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私にかろうじて分かるのは神学(学問かどうかを疑われている神学)のことくらいだが、聖書はともかく、アウグスティヌス、トマス、ルター、カルヴァン、ウェスレー、バルトなどの研究は、過去の蓄積が豊富な(それを「ライバルが多い」と受け取るかどうかはともかく)「取り組みやすいテーマ」だろう。
「取り組みやすいテーマ」で急いで博士号を取得することが悪いとは思わないが、良いとも思えない。私のような純粋な一般人からすれば「博士様」に抱くイメージは、一般人が思いもつかないとてつもなく素晴らしい発見をして、人類の誰も聞いたことがない斬新かつ感動的な発表をしてくださる存在なので。
「博士号」が名誉称号であったような時代は完全に終わっているのかもしれないが(大学の事情は全く分からないが)、なんていうか、数十年かけてコツコツやって人生の最期の頃に「おおこれだ。大発見」となるような人のほうが、古い価値観にとらわれているらしい私にとっては、やっぱり「博士っぽい」。
でも、そういう古い頭の私にとっての「博士っぽい」人は、「資格(学位)なくして就職なし」という今のシステムの中では、無冠のまま、市井の人のままで終わることになるかもしれないなと思うと、残念なような、寂しいような。まあ部外者がこれ以上首を突っ込まないほうがよさそう。くわばらくわばら。
私の中の「博士イメージ」がなぜか常に「高齢者」なのはマンガの読みすぎなのだろう。実際たとえば「博士」という検索語で出てくる画像の多くは、頭頂に毛髪なく、白髪、白眉、白ひげ、眼鏡、肥満体、白衣の人だ。この風貌の20代30代の「博士」が存在しないわけではなかろうが、多くはないはずだ。
しかし、「博士」の中にはめっちゃ苦労した人がいる。それだけは断言できる。5年も自室に引きこもってずっと論文書いていたと言っておられた。なのに、ほら穴(どこだよそれ)から出てきてもちゃんと(ちゃんととか言うな失礼な)人として立派だし、明るくて素敵。そういう「博士」を私は知っている。
その「博士」は、今は某私立高校の教員をしている。博士のくせに(その嫉妬やめろ)何でもできる。スポーツできるし、ギターうまいし、ダンスできるし、田植えもできる。めっちゃイケメンで、スリムで、おしゃれ。非の打ちどころがない。この先生に会う人は皆「やっぱり博士やわ~」と思うに違いない。
私が知る、あのまだ若い、田植えもできるイケメン博士が、将来は「頭頂に毛髪なく、白髪、白眉、白ひげ、眼鏡、肥満体、白衣」の博士になるのだろうか。信じたくない。そうか。私が抱いている「博士イメージ」がいかに誤っているかを自覚し、修正することのほうが先決問題のようだ。やっと気づいたよ。