2016年9月3日土曜日

今の高校生が生まれてから小学校を卒業するまでくらいの頃の思い出

今の大学生や高校生の親の世代の人が乗っていた自動車のカタログ
今の高校生は私の子どもたちよりほんの少し若い。ドンピシャ「ニチアサキッズタイム」(2007年から2011年まで使用された名称だそうで)の世代。私は全部子どもたちと一緒に観ましたからね。レンジャーはメガ以降、ライダーはクウガ以降、おジャ魔女の初回からプリキュアの途中まで。同好会作ろうぜ。

4歳上(1961年生まれ)の牧師から「関口くんすごいね」と言われて「何がですか」と返したら、「ネットネット。ぼくはやろうとしてもなかなか。いつもパソコンの前にいるの?」「いえいえそんなことは」と答えるので精一杯でしたが、私と同期の「1965年生まれ」が分岐線だという自説が強化されました。

そういえば、Windows95(1995年)がちょうど30歳だったのが1965年生まれですね。デジタルネイティヴではありえないけど「デジタル一般人」の最初の世代というところでしょうか。その子どもたちの世代である今の大学生や高校生は本格的なネイティヴです。

それでも気をつけなくてはならないのは、大学生でも高校生でも全員必ず自分のパソコンを持っているわけではないし、必ずネットでつながっているわけでもない、ということです。経済と無関係ではないです。「持たなければならない」という強制力が少しでも働くと、思い詰める生徒は一定いる気がします。

私は理系の実兄(1961年生まれ)から譲られたラップトップにインストールされていたWindows3.1から出発しましたが、そのラップトップがある事情で壊れてしまい、無PC期を1年過ごした後、Windows95は使わずじまいでWindows98のデスクトップを1998年に買いました。

ITの専門知識をほとんど全く持たずにネットを使う「デジタル一般人」の出現とそれ以前の「分岐線」が「1965年生まれ」だろう、というのが自説です。元IT社員だったような方々が「脱サラ」(揶揄や貶める意味ではないです、当時普通に使われていました)で牧師になるという話をよく聞きました。

同時に、牧師にも2種類(皮肉ではないです)のタイプが出現したと思います。初めからITに詳しいとか、かなりのスキルをもって牧師になったという人々と、何の知識もないけどパソコンやネットのほうが「一般化」され、だれでも使えるようになってきた環境を利用しはじめた「デジタル一般人牧師」と。

私は後者の「デジタル一般人牧師」をやってきたつもりです。なので「関口くんはすごくない」です。IT知識ゼロという時点で。東京中心の発想の片鱗にちょっとでもふれると激怒するタイプの地方出身者ですので、東京ご出身の方々の体感判断と私のそれが7、8年ずれるというのは十分ありうることです。

このことを書きながら最も深く考えていることは、「牧師がいつもパソコンの前にいること」(私がそうであった/そうであるという意味ではない!)がまるで「悪いこと」であるかのようにやり玉にあがり、非難されるというこの理不尽な風潮は一体いつになったら終わるのだろうかというあたりのことです。

そういう非難を受けた経験をもつ牧師は少なくないです。定期的に通っておられる病院で長く待たされたうえ、診察室にいれてもらえても自分の顔を見てくれず、パソコンの画面だけ見つめている医師たちが増えたことと関係あるでしょうか。パソコンの画面を見つめる人の横顔がお嫌いになったのでしょうか。

お気持ちは理解できるので、「デジタル一般人牧師」の私は、教会では嫌われることの多い「パソコンの画面を見つめる牧師」の姿を見せないように、すべての人が寝静まった頃、まるで「悪いこと」を隠れてしているかのような理不尽な気分に晒されながらメールを書いたり資料作成をしたりしたものでした。

いま書いていることは「今の高校生が生まれてから小学校を卒業するまでくらいの頃の思い出」です。私の思い出ですが、同様の感覚をもっている同世代の牧師の話を聞いてまとめている面もあります。この当時と今の「教会」は変わったでしょうか。変わっていないなら、高校生たちとのズレは相当深刻です。

「教会から子どもがいなくなった」と嘆き、「中学生や高校生に教会に来てもらいたい」と願う思いは私も同じです。しかし、教会と今の学生・生徒・児童の生活感覚がズレまくっている状態では、お互いに居たたまれなくなるだけであることは目に見えています。それぞれ居心地の良い所にとどまるでしょう。

それでいいという意味で書いているわけではありませんが、なにごとも無理強いするのは危険です。教会が態度を変えられないなら、今の学生・生徒・児童が自分の方向を変えることは、もっと無理です。自分は変わる気がなく相手だけを変えてやろうと思っている人たちの腹の中は、すぐに見破りますからね。

2016年9月2日金曜日

夢を追い越したとき ぼくらは光になるのさ 激走戦隊カーレンジャー

2016年9月2日(金)午前7時ちょうどでした。場所は千葉県柏市藤心(ふじごころ)1丁目付近。タコメーターもがんばって祝福。新古車として2004年9月から乗り始め。12年の思い出が走馬灯。車体外装はボロくなっていますがエンジン快調。


ワープ!!!!!!!!!!


いいいいちにっさん、いちにっさんし


授業再開2日目、21時帰宅。メーターに涙する。「1152」は私のケータイの下4桁。数年前、娘が公衆電話から電話。驚いて「よく覚えてたね」と言ったら「子どもの頃『いい子に(1152)』と書いた紙を壁に貼ってくれてたよね」と返ってきた。


2016年9月1日木曜日

「ファン・ルーラー研究会」は随分と昔話になりました

新訂版『ファン・ルーラー著作集』第1巻(2007年)53ページ
オランダで2007年に刊行が開始された新訂版『ファン・ルーラー著作集』(Verzameld Werk)の第1巻(2007年)「編集者序」で日本の「ファン・ルーラー研究会」(1999年結成、2014年解散)が紹介されました。当時の研究会HPアドレスは研究会解散と同時に廃止しました。

En sinds 1999 bestaat er in Japan de 'Van Ruler translation society': een klein groepje protestantse theologen, dat werk van Van Ruler bestudeert en in het Japans vertaalt,

訳「1999年より日本に「ファン・ルーラー研究会」という、ファン・ルーラーの著作を研究し、日本語に翻訳するプロテスタント神学者の小さなグループがある」と書かれているだけですが、とてもうれしかったです。

Van Ruler translation societyは私が考えた英語名称です。このグループは最初から最後まで私が「代表」を名乗っていましたので、というか、だれも替わってくれませんでしたので、この短い一文で紹介されたグループの代表者は間違いなく私です。

2016年8月29日月曜日

「学的関心」をリストアップしました

自分の過去を振り返って結局最も強く「学的関心」を抱いてきたテーマをリストアップしました。今後日々変動するものと思われます。

現代思想としての組織神学
弁証法神学の問題点
ファン・ルーラーの人と神学
キリスト教と「人間嫌い」
インターネット時代の教会
倫理と宗教の関係

主語を省略する訓練をしているつもりです

内容とは関係ありません
前にも書いたことがありますが、そもそも私がブログとSNSを始めた最初で最大の「動機」は、ファン・ルーラーの翻訳をしていく中で、それが「日本語にならないこと」を苦にして、どうしたら「日本語」になるかを模索するために、「日本語」を書く訓練をしようと思ったことです。

オランダ語でもドイツ語でも英語でも基本的に、命令形以外はすべての文章に「主語」はあるわけですよね。ik benとかIch binとかI amとか。それを全部「私は」「私は」「私は」と主語をつけて訳していくのが「厳密な訳」ではあると思うのですが、そういう文章は「日本語」らしくない。

そのあたりで悩み始めて、主語をできるだけ省略して文章を短く切り詰め、歯切れのよいリズムをどうやって作っていくかを求める場としてブログとSNSを使いはじめた次第です。金谷武洋氏の『日本語に主語はいらない』(講談社選書メチエ)という本はよく読み、ずいぶん影響を受けました。

なんでいまこんなことを書いているのかといえば、私が書く文章に「具体的経験の一般化」をしばしば読み取られる方がおられるので、原因を考えてみた結果、それは私が「主語を省略した文章」を書くからではないかと思い至り、それは私が意図的にしていることですよ、と釈明しているといったところです。

それでも注意深くお読みいただけるなら意外と私は脇固めしながら書いているところがあり、「思うに」とか「と感じる」とか、これは一般化ではなくあくまでも主観的な私見であるということが分かるように書いているつもりです。日本語の動詞がギリシア語のように格変化すればいいのですが、しないので。

2016年8月28日日曜日

神が全力であなたを救う(千葉北総教会)

日本基督教団千葉北総教会(千葉県印西市)
◎礼拝後は、流しそうめん、スイカ割り、かき氷、スーパーボールすくい(画像なし)でたいへん盛り上がりました!
流しそうめん!
スイカ割り!
かき氷!
フィリピの信徒への手紙1・15~20

関口 康(日本基督教団教務教師)

「キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと説に願い、希望しています。」

千葉北総教会の皆さま、おはようございます。今日は貴教会の礼拝にお招きいただき、ありがとうございます。また、先日は高校生たちの教会訪問を喜んで受け入れていただき、感謝いたします。

千葉県に住むようになって12年と5ヶ月となります。最初は松戸市内の教会の牧師として来ました。そして今年4月に日本基督教団の教務教師になり、高校で聖書を教えるようになりました。今年は私にとって激変の年となりましたが、周りの人の目で見るとあまりそんなふうに見えないようです。

と言いますのは、日本基督教団は私の古巣だからです。教師たちの中に大勢知り合いがいます。その人たちからすれば、私は昔から何も変わっていないようです。

貴教会の大串眞先生は東京神学大学の先輩です。在学期間が重なっています。大串先生の最初の任地の宿毛栄光教会(高知県宿毛市)と同じ四国教区高知分区の南国教会(高知県南国市)が私の牧師としての出発点です。そのような関係です。

またもう一点、どうしても紹介させていただきたいのは、大串先生のおくさまのお父上の香西民雄(こうざいたみお)先生が、私が卒業した岡山朝日高等学校で化学を教えていただいた恩師であるということです。

香西先生は無教会派の熱心なキリスト者です。私が高校を卒業してすぐに東京神学大学に入学することを高校3年の夏休みに決心し、それをクラス担任に伝えたところ、「わし(私)のような凡人には指導できません。勝手にせられえ(しなさい)」と見放されてしまったのですが、香西先生ともう一人おられたキリスト者の先生のお二人は、私の決意を喜んでくださり、応援してくださいました。

その私にとって高校時代最大の恩師の娘さんと大串先生がご結婚なさることを知って驚いたことを、まるで昨日のことのように覚えています。

そのようなわけで、今年4月に西千葉教会で開催された千葉支区総会で「新人教師」のご挨拶をさせていただいたときの雰囲気は、「はじめまして」というよりは「ただいま帰りました」「お帰りなさい」というもので、なんとも複雑な心境であったことを正直に告白しておきます。

さて、今日は貴教会が毎月1度(第4週)に行っておられる「伝道礼拝」とのことで、教会訪問をさせていただいた高校生たちにも案内はがきをお送りいただいたとのこと、ありがとうございます。高校生には私からも、ぜひ続けて千葉北総教会の礼拝に出席するようにと、勧めさせていただきます。

今日の聖書の箇所は新約聖書のフィリピの信徒への手紙1章15節から20節までです。この箇所に書かれていることは「伝道礼拝」という場にふさわしくない内容かもしれませんが、あえて選ばせていただきました。

なぜふさわしくないかもしれないと思うかといえば、「キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいる」(15節)というようなことが、書かれているからです。ショックを受ける方がおられるかもしれません。「ねたみ」や「争い」というのは、人間の心の中の最もネガティヴで醜い感情だからです。

この感情を抱いているときのわたしたちは、表情までおかしくなっています。はたから見て分かる。心の奥底に隠し通すことが難しい、とても厄介な感情です。そのような最もネガティヴで醜い感情を抱き、しかもそれが「動機」であるというような仕方で「キリストを宣べ伝える」人がいるということが鋭く指摘されているのがこの箇所です。

それは明らかに不健全で「不純な動機」(17節)です。そうでない人もいるということも書かれていますが、やはり気になるのは、だんぜん不健全な人のほうです。健全な人のことは、あまり気になりません。

しかし「キリストを宣べ伝えること」は、明らかに健全な行為として言われていることです。この手紙を書いた使徒パウロが、自分の人生を賭けて、まさに命がけで、全力で取り組んできたことです。不健全なことに自分の命を献げる人はいないとは言えません。それはとても恐ろしいことです。

しかし、「キリストを宣べ伝えること」は、不健全な行為ではありません。人生に行き詰まりを感じている人、悩みを抱え、助けを求めている人に真の救い主イエス・キリストの存在を知らせ、この方に依り頼んで生きることの意味を教え、その喜びと安心の中で生きる人々の人生に現実に寄り添うことです。それが不健全なことであるはずはありません。

しかし、その健全な行為をする人の中に、ねたみや争いというような不健全な動機を持っている人がいると言い切られているのですから、穏やかではありません。そういう人が何人か混ざっているが、ほとんどの人はそうでないという意味かどうかは分かりません。指摘されているのは、そういう人がいる、現実に存在する、ということだけです。

しかし、そのことを指摘したうえでパウロは、それがどうしたと言っています。「動機」など問題ではないと言っています。「だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知されているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます」(18節)。

この箇所の論点とは食い違うことかもしれませんが、「動機を問題にすること」については、わたしたちの身に覚えがあることがあるのではないかと思います。

たとえばキリスト教学校の生徒たちが教会訪問をさせていただくことです。もし彼らに「動機」を問うなら、「学校が行けと言ったから」「成績や卒業や進学に関係するから」と答えるでしょう。

しかし、教会はどうでしょうか。そういう「動機」を不純とみなして、彼らを教会から締め出すでしょうか。そんなことをしていいでしょうか。

今日の箇所に書かれていることとそれは話が全く違うと思われるかもしれません。パウロが書いているのは「教会に来る人の動機」ではなく「キリストを宣べ伝える人の動機」である。教会に来る人にはそれぞれ複雑な事情がある。人に言えない動機を抱えてくるのは当然である。しかしキリストを宣べ伝える人ともあろう存在が不健全で不純な動機を持っているようでは困る。そういう人間は徹底的に排除すべきである、と思われるかもしれません。

しかし、この箇所にパウロが書いているのは、そちらのほうです。「キリストを宣べ伝える人の動機」のほうです。それがたとえ不純なものであっても、「それがなんであろう」、何の問題もないと言っています。

そのようにパウロ自身が書いているわけではありませんが、人が心に抱く「動機」など毎日変わるものだと彼自身も考えている可能性があります。「ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます」(15節)というのも、二種類の人がいるという話ではなく、同じひとりの人の中で日々変動する心の状態を言っているのかもしれません。

わたしたちの身に覚えがないでしょうか。「若いころは、もっと純粋だった。でも、だんだん変わってきた。教会に行くたびに、あの人が出世した、あの人の子どもさんが立派な学校に入った、あの人は幸せそうだ、というようなことばかり気になる。私はちっとも変わらないし、嫌なことばかり。ああ悔しい、今に見ておれ」。

そういう「ねたみ」や「争い」の感情にとらわれて教会の中で競争心を燃やすようになれば、パウロがその存在を鋭く指摘している「不純な動機の伝道者」と大差ありません。しかし、パウロは「動機は問題ではない」と言ってくれています。「キリストを宣べ伝える動機」が問題でないなら、「教会に通う動機」はもっと問題ではありません。

再び学校の話をさせていただきます。日本のキリスト教学校には「キリスト者推薦入試制度」があります。その中に「洗礼を受けていること」を推薦条件に挙げている学校があります。高校生にとって大学入試は人生の一大事です。わらをもすがる思いです。その中で「推薦を受けるために洗礼を受けたい」という動機を抱く生徒が現われるかもしれません。

しかし、教会はどうでしょうか。「そんな不純な動機では困る」と断り、門前払いするでしょうか。そもそもそれは「不純な動機」でしょうか。大学入試は人生の一大事なのです。

みなさんにお考えいただきたいのは、もしそういう高校生がパウロ牧師のもとを訪ねて自分の願いを打ち明けたとき、どのように答えてくれるでしょうかということです。

「動機が不純な人間は教会に来るな」と言うでしょうか。言わないのではないでしょうか。「キリストを宣べ伝える動機」でさえ「そんなことは問題ではない」と言ってくれるパウロ牧師です。「全く問題ない。きみの人生だ。ぜひ洗礼を受けなさい」と言ってくれるのではないでしょうか。

「動機」は毎日変わります。人の心は移ろいやすい。昨日考えていたことと、今日考えていることと、明日考えるであろうことは全く違います。就職でも、あるいは結婚でも、最初の動機と今の動機は同じでしょうか、そんなことはありえない。

今日の聖書の箇所の主旨から遠く離れてしまっているかもしれません。しかし、今日私がお伝えしたいと最も願ったのは、今申し上げていることです。

パウロが「動機は問題ではない」とする理由が書かれています。「というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています」(19~20節)。

どうしてこれが理由になるのかを説明するのは難しいことです。かろうじて分かるのは、キリストが宣べ伝えられていることがとにかく大事であるということだけです。それが「わたしの救い」になるとパウロが言っていますが、彼自身の自己満足を言いたいのではありません。

「わたしの身によって」とは、どんな動機であれ、教会の伝道活動が続けられていることが分かればそれで救われた思いになるパウロの身によって、です。この私を見て、私と共にキリストを信じ、礼拝する人々が増えていきますように、というパウロの祈りがここにあります。

パウロの祈りを裏書きしている彼の信仰は、突き詰めて言えば、教会の伝道活動は日々変動する人間の思いや動機に左右されるものではない、ということです。

人の思いではなく、神の思い、神の御心、神のご計画によるものだ、ということです。

人の思いを超えて働く神は、人の心の奥底に潜む「不純な動機」さえお用いになって、助けを求める人に救いの言葉を届け、救うために全力を尽くしてくださる方である、ということです。

もし「動機」を問われるなら、今日の説教者である私の心が純粋かどうかも問われることになりますが、さて、どうでしょう。笑ってごまかさなくてはならない面がないかどうか。あまり深く追及しないでください。私も誰のことも追い詰めません。「動機」は問いません。すべては神がご存じです。

千葉北総教会のみなさんのため、大串先生ご一家のために、これからもお祈りさせていただきます。私のため、また高校生たちのために、どうかお祈りください。よろしくお願いいたします。

(2016年8月28日、日本基督教団千葉北総教会伝道礼拝)

2016年8月27日土曜日

「ナニ閥」でもない面々が集まるからこそ各自一生懸命考える

千葉県道4号(千葉竜ヶ崎線)にて
そう。ひとつ自分の悪いくせに気づく。「○○を~~と理解できない人は相手にしない」ということがなかなかできない。「これこれな人は相手にしない」ということが。基本どんな人も相手にしてしまう。これが良くないのだろう。「これこれな人を相手にして」良い結果になったためしはない。でもそれが。

「学閥」という字の読み方を忘れそうになるほど(これはウソ)そういうのと無縁の半生を送ってきたが(これは事実)、そういうのから自由に生きていくには、とにかく自分で勉強し、自分の頭で考えることをやめないでいるしかない。最初の色が抜けないなら、自分で別のところに動いて混ぜちゃえばいい。

考えてみれば、幸か不幸かこれまで私に影響を及ぼしてきた教師たち(とくに学校と教会の教師たち)は、いろいろ混ざっている人ばかりだった。その人たちの中ですでに混ざっていて、その混ざっている複数の人たちから学ぶ私の中でもっと混ざる。純血とか正統とかそれが何なのか全く分からなくなるほど。

それがかつては嫌だった。他人を嫌がったわけではない。カオスの中で耐えられるほどの自分を持ちえていないと感じるその自分が嫌だった。自分の身に余ろうと「サウルの鎧」を手に入れるほうがましだと思った。自分を守るためだったのかと言われればそのとおり。自分以外のだれが自分を守ってくれたか。

まあ、今書いたことは掘り始めると長くなるので置いておこう。すでにその人たちの中でいろいろ混ざっている複数の人たちに教えられてきた以上、私の中でもっと混ざるのは当然だ。人のせいにしたいのではない。学閥フリーな生き方を求めている方がおられるなら何かの参考になるのではないかと思うだけだ。

「ナニ閥」から意図的に外れるような生き方を選べば、自分の人事や将来に不安が生じるのは避けられない、かもしれない。でも、「ナニ閥」で生きている「先生」職の人ほどつまらない存在はいない。自分の頭で考えていないことがありあり伝わってくるようなことを舌先三寸ですらすら言えてしまっている。

いま書いていることに結論なんかは初めから無いので、突然終わっても問題はない。ただ、「ナニ閥」にも属さないことを苦にしている方々への希望のメッセージになればと願ってはいる。面白い人は周囲が放っておかない(たぶん)。真に面白ければ。グレートな人の茶坊主は面白くない。見るからにイタイ。

心底幸いなことだが、勤務校の聖書科(宗教科)の先生がたが基本みんな混ざっている。マザリン(というカシスリキュールがあるそうで)と呼ばせてもらいたいくらいの混ざり具合なのが素晴らしい。「ナニ閥」でもない面々が集まるからこそ各自一生懸命考える。「頭を使わない先生」なんて概念矛盾だよ。

2016年8月26日金曜日

百学連環における退屈な存在

本日(8月26日金曜日)午前6時40分の首都圏の空模様
西周が考案したとされる「百学連環」という秀逸な訳語をその後の日本の哲学者が採用せず「エンチュクロペディー」などとまるで単に素人読者を追い払いたいだけかのようなほぼ意味不明のカタカナ語を使うようになったのはもったいないと思える。「百学連環」をよみがえらせて済む問題ではなさそうだが。

もちろん「百学連環」はいかにも翻訳調ではあろう。だが、エンチュクロペディー(エンサイクロペディア)の「サイクル」の要素を端的な熟語できっちり言えている。天才の仕事だと思う。そう、百学は「連環」している。孤立して自給自足している学などは存在せず、相互に関連しあい、循環しあっている。

主導権争いはあろう。という言い方をすると悪意に満ちた争いのことだけになってしまうかもしれないが、私が思うのは「指揮者のいないオーケストラは成り立ちそうにない」ということだけだ。しかし、息継ぎなしに同時に言わなければならないのは「指揮者だけのオーケストラは存在しない」ということだ。

大先輩の先生(地歴科)とのおしゃべりで「なぜ教会は一夫一婦制を言うのか」と問われたので「聖書の神が嫉妬深い神だからではないか」と答えたら「なるほど、聖書の神は他の神よりまじめすぎて人気がない退屈な神だもんね」と返ってきて面白かった。その場しのぎのチャラチャラした神ではないのだよ。

楽器というものを一切使えない人間で、現実のオーケストラに参加したことがないので、現実の指揮者の実像は知らない(知りたいという願いはないし、実例紹介を求めてもいない)。強さ、厳しさ、激しさは不可欠である気がする。だが、謙遜のかけらもない破壊者タイプの人に務まる役目ではない気もする。

キリスト教学校の「アイデンティティ教科」ないし「ハブ教科」を改めてめざす必要が生じているかもしれない「聖書科」(文科省的な呼称では「宗教科」)は果たして他の教科と同等の意味の「教科」なのかという問いは、潜在的にも顕在的にもあるし、かなり根深い。最近ずっと考えているのはその問題だ。

いま思いついたばかりのたとえを用いていえば、キリスト教学校にとって「聖書科(宗教科)」は、それの停止をもって生命活動の終焉の一指標とされる心臓のような存在なのか、それともある意味それとは全く対極のようである盲腸(実は重要な役割があるらしいという説を最近読んだ)のような存在なのか。

どちらでも構わないのではないかという心境に実は近づいている。心臓でも盲腸でも。なんらかのつながりさえあれば。心配しているのではない。つながりは必ずある。「聖書科(宗教科)」が現代の学校教育の「百学連環」の内部にとどまれているかどうかは怪しいが、全くの無駄骨だなどとは全く感じない。

全体の連携や循環をストップさせず、むしろできるだけそれを活発かつ円滑にするような役割が「聖書科(宗教科)」にあればいいと思うし、意外に(意外に)大切だと思う。風の吹き去るもみがらのごとき存在とか言うと叱られるだろうか。地味で目立たない退屈な存在であるほうが聖書の神に近い気がする。

2016年8月25日木曜日

向いているか向いていないかは自分には分からない

紙カップはすすいでお茶を飲むために再利用
昨日と今日は中学生と保護者対象の「学校見学体験会」だった。私は校内美化とチャペル受付と誘導案内。誇張なく非常に多くの見学者。受験者増の予感。「ぜひ本校をお選びください!」心からそう願っている。

今日は17時30分帰宅。通勤路(往復44キロ)が途中2箇所(国道16号の船橋市小室と八千代市米本)で渋滞するので困っていたところ、もっと早く着ける道を発見。今日初めて往復。往復53キロであると分かる。早さをとるか燃費をとるか。

相談を受けたという言い方は当てはまらないが、キリスト教を大学で勉強してみたいと言う。そういうニードであれば首都圏なら圧倒的に立教さんのキリスト教学科さんがいちばんいいと思うと即答した。同様のニードは潜在的にけっこうあると思うので立教さんにはもっと門戸を広げていただきたい気がする。

そうでない人をどうこう言う意図で書くのではないが、私は自分の子どもの進路の問題が解決し、それぞれの道を進んでくれているので、そのあたりの問題に関して以前より発言しやすくなっている。結局自分の子どもの話なのね、それ親の欲目だよね、という見方をされる危険性が減ったというか無くなった。

2016年8月23日火曜日

「受容史研究の一次資料」としての「読者の書き込み」

昨日届いた岩波文庫版ジンメル『哲学の根本問題』(初版)に書き込みがあろうと保存状態がどうだろうと全く気にならないし、かえって興味がわくのは、哲学や神学に関して「日本における(翻訳を経た)それの受容史」という関心を私が常に強く抱いていることと関係があることに、今朝ふと気付かされた。

「受容史」は端的に面白い。組織神学において私が知っている先行例は、カール・バルトの神学が、たとえばオランダの教会に、あるいは南アフリカの教会に、日本の教会にどのような経緯で受容されたかを追っていくものである。改革派神学のアメリカ教会への受容の歴史を追ったものも、何冊か持っている。

「受容史」の研究には、思想の内容だけでなく、それを持ち運んだ形式である「本」の現物を見たり触ったりすることが不可欠だ。「こんなぼろっちい紙が使われていたのか」とか「こういう読みづらい活字や字体が使われていたのか」とか、読者がどういう反応をしてどういう書き込みをしたのかは興味大だ。

(左)勝田守一・玉井茂訳(1938年)、(右)生松敬三訳(1978年)