2019年4月27日土曜日

百人隊長の謙遜(2019年4月27日、中学校礼拝)


ルカによる福音書7章1~10節

関口 康

みなさん、おはようございます。今月から3年生の聖書の授業を担当しています。日本キリスト教団昭島教会牧師の関口康です。

3年生の方々への挨拶は済んでいますが、1年生と2年生の方々は今日が初めてです。しかし、2年生の方々は一度お会いしました。昨年12月20日クリスマス礼拝で私がお話ししました。またお会いできたことに感謝しています。

今日の聖書の箇所に書かれていることをお話しします。イエスさまのもとに何人かの人が血相を変えて訪ねてきました。話の内容は、「百人隊長」と呼ばれる人の部下が重い病気で死にそうになっているので早く行ってあげてほしいということでした。

理解できる話です。しかし、そのときその人たちが余計なことを言うのです。それは次の言葉です。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです」(4~5節)。

「あの方」とは百人隊長です。軍隊の人です。百人の兵隊を率いるリーダーです。部下に信頼される上司です。ユダヤ人のために会堂を建ててくれた人だとも言われています。自分のお金をたくさんささげてそれを建ててくれた人だということで、多くの人々に大変尊敬されていました。

いま病気で苦しんでいて死にそうになっているのは、その百人隊長さまの部下ですというわけです。つまり、「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です」というのは、あれほど尊敬されているあの方とその部下を助けるのは、あなたにとって当然のことですと、この人々は言っているのです。

しかし、それは余計なことです。悪気などは全くなかったでしょう。しかし、言葉を選ぶセンスがありません。「あの人を助けるのは、あなたにとって当然である」と言っているように聞こえることを言っています。少なくとも二つの意味で問題です。

一つは、もしそうだというなら、助けなくてもよい人がいるのかという問題です。「尊敬されていない人は助けなくてもよい」のですか。

もう一つの問題は、今困っている人がいるからその人を助けなくてはならないと、そのように言っている人たち自身がその人を助けるのではなく、イエスさまにそれをさせようとするのは何を意味するか、です。

彼らが言っているのは、レッツ・ゴーではなく、レット・ユー・ゴーです。もっとはっきり言えばゴーです。彼らはイエスさまに「行け」と命令しているのです。何の権限でイエスさまに命令するのですか。

しかし、なんと驚くべきことに、イエスさまは、その人たちにそう言われてすぐに腰を上げて、百人隊長の家へと向かってくださったというのです。「私に命令するな」と腹を立てないで。ここに、イエスさまの謙遜な姿を見ることができます。

しかし、ここで間違えてはならないのは、このときイエスさまは多くの人から尊敬されている百人隊長だから助けようとなさったのではない、ということです。どんな人でも分け隔てなく、イエスさまは助けてくださいます。これこれの業績がある人だから助けるのは当然であるが、そうでない人は助けないというような差別を、イエスさまはなさいません。

もう一つ、これも間違えてはならないのは、そういうふうにイエスさまに言ったのは百人隊長自身ではなかったことです。百人隊長自身が私の部下を助けるのはあなたにとって当然であると、イエスさまに対して考えていたわけではありません。

実際にそうであったことが分かるように記されています。イエスさまが途中まで来られたとき、百人隊長の友人がイエスさまのもとまで来て言いました。

「主よ、ご足労に及びません。わたしはあなたを自分の家の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください」(6~7節)。

この百人隊長は、本当に謙遜な人でした。だからこそ多くの人に尊敬されたのです。逆に言えば、謙遜でない人は尊敬されません。命令して人を動かすことしか考えない人は。それと、差別する人は。

今日の結論を言います。わたしたちみんな謙遜になりましょう。先生たちも謙遜になります。私も謙遜になります。生徒の皆さんも謙遜になりましょう。今日の聖書の箇所のイエスさまの謙遜や、百人隊長の謙遜に学びましょう。

私はこの学校のみなさんにお会いできるのが、うれしくて楽しくて仕方ありません。みなさんのことが大好きです。愛しています。だからこそ、みなさんには立派な大人になってほしいと心から願って、厳しいことを言います。

今日も一日、がんばりましょう。連休の間、みなさんの健康と安全が守られるようにお祈りしています。

(2019年4月27日、中学校礼拝)

2019年3月10日日曜日

神の愛


ローマの信徒への手紙8章31~39節

関口 康

「死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」

今日は、昭島教会のみなさまに対する特別な感謝の思いをもってこの場に立たせていただいています。

私が東京都昭島市に引っ越ししてきたのがちょうど1年前の今日です。2018年3月10日。土曜日でした。正確に言えば、私の荷物だけは2日前の3月8日木曜日に到着しました。牧師館の改修工事をする予定になっていて、まだ入居できない状態でしたので、代わりの仮牧師館として昭島市内の一室で単身赴任生活を始めさせていただきました。

そういうわけで、今日は私の昭島生活1周年の記念日です。引っ越しの日から今日までの1年間、大変お世話になりましてありがとうございます。

しかし、翌日の3月11日日曜日は昭島教会の礼拝に出席しませんでした。私が千葉英和高等学校の常勤講師として日本キリスト教団の教務教師だった1年間と、翌年の無任所教師としての1年間、合計2年間、家族と共に住んでいた借家から最も近かった日本キリスト教団小金教会の礼拝に、他の教会から説教を依頼されていない日曜日のほとんどに出席していました。その小金教会のみなさんにお別れの挨拶をするために、3月11日は小金教会の礼拝に出席しました。

そして、その後すぐに、昭島市内の仮牧師館に戻りました。滝澤操一さんが冷蔵庫と洗濯機と電子レンジを持ってきてくださいましたので、それを据え付けました。滝澤操一さんにこの場をお借りして個人的な感謝を申し上げます。ありがとうございます。

いまご紹介しましたのは、昨年3月11日日曜日のことです。前日の3月10日土曜日の日記も確認しました。その日に私が何をしたかを思い出しました。すっかり忘れていました。

日本キリスト教団の無任所教師であった1年間、何もしないわけに行かなくてお手伝いしていた建築会社の社長はイスラム教徒のイラン人の方(モハマッド・バニジャマリさん)でしたが、その社長さんが朝8時半にご自分の大型トラックで私の家まで来てくださり、いわゆる引っ越しごみを千葉県柏市の3か所のクリーンセンターまで運び、ごみを捨てました。

それが全部終わったのが午後5時でした。そして、レンタカー(カーシェア)で千葉県柏市から昭島市まで来ました。昭島市に到着したのが、夜10時でした。

「目まぐるしい」という言葉を辞書で調べると「目の前にあるものが次から次へと移ったり動いたりするので目が回るようだ」という意味であると書かれています。1年前の今日と明日の私は、まさに目まぐるしい状態だったことを、日記を見て思い出しました。

なぜこの話をしているかと言いますと、ちょうど1年前の今日の私の心境はどのようなものだったのかをお話ししたいと思っているからです。それを言い表すためにそのままぴったり当てはまる言葉を、パウロが書いています。コリントの信徒への手紙一2章3節です。「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れにとりつかれ、ひどく不安でした」。

「衰弱していた」というわりには丸々と太っていたとは思いますが、心理的・精神的な面での衰弱です。「無任所教師」と言っても、私は完全な失業者でした。2人の子どもたちがまだ学業の途中であったその最中に父親である私が失業してしまい、家族に大きな迷惑をかけました。

私にできることといえば、教会の牧師の仕事、すなわち「伝道」しかないのですが、伝道はお金儲けの手段ではありません。牧師とその家族は教会のみなさんに生活を助けていただいているだけです。

前に所属していた教派と、最後の教会をなぜ辞めたかについては、みなさんにきちんとお話ししていません。「何があったのですか」と尋ねないでいてくださることを感謝しています。そのうちいつかお話しできる日が来るかもしれませんし、来ないかもしれません。

パウロが「私は衰弱していた」と書いているのは、コリントに行く直前にいたギリシアのアテネの伝道が失敗したことを指していると言われることがあります。「伝道に失敗も成功もない」という見方もあるとは思いますが、自分の主観において、あるいは他者から客観的に見て「あれは失敗だった」と評価されざるをえない伝道は、実際にはありうると思います。

そのようなことを私も体験しました。何よりも悲しく、そして申し訳ない気持ちでいるのは、私の家族を苦しめてしまったことです。その苦しみは今も続いています。

しかし、今の私の心の内にあるのは、今日までの1年間、温かく助けてくださった昭島教会のみなさまへの感謝です。そして、伝道へのさらなる意欲と、明日への希望です。

幸か不幸か、私は自分が「神に召された伝道者」であるということを自分で否定することができません。自分の思い込みではないかと、何度も何度も疑います。しかし、具体的な教会から牧師として招聘していただき、さらにこのたび都内のミッションスクールで聖書を教える教員としての仕事を再び与えられる運びになりました。

昭島教会のみなさまとも、また来月から働かせていただくミッションスクールとも、過去に何のつながりもなく、お互いに全く知らない関係でした。その私に「御言葉を宣べ伝えなさい」と伝道の場所と機会を与え続けてくださっているのは神であるとしか言いようがありません。すべてが奇跡であるとしか言いようがありません。私は伝道をやめないし、やめることができません。神がそうするように私に命じておられるからです。

先週申し上げましたとおり、来月からミッションスクールで働かせていただくことが決まったのが、先週日曜日の前日の3月2日土曜日でした。面接試験が行われたのが3月2日土曜日でした。面接試験の様子は牧師招聘委員会さながらだったことをお伝えしておきます。一般的な教員採用試験とは性質が違いました。

面接で私が答えたのは今日みなさんにお話ししていることと同じです。「もともと私は学校の教員になるつもりはなかった。教会の牧師であることしか考えたことがなかった」と言いました。教員免許は20年以上、書斎のごみの山の中に放置したままでした。その話も面接のときはっきりしました。そのうえで採用していただきましたので、隠すような内容ではないと思います。

ほとんどすべて自分の話だけになってしまい、申し訳ありません。今日開いていただいた聖書の箇所に記されている御言葉は、今の私の思いと全く同じであると確信できるものがあります。

「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」(31節)。

ここにパウロが書いているのは、誤解されやすい言葉かもしれません。パウロは、だれが自分の敵で、だれが自分の味方かという「敵・味方」の話をしたがっているのではありません。「敵はいない」という意味での「無敵」であると言っているだけです。だって神が共にいてくださるのだから。

そして、その神が大切なひとり子イエス・キリストの命さえも惜しまずに差し出してくださったのだから、イエス・キリスト以上に大切な存在は他にないのだから、そのイエス・キリストの命を差し出してくださったその神がすべてのものをわたしたちに与えてくださらないわけがないでしょうと言っているだけです。

そして、その神が「御計画に従って召された」神を愛する者たち(28節)を愛してくださるその愛からわたしたちを引き離す力はどこにもあるはずがないでしょうと言っているだけです。わたしたちは神に愛されて、神を愛する者へと造りかえられました。互いに愛し合うことが始まれば、プロポーズはどちらが先だったかは問題でなくなります。

私は自分で自分が「神に選ばれた人間である」と言い張るつもりはありません。しかし、これまで生きてきた人生の中で「神がわたしを愛してくださっている」ということを十分に信じるだけの十分な根拠を何度も繰り返し与えてくださいました。そのことだけは言えます。

これは私だけの話ではないと思うのです。みなさんも同じだと思うのです。「私が神に愛されていると思えたためしは、いまだかつて一度もありません」とおっしゃる方が、あるいはおられるかもしれませんし、実際にそのような叫び声を聴いたことがあります。最も身近なところで。

その叫び声に私はどのように答えればよいかが分かりません。私に申し上げることができるのは、私自身も決して順風満帆で生きてきたわけではないということです。何もかもすべて良いことばかりで、悩みも苦しみもない人生を生きてきたわけではありません。

しかし、苦労も含めて、嘆きも悲しみも含めて、「神がわたしを愛してくださっている」ということを信じる根拠として十分すぎるほどでした。

(2019年3月10日、日本キリスト教団昭島教会 主日礼拝)

2019年1月14日月曜日

求めなさい、そうすれば与えられる(日本キリスト教団西東京教区多摩地区新年礼拝)

日本キリスト教団小金井緑町教会(東京都小金井市)

マタイによる福音書7章7~12節

関口 康

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門を叩きなさい。そうすれば、開かれる。」

多摩地区諸教会の皆さま、あけましておめでとうございます。

今日選ばせていただきました聖書の箇所は、マタイによる福音書7章7節から12節までです。イエス・キリストの山上の説教の一節です。とても有名な箇所です。教会に通っておられない方々にも「その言葉なら知っている」と思っていただけるに違いない箇所です。

私は英語の発音が苦手なので、恥ずかしいことを多くの方の前でしないほうがよさそうです。しかし、この御言葉のニュアンスを知るための参考として、17世紀の英語聖書「改訂標準訳」(Revised Standard Version)でこの箇所の最初の三つの言葉を読ませていただきます。

Ask, and it will be given you.
Seek, and you will find.
Knock, and it will be opened.

「改訂標準訳」(RSV)の訳にこだわるつもりはありませんし、この訳が正しいかどうかを問題にしたいのでもありません。もしかしたら英語版の言葉のほうが日本語版より覚えやすいのではないかと思っただけです。

「求めなさい。探しなさい。門をたたきなさい」は、Ask, Seek, Knockです。頭文字をとるとASK(求めなさい)です。ただの駄洒落ですが、覚えやすいでしょう。

英語版を読んでみて、もうひとつ分かったことがあります。

それは、ここで語られている三つのことは、もし事柄を厳密に考えなければならないとしたら、「求める」とはどういう意味であり、「探す」とはどういう意味であり、「門をたたく」とはどういう意味であると、ギリシャ語原典に基づいてそれぞれの言葉の意味を辞書で調べたうえで、それぞれが全く異なる内容であると言わなければならないかもしれません。

しかし、いくらか大雑把に考えることが許されるとしたら、それほど大差ない、三つでひとつのことが語られているようでもある、ということです。

そして、今日の説教の準備をしているときにはっと気づかされたのは、この三つの言葉の意味を読み解く鍵が三つめの「ノック」(Knock)の理解にあるのではないかということです。それは、私がはっと気づかされただけのことであって、私の思い込みかもしれません。

今日のこの新年礼拝は多摩地区諸教会の皆さまの大切な時間ですので、私の個人的な話に時間を費やすのは皆さまに対する失礼に当たると思いますが、まだ新入りですので、ほんのちょっとだけお許しください。

一昨年度(2016年度)の4月から3月までの1年間、私は千葉県八千代市にある日本キリスト教団関係学校である千葉英和高等学校で聖書科常勤講師として働かせていただきました。1年で終わったのは代用教員としての採用だったからで、悪いことをやらかしたわけではありません。

聖書の授業や学校礼拝の説教だけでなく、進路指導課や生活指導課などにも配属されました。そして、寒かった記憶がありますので、たしかちょうど今の時期、つまり冬だったはずですが、推薦入試を受ける何人かの生徒の面接指導もしました。その中で生徒に「ノック」のマナー指導をしました。そのことを思い出しました。

さて問題です。学校の入学試験や会社の採用試験の面接室に入る場合のノックは何回叩くのでしょうか。安田昌英先生、お答えください。はい、正解です。正確には「日本では3回」です。

国際的な儀礼ルールでは4回が正解だそうです。しかし、日本で4回は叩きすぎで、自己主張しすぎでうるさいのでNGです。逆にノック2回はトイレに入るときの回数です。中に人がいるかどうかを確かめる空室確認の回数が2回です。

しかし、面接の場合は、部屋の中に面接官がいることが当然分かっているはずなので、空室確認の2回は失礼に当たるというのがNGの理由です。その真ん中をとって3回が、日本では正解です。

このたび考えさせられたのは、イエスさまは弟子たちに、そしてわたしたちに何回ノックすることをお求めになっているだろうか、ということです。

もっとも、イエスさまご自身がノックの回数を問題になさるわけがないと、私も思います。何回叩こうと「それはマナー違反である」というようなことを理由にイエスさまがわたしたちを叱りつけなさることは考えにくいです。私が言いたいことも、そういう意味ではありません。

重要なのは、ノックをするその人の心の中にある意図は何かということです。そのことをよく考えなければならないのではないかと思いました。その意図は部屋の中でノックの音を聞く方に必ず伝わります。そもそも相手にその意図を伝えるためにノックするわけです。

1回(コン)だけだと、石かゴミが風に運ばれてきて当たっただけか、それともネコかネズミが体当たりしてきただけか。いずれにせよ人間としての意思表示がなされているようでない。

2回(コンコン)だと、その意味は空室確認ですから「中にだれもいませんように」という願いが込められているようでもある。中から「コンコン」と叩き返す音が聞こえたら、立ち去る構えでいるようでもある。

3回(コンコンコン)は、日本のマナーとしては正解。中で待っている相手に対する信頼と配慮がある叩き方。

4回以上(コンコンコンコン、ドンドンドンドン)になると、中にだれがいるか、だれもいないかは、もはや問題でなくなっている。

ただ自己主張したいだけ。しびれを切らしていらいらしながら腹立ちまぎれの破壊衝動を抑えきれないでいるだけ。いっそ門を叩き壊したがっている状態。攻撃的で破壊的な意思表示ですらある。お願いの域を超えて暴力の域に達している。

そうでない場合を考えなければならないかもしれません。

そうではないのだ、神は耳が遠い方なのだ。だから聞こえないのだ。だから、わたしたちの願いを叶えていただけないのだ。何度も叩かなければ、大きな声で呼ばなければ、聞こえないし、開けてもらえないのだ。つまり、いろいろとご不自由になっておられる神への温かい配慮の気持ちで叩き続けるのだ。

あるいは逆に、制圧の意図がある場合。神よ、お前がそこにいるのは分かっている。出てこい。お前は完全に包囲されている。どこにも逃げ場はない。ドンドンドンドン、ドンドンドンドン。

あるいは脅迫。門を開けないつもりなら、ハンマーかブルドーザーで叩き壊してやる。開けろ、開けろ。ドンドンドンドン、ドンドンドンドン。

今申し上げているのは冗談で言っていることではありません。今日の聖書の箇所に記されている「門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」というイエス・キリストの言葉の意味は何であるかを、できるだけ具体的にイメージしながら考えているだけです。

そして、同時に、順序としては三番目の「門をたたきなさい」(ノック!)の意味をどのように理解するかが「求めよ。そうすれば、与えられる」から始まる三つの言葉の意味を理解する鍵になるのではないかという想定のもとで考えているだけです。

先ほど私は回数そのものをイエスさまが問題にすることは考えにくいと申しました。しかし、回数の問題になることが実際にはありえます。

「私の願いが叶わない」と嘆く人々に「それは祈りが足りないからだ」と教えられることがあります。「あなたは何時間祈っていますか。その祈りを何日続けていますか」と言われることがあります。

しかし、祈りは神への脅迫でしょうか。制圧でしょうか。神の耳が遠いのでしょうか。新年早々、初対面の皆さまにけんか腰で何かを申し上げたいのではありませんが、ぜひ考えていただきたいのは、いま申し上げた点です。

入室マナーの話に少し戻します。2回叩くのと3回叩くのとの違いは空室確認かどうかの違いであると先ほど申しました。それを考えているときに気づかされたことは、イエスさまが「門をたたきなさい」の後に「そうすれば、開かれる」とおっしゃっていることの意味は何かということです。

門が開くかどうかが分からないのは当然です。門を開くかどうかを決めるのは中の人です。入る側の人間が決めることではありません。門の中に入れるかどうかは、中の人が門を開けてくださるかどうかにかかっています。

イエスさまは「そうすれば、開かれる」とおっしゃっています。これは素晴らしいことです。その門を開けてくださる方が、中におられるということです。

「改訂標準訳」(RSV)では、it will be openedと受動形です。ノックしている本人が門を押し破るのではありません。自然現象として「ひとりでに開く」のでもありません。

わたしたちに求められるのは、「必ず開けてもらえる」と信頼し、開けてもらえるまで待つことです。そして、そもそも門を開けてくださる方が部屋の中に「おられる」ことを信じることです。

今申し上げていることがそのまま三つの言葉に当てはまるのだと思います。最初の「求めなさい。そうすれば、与えられる」にも、二番目の「探しなさい。そうすれば、見つかる」にも。

わたしたちに求められるのは、わたしたちに必要なものをすべて与えてくださる方がおられることを信じて、求め、探すことです。

最終的に問われるのは、そのような「神」が「おられる」という「信仰」です。

(2019年1月14日、日本キリスト教団西東京教区多摩地区新年礼拝、於 小金井緑町教会)

2019年1月1日火曜日

喜べ、あなたのその人生を(2019年元旦礼拝)


テサロニケの信徒への手紙一5章16~18節

関口 康

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」

あけましておめでとうございます。

新年礼拝の説教は主任牧師が担当してくださることになっていましたが、主任牧師はクリスマス礼拝とクリスマスイヴの音楽礼拝で説教してくださいましたので、新年礼拝は私がさせていただくことになりました。お引き受けした以上、なんとか責任を果たしたく願っています。ふさわしくない者をお用いいただき、感謝いたします。

なぜふさわしくないと思うのかといえば、昨年の元旦礼拝には、私はここに姿かたちを現わしていなかったからです。何ごともまず一度見習いをしてからでないと、責任ある仕事に就くことができません。荷が重いです。

私がこの教会の礼拝に最初に登場したのは昨年1月28日です。あと1か月足らずで丸1年になります。私にとって、またおそらく皆さんにとっても、大きく変化した年だったと思います。教会の皆さんにとって「良い」変化だったのか悪かったのかは私には言えません。私にとっては「とても良い」変化でした。そのようにはっきり申し上げることができます。

さて、今日開いていただきました聖書の箇所は、新約聖書のテサロニケの信徒への手紙一の5章16節から18節までです。内容は先ほど朗読したとおりです。

これは使徒パウロがテサロニケの教会の人々に向けて書き送った言葉です。しかし、同じ趣旨の言葉がやはり同じパウロのフィリピの信徒への手紙4章4節にも記されています。「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」と。

2つの箇所を指摘するだけで断言するのは根拠に欠きますので、「私の想像では」とお断りしておきます。私の想像では、パウロはどの教会に対しても、だれに対しても、これと同じことを書いたり語ったりしていたのではないかと思います。

「いつも喜んでいなさい」と「常に喜びなさい」はもちろん同じ意味です。また、大切なことだと思うので申しますが、「喜ぶこと」と「楽しむこと」と「遊ぶこと」とは厳密に区別しなければならないようなことではありません。エンジョイすることです。

「喜びはするが、楽しまないし、遊ばない」(?)とか、「苦虫をかみつぶして喜ぶ」(?)というのは、実際にありそうな気がしなくありませんが、支離滅裂でもあります。無理して分ける必要はありません。楽しむこと、遊ぶことは、忌まわしいことではありません。自動車のハンドルに「遊び」がなければ事故を起こします。

そして、「いつも喜んでいなさい」と命令形で書かれていることも重要なポイントです。喜ぶことが命令されています。見方によっては異様なことかもしれません。

なぜ異様かもしれないのかといえば、喜ぶか喜ばないかは、きわめて内面的なことであり、心理的なことであり、主観的なことなのだから、要するに個人の問題であると言われればそのとおりだからです。何をどのように感じようとすべて個人の自由である。「喜びなさい」と人から命令されるようなことではないと感じる方がきっとおられるでしょうし、私も同感です。

それはちょうど、昨年この教会に大きな変化があったことについて、それが教会の皆さんにとって良い変化だったのか悪かったのかについては私には言えませんと申し上げたことに通じます。「良かったでしょ、喜んでください」と私が言うのはおかしいです。きっといろんなご意見やご感想がおありでしょうから。

しかし、パウロのこの言葉の中に、もしかしたら記されるべきなのに、記されていないことがあります。それは「何を」喜ぶのかです。そのことが記されていません。なぜ、もしかしたら記されるべきなのにと思うのかといえば、わたしたちにおそらく共通している「喜べることと喜べないことがある」という感覚の問題です。

それは、よく聞くけんかの口上で「言ってよいことと悪いことがある」と言うのに似ています。この言葉が聞こえたらけんかが始まると思うほうがいいです。けんかはしないほうがよいに決まっています。しかし、ところ構わず暴言をはく人や、したい放題の人がいると、止めに入らなければならない場面がないとは言えません。

そのようなときに「いつも喜んでいなさい」という今日の聖書の言葉を思い出し、今すぐ止めに入らないとトラブルが拡大するであろうことが目に見えているのに押し黙り、手をこまねいて見ているというようなことに、もしなるとしたら、それでいいのかという思いがわたしたちのうちに起こらないとは限りません。

しかし、私は今、そういうときはぜひけんかしてくださいと言おうとしているのではありません。それは誤解です。いま申し上げているのは、パウロが「何を」喜ぶのかを記していない、ということだけです。

それが記されていない場合、わたしたちにできるのは2つです。ひとつは、想像力を働かせて補うことです。もうひとつは、パウロが書いていることにそもそも限定はないのだと理解することです。

私は2つは同時に成り立つとも考えます。パウロがはっきり記していることが、「いつも」または「常に」喜びなさい、ということだからです。その「いつも」「常に」を文字通り厳密にとらえてよいとしたら、パウロが命令している「喜び」には本当に全く限定がないと理解するほうがよいかもしれません。

しかしまた、もし本当に限定がないとしたら、それはそれで困ったことになるでしょう。それは、喜んでいる場合でない、大いに腹を立てるべき場面でわたしたちはどうすべきかという問題が生じる可能性があるからです。

そういう問題がありますので、たとえパウロがそれは「何」かを書いていないことであっても、想像力を働かせて補うことによって喜びの範囲を限定しておくほうがよいではないかという気持ちに私もなります。

それで、今日の説教の題にたどり着きました。「喜べ、あなたのその人生を」。パウロはこのように書いていません。パウロの言葉には、喜びの範囲の限定はありません。

しかし、「聖書にこんなことが書かれていますけど、何を喜べばいいのですかね」と尋ねられたときに笑ってごまかすのも一興ですが、それで済まない場面があります。そのときわたしたちが、だれかの質問に対して、あるいは自分自身に対して何らかの答えを考えて準備しておくのは悪いことではありません。

しかし、だからといって根拠がないことを答えるわけには行きません。それで私のひとつの提案として、「いつも」または「常に」とパウロが書いていることを文字通りとらえることで見えてくる答えを考えてみたまでです。

それは、わたしたち自身の人生です。「いつも」「常に」わたしたちと共にあるのは自分自身の存在です。わたしたちの存在とは、わたしたちの体と心です。両者は切り離すことができません。そのわたしたちの存在を自分自身で受け容れ、喜ぶことこそが、「いつも喜ぶこと、常に喜ぶこと」を意味しているのではないでしょうか。

当然のことながら、眠っているときもわたしたちは存在します。眠っているときは消えているとしたら恐ろしいことです。しかし、わたしたちの主観からすれば、眠っている間は消えています。そして、「いつも喜んでいなさい」といくら言われても、眠っている最中まで喜ぶのは難しいかもしれません。わたしたちが安心して眠っている姿を見て安心してくれる人がいれば、それでよいのではないでしょうか。

しかし、私はここで急ブレーキを踏むほうがよさそうです。何を言うか関口牧師、わたしたちにとって最も喜ぶことができない、最もまがまがしいと思っているのは他ならぬ自分のこの存在である。面倒くさくて、だらしなくて、鬱陶しい自分のこの存在に煩わされて生きなければならない、わたしたちの人生そのものである。それを喜べ喜べと言われるのは拷問に等しいと、お叱りを受けるかもしれません。

その気持ちも痛いほど分かります。私も同じ気持ちです。パウロは違うとも思いません。パウロも自分の存在を引きずるようにして苦しみながら生きた人です。そのことを書いている箇所がいくつもあります。よく知られているのは、コリントの信徒への手紙二11章23節から28節です。少し長いですが引用します。

「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした」。

「ずっと多い」とか「比較できない」と書かれているのは、あなたがたよりも多いと、読者に言っていることです。

まだ続きがあります。

「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度、鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度、一昼夜海上を漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります」。

これだけ苦労したパウロが「いつも喜んでいなさい」と書きました。なぜ喜べるのかが分からないほどの痛い目に遭いながら。人生に絶望したとしても、だれも責めることができないほどの苦しみを味わいながら。

その意味をよく考える必要があります。どう考えても短時間で解決できる問題ではありません。元旦礼拝の説教だけで。

そうです、その意味をよく考える今年一年にしようではありませんか。どうすれば人生を喜ぶことができるのかを。わたしたちの人生は喜びに値するものかどうかを。

しかし、直感的に分かることを最後に言います。それは、苦しみの多い人生だからこそ喜びが必要であるということです。そうでもなければ堪えられません。

そして「喜び」と「楽しみ」と「遊び」はワンセットです。切り離して考える必要はありません。

そして、それがわたしたちの信仰生活・教会活動に結び付きます。苦虫をかみつぶしたような顔で「喜びの知らせ」を宣べ伝える教会は、矛盾しています。

そうでない教会で働かせていただいていることを、私は心から感謝し、光栄に思っています。

今年もよろしくお願いいたします。

(2019年1月1日、元旦礼拝)

2018年12月30日日曜日

将来の輝きを待ち望む(2018年歳末礼拝)


ローマの信徒への手紙8章18~28節

関口 康

「わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」

今日は2018年最後の礼拝です。今年の教会活動をふりかえって総括するようなことは、私は全く考えていません。そういうのは主任牧師の仕事です。

私にできるのはせいぜい自分自身の1年をふりかえることです。しかし、それはあくまでも個人的なことですので、礼拝の中で申し上げるようなことではありません。

そうではなく、今日お話しするのは神学の話です。聖書と教会の伝統に基づくモノの考え方です。難しい話ではありません。

神学に終末論と呼ばれる教科があります。耳で聞くと同じになるウィークエンドの「週末」ではありません。事物の終わりを意味する「終末」です。

恐ろしい話ではありません。神に造られたものが、造られたスタート時点から出発してゴールをめざす。そのゴール(目標)が終末です。

その終末論が扱う議論は大別すると二つあります。その二つは、いろんな呼び方がありますが、比較的分かりやすいのは「個人的終末」と「一般的終末」という呼び方です。

「個人的終末」とは、個人としてのわたしたち人間の命の終わりとしての死です。そして死後に与えられる永遠の命です。他方、「一般的終末」は世界の終わり、または宇宙の終わりです。一般的終末は「宇宙的終末」とも呼ばれます。

なぜ「一般的」なのかというと「個人的でない」という意味です。そして個人の死と世界の終わりが全く無関係であるということはありません。しかし両者をとにかく区別しなければならないというのが神学の共通理解です。

しかし、この区別は、わたしたちにとてつもない落胆や失望を与える可能性があります。考えれば考えるほど、とりあえず一度、あるいは何度も繰り返し、わたしたちを打ちのめします。しかしまた、しばらく忍耐してもう少し先まで考えると急に安心感に満たされます。それでいいのだと思えるようになります。

何の話をしているのか。「個人的終末」と「一般的終末」の区別、その意味は「個人の死と世界の終わりは区別されなければならない」ということです。

別の言葉で言い直せば、私が死んでも世界が終わるわけではない、ということです。私がいなくなっても世界は相も変わらず存続し続ける、ということです。世界の存立にとって私の存在に必然性はない、ということです。私がいてもいなくてもこの世界に大差はない、ということです。

最後に申し上げたことまで言うと、腹が立つ方がおられるかもしれません。先ほど申し上げた、とてつもない落胆や失望が襲いかかる可能性があるのはこのあたりです。「そうか、私はいなくてもいいのか」と気づかされる瞬間です。しかし問題になっている事柄をはっきりさせるためには、そこまで言う必要があります。

それは世界が個人を犠牲にしてもよいとか、個人は世界のために犠牲になれという意味ではありません。とくに近代社会は個人の集合体が世界であるという基本思想の上に立っています。それに反することを神学が考えているわけではありません。

それでは何を考えているのかというと、まさに個人の集合体が世界であるならば、世界を構成する一個人の死が世界の終わりを意味するとしたら、恐怖以外の何ものでもない、ということです。

一国の政治を強権的に支配する独裁者のような人が、自分の命が終わった後に世界が存続するようなことがあってはならないと妄想を抱き、世界を終わらせるスイッチを押すようなことがあってはならない、ということです。どれほど偉大な個人であれ、世界の存続を終わらせる責任を負っていないし、負うべきではない、ということです。

そして、個人の集合体が世界であるならば、世界は個人が地味に地道に積み上げてきた努力の上に立っている汗と涙の結晶ですから、圧倒的な力を持つ一個人の暴力的な力で破壊してよいようなものではありえない、ということです。

みんなの汗と涙の結晶としての世界を次の世代に遺し、これから何百年、何千年先の歴史に遺すためにどうするかを考える必要があります。そのためならば個人が犠牲になってもよいという意味ではありません。しかし、エゴイスティックな個人が自分の死と共に世界を巻き添えにする権利はない、と語ることはできます。

「自分がいなくても世界は存続する」という事実は、考えるとやっぱり寂しくなるようなことではあるのです。先ほど「個人の死と世界の終わりは全く無関係ではない」と申し上げたのは、その寂しさを無視できないからです。少なくとも個人の主体性においては、自分の死と共に自分の世界は確かに終わるのです。その気持ちは、すべての人に理解できることです。

しかし、冷静に考えれば、自分が生まれる前にも世界は存続してきたことに気づきます。そもそも自分は世界の初めに対しても終わりに対しても責任を持っていないし、持つ必要がないことを認識できるようになりますので、それが慰めになるはずです。

先週、久しぶりに家族で食事をしました。品川で豪勢に。子どもたちがそれぞれの学業を卒えて就職して頼もしくなってくれました。親の責任が終わったとはまだ言えない状態ですが、親の助けがなくても生きて行ってくれるであろうと期待できる状態まで何とか漕ぎつけたと感じました。

たとえて言えば、「個人的終末」と「一般的終末」の区別の意味は、まさにそのようなことです。その程度のことです。

自分の人生の終わりと世界の終わりが同一であるような人生は、恐怖と絶望以外の何ものでもありません。何のために努力し、苦労してきたかが分かりません。次の世代、将来の世界を担う人々の成長を、目を細めて喜び、愛で、祝うためにこそ、わたしたちは日々努力しているのではないでしょうか。

「自分のいない将来の世界に責任を持てない。そんなものの責任は負えない」と、どうか言わないでください。同じことを昔の人々が全く考えなかったとは思いません。しかし、本気で世界を終わらせることを実行に移していたら、わたしたちもいません。

今わたしたちが生きているのは、将来の世界の輝きを待ち望みつつ努力し、個人の汗と涙の結晶としての世界を我々の世代に託してくれた先人たちのおかげです。だとしたら、わたしたちも次の世代の人々の輝きを待ち望み、わたしたちの汗と涙の結晶を将来の人々のために遺すべきです。

今日開いていただいた聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙の8章18節以下です。私が今年1年かけて取り上げると最初に約束して、途中で放棄したままになっているローマの信徒への手紙です。

今日の箇所に記されているのは、三つの存在が世界の将来を待ち望んでいるという話です。

第一の存在は「被造物」(19節)です。

第二は「霊の初穂をいただいているわたしたち」(23節)です。これは、イエス・キリストを信じる信仰をもって生きているわたしたち信者であり、同時に教会を指していると考えることができます。

第三は「霊」(26節)、すなわち聖霊です。教会の信仰によれば、聖霊は父・子・聖霊なる三位一体の神の霊です。聖霊は端的に神です。

パウロが書いている順でいえば「被造物とわたしたちと神」、逆の順でいえば「神とわたしたちと被造物」が世界の将来を待ち望んでいるとパウロは信じています。

旧約聖書と新約聖書は区別されなければなりませんが、無関係ではありません。旧約聖書は時間の次元としての歴史を重んじます。それは新約聖書にも当てはまります。

世界に将来があると信じている人は、自分の世代で世界が終わると思っていません。人が死んでも、自分が死んでも、世界が滅びても、永遠の次元において存続する霊の人がおり、霊の世界がありさえすれば、それでよいとも思っていません。

少なくともパウロはそういう考えを持っていません。もし持っていたなら世界伝道旅行などする必要はありません。

パウロが多くの人に福音を宣べ伝え、世界中に教会を作ったのは、自分の世代で世界が終わるのでそのための葬儀場を作りたかったからではありません。時間の次元としての将来の世界において、信仰と忍耐をもって生き延び続ける人々をひとりでも多く得るために、パウロは伝道したのです。

この教会が幼稚園と共に歩んでこられたことを、本当に素晴らしいことだと思っています。教会学校が重んじられてきた教会であるのも素晴らしいことです。

子どもたちはいつまでも子どもではありません。必ず大人になります。世界の歴史の担い手になります。それは永遠の次元だけではとらえることができません。

わたしたちの新しい年が希望に満ちたものとなりますよう、お祈りしましょう。

(2018年12月30日)

2018年12月20日木曜日

見よ、飼い葉桶に救い主がおられる(2018年12月20日 中学校クリスマス賛美礼拝)


ルカによる福音書2章1~7節

関口 康

「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」

私に与えられた時間は限られています。先ほど朗読された聖書の中で、ひとつの点を取り上げて、考えを深め、思いを集中したいと願っています。

それは、最初に朗読されたルカによる福音書2章1節から7節までに記されていることです。ローマ皇帝アウグストゥスから全領土の住民に登録せよとの勅令が出たので、ヨセフとマリアがベツレヘムまで旅をしなければならなくなり、そのベツレヘムに滞在中にイエスを出産したことが記されている箇所です。

特に注目していただきたいのは、ヨセフとマリアが、生まれたばかりの赤ちゃんを「飼い葉桶に寝かせた」とあり、その続きに「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(6~7節)と記されているところです。

ここに書かれているのは二つのことです。一つは、イエス・キリストが寝かされた場所が「飼い葉桶」だったということです。飼い葉桶は家畜小屋にあります。その意味は、イエス・キリストは家畜小屋の中で生まれたということです。もう一つは、イエス・キリストを含めた三人家族に「泊まる場所がなかった」ということです。

二つのことを聖書は関係づけています。しかし、勘が良い方はこの関係づけに必然性があるかどうかに疑問を感じるかもしれません。「宿屋に泊まる場所がなかった。だからイエス・キリストは家畜小屋で生まれた。なぜそうつながるのか。他にも選択肢があるのではないか」と思われる方がおられませんか。

そもそもなぜ「宿屋に彼らの泊まる場所がなかった」のか。よくなされる説明は、アウグストゥスの勅令は全領土の住民が対象だったので、同じ目的で旅をしていた人々が大勢いた。だからどの宿屋も満室だったので泊まる場所がなかったということです。

しかし、それはひとつの説明です。他の可能性があります。「宿屋に彼らの泊まる場所がない」と書かれている以上、宿屋そのものがベツレヘムになかったわけではありません。しかし、すべての部屋が満室だったとも書かれていません。もしかしたら空室だらけだったかもしれません。確証はありませんが、「どこの宿も満室だった」とも書かれていませんので引き分けです。

しかし、問題はその先です。もし仮に実際の宿屋は空室だらけだったのに「彼らの泊まる場所がなかった」ということがありえたとしたら、その意味は何かということです。答えは簡単です。宿屋に支払うお金がなかったということです。宿屋はあり、部屋はあっても、それが「彼らの泊まる場所」になるとは限りません。

しかし、もしそうだとしたら、この話はどうなるのでしょうか。いつ生まれるかが分からない子どもを身ごもった状態で、大したお金も持たずに遠い町への旅に出て、旅の途中で破水して、宿屋に入れてもらえず、挙句の果てに家畜小屋での出産を余儀なくされた。

もしそうなら、政治のせいなんかではない。自分の準備不足、無計画、行き当たりばったり、成り行き任せ、その場限りの生き方をしてきた結果ではないか。無責任すぎないか。子どもが迷惑する。

というふうにお感じになる方が皆さんの中におられませんでしょうか、とお尋ねしたい気持ちです。いま申し上げたように私が言いたいわけではありません。しかし、尊重されるべき意見かもしれないと思うところがあります。

私は二人の子どもの親です。ひとりは明治学院大学の卒業生です。それ以上のことは言いません。彼らの個人情報ですから。私が言いたいのは、私にも子どもを育てた経験があるので、もし皆さんの中にヨセフとマリアは無責任な親の代表者だとお感じになる方がおられるとしたら、ヨセフとマリアに代わって「おっしゃるとおりです。ごめんなさい」と謝りたい気持ちになる、ということです。

しかし、謝るだけで終わりにしません。だから嫌われるのですが。そして私はこう言いたくなります。「それはそうかもしれない。しかし、状況が整わないからといってヨセフとマリアにイエスを生まないという選択肢がありえただろうか」と。その答えはノーです。その選択肢はありませんでした。だからこそイエス・キリストは「飼い葉桶」に寝かされたのです。

中学生の皆さんに妊娠や出産の話をこれ以上続けるのは荷が重いです。代わりに、皆さんが強い関心を持っておられるに違いない受験や就職、目の前のテストや成績、部活動のことに話題を向けます。

皆さんの中に、良い結果が出ることが見込めそうにないとあらかじめ予測できることについては、初めから関わらない、努力しない、見向きもしないという方がおられませんか。そういうのを悪い意味の完璧主義(パーフェクショニズム)というのです。完璧にならないことはしない。その結果、何もしない。百点でなければ零点と同じ。だから初めからテストを受けない、受けたくない。

初対面の皆さんにケンカを売りに来たのではありません。しかし、身に覚えのある方は耳を貸してほしいです。そして聞きたいです。親と学校が環境を整備し、状況がすべて整えば勉強するのですか。努力しないのは、環境を整えてくれない親と学校のせいですか。こんな家に生まれて、こんな学校に来て、お先真っ暗だと、そう思っている方がおられませんか。

ここでちょっと開き直らせてもらいたいです。もし仮に、あなたの人生があなたの親の見切り発車から始まり、その後もすべて準備不足、無計画、行き当たりばったり、成り行き任せ、その場限りの家庭で過ごしたとしても、だからなんなんだ。

ヨセフとマリアが子どもを「飼い葉桶」に寝かせたのは、見切り発車であろうと、状況が整わなかろうと、何がどうだろうと「この子を生まない」という選択肢だけはありえなかったことの証拠かもしれないのです。新しい命の誕生を最優先した結果であると言えるかもしれません。

イエス・キリストが「飼い葉桶」に寝かされたことは、聖書の普及と共に世界中の人に知らされてきました。それは、見方によれば恥ずかしいこと、隠したいことかもしれません。しかし、けらけら笑ってばかにする人は、いるかもしれませんが、その人は自分のしていることの意味が分かっていないのです。

その人の人生のどのページかに、その人自身の「飼い葉桶」が登場する人々と共にイエス・キリストはおられます。「おお、きみとぼく、おんなじだね」と言ってくださいます。その人の気持ちを、その人が置かれている状況を、イエス・キリストは理解してくださいます。

あなたのためにイエス・キリストはお生まれになりました。そのことを今日お伝えしに来ました。クリスマスおめでとうございます。

(2018年12月20日、明治学院中学校クリスマス賛美礼拝説教)

2018年12月16日日曜日

主があなたと共におられる(アドベント説教)


ルカによる福音書1章26~38節

関口 康

「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。』」

先ほど朗読していただきましたのは、毎年クリスマスが近づくたびに世界中の教会の礼拝で開かれ読まれる聖書の箇所です。先週の礼拝で学んだ個所もそうです。

そのときイエス・キリストが何をお語りになったかが記されている箇所ではありません。普通に考えてそれは無理です。イエス・キリストは生まれたばかりの赤ちゃんだったわけですから。

それでは何が記されているのかといえば、二つの言い方ができます。一つの言い方は、イエス・キリストの父なる神が天使を用いて、イエス・キリストの母となり父となる人たちにお伝えになった言葉が記されています。しかし、そんなふうに言われるだけでは全く理解できないと感じる人々は少なくないでしょう。

そういう方々のためにもう一つの言い方を用意する必要があります。それは、とにかくイエス・キリストの母となり父となった人たちが、イエス・キリストが生まれる前に何を考えたのか、その具体的な内容が記されているとも言えるということです。

その中に天使が登場します。その天使がイエス・キリストの父なる神の言葉を彼らに伝えています。そのようなことが起こったのだと言えば、さっぱり理解できない話であるとまでは言えないようだとお感じいただけるはずです。

今日の箇所には書かれていないことですが、先週学んだマタイによる福音書には、マリアの夫(正確にはいいなずけ)ヨセフに天使は「夢に現れた」(マタイ1章20節)と記されています。

ああ、そうかヨセフは眠っていたのか。天使は夢の話だったのか。言われてみれば、わたしたちも夢は見る。夢の中で空を飛んだことがあるし、谷底に落ちたこともある。しかし、目が覚めたら元に戻れた。それと同じかと考えていただけば、全く理解できないことではないとお感じいただけるでしょう。

それともう一つの言い方もあるといえばあります。神を信じているか信じていないかにかかわらず、かなり多くの人々が、自分の子どもが生まれるときになにかしらの宗教心を抱くことが十分ありうるということです。

皆さんの中にご自分の名前を親が決めたのは姓名判断の占いだったという方がおられませんでしょうか。それは良いことだとか悪いことだとか言いたくてお尋ねしているのではありません。

子どもの親になる人に共通しているのは、たとえ自分の子どもであっても親の願いどおりにはならないことを必ず体験するということです。男の子が欲しい、女の子が欲しいと、いくら願っても、その通りにならないし、こういう顔の、こういう形の、こういう能力のと、いくら期待しても、その通りにはならない。

その通りにならなくてよいのです。親は子どもの創造者(クリエイター)ではないからです。その現実を突きつけられるほうがよいのです。だれの思い通りにもならないで、わたしたちは生まれてきたのです。そうであるなら、わたしたちの子どもたちも、わたしたちの思い通りになるわけがないし、させようとすること自体が傲慢です。

しかし、だからこそ、みんながみんな同じではないかもしれませんが、かなり多くの人々が、自分に子どもが生まれるというときに、なにかしらの宗教心を持つことがありうると先ほど申し上げたことが当てはまります。

それが聖書の神への信仰と直接結びつくとは限りません。人間としての自分自身の限界を自覚することと神を信じることの間には大きな断絶があります。その断絶を越えるために強い決心と勇気が必要です。

しかし、どこかで気づいているはずですし、気づくべきです。自分の思い通りにならない存在が生まれるとは何を意味するのかを。最初の命を創造(クリエイト)し、わたしたちの命を生み出し支えている存在がどこかにおられることを。

いま申し上げたのはわたしたちの誕生に関することです。しかし、イエス・キリストの誕生は話が別だと言わなくてはなりません。

先週学んだマタイによる福音書1章に記されていたのはイエス・キリストの父となるヨセフの側に起こった出来事でしたが、今日開いていただいているルカによる福音書1章に記されているのはイエス・キリストの母となるマリアの側に起こった出来事です。

内容は共通しています。どちらにも天使が現れました。それは「夢」の話だとマタイによる福音書に記されていましたので、今日の箇所の出来事も同じであると言ってよいかもしれません。わたしたちが夢の中で空を飛んだり崖から落ちたりするように、マリアとヨセフは夢の中で天使に出会い、神の言葉を聞いたのです。そのように言えば納得していただけるのではないでしょうか。

そしてその天使がマリアに告げたのが「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」という言葉でした。それが最初の言葉だったことは、いろんな意味で興味深いです。そのすぐ後に「マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ」(29節)と記されています。

マリアが戸惑ったのは、天使が先に用件を言わないで、いきなり「おめでとう」と言ったからです。電話でも電子メールでも、用件を先に言ってから「おめでとう」と言わないと驚かれます。「何がめでたいのかを先に言ってください」と叱られますので、気をつけてください。

しかし、先に用件を言わずに「おめでとう」だけを言った天使が続けて告げた言葉にマリアはさらに驚きます。

「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」(30~33節)。

このお告げはマリアにとって驚きでしたが、それ以上に不安を感じることでもあったはずです。マリアは結婚していなかったからです。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」(34節)とすぐに反論しているとおりです。

しかし、それだけではありません。あなたは王の母になると言われたからです。何を言われているのかが分からなかったに違いありません。なんでもすぐにわたしたちの話にしてしまうのは私の悪い癖で申し訳ないですが、もしわたしたちが同じことを言われたらどのように感じるだろうかと考えてみるほうがよいと思いました。

あなたは王の母になると言われた人は、子どもを王として育てる責任が生じます。まさに帝王教育です。

子どもは親の思い通りになりませんので、親の教育とは無関係に勝手に王になってくれる子どもがいないとは限りません。しかし、自分の子どもが王になってくれたとき、その親である人が必ず脚光を浴び、クローズアップされますので、その日に備えて、王の親にふさわしい人間にならなくてはなりません。

しかし、いま申し上げたことは、特に重要なことではないかもしれません。子どもが生まれるときに親が見る夢は、大なり小なり大げさな要素があるし、それはやむをえないと思います。

「そんなことを言われても、私は子どもを産んだことがないので分かりません」と、どうか言わないでください。あなたが生まれたとき、あなたの親は、夢を見たのです。

少なくとも自分の夢を託せる人になってほしいと、自分の子どもに期待しない親はいません。「たぶんいません」と誤魔化さないでおきます。あなたは王の母になると言われたマリアが、これから生まれる子どもが将来王になることを期待し、がんばってほしいという願いを持つことはありえたし、それが悪いわけではありません。

しかしマリアの場合、それだけでもありません。天使は続けます。

「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない」(35~37節)。

天使のこの言葉で、マリアはいよいよ驚いたはずです。あなたから生まれる子どもは、将来王になるだけでなく、神の子であると言われたからです。何を言われているのか分からない状態が極まっていると言わざるをえません。

もういいのです、それ以上のことは考えなくても。考えても分からないことです。自分の子どもが将来どうなるかが分からないことと、世界の将来がどうなるかが分からないことは通じ合っています。

分からないことは分からなくていいのです。自分の願い通りにならないことがあることを正直に認めればよいのです。自分自身はこの世界の中のひとつのことでさえ創り出すこと(クリエイト)ができないことを、ただ受け容れればよいのです。

マリアにはそれができました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(38節)と天使に応えました。これは、「神の言葉が私の存在においても実現しますように」という祈りです。

自分自身の願いを持つことが悪いわけではありません。むしろ持つべきですし、持たないのは無責任に通じます。しかし大人になればなるほど、どれほど願っても叶わないことがあることを知ります。胸が張り裂けるほど。

そのときに、自分の願いをはるかに超えた、もっと大きく広い次元で、神が何かを実現しようとしておられることを、私は信じます。

その内容は私には分からないけれどもとにかく神が実現しようとしておられることが、この私の存在においても現れますようにと、私は信じます。

神の大きな計画の中で、この私の存在が用いられますように、という信仰に基づく祈りです。

このマリアからイエス・キリストが生まれました。これが、聖書が教えるクリスマスの知らせです。

(2018年12月16日)

2018年11月25日日曜日

イエスの弟子になる

収穫感謝日礼拝

マタイによる福音書19章16~30節

関口 康

「弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、『それでは、だれが救われるのだろうか』と言った。」

先週の説教でかなり強い調子で申し上げたのは、もし今、洗礼を受けることを考えているという方がおられるなら、ぜひ受けていただきたい、ということでした。

実を言いますと、私はこれまで働かせていただいた教会では、そういうことについて強く言うのは意識的に避けてきたところがあります。洗礼というのは自分の意志で受けるものであって、だれかに勧められて受けるものではないという思いのほうが強かったからです。

牧師になってほしいということも、私はいまだかつて誰にも言ったことがありません。この話は以前、教会学校でしたことがあります。もっとも、うちの息子にはちょっとだけ言ったことがありますが、無視されました。私もあまり本気ではありませんでした。

なぜ言わないのかといえば、やはり理由は同じです。牧師になるかどうかは自分の意志で決めることであって、だれかに勧められてなるものではないという思いのほうが強かったからです。

もうひとつ理由があります。これも以前、教会学校でお話ししました。いま申し上げたことと関係していることですが、だれかに勧められて牧師になった人はいつまでも勧められた人に依存し続ける傾向があることを私の経験で知っているからです。「あの先生に、あの人に、勧められたから、しました、なりました」と、いつまでも言い続けるのです。まるでその人に責任があるかのように。

しかし、今の私はこれまでとは違うところが出てきました。責任逃れの言葉のように響いてしまうかもしれませんが、今の私は主任牧師ではありません。主任牧師をお助けする立場です。おそらくはそれが理由です。今は躊躇なく「洗礼を受けてください」「牧師になってください」とお勧めしたい気持ちです。

だれかれ構わずというわけではありません。そして、もちろん、よくよく考えてもらいたいです。しかし、あまり考えすぎないでください。洗礼を受けることについて、受けない理由を言い出せば、きりがないからです。

そちらの理由ならいくらでも思いつくでしょう。特にこの日本で、現代社会で、洗礼を受けていない人のほうが受けている人よりはるかに多い環境で、受けていない側に立って受けない理由を考えれば、いくらでも味方になってくれる人が出てきます。

洗礼式で用いる水そのものに特殊な効果があるわけではありません。水は水です。魔法の水ではありません。普通の水です。その水をかけると特殊な力が湧いて来るということはありません。そこのところは期待しないでください。

しかし何も変わらないわけではありません。洗礼は一生に一回限りであるところがポイントです。二度と繰り返すことができません。「あれはなかったことにしてくれ」とは言えません。

また、先週申し上げたことですが、必ずしも本人の意志でない、親の信仰に基づいて嬰児のうちに授けられた洗礼を「幼児洗礼」と言いますが、その幼児洗礼も洗礼です。偽の洗礼であるとか、仮の洗礼であるとか、半分の洗礼であるとか、そういうことは一切ありません。だから、幼児洗礼をすでに授けられている方は、二度と洗礼を受ける必要はないし、受けることができません。

自分の意志でないことの責任はとれないと思われる方がきっとおられるでしょう。そうなのです。語弊を恐れず言えば、自分に授けられた洗礼について、自分で責任を感じる必要はないのです。

それは、幼児洗礼ではない、大人になってから自分の意志で受けた洗礼も同じです。「自分で願い出て授けてもらった洗礼だから、それを自分で反故にするのは無責任に当たる」というような感覚を持つ必要はありません。

もしそうであるなら義務や責任というような次元でつながっている関係になります。しかし、洗礼を受けることの意味は、そういうものではありません。わたしたちが自由になることです。あらゆる束縛から解放されることです。しかし、ここから先はどう言えばよいか分かりません。実際に洗礼を受けてみなければ分からない次元のことです。

私が2年前に1年間常勤講師として聖書を教えた高校で生徒たちに、年度の最初にアンケートをとりました。「教会や宗教や聖書に対して今抱いているイメージを教えてください」というアンケートです。多くの高校生が「束縛されるイメージ」や「強制されるイメージ」を抱いていました。

そして年度の授業が終わるころに、もう一度同じアンケートをとりました。すると、みんながみんなではありませんが、多くの生徒が「イメージが変わった」と答えてくれました。「自由になった」と答えてくれました。

学校は教会ではありません。しかし、学校でもそういう変化が起こります。教会はもっとそうだと申し上げたいです。

しかし、私はまだ最も大事なことを言っていません。洗礼を受けることは束縛されることではないと言いました。義務や責任というような次元で事柄をとらえる必要はないと言いました。しかし問題は、なぜそのように言えるのかです。

これは私なりの考えであることをあらかじめお断りしておきます。それは、もしわたしたちに義務や責任という次元で真剣に考えなければならないことがあるとすれば、それは、わたしたち自身の人生そのものに対してであり、またわたしたちの家族や友人、社会や世界の人々に対してであるということです。

そちらのほうには義務と責任があります。逃げることは許されません。しかし、それはしばしば、わたしたちにとってあまりにも重すぎるものです。逃げられるものなら逃げたくなるようなことです。だからこそ助けが必要です。自分ひとりではとても負いきれないからこそ助けが必要です。その助けになるのが教会だと申し上げたいのです。

洗礼を受けることは教会のメンバーに加わることです。教会というのはある意味で自助グループというのに近いところがあります。厳しい現実から逃げ出すために集まるのではなく、むしろ、厳しい現実の中にとどまり、勇気をもって不条理に立ち向かうために集まるのです。

今日開いていただいた聖書の箇所で、イエスさまが、金持ちの青年に対しても、弟子たちに対しても、非常に厳しいことをおっしゃっています。

金持ちの青年に対しては「もし完全になりたいのなら行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それからわたしに従いなさい」(21節)とおっしゃっています。弟子たちに対しては「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ」(29節)とおっしゃっています。

これを聞いた金持ちの青年も弟子たちも、驚くやら悲しいやら、激しくショックを受けています。それはそうだと思います。自分がいちばん大切なものだと思ってきたものを「売れ」とか「捨てろ」と言われ、まるでそれがイエスさまの弟子になれる条件であると言われたような気がしたからです。

こういうことを言うこと自体が不謹慎に当たるかもしれませんが、イエスさまもまさか冗談でこのようなことをおっしゃっているわけではありません。本気の本気です。しかしわたしたちが理解しておくべきことは、イエスさまがこれで本当のところ何をおっしゃろうとしているのかです。

それが分かるのが、弟子のひとりのペトロが「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか」(27節)とイエスさまに言っているところです。あるいはその前に、金持ちの青年が、イエスさまのお話の途中で「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか」(20節)と言っているところです。

共通しているのは、わたしはしている、できている、十分がんばっている、まだ足りないと言われなければならないのか、文句あるのかと気色ばんでいるところです。そして、そう言っている言葉の端に、していない人々、できていない人々、足りていない人々を見下げて軽蔑する思いを隠せないでいることです。

イエスさまは、その厳しいお言葉によって、そのことに自分たち自身で気づくように仕向けられたのではないでしょうか。自分の傲慢に自分で気づき、自分の視野に入っていない人々の存在に気づくように。

もし金持ちの人が財産のすべてを売り払えば、その人自身が貧しい人になります。もし家族を捨てれば、身内からも社会からも非難されます。社会的信頼を完全に失ってしまうでしょう。

自分自身が実際にそうなったときのことを考えてみなさい。その苦しさを。その痛みを。そのとき、あなたは今の自分がいかに幸せな暮らしをし、かついかに傲慢な思いを抱いているかに気づくでしょうと、イエスさまはおっしゃっているのではないでしょうか。

イエスさまがおっしゃるとおりに実際にやってみるべきかどうかは、私には分かりません。すべての財産を売り払うとか、家族を捨てるというようなことは、試しにやってみればいいと言えるような次元のことではありません。

また、もし仮に実際にそれを試しにやってみたところで、この金持ちの青年や弟子たちがイエスさまに言ったのと同じような傲慢なことを言い出すだけでしょうし、イエスさまから同じように注意されるのが関の山です。

聖書を学ぶことの意味は、自分がそれをしてみる前に、もしそれをしたらどうなるか、そのシミュレーションができることにあります。小説を読むことにある意味で似ています。実際にそんなことはしないけれども殺人犯の気持ちになってみるためにそういう小説を読んでみるというようなことはありえます。

イエスさまの言葉を聴いて自分に当てはめて喜んだり悲しんだりすることが大切です。とても受け入れられないと反発することも許されます。それがイエスさまの弟子になることです。イエスさまと共に生き、対話しながら生きることです。

それが束縛であるはずがありません。自由な生き方です。イエスさまは「あなたがたを弟子とは呼ばない。友と呼ぶ」(ヨハネ15章15節)とおっしゃる方でもあります。

ぜひ決心してください。

(2018年11月25日)

2018年10月28日日曜日

栄光は主にあれ(永眠者記念礼拝)


マタイによる福音書18章21~35節

関口 康

「イエスは言われた。『あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。』」

わたしたちは今日、この教会の永眠会員をおぼえての永眠者記念礼拝をささげています。しかし、狭く考える必要はありません。それぞれの方々のかけがえのないすべての方々をおぼえていただく日でもあります。

私事で恐縮ですが、この教会での永眠者記念礼拝は、私にとって今日が初めてです。私が今この場に立っていること自体がふさわしくないのではないかという気持ちがあります。なぜなら私は、こののち読み上げさせていただく永眠者名簿の方々をひとりも存じ上げないからです。私に何を語ることができるでしょうか。一般的な話をすることにとどめるしかありません。

この教会はプロテスタントの教会です。旧教か新教かという言い方でいえば、新教の教会です。だからといって私はキリスト教の教会を分断したいわけではありません。新教の教会と旧教の教会を区別すること自体は、大雑把なことです。区別したからといって、一方が他方を必ず批判しなければならないわけでもありません。

今なぜこのことを言うのかといえば、さかのぼっていえば葬式と、その後の永眠者記念礼拝についてのわたしたちの教会の立場を申し上げたいからです。それは、今日のこの日の礼拝は何のために、あるいはだれのために行うのかという問いの答えです。

それははっきりしています。新教の教会の葬式も、そして永眠者記念礼拝も、地上に残された人々の慰めと平安を祈るために行います。天に召された永眠者自身のためではありませんと、はっきり言いすぎるとぎょっとされるかもしれません。しかし、この点がとても大切です。

旧教の教会はそうではないと今でも言えるかどうかは、本当のところは内部の人々にしか分かりませんし、外部の者が言う必要がないことです。しかし、この問題こそが新教の教会と旧教の教会が分断されることになった原因そのものです。もう500年も前のことです。

細かい話になっていくのは避けたいと願うばかりですが、ごく大雑把な話として、天に召された方々は地上の世界から天の父なる神のみもとへとまさに召されるのであって、その途中は「ない」というのが、わたしたち新教の教会の共通理解です。しかし、その途中が「ある」と500年前の旧教の教会で教えられていたことで、その点が問題になりました。

途中とは何のことかというと、地上から天国へと向かう道の途中です。「道の駅」のようなものがあるということです。もっとシビアなたとえを持ち出すとすれば、何か悪いことをして警察に逮捕される。しばらく警察の留置所にいて、裁判所の拘置所に移送されて、法廷に引きだされる。裁判が始まり検察側と弁護側がやりあって、最後に裁判長が有罪か無罪の判決を下す。こういった一連のことが、わたしたちが地上の命を終えた日から天国へと迎え入れられるまでの途中で行われるということです。

だからこそ、地上に残された人々は、天に召されつつある人々のために祈らなければならないし、その人々のための支援をしなければならないというのが、少なくとも500年前の旧教の教会で教えられていました。またこれは、今のわたしたちが仏教等の他の宗教の中で似たような考え方に接する機会が多い思想でもあります。

途中があるかどうかだなんてどうでもいいことだと言えば言えなくもありません。しかしそれは、途中は「ない」と信じているわたしたち新教の者たちの感覚かもしれません。途中が「ある」と本気で信じている人々にとっては、天に召されつつあるがまだたどり着いていない方々のための祈りと支援が必要であると本気で信じることになりますので、それはもう必死です。「途中の安全が守られますように」と祈ってあげなくてはならないし、自分がその日を迎えたときも同じように祈ってもらわなくてはなりません。

そのほうが納得できる、自分の考えに合う、心が落ち着くという方々がおられるかもしれませんので、批判する意図で申し上げているのではありません。そうではなく、ただ安心していただきたいだけです。途中は「ない」という新教の教会の教えの趣旨も同じです。わたしたちは安心してよい、ということです。

天に召された方々は、まさにその瞬間に天に召されたのであって、それ以後さらに多くの厳しく苦しい難関が待ち受けていて、試験に合格するかどうか分からないので、必死で祈って支援してあげるようなことは、もう必要ないということです。

だからこそ、わたしたちが行う葬式も、永眠者記念礼拝も、天に召された方々の行く末を地上から応援するために行うのではないという話にもなります。

十分すぎるほどがんばった人に「がんばれ」と言うのは、失礼なことでもあります。今さら何をがんばればいいのかが分からないと叱られるでしょう。「もう十分にがんばったのだから、ゆっくりお休みください」と言うのも、考えてみれば失礼な気がします。そのように言いたくなる気持ちは分かりますが。

天に召された方々は、もう天の父なる神のもとにおられるのです。救いの神が共におられるのです。救いはもう十分に実現しているのです。だから、わたしたちはもう、その方々の心配をする必要は全くないのです。ですからわたしたちは今日この永眠者記念礼拝を、亡くなった方々のために行っているのではありません。このように申し上げるのは冷たい意味では決してありません。

むしろ心配しなければならないのは、地上に残されたわたしたちのことです。罪と病と死の苦しみの只中にいるわたしたちのことです。だからといって、天に召された方々のことを羨ましがるのもどうかとは思いますが、わたしたちには十分にリアルな意味で残された途中の道がまだたくさんあります。道の駅があります。多くの課題に取り組まなくてはなりません。そのために多くの先輩たちの在りし日の姿を思い起こすことには、大きな意味があります。それがわたしたちの力になり、勇気にもなります。

先ほど朗読していただきました聖書の箇所で、イエス・キリストが弟子のペトロに「七回どころか、七の七十倍までも赦しなさい」と教えておられます。地上でわたしたちは、加害者になるだけでなく被害者にもなります。被害者になった場合はどうすればよいかというペトロの疑問に対するイエス・キリストの答えが「七の七十倍までも赦しなさい」です。

491回目からは赦す必要はないという意味ではありません。とことん赦しなさい、どこまでも赦し続けなさいという意味です。あとに続くたとえ話は、どうぞそれぞれお読みくださり、その意味を考えてみてください。大事なのは「天の国は次のようにたとえられる」(23節)と言われているとおり、これは天国の話であるという点です。

わたしたちにはまだ、地上でしなければならないこと、心を残していることがたくさんあります。なかでも気になるのは罪の問題です。あの人に悪いことをした。あの人に謝っていない。あの人に借りがある。あの人と和解できていない。本当は今すぐに直接会ってお詫びしたい。しかし、事情が許さない。身動きがとれない。もう二度と立ち上がれないかもしれない。その日が近づいている。そのような思いを、最期の日まで、意識が続くまで、抱えて生きていくのがわたしたちです。

しかし、安心しましょう。安心してください。わたしたちの最期の日に待ち受けているのは、厳しい取立人ではなく、七の七十倍まで赦してくださるイエス・キリストです。神はイエス・キリストにおいてすべての人の罪を赦してくださいます。イエス・キリストはそのことを弟子たちに教えたが、ご自分は誰の罪をも赦さないというような言行不一致のおかたではありません。

私には何も思い残すところはないと言える人はひとりもいないのです。だからこそわたしたちは互いに赦し合う必要があります。天国まで追いかけてくることができる取立人はいませんし、たとえ追いかけてきても、神がその人を追い返してくださるでしょう。神のもとにある平安とは、そのようなものです。

私たちに求められているのは、イエス・キリストにおける神の根源的な赦しの恵みの前に謙遜な思いで立つことです。そして、人から罪を赦されるのも、人の赦すのも、神の助けなしにはなしえないことを認めて、すべての栄光を神にお返しすることです。

神が私の罪を赦してくださったのだから、私もまた、だれかが私に犯した罪を赦さなければならない。そのことを決心し、約束する機会として、毎年の永眠者記念礼拝が行われることを願ってやみません。

(2018年10月28日、永眠者記念礼拝)

2018年9月23日日曜日

鍵を探して扉を開ける(立川からしだね伝道所)

日本キリスト教団立川からしだね教会(東京都立川市高松町3-2-1)

使徒言行録9章26~31節

関口 康

「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」

立川からしだね伝道所のみなさま、こんにちは。関口康(せきぐちやすし)と申します。よろしくお願いいたします。

4月から西東京教区の教会の担任教師になりました。先月発行された『教区だより』の「新着任教師紹介」の中に私の文章もあります。1990年に日本キリスト教団の教師になりましたが、途中19年間は日本キリスト改革派教会に移籍し、2年前の2016年に日本キリスト教団に戻ってきました。

今日は私のほうから道家紀一(どうけのりかず)先生にお願いして説教させていただくことになりました。道家先生は、最初は嫌がっておられましたが、私がしつこくお願いしたので仕方なく受け入れてくださいました。

しつこくお願いしたのは、道家先生の前でどうしても言いたいことがあったからです。ひとことでいえば、道家先生は素晴らしい伝道者であるということです。

お世辞を言いに来たのではありません。道家先生を昔からよく知る者のひとりとして、お人柄の一端をご紹介したいと思いました。初対面のみなさまですし、夕礼拝でもありますので、聖書の言葉を厳密に解釈するような硬い話ではなく、私の個人的な証しをするのをお許しいただきたく願います。

私と道家先生の初めての出会いは1985年4月です。今から33年前です。私が東京神学大学の1年生から2年生に進級したとき、道家先生は茨城大学を卒業されて3年に学士編入されました。年齢は道家先生のほうが私より5歳も年上の大先輩ですが、東京神学大学の学生寮の住民としては私のほうが1年先輩でしたので、何を言われてもいつもタメ口で返していました。

学生寮時代の道家先生との最大の思い出は、私が学部4年のとき中古で買って2年ほど乗った赤いスポーツカー「日産シルビア」を売ることになったときに買ってくださったのが道家先生だったことです。当時の東京神学大学を覚えている人たちは「赤い車の関口」のことばかりを悪く言うのですが、それを言うなら道家先生も赤い車に乗っておられました。

道家先生は1989年3月に大学院を修了されました。そして最初に赴任されたのが徳島県の小松島教会でした。1年後の1990年3月には私も大学院を修了し、高知県の南国教会に赴任しました。つまり道家先生と私は、同じ四国教区の教会で伝道者としての歩みを始めた関係です。

そして、教区や分区での関係だけでなく、いわば有志の集まりとして、高知県、徳島県、愛媛県の牧師と教会をつなぐグループがありました。そして、そのグループ主催の「説教セミナー」があり、そこでも私と道家先生が同席する機会が何度かありました。

そのグループのことも「説教セミナー」のことも話し始めると長くなりますので、割愛します。しかし、私の人生において決定的な意味を持ちました。

ある年の「説教セミナー」の席上、私は当時のリーダー格の先輩牧師たちを、面と向かって非常に強い言葉で批判しました。そして、その翌年、私は南国教会を辞めて九州教区の教会に転任しました。さらにその教会も1年足らずで辞任し、とうとう日本キリスト教団そのものも辞めて、日本キリスト改革派教会に移籍しました。それが1997年です。

なぜ私は教団を辞めたのか、なぜ改革派教会に移籍したのかについても、長くなりますので割愛します。しかし、ひとつだけ申し上げたいのは、私が教団離脱を決断した決定的な瞬間は、その道家先生も参加しておられた、あの「説教セミナー」の最中だったということです。

ところがその後、神さまがいたずらを始めました。そして、私の身に大きな変化が起こるたびに、なぜかいつもそこに道家先生が登場しました。

道家先生との再会の最初は、2009年に宗教改革者カルヴァンの生誕500年を迎えるにあたり、2007年にアジア・カルヴァン学会の日本大会が行われることになり、その前年の2006年にカルヴァン研究者の久米あつみ氏を中心に日本側のスタッフチームを作ることになったときです。

スタッフになってほしいと日本キリスト改革派教会の私にも呼びかけがあり、久米あつみ長老がおられる井草教会に集まることになったとき、当時の井草教会の牧師が道家先生でした。

まさか無視するわけには行かないだろうと道家先生がおられる牧師室をお訪ねしました。そして私が「ご無沙汰しています」と言うなり、道家先生から返ってきたのは「裏切り者め」という言葉でした。いかにも道家先生らしい言葉を聞くことができて安心しました。

そして、その再会の日すぐにではなくカルヴァン学会のスタッフミーティングの何回目かのときでしたが、道家先生がちょっとうれしいことも言ってくれました。ただ一言、「関口くんの言ったとおりになった」とおっしゃいました。しかし、それ以上のことは何もおっしゃいませんでした。

当時の私は日本キリスト改革派教会の教師でしたので、日本キリスト教団の内部のことは分かりませんでした。しかし、そのとき道家先生がおっしゃった「関口くんの言ったとおり」の意味が、あの「説教セミナー」のときに私が強い調子で言った批判の言葉を指していることに、私はすぐに気づきました。その道家先生の一言に深く慰められたのを忘れることができません。

聖書の話そっちのけで私の話になって申し訳ありません。しかし、どうしてもお話ししたいのです。私は、当然のことながら、日本キリスト教団に戻ることは二度とありえないという強い決心をもって離脱しました。その決心がないような教団離脱などそもそもありえません。しかし、人間が憎くなったとか、だれかにつまずいたというような理由ではありませんでした。

何が最も根本的な理由だったかといえば、日本キリスト教団において教師に対する「戒規」を行うことは「絶対に不可能」であると当時の私に思えたことでした。1997年に教団に提出した教師退任届に書いたのはそのことでした。私が書いた文面は、教団事務局に今でも保管されているはずです。

私自身も罪深いひとりの人間として生きつつ神の言葉を預かり語る者として、もし自分が罪を犯したときに、この私に免職の戒規を適用する仕組みが機能しえないような教団にとどまることに、当時の私は良心の呵責を覚えました。

逆に言えば、理由はそれだけでした。私にとって問題だったのは「戒規」の問題だけでした。

だからこそ私は、移籍先の日本キリスト改革派教会の中で親しくなった人々に例外なく打ち明けてきたのは、「もし日本キリスト教団でたったの一度でも教師への戒規を行うことができたら、私は日本キリスト教団に戻るであろう」という自分の考えでした。その意味は、日本キリスト教団にそれを行うことは「絶対に不可能」であるということでした。

ところがその後、2010年に日本キリスト教団史上初めて教師に対する免職の戒規が行われたことをキリスト新聞の報道で知り、天地が逆転するほど驚きました。そしてなんと、免職された当該教師への言い渡しの場に道家先生が担当幹事として立ち会っておられたことを最近知り、これまた驚きました。

それで困ったのが私です。その2010年の戒規と共に、私に「日本キリスト教団に戻らない理由」がなくなってしまいました。それで日本キリスト教団に戻ることを決心しました。

一昨年の2016年の春に受けた教団の転入試験の提出論文にも、そのことしか書いていません。教師検定委員会の面接のとき、委員全員が「こんなのは理由にならない」と文句を言いましたが、私は「いけませんか」と気色ばんだだけで、それ以上のことは言いませんでした。それで通してもらいました。

日本キリスト教団で任地を求めていたとき、当時教団の総務幹事だった道家先生にも何度かお会いしましたが、その答えがいちいち冷たい。「戻ってくるな」と言われました。そういう人だということは昔から知っていますので、笑いましたが。

そして今や、道家先生と私は、西東京教区の「隣の隣」の教会の牧師になりました。道家先生は私のこれまでの人生の中で随所随所に突如として姿を現わし、何ごとか決定的なことを告げて去っていく、天使なのか悪魔なのか分からない存在であり続けています。

なぜ今日、このような話をするために先ほど朗読していただいた聖書箇所を選び、このような説教のタイトルをつけたのかということを、そろそろ申し上げます。

この使徒言行録9章は、使徒パウロがまだサウロと呼ばれていたときに体験した回心の出来事と、キリスト教会の伝道者として歩み始める出発の場面が描かれている箇所です。

サウロ(後の使徒パウロ)は、キリスト教会にとっては最近まで自分たちを殺そうとしていた迫害者であり、ユダヤ教側にとってはキリスト教に寝返った裏切り者でした。両サイドのどちらの人々からも信用してもらえない孤立感の中で、伝道者としての歩みを始めました。

そのとおりのことが書かれています。「サウロはエルサレムに行き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だと信じないで恐れた」(26節)。当然のことです。しかし、助け舟を出してくれたのがバルナバでした(27節)。

バルナバの仲裁によって、やっと使徒たちがサウロを信用してくれて、話を聞いてくれました。そして、サウロの命を狙う人々もいたので、逃げ道を作って助け出し、伝道の旅へと送り出してもらえました。

このときのサウロの一連の動きの中に、いわゆる奇跡の要素は全くないと私には思えます。天からバリバリと稲妻がとどろき、超自然的で神秘的な奇跡が起こった形跡などは全くありません。

ここに描かれているのは、前途に立ちはだかる壁や障害物をハンマーでぶち壊して無理やり道をこじ開けるのではなく、鍵を探して扉を開けるように、壊れた人間関係を修復するための仲裁の努力を重ねることによって道を切り開いていく、そのようなサウロと支援者の姿です。

「伝道」の話になると「壁をぶっ壊せ」だの「既成概念を打ち破れ」だのと言い出す人がいますが、そのような暴力的な言葉に私が突き動かされることはありません。とことん事務屋に徹し、教憲教規と信仰告白を踏まえ、「教会論的手続き」を積み重ねていく道家先生のような方の言葉に私は全力で耳を傾けます。

手続きを無視してめちゃくちゃに人を集めても、それが「教会」になることはありません。そう思ったからこそ私は、年がら年じゅう会議と事務仕事ばかりしている、温度が低い日本キリスト改革派教会に移籍したわけですが。

たとえていえば(あくまでもたとえです)、道家先生は、太っている人に「太ってるね」、勉強が苦手な人に「勉強が苦手だね」と言ってくれるような人です。とことん冷たいですが、言葉に嘘がありません。事実を事実としてまっすぐに伝えてくれる真の伝道者です。そういう人がいなければ「教会」はできません。

立川からしだね伝道所と西東京教区の諸教会のために、心からお祈りいたします。

(2018年9月21日、日本キリスト教団立川からしだね伝道所 夕礼拝)