2015年1月6日火曜日

ネットの説教の需要は増加傾向にあります


「2015年新年礼拝説教」のアクセス数が「400」を超えました。ふだんの40倍です。

香山リカ先生がツイッターで、肯定的なコメントつきでリツイートしてくださったおかげです。

何が起こるか分からない2015年です。

今週の説教:2015年新年礼拝説教
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2015/01/1.html

グーグルの検索結果が何を意味するのかは、いまだもって全く理解できていない私ですが、

(専門用語で私に説明しようとしても無駄ですからね、アルゴリズムだとかカタカナ見るだけでゾワゾワする人間です)

つい気になるのは「今週の説教」の検索結果です。

私の「今週の説教」は、なぜかしばらく最上位にランクされていましたが、ずいぶんサボっていた間は、検索しても何ページも出てこないほどランク落ちしていました。

しかし、このたびかろうじて1ページ目(第10位)に返り咲いたようです。

以下は、つい先ほど検索してみた結果の1ページ目です。

2位も3位も「富士見町教会」なのは悔しいですけど納得です。藤盛勇紀牧師の説教は絶賛に値します。私も毎週礼拝に通って藤盛先生の説教を聴きたいくらいです。

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Google検索「今週の説教」(2015年1月6日)

約 615,000 件 (0.23 秒)

検索結果

今週の説教 こうじ神父
blog.goo.ne.jp/knkouji

今週の説教 日本基督教団富士見町教会
www.fujimicho-kyokai.org/preach/index.html

今週の説教 日本基督教団富士見町教会
www.fujimicho-kyokai.org/sp/sekkyo/new.html

今週の説教 日本福音ルーテル大阪教会
www.geocities.jp/jelcosaka/service.html

今週の説教 カトリック伊丹教会
www.itami.net/sermon.html

今週の説教 日本キリスト教団 仙台青葉荘教会
www.aobasou.com/category/sermon

今週の説教 日本福音ルーテル天王寺教会
www.k4.dion.ne.jp/~tenno-ji/service.html

今週の説教 キリスト改革派東洋宣教教会
shining-hill.jimdo.com/今週の説教/

今週の説教 日本基督教団多度津教会
tadotsu-ch.com › メッセージ

今週の説教 (これです)
yasushisekiguchi.blogspot.com/

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クリスチャンの方々は、けっこうネットで、いろんな教会のホームページを見たり説教を読んだりしておられるようです。とくに年配のクリスチャンの方々は、ネットに期待するものはキリスト教と教会に関する情報が中心で、それ以外のことにはあまりネットは使わない、というケースが多いかもしれません。

とくに後期高齢者の方々で、自動車の運転免許証を返上なさった世代の方々、しかも「これからはクルマ社会になる」と言われていた(50年くらい前に造られた)郊外型の(当時の)新興住宅地(バスはかろうじてあるが、鉄道はない地域)に住んでおられるような方々から、ネットの説教の需要があります。

若い頃は、自分で自動車をすいすいと運転して、どんな遠い町でも、自分の教会に通っていた。しかし、今はそれが叶わなくなった。子どもたちは信仰をもって(くれ)ないし、同居もしていないので、だれも教会に連れて行ってくれない、というようなことになっていたりする場合が、少なからずあります。

配偶者も動けない、または召された。教会の仲間が迎えに来てくれていた時期もあるが、仲間もみんな(後期)高齢者になった。それでも説教に触れたい。そういうときに、ネットで説教を読んでおられるようです。これ、特定のだれの話というわけではありません。かなり多くの方が同様の状況におられます。

結語

こんなふうに私がネットの説教の需要を力説しなければならないことには、理由があります。牧師たちがネットを利用することに対していまだに根強い批判があるからです。しかし、いま教会に「通える」人たちと、ネットなしでいつでも最新情報を入手できる人たちは、ある意味で「幸せ」なのだと思います。

しかし、教会と牧師が「幸せな」人たちだけに関心をもつようになり、その人たちの益のためだけに動くようになったらおしまいだと私は考えています。教会に「通えない」人たちがどうしたら「通えるようになる」かを考えることも大事です。しかしそのベクトルだけではなく逆のベクトルの思考も必要です。

言い方は過酷かもしれませんが、時計は逆回しできません。人間の年齢は不可逆です。若い頃にできていたことができなくなった。それがまたできるようになる可能性は、あるものとないものとがあります。それは私だって同じです。抜けた歯は二度と戻ってこないし、進んだ老眼は二度と回復しないでしょう。

「これからはクルマ社会になる」という50年前の「予言」に基づいて描かれた教会と信徒の各家庭の関係(物理的距離や移動手段の問題が主)は全面的に見直される必要が生じています。ただ、その一方で、ネットは非常手段であると私自身は考えています。ネットを教会に置き換えることは考えていません。