2015年8月31日月曜日

ふだんはゆるい関係でもいいのだ

ファンタ白桃はおいしかったです

今の日本で「思想統制」は不可能(インポッシブル)だと私は考えていますが、強引にそういうことをしたがっているのは、70年前以前の帝国時代の日本の「体験」や「記憶」や「郷愁」を持っている人々かもしれませんし、その人々の「美談」を子守歌のように聞かされて育った一部の人々かもしれません。

しかしそれは、そのような「過去の日本の断末魔の叫び」をその人々の口から聞いているだけだ(已むのを待つ心境で)と私は考えています。「ネット以前」に世界はもう戻りません。ラジオが始まって以来「ラジオ以前」に、テレビが始まって以来「テレビ以前」に世界がもはや戻りえなかったのと同じです。

世界をもし「ネット以前」に戻そうとすれば本格的な暴動が起こるでしょう。その暴動はどんなミサイルでも鎮圧できないものです。これは脅しのような意味で言っているのではなく、人間の性質を考えて予想しているだけです。ネット「が」、あるいはネット「で」つながっていれば、思想は統制できません。

今の争いは、もしかしたら「ネットをめぐる戦い」だと考えることができるものかもしれないと、私自身は今のところ考えているくらいです。

今日も朝からしきりと考えていたことですが、私個人のことを言わせていただけば、今日の状況にたどり着くまでにいくつかの段階があったことを、はっきり覚えています。

私がパソコン通信を始めたのは1996年の夏、「インターネット」を始めたのは1998年の秋です。1999年から2009年までの10年間は「顔の見えない方々」とのメール(ないしメーリングリスト)のやりとりや、「名前を知らない方々」とのSNSや掲示板のやりとりだけでした。

その「陰鬱な10年間」を経て、「顔が見える」facebookを始めたのは2009年でした。しかし、そのときはまだ、それ以前の「陰鬱な10年間」を引きずる形をとっていました。やりとりする内容も、最大限で「神学議論」のようなことでした。

状況が大きく変わり始めたのが2011年3月11日でした。私個人のことを言わせていただけば、その日を境に、急激に(私の古巣の)日本基督教団の牧師先生や信徒の方々からの「友達リクエスト」が増えました。

しかも、私の出身校の東京神学大学を卒業した牧師たち「よりもむしろ」関西学院大学や同志社大学の神学部、日本聖書神学校、農村伝道神学校、東京聖書学校をご卒業の先生たちやCコースの先生たちからの「友達リクエスト」が、急激に増えました。

震災が我々の「敵意」の壁に変化を起こしたという言い方はまずいでしょうか。「とんでもないこと」が突然起こったときに最も重要なことは「正しい情報を知る経路が確保され続けていること」だという認識が急激に広まったと思います。「正しい情報経路」の確保のためには出身神学校の違いもクソもない。

ただ、その「確保」はどのように行われるべきかといえば、ふだんから、24時間・365日、「キリスト教」と「政治」の関係を学術的・実践的に問い続けるというような、毎度「論文執筆」の思いで「ふぇいすぶっくとうこう」をしなければならない、というような強面(コワモテ)の方法ではない。

そんなのではなくて、ふだんは、「ジョジョ立ちツーショット」とか「こんなパフェ食べちゃいました」とか「今日の自作料理!」とかで、ゆる~くつながっている。

だけど、すわ震災、すわ違憲法案、というときには、「ふだんはゆる~い関係」の者たちの顔色変わって、国際救助隊(サンダーバード、ア、ゴー!)にモードチェンジする。そういうのがいいなあと、私は考えてきましたし、すでに実はかなり実現しているのではないかと思っています。

2015年8月12日水曜日

フィリピの信徒への手紙の学び 14

松戸小金原教会の祈祷会は毎週水曜日午前10時30分より12時までです

PDF版はここをクリックしてください

4・8~9

関口 康

「終わりに」と書いてパウロは今度こそ手紙を締めくくろうとしています。それでもまだ終わらないのですが。しかし、どんな文章でもだいたい最後に書くのは全体のまとめであり、結論です。

「すべて」の真実なこと、気高いこと、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、名誉なことを心に留めなさいとパウロは書いています。そして「徳や称賛に値すること」もそうであると言っています。

日本語の聖書を読むだけでは分からないことですが、ここでパウロが列記しているのは、ユダヤ的美徳(ヘブライズム)というよりギリシア的美徳(ヘレニズム)であると言われます。聖書と教会と全く無関係なものではありえません。しかし、聖書と教会の伝統というより、その外にあるものです。

それらのこと「すべて」を心に留めなさいと、パウロはフィリピ教会の人々に勧めています。この「心に留める」とは、それらを重んじることを意味しています。記憶することや、聞き置くこと以上です。軽蔑したり、泥を塗ったりせず、むしろ尊重し、敬意を払うことを考えるべきです。

そのため、パウロの趣旨をくみとりながら言い直せば、「教会のみなさん、あなたがたは聖書と教会の伝統に属さない、むしろそれらの外にあるすべてのことやものを軽んじたり無視したりすることは間違っている。そういうものをきちんと重んじなさい」というようなことになります。

このように言うことにおいてパウロは教会の人に不信仰や堕落を奨励しているわけではありません。そうではなく、次のような言い方ができると私は考えます。パウロは「たえず伝道的な姿勢を教会に求めている」ということです。それは、聖書と教会の外にある善きものを重んじることによって聖書と教会の「外」にいる人々を「内」へと招き入れることです。

もし教会の者たちが、教会の内側でしか決して通用しえない専門用語や価値観ばかりをただ語って自分たちで自分たちを満足させているだけであるようなら、伝道は全く不可能です。伝道とは端的に、教会の外側にいる人々に語りかけることだからです。

と言いますと、それは街頭演説をすることかとか、見知らぬ家に戸別訪問することかという反応が返ってくることがありますが、そういう話ではありません。もっと根本的な姿勢の問題です。

教会の外に出て行き、「あなたがたの生き方も考え方もすべて間違っています。教会に来ればあなたがいかに間違っているかが分かります。教会はすべて正しいです」という口上で臨むことで、うまく伝道が進んでいくならともかく、おそらく多くの人々は、ただ反発を感じるだけでしょう。「そのようなけんか腰で教会の外の人々の生き方も考え方も全否定する人々には、もう近づきたくありません。さようなら」と多くの人が心に誓うでしょう。

パウロがフィリピ教会の人々に勧めているのは、いま書いたようなあり方の反対であると言えます。パウロ自身も伝道者としての歩みの中で失敗や挫折を繰り返してきました。けんか腰の態度や相手を傷つけるやり方もしました。しかし、それでは(あるいは「それだけ」では)伝道が進まない。福音が前進しない。そのことにも気づかされてきたに違いありません。

しかし、難しい問題を含んでいることも、私にはよく分かります。「朱に交われば赤くなる。ミイラ取りはミイラになる。不信仰な人々の異教的なやり方に近づきすぎると、我々の確信が鈍り、教会の進むべき方向を間違ってしまう。守るべきものを守りぬくために頑丈な砦が必要である。そのようなものがないかぎり、我々はあっという間にすべてを失ってしまう」。

そのとおりかもしれません。全く間違っているとも言い切れません。私は自分が弱い信仰の持ち主であることを強く自覚しています。だからこそ、どちらかといえば、この弱い信仰をしっかり守ってくれる頑丈な砦があればよいのに、という強い憧れを持つほうの人間です。

しかし、もしそのような頑丈な砦が手に入り、その中だけで生きて行けるようになり、砦の外側に一歩も出ないで済むようになってしまえるとしたら、私はどのような人間になるだろうかということに不安を抱く面もあります。

ヨーロッパはかつて「キリスト教国」としての存在を何世紀も維持していました。パウロが立っていた現実は、「キリスト教国における教会とその伝道」よりも、今の日本のキリスト者が置かれている「全く異教的な国と社会における教会とその伝道」の状況のほうに近いものです。

しかし、そうであるからこそ、パウロは、教会の外側にある「すべてのもの」を心に留めなさいと勧めています。たとえキリスト者がその国や社会の少数派であるとしても、だからといって教会の中で自己完結し、その中に引きこもってしまうようであってはならないという勧めでもあるでしょう。

あるいは、教会の外なる世界ないし社会との接点を持ち続けなければならないという命令でもあるでしょう。自分たちの要塞の中にあるものだけが真実であり、気高く、正しく、清いものであり、愛すべきものであり、名誉なものであり、それ以外のすべてはそのようなものではありえないというような絶対的で排他的で独善的な確信を持つことを慎むべきであるという戒めでもあるでしょう。

もし我々がそのような確信を持ってしまうならば、なるほどたしかに我々の存在は、外から見ればとんでもなく鼻もちならない存在に映るでしょう。我々がそのような要塞に立てこもってしまえば、自分たち自身はこの上ない安心を得て満足できるかもしれませんが、外側から見ると我々の存在は、どこかしら自信のない、ひ弱な人間のように映るでしょう。

教会の外側の社会ないし世界の中にある「すべて」の善きものを心に留め、大切にすべきであるという教えには、パウロ自身がそのことにこの個所で触れているわけではありませんが、重要な根拠があります。それは「神は全世界を創造された方である」という信仰です。

神は教会だけを創造されたのではなく、世界を創造されました。信者だけを創造されたのではなく、いまだ信仰に至っていない人々を創造されました。信者は神によって創造されたが、未信者は悪魔によって創造されたわけではありません。それは異端の教えです。創造者なる神への信仰はわたしたちが教会の外側にある「すべて」に目を向けるべき明確な根拠を提供しています。

パウロは次のように続けています。「わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます」。ここで勧められているのは「教えられたことを実行すること」です。理解できても行動に移せないことの反対です。自分の要塞の中に立てこもり、外側には一歩も出ることができないことの反対です。

大切なことは、言われているとおりに実際にやってみることです。自分の砦の外に出て行くとき、まるで丸腰で戦場に出ていくかのような不安や恐怖心を感じるかもしれません。しかし、そのとき、あなたを神が守ってくださいます。そのことをわたしたちは確信し、安心すべきです。「平和の神」とは「わたしたちを平安で満たしてくださる神」また「安心させていただける神」です。

もちろんパウロとは逆の視点から考えることも必要でしょう。せっかく異教的なものを捨てて振り切って教会の中に飛び込んだのに、教会の内側も外側と大差ないと言われるのは、がっかりだ。もしそうなら、なにも無理して教会に通う必要などないではないか、と思われてしまうかもしれません。バランスを重んじる必要はあります。教会とこの世を一緒くたにすべきではありません。

(2015年8月12日、松戸小金原教会祈祷会)

2015年8月7日金曜日

Windowsを「まだ」使っている理由は「PCが自作機だから」です

ウィルス感染を調べるために弐号機から遠隔操作で壱号機のフルスキャン実行中
お世話になっておいて言うのは申し訳ないことですが、マイクロソフト社やWindowsが好きで使っているわけではなくて、仕事や私用に使う私物のデスクトップ2機がいずれも「自作機」なので、インストールできるOSとしてリナックス(ubuntuなど)かWindowsしか選択肢がないのです。

リナックス(ubuntuなど)にしたい気持ちも山々あるのですが、周辺機器との接続に必要なドライバー類が揃い切っていないようで、やれ、プリンターがつながらない、無線LANがつながらないという感じになって、だんだん面倒になるので、結局はWindowsに落ち着いてしまうという具合です。

Windowsは「Vista」で買ったのをちまちまバージョンアップして現在「10」です。なのでパソコンが壊れてOSの再インストールとなったときは元に戻って「Vista」→「7」→「10」とバージョンを上げていくしかありません。

ちなみに私は「自作マニア」ではありません、悪しからず。

パソコンを自作するようになったのは、壊れたパーツだけ自分で取り替えられることにメリットを感じたからです。電源ボックスだけとか、ファンだけとか交換できます。病院と医者が嫌いなので、近所の薬局で買える範囲内の売薬を試してみて「これが一番安くて効きそうだ」とか言っている様子に近いです。

2015年8月6日木曜日

見限るのでなく、ぜひ支援してほしい

弐号機を冷ましています
「伝道不振の原因は牧師の説教がまずいからだ」と言われれば、ぐうの音も出ない。しかし、たとえばの話、神道政治連盟国会議員懇談会(303名)にキリスト者として知られる議員が多く見つかる国だ。「何を言っても無駄」という気分に苛まれながら牧師たちは説教している。見限るのでなく、ぜひ支援してほしい。

      議員数   神道政治連盟所属議員
衆議院  475人   223人(47%)
参議院  242人    80人(33%)

2015年7月24日金曜日

病院に行ってきました

ここが書斎です。
数年前のことで、思い出し笑いならぬ、思い出しぷんぷん。

本当にかなわないと思っている、ポジティヴにリスペクトするのは悔しいのでできないが、あまりに偉大すぎて平伏せざるをえない人から見下げられるのは、悔しいけど仕方がないと納得できるが、とりまきにあからさまに見下されると腹立つものだ。

とりまきたちは、なんであんなに人を見下せるのだろう。というか、あの人たちはなんでとりまきの位置にいることがあんなにうれしそうなのだろう。私にはさっぱり分からない。「とりまきなどと呼ばわられる覚えはない」と気色ばまれてしまうのか、あるいは本当に自覚がないのか、別の可能性があるのか。

まあ私の側に相当根深い嫉妬があるのかもしれない。だれもとりまいてくれないもの。だいたい私、だれに対しても面倒見よくないし、冷淡だし、うるさいし。そんなことは分かっている。だからボス格の人にはポジティヴなリスペクトはしないけど平伏する。だけど、とりまきから見下げられる覚えはないぞ。

思い出すだけで血圧上がる。降下剤もらいに、これから病院行かなくちゃ。

午後の診察時間は14時30分から18時30分までです。
しぶしぶ病院に来た。「薬だけもらえませんかね」との交渉は虚しく決裂、「診察ですね」と言われた。いま待合室。目の前のテレビはまたしてもNHK。大相撲。観てるだけで血圧上がる。←これはウソ。
しぶしぶ病院に来ました。大相撲をしていました。
病院の待合室で、大相撲そっちのけで没頭して読んでいたのは「ソクラテスの弁明」。そっか、ソクラテスは70歳でこんなひどい辱めを受けたのか。裁判所初めてだからふだんどおりしゃべれないけど許してねみたいなこと言ってる。かわいそうに。

私はよく知らないが、ゼンキョートーとかってこんな感じだったのかもしれないなと思い至った。10代20代のガキどもが70歳のプロフェッサーをつるしあげて一斉に糾弾してるみたいな図。「まるで自分の影と戦うようなことをしなければならない」というソクラテスの言葉が印象的だった。

病院の待合室で「ソクラテスの弁明」を読んでいました。

相撲中継を観たのは何年かぶりだった。土俵入りのとき「わはは」と、病院の待合室だったので申し訳なかったが、つい声を上げて笑ってしまったのは、化粧まわしがパンダの人と、くまモンの人を観たときだ。いま思い出しても笑える。あの化粧まわしで真顔で土俵入り。笑わせ先制攻撃だな。実に興味深い。

土俵入り。パンダの人とくまモンの人は写っていません。

先生に「血圧降下剤、効きません!(おこ」と言ったら「そんなもんです(わら」と言われたので血圧上がった。「そんなもんですか。そうですか。そんなもんなんですね(わら」と返したら下がった。増量してもらった。


2015年7月22日水曜日

フィリピの信徒への手紙の学び 12

松戸小金原教会の祈祷会は毎週水曜日午前10時30分から12時までです
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フィリピの信徒への手紙3・17~4・1

関口 康

前々回申し上げたとおり、パウロはこの手紙を「では、私の兄弟たち、主において喜びなさい」(3・1)という言葉で締めくくろうとした可能性があります。「では」は手紙などを締めくくるときに用いられる言葉だからです。

しかしパウロはそこで筆をおきませんでした。おそらくパウロはこの手紙を「喜び」を語ることだけで済ますことに躊躇を覚えたのです。「あの犬どもに注意しなさい」(3・2)と続けました。キリスト教信仰に敵対する人々がいるということを語りはじめました。

あからさまに書かれているのは当時のユダヤ教徒のことです。しかし、キリスト教信仰に敵対してきた人々はユダヤ教徒だけではありません。あらゆる国の、あらゆる時代の、あらゆる宗教の人々、あるいは無神論者が、キリスト教信仰に敵対してきました。

私が子どもだった頃には「アーメン、ソーメン、冷ソーメン」だのと、まだ言われていました。ものすごく嫌でしたが、多勢に無勢でしたので黙っていました。その手のことに巻き込まれるのが面倒だったので、教会に通っていることを学校では隠していました。

私の場合は、だからこそ牧師になろうと決心した面があります。牧師にならなければ、教会に通っている人間であるということを公表することすら憚られる、という思いがあったからです。私の故郷の岡山が中途半端な田舎だったからかもしれません。こういう理由で牧師になることが不純な動機かどうかは分かりませんが、いまだにこれ以外に表現のしようがないと思っています。

この個所をパウロは文字どおり泣きながら書いています。そのようにはっきり書いています。「何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです」。これは大げさな言葉ではありません。このあたりの字が涙でにじんでいたのではないでしょうか。

しかし、パウロが泣いていたのは、自分が信じている宗教を否定されたからであるとか、自分のしていることをけなされたからというようなこととは違うと思われます。続きを読みますと「彼らの行き着くところは滅びです」とあります。「彼らは腹を神とし、恥ずべきことを誇りとし、この世のことしか考えていません」。

ここでパウロが考えていることは、救い主としてのイエス・キリストに、あるいは宗教としてのキリスト教に敵対する人々の先行きを案じている、というのが最も近いです。要するにパウロは彼らの心配をしているのです。

「腹を神とする」と同じ意味の「腹」を、パウロはローマの信徒への手紙でも用いています。「こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです」(ローマ16・18)。

「腹」の意味が同じであるだけでなく、「自分の腹に仕える」と「腹を神とする」が同じ意味です。自分のお腹をあたかも神であるかのように礼拝することです。これは比喩ですし皮肉です。パウロが書いている意味の「腹」は欲望の象徴です。食欲に限らず、すべての欲望が含まれます。

欲望を満たすことのすべてが悪いわけではありません。欲も望みもなくなれば、人生の活力は消え失せるでしょう。しかし、問題は、自分の腹(欲望)と神を引き換えにすることです。自分の腹を選ぶか、それとも神を選ぶかという二者択一を迫られる場面で迷わず腹を選ぶということになるならば、それは自分の腹と神とを引き換えにすることです。

しかし、よく考えれば、わたしたちが自分の欲望を満たすことと、神を信じて教会に通うことは激しく対立することではないはずです。このように言うと驚かれるかもしれませんが、わたしたちが教会に通うことに強制や脅迫の要素があるならばともかく、自由と喜びのうちに自発的に教会生活を送っている人は、そのことが自分の満足にもなっているはずです。

わたしたちが神を信じて生きるとは、神の祝福のもとに置かれることであり、神の恵みが豊かに注がれることを意味しています。それは言葉の正しい意味での幸福な人生であり、満足できる人生です。満足することと、欲望ないし欲求が満たされることは、矛盾することでも対立することでもありません。

ところが、両者があたかも対立するものであるかのようにとらえ、神か腹か、宗教か欲望か、教会か社会かというような二者択一を考え、神と教会とを切り捨てる選択肢をえらんでいくときに、パウロの言う意味での「自分の腹を神とする」という批判の言葉が該当しはじめるのです。

もちろん、どの宗教を信じても同じというわけではありません。どの登山口から登り始めても頂上は同じという考え方(それを宗教多元主義といいます)はパウロにはありません。彼はただ心配しているのです。真の救い主イエス・キリストを知る者として。イエス・キリストへの信仰によってしか決して赦されえない深く大きな罪をもっていることを自覚している者として。自分は弱い人間であることを知る者として。

「わたしたちの本国は天にあります」(3:20)はとても有名な言葉です。文脈的には唐突ではありますが、パウロの意図は分かります。「本国」と訳されているギリシア語(ポリテューマ)は「コロニア」というラテン語に訳されて、コロニー(植民地)の語源になりました。しかし、このパウロの言葉を「わたしたちの植民地は天にあります」と訳すのは誤解を招くだけでしょう。

とはいえ、この手紙の最初の読者、フィリピの教会の人々はローマ帝国の植民地(コロニア)に住んでいたという歴史的な事実は勘案されて然るべきでしょう。彼らがローマ帝国に逆らうことは反逆罪であり、ただちに死を意味していました。ローマ帝国は支配下の人々に対し、独裁者たるローマ皇帝を神のごとく崇拝すること、皇帝礼拝を行うことを強制しました。キリスト教に敵対していたのはユダヤ教徒たちだけではなく、こうしたローマ帝国の皇帝礼拝を強制する人々でもありました。

しかし、「キリスト者のコロニアは天にある」。このパウロの信仰告白には、ローマ帝国が強制する皇帝礼拝に対する明確な拒否があります。わたしたちの真の支配者は、父なる神と、救い主イエス・キリストだけであって、ローマ皇帝ではない。真の神がわたしたちを愛してくださり、守ってくださる。そのことを信じて生きていこうではないか。神の他に何も恐れるものはない。そのようにパウロは彼らを励ましているのです。

(2015年7月22日、松戸小金原教会祈祷会)

2015年7月21日火曜日

大げさに言えば宗教と政治

本文とは関係ありません
私は純粋かつ客観的に無党派層の一員であり、日本国内の何党の党員でも支持者でもない。「事実上」とか「隠れ」とかでない明示的な公党としてのキリスト教政党が日本に誕生すれば支持しますと(ネタでなく)ずっと前から公言しているのだが、一向にその動きはないので「支持政党なし」の状態のままだ。

だから「九条の会」とか今の学生たちのデモに、特定既成政党の党勢拡大の意図を少しでも感じたら、私は即日身を引く。べつにリベンジではないが、教会が信者獲得(我々はそれを「伝道」と呼ぶ)を意図した行動をとることへの社会的白眼視や警戒心と、たぶんよく似ている。お互いさまだと思ってほしい。

お察しの通り教会という団体は「神を信じる」などということを口にするだけあって、きわめて自尊心の強い集団だ。他の団体に利用されることを最も苦手とする。外部からの支配や制御を少しでも感じると即刻抵抗する。下品な言葉は意図的に避けようとする人が多いが、心中では「なめるな」と思っている。

だからこそ、日本国内でキリスト教というか教会が急激に「流行る」ことはないのかもしれない。波に乗るとか、風に乗るとかが苦手な者たちだ。だけど、いったん一つの視座や土台を得ると、相当辛抱強い、人と社会の何かが健全なものであるように持続的に支え続けうる集団になる。これもたしかなことだ。

ふとそういうことを考えたので、忘れないうちにメモしておく。もう一度書く。日本に限らずキリスト教の教会は外部のいかなる団体からの支配や干渉もおそらく拒否する。票田のようなものにはたぶんならない。たとえそれが「政治的に良いこと」であっても、教会は距離を置く。自主判断で何事も決断する。

デモの話

国会議事堂
たしかに私も「デモ」なるもの/ことにはかなり長年偏見があった。70年安保が5歳。父の膝の上に座って、白黒テレビで、ヤスダコードーとかアサマサンソーとかヨドゴーとかの「事件」を見ていた記憶がなぜかいまだにはっきりある。ホースイとかテッキューとかヨーギシャとかの映像が焼き付いている。

それ系統の一連の記憶と、やはりまだ白黒テレビだった頃からのウルトラマンシリーズ、仮面ライダーシリーズ、あとはオバQとかゲゲゲとかバカボンとかハクション大魔王とか、ドリフとか、なんかそんな感じの、言ってみれば支離滅裂な情報が、私の脳内にいまだに散乱し、ぐちゃぐちゃのまま残っている。

70年安保が5歳なら45年前。その記憶がそれほど褪せもしないで、そのまま残っている。当時のウルトラマンだライダーだアニメだの主題歌は、歌手の微妙な節まわしまで覚えている。アタックNo.1だってキャンディキャンディだって覚えている。いま80代くらいの人にとっての軍歌みたいなものか。

「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものだ。こんなの精神論でもなんでもない。幼児期の脳にインプットされたことは死ぬまで影響し続けるということだろう。私は何歳まで生きるか分からないが、よぼよぼのじいさんになっても、キャンディキャンディの主題歌を節まわしまで正確にうたえる可能性が高い。

そういう頃に「テレビ」で「デモはこわい」というイメージを植え付けられた可能性が、私の場合、非常に高い。でも、なんのことはない。こわくもなんともない。実際に国会議事堂前や総理官邸前に「デモのために」行ってみて分かったことだが、え、こんな狭いところだったの、ということに、まず驚いた。

国会議事堂や総理官邸前に立っている警察の人たちも、だいたいうちの子どもくらいの世代かなというくらいの子たちだ。べつにこわくもなんともない。私がこわいというか心底から不気味だと感じるのは迷彩服だ。草むらなどどこにもないアスファルトの街中でカモフラ着る必然性がどこにあるんだよと思う。

私が5歳のときに白黒テレビで見て「こわい」と思ったデモと、今行われているデモが、どう違うのか、どこも違わないのかは、私には分からないし、その比較に興味はない。ただ、いまはっきり分かるのは、デモはこわくないということだ。スーツでもなんでも着て、行って立っていればよい。ただそれだけ。

あと、不謹慎で申し訳ない。今の政治状況というか「デモ状況」を観ていると(傍観しているという意味じゃないからね!)ハリー・ポッター思い出すことあります。もちろんSEALDsさんたちがハリポタ側。闇側はネトウヨか。親世代に原因があるゴタゴタに「ち、しょうがねえ」と子世代が立ち上がる。

2015年7月20日月曜日

いっそ神学書もすべてツイッターで書けば

2年前(2013年)の写真です。まだ元気だったなあ(遠い目)
ツイッター公式サイトの「140字枠」を利用して説教原稿を書くことに慣れてきました。このままツイートボタンを押して拡散してもよさそうだと思えるほど、不特定多数の方々の目を意識しながら書いています。まだまだですが、分かりやすさと上品さを兼ね備えた文体を追求するようになったと思います。

換言すればそれは、教会の言葉としての説教の言葉がより多くの「社会性」を獲得することを意味するはずです。私はかねてから説教の改善のためには「塾」に通うより原稿をブログに貼り付けて公衆の面前に晒すほうがはるかに有効だと主張し続けてきましたが、今書いているのはその「ツイッター編」です。

いっそ神学書もすべてツイッターで書くといいのかもしれません。もしそれが「人間の言葉で」かつ「日本語でも」表現されるべきものであるならば、「社会性」を身につける必要があります。ツイッターに書く言葉が「何を言っているか分からない」人は、教室でも「何を言っているか分からない」はずです。

ウケを狙う必要はありません。ウケ狙いの内容や文体はすぐバレますので、かえって信頼を失う原因になります。ただ、実際に始めると分かりますが、心身を集中して説教原稿として30ツイート分を書き下ろすのは重労働です。ハタ目から見ると「ツイッターしかしていない人」に見えますが、それはご愛嬌。

しかし、私がツイッターを説教原稿を書くために利用しているというのは、実際の説教を行う前に原稿をツイッターで流してしまうという意味ではありません。重要なことは「140字枠」と「不特定多数の読者」を意識しながら書くことだけです。仕上がった原稿は、説教終了後、ブログに貼り付けています。

2015年7月19日日曜日

ペトロの裏切り

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂
マルコによる福音書14・66~72

「ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。『あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。』しかし、ペトロは打ち消して、『あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない』と言った。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた。女中はペトロを見て、周りの人々に、『この人は、あの人たちの仲間です』とまた言いだした。ペトロは、再び打ち消した。しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言った。『確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。』すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『あなたがたの言っているそんな人は知らない』と誓い始めた。するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、『鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。」

使徒ペトロがイエスさまを裏切ったことについては、これまでに何度も学んできましたし、マルコによる福音書の学びの中でも繰り返し触れてきました。最後にペトロは涙を流しました。マタイ(26:25)とルカ(22:62)は「激しく泣いた」と記しています。ヨハネはペトロの涙を描いていません。

ペトロはなぜ泣いたのでしょうか。ペトロの涙を描いている三つの福音書はその理由を「鶏が鳴く前にあなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」というイエスさまの言葉を思い出したからだとしています。つまり彼はイエスさまに自分の弱さを見抜かれていたことを思い知らされたから泣いたのです。

つまりペトロはとても悔しかったのです。彼は自分のことをもっと強い人間であると思い込んでいたし、そう思いたかったのです。しかし現実はそうでなかったということを思い知らされたのです。そしてその弱さをイエスさまに見抜かれていたことが分かったのです。だから、彼の目から涙が出てきたのです。

ペトロはイエスさまと他の弟子たちの前で次のように断言していました。「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」(14:29)。また、こうも言っていました。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(14:31)。

しかし、ペトロはつまずきました。みんなと一緒につまずきました。つまずくことにおいては、他の人と変わりがありませんでした。イエスさまと一緒に死ぬことはできませんでした。死の覚悟などすっかり忘れて、イエスさまのことを三度も「知らない」と言ってしまいました。だからペトロは泣いたのです。

しかし、彼が泣いたのは、イエスさまに責められたからではありません。イエスさまは、ペトロの裏切りを責めておられません。イエスさまはただ、「あなたは裏切るだろう」と事実を述べられただけです。自分は他の弟子より強いとか、死ぬことを恐れないなどと言い張るペトロをたしなめられただけです。

少し厳しい言い方をすれば、できもしないことをできると言うな、自分の命を粗末にするようなことを口にするなと、イエスさまはペトロを戒められただけです。しかしそれはペトロの裏切りを責める意味ではありません。そうではなくて、自分が弱い人間であることを認めなさいと言っておられるだけです。

しかしそのように言われたとき、ペトロはイエスさまの言葉を受け容れることができなかったのです。私のことを馬鹿にするな、イエスさまの目は節穴だと言いたかったのです。ところが、それが現実になったとき、何もかもイエスさまがおっしゃったとおりであったということが分かって涙が出てきたのです。

しかし私は、ペトロについては、もう少し深いところまで踏み込んで考えなければならないことがあると思えてなりません。なぜなら彼は「みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と、わざわざ他の弟子たちと自分を比較した上で、他の弟子たちを見下げるようなことを言ってしまっていたからです。

しかし、現実の彼は他の弟子たちと全く同じでした。そうであることが分かった以上、ペトロは他の弟子たちに謝罪しなければなりません。「皆さんのことを見下げるような偉そうなことを言ってたいへん申し訳ありませんでした。私は皆さんと同じようにつまずいてしまいました。どうかお許しください」と。

まだあります。ペトロは「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても」とイエスさまに言いました。それは少し工夫して読むと、イエスさまが抱いておられる死の覚悟と自分の死の覚悟は同じですと言っているのと同じであることが分かります。しかし現実の彼は違いました。死の覚悟などありませんでした。

そうであることが分かった以上、ペトロはイエスさまにも謝罪しなければなりません。「イエスさま、私にはあなたと一緒に死ぬ覚悟などありませんでした。偉そうなことを言って申し訳ありませんでした」と。ペトロはとにかく自分は強い人間だと思い込んでいました。しかしそうは問屋は卸しませんでした。

このような思い込みや勘違いは、なぜ起こったのでしょうか。考えられる理由は、自分はみんなのリーダーだという思いでしょう。だから自分は一番偉い。一番勇気ある人間だ。しかし、現実は全くそうではありませんでした。だから、彼の目から涙が出てきたのです。悔しくて悲しくて仕方がなかったのです。

しかし、そういうことの一切を含めてのペトロの弱さをイエスさまは見抜いておられました。いざとなったらうそをつく。いざとなったらとぼける。いざとなったら逃げる。いざとなったら泣く。そういう人たちを集めてイエスさまは弟子にされたのです。そういう弟子を選んだ責任はイエスさまにあります。

ですからイエスさまはどの弟子の裏切りをもお責めになりませんでした。一緒に死んでくれる弟子をお求めになりませんでした。それはイエスさまにとってはかえって迷惑なことでした。父なる神の御心は救い主メシアがひとりで十字架で死ぬことであり、犠牲の小羊、贖いの供え物になることだったからです。

教会でも同じようなことが起こりうると思うところがありますので、このようなことを申し上げています。教会の中で自分の順位を考えてしまう。私はあの人よりは強いけれども、この人よりは弱い、など。しかし、教会は、そういうところではありません。教会は、自分の強さを競い合う場所ではありません。

教会の頭はイエスさまです。教会はイエスさまによって呼び集められた仲間です。そのイエスさまはわたしたちに、どちらかといえば「無理しなくていい」とおっしゃる方です。イエスさまが教会にお求めになることは、争い合うことではなく、互いに謙遜であることです。教会とはそのようなところなのです。

今日の個所で、ペトロが大祭司の女中や他の人々とのやりとりの中で「あなたが何を言っているのか分からないし、見当もつかない」(68節)ととぼけたり、彼らからペトロが「確かにお前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから」と断定されたりしていることには、方言の問題が明らかに関係しています。

ペトロがしたのは、方言の違いがあるから相手の言っていることの意味が分からないととぼけることだったと思われます。しかし、そのすぐ後に、方言の違いがあるからこそペトロは追い詰められてしまいました。お前はガリラヤ地方の方言でしゃべっている。ナザレのイエスの仲間に違いないと言われました。

日本国内でも、方言やなまりの違いで、相手が何を言っているのかが本当に分からないことが実際にありますし、またその人がしゃべる言葉をひとことふたこと聞くだけで、その人がどこの地方の出身者かが分かるということもよくあります。方言の違いは感情の行き違いが起こる原因になることさえあります。

多少余談になりますが、自分ではキツイことを言っているつもりがないのに相手にそう思われ、相手の感情を害してしまったというようなことが起こった場合、もしかしたら方言の違いの問題が関係あるかもしれないと考えてみることは必要です。それだけが原因だとすることはできないかもしれませんが。

方言というのは自分がなまっていることに自分では気づかないところに方言たる所以があります。だからこそ動かぬ証拠になります。自分でどうすることもできないものだからです。しかしそれを突き付けられても否定し続けたというのですから、ペトロの否定の勢いは相当激しいものだったに違いありません。

しかし、ペトロが自分の方言を否定するところまで追い詰められたことは、あとで彼自身が深く傷ついた原因になったかもしれないというようなことを考えさせられもしました。方言と言っても、ただの方言ではなかったからです。イエスさまと共に過ごし、共に伝道した思い出がぎゅっと詰まった方言です。

ペトロにとって自分の方言を否定することは、イエスさまとの関係を否定することを意味するだけでなく、イエスさまと共に伝道したガリラヤ地方の人々を否定するに等しいという思いが、彼の中に起こったかもしれません。家族や友人、そして自分の人生そのものを否定するに等しいと感じたかもしれません。

方言というのは、それくらい重い意味を持つことがありえます。同時にこの個所から、イエスさまはガリラヤ地方の方言で話しておられたことが分かります。それは、洗練された都会の言葉ではなく、田舎なまりの方言です。イエスさまという方は、田舎なまりの言葉で説教する救い主だったということです。

そのように自分の故郷の言葉まで否定せざるをえなかったことまで考えますと、ペトロのことがだんだんかわいそうになってきます。自分という人間はなんと大それたことをしてしまったのかと肩を落とし、背中を丸めて、涙を流しているペトロの姿が浮かんできます。彼の姿は決して他人ごとではありません。

(2015年7月19日、松戸小金原教会主日礼拝)