2017年3月13日月曜日

それゆけ伝道 どこまでも

ガラケーで日本対オランダを観ているの図(記事とは関係ありません)
また書くが、6年前の3月11日、妻と息子と私の3人で牧師館で妻が作ってくれた美味しいパスタを食べていた。娘は学校の教室にいた。松戸市も激しく長く揺れた。余震が続く中、娘が走って帰ってきた。どうにかなるなら家族一緒がいいとか言いながら。今なおつらさの中におられる方々の慰めを求める。

まあ宗教というのは、補助輪とか松葉杖とか車椅子のようなものかもしれないわけで。宗教ウゼえとかよく言われるので、言われ慣れているところがある。なくてもスタスタ歩ける人にとっては邪魔もの以外の何ものでもない。だけど「ぼく歩けないの」状態になったときに、あるとちょっと助かることもある。

毎回「この日この時のために私は生きてきた」と思えるほどの歓喜の瞬間があるが、その後まもなく冷め、次また「この日この時のために私は」とか言っているわけだから、前回の「この日この時」は何だったのかということになると思うので、「この日この時のために私は」という考えを持たないことにした。

単線のステップアップのような道を来ている方には「この日この時のために私は」の連続としてとらえることでいいかもしれない。だが私は複線が入り乱れている迷路さながらの中でもがき続けてきたので、ぱっと視界がひらけたかと思った次の瞬間また袋小路。他の方々はともかく連続性の感覚は私にはない。

上も下もないし、出世も栄転も左遷もないのが牧師だと、なったときから思っていたし、その考えは微動だにしていないので、牧師とか神学部卒業の輩のくせに栄転だ左遷だと、口に出さないとしても内心で思っていそうな向きに接すると、腹は立たないが、ほぼ呆れる。そういうの、ほんとにどうでもいいし。

自虐かもしれないが、哲学や神学など思想系の研究や仕事をしている人自身が「将来性ないよ~」とか言わないほうがいい気がする。将来性がないのはそういうことをたとえ自虐であれ口にする人自身かもしれないが、それを哲学や神学のせいにしないほうがいいのではと思う。哲学や神学はあなたより偉いよ。

我田引水と思われるのかどうか分からないが、「エルサレムでもゲリジム山でもないところで」とイエスが言うとか、復活先がガリラヤとかいう話は出世とか栄転とか左遷とかいう感覚を真っ向から否定していると思うし、パウロの伝道旅行の行き先は左遷先なのかとかね。単純におかしいだろと言いたくなる。

使う方が少なくないので否定するつもりはないし、尊重してきたつもりだが、連れ合いという言い方がいつまで経っても私になじまないのは、送り仮名をとると「連合」になるとか、「連行」とか「連座」とかいう語をなんとなく連想してしまうとかかなあと今気づく。単身赴任もありだよねえと、なぜか思う。

アブラハムは「行き先も知らずに出発した」んだぜいと、なんで私が胸を張っているのかは謎。そういうのこそが「信仰」だと、聖書に書いてあるではないか。アテネのアカデメイアをめざすとか、天竺をめざすとか、そういうのとはまるで違う話なわけよ。なに意味不明なことをやたら力説しているのかも謎。

2017年3月12日日曜日

目標めざしてひたすら走る(千葉若葉教会)

フィリピの信徒への手紙3章12~14節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標をめざしてひたすら走ることです。」

先月も、と言っても2週間前ですが、同じことを申し上げました。千葉若葉キリスト教会で1年間、説教の機会を与えていただき、ありがとうございました。今日もよろしくお願いいたします。

先ほど朗読していただいたのは使徒パウロのフィリピの信徒への手紙です。フィリピはパウロ自身の伝道地です。パウロのフィリピ伝道の様子は使徒言行録16章11節から40節までに描かれています。第3回伝道旅行の最も重要な滞在地のひとつです。

使徒言行録に基づくパウロのフィリピ伝道の概要は次のとおりです。フィリピにはシラスとテモテがパウロに同行しました。紫布商人のリディアがパウロの説教を聴いて洗礼を受けました。その後、リディアの家が彼らの伝道の拠点となりました。

しかし、フィリピはパウロがひどく苦しんだ町にもなりました。パウロが占い師の女性から「占いの霊」を追い出しました。それで、その女性が占いの仕事をやめたため、その女性の占いを収入源にしていた人々が腹を立て、パウロを告訴しました。パウロはシラスと共に逮捕され、投獄されました。

ところが大地震が起こり、監獄の土台が揺れ、牢の戸がすべて開きました。逃げようと思えばいつでも逃げられる状態になったのに、パウロは逃げませんでした。囚人がみんな逃げてしまったと思い込み、責任を感じた看守が自害しようとしたとき、パウロが「自害してはならない」と止めました。

その後、その看守がパウロとシラスに「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」と言い、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒言行録16章31節)と教え、看守とその家族が洗礼を受けました。それがフィリピ伝道最大の出来事となりました。

「占いの霊」を追い出す(?)とか、大地震で監獄の戸がすべて開く(?)とか、そのようなことが書かれている箇所を読むと、それは一体どういう現象なのか、本当にそういうことが起こったのかと、いろいろ疑問に思う人は必ず出てくるでしょう。

よくできた作り話だと言い出す人がいても、それはそれで構いません。はすに構えた聖書の読み方がすべて間違っていると、私は思いません。霊だの奇跡だのというような次元で出来事をとらえるのではなく、ごくふつうの感覚で理解できる話であれば納得できるということであれば、それでも全く問題ありません。

たとえば、「占いを商売にしていた人がその商売をやめた」ということだけを言えば、そのほうが納得していただけるかもしれません。そういうことはよくあることだからです。あるいは、「偶然起こった大地震でたまたま監獄の戸が開いた」と言えば、納得していただきやすいでしょう。すべては神の御心だった、神の計画だったという話にわざわざしなくてもいいでしょう。

今の私もそうです。過去25年、教会の牧師だけしてきた人間が、今年たまたま学校で宗教科(聖書科)教員をさせていただきました。たまたま私が宗教科の教員免許を持っていて、たまたま学校でおやめになる先生や大学院で1年間お勉強なさる先生が出て、たまたま空席ができました。それで私が学校で教えることになりました。

「すべて偶然だった」と説明することもできます。しかし「すべて神の導きだった」と信じようと思えば信じられますし、そのように私が説明するとしてもだれから文句を言われる筋合いのことでもないわけです。

そして実際、私が仕えてきた伝道と教会形成のわざのすべては神の御心であり、神の計画であると私は心から信じています。正直言ってつらいことのほうが多いです。しかし、「これは神の御心であり、神の命令である」と信じることができるからこそ、どんなにつらくても取り組むことができます。そのような次元でとらえるのでないかぎりとても耐えがたいと言わざるをえない過酷さが、伝道と教会形成のわざにはあります。

いま申し上げているのは、牧師だけが過酷だということではなく、教会の信徒の方々すべての働きが過酷であるということです。「すべては神の御心である」という告白は、そのように信じるのでもないかぎりとても耐えることができない究極的な限界状況に立っている人の告白であると、私自身は考えています。

さて、そのようにパウロがひどく苦しんだ結果としてフィリピに生み出された教会に宛てて書かれた手紙が、このフィリピの信徒への手紙です。

「わたしは既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです」(12節)と記されています。

この中の「それ」という指示代名詞は直前の文章にかかっています。直前の文章は「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」(10~11節)です。

いろんな要素が複合されているこの文章の中のどの言葉が最も「それ」なのかといえば、「キリストの死の姿」です。この特定が私にできるようになったのは、石黒義信先生(千葉英和高等学校チャプレン、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会牧師)のもとで青野太潮先生の「十字架の神学」を学んできた成果です。

ここでパウロが言っているのは「わたしは既にキリストの死の姿を得たというわけではない」ということです。「キリストの死の姿との一致において既に完全な者となっているわけでもありません」ということです。言い方を換えれば、「まだ完全に死にきれていない」ということです。「まだ自分が生きている」ということです。

そのように青野太潮先生がこの箇所を説明しておられるかどうかは分かりません。私が青野先生の受け売りをしているという意味ではありません。青野先生の「十字架の神学」の立場に立ってこの箇所を読むと、こういうふうに読むことができるのではないかと思っているだけです。

「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(13~14節)と記されています。

この「目標」も「キリストの死の姿」であると考えることができます。それは、裸にされ、ずたずたに傷つけられ、十字架上にはりつけにされたうえで、「他人を救っても自分を救えない」と罵られるという、肉体的にも精神的にも追いつめられた、惨めで弱いイエスの姿です。

そのイエスの姿、キリストの死の姿こそが、パウロの「目標」です。その目標を目指してひたすら走る人生を私は送っているのだ、とパウロが言っています。そのことは前後の文脈からも分かります。3章2節から始まる話題との関係が特に重要fです。

「あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。彼らではなく、わたしたちこそ真の割礼を受けた者です」(2~3節)と記されています。

「割礼」と書かれていますので、ここに書かれているのはきっとユダヤ教徒に対する警戒の問題だろうと単純に読んで早とちりしてしまいそうですが、そうではありません。ここに書かれていることは、パウロの第1回伝道旅行が終わって第2回伝道旅行に出かけるまでの間に行われたいわゆる「エルサレム会議」(使徒言行録15章)で取り上げられた問題との関連で理解されるべきです。

エルサレム会議で取り上げられた問題とは、「人は洗礼を受けるだけでは救われない。洗礼に加えて割礼を受けなければ救われない」というようなことを教えるようになった人々とパウロとのあいだの対決の問題です。

こともあろうに、そのようなことを教えるようになった人々の側のリーダーが使徒ペトロだったことは非常に厄介だったに違いありません。しかし、エルサレム会議の結論は、パウロの主張を支持するものでした。しかし、詳細に立ち入るいとまはありません。今申し上げたいのは、3章2節以下に記されていることの歴史的背景だけです。

「切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい」と書かれているのは、ユダヤ教徒に対する警戒ではなく、むしろキリスト教の伝道者の中にいる人々に対する警戒であるということです。その人々はもしかすると、当時のキリスト教会の中の主流派だったかもしれません。そのような人々に対する対抗の意味でパウロが書いているのが3章4節以下です。

「とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです。わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非の打ちどころのない者でした」(4~6節)。

しかしパウロは、「キリストの死の姿」を「目標」にして生きるようになってからは、過去においては拠り所にしていた「肉の誇り」は、今の自分にとっては「損失」であり「塵あくた」であると思うようになりました。

「十字架の神学」も、ただエラそうに論じるだけなら、いとも簡単です。自分に都合がよいように引用するだけなら、いとも簡単です。自分自身が「イエスの死の姿」を「目標」にして生きようとしないなら、否、死のうとしないなら、全くの「損失」であり「塵あくた」です。

最後に私の話をするのをお許しください。私はまだ教会の牧師の仕事に復帰することを諦めているわけではありません。ずっと祈り求めていますが、どの教会からもいまだ確約をいただいていません。かっこよくいえば「フリーエージェント」です。

私はパウロほど腹をくくれていません。しかし、今の私は、いろいろ取り去られた結果、以前より少しくらいは「イエスの死の姿」に近づくことができているのではないかと思っています。

私も「肉の誇り」を持っています。私は生まれたときからずっと教会に通っています。6歳で成人洗礼を受けました。小学校に入学する前の幼稚園児の私が、自分の意志で牧師のところまで行き、「私に洗礼を授けてください」とお願いしました。その日のことを今でもよく覚えています。

高等学校を卒業してすぐに東京神学大学(東京都三鷹市)に入学しました。24歳から25年間、牧師の仕事だけをしてきました。

私の出身教会は、日本最大のプロテスタント・キリスト教団である「日本基督教団」の中の最大規模の教会です。「日本基督教団岡山聖心教会」(岡山県岡山市)です。

私の出身教会のルーツは「ホーリネス派」です。熱心さの点では太平洋戦争中に日本政府から弾圧を受け、日本基督教団南京教会の牧師として特高警察に逮捕抑留された永倉義雄牧師から、私は洗礼を受けました。

そして私は、今は元に戻っていますが、19年もの間、「日本基督教団」を離れていました。その間は「日本キリスト改革派教会」に教師として在籍していました。

「日本キリスト改革派教会」に在籍していた間は、教会の牧師としての仕事のかたわら、新しい中会(プレスビテリ)を生み出す仕事をしました。大会(ジェネラルアッセンブリ)では教師学科試験委員会に属し、新しく牧師になる人々の試験問題の作成や採点や面接などをしました。

そういうことを私が誇ろうと思えば誇れないわけではありません。しかし、それらすべては今の私にとってはどうでもいいことです。「損失」であり「塵あくた」です。「後ろのもの」は忘れました。「キリストの死の姿にあやかること」のほうがはるかに大事です。

(2017年3月12日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会主日礼拝)

2017年3月6日月曜日

カール・バルト「シュライエルマッハーとわたし」(1968年)と「第三項の神学」(上)


ここに来て、まだ対面していない方からのご質問に応えるべくカール・バルト最晩年の文「シュライエルマッハーとわたし」(1968年)を読み直している。ユルゲン・ファングマイアー『神学者カール・バルト』(加藤・蘇共訳、日本基督教団出版局、初版1971年、再版1973年)「第二部」にある。

「シュライエルマッハーとわたし」(1968年)はバルトの自伝文書に分類しうる。とにかく面白い。今だから理解できる。染みる。圧巻なのはブルトマンを「シュライエルマッハーの実存主義的なエピゴーネン」であり「明瞭なシュライエルマッハーの再来」と言い放つくだり。溜飲が下がるものがある。

バルトはブルトマン学派の「公分母」はシュライエルマッハーだと断じる。シュライエルマッハーの特徴である「同時代の社会や世界の要求を規準として耳を傾けつつキリスト教的勧告を与えること」「神学と哲学の共生」「神学の人間学化」「主観と客観の緊張的統一」をブルトマン学派が繰り返している。

もっともブルトマンとその学派はシュライエルマッハーの「感情」の代わりに「少しばかり聖書に近く、あるいは宗教改革に近く『信仰』を語る」(110頁)。ルターを引用し、言葉・出会い・出来事の体験・十字架・決断・限界・審きを語るが、シュライエルマッハーの人間学的地平の隘路は越えていない。

「シュライエルマッハーからと同様、今日のエピゴーネンからしても、イスラエルの歴史記述者・預言者・賢者...イエス・キリストの生涯と死と甦りを語る人々...使徒の言葉…イエス・キリストの父、アブラハム・イサク・ヤコブの神…キリスト教会の大いなる伝統へ通じる道はない」(116頁)。

「君たちの間で、君たちの学派で、君たちの生み出すものの中で、その大きさにおいて、その次元において、シュライエルマッハーという人物のそれに、たとえ遠くからでも匹敵すると言いうるような人格や業績が、今日に至るまで、どこで、いつ現われたであろうか」(124頁)とバルトは書いている。

こうしてバルトはシュライエルマッハーと「実存主義的エピゴーネン」としてのブルトマンを厳しく批判した上で「シュライエルマッハーの関心事をよりよく評価するための」新しい可能性としての「第三項の神学」すなわち「聖霊の神学」の可能性を示唆している(134頁以下)。実に興味深いではないか。

(下に続く)

2017年3月5日日曜日

口で伝わらないことは字では決して伝わらない

2017年3月3日金曜日、有志伝道会議(上野「アメ横」の近くにて)
私はFacebookに「友達限定」で自分の携帯電話の番号を公開している。自宅の固定電話は廃止。それで支障が出たことはない。初めての電話には出ず、その番号をネットで検索して、いろんな人が公開している「迷惑電話リスト」に載っていれば「迷惑」と名づけて保存。「0120」系はすべて無視。

役所や職場や商品購入などの書類にも、すべて自分の携帯電話の番号を記入している。そのほうがかえって安全だ。全くありえないと言い切れないトラブルやクレームに家族を巻き込むことがなくて済む。私に言いたいことがある人は、家族に伝えて間接的に「言わせる」のでなく、直接言ってもらうしかない。

そのせいだろうか、最近は電話というものがほとんどかかってこない。仕事の連絡はメールかSNSで事足りるし、そのほうが確実だと歓迎される。週末にうっかり職場に携帯電話を忘れて帰ることがたまにあるが、週明けまで誰からもかかってこなかったことを着歴で知って、がっかりすることがあるほどだ。

電話は不要だと考えているのではない。むしろ重要度が増している。メールやSNSではどうしても伝わらないことがある。字数を多くすればするほど誤解の泥沼にはまることがある。私の長年の持論は「口で伝わらないことは字では決して伝わらない」だ。直接話すのが最も良い。会えないならせめて電話で。

しかし、最も良いのは直接話すことだ。個人的に話すもよし、仲間で話すもよし。先週末は上野「アメ横」近くで有志伝道会議。そういうのが最高に良い。でもそれは物理的距離の問題をクリアできる関係の中だけで実現することだ。その意味でもせめて電話。メールやSNSでは伝わらないことがあるからだ。

どうでもいいことを流暢にしゃべる技術を磨くことなのか

記事とは関係ありません
頭脳明晰な方は伏せ字の中身を見抜くかもしれないが、だいぶ前、某国首相に日本の某大学が名誉博士号を授与することになり、その式典に出席させてもらったことがある。その某国首相の謝辞演説の後の質疑応答のとき、何人かの日本の学生が立ち上がった。自らの外国語力をアピールできるチャンスだった。

同時通訳者が学生たちの質問を日本語に訳してくださったので、日本語しか分からない私も含め、その式典に出席していた多くの人にも彼らの質問内容が理解できたはずだ。学生たちの果敢さは絶賛に値すると思った。しかし、質問の内容は「え?は?」と私ごときが驚くくらいレベルが低いことばかりだった。

「内容がないよう」と、つぶやいてしまった。彼らが使う外国語の流暢さがスーパーハイレベルだっただけに、中身の無さはがっかりだった。その某国首相は自国の歴史や自分が尊敬する人物と、日本の歴史やその大学の創始者との「類似性」を話していたのに、そのことに触れる質問をする学生がいなかった。

恥ずかしいとまでは思わないし、そんなふうに言えるだけの実力が私にないので黙るしかなさそうだが、それでもそのとき私が考えたのは、日本語しかできなくても、それはそれで同時通訳者が助けてくれるので、それよりもっと自分で本を読み、自分の頭で考えられるようになってほしい、ということだった。

いま書いていることに特に何かの脈絡があるわけではない。ただ、グローバル教育とは何なのかということを、わりと毎日疑問に感じているひとりであることを付け加えておこう。雑な言い方をお許しいただけば、どうでもいいことを流暢にしゃべる技術を磨くことがそれなのかと、わりと毎日考えこんでいる。

2017年3月4日土曜日

サイボーグ009豪華版が来ました

石ノ森章太郎『サイボーグ009』豪華版(全23巻)
幼少期から読んでいるが全巻を揃えたことがなかったサイボーグ009が豪華版で揃った。発売当時の定価では手が出なかった豪華版だが、ネットのおかげで超安値で落札、本日着。版元やサイズが違うシリーズがあるが、私はマニアではないので同じ内容なら違う版でさらに集めたりはしない(たぶん)。

豪華版にしたのは、老眼にやさしそうだったのと、古いのを捨てるためのつもりだったが、サイボーグ009マニアの人たちのサイトなど読んでいるうちに、古い版のものがすごい高値で取引されているらしいと知り、捨てるのが急にもったいなくなって、そっちも集めようかなという思いが浮かんできた次第。

マニアでもない私が009のことを書くなどおこがましいかぎりだが、今こそ読み直されるべきマンガだと思う。原子力開発、ロボット、サイボーグ、ドローン、クローンなどなどの問題を網羅。描かれるツールやマシン(電話とか車とか)のデザインはレトロそのものだが、かえって斬新でおしゃれでもある。

手塚治虫と並び称される石ノ森章太郎先生だが、私は実は手塚のマンガが昔から苦手。どれも共感できたためしがないし、単純に面白いと感じられない。石ノ森先生のマンガはどれもこれも面白い。すべて私の主観だけで言わせていただけば、石ノ森先生のマンガにはハズレがない。手塚のマンガは(以下略)。

100%私の主観だが、どこが最も大きな相違点だと感じるのだろうと、こんなの初めて考えたことだが。それで思い至ったのは、石ノ森先生はどの戦いにも悲哀を描き、どの主人公も心であるいは実際に涙を流しながら敵を倒すこと。手塚はそうでない気がする、とか書くと手塚ファンから叱られるだろうか。

たしか私が高校か大学の頃から、手塚とか石ノ森先生とか松本零士さんとかのマンガの大きなサイズのハードカバー本が出るようになって、「マンガのくせになんでこんなエラそうなの?」(失礼!)みたいなことを感じていた。でも、今やっと豪華本の意味が分かった。読みやすい!永久保存版!すばらしい!

2017年3月1日水曜日

命令したことがない

ほとんどもっぱら高齢者対象の仕事を長年続けてきたこともあり、だれかに指示したり命令したりしたことがない。だれに対しても「しなさい」と言ったことがない。そもそも自分が子どもの頃から、だれからも「しなさい」と言われたことがない。「せられえ」とか「せー」と言われたことはある(岡山弁)。

お願いならしたことがある。「もしよろしければ、これこれをしていただけませんでしょうか。なにとぞどうかよろしくお願いいたします」というようなことを言ったり書いたりはよくしてきた。しかしそれは指示でも命令でもありえない。「人を使う」ということも全くしたことがないし、考えたこともない。

協力を要請したことならある。「もしよろしければ、お助けいただけませんでしょうか。ご多忙中のところ申し訳ございません。ありがとうございます」と言ったり書いたりはよくしてきた。しかしそれは指示でも命令でもありえない。緊張しているわけでもない。それが「自然」であり「普通」であるだけだ。

妻にも子どもたちにも「しなさい」と、いまだかつて一度も言ったことがない。妻には「もしよろしければ~」で、子どもたちには「しろ」。そのどちらかだ。家庭内のことなので何の問題もない。よそさまに「しろ」も「しなさい」もない。ありえない。言い方の問題ではなく基本姿勢の問題だと思っている。

いま書いているのは「私はそうだ」ということだけで、すべての人が私と同じでなければならないと言いたいのではないし、考えているのでもない。ただ、聞こえてくるたびに嫌だと思っているし、不快に感じているし、腹が立っているし、軽蔑している。口に出して言わないだけだ。私はそういう人間である。

ほとんどもっぱら高齢者対象の仕事を長年続けてきたことと、命令も指示もしたことがないことがどうつながるのかといえば、仮に(相対的な意味での)高齢者に命令したり指示したりしても、言うこと聞いてくれるわけがないからだ。へそまげて、頭から湯気が出るだけだろう。そんなの当たり前ではないか。

まだ終わらない仕事を抱えているが、今夜はもう休ませてもらう。明日なんとか仕上げよう。

2017年2月28日火曜日

「よしこれからだ」と意味不明の気炎を吐く

クリニックの待合室に自分で持ち込んで読んでいたマンガ

血圧降下剤が今朝残錠ゼロになったので、職場からの帰りに行きつけのクリニックに立ち寄る。自分で持ち込んだマンガを読みながら診察を待つ。年度末が近づき、いろんなものが、いろんなことが終わっていく。へたばるわけには行かないので、病院と薬局と石ノ森章太郎先生に助けてもらいながらがんばる。

Facebookのお友達の投稿で、お台場のダイバーシティのテナント空きが増えている様子が分かって、ややショックを受けつつ、「よしこれからだ」と意味不明の気炎を吐く。調べてみると2005年1月10日だったようだが、私は某所で行った講演で「お台場伝道所を作ろうよ」と語ったことがある。

もちろん九分九厘妄想だが、冗談ではなく真顔で言った。教会青年対象の講演だったが、私が問いたかったのは、あなたがたは「ありそうもない夢は見ない主義」なのか、それでいいのかということだった。「お台場」なんかに教会ができるはずがないとか、何もそんな確信持つ必要ないでしょと言いたかった。

お台場の今の賑わいなど影もなかった1980年代後半の築地まで結婚前の妻を乗せて車で来たことを覚えている。大学生だった頃なので、そんなに昔ではない。本当に何もなかった。今のようなレインボーブリッジも、ゆりかもめも、フジテレビのビルも、ベイエリアの高層マンションも想像もつかなかった。

そのお台場に「なんで教会?」と、たぶん多くの人が疑問をもつだろう。そのことを予測したうえで、なぜそこで疑問を持つのかを考えてみてほしいと願った。私自身も答えを持っていたわけではないし、実行力や根拠となるものを持っていたわけでもない。しかし、むなしい言葉遊びをしたかったのでもない。

でも、まあいいや。書けば書くほど、まるで何かの弁解をしているかのような気分になってくるので、これ以上書くのはやめよう。「お台場教会」をぜひどなたかに作っていただきたい。そこで毎週日曜日に普通の簡素な(できれば地味な)礼拝が行われるのを期待したい。その教会に出席させていただきたい。

2017年2月26日日曜日

恐れるな、語り続けよ(千葉若葉教会)

使徒言行録18章9~11節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。』パウロは一年六か月ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。」

今日の箇所の文脈は、使徒パウロの第3回伝道旅行です。パウロはそろそろ高齢者と言える年齢になっていました。あらゆる困難を乗り越えて神の御言葉を宣べ伝える働きを続けてきました。

そのパウロに神が幻の中で「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」と励ましの言葉を語りかけてくださいました。これはパウロに神が語った言葉です。しかし同時に、すべての伝道者、そして教会にも神が語り続けています。伝道者は個人的に神の言葉を宣べ伝えているのではなく、教会と共に働く存在だからです。

もちろん伝道者は個人的にも語ります。そこに教会がなければ伝道者は何も語ることができないのではなく、伝道者は新しく教会を生み出すことができます。しかし、親のいない子どもはいません。子どもは自分で自分を生むことはできません。教会も同じです。新しい教会にも生み出す母体となる親の教会が必ずあります。

しかしまた、ここで私が声を大にして言いたいのは、すべての教会の生みの親は神であるということです。教会はイエス・キリストの体です。究極的にいえば、伝道者と教会が属している母体は神御自身であり、神の御子イエス・キリスト御自身です。だからこそ、伝道者と教会が恐れず黙らず神の言葉を宣べ伝える働きを続けるために、神御自身の励ましの言葉を必要としています。

ここで問題があります。それは、伝道者と教会を励ます神の言葉は、わたしたちが手にしているこの聖書という書物そのものなのかといえば、必ずしもそうとは言い切れません。これはもしかしたら皆さんを驚かせ、不安な気持ちに陥れる言い方かもしれません。

しかし、今日の箇所に書かれているとおり、伝道者パウロに神が励ましの言葉を語りかけてくださったのは「幻の中で語りかける」形式であったことが分かります。「パウロは聖書を読んだ。こう書かれていた。だからパウロはそう信じた」というようなことを使徒言行録が書いていないという点が重要です。

パウロが自分の働きの支えとし、根拠とし、その上に立って伝道の仕事を続けた神御自身の励ましの言葉は、いわばたかが「幻の中で語りかけられたもの」にすぎないものでした。第三者が客観的にそれを証明できるわけではありません。何の証拠にもなりませんし、何の保証もありません。「それはあなたの思い込みだ」と言われてしまえば、それまでです。

伝道者と教会の存在は、その意味では、砂上の楼閣です。常に危険な綱渡りをしていると自覚するほうが、よほど現実的かもしれません。

しかしまた、だからこそ、伝道者と教会にとって「祈り」が意味を持ちます。祈りとは願いです。まだ実現していないことが実現しますようにとただ思っているだけです。ただ願っているだけです。私はこれだけのことをしたのだから当然これだけの評価を受けるべきだというような権利主張をすることが祈りではありません。

その意味では伝道者も教会も常に不安の中にあります。この務めにだれが耐えうるのでしょうか。しかし、神はこの務めを担う人々を世の中から選び出して、無理にでも担わせる方です。そのような、光栄でもあり、重荷でもあるのが伝道の働きです。

パウロが「幻の中で」この励ましの言葉を聴いたのはコリント伝道の最中だったことが分かります。使徒言行録によれば、パウロがコリントを訪れたのは、ギリシアの首都アテネの次でした。アテネとコリントはさほど遠くない距離にあります。

パウロのアテネ伝道は、しばしば評価が分かれるところです。パウロはアテネで伝道に失敗したととらえる人もいれば、失敗したとまで言うのは間違っているととらえる人もいます。私はどちらかといえば、パウロのアテネ伝道は失敗したと考えるほうです。

パウロがアテネで出会ったのは、多くの偶像でした。あるいはギリシアの神々をまつる神殿でした。それを見て彼は「憤慨した」(17章16節)と記されています。エピクロス派やストア派の哲学者たちと討論をしたとも記されています(17章18節)。エピクロス派(エピキュリアン)といえば快楽主義、ストア派(ストイシズム)といえば禁欲主義ですが、そのあたりに立ち入るいとまはありません。

そのようなアテネでパウロが力説したのは、大きく分ければ2つのことでした。第一は「神は手で作った神殿などにはお住みにならない」(17章24節)ということでした。そして第二は「神がひとりの人を死者の中から復活させて(イエス・キリストの復活)、すべての人にそのこと(すべての人の復活)の確証を与えた」(17章31節)ということでした。

ところが、特に後者の「死者の復活」を語ったことで、あざ笑われ、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と立ち去られてしまいました(17章32節)。しかし、何人かの人はパウロに従って信仰に入った、とも記されています(17章34節)。パウロのアテネ伝道は失敗とまでは言えないと考える人々の根拠は、この点にあります。

しかし私は、パウロのアテネ伝道は失敗だったと考えています。それはパウロが死者の復活について語ったから失敗だったという意味ではありません。私が考えるのはもっと根源的なことです。

パウロのアテネ伝道には「憤慨」すなわち「怒り」という動機があったという点が問題です。腹立ち紛れに当てこすりの言葉を語ったのです。そのような動機で語られる言葉で心が動く人がいるでしょうか。それが「伝道」と言えるでしょうか。と、そのあたりのことを私は考えています。

そういうのは今の人なら「上から目線」と言います。私が過去に出会った少なくない数の外国から日本に来た宣教師たちの中に、そのタイプの人々がいました。「日本は霊的に貧しい国である。日本人は霊的に貧しい人々である。だから我々は日本に伝道し、日本人を回心させなければならないのだ」というようなことを書いたり語ったりする人々と出会ったことがあります。

外国の宣教師だけを悪者にするつもりはありません。日本人の伝道者にも、日本の教会にもそのタイプの人々がいます。私自身も同じような感覚に陥ることがありますので、自戒しなければなりません。

そのようなやり方で誰の心が動くでしょうか。ばかにされた、けなされたとしか感じないでしょうし、ますます心を閉ざされてしまうでしょう。自分が逆の立場であればその気持ちは分かるはずです。「怒り」や「軽蔑」が動機であるような伝道がうまく行くはずがありません。結果的に何人かの人が信仰に入ったとしても、長い目で見れば、パウロのアテネ伝道は失敗だったと言わざるをえません。

さて、パウロはアテネの次にコリントに行きました。コリントでパウロは、アキラとプリスキラというテントづくりを職業とするユダヤ人夫婦の家に住み、彼らの仕事を手伝うアルバイトをしながら伝道しました(18章1~4節参照)。

この箇所を根拠にして日本の教会でも「牧師たちはパウロと同じようにアルバイトをしながら伝道すべきである」というようなことがしばしば語られてきました。その趣旨を私は理解できるほうです。しかし、この箇所に記されていることが、伝道者の活動をサポートする教会の責任がまるで全く免除され、放棄されてもよいかのような意味で引用されることもありますので、警戒心が私にはあります。

話の流れをよく考えていただけば、コリントでのパウロのアルバイトは、あくまでも一時的な緊急避難だったことが分かります。恒常的なことでも固定的なことでもありません。

そして、シラスとテモテがマケドニア州からコリントに来てからは、パウロは御言葉を語ることに「専念した」と記されていますが(5節)、これはおそらく彼らがマケドニア州の教会で集めた献金を持ってきてくれたので、アルバイトで食いつなぐ必要がなくなったことを意味していると思われます。

お金を稼ぐことが伝道の目的ではありません。しかし、伝道の継続のために、そして伝道に専念するために教会の支えが必要です。

しかし、パウロがどれほど伝道に専念できるようになっても、必ず妨害が入り、そのたびに伝道の継続が困難になったことも事実です。それでパウロは移動を余儀なくされ、働きの場を転々とすることになりました。

その苦労がパウロを伝道者として成長させました。コリントでは多くの人々が信仰に入り、洗礼を受けました。教会の仲間が増え、パウロの伝道を支えてくれる人々が増え、1年6か月コリントにとどまって伝道を続けることができました。

繰り返します。お金を稼ぐことが伝道の目的ではありません。しかし伝道の継続のために、そして伝道に専念するために教会の支えが必要です。

「教会は伝道者を助けることができませんので、自分でアルバイトをしてください。パウロもそうしたではありませんか」という言い方は、文脈を無視した間違った引用であるとしか言いようがありません。

「幻の中で」神がパウロに語りかけてくださった「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」(9~10節)という言葉は、このような文脈の中で理解されるべきです。

伝道は賭けごとではありませんが、賭けの要素があることを否定できません。パウロにとっての伝道の究極の根拠は「幻」でした。それが何なのかは、彼以外の誰にも見ることができないし、理解することもできません。それは、ただ願いであり、祈りです。「にすぎない」ものです。

しかし、それを必要としている人々が大勢います。神の言葉を必要としている人々がいます。救いを求めている人々がいます。そのためにわたしたちは伝道を続けるのです。それ以上でもそれ以下でもありません。

(2017年2月26日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年2月24日金曜日

糸通しの歌(作詞 関口康)


ボタンがとれても 慌てない
裁縫キットで ヒョイパッパ
今日はひさびさ 電車でゴー
朝から寿司だ 行ってきます

今日はボタンを 2つ付けた
スーツもコートも よれよれよ(ヨロレイヒ)
5年メガネが 今日折れた
車の走行 12万
ぼろろボロロと 明日も行く

今日は 夜遅くまで仕事
夕食も すっかり遅く
電車をおりて 駅前の日高屋で
ありついた レバニラ炒めがしみた
ごちそうさま
明日もなんとか 笑えそうだよ

今日いちばんの 喜びは
これが何かを知ったこと

今日いちばんの 悲しみは
これを今日まで知らなかったこと

今日いちばんの 喜びは
これで なんとかなったこと

今日いちばんの 悲しみは
これまでは これなしに
なんとかなっていたこと(目が 目がぁぁぁ)

糸通し 糸通し
ああ君の名は
糸通し

糸通し 糸通し
ああ君のこと
愛おしい