2015年1月6日火曜日

子どもだからこそ真剣勝負です


前にも書きましたが、私が成人洗礼を受けたのが小学校入学前のクリスマス(1971年12月26日)でしたから、6歳でした。教会附属幼稚園の園児、日曜学校幼稚科の生徒。私は神さまのこと、聖書のこと、教会のことについて十分に考えていたし、十分に悩んでいました。早熟でもなんでもありません。

私が教会から離れて生きることはありえないことなのに、なぜ私は聖餐に与れないのか、仲間はずれにするなと怒りの念を抱き(6歳の幼稚園児)、牧師(当時70歳くらい)に直談判で洗礼を授けてもらいました。そういう私ですから、子どもを甘く見ることはありえません。子どもだからこそ真剣勝負です。

誤解がないよう言葉を足しておきますが、私は自分が受けた洗礼のあり方(6歳の幼稚園児が成人洗礼)を絶対化するつもりはありません。私の子どもたちには、生後まもなく幼児洗礼を授けました。上に書いたことの趣旨は、「幼稚園児も宗教問題で十分に悩みうることは私には分かる」ということだけです。

ありていに言えば、こと宗教問題に関しては、子どもに「子どもだまし」は通用しません。難解な専門用語を使え、という意味ではありませんが、事に即して正確に教える必要があります。不正確な情報しか教えられないなら、いっそ宗教に関しては何も教えないほうがまだましかもしれないと思うくらいです。