2017年2月4日土曜日

後ろから前へと考える神学の強みと弱点

眼前の事実を全肯定することが実はいちばん難しい
従来ほぼそうだった「創造」から「終末」へ時系列の前から後ろへ考えるタイプの神学が陥りやすい罠は、「あるべき」「すべき」がとかく先行しやすく、現実の結果を重んじるよりも論理的整合性や未来予測のほうが大事で、誰かが悪い結果になったとき「ほら見たことか」と言い出すことではないかと思う。

「ほら見たことか」と言いながらも事態の好転に向けての打開策を一緒に考えようと温かく寄り添う姿勢があるならまだしも、最大でそういう「素振りを見せる」だけで実際には何もしない。「あるべき」「すべき」を遵守実行しないからそうなったのだと、ほぼただ言うだけで、結論も遵守実行せよで終わり。

前から後ろへ、ではなく、後ろから前へ、つまり「終末」から「創造」へという順序で考えることができれば、すべてのベクトルがほぼ従来の発想とは逆向きになっていることを意味するので、「あるべき」「すべき」の視点に立って「できなかった、しなかった」を責める発想から少し解放されるものがある。

それと、「誰かが悪い結果になったとき」と書いたが、それはどういう意味で「悪い結果」なのか、そもそもそれは「悪い結果」なのかは、よくよく考えなければならないことでもあるだろう。今ある現実、眼前の事実を指差して「存在すべきでなかった」「不幸な結果だ」とだれが何の権限で言えるのかと。

今ある現実、眼前の事実をひとまず全肯定することから出発する必要がたぶんある。神学も同じであり、神学こそそれが大事だと思う。神学的論理において徹底的に固められた現実全否定論のようなものがあるとしたら(あると思う)、神の名で全世界と全人類を否定しているようなものなので危険極まりない。

後ろから前へと考える神学とは、今ある現実、眼前の事実をまず全肯定することから出発する神学でもある。そして「前へと考える」は、今の現実の不幸と悲惨の原因は何かを探りに行くことをある意味で指しているが、それをただ嘆き、責めるだけではない。それだと、前から後ろへと考える発想と大差ない。

後ろから前へと考える神学の弱点は、今ある現実、眼前の事実をまず全肯定することから出発する神学であるだけに、具体的な事実の描写から始める必要が生じるが、そういうことをするといろいろ差し障りが出てくるので、なかなか難しいことだ。あちらにこちらに配慮して、結局抽象的なことしか書けない。

「前から後ろへと考える神学」と「後ろから前へと考える神学」の区別と関係を「前者の発想は演繹的(deductive)であり、後者は帰納的(inductive)である」と説明することは、ぴったり一致するわけではないが、ある程度可能だと思う。後者は一種の経験主義的思考であるとは言える。

対外的に差し障りが最も少ないかもしれない例を挙げておく。「私のウェストはなぜこんなに丸いのか」という問いを立てたうえで、ひとまず丸さを全肯定し、そのうえで不幸と悲惨の原因は何かを探りに行くという思考の筋道を通る。理想的なサイズはこうあるべきとだれが何の権限で言えるのかと気色ばむ。

2017年2月3日金曜日

組織神学の自由

『宣教(アポストラート)の神学』(1953年)原著(左)、長山道訳(右)

信仰の確かさを得るために神学を学ぶという動機が一概に間違っているとは言い切れないが、危険かつ有害な面もある。こういう動機で学ぶと、しばしば視点が固定される。しかし、神学の目的は逆である。人はどんなふうにも自由にものを考えられるようになることを学ぶのが神学、とりわけ組織神学である。

私が思い描く「神学」、とくに「組織神学」の理想形は、お察しのとおりファン・ルーラーのそれである。後藤憲正訳や長山道訳などの日本語版がある『宣教(アポストラート)の神学』(1953年)においてファン・ルーラーが展開しているのは「終末論から出発する神学」という顕著な特徴を持っている。

ファン・ルーラーより前の組織神学は「創造」から「終末」までを時系列の古い順に並べて考えていく構造を持っていた。その順序をファン・ルーラーはひっくり返して論じ、神学界を驚かせた。その影響を受けたのがモルトマンである。モルトマンの『希望の神学』(1964年)も終末論から出発している。

しかしファン・ルーラーは、終末論からだけでなく三位一体論からでも予定論からでも召命論からでもどこからでも組織神学を出発させることは可能であると考えた。これは単なる順序の違いにすぎないことではない。あらゆることを見て聞いて考える際のパースペクティヴとパラダイムに大きな影響を与える。

私なりにたとえて言えば、組織神学はカーナビの「ルート検索」に近い。千葉県柏市から山梨県甲府市までどのルートを通るのが最適なのかを検索する。近いとか速いとかだけでなく、おすすめの観光スポットに立ち寄りながら行くにはどのルートを通ればいいかを真剣に考えるのが組織神学の仕事である。

「組織神学」と「諸学」の関係も自由自在だ。あるいは「予定論」と「美容整形」の関係は何か、あるいは「終末論」と「ドーピング問題」の関係は何かを考える。そのたびに「ルート検索」をして、どの道をどう通れば両者がつながり、相互に自由に行き来できるようになるのかを考えるのが組織神学である。

しかしそれは必ずしも「神学の立場から」あらゆる問題を見つめるというだけにとどまらない。逆コースもある。あらゆる問題の側から「神学」を見つめることも可能である。そのとき「神学」は猛烈な批判にさらされる。そもそも神などいない、そもそも神学は学問でない、などを含めて。心躍るではないか。

「美容整形」や「ドーピング問題」のことを書いたのはモルトマンの最新著『希望の倫理』(原著2010年、日本語版2016年)で取り上げられているからだ。「インターネット」や「コンピューターゲーム」への言及もある。モルトマンの取り上げ方に私は不満だが、組織神学の可能性を示す例ではある。

2017年2月1日水曜日

ご一緒に死なねばならなくなっても(千葉英和高等学校)


マルコによる福音書14章22~31節

「ペトロは力を込めて言い張った。『たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。』」(31節)

今朝の箇所に描かれているのは、主イエスが十字架につけられる前の夜、弟子たちと共にした最初の晩餐の場面です。教団・教派によってとらえ方に違いがありますが、この最後の食事を想起するのが聖餐式です。主の晩餐式、あるいはカトリック教会のミサもその点では同じです。

主イエスはパンをとって、それを裂いて弟子たちに与え、「とりなさい。これはわたしの体である」と言われました。ぶどう酒の杯も同じようにされ、「これはわたしの血である」と言われました。

共観福音書には見当たりませんが、ヨハネによる福音書には、主イエスが自分の肉を食べ血を飲めとおっしゃる言葉を聞いた弟子たちが、「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」(6章60節)と拒絶反応を起こし、そのせいで「弟子たちの多くが離れ去り、イエスと共に歩まなくなった」(6章66節)とまで書かれています。

これで分かるのは、今日の箇所で主イエスがおっしゃっている「わたしの体」を食べ、「わたしの血」を飲めという言葉は、今のわたしたちにとってだけでなく、当時の人々にとっても、弟子たちにとってでさえ相当気持ち悪いものだったということです。

しかも主イエスは「わたしの体」「わたしの血」と2つに分けておっしゃっていますが、要するに「わたしを食べなさい」とおっしゃっています。そう言うともっと恐ろしい話になってしまいますが。

しかしそれはもちろん恐ろしい話ではありません。あなたがたの中にわたしを取り込みなさいとおっしゃっているのです。あなたがた自身がわたしになりなさいということでもあります。わたしの存在と働きを受け継ぎなさいという意味でもあります。

そして、ここから先は再び解釈に多様性があると思われますが、このとき主イエスは御自分の死の自覚をされていたので、いわば遺言として、約束として、御自分の存在と働きを弟子たちにお委ねになったと理解することができると思います。

その最後の晩餐の席で、弟子のペトロが、元気でもあり不遜でもあることを主イエスに言います。「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」(29節)。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(31節)。

「たとえ、みんながつまずいても」は余計な言い方ではありますが、ペトロの競争心の強さがよく表れています。自分はリーダーでなければならない、リーダーは他の誰よりも強くなければならないという責任意識を強く持っていた人だったことが分かります。

しかし、主イエスはそのペトロの言葉を即刻打ち消します。叱りつけたわけでもたしなめたわけでもありません。ばかにしたわけでも軽蔑したわけでもありません。ただ事実をおっしゃっただけです。言い方を換えれば、わたしはあなたにそこまでのことを求めてはいない、とおっしゃったのです。

独裁者のような人は、自分のために死んでくれる部下を求めるかもしれませんが、部下のために自分が死ぬことは決してしません。しかし主イエスは逆でした。弟子のだれも自分のために死んでほしいと思っておられないし、そのようなことはやめてくれとお止めになる方です。

ですから、結果的にペトロは自分で誓った言葉を自分で裏切り、全く正反対の行動をとってしまいましたが、それはあくまでも自分に対する裏切りであって、主イエスの命令に対する裏切りではありません。主イエスは、自分のために死んでくれとも、自分と一緒に死んでくれとも、そのようなことは一言もおっしゃっていません。

ペトロは嘘をついたわけでもありません。本気の本気で、本心の本心を言ったのです。それを実行できなかっただけです。ペトロは間違った誓いをしたのです。あなたのために死ぬ、誰かのために死ぬという誓い自体が間違っているのです。死なないでください、生きてください。それが主イエスの願いです。

主イエスでさえ死のうと思って死んだとか、死にたくて死んだわけではありません。死ぬこと自体、殺されること自体は、主イエスの本望でもなければ、ご自分の計画が実現し、達成したということでもありません。

ペトロの姿を学校教員に多いとされる「燃え尽き症候群」に関連づけて考えてみることができるかもしれません。生徒たちのために、先生がたのためにお祈りいたします。

(2017年2月1日、千葉英和高等学校 有志祈祷会)

2017年1月31日火曜日

「フィリオクェ」についてのファン・ルーラーの見解

『ファン・ルーラー著作集』第4巻上(2011年)
ファン・ルーラーが1957年に発表した論文の部分訳を公開する。「フィリオクェ」についての彼の見解が分かる。平易な訳を心がけた。論争の経緯はネットで検索すれば出てくる。

(私訳)

A. A. ファン・ルーラー「聖霊論の主要線」(1957年)部分訳(関口康訳):

東方教会の立場の難しさは、私見によれば、もし「神の内なるみわざ」(opera ad intra)の意味で御子と御霊の関係が全くないとしたら両者の区別性をどのように考えることができるかという問いにある。かたや西方教会の立場の難しさは、「御子からも」(filioque)という句を挿入することで「神の内なるみわざは区別される」(opera ad intra sunt divisa)という命題をどうしたら維持できるかという問いにある。

いずれにせよ、「御子からも」(filioque)という句は「御子だけから」(ex filio solo)という意味で理解されてはならない。神は「御子だけから」という発想から想像できる存在よりも深い方である。現代神学における聖霊論の多くの議論はそのことを忘れている。まるで御霊は御子の霊だけであるかのようだ。しかし御霊は御父の霊でもあるし、御子の霊である前に御父の霊でこそある。

さらに言えば、御霊とは御父と御子が「一息で吐き出す」(una eademque spiratione)存在である。このことに鋭く着目する人は、「御子からも」(filioque)という句には本当に意味があるのだろうかと疑い始める。歴史的に言えば、この句はスペインのアリウス派を排斥するために必要ではあった。しかし、もし御霊が御父の吐き出す息でもあり、そうでこそあるならば、その息に御子が別の要素を付け加えることがありうるだろうか。

このことを十分に考えた上で私が申し上げたいのは、「御子からも」(filioque)についての問題は、たとえそれが重く難しい問題であるとしても、もはやスコラ的な問題以外の何ものでもないということである。この立場が持つ意義はエキュメニズムにおいて小さくないと私は考えている。

出典:『ファン・ルーラー著作集』第4巻上、ブーケンセントルム出版社、2011年、300頁。

2017年1月30日月曜日

なぜ人間が「人間」を軽蔑的に語るのか

ファン・ルーラー『全地よ喜びの叫びをあげよ』(1973年)
ファン・ルーラーの神学の要点を一言でいえば、キリスト論にせよ史的イエス論にせよ神と人間を対立関係でとらえざるをえないので、その論理で終始しないで三位一体論で考えると神と人間の親和性を言えるようになる、ということだが、それを言うと大抵「それはまた今度聞かせてもらう」とあしらわれる。

神と人間を対立的にとらえるとは、神(God)や神的(divine)は「人間でない」(not Man)と「人間的でない」(not human)の意味で、人間(Man)や人間的(human)は「神でない」(not God)「神的でない」(not divine)の意味で語る語法である。

このとらえ方は一見もっともらしい外観を持っているが、神と人間がまるで同じ次元で比較や競争の関係にあるかのようだ。「神」や「神的」は生ける神の存在と働きを描くためではなく、「人間」や「人間性」や「人間的なるもの」を抑制・批判・否定するためだけに持ち出される概念にすぎなくなっている。

そうなると「それは人間的である」や「あなたは人間である」「あなたは人間的である」という言葉は、批判か軽蔑の意味でしかなくなる。「あなたは人間にすぎない」「我々は人間にすぎない」という意味になる。このような言葉やそれを裏付ける思想は、教会の実践においては非常に危険な面を持っている。

たとえば説教者が「人間」や「人間的」という言葉を抑制的・批判的・否定的な意味で述べているのを耳にすると、「人間で悪かったね。たしかに人間だよ。しかし人間が人間的であることのどこが悪いのか。そう言うお前は何者なのだ。お前自身は人間ではないのか」と激しく反発したくなる人は多いだろう。

神と人間を対立的にとらえることを、ほとんど無意識でしている人もいれば、意識的・意図的にしている人もいる。後者の中には、神学は人間学としての哲学と常に必ず対立関係でなければならないように考えたり、ヒューマニズムといえば常に必ず神の啓示と敵対関係にあるかのように説いたりする人がいる。

神と人間を対立的にとらえれば、「地上」と「天上」も対立的にとらえることになる。前者を後者よりも劣悪で過酷なものとしてしか語らなくなれば、「一刻も早く地上の人生を終えて天国に行くことこそ我々にとっての最高の幸せである」というアイデアが人の心に生まれる。これこそ最も危険な帰結である。

「インマヌエル」(その意味は「神われらと共にいます」)はキリスト論にも史的イエス論にも用いられる。これは聖書の言葉であり、イエスがそう呼ばれている名でもあるので、神学的にきわめて重要な概念であることは間違いない。問題は「インマヌエル」を我々がどのような意味をこめて用いるかである。

なぜキリスト論が神と人間を対立的にとらえざるをえないかといえば、キリストは「神であるにもかかわらず(notwithstanding)人間になった」と必ず言わなければ成立しない議論だからである。その場合、神と人間の「インマヌエル」としての関係は必ず「逆説」(paradox)である。

史的イエス論も基本的にそれと同じ構造を持ちやすい。外見上ヒューマンな(人間的な、人間くさい)装いを持っているが、イエスを「逆説的存在」とか「反逆児」などの見方でとらえるかぎり、神と人間の対立関係という構図は温存されたままである。キリスト論と同じパラダイムの中にとどまることになる。

「祈ること」も「聞き従うこと」も「実行すること」も我々の主体的行為である。我々の存在と行為にイエス・キリストが宿る。それが「インマヌエル」である。しかしその事態をとらえるために、ファン・ルーラーによると、「キリスト論の視点」から見るだけでなく「聖霊論の視点」からも見る必要がある。

キリスト論の中心的カテゴリーは「我々の身代わり」(代理性)なので、キリスト論の枠内だけに集中的にとどまって考え続けると人間の主体性をとらえる視点は後退し、やがて欠落する。何もかもキリスト論だけで考えてしまうと「祈ること」も「聞き従うこと」も「実行すること」も不要であると言い出す。

しかしそういうのは間違っているとファン・ルーラーは考える。我々の主体的行為をとらえる視点を後退させてはならない。そしてファン・ルーラーは「聖霊によって実現する」のは「イエス・キリストの教え」だけではなく「父なる神の御心」でもあると言い出す。御父と御子の単純な同一視は不可能である。

2017年1月29日日曜日

ヘーゲル集めの理由

ヘーゲル『エンチュクロペディー』樫山欽四郎、川原栄峰、塩屋竹男訳
岩波『ヘーゲル全集』(旧版)全33冊中14冊セットを6千円で落札した。ライバル現れず。『全集』は1冊も持っていなかったので大喜び。函が汚れている、蔵書印や書き込みがあると「難有」だそうだが、どうでもいい。新版だと古書店で全冊5~7万円で取り引きされている様子。ああまた本が増える。

哲学については完全な素人だし、読んでも分からないし、そもそも厳密な知識を求めてはいない。ただ、プラトン、アリストテレスにしろ、カント、ヘーゲルにしろ、神学の議論に必ず登場するので、彼らが何者だったのかを大雑把でも把握する必要があり、全集を入手するのが最も手っ取り早いと考えてきた。

このたび(6千円+送料で)落札できた岩波『ヘーゲル全集』(旧版)全33冊中14冊セットの内訳は、6a、6b、7、8、10、10b、12、14c、15、16a、18b、18c、19b、20a(巻)だが、大論理学(6a、6b)と宗教哲学の一部(15、16a)を獲得できたことがうれしかった。

岩波文庫や中央公論社「世界の名著」や河出書房新社「世界の大思想」などの廉価版は持っていたが、その中に大論理学と宗教哲学はない。ヘーゲルが生前に出版した精神現象学、大論理学、エンチュクロペディー(小論理学、自然哲学、精神哲学)、法の哲学(綱要)の4冊の日本語版がこのたびやっと揃う。

上記4冊以外のヘーゲルの著作は彼の死後に学生のノートなどに基づいて出版されたもので、いろいろバージョンがあるらしい。真贋の議論がややこしそうなのであまり近づきたくない。そもそもヘーゲル自身や哲学それ自体に関心があるとはいえず、「神学における哲学の位置づけ」に関心があるにすぎない。

とはいえ、ヘーゲルが「神学校の卒業生」であるという事実は、知っている人は知っているが、知らない人は知らない。牧師にはならなかったし、「神学」を標榜する体系を展開したわけでもない。しかし、ヘーゲルを理解したいと願う人が真っ先にすべきことは、ドイツ語の勉強と共に、神学の勉強だと思う。

しかし、ヘーゲルは全く理解できない。たまに興味をひかれる文章を見かけるが、正しく理解できているかどうかの確信が持てない。そんな手に負えないものをどうして買うのか自分でも分からないが、繰り返せば「神学における哲学の位置づけ」に関心を持つ者としての参考文献集めの一環であるとしておく。

小金教会の主日礼拝に出席しました


今日(2017年1月29日日曜日)は日本基督教団小金教会(千葉県松戸市小金174)の主日礼拝に出席させていただきました。マタイによる福音書12章9節から14節までの箇所に基づく今泉幹夫牧師の慰めに満ちた説教が、本当に心の底に響き、新たな力を与えられました。ありがとうございました!

2017年1月28日土曜日

本棚にきれいに収まる本だけが真理の書ではない

ヘーゲル『精神現象学』日本語版(左)と原著レクラム文庫版(右)
岩波文庫などの西洋思想系の本を書斎の本棚に番号順に並べながら改めて思うのは、紀元前のプラトン、アリストテレスと、いきなり18世紀のカント、ヘーゲルの間をつなぐ線として日本で紹介されてきたのは、アウグスティヌス、トマス・アクィナス、ルターと続く「神学」だったようだ、ということだ。

哲学の方々からすれば、紀元前と18世紀の間がまるで「暗黒時代」や「空白期間」であったかのようにスルーされることは、ご不満ではないかと思う。本当はまだまだ面白い哲学者がいるに違いないし、すでに多く紹介されているのをただ私が知らないだけだろう。神学にしてもその状況は実はよく似ている。

函とハードカバーがついた「全集」や「著作集」として日本語版がある、西洋思想史に名を残す神学者は、多くない。単純に「売れないから」という理由はおそらく大きい。しかし、アウグスティヌス、トマス・アクィナス、ルターの三段跳び(ホップ、ステップ、ジャンプ)の歩幅は数百年単位。途中がある。

しかし、その「途中」を掘り出す(という言い方は歴史を彩る偉大なる著述家の方々への不遜な言い方ではあるが)仕事というのは、言ってしまえば「売れない本」の翻訳や研究をすることを意味するので、損得勘定の視点からすれば結論は見えている。その取り組みが「就職に有利」に働く見込みもほぼない。

しかし、哲学にしても神学にしても、聖書やクルアーンや論語などにしても、それらの翻訳や研究そのものは、おそらく「目的」ではなく「手段」(ただし「不可避的な」)なのだと思う。その作業過程(それが過酷極まりないのだが)を経て「私の(ないし「我々の」)思想」を獲得するのが「目的」だろう。

そしてまた、当時の論争や政治や商戦に勝つことができず、歴史の中で埋もれた思想家がた(「埋もれたわけではない!」と地中から叫び声が聞こえてくる気が)こそが、苦心の末にたどり着いた「真理」を絶叫のうちに告白していた可能性は決して低くないことを思うにつけ、なんとも言えない気持ちになる。

しかし、不幸なマッチョイズムかもしれないが、論争や政治や商戦に勝ち残ってこその「思想」だと言えなくもない。紙くずは紙くずだと。週末を迎えるたびに書斎を整理していると、「どの本を残し、どの本は棄てるか」という、著者の努力を踏みにじるようで目を背けたくなる選択肢が否応なく迫ってくる。

いつものことながらオチも結論も知らないまま見切り発車で書き始めたことだが、いま書いていることにタイトルを付けるとしたら「本棚にきれいに収まる本だけが真理の書ではない」だなといったん考えて、その後に「。が、しかし」と付けたくなった。揺れる想い、体じゅう感じて(ザードさんの歌詞だ)。

2017年1月25日水曜日

これというあれがなくて

今夜いただいた妻手作りのシュウマイも本当に美味しかった。いつもの高知県馬路村ポン酢醤油でいただいた。美味しい美味しいと言いながら家族みんなで味わった。SNSのリア充書き込みを見ると不快になる人が半数以上いるらしい。すみませんすみません。せめて言わせて幸せですと(それ前も使った)。

半世紀ごえの年齢のせいだろうか自分に固有の形容詞がないのを寂しく思うことがある。住所も職場も所属教団も比較的時間の短い単位で変動してきたし、どれもこれも中途半端なので、いい歳なのに「○○の関口」と言ってもらえるものがない。旅行自体は苦手なので「旅人の関口」とかは呼ばれたくないし。

しかしひょっとすると私の形容詞は結局「日本基督教団の関口」かもしれないことをそろそろ観念せねばならないかもしれない。「新人教師」のくせに生意気ですが。日本キリスト改革派教会の教師だった19年間も大会や中会の正規の委員会から何度となく「日本基督教団について」私に問い合わせがあった。

2017年1月23日月曜日

「反知性主義の時代」を反転させる力は知性にしかない

やっぱりもうゼンゼン違うもんね。説教であろうと授業であろうと、これについてはカルヴァンのあの本から引用したいとか、あれはどの本の言葉だっけとか思いつくままに、さっ、ぱっ、ほっで引用できちゃうもんね。書斎の本棚が片付いていることは偉大だ。ハードディスクのデフラグってやつですよね。

もうなんだろ。「教会」と打とうとするたびに「虚迂回、虚迂回」と変換するグーグル日本語入力。と愚痴を書こうとすると「打とうとするたびに」を「ウトウトするたびに」と変換するグーグル日本語入力。文句でもあるのとキレ気味に言いたくなるグーグル日本語入力。疲れているのかなあ。冷静になろう。

叱られるかもしれないが、今が「反知性主義」が跋扈し、知性が現実の職を得られないないし失っている時代であるとしても、それを反転させる力は知性にしかないのだから、知性がんばれと言いたくなる。三人寄れば文殊の知恵なんでしょ。まず三人寄ろうか。あと、ペンは剣より強いんでしょ。知らんけど。

それと何の慰めにもならないことを書くが、知性の報酬というのは、古来「死後」とか「めっちゃ苦労した後」とかに受け取るものではないのかと。スピノザとかヘーゲルとかの伝記を読んだことがありそうな方々を意識して書くが。知名度を活かしてどんと売るとかは知性的でないような(負け惜しみくさい)。

たとえばこういうの。

「ヘーゲル自身はテュービンゲンでの補習教師の職を考えていたが、しかしヘルダーリンは、この友人[ヘーゲル]が靴墨やポマードで商売する以外にはどうしようもなくなったときしか、この墓場[?]に埋もれるべきではない、と考えた。」
ディルタイ『ヘーゲルの青年時代』久野、水野訳、以文社、1976年、56頁。

ここもヘーゲルの青年時代のリアル。

「1797年1月に彼[ヘーゲル]はフランクフルトに到着した。ゴーゲル家はロスマルクトの豪華な家に住んでいた。この家庭教師[ヘーゲル]は二人の子供の勉強をみた。彼の家族に対する関係は快いものであったし、報酬もよかった。(中略)しかし、ヘーゲルの憂愁はここでも和らぐことはなかった。生活状態の重荷が相変わらず彼を苦しめていた。」
ディルタイ、同上書、57頁。