2015年1月8日木曜日

主の山に備えあり


「アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名づけた。そこで、人々は今日でも『主の山に、備えあり(イエラエ)』と言っている。」
(創世記22:14、新共同訳)

「『ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。』ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、その場所をベテル(神の家)と名づけた。」
(創世記28:17-19、新共同訳)

「『わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。』」
(創世記45:4-5、新共同訳)

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」
(ローマの信徒への手紙8:28、新共同訳)

「天にいますわたしの父の御旨でなければ、髪の毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます。実に万事がわたしの救いのために働くのです。」
(ハイデルベルク信仰問答 問1の答、吉田隆訳)

「『アーメン』とは、それが真実であり確実である、ということです。なぜなら、これらのことを神に願い求めていると、わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれているからです。」
(ハイデルベルク信仰問答 問129の答、吉田隆訳)