2017年2月28日火曜日

「よしこれからだ」と意味不明の気炎を吐く

クリニックの待合室に自分で持ち込んで読んでいたマンガ

血圧降下剤が今朝残錠ゼロになったので、職場からの帰りに行きつけのクリニックに立ち寄る。自分で持ち込んだマンガを読みながら診察を待つ。年度末が近づき、いろんなものが、いろんなことが終わっていく。へたばるわけには行かないので、病院と薬局と石ノ森章太郎先生に助けてもらいながらがんばる。

Facebookのお友達の投稿で、お台場のダイバーシティのテナント空きが増えている様子が分かって、ややショックを受けつつ、「よしこれからだ」と意味不明の気炎を吐く。調べてみると2005年1月10日だったようだが、私は某所で行った講演で「お台場伝道所を作ろうよ」と語ったことがある。

もちろん九分九厘妄想だが、冗談ではなく真顔で言った。教会青年対象の講演だったが、私が問いたかったのは、あなたがたは「ありそうもない夢は見ない主義」なのか、それでいいのかということだった。「お台場」なんかに教会ができるはずがないとか、何もそんな確信持つ必要ないでしょと言いたかった。

お台場の今の賑わいなど影もなかった1980年代後半の築地まで結婚前の妻を乗せて車で来たことを覚えている。大学生だった頃なので、そんなに昔ではない。本当に何もなかった。今のようなレインボーブリッジも、ゆりかもめも、フジテレビのビルも、ベイエリアの高層マンションも想像もつかなかった。

そのお台場に「なんで教会?」と、たぶん多くの人が疑問をもつだろう。そのことを予測したうえで、なぜそこで疑問を持つのかを考えてみてほしいと願った。私自身も答えを持っていたわけではないし、実行力や根拠となるものを持っていたわけでもない。しかし、むなしい言葉遊びをしたかったのでもない。

でも、まあいいや。書けば書くほど、まるで何かの弁解をしているかのような気分になってくるので、これ以上書くのはやめよう。「お台場教会」をぜひどなたかに作っていただきたい。そこで毎週日曜日に普通の簡素な(できれば地味な)礼拝が行われるのを期待したい。その教会に出席させていただきたい。

2017年2月26日日曜日

恐れるな、語り続けよ(千葉若葉教会)

使徒言行録18章9~11節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。』パウロは一年六か月ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。」

今日の箇所の文脈は、使徒パウロの第3回伝道旅行です。パウロはそろそろ高齢者と言える年齢になっていました。あらゆる困難を乗り越えて神の御言葉を宣べ伝える働きを続けてきました。

そのパウロに神が幻の中で「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」と励ましの言葉を語りかけてくださいました。これはパウロに神が語った言葉です。しかし同時に、すべての伝道者、そして教会にも神が語り続けています。伝道者は個人的に神の言葉を宣べ伝えているのではなく、教会と共に働く存在だからです。

もちろん伝道者は個人的にも語ります。そこに教会がなければ伝道者は何も語ることができないのではなく、伝道者は新しく教会を生み出すことができます。しかし、親のいない子どもはいません。子どもは自分で自分を生むことはできません。教会も同じです。新しい教会にも生み出す母体となる親の教会が必ずあります。

しかしまた、ここで私が声を大にして言いたいのは、すべての教会の生みの親は神であるということです。教会はイエス・キリストの体です。究極的にいえば、伝道者と教会が属している母体は神御自身であり、神の御子イエス・キリスト御自身です。だからこそ、伝道者と教会が恐れず黙らず神の言葉を宣べ伝える働きを続けるために、神御自身の励ましの言葉を必要としています。

ここで問題があります。それは、伝道者と教会を励ます神の言葉は、わたしたちが手にしているこの聖書という書物そのものなのかといえば、必ずしもそうとは言い切れません。これはもしかしたら皆さんを驚かせ、不安な気持ちに陥れる言い方かもしれません。

しかし、今日の箇所に書かれているとおり、伝道者パウロに神が励ましの言葉を語りかけてくださったのは「幻の中で語りかける」形式であったことが分かります。「パウロは聖書を読んだ。こう書かれていた。だからパウロはそう信じた」というようなことを使徒言行録が書いていないという点が重要です。

パウロが自分の働きの支えとし、根拠とし、その上に立って伝道の仕事を続けた神御自身の励ましの言葉は、いわばたかが「幻の中で語りかけられたもの」にすぎないものでした。第三者が客観的にそれを証明できるわけではありません。何の証拠にもなりませんし、何の保証もありません。「それはあなたの思い込みだ」と言われてしまえば、それまでです。

伝道者と教会の存在は、その意味では、砂上の楼閣です。常に危険な綱渡りをしていると自覚するほうが、よほど現実的かもしれません。

しかしまた、だからこそ、伝道者と教会にとって「祈り」が意味を持ちます。祈りとは願いです。まだ実現していないことが実現しますようにとただ思っているだけです。ただ願っているだけです。私はこれだけのことをしたのだから当然これだけの評価を受けるべきだというような権利主張をすることが祈りではありません。

その意味では伝道者も教会も常に不安の中にあります。この務めにだれが耐えうるのでしょうか。しかし、神はこの務めを担う人々を世の中から選び出して、無理にでも担わせる方です。そのような、光栄でもあり、重荷でもあるのが伝道の働きです。

パウロが「幻の中で」この励ましの言葉を聴いたのはコリント伝道の最中だったことが分かります。使徒言行録によれば、パウロがコリントを訪れたのは、ギリシアの首都アテネの次でした。アテネとコリントはさほど遠くない距離にあります。

パウロのアテネ伝道は、しばしば評価が分かれるところです。パウロはアテネで伝道に失敗したととらえる人もいれば、失敗したとまで言うのは間違っているととらえる人もいます。私はどちらかといえば、パウロのアテネ伝道は失敗したと考えるほうです。

パウロがアテネで出会ったのは、多くの偶像でした。あるいはギリシアの神々をまつる神殿でした。それを見て彼は「憤慨した」(17章16節)と記されています。エピクロス派やストア派の哲学者たちと討論をしたとも記されています(17章18節)。エピクロス派(エピキュリアン)といえば快楽主義、ストア派(ストイシズム)といえば禁欲主義ですが、そのあたりに立ち入るいとまはありません。

そのようなアテネでパウロが力説したのは、大きく分ければ2つのことでした。第一は「神は手で作った神殿などにはお住みにならない」(17章24節)ということでした。そして第二は「神がひとりの人を死者の中から復活させて(イエス・キリストの復活)、すべての人にそのこと(すべての人の復活)の確証を与えた」(17章31節)ということでした。

ところが、特に後者の「死者の復活」を語ったことで、あざ笑われ、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と立ち去られてしまいました(17章32節)。しかし、何人かの人はパウロに従って信仰に入った、とも記されています(17章34節)。パウロのアテネ伝道は失敗とまでは言えないと考える人々の根拠は、この点にあります。

しかし私は、パウロのアテネ伝道は失敗だったと考えています。それはパウロが死者の復活について語ったから失敗だったという意味ではありません。私が考えるのはもっと根源的なことです。

パウロのアテネ伝道には「憤慨」すなわち「怒り」という動機があったという点が問題です。腹立ち紛れに当てこすりの言葉を語ったのです。そのような動機で語られる言葉で心が動く人がいるでしょうか。それが「伝道」と言えるでしょうか。と、そのあたりのことを私は考えています。

そういうのは今の人なら「上から目線」と言います。私が過去に出会った少なくない数の外国から日本に来た宣教師たちの中に、そのタイプの人々がいました。「日本は霊的に貧しい国である。日本人は霊的に貧しい人々である。だから我々は日本に伝道し、日本人を回心させなければならないのだ」というようなことを書いたり語ったりする人々と出会ったことがあります。

外国の宣教師だけを悪者にするつもりはありません。日本人の伝道者にも、日本の教会にもそのタイプの人々がいます。私自身も同じような感覚に陥ることがありますので、自戒しなければなりません。

そのようなやり方で誰の心が動くでしょうか。ばかにされた、けなされたとしか感じないでしょうし、ますます心を閉ざされてしまうでしょう。自分が逆の立場であればその気持ちは分かるはずです。「怒り」や「軽蔑」が動機であるような伝道がうまく行くはずがありません。結果的に何人かの人が信仰に入ったとしても、長い目で見れば、パウロのアテネ伝道は失敗だったと言わざるをえません。

さて、パウロはアテネの次にコリントに行きました。コリントでパウロは、アキラとプリスキラというテントづくりを職業とするユダヤ人夫婦の家に住み、彼らの仕事を手伝うアルバイトをしながら伝道しました(18章1~4節参照)。

この箇所を根拠にして日本の教会でも「牧師たちはパウロと同じようにアルバイトをしながら伝道すべきである」というようなことがしばしば語られてきました。その趣旨を私は理解できるほうです。しかし、この箇所に記されていることが、伝道者の活動をサポートする教会の責任がまるで全く免除され、放棄されてもよいかのような意味で引用されることもありますので、警戒心が私にはあります。

話の流れをよく考えていただけば、コリントでのパウロのアルバイトは、あくまでも一時的な緊急避難だったことが分かります。恒常的なことでも固定的なことでもありません。

そして、シラスとテモテがマケドニア州からコリントに来てからは、パウロは御言葉を語ることに「専念した」と記されていますが(5節)、これはおそらく彼らがマケドニア州の教会で集めた献金を持ってきてくれたので、アルバイトで食いつなぐ必要がなくなったことを意味していると思われます。

お金を稼ぐことが伝道の目的ではありません。しかし、伝道の継続のために、そして伝道に専念するために教会の支えが必要です。

しかし、パウロがどれほど伝道に専念できるようになっても、必ず妨害が入り、そのたびに伝道の継続が困難になったことも事実です。それでパウロは移動を余儀なくされ、働きの場を転々とすることになりました。

その苦労がパウロを伝道者として成長させました。コリントでは多くの人々が信仰に入り、洗礼を受けました。教会の仲間が増え、パウロの伝道を支えてくれる人々が増え、1年6か月コリントにとどまって伝道を続けることができました。

繰り返します。お金を稼ぐことが伝道の目的ではありません。しかし伝道の継続のために、そして伝道に専念するために教会の支えが必要です。

「教会は伝道者を助けることができませんので、自分でアルバイトをしてください。パウロもそうしたではありませんか」という言い方は、文脈を無視した間違った引用であるとしか言いようがありません。

「幻の中で」神がパウロに語りかけてくださった「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」(9~10節)という言葉は、このような文脈の中で理解されるべきです。

伝道は賭けごとではありませんが、賭けの要素があることを否定できません。パウロにとっての伝道の究極の根拠は「幻」でした。それが何なのかは、彼以外の誰にも見ることができないし、理解することもできません。それは、ただ願いであり、祈りです。「にすぎない」ものです。

しかし、それを必要としている人々が大勢います。神の言葉を必要としている人々がいます。救いを求めている人々がいます。そのためにわたしたちは伝道を続けるのです。それ以上でもそれ以下でもありません。

(2017年2月26日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年2月24日金曜日

糸通しの歌(作詞 関口康)


ボタンがとれても 慌てない
裁縫キットで ヒョイパッパ
今日はひさびさ 電車でゴー
朝から寿司だ 行ってきます

今日はボタンを 2つ付けた
スーツもコートも よれよれよ(ヨロレイヒ)
5年メガネが 今日折れた
車の走行 12万
ぼろろボロロと 明日も行く

今日は 夜遅くまで仕事
夕食も すっかり遅く
電車をおりて 駅前の日高屋で
ありついた レバニラ炒めがしみた
ごちそうさま
明日もなんとか 笑えそうだよ

今日いちばんの 喜びは
これが何かを知ったこと

今日いちばんの 悲しみは
これを今日まで知らなかったこと

今日いちばんの 喜びは
これで なんとかなったこと

今日いちばんの 悲しみは
これまでは これなしに
なんとかなっていたこと(目が 目がぁぁぁ)

糸通し 糸通し
ああ君の名は
糸通し

糸通し 糸通し
ああ君のこと
愛おしい


2017年2月22日水曜日

ふにゃぶにゅの極意

1993年3月28日 ガリラヤ湖上で
言葉を失う重い気持ちの中で今夜もガーネット・クロウさんの曲にいやされているという。空腹に食事、生傷に絆創膏、高血圧に降圧剤。そこスキップしていきなり宗教の話にしなくてもと思っている。

まあでも、なんだかんだ言いながら能天気なのは、ありがたい性質だと思っている。柔よく剛を制するよ。ふにゃふにゃだからな。弾き返せないけど、こっちにぶにゅっと埋まって止まる。子どもの頃からそう。いじめたことはないが、いじめられたこともない。いじめ甲斐がないからな。ふにゃぶにゅだから。

あと、押されるとわりとすぐに倒れるけど、意外に受け身が上手い。頭を打たないように、あご引いて丸まってごろりんできる。中学、高校で数年手ほどきを受けただけなのに、いまだに体と心が忘れない。柔道家は「かかってこい」とは言わない。かかってくるな。笑。殺気を感じるととりあえず逃げる。笑。

それと、もしかかってこられたら、目をやられないように、まずはメガネを外すくせもある。割れて目をやられたら逃げられなくなるからな。大事なのは、相手の動きをじっと見ることと、自分の逃げ道を確保し続けること。相手の急所を探してとどめを刺すための目ではない。少なくとも私はそう思っている。

全く脈絡はないが、「1993年3月28日」の日付がある写真を公開する。ガリラヤ湖上を走るフェリー内でマイクをもって讃美歌を独唱している。おお24年前か。27歳だったわけか。していることも、顔つきも、体型も、当時と今と全く変わっていない気がする。いいのか悪いのかさっぱり分からない。

2017年2月19日日曜日

神の言葉によって立つ教会(千葉本町教会)

使徒言行録20章31~32節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。」

千葉本町教会のみなさま、おはようございます。日本基督教団教務教師の関口康です。今日初めて説教壇に立たせていただきます。どうかよろしくお願いいたします。

岸憲秀先生と知り合ったのはちょうど30年前です。1987年3月です。岸先生は青山学院大学の学生でした。私は東京神学大学の3年を終えて4年になる春休みでした。お会いしたのは箱根で行われた全国教会青年同盟の春の修養会です。恵先生も参加しておられました。私の妻も参加していました。それぞれみんな独身でした。懐かしい、良い思い出です。

その後、岸先生が東京神学大学に入学され、1年か2年在学期間が重なっていたはずですが、1990年に私が先に卒業し、高知県の日本基督教団の教会の伝道師になりました。それ以降お会いできずにいましたが、13年前の2004年4月に私が千葉県松戸市の教会に来てまもなく、岸先生から久しぶりにメールをいただきました。東京神学大学卒業生有志同窓会の連絡でした。その後、15年ぶりくらいで岸先生と再会しました。お互いに変わり果てていましたが、すぐに意気投合しました。

昨年4月、私が教務教師として日本基督教団に復帰することになったときも、千葉支区長の岸先生にたいへんお世話になりました。30年来の悪友同士ですが日本宣教を共に担う牧師仲間として岸先生を尊敬しています。今日は岸先生が韓国出張で不在ですので、本人のいないところでほめておきます。

さて、先ほど朗読していただきましたのは使徒言行録20章31節と32節です。この箇所は、20章18節から35節まで続いている使徒パウロの説教の一部です。そのため、今日の箇所はその文脈の中でとらえる必要があります。

パウロの第3回伝道旅行の中で最も重要な拠点のひとつがエフェソです。パウロのエフェソ伝道についての記事は、19章1節の「パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て」と書いてあるところから始まります。パウロはエフェソで3年間伝道しました。

嫌なこともありました。ひどかったのはデメテリオというアルテミス神殿の模型を作る銀細工職人との争いです。「手で作ったものなど神ではない」とパウロが教えていることを知ったデメテリオが、このままパウロを放っておくと自分たちの商売が成り立たなくなるし、アルテミス神殿の権威の失墜を招くだろうと危機感を募らせ、人々を扇動してパウロの伝道を妨害しはじめました。事件の詳細は19章に描かれています。

そのデメテリオとパウロの争いを収めるために大きな役割を果たしたのは、「パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たち」(19章31節)の存在でした。その人々が騒動の鎮静化に乗り出してくれました。

彼らは、ローマ帝国の属州の人々に義務づけられていた皇帝礼拝を監視する人々でした。そのような人々の中に「パウロの友人」がいて、しかもパウロの身柄を保護する側になってくれたというのは、パウロの伝道活動の影響力を物語る重要なエピソードであると言えます。

そのような苦労も味わったエフェソでの伝道にひと区切りつけて、パウロは再びエルサレムに戻ることにしました。そのエフェソの人々とのお別れの場で行なったパウロの説教が、今日の箇所の前後の文脈です。

このパウロの説教は、私が知るかぎり、礼拝説教のテキストとしてよく取り上げられる箇所です。とくに牧師を隠退するときや、他の教会に転任するとき、この箇所を取り上げて説教する牧師がたがおられます。内容が「お別れの説教」ですから。この箇所を取り上げて説教すると、教会の人々から「うちの牧師はそろそろ転任するつもりか、隠退するつもりか」と勘ぐられることさえあります。

説教の内容は力強く、感動的で、美しいものです。現代の批判的な聖書注解書の中には「この説教はパウロの思想をよく表現してはいるが、使徒言行録の著者ルカの文学的創作物である」というような何とも興ざめなことが書かれていたりします。そうかもしれませんが、そうでないかもしれません。

しかし、今日皆さんにお話ししたいと願ってきたのは、使徒パウロの伝道旅行の歴史的事実がどうだったかとか、この説教はパウロが実際に語ったものかそれともパウロとは無関係にルカが創作したものかというような話ではありません。

今日お話ししたいと願ってきたのは、「神の言葉によって立つ教会」ということです。順序を換えて言い直せば、「教会は神の言葉によって立つ」です。その意味は、教会の土台は神の言葉であるということです。教会の存在を根底において支えているのは神の言葉であるということです。

いま申し上げたことに関することが、この箇所に確かに記されています。「だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます」。

この箇所の読み方には注意が必要であると、牧師になったばかりの頃、先輩の牧師がたから何度も繰り返し教えられました。なぜ注意が必要なのかといえば、この箇所には「神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます」と書かれているにもかかわらず、それを「神とその恵みの言葉とをあなたがたにゆだねます」と誤読する可能性があるからだ、ということでした。そうではないのだ、そうではないのだと、何度も言われましたので、忘れることができません。

大事なことは、この箇所に書かれているのはパウロがエフェソの教会の人々「に」神とその恵みの言葉「を」ゆだねたのではなく、エフェソの教会の人々「を」神とその恵みの言葉「に」ゆだねたと言っていることです。

そうではなく、もしパウロが「あなたがたに神の言葉をゆだねた」という意味のことを言っているとしたら、パウロは一時的にせよ、自分は神の言葉の所有者であると自任していたことになります。それを私の次にあなたがたに「委ねます」または「託します」と言いながら、神の言葉を手渡す関係に自分を置いていることになります。リレー競走のバトンの受け渡しの関係です。

しかし、ここに書かれているのはそういう意味ではないと、先輩がたから教えていただきました。ここに書かれているのは、あなたがた「を」神の言葉「に」ゆだねる、ということだ。つまり、牧師であり説教者であるパウロは神の言葉の所有者ではなく、自分が退くからといって、教会の人たちに神の言葉のバトン「を預ける」とか「を託す」という関係にあるわけではないのだ、ということです。

ここで言われているのはそのようなことではなく、牧師であり説教者であるパウロ自身も神の言葉の上に立って生きかつ説教してきた者として、その自分と同じ土台の上にあなたがたも立ってもらうのだという意味で、神の言葉「に」あなたがた教会「を」ゆだねると言っているのだということです。

それはこの箇所に書かれているとおりですし、私も納得していることですので、先輩がたから教えていただいたとおりのことを皆さまにお伝えしておきます。しかし、もう一点、付け加えたいことがあります。それは、ここで言われている「神とその恵みの言葉」の具体的な意味は何かという点です。

単純に「聖書」と言いたいところです。そのほうが話が分かりやすくなります。しかし少し厳密に考えれば、少なくとも当時は、わたしたちが今持っているような形の「新約聖書」は存在しません。それならば「旧約聖書」を指しているのかといえば、それも限定しすぎです。

考えられるのは、もっと広い意味です。直前にパウロが言っている「わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたこと」すべてを含んでいます。狭い意味の「聖書」だけでなく、少なくとも「説教」が含まれるし、「一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきた」努力、時間、感情、個人的な関係などのすべてが含まれている「神の言葉」です。

「そうではない。神の言葉は神の言葉なのだ。人間の努力だとか、心の動きだとか、人間的な感情のようなものは神の言葉に含まれるわけがないし、含まれてはならない。人間的な思いが教会を左右するようなことがあってはならない。そのようなものの上に教会は決して立ちはしない。教会は人間のものではなく神のものである。あらゆる人間的な思いを否定し、対立するところに成り立つひたすら純粋な神の言葉の上だけに、真の教会は立つし、立たねばならない」というような反論が起こるかもしれません。

しかし今日の箇所を読むかぎり、いま私が付け加えたことのすべてが否定されなくてはならないほどの反論の根拠は見当たりません。私が付け加えたことを別の言葉で言い換えるとすれば、「神の言葉によって立つ教会」を強調することは正しいが、だからといって聖書、説教、教会における「人間性」を排除する理由になりはしない、ということです。

そのことを、メソジスト教会の創始者ジョン・ウェスレー先生が、使徒言行録20章32節の註解としてしっかり書いておられました。ウェスレー先生は偉大であると思いました。次のとおりです。

「神は何の手段も用いずに、このようにわたしたちの信仰を築き得るのであるが、実際には手段を用いて、信仰を築いてくださる。諸君よ、今は以前よりもキリストを知ったから、人間的な教師の必要はあまりないなどと、思いあがらぬように気を付けるがよい」(『ウェスレー著作集 第1巻 新約聖書註解 上』松本卓夫・小黒薫訳、ウェスレー著作集刊行会、新教出版社、初版1960年、第二版1979年、498ページ)。

感覚的にはよく分かる話です。説教者の人柄と説教そのものを完全に区別することができるのかという問題です。現実に不可能です。

「神の言葉によって立つ教会」は「人間」を排除してはいけません。説教者が「人間」であることも「人間的」であることも、排除できませんし、排除してはいけません。パウロが教会の人々をゆだねた「神とその恵みの言葉」は、彼自身が「夜も昼も涙を流して」教えたものでもあるのです。

岸先生のような温かい人柄の牧師先生と共に歩んでおられる千葉本町教会の皆さまは、本当に幸せです。「人間」に冷淡な教会は残酷です。教会がそういうふうになってはいけません。

千葉本町教会の皆さまの上に、さらなる主の祝福がありますよう、心からお祈りいたします。

(2017年2月19日、日本基督教団千葉本町教会 主日礼拝)

2017年2月18日土曜日

「10年遅れで生きる」生活術

マルセイバターサンド
冷静に自己分析するとしたら、単純に私は「10年遅れ」の人生を歩んでいるようだ。10年前といえば2007年。41歳(遠い目)。もう解散しているガーネット・クロウさんの曲を今ごろ夢中で聴き、ガラケーを愛用し、反応するのはどれもこれも10年前のアニメや映画。10年間何をしてたんだろう。

と書いたあと、いま思い至るのは、10年前ではないが9年前の2008年1月からブログを書き始めたことと、翌2009年からフェイスブックとツイッターを始めたことだ。個人情報保護最重要の時代、ネットには基本ジブンバナシしか書けない。10年前から極度に「自省的人間」になったのではないか。

自分を掘って掘って掘りまくって、もう何も出てこないと思うほどなのに、紙の日記は3日坊主だった私が、ブログもフェイスブックもツイッターもまもなく10年になる。それなんなんだと自分で思う(また自省だ)。そういうことが楽しくなってしまったのではないか。「自分探し」とは言われたくないが。

それ(「自分探し」とは言われたくないので差し当たり「自分堀り」と表記する)ができさえすれば、使う道具が10年前の流行だろうと、なごむ音楽が10年前の流行だろうと、かまわないし、むしろありがたいと無意識に感じているのかも。何言ってるのか理解されないかもしれないが、今の実感はそれだ。

「自分掘り」が好きなわけではない。逃げられるものなら逃げたいが、逃げられないし、自分以外のことを書いた次の瞬間に告訴の時代だ。それと一次文献に密着した研究をしてきたファン・ルーラーのこと以外のことも書けない。他領域のことを言おうものなら、たちまち「専門家がた」から、やいのやいの。

さしずめこんな感じなので、この世界にはまるで、大昔に没したオランダ人ファン・ルーラーと「自分大好きな」(事実に著しく反することを声大で訴えたいが!)私の2人しかいないかのような書きっぷりにならざるをえない。ブログやSNSに他人の実名や写真を載せて書ける人が、羨ましくて仕方がない。

大きく脱線したが、取り急ぎ書きたかったのは、ガーネット・クロウさんを今日もずっと聞いていますということと、ガラケーを愛用していますということと、今初めて書くが、パソコンは自作です、マッなんとかやアイなんとかは触ったこともありませんということ(それはずっと前から書いてるぞ)だけだ。

世の中を変えたいと願っていないわけでなく、変えたいと願っているが、だからといってちょっとやそっと字を書いたり何か言ったりしたくらいで変えられる世ではないと思っているので、だいたいいつも軽佻に書くし、へらへらしゃべる。だから軽く見られるし、軽く見てよいが、なめるなよとも思っている。

それにしても今日の昼パクついた「マルセイバターサンド」は美味しかった。尊敬する先輩牧師によれば「もらってうれしいおみやげダントツ1位」だそうだ。よく分かる。「SNSで見せびらかして羨ましがられるダントツ1位」だと思うもの。狙いすましてアップしているわけだ。悪い人間になったものだ。

そう。私のネット書き込み(ブログ、SNS)には自分とファン・ルーラーと食べものしか基本登場しない。というか意識的に登場「させない」。こうしておけば人々の好奇心の餌食にならないだろう。それでいい、それでいいのだ。草のように生息する。人の目に止まらぬよう。それでいい、それでいいのだ。

(追記)

なんと言えばよいのか、単純な因果律というか、算数的合理性というか、四角四面というか、逆説なしの勧善懲悪というかの中にいるとおぼしき方々の批評がなんともつらい。世の中そんなにシンメトリカルにできていない。パターン認識で誤記を見つけるのは、私も得意というか「見えてしまう」ほうだけど。

誰かから何かを言われて恨んだり落ち込んだりしているわけではない。ネットの世界の話でも職場の話でもない。私個人の話でさえないところがあるし、身近な話でもないところもある。強いて言えば、言葉や論理のやりとりの中で起こりうる現象の話だ。それを見ながら「なんともつらい」と思うことがある。

でも、そういうときに思う。「ひとの批判や批評をするのを我慢できないひとは、ジブンバナシを続けるのが恥ずかしいと思うほどプライドが高いひとなのかもな」と。自分の持って行きどころのないものを自分で処理できず、他人の体を借りる。そういうのはけっこう幼稚な行為ではないかと思わなくもない。

日付が変わる前に思い悩む。「逆説」も単純なシンメトリーでとらえるなら単なる合理性を裏返しているだけではないか。史的イエスの言説と行為はそれなのか。単なる反骨精神、判官びいき、あまのじゃくか。本当にそうか。打ちやすい球でもあえて空振りする。そういうところはないか。ないのか。ねよう。

2017年2月13日月曜日

人を助ける働きをするとは(千葉英和高等学校)

マタイによる福音書9章35~38節

関口 康

「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手は少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。』」

皆さんの前でお話しするのは今年度最後となります。

私は一昨年末まで教会の牧師という仕事をしてきました。牧師の仕事がどんなものかといえば、仕事の大半は家の中でします。日曜日やその他の日の説教の原稿を書いたり、いろんな人に手紙を書いたり、教会の書類を書いたりする仕事が多いです。

しかし、家の中で仕事をすることで起こる問題もあります。家族が病気で苦しんでいるとき、その家族をまるで私が無視しているかのように、背中を向けて仕事をしなければならなかったこともありました。反省しなくてはならないことはたくさんあります。

今日の箇所にイエスが登場します。多くの町や村に「会堂」(シナゴーグ)と呼ばれる建物が立っていました。礼拝を中心とする宗教活動を行う場所です。その「会堂」をイエスが訪ねて、聖書のお話をしていました。

「ありとあらゆる病気や患いをいやされた」(35節)と書かれていますが、これは昔の話です。現代の医学とは区別しなくてはなりません。イエスの仕事は聖書のお話をすることです。それで人々を慰めたり励ましたりすること、悩みや苦しみを取り除くことをしていました。

「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(35節)とも書かれています。

ここに描かれているのは、イエスから見たユダヤ人の一般庶民の姿です。「弱り果て、打ちひしがれている」人々を見たイエスが、その人々を助けなくてはならないと決心し、自分の弟子を派遣することにしました。

しかしこの箇所を読むと私はどきっとします。「会堂」は宗教施設です。多くの人が集まります。そしてそこには必ず宗教的な指導者がいます。祭司長、律法学者、長老と呼ばれる人々です。「先生」(ラビ)と呼ばれた存在です。

それで分かるのは、各地の「会堂」とその周辺には「先生」がいなかったわけではないということです。「先生」の仕事は「弱り果て、打ちひしがれている」人々を助けることでした。しかし、その「先生」が役に立っていないとイエスには見えたのです。

宗教のことは私も皆さんに話しにくいと思っている面があります。そんなものが何の役に立つのか、何の役にも立っていないではないかと言われると言葉を失います。

先ほど家族の話をしました。私が教会の人々にとって、あるいは地域社会の人々にとってどういう牧師だったかは、自分では分かりません。しかし、家の中では家族に背中を向けて仕事を続ける残酷な人間でした。穴があったら入りたい気持ちです。

イエスは「弱り果て、打ちひしがれた人々」を「憐れまれた」とありますが、「会堂」と「先生」には憤りを覚えたと思います。お前たちは何をやっているのかと。何の役にも立っていないではないかと。

イエスが自分の弟子を派遣する際に命令したことが10章に記されています。その中で大事な教えは「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(10章8節)です。この意味は「人助けを私利私欲のためにすべきでない」ということです。

このルールは狭い意味の宗教の仕事に限られるものではありません。どんな仕事であれ、困っている人を助けることをお金儲けの手段にするのは間違っています。それは人の弱みにつけこむことを意味しますので。

しかしそれでは人助けをする人々自身はどうやって生活するのかという疑問が必ず残ります。それについてはイエスが「働く者が食べ物を受けるのは当然である」(10章10節)と言っています。人を助ける仕事をする人は、その人を助けてくれる人々に助けてもらいなさいということです。お互いに助け合う関係を築きなさいということです。

皆さんが最も頭を悩ませているのは進路の問題だと思います。進学先の問題以上に将来の職業の問題でしょう。

ぜひめざしてほしいのは、「弱り果て、打ちひしがれている人々を助ける仕事」です。そしてぜひ家族を大事にしてください。

皆さんの将来を心から応援いたします。

(2017年2月13日、千葉英和高等学校 学校礼拝)

2017年2月12日日曜日

神が情熱的にあなたを守る(豊島岡教会南花島集会所)

ローマの信徒への手紙8章31~36節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。『わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている』と書いてあるとおりです。」

おはようございます。今日もよろしくお願いいたします。この教会の礼拝で説教させていただくのは3回目です。貴重な機会を与えていただき、ありがとうございます。

今日お話ししますのは過去2回の説教の続きです。ローマの信徒への手紙8章26節から36節までを3回に分けてお話しすることを計画しました。第1回(2016年11月13日)が26節から27節まで。第2回(2017年1月8日)が28節から30節まで。そして今日、第3回(2017年2月12日)が31節から36節までです。

過去2回、私の自己紹介が長すぎたきらいがあったことを申し訳なく思っています。自分の宣伝をしたかったのではありません。前回の箇所でパウロが記していたのは、彼自身のキリスト者としての体験です。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(28節)。これは信仰をもって生きていくすべての人が現実に味わう体験と共通する要素です。

「パウロはこのように書いているが、現実は甘くない」という話をしようと思えばできなくはありません。わたしたちは信仰生活にはもうひとつの側面があることをよく知っています。しかし、「ここに書かれているとおりのことは我々の身に現実に起こります。私にもこういうことがありました」という話をするほうが前向きな話になるのではないかと考えて、自分の話をさせていただいた次第です。

どんなことでもわたしたちの益となる。ポジティヴな要素だけではなく、むしろネガティヴな要素こそが益になる。そのように神が導いてくださっているのだということをわたしたちは知っています。わたしたちはそのような体験を長年の信仰生活の中で味わってきました。

しかし今日はもう繰り返しません。聖書の御言葉に集中いたします。31節以下に描かれているのは、勝利者としてのキリスト者の姿です。

「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」(31節)とパウロは記しています。これは反語表現です。神がわたしたちの味方なのだから、わたしたちは無敵であるということを強調して言っていることです。なぜそのように言えるのかをよく考える必要があります。この点はあとで触れます。とにかくパウロはそのような意味のことを記しています。

32節も同じく反語表現です。「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」(32節)。最も尊い存在であるたったひとりの御子であるイエスの命さえ惜しまなかった神があらゆるものをわたしたちに与えてくださらないことはありえない、という意味です。

33節も反語表現です。「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです」(33~34節)。

わたしたちを最後に審くのは神であり、神の右に座しておられる御子イエス・キリストなのだから、最後の審判における無罪宣告をわたしたちキリスト者が勝ち取ることは確実であるという意味のことが記されています。

しかし、わたしたちはここでいったん立ち止まる必要があります。そして、もし可能でしたら私が第1回目の説教のときにお話ししたことを思い起こしていただきたいと願っています。そのとき私が申し上げたのは、聖書の神は《弱い神》であるということでした。

「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです」(26節)と記されていました。この「“霊”」とは聖霊であり、聖霊とはイエス・キリストの霊であるだけでなく、父なる神の霊でもあると申しました。

そして、わたしたちが祈りの言葉さえ失ってしまうほどの悲しみや嘆き、苦しみや弱さの中にあるとき、父・子・聖霊なる神は、弱いわたしたちを大声で怒鳴りつけて強制的に従わせるような強大な権力を行使する存在ではないと申しました。弱いわたしたちに弱く優しく寄り添ってくださり、言葉にならないうめき声を一緒に上げてくださる《弱い神》であると申しました。

そのような《弱い神》がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できるのかと、もしパウロがそのような意味で書いているとすれば、今日の箇所の読み方を変えなくてはならないかもしれないではありませんか。単純に、神は強い方なので弱いわたしたちを助けることができるし、強い味方を得たわたしたちは無敵になるという意味でパウロが書いていないとすれば、どうなるでしょうか。

論理的に考えれば、弱いわたしたちの味方になってくださるのが《弱い神》ならば、わたしたちは勝利するどころか敗北するはずです。しかしパウロは今日の箇所に確かに、勝利者としてのキリスト者を描いています。37節には「勝利」という言葉がはっきり出てきます。

「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしたちは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(37~39節)。

ここまで読むと分かることがあります。パウロが言う「勝利」とは、わたしたちが常識的に考える「勝利」とは全く違う次元の話ではないかということです。ともかく今ここで分かるのは、パウロにとって「勝利」とは、キリスト・イエスによって示された「神の愛」から引き離されずに、そのうちにとどまっていることを指しているということです。

しかし、その意味での「神の愛」も、話の流れとしては「《弱い神》の愛」を意味せざるをえません。それは理解できない話ではありません。御子イエス・キリストの命をさえ惜しまない父なる神の愛は、自分の大切なひとり子の命さえ守れない弱い愛であるとどうして言えないでしょうか。

自分の子どもが死に晒されても守ろうともしない。なぜでしょうか。殺害されたとき、殺害した人々に抗議も復讐もしない。なぜでしょうか。自分の子どもが十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と絶叫しているとき、何の助けもせずに黙っている。なぜでしょうか。

そのような神がわたしたちの「味方」になってくれているとして、それのどこが心強いのでしょうか。全く頼りにならないではありませんか。このようなことをパウロが真顔で書いているとしたら、どこかおかしい人だとしか思えないと言う人がいても不思議ではありません。

なぜ神は黙っているのでしょうか。なぜ何もしてくれないのでしょうか。全く不可解です。神など存在しないのでしょうか。そのように考えるほうが、よほどすっきりするかもしれません。

35節の内容にまだ触れていません。「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。『わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている』と書いてあるとおりです」(36節)。

これもまた「キリストの愛」あるいは「キリストにおける神の愛」との関係が語られているところです。その愛から引き離されないでいることがキリスト者の「勝利」です。しかし、いかなるものも障害にならないという意味で並べられた艱難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣は、すべてパウロ自身の体験です。「屠られる羊のように見られている」のもパウロ自身の姿です。

これらの苦しみや痛みに堂々と立ち向かい、困難な状況を耐え抜くことができる強靭な肉体と精神がわたしたちキリスト者には与えられているので、強くたくましく生きることができるという意味でしょうか。結論として申し上げたいのは、決してそういう意味ではないということです。

だって、それだと話がおかしいです。わたしたち自身がキリスト者であり、教会です。キリスト者と教会の話は、わたしたちにとって他人事ではありません。最終的に問われているのはわたしたち自身です。自分自身と教会の姿を見つめながら、果たしてわたしたちは、どんなことにも動じない強靭な精神と肉体をもって堂々と力強く立ってきただろうかと考えれば、答えはすぐに出ると思います。

結論としては、そのようなことはいまだかつて一度もなかったし、これからもないということです。わたしたちは弱いままです。日本の教会は小さい群れのままです。神は沈黙したままです。牧師は説教はしますが、神の声が小さすぎてよく聞き取れないので、「たぶんこうだろう」という曖昧な話しかできません。イエス・キリストは十字架につけられたままです。聖霊は言葉にならない小さなうめき声をささやいてるだけです。

これが救いのない話か、これこそが救いなのかは受けとめ方かもしれません。パウロがわたしたちに問いかけているのは、「強さ」とは一体何なのか、「勝利」とは一体何なのかです。そして「神が共にいます」(インマヌエル)とは何を意味するのかです。おそらくそれは世間の常識とは正反対の意味です。「わたしは弱いときにこそ強い」(コリントの信徒への手紙二12章10節)と語られているのと同じ、逆説的な意味での「強さ」です。

常識的な意味での「強さ」は人と人との関係を破壊しがちです。そのことは家庭、教会、社会に当てはまります。なかには制度や建物ばかりが立派で、その頑丈な外枠の内部で多くの人が傷ついているケースもあります。しかし、パウロが教える「強さ」とは「弱さ」です。その強さは、優しく柔らかく人と人を包み込む愛の関係を築くことができます。

私はこれまでいくつかの教会の牧師をしてきました。いろんな教会の礼拝に出席し、かかわってきました。比較するような話はしたくありません。今申し上げられるのは、南花島集会所の皆さまの姿が私の目にはまさに「勝利者」に見えるということです。お世辞ではありません。「神が共にいてくださる」ことがはっきり分かります。神が優しく柔らかく、情熱的にこの教会を愛しておられます。そのことがはっきり分かります。

(2017年2月12日、日本基督教団豊島岡教会南花島集会所 主日礼拝)

礼拝後 愛餐会

2017年2月11日土曜日

「ホームページ&メーリングリスト時代」の延長線上で

オランダ(2008年12月某日撮影)
ブログとフェイスブックとツイッターの関係を「時系列」の関係で考えてみている。ブログは過去の記録に向いているが、フェイスブックもツイッターも、過去へとさかのぼるのが面倒な仕組みになっている。ツイッターがチラシで、フェイスブックが立て看板で、ブログはパンフレットというのもありかも。

その意味でいえば、ブログはずっと残してもいいが、フェイスブックもツイッターも、ある程度記事が増えたら過去の記事を整理するなり処分するなりするほうがよさそうだ。何を書いたかを忘れるほど過去のものを突然シェアされたりリツイートされたりすると、びっくりするし、ぞっとすることもあるので。

以上はブログ歴9年、フェイスブック・ツイッター歴(同時に開始)8年の実感だ。その前の「ホームページ&メーリングリスト時代」(炎上時代)が10年あって、そのオルタナティヴとして「ブログ&SNS時代」をとらえてきた。次がどうなるのかは想像がつかない。ネットの歴史はたぶんその先も続く。

ツイッターやフェイスブックそのものにこだわる思いは全くない。何でもいい。ツイッターくらいの短いのを飛ばせるのと、フェイスブックのようなある程度の長さの時事ネタを流せるのと、長期保存できて過去に書いた内容を確認しやすいブログのような機能があれば、どの会社のどんなアプリでも構わない。

先に書いたとおり、「ホームページ&メーリングリスト時代」に頻発した炎上を繰り返したくないという願いのもと、その延長線上で「ブログ&SNS時代」をとらえているので、要は「炎上しにくさ」が確保されれば。ある程度顔が見え、ある程度メンバーを選べ、密室感がありながら同時に開放感があれば。

大事なことを書くのを忘れた。フェイスブックの「友達」とツイッターの「フォロワー」が増えすぎないように意識的に抑制しているのも「ホームページ&メーリングリスト時代」の延長で考えているからだ。極度の閉鎖性を求めてはいないが、ある程度のリアルな「信頼関係」を築けるといいなと願っている。

日付が変わる前になんとかひとつ説教の原稿を書き終えることができた。明後日の説教の原稿書きは明日集中することにして今日はもう休もう。「明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」と書いてあるではないか。「おいおい、それは文脈が違う引用だ」と叱られそうだ。

20年もネットを続けながら私はネットに不向きかもしれないとつくづく思うのは、聖書や教会への冒涜的な言葉に接するといまだに目を背けてしまうところだ。聖書の言葉に引っかけたダジャレとかは実はかなり無理。平和主義者という名の事なかれ主義者なので、私の前でやらないでほしいと思うだけだが。

これからダジャレ言います感がしっかりあるのは大丈夫。そういうのでないの。猟奇的な感じの。優しさを感じるのは素直に笑える。なのでダジャレと書いたのはまずかったかも。もっとひどいの。なんでそこまで言えるのみたいな。しかもそういう狭量さを克服したがっている。実は冒涜スルーの宗教なので。

心を静めて説教の準備に集中しよう

生後から高校卒業まで過ごした築港緑町(岡山県岡山市南区)
日 本 基 督 教 団 の関口です。(なんでゲシュペルトなんだ)

1年前(2016年2月6~13日)は岡山の実家にいた。父の部屋で日本基督教団教師転入試験(郵送分)をしていた。帰省の目的は別にあったので試験に割けたのは実質3日だった。3月22日に転入が完了した。

守秘義務を重んじると「秘密主義だ」と非難され、寛容精神を重んじると「無節操だ」と非難され、個人の権利を擁護すると「わがままだ」と非難され、全体の意志を擁護すると「不当抑圧だ」と非難される。兎角に人の世は住みにくい。責められるのを任せられるのが「責任」だろうが血圧は高まる一方かも。

仕事をしていると「パソコンをいじっているだけだ」と非難され、話していると「口を動かしているだけだ」と非難される。だからもう最近は、だれかを車で送ってあげて感謝されても「いえいえ座っているだけなので」と自分で言うようになった。そう言うとものすごく恐縮されてしまうので、逆に恐縮する。

蒸し返すつもりはないが、意味不明の問題文を自分で出しておきながら「答えが不十分なので追試だ」と告げるとき、人をこばかにする目をしていたのはあれだった。きみはいつからそういう人になったのか。追試自体は望むところだったのでどうでもいい。もっと上手に問題文を作れるようになりますように。

さて、心を静めて明日と明後日の説教の準備に集中しよう。出席者は明日と明後日で百倍違うが、礼拝であることに変わりない。深い睡眠で週日の疲れはいやされたことにする。いや違う。疲れが残っているくらいでちょうどよい。出席者も疲れている。説教者だけが例外的に元気というのは不自然で尊大な気がする。

2017年2月8日水曜日

古典の基本をきちんと学ぶことがいかに重要か

第19a巻「美学 第2巻の下」本日入手
本日(2017年2月8日水曜日)岩波書店『ヘーゲル全集』(旧版)第19a巻「美学 第2巻の下」(竹内敏雄訳)が古書店から届く。Tポイント37ポイントを利用して送料込の支払価格813円。1978年(第6刷)発行時の定価1600円の約半額。読まれた形跡がないほどの新本同様の保存状態。

ネットのおかげで、1ヶ月前は1冊も持っていなかった岩波書店『ヘーゲル全集』(旧版)全33巻のうち約半分を1万円未満で入手できた。とりあえず旧版で全巻集めたい。そのうえで長い時間をかけて近年の新しい翻訳によるヘーゲルの著作や研究書(いずれも高価)を集めたいと願っている。道なお遠し。

自分がそうなれると夢想するほど愚かではないつもりだが、マイケル・サンデル教授の白熱教室の番組を観ていかに古典の基本をきちんと学ぶことが重要かを悟った視聴者のひとりではあった。私の組織神学の恩師や先輩たちもドイツ観念論をよく学んでいた。そういう学風の中で育てられたという自覚がある。

2017年2月7日火曜日

境界に立って葛藤し続けよ

白水社『ティリッヒ著作集』第10巻
「ここは宗教団体ではなく学校だから宗教の教儀ではなく学問を教える」と言いながら話す場所と「ここは学校ではなく教会だから学問ではなく教会の教義を教える」と言いながら話す場所の両方の往復運動を続けていると心理的バランスが最も保たれている気がするのでたぶん身体面の健康にもいいのだろう。

初めから意図していたわけではないが、大学の卒論で取り組んだティリッヒも、大学院の修論で取り組んだトレルチも、長期テーマとして取り組んでいるファン・ルーラーも、学校と教会の「境界」(boundary)に自ら立って両方の往復運動を実践した人たちなので、彼らの葛藤は私なりに理解できる。

両者が仲良く助け合う関係にあったことが、歴史の中でいまだかつてあっただろうか。いがみ合い、倒し合う関係でこそあったと言えないだろうか。不遜な言い方かもしれないが、どちらか一方だけに立って他方を批判ないし否定するのはいとも容易いことのように私には思える。葛藤を回避できそうだからだ。

葛藤を回避する仕方で両者と関係を持つことはできるかもしれない。「境界」(boundary)を無きものとし、学校を宗教団体さながらにしてしまうか、あるいは逆に教会を学校さながらにしてしまうかすれば、ある意味そうなる。しかし、それは安易な方法であるし、デリカシーに欠く方法だと言える。

時に激突する対立関係にさえある学校と教会の「境界」(boundary)に自ら立って両方の往復運動を実践することは「二枚舌」を意味しない。ずっと前から繰り返してきた言葉をまた使わせていただくなら、それを「二枚腰」と言う。一度崩れたようでも立ち直る粘り強い腰。簡単には倒れねえからな。

我々が「二枚腰」を身につけるためには、徹底的に学校の学問を学びかつ自ら教えつつ、同時に徹底的に教会の教義を学びかつ自ら教えるのがよい。どちらか片方で事足りると思うなかれ。単純な短絡であるとしか言いようがない。両者の調和をめざす必要はない。葛藤を葛藤のまま抱え込むほうがまだましだ。

「境界に立って」(On the Boundary)がパウル・ティリッヒ(Paul Tillich [1886-1965])の自伝文書の英語版(1967年)のタイトルであることは、知っている人は知っている(原著ドイツ語版(1962年)のタイトルはAuf der Grenze)。

同書の序に「自分の思想の発展を、自らの生のなかから取りだして叙述するよう要請を受けたとき、私は境界という概念が、私の人格的、精神的な発展を象徴するのに適合しているということに思いいたった」(ティリッヒ著作集第10巻、武藤一雄・片柳栄一訳、白水社、1978年、11頁)と彼は記した。

続きがある。「ほとんどあらゆる領域にわたって、あれかこれかという実存の可能性のあいだに立ちながら、そのいずれにも安住することなく、しかも、そのいずれか一方を、決定的にしりぞけるような決断も下さないというのが、私の運命であった」(同上頁)。

 「こうした態度は、思索にとって、非常に実り多いものであったし、今なおそうである。というのも、思索するということは、新たな可能性に対して開かれていることを前提とするからである。しかしまた、こういった態度は、生という観点からは、きわめて困難な、危険なことでもある」(同上頁)。

「生というものは、常に決断を要求し、したがってまたどちらかの可能性を排除することを要求するものだからである。こうした基本思想と緊張とから、運命とともに課題が生じるのである」(同上頁)。困難と危険を自覚しつつ、ティリッヒはあえて「境界」に立った。これこそ我々の望むところではないか。

もっともティリッヒは、単に学校と教会の「境界」に立っただけではない。都会と地方、社会諸階層、現実と夢想、理論と実践、他律と自律、神学と哲学、教会と社会、宗教と文化、ルター主義と社会主義、観念論とマルクス主義、故郷と異邦の「境界」に立った。どれも今なお真剣に取り組まれるべき課題だ。

上記した「徹底的に学校の学問を学びかつ自ら教えつつ、同時に徹底的に教会の教義を学びかつ自ら教えるのがよい」が狭義の学校勤務者(教務教師や神学教師)以外には該当しないことだと読めてしまうことに気づいた。「教える」は広い意味だ。教える場は学校や教会に限定されず家庭や社会を含んでいる。

2017年2月6日月曜日

ラッソン版を探しに行くしかないか

今夜届きました
ヤフオクで新たに落札した岩波書店『ヘーゲル全集』(旧版)第17a巻「宗教哲学 下巻の1」(木場深定訳)が帰宅したら届いていた。さらに今夜、第19c巻「美学 第2巻の下」(竹内敏雄訳)の代金のコンビニ払いを完了。現在、全33巻中16冊取得済み。まだ1万円を超えていない。残り17冊。

これといった趣味なく、手も足も芸なく、加齢で老眼進んで字を読む力衰え、記憶力加速度的に後退する中、古書集めくらいしか楽しみがない。悲しいこと言わないでくれと言われそうだが、悲しいことしか言えない。ならば書くなと言われそうだが、「ならば書くなと言われそうだ」と書く。夕食後は皿洗い。

もうひとつ楽しみがあった。ガーネット・クロウさんを昨日も今日もずっと聴いている。聖書を教えるのは「楽しい」が「楽しみ」ではない。「趣味」ではない。仕事は「楽しい」が「楽しみ」ではない。「趣味」ではない。帰宅が21時で、遅い夕食。食事は「楽しい」し「楽しみ」だ。まだあるではないか。

古書集めと、ガーネット・クロウさんを聴くことと、食事は「楽しみ」だ。よし、まだ探してみよう。えーとなんだろ。なんだろなんだろ。SNSはどうかなあ。どうかなあどうかなあ。「仕事」ではないが「趣味」とも違う。「楽しみ」かなあ、どうかなあどうかなあ。今朝4時起きだったのでいま相当眠い。

今日英語版で読んでいたファン・ルーラーのユトレヒト大学神学部教授就任記念講演「神の国と歴史」(1947年11月3日)にラッソン版ヘーゲル全集からの引用を見つけた。第8巻(ライプツィヒ、1930年)の41頁らしい。日本語版のどの箇所かが分からない。ラッソン版を探しに行くしかないか。

こういうのがキリがない。書斎の本が増えた原因は「ファン・ルーラーの翻訳を始めたから」だ。出版資金を手にしたことは一度もないが、自分の勉強のためという動機よりもっと野心的だった。責任ある翻訳を目指そうと思った。翻訳の開始と同時にファン・ルーラーが引用している本の入手作業が始まった。

2017年2月5日日曜日

新松戸幸谷教会の主日礼拝に出席しました

今日(2017年2月5日日曜日)は日本基督教団新松戸幸谷教会(千葉県松戸市新松戸2-169)の主日礼拝に出席しました。吉田好里牧師の説教は今日も本当に素晴らしく胸にしみました。まだ風邪が治りきっていないため、失礼ながら聖餐式が始まる前に退席し帰宅しました。ありがとうございました。

2017年2月4日土曜日

私が千葉に住んでいる理由

千葉県スポーツセンター(千葉市稲毛区)
牧師の移動の仕組みは教派・教団によって違うし、教会外の人は知る由もないことだと思うが、多くの場合、牧師自身の意思表示次第でどうにでもなるわけでなく、教会からの「招聘」があって初めて移動が発生する。私もそうで、かつて山梨にいたのも、千葉に来たのも、教会からの「招聘」があったからだ。

しかも教会から「招聘」があるのは前任牧師の隠退・死去・移動などで空席が発生するからで、それがなければ「招聘」もないので牧師の移動もない。教派・教団によっては上層の人事部で全部を動かす仕組みのところもあるが、各個教会のリクエストに応えきれずミスマッチが起こりやすい欠点があると思う。

しかも日本のプロテスタントの教会で牧師の結婚を禁じているところはなく、家族を持つ牧師は多い。子どもが小さいうちは頻繁に移動できても、義務教育の学齢期に達する頃から高校や大学に進学し卒業するくらいまでは移動が困難になる牧師が多いことも事実だ。単身赴任が可能な経済状態ではありえない。

もちろん牧師という職業(これも職業である)を選んだ以上、世の幸せは捨て去るべきだという話になるのかもしれないが、牧師自身が苦しい立場に立つのは一向に構わないが、そのことと子どもたちが高校や大学などに進学して学ぶ意思を持ちながら親の都合で振り回したり諦めさせたりすることは話が別だ。

繰り返し書けば、山梨にいた私が千葉に来たのは、千葉の教会から「招聘」があったからだ。山梨以前に高知と福岡の教会でも牧師をしたが、高知から福岡への移動も「招聘」があったからだ。「招聘」がなければ、私は今でも高知にいたかもしれないし、福岡にいたかもしれないし、山梨にいたかもしれない。

高知で生まれた長男は過去の引っ越しのすべてに、その後生まれた長女は途中から付き合ってくれた。というか付き合わせてしまった。「招聘」がなければ子どもたちは高知か福岡か山梨で義務教育を受け、地元の高校や大学などに通っていたことだろう。何の遜色もないし、彼らも喜んでそうしたに違いない。

しかし結果的に「招聘」で千葉に来た。松戸市は東京との県境にあることを地図で見てはいたが、実際の生活を始めて初めて東京との近さを実感した。都心までバス電車で1時間で到着できる環境に驚いた。義務教育や学習塾、高校・大学などの競争心の違いを、子どもたちの親の立場で感じるようにもなった。

その結果が良かったのか悪かったのかは分からないし、判断するにはまだ早すぎる。子どもたちはまだ学業の最中だし、親の都合で引きずられてきた面が強く、良いも悪いもなく、否も応もない。ただ、始まった勉強を途中でやめるわけには行かない。彼らはそう思っている様子だ。申し訳ないがよろしく頼む。

いちおう断っておくが、私が牧師の移動のことを書く際に「神の御心によって」や「神の導きによって」という表現を使わないでいるのは、そういう面のことを信じる信仰がないからではなく(そう誤解されるのがいちばんつらい)、牧師の移動という事柄の客観的な「現象」の描写に徹しているつもりである。

ご指摘があったのでさらに加えれば、「牧師の移動」と書いているのも「異動」の誤字ではないつもり。物理的な意味の運動としての「移動」を客観的に描写しているのであって、立場や職務の変更の意味ではない。「移住」と書くほうが意味を明示できるかもしれないが、なんとなく大げさなのでやめておく。

「今さら聞けない」インターネットの使い方

2017年2月4日土曜日17時40分千葉県柏市の自宅(借家)にて撮影
今日(2017年2月4日土曜日)の首都圏は好天だったが、薬局で購入した風邪薬(黄色い箱のベンザブロックSプラス)がよく効いて一日うとうとしていた。ずっとガーネット・クロウさんの曲が流れていることも、たまに眺める窓の外に富士山と東京スカイツリーが見えるのも、いつもと同じ週末だった。

SNSを多くの人が使いはじめて10年に満たないはずだが、私がSNSを始めたのも10年ほど前。うちの子らが当時すでに赤ちゃんでなかったことが幸いだった。赤ちゃんだったら写真をたくさん載せていたかも。でも10年なんてあっという間。「なんで載せたんだ」と10年後の今ごろ激怒されたかも。

皮肉で書くのではないが、会議に排他的権限を持たせる教派・教団の人は、SNSのような場で「会議なき会議」が立ち上がり、そこで意見集約が起こるのはとても厄介なことなので、警戒心を持つに違いない。しかし逆に言えば、会議の権限が不明瞭な教派・教団の人は、SNSを大いに活用すべきだと思う。

もちろん使い方や「友達の作り方」によるだろう。そしてSNSに期待しすぎると、ほぼ必ず裏切られるだろう。もしかしたら失うものも大きいかもしれない。しかし、何もしなければ関係を持つことがありえなかった人々との関係が、SNSによって生まれたことだけは確かである。ゼロがイチ以上になった。

どこかで一方的に教え込まれた知識に基づいて誤解と偏見ばかり持たされていたグループの人々や個人とSNSで知り合い、やりとりしているうちに、それが誤解であり偏見だったことがはっきり分かったことが多々ある。「壁」がSNSでのイザコザから生まれたこともあるが、逆に取り除かれたこともある。

いま書かせていただいたような要素を全く評価しないでただ弊害ばかりを強調して排除し、「教会会議の決定がすべてなのだから、それ以外のいかなる意見集約の場もあってはならない」とするか、それともこういうことに寛容な姿勢を我々がとるかが、教会の将来に与える影響は少なくないだろうと私は思う。

私が20年前にインターネットを始めた「ほぼ唯一の」動機が「地方の教会と都会の教会の情報格差の緩和」にあったことを加えておく。その問題はインターネットなしにはなんら解決していない。私を含めて現時点で首都圏にいる者たちの「警戒心」とは異なる思いをSNSに抱いている人々は大勢おられる。

ネットで「関東人か関西人か」の診断をしてもらったら「関東人」だという結果が出た。「関東甲信越」まで広げれば山梨も入るので「東京6年+山梨5年9か月+千葉12年10か月=」となり、51年2か月の人生(まだ終わってないが)のうちの24年7か月は「こっち」にいた。その正体は岡山県人だ。

もうほとんど他人(ひと)のことは言えない状態になってしまっているのだが、それでも今でも、首都圏の人たちというか東京の人たちが醸し出す(それが私の偏見であり誤解であることをいっそ願う)「地方のことは全く眼中にない感」を見てとるたびに不快に思っている。体は首都圏、心は地方に今もある。

後ろから前へと考える神学の強みと弱点

眼前の事実を全肯定することが実はいちばん難しい
従来ほぼそうだった「創造」から「終末」へ時系列の前から後ろへ考えるタイプの神学が陥りやすい罠は、「あるべき」「すべき」がとかく先行しやすく、現実の結果を重んじるよりも論理的整合性や未来予測のほうが大事で、誰かが悪い結果になったとき「ほら見たことか」と言い出すことではないかと思う。

「ほら見たことか」と言いながらも事態の好転に向けての打開策を一緒に考えようと温かく寄り添う姿勢があるならまだしも、最大でそういう「素振りを見せる」だけで実際には何もしない。「あるべき」「すべき」を遵守実行しないからそうなったのだと、ほぼただ言うだけで、結論も遵守実行せよで終わり。

前から後ろへ、ではなく、後ろから前へ、つまり「終末」から「創造」へという順序で考えることができれば、すべてのベクトルがほぼ従来の発想とは逆向きになっていることを意味するので、「あるべき」「すべき」の視点に立って「できなかった、しなかった」を責める発想から少し解放されるものがある。

それと、「誰かが悪い結果になったとき」と書いたが、それはどういう意味で「悪い結果」なのか、そもそもそれは「悪い結果」なのかは、よくよく考えなければならないことでもあるだろう。今ある現実、眼前の事実を指差して「存在すべきでなかった」「不幸な結果だ」とだれが何の権限で言えるのかと。

今ある現実、眼前の事実をひとまず全肯定することから出発する必要がたぶんある。神学も同じであり、神学こそそれが大事だと思う。神学的論理において徹底的に固められた現実全否定論のようなものがあるとしたら(あると思う)、神の名で全世界と全人類を否定しているようなものなので危険極まりない。

後ろから前へと考える神学とは、今ある現実、眼前の事実をまず全肯定することから出発する神学でもある。そして「前へと考える」は、今の現実の不幸と悲惨の原因は何かを探りに行くことをある意味で指しているが、それをただ嘆き、責めるだけではない。それだと、前から後ろへと考える発想と大差ない。

後ろから前へと考える神学の弱点は、今ある現実、眼前の事実をまず全肯定することから出発する神学であるだけに、具体的な事実の描写から始める必要が生じるが、そういうことをするといろいろ差し障りが出てくるので、なかなか難しいことだ。あちらにこちらに配慮して、結局抽象的なことしか書けない。

「前から後ろへと考える神学」と「後ろから前へと考える神学」の区別と関係を「前者の発想は演繹的(deductive)であり、後者は帰納的(inductive)である」と説明することは、ぴったり一致するわけではないが、ある程度可能だと思う。後者は一種の経験主義的思考であるとは言える。

対外的に差し障りが最も少ないかもしれない例を挙げておく。「私のウェストはなぜこんなに丸いのか」という問いを立てたうえで、ひとまず丸さを全肯定し、そのうえで不幸と悲惨の原因は何かを探りに行くという思考の筋道を通る。理想的なサイズはこうあるべきとだれが何の権限で言えるのかと気色ばむ。

2017年2月3日金曜日

組織神学の自由

『宣教(アポストラート)の神学』(1953年)原著(左)、長山道訳(右)

信仰の確かさを得るために神学を学ぶという動機が一概に間違っているとは言い切れないが、危険かつ有害な面もある。こういう動機で学ぶと、しばしば視点が固定される。しかし、神学の目的は逆である。人はどんなふうにも自由にものを考えられるようになることを学ぶのが神学、とりわけ組織神学である。

私が思い描く「神学」、とくに「組織神学」の理想形は、お察しのとおりファン・ルーラーのそれである。後藤憲正訳や長山道訳などの日本語版がある『宣教(アポストラート)の神学』(1953年)においてファン・ルーラーが展開しているのは「終末論から出発する神学」という顕著な特徴を持っている。

ファン・ルーラーより前の組織神学は「創造」から「終末」までを時系列の古い順に並べて考えていく構造を持っていた。その順序をファン・ルーラーはひっくり返して論じ、神学界を驚かせた。その影響を受けたのがモルトマンである。モルトマンの『希望の神学』(1964年)も終末論から出発している。

しかしファン・ルーラーは、終末論からだけでなく三位一体論からでも予定論からでも召命論からでもどこからでも組織神学を出発させることは可能であると考えた。これは単なる順序の違いにすぎないことではない。あらゆることを見て聞いて考える際のパースペクティヴとパラダイムに大きな影響を与える。

私なりにたとえて言えば、組織神学はカーナビの「ルート検索」に近い。千葉県柏市から山梨県甲府市までどのルートを通るのが最適なのかを検索する。近いとか速いとかだけでなく、おすすめの観光スポットに立ち寄りながら行くにはどのルートを通ればいいかを真剣に考えるのが組織神学の仕事である。

「組織神学」と「諸学」の関係も自由自在だ。あるいは「予定論」と「美容整形」の関係は何か、あるいは「終末論」と「ドーピング問題」の関係は何かを考える。そのたびに「ルート検索」をして、どの道をどう通れば両者がつながり、相互に自由に行き来できるようになるのかを考えるのが組織神学である。

しかしそれは必ずしも「神学の立場から」あらゆる問題を見つめるというだけにとどまらない。逆コースもある。あらゆる問題の側から「神学」を見つめることも可能である。そのとき「神学」は猛烈な批判にさらされる。そもそも神などいない、そもそも神学は学問でない、などを含めて。心躍るではないか。

「美容整形」や「ドーピング問題」のことを書いたのはモルトマンの最新著『希望の倫理』(原著2010年、日本語版2016年)で取り上げられているからだ。「インターネット」や「コンピューターゲーム」への言及もある。モルトマンの取り上げ方に私は不満だが、組織神学の可能性を示す例ではある。

2017年2月1日水曜日

ご一緒に死なねばならなくなっても(千葉英和高等学校)


マルコによる福音書14章22~31節

「ペトロは力を込めて言い張った。『たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。』」(31節)

今朝の箇所に描かれているのは、主イエスが十字架につけられる前の夜、弟子たちと共にした最初の晩餐の場面です。教団・教派によってとらえ方に違いがありますが、この最後の食事を想起するのが聖餐式です。主の晩餐式、あるいはカトリック教会のミサもその点では同じです。

主イエスはパンをとって、それを裂いて弟子たちに与え、「とりなさい。これはわたしの体である」と言われました。ぶどう酒の杯も同じようにされ、「これはわたしの血である」と言われました。

共観福音書には見当たりませんが、ヨハネによる福音書には、主イエスが自分の肉を食べ血を飲めとおっしゃる言葉を聞いた弟子たちが、「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」(6章60節)と拒絶反応を起こし、そのせいで「弟子たちの多くが離れ去り、イエスと共に歩まなくなった」(6章66節)とまで書かれています。

これで分かるのは、今日の箇所で主イエスがおっしゃっている「わたしの体」を食べ、「わたしの血」を飲めという言葉は、今のわたしたちにとってだけでなく、当時の人々にとっても、弟子たちにとってでさえ相当気持ち悪いものだったということです。

しかも主イエスは「わたしの体」「わたしの血」と2つに分けておっしゃっていますが、要するに「わたしを食べなさい」とおっしゃっています。そう言うともっと恐ろしい話になってしまいますが。

しかしそれはもちろん恐ろしい話ではありません。あなたがたの中にわたしを取り込みなさいとおっしゃっているのです。あなたがた自身がわたしになりなさいということでもあります。わたしの存在と働きを受け継ぎなさいという意味でもあります。

そして、ここから先は再び解釈に多様性があると思われますが、このとき主イエスは御自分の死の自覚をされていたので、いわば遺言として、約束として、御自分の存在と働きを弟子たちにお委ねになったと理解することができると思います。

その最後の晩餐の席で、弟子のペトロが、元気でもあり不遜でもあることを主イエスに言います。「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」(29節)。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(31節)。

「たとえ、みんながつまずいても」は余計な言い方ではありますが、ペトロの競争心の強さがよく表れています。自分はリーダーでなければならない、リーダーは他の誰よりも強くなければならないという責任意識を強く持っていた人だったことが分かります。

しかし、主イエスはそのペトロの言葉を即刻打ち消します。叱りつけたわけでもたしなめたわけでもありません。ばかにしたわけでも軽蔑したわけでもありません。ただ事実をおっしゃっただけです。言い方を換えれば、わたしはあなたにそこまでのことを求めてはいない、とおっしゃったのです。

独裁者のような人は、自分のために死んでくれる部下を求めるかもしれませんが、部下のために自分が死ぬことは決してしません。しかし主イエスは逆でした。弟子のだれも自分のために死んでほしいと思っておられないし、そのようなことはやめてくれとお止めになる方です。

ですから、結果的にペトロは自分で誓った言葉を自分で裏切り、全く正反対の行動をとってしまいましたが、それはあくまでも自分に対する裏切りであって、主イエスの命令に対する裏切りではありません。主イエスは、自分のために死んでくれとも、自分と一緒に死んでくれとも、そのようなことは一言もおっしゃっていません。

ペトロは嘘をついたわけでもありません。本気の本気で、本心の本心を言ったのです。それを実行できなかっただけです。ペトロは間違った誓いをしたのです。あなたのために死ぬ、誰かのために死ぬという誓い自体が間違っているのです。死なないでください、生きてください。それが主イエスの願いです。

主イエスでさえ死のうと思って死んだとか、死にたくて死んだわけではありません。死ぬこと自体、殺されること自体は、主イエスの本望でもなければ、ご自分の計画が実現し、達成したということでもありません。

ペトロの姿を学校教員に多いとされる「燃え尽き症候群」に関連づけて考えてみることができるかもしれません。生徒たちのために、先生がたのためにお祈りいたします。

(2017年2月1日、千葉英和高等学校 有志祈祷会)