2016年11月26日土曜日

受験生や就活中の人たちの「突破」をただ祈る

就活中の人を過度に刺激するかもしれないので勘弁してほしい記事のひとつが、人工知能やロボに代替されることになるらしい「これから消える仕事」という企画もの。教員は消える予測対象のようだが、牧師は見当たらない。まだ必要とされるからか、それとももうすでにほとんど消えているからなのか不明。

文転・理転という言葉が、私が高校生だった頃から使われていたかどうかの記憶がないが、意味はもちろん分かるし、必要性も理解できる。全く関係ないが、カト転とかプロ転という言葉は、私は聞いたことがない。キリ転とか仏転とかも、私は聞いたことがない。なんでも短くする人たちは、一定いるようだ。

私が「神学」を強調してきたのは自己弁護をしてきただけだ。ハイスクール卒業後いきなりユニヴァーシティでもカレッジでもないセミナリーに入学し、卒業後他の仕事は一切せずパスターだけをしてきた人間でも、アカデミックな面でとりあえず遜色ないところを分かってもらいたいと願っていただけなので。

「信仰」と「牧師になる意志」さえ明確ならだれでも入れる「大学」がいわば私の唯一の学歴だが、それで困ったり引け目を感じたりしたことは、いまだかつて一度もない。ついでにいえば、中学は国立、高校は県立、大学は教団立で、税金と献金で勉強させていただいた、考えうる「最安」コースでもあった。

こういうわけで、私自身は学歴に引け目を「感じていない」ので、「感じている」人たちへの励ましのメッセージを書いているつもりは全くないし、そういうメッセージにはなんらなっていないと考えている。「一緒くたにしないでほしい」とさえ感じている。偏差値偏重教育の二次被害のようなものだと思う。

とはいえ、何事も結果が大事であることは事実である。人一倍努力した人とそうでない人が全く一緒ということは通常ないし、手抜きやごまかしは見る人が見ればすぐバレる。私が学生だった頃と今とでずいぶん変わっているところもある。受験生や就活中の人たちの「突破」(ブレイクスルー!)をただ祈る。

私の「履歴」をご覧になりたい方はどうぞこちらへ(誘導リンク)