否定の言葉が目立つときはけっこう気になる。どう書いても誤解する人は誤解すると思うので、想定問答のような書き方は控えめにするほうが「より明るい調子の」ホームページになる気がする。
2017年4月16日日曜日
喜べキリストの復活を(下関教会)
ローマの信徒への手紙6章1~5節
関口 康(日本基督教団教師)
「では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば。その復活の姿にもあやかれるでしょう。」
下関教会の皆さま、おはようございます。日本基督教団教師の関口康です。大切なイースター礼拝に説教者としてお招きいただき、心から感謝いたします。今日はどうかよろしくお願いいたします。
遠い過去に一度、平日に下関教会の会堂に入らせていただいたことがあります。25年ほど前です。当時の下関教会の牧師は篠原満先生でした。ここでとても重要な会議が行われ、私も出席しました。
そのとき以来、今日が2回目の下関教会訪問です。つまり25年ぶりくらいです。ずいぶんとのんびりした話のようでもあります。しかし、教会というのはそういうところです。
教会の時間の流れ方はのんびりしています。変化も緩やかです。20年、30年、あるいはもっと昔の出来事を、まるで昨日の出来事のように思い起こし、振り返り、反省材料にし、決して忘れることのできない大切な記憶と記録にしていく。それが教会らしいあり方であると私は考えています。
さて先ほど朗読していただきましたのは、使徒パウロのローマの信徒への手紙6章の1節から5節です。今日はこの箇所を共に学ばせていただきたいと願っています。
この箇所に記されていることの趣旨を短くまとめていえば、わたしたちの救い主イエス・キリストの復活とわたしたちの救いの関係は何かということです。なかでも特に強調されているのは、イエス・キリストの復活と、わたしたちが教会で受ける洗礼との関係です。
ここではっきり申し上げておきたいのは、イエス・キリストの復活について聖書が教えているのは、先ほど日本基督教団信仰告白をみんなで共に唱和しましたが、その最後に加えられている使徒信条において共に告白したとおりの「肉体の復活」(からだのよみがえり)であるということです。
それは、一度は死んだ者が神の力によって再び命を取り戻し、この地上の世界にもう一度立ち上がることです。この点をごまかすことはできません。
地上の世界ではない別のところで、その意味でのいわゆる天国で、ひとりの人が永遠に生きているというようなことだけなら「復活」ではありません。そのような考えのほうがよほど信じやすいものがありますが、聖書の意味での「復活」ではありません。
あるいは、亡くなった方についての記憶が人の心の中にいつまでも覚えられているというようなことも、美しい話ではありますが、それも聖書の意味での「復活」ではありません。聖書が教え、教会が信じる「復活」は「肉体の復活」(からだのよみがえり)です。そこをごまかすことはできません。
そのようなことがどのような仕方で起こったのかについては、もちろん多くの謎の要素があります。ほとんど理解不能と言うべきです。私も理解できていません。しかし聖書に教えられていることは何なのかと問われれば「肉体の復活」(からだのよみがえり)であると言わなくてはなりません。そこはごまかしてはいけません。
そのイエス・キリストの「肉体の復活」と、わたしたちが救われること、とくに教会で「洗礼」を受けることは、その意味において重なり合う関係にあるというのが今日の箇所にパウロが書いていることの趣旨です。しかし、どのように重なり合うのかについてはよく考えないと分からないことです。なぜなら、両者の間に根本的な違いがあるからです。
その違いとは、イエス・キリストは、事実としての肉体の死を経た上で、神の力によってその肉体が復活したと、聖書が教えています。しかしわたしたちが洗礼を受けるときは、当然のことながら、十分な意味でまだ生きています。「肉体的な死」の段階に至っていませんし、「霊的な死」の段階にも至っていません。ここに両者の根本的な違いがあります。
それとも、そうではないのでしょうか。わたしたちは洗礼を受けるときに、いったん殺されなければならないのでしょうか。洗礼式は殺人の儀式でしょうか。みんなの前で一度殺されて、そのうえで牧師が復活の呪文を唱えてその人をよみがえらせる魔法の儀式でしょうか。そのように考えることは非常に危険ですし、完全に間違っています。パウロも決してそのような意味のことを書いているのではありません。
しかし、それではどういう意味でしょうか。わたしたちが「洗礼を受けること」の意味は、「イエス・キリストと共に死ぬこと」であるとパウロははっきり記しています。しかしわたしたちは事実として死んでいませんし、死にません。その点においては、パウロが記しているのはある意味で比喩であるということを認める必要があります。死んでいないのに「死んだ」と言っているのですから。
しかしパウロは、ただ大げさに言っているだけでしょうか。そうではないと申し上げておきます。重要なポイントは「恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか」(1節)の中の「罪の中にとどまる」をどう理解するかです。
この箇所に記されている「とどまる」の意味は、わたしたち自身の主体的決断を伴う、人間自身の能動的な行為です。故意に、意図的に、作為的に、能動的な悪意と計画性をもってそのことに固執し、中断するどころか継続し、離れようとしないという意味です。
つまり「罪の行為をやめようとしない」という意味です。すべての人が生まれながらに持っていると言われる「原罪」の意味で、「やむをえず罪の性質を持ち続けている」という意味ではありません。
その両者、すなわち「罪の行為をやめようとしないこと」と「罪の性質を持ち続けていること」は厳密に区別しなければなりません。しかし、まさにここがごまかされやすいのです。カムフラージュされやすいのです。教会の教えが陥りやすい罠でもあります。よくよく気を付けていないと、教会の教えが犯罪者の自己弁護に都合よく利用されてしまいます。
聖書の教えによれば、なるほど確かにすべての人が罪の性質を持ち続けています。しかしだからといって、すべての人がいつでも必ず重大な犯罪行為に手を染めているわけではありません。すべての人が殺人を犯しているわけではないし、強盗や姦淫や偽証を犯しているわけではありません。
それらの罪が自分とは関係ないし、そういうことを犯す可能性はありえないと言い切ることはできません。いつでも悪い段階へと発展してしまいかねない弱さをすべての人が持っていることは否定できません。しかしだからといって、すべての人が日々犯罪行為を重ねることに固執しているわけではありません。それは言い過ぎです。
もし「罪にとどまること」を先ほどから申し上げている意味での「罪の行為をやめようとしないこと」として理解すべきであるとすれば、そのことのちょうど反対の意味で言われている「罪に対して死ぬこと」は、まさにちょうど反対の意味での「罪の行為との死別」、すなわち「罪の行為からの解放」という意味での「救い」でなければなりません。
そして、その続きの「なおも罪の中に生きることができるでしょう」という中の「罪の中に生きる」もまた、「罪の行為をし続けること」という意味でなければなりません。ここでパウロが記しているのは、すべての人が生まれながらに持っている「原罪」という意味の「罪の性質」ではなく、あくまでも「罪の行為」です。
「性質」と「行為」は全く無関係とは言えませんが、厳密に区別しなければなりません。そのように理解しないかぎり、この箇所にパウロが記していることは全く理解できません。
そして、今日私が強調して申し上げたいと願っているのは、わたしたちが教会で受ける洗礼の意味は「イエス・キリストと共に死ぬこと」であるとパウロがはっきり記していることの意味は、肉体的な死ではないし、霊的な死でもなく、「罪の行為との死別」、すなわち「罪の行為からの解放」という意味での「救い」である、ということです。
そして、もしそうであるならば、今日の箇所全体でパウロが語ろうとしている、イエス・キリストの復活とわたしたちの救いとの関係、特にわたしたちが教会で受ける洗礼との関係は何かという問いの答えが次第に分かってきます。
パウロが記している「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものになった」(4節)の意味は「罪の行為との死別」、つまり「罪の行為からの解放」としての「救い」です。
もしそうであれば、「新しい命に生きること」(4節)、あるいは「キリストの復活の姿にあやかること」(5節)は、罪の行為とは反対の「善い行為」を行うことにおいて積極的な生き方を意味しています。それが「罪に死に、キリストに生きること」の意味です。
教会で「善い行為」の話をすると「宗教は道徳ではない」と反論されることがありますが、パウロが書いているのは「善い行為」の勧めです。教会は犯罪計画を常に企て、それを実行に移す団体ではありません。
わたしたちは、たとえ聖書が人間の罪深い性質を教えているとしても、だからといって罪の行為に市民権を与えてはいけません。「わたしたち人間が罪を犯すのは当然である」とか「やむをえない」とか、そのようなことを聖書は教えていません。そんなばかげた話はないのです。
今こそ真剣に考えなければならないのは戦争の問題であると思います。私は昨日羽田空港から山口宇部空港まで飛行機で来ました。朝鮮半島との距離の近さを実感しました。とんでもないことがこれから始まるかもしれません。緊張が極度に高まっています。
このようなときに、教会が「人間が罪を犯すのはやむをえない、当然である、仕方ない」などと教えて、戦争による解決を当然視するようなことをしてはいけません。
わたしたちは、イエス・キリストの復活の姿にあやかります。罪深い性質は持ち続けていますが、罪の行為を断固拒否します。わたしたちは神の御心に従った信仰と希望と愛の道をめざします。この道をこれからも歩んでいこうではありませんか。
(2017年4月16日、日本基督教団下関教会イースター主日礼拝)
関口 康(日本基督教団教師)
「では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば。その復活の姿にもあやかれるでしょう。」
下関教会の皆さま、おはようございます。日本基督教団教師の関口康です。大切なイースター礼拝に説教者としてお招きいただき、心から感謝いたします。今日はどうかよろしくお願いいたします。
遠い過去に一度、平日に下関教会の会堂に入らせていただいたことがあります。25年ほど前です。当時の下関教会の牧師は篠原満先生でした。ここでとても重要な会議が行われ、私も出席しました。
そのとき以来、今日が2回目の下関教会訪問です。つまり25年ぶりくらいです。ずいぶんとのんびりした話のようでもあります。しかし、教会というのはそういうところです。
教会の時間の流れ方はのんびりしています。変化も緩やかです。20年、30年、あるいはもっと昔の出来事を、まるで昨日の出来事のように思い起こし、振り返り、反省材料にし、決して忘れることのできない大切な記憶と記録にしていく。それが教会らしいあり方であると私は考えています。
さて先ほど朗読していただきましたのは、使徒パウロのローマの信徒への手紙6章の1節から5節です。今日はこの箇所を共に学ばせていただきたいと願っています。
この箇所に記されていることの趣旨を短くまとめていえば、わたしたちの救い主イエス・キリストの復活とわたしたちの救いの関係は何かということです。なかでも特に強調されているのは、イエス・キリストの復活と、わたしたちが教会で受ける洗礼との関係です。
ここではっきり申し上げておきたいのは、イエス・キリストの復活について聖書が教えているのは、先ほど日本基督教団信仰告白をみんなで共に唱和しましたが、その最後に加えられている使徒信条において共に告白したとおりの「肉体の復活」(からだのよみがえり)であるということです。
それは、一度は死んだ者が神の力によって再び命を取り戻し、この地上の世界にもう一度立ち上がることです。この点をごまかすことはできません。
地上の世界ではない別のところで、その意味でのいわゆる天国で、ひとりの人が永遠に生きているというようなことだけなら「復活」ではありません。そのような考えのほうがよほど信じやすいものがありますが、聖書の意味での「復活」ではありません。
あるいは、亡くなった方についての記憶が人の心の中にいつまでも覚えられているというようなことも、美しい話ではありますが、それも聖書の意味での「復活」ではありません。聖書が教え、教会が信じる「復活」は「肉体の復活」(からだのよみがえり)です。そこをごまかすことはできません。
そのようなことがどのような仕方で起こったのかについては、もちろん多くの謎の要素があります。ほとんど理解不能と言うべきです。私も理解できていません。しかし聖書に教えられていることは何なのかと問われれば「肉体の復活」(からだのよみがえり)であると言わなくてはなりません。そこはごまかしてはいけません。
そのイエス・キリストの「肉体の復活」と、わたしたちが救われること、とくに教会で「洗礼」を受けることは、その意味において重なり合う関係にあるというのが今日の箇所にパウロが書いていることの趣旨です。しかし、どのように重なり合うのかについてはよく考えないと分からないことです。なぜなら、両者の間に根本的な違いがあるからです。
その違いとは、イエス・キリストは、事実としての肉体の死を経た上で、神の力によってその肉体が復活したと、聖書が教えています。しかしわたしたちが洗礼を受けるときは、当然のことながら、十分な意味でまだ生きています。「肉体的な死」の段階に至っていませんし、「霊的な死」の段階にも至っていません。ここに両者の根本的な違いがあります。
それとも、そうではないのでしょうか。わたしたちは洗礼を受けるときに、いったん殺されなければならないのでしょうか。洗礼式は殺人の儀式でしょうか。みんなの前で一度殺されて、そのうえで牧師が復活の呪文を唱えてその人をよみがえらせる魔法の儀式でしょうか。そのように考えることは非常に危険ですし、完全に間違っています。パウロも決してそのような意味のことを書いているのではありません。
しかし、それではどういう意味でしょうか。わたしたちが「洗礼を受けること」の意味は、「イエス・キリストと共に死ぬこと」であるとパウロははっきり記しています。しかしわたしたちは事実として死んでいませんし、死にません。その点においては、パウロが記しているのはある意味で比喩であるということを認める必要があります。死んでいないのに「死んだ」と言っているのですから。
しかしパウロは、ただ大げさに言っているだけでしょうか。そうではないと申し上げておきます。重要なポイントは「恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか」(1節)の中の「罪の中にとどまる」をどう理解するかです。
この箇所に記されている「とどまる」の意味は、わたしたち自身の主体的決断を伴う、人間自身の能動的な行為です。故意に、意図的に、作為的に、能動的な悪意と計画性をもってそのことに固執し、中断するどころか継続し、離れようとしないという意味です。
つまり「罪の行為をやめようとしない」という意味です。すべての人が生まれながらに持っていると言われる「原罪」の意味で、「やむをえず罪の性質を持ち続けている」という意味ではありません。
その両者、すなわち「罪の行為をやめようとしないこと」と「罪の性質を持ち続けていること」は厳密に区別しなければなりません。しかし、まさにここがごまかされやすいのです。カムフラージュされやすいのです。教会の教えが陥りやすい罠でもあります。よくよく気を付けていないと、教会の教えが犯罪者の自己弁護に都合よく利用されてしまいます。
聖書の教えによれば、なるほど確かにすべての人が罪の性質を持ち続けています。しかしだからといって、すべての人がいつでも必ず重大な犯罪行為に手を染めているわけではありません。すべての人が殺人を犯しているわけではないし、強盗や姦淫や偽証を犯しているわけではありません。
それらの罪が自分とは関係ないし、そういうことを犯す可能性はありえないと言い切ることはできません。いつでも悪い段階へと発展してしまいかねない弱さをすべての人が持っていることは否定できません。しかしだからといって、すべての人が日々犯罪行為を重ねることに固執しているわけではありません。それは言い過ぎです。
もし「罪にとどまること」を先ほどから申し上げている意味での「罪の行為をやめようとしないこと」として理解すべきであるとすれば、そのことのちょうど反対の意味で言われている「罪に対して死ぬこと」は、まさにちょうど反対の意味での「罪の行為との死別」、すなわち「罪の行為からの解放」という意味での「救い」でなければなりません。
そして、その続きの「なおも罪の中に生きることができるでしょう」という中の「罪の中に生きる」もまた、「罪の行為をし続けること」という意味でなければなりません。ここでパウロが記しているのは、すべての人が生まれながらに持っている「原罪」という意味の「罪の性質」ではなく、あくまでも「罪の行為」です。
「性質」と「行為」は全く無関係とは言えませんが、厳密に区別しなければなりません。そのように理解しないかぎり、この箇所にパウロが記していることは全く理解できません。
そして、今日私が強調して申し上げたいと願っているのは、わたしたちが教会で受ける洗礼の意味は「イエス・キリストと共に死ぬこと」であるとパウロがはっきり記していることの意味は、肉体的な死ではないし、霊的な死でもなく、「罪の行為との死別」、すなわち「罪の行為からの解放」という意味での「救い」である、ということです。
そして、もしそうであるならば、今日の箇所全体でパウロが語ろうとしている、イエス・キリストの復活とわたしたちの救いとの関係、特にわたしたちが教会で受ける洗礼との関係は何かという問いの答えが次第に分かってきます。
パウロが記している「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものになった」(4節)の意味は「罪の行為との死別」、つまり「罪の行為からの解放」としての「救い」です。
もしそうであれば、「新しい命に生きること」(4節)、あるいは「キリストの復活の姿にあやかること」(5節)は、罪の行為とは反対の「善い行為」を行うことにおいて積極的な生き方を意味しています。それが「罪に死に、キリストに生きること」の意味です。
教会で「善い行為」の話をすると「宗教は道徳ではない」と反論されることがありますが、パウロが書いているのは「善い行為」の勧めです。教会は犯罪計画を常に企て、それを実行に移す団体ではありません。
わたしたちは、たとえ聖書が人間の罪深い性質を教えているとしても、だからといって罪の行為に市民権を与えてはいけません。「わたしたち人間が罪を犯すのは当然である」とか「やむをえない」とか、そのようなことを聖書は教えていません。そんなばかげた話はないのです。
今こそ真剣に考えなければならないのは戦争の問題であると思います。私は昨日羽田空港から山口宇部空港まで飛行機で来ました。朝鮮半島との距離の近さを実感しました。とんでもないことがこれから始まるかもしれません。緊張が極度に高まっています。
このようなときに、教会が「人間が罪を犯すのはやむをえない、当然である、仕方ない」などと教えて、戦争による解決を当然視するようなことをしてはいけません。
わたしたちは、イエス・キリストの復活の姿にあやかります。罪深い性質は持ち続けていますが、罪の行為を断固拒否します。わたしたちは神の御心に従った信仰と希望と愛の道をめざします。この道をこれからも歩んでいこうではありませんか。
(2017年4月16日、日本基督教団下関教会イースター主日礼拝)
2017年4月9日日曜日
来週の予定
信仰が希望を支える(千葉若葉教会)
ローマの信徒への手紙4章18~22節
関口 康(日本基督教団教師)
「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、『あなたの子孫はこのようになる』と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。だからまた、それが彼の義と認められたわけです。」
千葉若葉教会で説教させていただくのは3月12日で終わりというお約束でしたが、もう少し続けてほしいという依頼を主任牧師の内山幸一先生からいただきました。それで戻ってきました。よろしくお願いいたします。
先ほどはローマの信徒への手紙4章18節から22節までの箇所を朗読していただきました。最初の「彼」は「信仰の父」と呼ばれるアブラハムです。アブラハムは、まだ「アブラム」と呼ばれていた頃、父テラが住む故郷ハランの地を離れ、妻サライ(後に「サラ」と改名)と甥ロトと共に、カナン地方に移住しました。
移住の理由は不明です。しかしハランが異教の地であったことと関係していると考えられています。アブラハムは真の神への信仰を求めて新しい地に移住しました。そして、そのアブラハムに主なる神が約束してくださったことがあります。
それは「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を高める」(創世記12章2節)という約束でした。この約束の意味は、アブラハムとサラに「天の星の数ほど多くの」子孫を与えるということでした(創世記15章5節)。
その約束をアブラハムは信じました。その「信仰」を主なる神が「彼の義と認め」ました(創世記15章6節)。ところが彼らに与えられた子どもはひとりでした。その名はイサクと名付けられました。そのときアブラハムは100歳、サラは90歳でした。主なる神の約束は「天の星の数ほど多くの」子孫を与えるということでしたが、現実に与えられたのはひとりでした。それはある意味で矛盾です。
もうひとつ、これもやはりある意味で矛盾であると言わざるをえないことがあります。それは神がアプラハムに最初に約束してくださったことに含まれていたもうひとつの点に関係しています。それは「あなたの子孫にこの土地を与える」(創世記12章7節)という約束でした。
「この土地」とはカナン地方全域を指しています。しかしアブラハムが最終的に自分の所有の土地として手に入れたのは、ひとつの小さな畑と洞窟でした。
それは、127年の生涯を終えた妻サラを葬るためにヘト人エフロンから銀400シェケルで購入したものです。「カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑」と記されています(創世記23章19節)。それはカナン地方全域とは比較にならない小さな土地でした。最初の約束と違うではないかと言おうと思えば言えなくありません。
子孫の数についての約束と、手に入れる土地についての約束とで共通しているのは、最初の約束の内容の大きさと比較すると結果的に彼らが現実に受け取ったものがあまりにも小さいものだった、ということになるでしょう。その差は歴然としています。
しかし、そのことについてアブラハムが神を批判した形跡はありません。「神は嘘つきだ」とか「神が騙した」とアブラハムが神を批判する言葉は見当たりません。しかしそのこと自体は重要な問題ではありません。
創世記に記されているのは、アブラハムという人は、神に対して言いたいことがあってもそれを決して口に出さなかった我慢強い人でした、その「我慢強さ」を神は「彼の義」と認めました、という話ではありません。
神がアブラハムに「あなたをこんなふうにしてあげる」「あなたにこれだけのものを与える」とうまい話をもちかけてきた。うまい話に乗せられたアブラハムが故郷を捨てて出てきたのに神は彼を裏切った。しかしアブラハムはどんなに裏切られても騙されても神を信じるのをやめませんでした、という話でもありません。そういう話のほうが面白い展開になるかもしれませんが。
それではどういう話なのでしょうか。そのことをお話ししたいと思って、ローマの信徒への手紙の今日の箇所を開いていただきました。
この箇所に記されているのは、神がそれを「彼の義」と認めてくださった「アブラハムの信仰」とはどのような性質のものだったかについてのパウロの解釈です。解釈だと申し上げる意味は、パウロが書いていることが創世記に明確に書かれているわけではないということです。明確に書かれていないことについてパウロが想像力を働かせて解釈しているのです。
さて、この箇所にパウロが書いているのは、次のようなことです。便宜的に三つに分けておきます。
第一に「アプラハムの信仰」は「希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じる」という性質のものだったということです。それは「希望」という(「信仰・希望・愛」と三者を区別して言うように)「信仰」とは区別される事柄との関係で理解されるべきものであるということです。説明は後でします。
第二に「アブラハムの信仰」とは「神の約束を信じる」という性質のものであったということです。そしてこの「神の約束」もやはり「希望」との関係の中で理解されるべきだと申し上げておきます。これも後で説明します。
第三に「アブラハムの信仰」とは「神は約束を実現させる力をお持ちである方であるということを確信する」という性質のものだったということです。これについても同じことを繰り返します。「約束」と、「約束が実現すること」(未来の現実)と、それを実現する「力」を神が持っていることを信じること(信仰)と、「希望」の四つは互いに区別されつつ不可分の関係にある、ということです。
以上の三つをまとめていえば要するに、アブラハムの「信仰」は「希望」という要素に結びついているということです。そのようにパウロが理解しているということです。そして、今日私が強調したいのは、いま申し上げた意味での「希望」との関係で理解されるべき「アブラハムの信仰」には時間的な次元が必ずある、ということです。
難しいことを言っているつもりはありません。当たり前のことを言っているつもりです。「希望」というかぎり、その実現には「時間がかかる」ということです。それは必ずご理解いただけることです。そして、もしそうであるなら、実現までに多くの時間がかかる「希望」との関係において理解されるべき「信仰」もまた、時間との関係を無視することはできないということです。
ここから先に申し上げることで、もしかしたら皆さんの心を少し傷つけてしまうかもしれません。しかし、私も例外ではありえないことですのでお許しください。私が申し上げたいのは、「大きな希望が実現するためにかかる時間はひとりの人の人生の長さよりも長い」ということです。小さな希望であれば、実現までに長い時間はかからないかもしれません。しかし、大きな希望が実現する頃には、最初にその希望を抱いた人は、地上にはもういない、ということです。
しかし、最初にその大きな希望を抱いた人もまた、たとえその人自身はその希望が実現する頃にはもはや生きていないとしても、自分になしうることをコツコツと忠実になすことが求められている、ということです。それが、アブラハムが抱いた意味での「信仰」です。
アブラハムにとって「希望」とは、ひとつの大きな国を築くことを意味していました。その大きな希望が実現するのは、アブラハムにとっては未来に属することでした。そのことは彼も分かっていたことです。私の目の黒いうちにすべてが必ず実現しなければならないなどとは考えていませんでした。独裁者タイプの人は、どんな暴力をしてでも、急進的な実現を目指すでしょう。しかし、アブラハムは違いました。
アブラハムにとって、ひとりのこどもが生まれることと、ひとつの畑を手に入れることは神の約束の実現に向けての確かな一歩でした。それ以上は彼に与えられませんでしたが、その確かな一歩からすべてが始まりました。だからこそ、アブラハムは「信仰の父」と呼ばれる存在になりました。
ですから、アブラハムが抱いた「希望」の意味は「未来待望」です。彼が待ち望んだのは時間的・歴史的な意味での「未来」です。そして、その意味での「希望」との関係で理解される「信仰」は、必ず時間的・歴史的な次元が関係しています。「希望」との関係で理解されるべき「信仰」は、無時間的なものではなく、時間の中で神の約束の実現を待ち望むことを意味しています。
少なくとも、自分の個人的欲望を満たすことが聖書の意味での「希望の実現」ではありません。しかし私は、自分の個人的な欲望を満たすことが悪いと言いたいのではありません。
たとえばわたしたちは、「あなたの希望は何でしょうか」と聞かれたらどう答えるでしょうか。子どもたちは、行きたい学校とか、なりたい職業を答えるのではないでしょうか。もう少し大人になれば、住みたい家とか、乗りたい車を答えるかもしれません。年配の人たちはどうでしょうか。葬儀をどうするか、お墓をどこにするかを答えるかもしれません。
それらのことを真剣に考えることが悪いわけではありません。しかし、わたしたちにとっての「希望」はそれだけでしょうか。あまりも個人的すぎないでしょうか。どうしてもっと「大きな希望」を持てないでしょうか。
しかしそこで、教会に通っている人は違うと、私は言いたいです。教会は、キリストの体であり、信者の集まりです。そのような、きわめて具体性ある存在としての「教会」の「未来」を「待望」することができるのですから。かつそのために「今」なすべきことをコツコツと続けていくという、具体的な「希望」を、教会に通っているわたしたちは実際に抱くことができます。
たとえば、教会の土地・建物を手に入れることには何十年もかかります。教会に人が集まるようになり、小さな教会が大きな教会になっていくことにも何十年もかかります。
小さい教会が大きくなれば、それがやがて村になり、町になり、市になり、県になり、国になっていくでしょうか。
そういう「希望」をわたしたちはなかなか抱くことはできません。あまりにも大げさすぎて、そういうことを真面目に考えることができません。しかし、「アブラハムの信仰」は、いわばそのような性質のものでした。
わたしたちは急ぎすぎのところがあります。すぐ結果が出なければ気が済まないところがあります。自分の目の黒いうちに自分の努力の結果を見たいと思ってしまうところがあります。
しかし、あえて乱暴な言い方をすれば、たかが自分の目の黒いうちに結果が見える程度のことなどは、「小さな希望」にすぎません。そんなのは大したことがありません。わたしたちは、もっと「大きな希望」を持とうではありませんか。
「未来待望」としての「希望」の行き先には、わたしたちはもういません。その覚悟は必要です。しかし、だからこそわたしたちには「信仰」が必要です。それは、わたしたちの未来に、わたしたちの信仰を受け継ぐ人々が必ず起こされることを信じる信仰です。
わたしたちに求められているのは、わたしたちが待ち望んでいる未来にはもはや自分自身はいなくても、未来に生きる人を信頼し、その人々にすべてを託すことです。
(2017年4月9日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)
関口 康(日本基督教団教師)
「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、『あなたの子孫はこのようになる』と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。だからまた、それが彼の義と認められたわけです。」
千葉若葉教会で説教させていただくのは3月12日で終わりというお約束でしたが、もう少し続けてほしいという依頼を主任牧師の内山幸一先生からいただきました。それで戻ってきました。よろしくお願いいたします。
先ほどはローマの信徒への手紙4章18節から22節までの箇所を朗読していただきました。最初の「彼」は「信仰の父」と呼ばれるアブラハムです。アブラハムは、まだ「アブラム」と呼ばれていた頃、父テラが住む故郷ハランの地を離れ、妻サライ(後に「サラ」と改名)と甥ロトと共に、カナン地方に移住しました。
移住の理由は不明です。しかしハランが異教の地であったことと関係していると考えられています。アブラハムは真の神への信仰を求めて新しい地に移住しました。そして、そのアブラハムに主なる神が約束してくださったことがあります。
それは「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を高める」(創世記12章2節)という約束でした。この約束の意味は、アブラハムとサラに「天の星の数ほど多くの」子孫を与えるということでした(創世記15章5節)。
その約束をアブラハムは信じました。その「信仰」を主なる神が「彼の義と認め」ました(創世記15章6節)。ところが彼らに与えられた子どもはひとりでした。その名はイサクと名付けられました。そのときアブラハムは100歳、サラは90歳でした。主なる神の約束は「天の星の数ほど多くの」子孫を与えるということでしたが、現実に与えられたのはひとりでした。それはある意味で矛盾です。
もうひとつ、これもやはりある意味で矛盾であると言わざるをえないことがあります。それは神がアプラハムに最初に約束してくださったことに含まれていたもうひとつの点に関係しています。それは「あなたの子孫にこの土地を与える」(創世記12章7節)という約束でした。
「この土地」とはカナン地方全域を指しています。しかしアブラハムが最終的に自分の所有の土地として手に入れたのは、ひとつの小さな畑と洞窟でした。
それは、127年の生涯を終えた妻サラを葬るためにヘト人エフロンから銀400シェケルで購入したものです。「カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑」と記されています(創世記23章19節)。それはカナン地方全域とは比較にならない小さな土地でした。最初の約束と違うではないかと言おうと思えば言えなくありません。
子孫の数についての約束と、手に入れる土地についての約束とで共通しているのは、最初の約束の内容の大きさと比較すると結果的に彼らが現実に受け取ったものがあまりにも小さいものだった、ということになるでしょう。その差は歴然としています。
しかし、そのことについてアブラハムが神を批判した形跡はありません。「神は嘘つきだ」とか「神が騙した」とアブラハムが神を批判する言葉は見当たりません。しかしそのこと自体は重要な問題ではありません。
創世記に記されているのは、アブラハムという人は、神に対して言いたいことがあってもそれを決して口に出さなかった我慢強い人でした、その「我慢強さ」を神は「彼の義」と認めました、という話ではありません。
神がアブラハムに「あなたをこんなふうにしてあげる」「あなたにこれだけのものを与える」とうまい話をもちかけてきた。うまい話に乗せられたアブラハムが故郷を捨てて出てきたのに神は彼を裏切った。しかしアブラハムはどんなに裏切られても騙されても神を信じるのをやめませんでした、という話でもありません。そういう話のほうが面白い展開になるかもしれませんが。
それではどういう話なのでしょうか。そのことをお話ししたいと思って、ローマの信徒への手紙の今日の箇所を開いていただきました。
この箇所に記されているのは、神がそれを「彼の義」と認めてくださった「アブラハムの信仰」とはどのような性質のものだったかについてのパウロの解釈です。解釈だと申し上げる意味は、パウロが書いていることが創世記に明確に書かれているわけではないということです。明確に書かれていないことについてパウロが想像力を働かせて解釈しているのです。
さて、この箇所にパウロが書いているのは、次のようなことです。便宜的に三つに分けておきます。
第一に「アプラハムの信仰」は「希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じる」という性質のものだったということです。それは「希望」という(「信仰・希望・愛」と三者を区別して言うように)「信仰」とは区別される事柄との関係で理解されるべきものであるということです。説明は後でします。
第二に「アブラハムの信仰」とは「神の約束を信じる」という性質のものであったということです。そしてこの「神の約束」もやはり「希望」との関係の中で理解されるべきだと申し上げておきます。これも後で説明します。
第三に「アブラハムの信仰」とは「神は約束を実現させる力をお持ちである方であるということを確信する」という性質のものだったということです。これについても同じことを繰り返します。「約束」と、「約束が実現すること」(未来の現実)と、それを実現する「力」を神が持っていることを信じること(信仰)と、「希望」の四つは互いに区別されつつ不可分の関係にある、ということです。
以上の三つをまとめていえば要するに、アブラハムの「信仰」は「希望」という要素に結びついているということです。そのようにパウロが理解しているということです。そして、今日私が強調したいのは、いま申し上げた意味での「希望」との関係で理解されるべき「アブラハムの信仰」には時間的な次元が必ずある、ということです。
難しいことを言っているつもりはありません。当たり前のことを言っているつもりです。「希望」というかぎり、その実現には「時間がかかる」ということです。それは必ずご理解いただけることです。そして、もしそうであるなら、実現までに多くの時間がかかる「希望」との関係において理解されるべき「信仰」もまた、時間との関係を無視することはできないということです。
ここから先に申し上げることで、もしかしたら皆さんの心を少し傷つけてしまうかもしれません。しかし、私も例外ではありえないことですのでお許しください。私が申し上げたいのは、「大きな希望が実現するためにかかる時間はひとりの人の人生の長さよりも長い」ということです。小さな希望であれば、実現までに長い時間はかからないかもしれません。しかし、大きな希望が実現する頃には、最初にその希望を抱いた人は、地上にはもういない、ということです。
しかし、最初にその大きな希望を抱いた人もまた、たとえその人自身はその希望が実現する頃にはもはや生きていないとしても、自分になしうることをコツコツと忠実になすことが求められている、ということです。それが、アブラハムが抱いた意味での「信仰」です。
アブラハムにとって「希望」とは、ひとつの大きな国を築くことを意味していました。その大きな希望が実現するのは、アブラハムにとっては未来に属することでした。そのことは彼も分かっていたことです。私の目の黒いうちにすべてが必ず実現しなければならないなどとは考えていませんでした。独裁者タイプの人は、どんな暴力をしてでも、急進的な実現を目指すでしょう。しかし、アブラハムは違いました。
アブラハムにとって、ひとりのこどもが生まれることと、ひとつの畑を手に入れることは神の約束の実現に向けての確かな一歩でした。それ以上は彼に与えられませんでしたが、その確かな一歩からすべてが始まりました。だからこそ、アブラハムは「信仰の父」と呼ばれる存在になりました。
ですから、アブラハムが抱いた「希望」の意味は「未来待望」です。彼が待ち望んだのは時間的・歴史的な意味での「未来」です。そして、その意味での「希望」との関係で理解される「信仰」は、必ず時間的・歴史的な次元が関係しています。「希望」との関係で理解されるべき「信仰」は、無時間的なものではなく、時間の中で神の約束の実現を待ち望むことを意味しています。
少なくとも、自分の個人的欲望を満たすことが聖書の意味での「希望の実現」ではありません。しかし私は、自分の個人的な欲望を満たすことが悪いと言いたいのではありません。
たとえばわたしたちは、「あなたの希望は何でしょうか」と聞かれたらどう答えるでしょうか。子どもたちは、行きたい学校とか、なりたい職業を答えるのではないでしょうか。もう少し大人になれば、住みたい家とか、乗りたい車を答えるかもしれません。年配の人たちはどうでしょうか。葬儀をどうするか、お墓をどこにするかを答えるかもしれません。
それらのことを真剣に考えることが悪いわけではありません。しかし、わたしたちにとっての「希望」はそれだけでしょうか。あまりも個人的すぎないでしょうか。どうしてもっと「大きな希望」を持てないでしょうか。
しかしそこで、教会に通っている人は違うと、私は言いたいです。教会は、キリストの体であり、信者の集まりです。そのような、きわめて具体性ある存在としての「教会」の「未来」を「待望」することができるのですから。かつそのために「今」なすべきことをコツコツと続けていくという、具体的な「希望」を、教会に通っているわたしたちは実際に抱くことができます。
たとえば、教会の土地・建物を手に入れることには何十年もかかります。教会に人が集まるようになり、小さな教会が大きな教会になっていくことにも何十年もかかります。
小さい教会が大きくなれば、それがやがて村になり、町になり、市になり、県になり、国になっていくでしょうか。
そういう「希望」をわたしたちはなかなか抱くことはできません。あまりにも大げさすぎて、そういうことを真面目に考えることができません。しかし、「アブラハムの信仰」は、いわばそのような性質のものでした。
わたしたちは急ぎすぎのところがあります。すぐ結果が出なければ気が済まないところがあります。自分の目の黒いうちに自分の努力の結果を見たいと思ってしまうところがあります。
しかし、あえて乱暴な言い方をすれば、たかが自分の目の黒いうちに結果が見える程度のことなどは、「小さな希望」にすぎません。そんなのは大したことがありません。わたしたちは、もっと「大きな希望」を持とうではありませんか。
「未来待望」としての「希望」の行き先には、わたしたちはもういません。その覚悟は必要です。しかし、だからこそわたしたちには「信仰」が必要です。それは、わたしたちの未来に、わたしたちの信仰を受け継ぐ人々が必ず起こされることを信じる信仰です。
わたしたちに求められているのは、わたしたちが待ち望んでいる未来にはもはや自分自身はいなくても、未来に生きる人を信頼し、その人々にすべてを託すことです。
(2017年4月9日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)
2017年4月8日土曜日
レリゴー神学の限界
ヘンドリクス・ベルコフ『確かなる希望』日本語版(1971年) |
「新約聖書の未来待望を現代的実存論的に解釈したブルトマン神学は、特に1950年代から60年代にかけて多くの人々を魅了したが、現在ではそれはかなり衰退した。その理由は少なくとも二つある。
その一つは、時間的要素や発展的発想というものは、(ブルトマンのいうような)単に神話的表現だけでなく、事柄の本質に属していて、決して聖書の未来待望から除去することはできない、ということである。
第二の理由は次のようにいうことができる。即ち、ブルトマンの提題は戦後間もなく戦争の衝撃(ショック)がまだ強烈に残っていた時には人々に訴える力をもっていたが、地上的世界から逃避した実存主義はやがて修正を迫られ、真の自由と平等と兄弟愛を求めて戦う理想主義に道をゆずらねばならなかった、ということである。」
ヘンドリクス・ベルコフ『確かなる希望』藤本治祥訳、日本基督教団出版局、1971年(原著1969年)、11頁。
この批判は当たっている。
乱暴な言い方ではあるが「聖書を非神話化したうえで実存主義でレリゴーを語る神学」というのは、どれほど批判的学術的体裁をとっていようと、最終的にはお行儀よく飼いならされてしまうだけだ。
逃避しているだけで、参加していないし、戦っていない。
正体は1970年代には暴かれていたというわけだ。
2017年4月6日木曜日
所信
各位
私が日本基督教団に戻った理由は思想信条の問題ではありません。教師転入試験の論文に私が明記したのは「教団のシステムでは教師に戒規を適用するのは不可能だと確信したので教師に戒規を適用しうる教派に移った。しかし戒規執行の事実を知り、私の考えが間違っていたことを悟った」ということでした。
1997年1月から2015年12月までの19年間も日本基督教団の外にいた人間に、教団内で執行された戒規の意味などは全く分かりませんでしたし、いまだに分かりません。これからも分からないと思います。裁判が行われているようですが、なぜ裁判になっているのか、その意味を理解できていません。
教団転入試験の面接で教師検定委員会の全員から転入(実質「復帰」)の理由を問われました。私が答えたのは「日本キリスト改革派教会のどの教会からも招聘していただけません。それで教団に戻ることにしました。いけませんか」ということでした。それで皆さんお黙りになりました。理由はそれだけです。
私は高校からストレートで東京神学大学に入学した人間ですので、専門職としての職業の根拠となる学位や資格を考えれば、牧師以外の仕事をするとしたら、無資格・未経験のパート労働がかろうじて可能なだけです。その道を選ぶよりも、責任的に働きうる牧師の職を求めているというのが正直なところです。
「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を諸教会がどのように扱っておられるかを判断する材料は、今の私にはありません。お約束できるのは、たとえ牧師が交代したからといって、各個教会が長年続けてこられたことをただちに変更するような愚かなことを私はしない、ということです。
たとえば聖書朗読や献金の順序など礼拝順序のほんの一箇所を変更するだけでも、それを牧師の一存でするようなことは、私はいまだかつてしたことがありませんし、これからもしません。それは長老主義の原則に著しく反します。長老主義だけでなく、会議制に基づくすべてのキリスト教会の原則に反します。
多くの方々からほぼ一様に、「あなたが日本基督教団の教会に牧師として復職する際には、なぜ教団を辞めたのか、なぜ戻ってきたのかを問われることになるだろう」と言われてきました。その問いに対する明確な答えを私はいまだに持っていません。唯一私に語ることができるのは「地方伝道」との関係です。
大都市圏在住者は自分の思想信条によって教会を選ぶことができますが、地方在住者にはできません。「改革派教会」の教師になって分かったのは、大都市圏の「改革派教会」で受洗した人が転勤等で地方に転居すると、最寄りの教会が属する他教団へ転出するか、「教会生活をやめる」かするということです。
後者の場合はとても残念な結果であると私は認識します。しかし単なる私の当て推量ではなく事実です。複数の実例を知っています。これこそが教派主義の持つ致命的な欠点であるということを、私は「日本キリスト改革派教会」の教師としての19年間の生活において知りました。身にしみて分かりました。
また現実問題として、約70年前に純粋な教派主義を標榜して日本基督教団を離脱した教団・教派といえど、勢いづいていた初期の頃はともかく、70年後の今でも純粋な教派主義を内実において維持しえている教会は少なく、多くの教会は日本基督教団など他の教団・教派の出身者で占められ、混合状態です。
現時点ではこれですべてです。私が表明しうる「日本基督教団に戻った理由」は「地方伝道を引き続き継続推進するためには教派主義では限界がある。合同教会が必要である」という結論に至った、ということです。これはポジティヴな理由ではないでしょうか。ご評価いただきたくよろしくお願いいたします。
2017年4月6日
日本基督教団教師 関口 康
2017年4月5日水曜日
「小さい教会」という言い方についての小さな苦言
本文とは関係ありません |
挙句の果てに、礼拝の中でのお祈りで「この小さい教会を」とか「この少ない礼拝を」とか言い出したり。その場で家に帰りたくなる。逆に、数十年単位でその教会にいた方々が「小さくなった」とか「少なくなった」とかおっしゃるのも聞いていて胸も頭も痛くなる。なぜわざわざ言わなきゃ気が済まないの?
ものの考え方のクセのようになってしまっていて、ご自分たちでも無自覚なのかもしれない。こういうことを書くのも、批判というより「気づいてくださいよ」と言いたい気持ち。謙遜のつもりかもしれないというのは分かる。でも、だから前記の意味の「外から来た人たち」がそれを言うのが気になるわけだ。
ひとつの教会に長くいれば、それはもういろいろある。四分五裂もある。それでも教会に踏みとどまってきた人たちの前で、そのいろいろに居合わせたわけでもないという意味で何も知らない「外から来た人たち」が、現象面だけを見て「小さい教会」「少ない教会」と、よく口にできると、呆れる思いになる。
教会の規模が持つ意味は、初めての方には敏感に分かることだとは思う。あまりいろいろ構われたくなくて、そっと行ってそっと帰りたい方々にとっては「その他大勢」の扱いをしてもらえそうな規模の教会の中に紛れ込みたいだろうし、会話やふれあいを求めたい方々は規模が小さいほうがありがたいだろう。
でも、初めての方にちょっとだけ分かってもらいたいのは、「小さい教会」「少ない教会」は、初めから小さくあろうとしたわけではないし、「成長したい」という願いを全く持っていないわけではないということだ。「小さい教会」「少ない教会」と言われると、教会の人は、少なからずがっかりするものだ。
今書いていることは、初めての方や、最近通いはじめた方々や、赴任したばかりの牧師は、古くからの教会員を斟酌すべきだとか忖度すべきだとか言いたいのではない。小さい教会を見ると「小さい」と言うのは、太った人を見ると「太っている」と見たままを言うのと似ているのではないかと言いたいだけだ。
サイボーグ009に惹かれる理由
マウスだけで描くのは難しいです |
サイボーグについての詳しい知識などは私には全くないが、このマンガにおける「サイボーグ」とは、現在すでに実用化されている義手義足や体内に入れる人工部品がもっともっと極まった状態を指していると思われる。当然のことながら元々は人間であり、かつ「人間性」を失うことはないのがサイボーグだ。
最終的に残る人間性の根拠は、おそらく「脳」だ。脳まで入れ替えてしまえばロボットと呼ばざるをえない。私がそのようにとらえているということでなく、そういう存在としてサイボーグを石ノ森先生が描いておられる。少なくとも私にはそう読める。異説があるなら尊重する。論争に巻き込まれたくはない。
この件に関してはわりと最近書いたような気がするが、私が『サイボーグ009』というこのマンガに惹かれるのは、登場人物がかっこいいとか内容が面白いとか、そういう要素が無いわけではないが、それ以上に「それでは人間とは何なのか」という問いを、読むたびに突きつけられ、考えさせられるからだ。
どの部分まで残れば「人間」と言えるのか。どの部分からは人工の代替品に置き換えてもギリギリ「生きている」と言えるのか。全部残るのがいちばんいいに決まっているだろう。しかし加齢や病気や事故などで失ってしまう身体のパーツや能力は現実にある。あそこは動かなくなった、ここは無くなった、と。
それでも絶望しないで「人間として生きている」と喜びをもって実感できる状態はどこまでかを考えさせられてきた。他にも同じようなテーマのマンガがあるのかもしれないが、私は『サイボーグ009』しか知らないし、これ以上知りたいとは思わない。マンガそのものは何年か前からほとんど読んでいない。
お絵描きの練習をしているだけです |
2017年4月4日火曜日
遅れをとりました
新訂版『ファン・ルーラー著作集』(画像は第4巻まで) |
出版元サイトで公開されている情報は限られたことだけで新訂版『ファン・ルーラー著作集』第6巻(2分冊)の発売日がいつだったのかさえよく分からない。しかし、それは問題でない。このシリーズは全巻購入を予約し、新刊発売と同時に送ってもらってきた。これから届くのか。たぶん届かない気がする。
というわけで、昨夜さっそく出版社宛てにメールを送った。私は全巻購入予約をしている者だ。第6巻(2分冊)がすでに出版されているようだが、うちにまだ届いていないぞ、どうしたんだと、ややキレ気味に。返事はまだない。腹を立てているわけではない。ファン・ルーラーの文章を早く読みたいだけだ。
私はファン・ルーラーの研究を個人的趣味でしてきたつもりはない。日本の神学者の中に、自分たちがよく知らないことに取り組んでいる人間をマニア呼ばわりしたり距離をとって冷笑したりするのがいる。たまに、話を聞いてやろうかと近づいてきて、内容を知るや激怒して「ナイン!」と言いだすのもいる。
でも、もう私には怖いと思う相手はいない。ファン・ルーラーが70年前から警鐘を鳴らし続けた事柄が今日まさに形をなしている。と書くと「それは何かを我々に分かるように短く説明してみろ」だの教師然としたのが問いかけてきそうだが、自分で調べろよ。答えだけ聞いてお茶を濁そうなんて甘いよ。ね?
やや脱線してしまったが、新訂版『ファン・ルーラー書作集』第6巻(2分冊)がすでに刊行されているという出版元サイトの情報に接して昨夜は激しく動揺し、遅れをとってしまっていたことを深く反省し、焦っている。研究者の端くれとしてこれ以上恥ずかしいことはない。早く来い来いファン・ルーラー。
2017年4月3日月曜日
勉強しなくちゃ
今書きました |
でも、それは私にとっては絶対良くないことなので、せめてなんとか勉強のモチベーションを取り戻すことが私の人間性回復にとっての先決問題だと思う。何を大げさな言い方をと思われるかもしれないが、これでもけっこうプライドズタズタ状態だったりする。要らぬプライドなんか棄てるほうがいいのだが。
何度となく書いてきたが、今から20年くらい前からの10年間くらい、私の勉強時間といえば、家族が寝静まった深夜だった。牧師としての限界を感じたとき、落ち込んでいるとき、神学を学ぶことで私の矜持を回復させてもらえるものがあった。私の知識は広くないが、狭く深く入っていけるところがある。
とか何とか書いていると、「おいそこの人、ネットなんかやめて本を読め、論文を書け」と言われかねないので、今これを書きながら半分以上は逃げ腰状態だ。しかしだ。勉強によって矜持が回復され、その矜持が勉強のモチベーションを生み出すという場合、勉強が先なのか、それとも矜持の回復が先なのか。
パソコン切替器を購入しました
パソコン切替器(前方左)、無線LANルーター(前方右) |
でも、机の上にキーボードが二つあるのは、場所取りすぎでめちゃくちゃ邪魔だ。ポンとボタンを押すとか、パタンとレバーを倒すとかで、複数PCのどれかのキーボードに早変わりする切替スイッチャーのようなものは売ってないのか。あると便利な気がするが。たぶんどこかにあるんだろうなと探してみたら、あった。
さて、出かけるか。今日は特に出かける用事はないと思っていたが、用事ができた。自分で用事をうみだすプロかも。おお、まだまだいろいろやることあるぞ。生きるとは自分で用事をうみだすことである、だな。そういうのを自作自演というのではないか。あれ、前に言ってたのとおんなじこと言ってるぞ。
2台のパソコンを1つのキーボードとマウスで操作できるパソコン切替器(前方左)を購入。将来性を考えて全部で4台のパソコンをつなげるのを選ぶ。隣(前方右)は無線LANルーター。光ファイバーをパソコン2台に分岐。2台のパソコンは「職場用」と「自宅用」だが、しばらくは2台とも「自宅用」。
家族それぞれ今日から新年度の仕事や学校。私は5時起き。朝からゴミ出し、掃除、洗濯、物干し、皿洗い。その後出かけ、パソコンショップでパソコン切替器購入。お昼は松屋で焼肉定食。郵便局にも行った。帰宅後は切替器のセッティング。その後は今朝届いたメールにどう返事すべきかずっと考えている。
インターネットを考案した人もすごいと思うけど、USB(ユニバーサルシリアルバス)を考案した人も、すごさでは負けていないと思う。USBは偉大だ。なんでもかんでもサクサクつなげる。やれプラグ形状が違うからこのパーツはつなげないだなんだ、いちいちぎゃあぎゃあ騒いでいた時代の比ではない。
おっと、いきなりカミナリが鳴り出した。ピカッ、ドガーンて、近いし。まあずっと前からサージ対策はしているのでパソコンに影響はないと信じたいけど。対策してなかった頃(うかつでした)、プリンターを何台壊されたことか。カミナリの野郎め、弁償しろ(逆うらみ)。
まあでも、パソコンパソコン言っても私が使うのはブラウザで調べもの、メール、ブログ、SNS、訪問先の地図調べ、ユーチューブ、アマゾン、ヤフオクくらい。たまにスカイプ。あとはワープロ、表計算、プレゼンくらい。絵は描かないし、作曲しないし、ゲームしない。レーダー制御とかもするわけない。
今日購入したパソコン切替器であるが、これが非常に便利な道具であったことを実感している。私が選んだのはキーボードのホットキー操作で切替可能なタイプ。すべての作業をキーボード上でできるので、手の動きが少なくて済む。パソコンは全部で4台つながるが、そんなに増やす予定は今のところない。
2017年4月2日日曜日
福音を宣べ伝える喜びに生きる(上総大原教会)
コリントの信徒への手紙一9章19~23節
関口 康(日本基督教団教師)
「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも得るためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」
上総大原教会の皆さま、おはようございます。この教会で再び説教をさせていただきます。前回は今年の新年礼拝でした。今日もどうかよろしくお願いいたします。
私は一昨日3月31日付けで高等学校を退職しました。1年間の約束で引き受けた代用教員の仕事でした。次の職場はまだ決まっていません。今の私は日本基督教団の無任所教師です。ありていに言えば無職です。明後日4月4日に元職場から離職票を受け取り、その足でハローワークに行き、失業手当の受給手続きをします。その後はひたすら就職活動です。
しかし、ご心配には及びません。神が何とかしてくださるでしょう。これまでの私の歩みを支えてくださったように、これからも支えてくださるでしょう。そのような信仰が無い者に、どうして牧師が務まるでしょう。どうして伝道の仕事が務まるでしょう。
先ほど朗読したのはコリントの信徒への手紙一9章19節から23節までです。その箇所を含む9章全体に、伝道者パウロの生活苦の様子が、まさにありていに告白されています。たとえば次のように記されています。
「わたしを批判する人たちには、こう弁明します。わたしたちには、食べたり、飲んだりする権利が全くないのですか。わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか。あるいは、わたしとバルナバだけには、生活の資を得るための仕事をしなくてもよいという権利がないのですか。そもそも、いったいだれが自費で戦争に行きますか。ぶどう畑を作って、その実を食べない者がいますか。羊の群れを飼って、その乳を飲まない者がいますか。わたしがこう言うのは、人間の思いからでしょうか。律法も言っているではないですか」(3~8節)。
「わたしを批判する人たち」とは、教会の外から教会を批判する人々のことではありません。教会の内部の人々です。教会に通うキリスト者たちです。
それで分かるのは、パウロが教会からサポートを求めようとすると教会内部の人々からなんだかんだと批判されていたということです。やむをえずアルバイトで食いつなぎ、ほぼ自費で生活しながら福音を宣べ伝える仕事を続け、食べるにも飲むにも困るほどの生活苦を味わっていた、ということです。
「いったいだれが自費で戦争に行きますか」(7節)と記されています。しかし、そのすぐ後に「わたしたちはこの権利を用いませんでした」(12節)とも記されています。その意味は「私は自費で伝道している」ということです。生活のサポートを十分にしてくれない教会への批判や愚痴にも読めます。
「信者である妻を連れて歩く権利がないのですか」(5節)と記されています。この言葉を根拠にして、パウロには妻がいたが、その妻を置いていわば単身赴任の形で伝道していたのだという理解が古くからあります。
どれくらい古いかと言えば、西暦3世紀から4世紀にかけて活躍したギリシア教父カエサリアのエウセビオス(263年頃~339年)が、主著『教会史』の中に、西暦2世紀から3世紀にかけて活躍したギリシア教父アレクサンドリアのクレメンス(150年?~215年?)の言葉を引用する形で言及しています(エウセビオス『教会史Ⅰ』秦剛平訳、山本書店、1986年、182頁)。
単身赴任のどこが生活苦なのだろうかと疑問に思う方がおられるかもしれません。分からない方には分からないかもしれませんが、分かる方には分かると思います。なぜそうなのかを詳しく申し上げることは差し控えますが。
パウロが本当に結婚していたのか、本当にいわゆる単身赴任だったのかについては今日のこの箇所以外に根拠はないので確たることは言えません。
しかしこの箇所を読むかぎり、仮にパウロが単身赴任であったことが事実だったとしても、伝道旅行の最中もずっと妻のことが気がかりだったに違いないことが分かります。生活のことも妻のことも全く眼中になく、「そんなことなどどうでもいい」と言わんばかりの態度で伝道していたわけではないのです。そんな冷たい人間ではなかったのです。
口の悪い人はこのようなパウロの姿を指して「生活破綻者」だとか言い出すので、私は全く閉口してしまいます。そういう言葉を聴くと腹が立って腹が立って仕方がありません。私の腹が立つかどうかなどはどうでもよいことです。ある意味での客観的な観方をすれば確かにそうかもしれません。でも、それを私の前で言うなよ、と思います。
伝道者をばかにするなと言いたくなります。同時に教会をばかにするなと言いたくなります。パウロにとっては教会のサポートの少なさが不満だったかもしれません。しかし教会は教会で、できるかぎり精一杯のサポートをしていたはずです。そのこともパウロは分かっていたはずです。そういうことも分からずに一方的に文句を言っているわけではないのです。
「生活破綻者」だとか言わないでほしいと私は心から願いますが、パウロがなるほど確かに「生活破綻者」のようであったのは、伝道のためでした。福音を宣べ伝えるためでした。そして「できるだけ多くの人を得るため」(19節)でした。
どうしてそういうことになるのかは、説明の必要があるでしょう。パウロが書いているのは、伝道者である自分はユダヤ人を得るためにユダヤ人のようになり、律法に支配されている人を得るために律法に支配されている人のようになり、律法を持たない人を得るために律法を持たない人のようになり、弱い人を得るために弱い人のようになった、ということです。
パウロが言っているのは、単純に言えば、伝道したいと願っている相手に自分を「合わせる」ことです。心にもないことなのに、調子を合わせ、相手のご機嫌をとればよいという話ではありません。そんなことをすれば、すぐに魂胆を見抜かれるでしょう。かえって信頼を失うだけです。
ですから、むしろ伝道者がしなければならないのは、本気で相手に合わせることです。「何」を本気で合わせるのかといえば、語弊を恐れながらいえば、生活の「サイズ」です。あるいは、生活の「スタイル」です。そうとしか言いようがありません。
そうすることがなぜ相手を得ることになるのでしょうか。これもごく単純に言ってしまえば、そうしないかぎり伝道者が福音を宣べ伝えようとしているその相手が本当の意味で「心を開く」ことはありえないからです。
ここから先はパウロが書いていることではなく、私自身の想像の要素や読み込みの要素があることを否定しないでおきます。しかし、全くのでたらめではないつもりです。
人が福音に対してどうしたら心を開くのかという問題は、人間の心の奥底に潜む「闇」と関係があると思います。その闇とは、具体的に言えば嫉妬心です。そして、その逆の軽蔑心です。自分と他人を常に相対評価の中だけに置き続け、互いに格付けし合うことしか考えない、その発想そのものです。
嫉妬心の問題を考えるときに参考になるのは、現代のインターネットのソーシャルネットワークサービスです。そういうのにかかわることを嫌がる人がいます。その理由としてしばしば挙がるのは、ソーシャルネットワークサービスに自分の自慢話しか書かない人が多いので、そういうのを見るのが嫌だ、ということです。
「海外旅行に行きました」、「高級なレストランで食事しました」、「有名な大学に合格しました」、「結婚しました」、「子どもが生まれました」と、他人の幸せそうな話題が並ぶ。そういうのを見て一緒に喜んであげる人は少なく、不愉快に思う人が多い、ということです。
軽蔑心も、人の心の奥底に潜む深い闇です。自分より能力や知識の面で劣っていると見るや否や、その相手を徹底的に見下げ、さげすみ、おとしめる。
そういうことが日常茶飯事になっている社会や会社の中に、わたしたちは生きています。人の心の奥底に潜む闇は、すべての人が持っています。私の中にもあります。自分ではどうすることもできないまま、抱え持っています。
問題は、だからどうするのか、です。パウロが出した答えは「福音のためなら、わたしはどんなことでもします」(23節)ということです。それは「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになる」ということです。
つまりそれは、福音を宣べ伝えたいと願っている相手の生活の「サイズ」や「スタイル」に自分を合わせることです。それは、相手より上にも下にも立たないということです。相手と同じになることです。
しかし、相手に合わせようとすると、ほとんどの場合、今よりも「生活条件が悪化する」ことや「貧しくなる」ことが多いです。それが伝道の現実です。それを恐れて、どうして伝道ができるでしょう。どうして牧師が務まるでしょう。パウロが読者に問いかけているのはこのようなことだと思います。
わたしたちに求められているのは、福音を宣べ伝えることは「喜び」であると強く確信しつつ、そのような者として「生きる」ことです。
この最後の「生きる」には強調があります。「ふりをする」ことではありません。心にもないのに相手に調子を合わせてあげるというようなことではありません。本気でそうするのです。具体的にそこに身を置くのです。そうしないかぎり伝道は不可能です。
(2017年4月2日、日本基督教団上総大原教会 主日礼拝)
関口 康(日本基督教団教師)
「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも得るためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」
上総大原教会の皆さま、おはようございます。この教会で再び説教をさせていただきます。前回は今年の新年礼拝でした。今日もどうかよろしくお願いいたします。
私は一昨日3月31日付けで高等学校を退職しました。1年間の約束で引き受けた代用教員の仕事でした。次の職場はまだ決まっていません。今の私は日本基督教団の無任所教師です。ありていに言えば無職です。明後日4月4日に元職場から離職票を受け取り、その足でハローワークに行き、失業手当の受給手続きをします。その後はひたすら就職活動です。
しかし、ご心配には及びません。神が何とかしてくださるでしょう。これまでの私の歩みを支えてくださったように、これからも支えてくださるでしょう。そのような信仰が無い者に、どうして牧師が務まるでしょう。どうして伝道の仕事が務まるでしょう。
先ほど朗読したのはコリントの信徒への手紙一9章19節から23節までです。その箇所を含む9章全体に、伝道者パウロの生活苦の様子が、まさにありていに告白されています。たとえば次のように記されています。
「わたしを批判する人たちには、こう弁明します。わたしたちには、食べたり、飲んだりする権利が全くないのですか。わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか。あるいは、わたしとバルナバだけには、生活の資を得るための仕事をしなくてもよいという権利がないのですか。そもそも、いったいだれが自費で戦争に行きますか。ぶどう畑を作って、その実を食べない者がいますか。羊の群れを飼って、その乳を飲まない者がいますか。わたしがこう言うのは、人間の思いからでしょうか。律法も言っているではないですか」(3~8節)。
「わたしを批判する人たち」とは、教会の外から教会を批判する人々のことではありません。教会の内部の人々です。教会に通うキリスト者たちです。
それで分かるのは、パウロが教会からサポートを求めようとすると教会内部の人々からなんだかんだと批判されていたということです。やむをえずアルバイトで食いつなぎ、ほぼ自費で生活しながら福音を宣べ伝える仕事を続け、食べるにも飲むにも困るほどの生活苦を味わっていた、ということです。
「いったいだれが自費で戦争に行きますか」(7節)と記されています。しかし、そのすぐ後に「わたしたちはこの権利を用いませんでした」(12節)とも記されています。その意味は「私は自費で伝道している」ということです。生活のサポートを十分にしてくれない教会への批判や愚痴にも読めます。
「信者である妻を連れて歩く権利がないのですか」(5節)と記されています。この言葉を根拠にして、パウロには妻がいたが、その妻を置いていわば単身赴任の形で伝道していたのだという理解が古くからあります。
どれくらい古いかと言えば、西暦3世紀から4世紀にかけて活躍したギリシア教父カエサリアのエウセビオス(263年頃~339年)が、主著『教会史』の中に、西暦2世紀から3世紀にかけて活躍したギリシア教父アレクサンドリアのクレメンス(150年?~215年?)の言葉を引用する形で言及しています(エウセビオス『教会史Ⅰ』秦剛平訳、山本書店、1986年、182頁)。
単身赴任のどこが生活苦なのだろうかと疑問に思う方がおられるかもしれません。分からない方には分からないかもしれませんが、分かる方には分かると思います。なぜそうなのかを詳しく申し上げることは差し控えますが。
パウロが本当に結婚していたのか、本当にいわゆる単身赴任だったのかについては今日のこの箇所以外に根拠はないので確たることは言えません。
しかしこの箇所を読むかぎり、仮にパウロが単身赴任であったことが事実だったとしても、伝道旅行の最中もずっと妻のことが気がかりだったに違いないことが分かります。生活のことも妻のことも全く眼中になく、「そんなことなどどうでもいい」と言わんばかりの態度で伝道していたわけではないのです。そんな冷たい人間ではなかったのです。
口の悪い人はこのようなパウロの姿を指して「生活破綻者」だとか言い出すので、私は全く閉口してしまいます。そういう言葉を聴くと腹が立って腹が立って仕方がありません。私の腹が立つかどうかなどはどうでもよいことです。ある意味での客観的な観方をすれば確かにそうかもしれません。でも、それを私の前で言うなよ、と思います。
伝道者をばかにするなと言いたくなります。同時に教会をばかにするなと言いたくなります。パウロにとっては教会のサポートの少なさが不満だったかもしれません。しかし教会は教会で、できるかぎり精一杯のサポートをしていたはずです。そのこともパウロは分かっていたはずです。そういうことも分からずに一方的に文句を言っているわけではないのです。
「生活破綻者」だとか言わないでほしいと私は心から願いますが、パウロがなるほど確かに「生活破綻者」のようであったのは、伝道のためでした。福音を宣べ伝えるためでした。そして「できるだけ多くの人を得るため」(19節)でした。
どうしてそういうことになるのかは、説明の必要があるでしょう。パウロが書いているのは、伝道者である自分はユダヤ人を得るためにユダヤ人のようになり、律法に支配されている人を得るために律法に支配されている人のようになり、律法を持たない人を得るために律法を持たない人のようになり、弱い人を得るために弱い人のようになった、ということです。
パウロが言っているのは、単純に言えば、伝道したいと願っている相手に自分を「合わせる」ことです。心にもないことなのに、調子を合わせ、相手のご機嫌をとればよいという話ではありません。そんなことをすれば、すぐに魂胆を見抜かれるでしょう。かえって信頼を失うだけです。
ですから、むしろ伝道者がしなければならないのは、本気で相手に合わせることです。「何」を本気で合わせるのかといえば、語弊を恐れながらいえば、生活の「サイズ」です。あるいは、生活の「スタイル」です。そうとしか言いようがありません。
そうすることがなぜ相手を得ることになるのでしょうか。これもごく単純に言ってしまえば、そうしないかぎり伝道者が福音を宣べ伝えようとしているその相手が本当の意味で「心を開く」ことはありえないからです。
ここから先はパウロが書いていることではなく、私自身の想像の要素や読み込みの要素があることを否定しないでおきます。しかし、全くのでたらめではないつもりです。
人が福音に対してどうしたら心を開くのかという問題は、人間の心の奥底に潜む「闇」と関係があると思います。その闇とは、具体的に言えば嫉妬心です。そして、その逆の軽蔑心です。自分と他人を常に相対評価の中だけに置き続け、互いに格付けし合うことしか考えない、その発想そのものです。
嫉妬心の問題を考えるときに参考になるのは、現代のインターネットのソーシャルネットワークサービスです。そういうのにかかわることを嫌がる人がいます。その理由としてしばしば挙がるのは、ソーシャルネットワークサービスに自分の自慢話しか書かない人が多いので、そういうのを見るのが嫌だ、ということです。
「海外旅行に行きました」、「高級なレストランで食事しました」、「有名な大学に合格しました」、「結婚しました」、「子どもが生まれました」と、他人の幸せそうな話題が並ぶ。そういうのを見て一緒に喜んであげる人は少なく、不愉快に思う人が多い、ということです。
軽蔑心も、人の心の奥底に潜む深い闇です。自分より能力や知識の面で劣っていると見るや否や、その相手を徹底的に見下げ、さげすみ、おとしめる。
そういうことが日常茶飯事になっている社会や会社の中に、わたしたちは生きています。人の心の奥底に潜む闇は、すべての人が持っています。私の中にもあります。自分ではどうすることもできないまま、抱え持っています。
問題は、だからどうするのか、です。パウロが出した答えは「福音のためなら、わたしはどんなことでもします」(23節)ということです。それは「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになる」ということです。
つまりそれは、福音を宣べ伝えたいと願っている相手の生活の「サイズ」や「スタイル」に自分を合わせることです。それは、相手より上にも下にも立たないということです。相手と同じになることです。
しかし、相手に合わせようとすると、ほとんどの場合、今よりも「生活条件が悪化する」ことや「貧しくなる」ことが多いです。それが伝道の現実です。それを恐れて、どうして伝道ができるでしょう。どうして牧師が務まるでしょう。パウロが読者に問いかけているのはこのようなことだと思います。
わたしたちに求められているのは、福音を宣べ伝えることは「喜び」であると強く確信しつつ、そのような者として「生きる」ことです。
この最後の「生きる」には強調があります。「ふりをする」ことではありません。心にもないのに相手に調子を合わせてあげるというようなことではありません。本気でそうするのです。具体的にそこに身を置くのです。そうしないかぎり伝道は不可能です。
(2017年4月2日、日本基督教団上総大原教会 主日礼拝)
2017年4月1日土曜日
教会に固有な論理がある
記事とは関係ありません |
それに、牧師になる前に生活苦を味わってから牧師になるのと、「牧師として」生活苦を味わうことは、やはり違うと思う。牧師が生活苦を味わっている様子を指して「証しにならない」というふうに言うその言い方が私はあまり好きでない。「胸が痛む」人がいても、どうぞ一緒に痛んでほしいと思うだけだ。
厳しいことを書くが、会社や社会で長年苦労してきた方々が牧師におなりになると、世間で身につけた考え方ややり方を教会に不用意にお持ち込みになるが、それが教会を破壊する。会社と比較すれば教会など小さな団体なので、この程度の少人数なら自由自在に操れると思うのだろうか。とんでもない錯覚だ。
「会社や社会の論理と教会の論理とは全く別次元である」などと私は言ったことはないし、考えたこともない。どちらが上でどちらが下かとか、どちらが聖でどちらが俗かなどと問うたことがないし、その問い自体に与しない。そういう話をしたいのではない。ただ、会社や社会の論理と教会の論理は「違う」。
会社や社会の論理と教会の論理の「違い」に気づいて、教会に興味を抱きはじめる人もいれば、逆に、自分が常識だと思ってきたことが毀損される気がして「二度と近づかない」ことを決心する人もいる。それはやむをえないことではないか。「違い」が無いかのように偽装することのほうが悪質だと私は思う。
しかし、今書いていることはある意味どうでもいい。聖書を開けばパウロが「伝道者としての」生活苦を愚痴っているとしか読めない箇所がかなりある。主イエスが貧困生活を送っておられたかどうかは、はっきり書かれていなくてもだいたい想像できる。「証しにならない」のは主イエスでありパウロだろう。
たとえばの話だが、牧師と教会員の関係は上司と部下の関係ではありえないし、全国や各地域の各個教会を包括する教団や教区の役職に就くことは昇進ではありえないし、過疎地の小規模教会の牧師になることは左遷ではありえない。何の誤解か、何の勘違いか、そういう価値観が教会に襲いかかることがある。
縷々書いたことは、きれいごとではない。異なる論理を強引に持ち込むとたちまち崩壊する団体(それが教会だ)が現にあるので、初めから壊すつもりで行くならともかく(そういう動機で行くなよ)、腰を据えて仕える気があるなら、教会に固有の論理にしっかり立つほうが長持ちするよ、と言いたいだけだ。
そういうのは自分の保身しか考えていない牧師にあるまじき態度だとか、教会の旧態依然たる悪しき体質の温存を許してしまう百害あって一利なしの非改革的姿勢だとか、言われてしまうのかもしれないが、「創造のための破壊」のようなことは教会には向かないと私は思う。まあ無視していただいて結構だが。
厄介な問題が残っていることに気づく。大学の神学部なり神学校なりの存在だ。神学部や神学校は教会ではなく、実は学校だ。教師と学生は上司と部下ではないが、純粋な水平関係でもない。忖度したり斟酌したりはある。ああメンドクサイ。神学部も神学校も「中央」ではない。それだけはたぶん間違いない。
加速しました
旧弐号機内部 |
CPUまで引き抜かれた旧弐号機は、20年使用してきた大きな外箱とマザーボードを残すのみとなった。電源ボックスを新しいのに取り替えさえすれば電源はまだ入るので外箱を廃棄するかどうか迷っている。ほぼ空の中身を見ながら「パソコン」とは最もどの部分を指すのだろうと、つい愚問を抱いている。
というわけで、私の部屋は「診察室」ではありえないが、「改造室」ではあるかもしれないと思い至る。大量の本を保管する「資料室」であることは確実だし、寝室も兼ねているので「入院室」かもしれないが、地震が来ると危ないと多くの方に心配されている。分かっているが、現時点ではどうしようもない。
左:新弐号機、右:旧弐号機(ほぼ空箱) |
新弐号機CPUを換装(旧弐号機からの転用)したので、速度を計測した。CPUのサブスコア(1.0から9.9まで)が壱号機「7」に対して新弐号機「6.1」と、喜ばしい結果。壱号機セレロンG1840(2.80ghz)、新弐号機セレロンE3300(2.50ghz)。どちらもデュアルコア。
壱号機データ |
新弐号機データ |
新弐号機の初期設定が完了しました
登録:
投稿 (Atom)