今日は久しぶりの休日なので、目覚ましアラームをセットしないでねたのに、いつもと同じ時刻に目が覚め、いつもと同じようにゴミ出しをする。生活のリズムが崩れるとかえって負担になる気がする。生活のリズムなどあったためしがない教会の牧師をしていたときとはずいぶんな様態変化。モードチェンジ。
私が日本キリスト改革派教会教師だったのは17年半。その間、神戸改革派神学校の紀要『改革派神学』に掲載された拙文は4(論文2、研究ノート1、書評1)。日本基督教団改革長老教会協議会が発行する『季刊教会』に掲載された拙文は7(小論2、講演録1、書評3、翻訳1)。後者のほうが多かった。
前者『改革派神学』に掲載された拙文4のうちの論文2は、こちらから持ち込んで載せていただいた。後者『季刊教会』に掲載された拙文7の中の翻訳1を除く6は、同誌編集部から執筆依頼をいただいて書いた。自分で強く意識していたわけではない。しかし、ふり返ってみれば私の当時の立ち位置が分かる。
誤解されたくないのは、日本キリスト改革派教会に教師として在籍していたときの私は、いざとなったらいつでも日本基督教団に戻ることができると考えていたわけではないということだ。出入り自由だと思っていたわけではない。しかし、押し戻された。神に戻れと命ぜられた。そうとしか表現しようがない。
鋭い方向けに書くが、牧師たちが自分の進退について神の名を持ち出すのは、権威づけや事実隠蔽の場合がないわけではない。私の場合は全くそうでないとは言わない。ただ、それ以上問われても困る場合、深く掘り下げないでほしい場合、第三者的好奇心をもつ人々の前に、神が敢然と立ちはだかってくれる。
しかし、これも誤解されたくないが、私は日本基督教団に「嫌々ながら」戻ってきたわけではない。そんな失礼な話があるか。教団に対しても失礼だし、私に対しても失礼だ。どなたかが私のことをそう言ったと怒っているのではない。「嫌々ながら」教会の牧師は務まらないし、学校の教務教師も務まらない。
このように書くとヨナとニネベの関係を思い出す方がおられるかもしれないことも、なんとなく察しがつく。しかし、私はヨナではないし、日本基督教団はニネベではない(それは教団に失礼だ)。大きな魚の腹に飲み込まれたこともない。なんでも聖書のどこかに当てはめて考えればいいというものでもない。
ただ、いま強く深く私の神に祈っていることは、「あともう少し時間をください」ということだ。できればあと数年。その時間を神が与えてくださるかどうかは分からない。軟着陸であったとは言えず、私自身もまだリハビリ中でもある。もう少し、あと少し。ザードさんの歌のような話にだんだんなってきた。