2015年1月22日木曜日

ケータイの形のスマホでも、それがスマホである以上、私は無理です

ケータイに戻して2年7ヶ月になります

スマホに換えて、懲りて、ケータイに戻して2年7ヶ月になります。ケータイのボディが、さすがに劣化してきました。そろそろ機種変したいのですが、我慢我慢。スマホへの逆行はないので、次のケータイはどれにしようかと夢をふくらませています。ケータイメールは相変わらず家族とのやりとりだけです。

スマホは手に馴染まなかったので、電話回線を止めて、今はWIFIカメラとしてだけ使っています。ケータイとタブレット(中古で購入)とパソコン(自作デスクトップ)を使っています。LINEは、アカウントだけはだいぶ前に取得しましたが、友達ゼロ状態で放置しています。誰も相手してくれません。

スマホに致命的な問題を感じたのは、「電話」と「他のもろもろの機能」とが並列関係で一緒くたにぎゅうぎゅう詰まっている状態の道具である点です。ケータイにもいろいろ付いているといえばついていますけど(写メとかです)、ケータイとは比較できないほど大量のアプリを、スマホは入れられますよね。

つまり、スマホが「電話」に与えている位置づけは、多くのアプリの中の一つにすぎないものでしかないと私には見えます。激しく相対化されている。全体の中の一パート。しかし私は、電話というのは、他のもろもろのアプリとは比較できないほど「別格の存在」だと思うんです、重要度と危険度とにおいて。

他のアプリの操作をしているうちにとか、スマホを胸ポケットに入れて歩いていたら、うっかり誤操作でかける意志のない相手に電話がかかってしまったなどということは、絶対にあってはならないことだと、私は思うのです。間違い電話やいたずら電話と、スマホ誤操作電話とは、受ける側の迷惑は同じです。

スマホを短期間使ってみて、これは無理だと思ったのは、「なんでもかんでも一緒くた感」です。特に「電話」と「他のもろもろ」は完全にベツモノとして分離されていなくては不安でたまらない。ひたすら恐ろしい。

そこが無理なので、「ケータイの形のスマホ」も、それがスマホである以上、私は無理です。

あと、スマホで電話かけようとする人を見ているとけっこう共通しているのは、取り出してから電話かけるまでに時間がかかること。「えーと、これ押して、ここ出して」。そのうち他のアプリのボタンを誤って押して、「あ、別のが立ち上がっちゃった。あ、メモリが少ない。え?あ?や?」イライライラ。

というわけで私、スマホに換えれないんじゃなくて(いえ、換えれないんです笑)、一度はスマホにしたけど、これはツールとして非常に危険なものだと察知するものがあったのでスマホは使わないことにしたんです。

こんな釈明文、他の方にはどーでもいいことですが、いつか書いておこうと思っていました。

私はとにかく「電話」と「他のアプリ」がバリアフリーですーっと移動できるような状態にあることに戦慄すら覚えます。遊園地に爆弾が仕掛けられているような感じとまで言うのは大げさすぎるでしょうか。「電話番号」は名刺に書くほどのものですよ。

大きな声では言えませんが(とネットに大っぴらに書く)私も「電話」はあまり好きではありません。心臓に悪いですね。メールかSNSでお願いします。

スマホを利用されている方への嫌がらせとかでは全くないですからね。スマホが「通話もできるパソコン」であっても構いませんけど、とにかく有料の電話回線とはメカ的にベツモノであってほしい。何の誤操作で課金が始まるか分からない不安とかは真っ平だと言いたいだけです。