私も夏休みなので愛車でちょっと出かけてきます。と言いたいところですが空想のみ。中古車店の前を通るたびに、80年代後半の東京で私が乗っていたこのデザインの(エンジンはこれではない)赤のシルビアがないかと、いまだに目が探してしまいます。
何年か前にブログで公開しましたが、今のプロフ画像と同じ1987年、21歳で書いた私の卒論がこれです(脚注は後日)。なのでプロフ画像は「卒論に悩む顔」です。
あれ、不覚にも今まで気付かなかった。1987年(大学4年、21歳)にティリッヒについて書いた卒論に「神律的相互関係」なんてことを私が書いているぞ。これ明らかにファン・ルーラーの概念だよ。何から引用したんだっけ。脚注を後回しにしているうちに手書きの原稿が引越し荷物に紛れてしまった。
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1987年10月1日木曜日
【パウル・ティリッヒにおける霊的現臨と主体性の問題(1987年)】
関口 康(東京神学大学4年)
序論
最近になって、パウル・ティリッヒの思想的発展は人間の主体性の宗教的再構築への関心によって動機づけられていた、ということが解明された。ティリッヒが再構築しようとした主体性とは、自立的主体を超え、それを、またその文化世界を神的な存在の根柢の上に再生させるような人間の主体性である。
そのことはティリッヒが現代における神律的文化の再建を目指して戦っている格闘の一側面にちがいない。ティリッヒは、われわれが継承してきた思想的伝統が唯名論的であることを問題視し、それが、世界観において、自然主義か超自然主義かといういずれにも満足しえない二者択一をせまるものであると考える。
自然主義か超自然主義かという二者択一は、彼にとって、啓示および自然的諸法則の侵害としての奇蹟についての超自然主義的観点への抵抗の道か、それとも自己充足的限定性としての自然主義的世界観への抵抗の道かという二者択一を意味し、両者ともティリッヒの神律概念にとって不適合である。トンプソンによると、ティリッヒの確信は「自然主義と超自然主義とのこの二分法は、唯名論的伝統固有のアンティノミーから生じるところの誤謬である」ということである。このアンティノミーを乗り越えることがティリッヒの神学的課題である。
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2016年8月13日土曜日
夏休みだからこそできること
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| 拙ブログの右サイドバーに「プロフィール」を設けました |
拙ブログの右サイドバーにノークリックでご覧いただける「プロフィール」を設けました。どなたがおっしゃったか「ブログは名刺代わり、SNSは名刺交換の場」だそうで。そのとおりだと思います。というわけで皆さまどうかよろしくお願いいたします。
今の私がネット(ブログ、SNS)でしていることはダビデのあれだなと、何年も前から自覚しつつ、その箇所を開いて確認することなく、過去の記憶に頼るままでいましたが、いま新共同訳聖書で確認したら「狂態」(サムエル記上21章16節)と訳されていました。なかなかの名訳だと思いました。
明日(2016年8月14日日曜日)は日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会(千葉市若葉区)で説教させていただきます。8月21日(日)は日本基督教団阿佐谷東教会(東京都杉並区)、8月28日(日)日本基督教団千葉北総教会(千葉県印西市)で説教です。お招きいただきありがとうございます!
2016年8月12日金曜日
夏休みの「優雅な」過ごし方
うわ、まずい。たわんでいる。初めて気づいた。ついに時間との勝負という局面へと移行した。人類の知的遺産を将来に受け渡すための闘いだな。そのために必要なのは、強靭な意志と、頑丈な本棚と、本と一緒に寝ても大丈夫なだけの広さの書斎のようだ。
やっと夏休みらしいことを。久々に家族で外食。JR南柏駅すぐの「横浜家系ラーメン 二代目肉そば屋」。この店は私は初めて。基本形の肉そば(並)を細麺で注文。並盛りでこのボリューム。暑い夏の夜にがっつり系。元気になりました。ありがとう。
夏休みらしいことといえば、朝起きて夜休むまで、書斎(寝室兼用)にいるときはずっとガーネット・クロウさんをユーチューブ(公式チャンネル)で視聴している件を挙げることができる。涼しい風が吹き込んでくれるので、昨日も今日もエアコン要らず。
それにしても、電子メールという発明は人類の生のあり方を根本から変えたのではないかと、改めてなんとなく(明確な根拠がないまま)考えさせられる。はがきであれ手紙であれ、あれほど書くのが苦手だったのに、年に千の単位のやりとりを始めるとは。
| 「知の重さ」で本棚がたわんでいることに気づき |
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| 「肉そば」で元気になり |
| ガーネット・クロウさんにいやされる |
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| 電子メールは人類の生をどう変えたか |
ネットつながりの皆さんへの感謝とお願い
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| テーカンネ社のアップルティをホットでいただきました(8月11日) |
私はふだんは岡山弁は全く出てきません。ゼロ歳から18歳まで岡山の外にほとんど出ませんでしたが、その後は逆に岡山に帰らず(均せば年に3日位)33年目。それに、岡山を離れてから東京、高知、福岡、神戸、山梨、千葉と移動しましたので、どこの方言にも馴染むまでに至らず、今日を迎えています。
それで結局ずっと、「汎用性が高い」というか「無難な」というか「教科書どおりっぽい」というかの東京系の言葉を使ってきました(「標準語」と言うと怒り出す人たちへの配慮からまわりくどい言い方になっています)。岡山弁になるのは実家に帰ったときだけです。家の戸をくぐるとスイッチが入ります。
「使うことはありえない」と思いながら26年前に取得した教員免許と、「戻ることはありえない」と思いながら19年前に離脱した教団の教師資格とに(前者の更新、後者の再取得を経て)今の私は助けられています。どちらの免状も大量の未整理書類の中に長年埋もれていました。お恥ずかしいかぎりです。
テーマが定まらなくて苦しんでいます。ジンメルが「哲学の根本問題」で展開している(「歴史的方法」(Historische Methode)と対比される意味での)「即事的方法」(Sachliche Methode)に感銘を受けて、我が意を得たりと確信を深めつつ、ますます悩んでいます。
その意味は、プラトンやヘーゲルが言ったから正しいというような論法ではなく、プラトンやヘーゲルが取り組んだ問題そのものを自分で考えていく中で、プラトンやヘーゲルが波頭に見え隠れことがありうるという方法です。言い換えれば、自分がプラトンやヘーゲル自身になって問題に取り組むやり方です。
そのようなことを組織神学で私なりに求めていきたいと願っています。それはトレルチやティリッヒやバルトやファン・ルーラー「の」研究ではなく、彼らが取り組んだ問題を自分で考え、取り組む中で、彼らの存在の大きさや重さに出会うことがありうるというやり方です。しかしそのテーマが定まりません。
テーマが定まらない理由は、ひとえに「座」(Sitz)の問題です。異教団間移動前後の関連事象の中で私の心理系や神経系にどれくらいの負担やダメージがあった(ある)のかは自分ではあまりよく自覚できないのですが、血圧上昇や体重増加(後者は自己責任大)といった客観面に出ているとは言えます。
ネットでもリアルでも「なぜ転向したのか?」と言われながら(「転向」などしていないです)、新しい職場に身を投じてやっと5か月目です。毎日緊張しています。それでも今のところ壊滅的なまでの心理崩壊を免れているのは、ネットでつながっている方々の「生温かい」お言葉に支えられているからです。
なので、どうかもうしばらく私にネットをやらせてください。せめてあと1年半、猶予をください。その頃までには、どんなに時間を費やしても「しょせんウラ社会」と揶揄されるだけのネットごときに時間を奪われたりしないで、ひたすらリアルに仕事と勉強に没頭する人間に変貌しているだろうと思います。
2016年8月11日木曜日
夏休みモードで岡山弁ツイート中
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| 夏休みの自宅学習(教科研究)のため勤務校から持ち帰った荷物 |
でも毎日が奇蹟みてーなもんじゃわ、毎朝5時に起きれて、休まんで通勤やこして、途中ちょぼっと風邪引いたり、血圧上がったり、胃が痛てかったりしたけど、立ち直れたし。車の中じゃとかでストレッチやるから首や肩もあんまり凝らん。ぜんぜん痩せんけど太りゃーせんよ。ちゃんと働いとるけーな。大丈夫じゃ。
わしは今日から夏休みじゃけー、実家に帰ったつもりで岡山弁でツイートするけーな。ウケ狙いじゃねーけーな。わしなりのリラックスの方法じゃから、勘弁してください。ほんまは実家に帰れりゃ―ええけど、千葉でやることいろいろあるけー、帰れんのじゃ。申し訳ないと思おとるわ。
普通の、ゆーか普通科の高校で聖書の授業やるゆーのは、やりがいあるゆーか、単純におもしれーよ。生徒はわしの授業はおもしろーねーゆーと思うけどな。ごめんなさいね。岡山にもキリスト教の高校あると思うけど、たしか女子校じゃったよね。女子校が悪りーゆー意味じゃないけどね。こっちは共学じゃ。
岡山にもキリスト教の高校がもう一つぐらいあればえーのにな。それか女子校さんを共学に変えてもらうか。難しいじゃろーけどな。厚い壁が行く手を阻む気がするわ。少子化じゃしなあ。学校増やすやこあほじゃと言われるじゃろーし。でもなんとか風穴あけたいところじゃな。わしにはなんもできんけどな。
普通科の高校で聖書教えるのは、古文漢文と似たようなことよ。あれは大学受験のための勉強じゃと言やあそれまでじゃけど、今はどうか知らんけど、わしらのころは、言葉とか文法とか形式的なことだけじゃのーて、もっと内容があった。古事記日本書紀を読ませられたが。あの感じで学校で聖書を読むんよ。
古文漢文がいやでね。先生の人柄はよかったけどな。でも「わしは仏教徒じゃ」言いながら仏教の話が詳しくてキリスト教の悪口ばっかり言っとった倫社の先生は人柄はいいけど苦手じゃった。そんな高校行かなきゃよかったがと。でも、岡山の男子にキリスト教の高校に行く選択肢ないんじゃけー仕方ないが。
べつに母校の悪口言いたいんじゃないからな。今でも心から愛しとるよ。わしの高校時代の成績が悪かったことの言い訳しとるだけじゃが笑。倫社だけは先生に反発して勉強する気になったけど、文系のくせに古文漢文もついでに現国もだめで、英語もからしきだめじゃったから、できることもう残ってないが。
もしわしの高校に聖書の授業があったら、そこだけ成績よかったと思うわ。政教分離じゃけー公立じゃ無理じゃ言われるかもしれんけど、ナニけっこう先生たち自分の宗教の宣伝しとられたよ。クリスチャンの先生も二人おられたけどな。二人とも理系で化学の先生じゃった。授業中、聖書の話してくれました。
ありゃ、せっかく夏休みモードでリラックスのために岡山弁ツイート始めたけど、真面目な話になってしもうたな。すまんすまん。また言い訳じゃけど、わし学校の先生の仕事始めてやっと5ヶ月目じゃからな。牧師の仕事とどこが違うのとか聞かれても答えられませんけど、今は学校に慣れるので精一杯じゃ。
2016年8月8日月曜日
アタナシオスは世界を敵に回す(athanasius contra mundum)
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| ゲオルク・ジンメル『哲学の根本問題』 |
「哲学体系の抽象的で硬直した概念は、長いこと哲学体系に心を砕き、その深部での興奮を求めて努力した者の眼にのみ、概念内部の激しい動き、そこに息づいている世界感情の広がりを開いて見せてくれる」と、ジンメルが『哲学の根本問題』の「序」に書いている。説教も同じ。時間かけなくちゃ。
「教義学」(theologia dogmatica=教義神学)という言葉をタイトルとして初めて使用した本は、1659年にルーカス・フリードリッヒ・ラインハルト(Lucas Friedrich Reinhart [1623-1686])が出版したSynopsis theologiae christianae dogmaticae(キリスト教教義学概論)である(ファン・ルーラー全集(オランダ語版)第1巻、248頁の編注)。
教会の牧師だった25年(いつまたその続きがあるかはGod only knows)で得たある意味最大の経験値は「孤独忍耐力」だったかもと今日ふと思う。書斎で何時間でも何日でもひとりでいること多々。クリスマス等の大型イベントでも、すべて終わって最後片付けて教会の鍵を閉める仕事は牧師。
なので、牧師が「孤独」で悩んでいるという話がもしあっても理解できない。アタナシオスがクリスマス行事のあと教会の鍵を閉めたかどうかは知らないが、「孤軍奮闘」を意味するらしい「アタナシオスは世界を敵に回す」(athanasius contra mundum)という格言は納得しまくる。
教会の現実をご存じない方々はもしかして「群れているだけだ」と思っておられるかもしれないが、「群れている」わけではないからね。こと牧師は孤独に耐えてナンボ。強がっているわけでも粋がっているわけでもなくて本質的にそういう存在なのが牧師。そのこと知らずに牧師にならないほうがいいと思う。
生徒は夏休みでも、先生は学期再開の準備のために毎日勤務。キリスト教学校なので、職員室で毎朝お祈りをする。今日は私がお祈りの当番をした。夏休み中の生徒の健康と安全のためにお祈りした。いばってないよ、当然でしょ。夏休みが終わったら全員元気に学校に戻ってきてほしいと、マジで祈っている。
【追記】
上の書き込みに誤解される要素があったようですので、以下の点を追記します。
私が書いた「孤独」に悪い意味はありません。「会員との関係を築けない牧師」という意味の「孤立」ではありません。
イエスさまのオリブ山の「ひとりの祈り」や、十字架上の「孤独」を《追体験》(nacherleben)できなければ、どうして聖書の福音を宣べ伝えることができるでしょう。
ボンヘッファーの「ひとりになれない人は交わりに入ることに注意せよ。交わりに入れない人はひとりになることに注意せよ」(『共に生きる生活』)という言葉をきっとご存じだと思いますが、まさにその意味です。
もっとも、その場合の「孤独」は、イエスさまの十字架上の「孤独」の《追体験》(nacherleben)であるほどの「完全な孤独」の意味でなければならないことも事実です。「半分孤独、半分交わり」というようなバランス感覚ではなく、逆説的な弁証法関係です。
ボンヘッファーは「マコトニ神、マコトニ人」との類比で「孤独」と「交わり」の関係を考えていると思いますが、私は違います。教会の関係性は、他の団体(学校や政党や会社など)にたとえることができない独特の関係性なので、どう言ってもどのみち誤解されてしまうところがあります。
教会の関係性は学校や政党や会社等とは異なる独特の関係性であると、いま書いたばかりですが、学校の教師の「孤独」や、政治家や首相の「孤独」や、会社の社長や役員の「孤独」などと、牧師の「孤独」は、ある意味で似ていなくもありません。リーダー論のような話でもないのですが。
ちょうど10年前に出たようですが、吉本隆明さんの『ひきこもれ』という本の趣旨は、完全に合致はしませんが、私の言いたいことにある意味で最も近いです。ひとりの時間を苦にするな、ということです。
ファン・ルーラーだけでなく、読みはじめて何年目かになる青野太潮先生の「十字架の神学」の影響が、私に加わってきています。書きはじめると長くなるのでやめますが、「十字架の逆説」の問題です。「孤独こそが交わりである」というような言い方になります。
私は博士論文を書いたことがないので、自分の体験として語ることができる立場にはいませんが、あれを書くためには「完全な孤独」と言えるほど長期にわたって引きこもらなければならないようです。途中でチャラチャラしているようだと完成しないし、失敗する。それと似ています。
そういえば「どうでもいいですよ」という歌がありましたね
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| 6月28日に購入したが読んでいない(実はあまり興味がない) |
うっかり忘れていたが、ファン・ルーラーの文章に「神学」の落とし穴を鋭く指摘する言葉がある。たとえば「絶対的なものを追い求め続ける人は非常に惨めな結末に至る。自分の人生を指と指の間にはさんでいるような感覚、あるいはまた、本来の自分の姿をいつも忘れているというような感覚に襲われる。」
あるいは、「我々は自分ひとりだけで何かの責任を負うのだろうか。あるいは、もっと性急に我々はあらゆることの責任を負うのだろうか。そうなると我々はまるで全世界をひとりで背負うアトラスのようになる。まるで自分が巨人か英雄でもあるかのような感情を抱きながら毎日を過ごすようになる」など。
両者ともファン・ルーラーのエッセイの一節である。各エッセイのタイトルは、前者が「相対的なことを真剣に」(1956年)で、後者が「我々は神なしでありうるか」(1966年)。あいだが10年開いているが、基本のパースペクティヴが変わっていない。いずれも「神学」の落とし穴を指摘している。
「自分の人生を指と指の間にはさんでいるような感覚」と「まるで自分が全世界をひとりで背負うアトラスであるかのような、巨人か英雄のような感情を抱きながら過ごすようになる」は、一見正反対のことを言っているようだが、趣旨は同じだ。自分の人生を指先ではさむ巨人に自分がなっているということだ。
絶対的な存在こそが何よりも大事なのであって、それと比べれば相対的なものは大したことがない。自分自身の存在も、世界の存在も、絶対的な「神」と比べれば大したことがない、という論理と感情にとらわれているときの我々は非常に危険な状態にある、ということをファン・ルーラーは鋭く指摘している。
そういう論理と感覚のとりこになってしまわないで、もっと遊ぼうぜ、楽しもうぜ、相対的なことに真剣に取り組もうぜ、どうでもいいことに関心を持とうぜとファン・ルーラーは言っている。こういう話は、高校生は嫌がるかもね。根が真面目だもんな。「その場しのぎで軽薄だ」とか言われてしまいそうだ。
私のキャパが小さいだけなのに、まるでみんなが同じ結論でなければならないかのような書き方をしていると、これはこれで叱られてしまうだろうが、全世界をひとりで論じ尽くせる人は存在しないという断言口調の言葉に慰められる人はいると思うので、私のキャパの問題は度外視して書いておくことにする。
ファン・ルーラーのエッセイ(いずれも拙訳):
「相対的なことを真剣に」(1956年)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2013/03/1956_22.html
「我々は神なしでありうるか」(1966年)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2013/03/1966.html
2016年8月7日日曜日
「内向け」の話し方と「外向け」の話し方
| 記事とは関係ありません |
第二の福岡県(北九州市)の教会ではわずか10ヶ月しか働かなかったので、客観的な記録としてはカウントできるとしても、自分の自覚としても、おそらくその教会の方々の感覚としても、「教会担任教師」としての責任ある働きができたとはとても言いがたい。申し訳ないことをしたと、今でも思っている。
第三の山梨県も「1箇所」としてカウントすべきかどうかで悩む要素がある。着任時は甲府市にあった教会が、7ヶ月後に甲府市の西隣の中巨摩郡敷島町(現在の甲斐市)に転居したからだ。転居と同時に教会名称を変更した。本質的には同一の教会だが、すべてが刷新された。山梨県では計5年9ヶ月働いた。
そして現時点では最後の第四の千葉県(松戸市)の教会では、過去最長の11年9ヶ月働いた。高知県6年+福岡県10ヶ月+山梨県5年9ヶ月+千葉県11年9ヶ月を足しても24年4ヶ月にしかならないが、福岡県と山梨県の間に1年半の神戸滞在がある。後からとってつけた言い方をすれば「国内留学」。
それとは別にカウントを難しくする要素がある。日本基督教団の場合、按手礼を受けていない教師を「補教師」、受けている教師を「正教師」と区別するが、「補教師」は「教師」であるという認識は教団内では一致している。しかし、按手礼を受けていない人は「教師」でないとする考えも教団の外にはある。
その立場の人々からすれば、私が日本基督教団の「補教師」(未按手教師)だった期間を「牧師」として働いた期間としてカウントすることには違和感があるだろう。私はどちらでもいいのだが。しかし、「伝道師」が「教会担任教師」(教会で働く教師)であることは、日本基督教団においては確実な認識だ。
どうして私が今こんなことを書いているのかといえば、私が最近よくネットでもリアルでも「25歳で牧師になって25年間教会で働いて現在50歳です」というような自己紹介をしているのは、話を一般向けに分かりやすくしているだけのことで、なんら厳密な話ではないと釈明する必要を感じているからだ。
「25歳で牧師になった」というのも実は厳密な言い方ではない。1965年11月生まれの私は「日本基督教団補教師」としての准允を受けた1990年4月は24歳だった。それを25歳だ25歳だと言っているのは、さばを読んでいるわけではなく、これまた一般向けに話を単純化しているだけのことだ。
自分の過去の経歴についてどうのこうの言いたいわけではない。経歴詐称をしているつもりもない(そんなことする必然性がない)。むしろ逆。「これまでナニしてきたんですか」という質問を受ける機会が増えたので、ごく大雑把に説明するために「25歳+25年=50歳」という方便を使っているだけだ。
「内向け」の話し方と「外向け」の話し方を変えてはいけないだろうか。「伝道師」と「牧師」の違いも、「補教師」と「正教師」の違いも、「准允」と「按手」の違いも、「伝道所」と「教会」の違いも、外部の方々はご存じないし、おそらく興味もない。外向けに話を分かりやすくすることは詐称ではない。
小金教会の主日礼拝に出席しました
2016年8月6日土曜日
原稿依頼が届きました!
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| 納豆朝食 |
以前も書いたが、「紙の本」の利点は、ひとりの思想家を追いかける場合、その人の/についての著作物の総量を目で見ることができることだ。パーフェクトコレクションは無理だとしても。かなり巨大な著作家でも、製本されているものを全部タテに並べると、両腕を最大に広げたくらいで収まることが多い。
マンガは別だ。字と絵のコラボで分量が多くなるのは当然。それはそれですばらしい。いま書いているのは字だけで書かれた本(しかも主に神学書)をひとりの人が一生かけてどれくらい書けるか。両腕を最大に広げたくらいの4倍ほど私が持っているのはカール・バルト。でもそれも原著と翻訳の両方を含む。
こういう話を「デジタル本」についてはできない。両腕をめいっぱい広げたくらいの分量だという説明が成立しない。書斎の本の総量を減らすために、すべてをデジタル化したうえですべてを売却ないし廃棄したいという衝動にかられなくもないが、躊躇はある。それで毎日、本の谷底で睡眠。最近地震が多い。
書かないほうがよさそうな明らかに口幅ったい言い草ではありますが、隠退を考えておられる牧師先生がたに切にお願いしたいのは、教会を壊して(建造物破壊の意味ではないです)おやめになることだけはくれぐれもないように、次の牧師を招聘できる体力を教会に残していただけるように、ということです。
生徒が夏休み中でのんびり気分の土曜日の朝は、自宅(借家)でひとり納豆朝食。納豆が苦手な人ごめんなさい。山椒の佃煮は「さん志ょうや本家」(兵庫県宝塚市)の高級品。同僚の先生からいただきました。とても美味しいです!ありがとうございます。
政治と法が不可分の関係にあることは断言できるが、「法は倫理の最低限」という意味では、法の論理を超えた言葉は現実生活の中で許容されるべきだとも思う。理詰めで考える場合も、こと政治問題にかんしては、適法かどうかだけを問う人が多いし、それで間違っていないと思うが、それがすべてではない。
法学や政治学の話をしたいわけではない。宗教と神学と聖書の話をしたがっている。新約聖書の使徒パウロのローマの信徒への手紙の話をしたがっている。「あなたがたはノモス(律法=法)のもとではなく、カリス(恩恵=法を超えたもの)のもとにいる」(ローマ6章14節)という話をしたがっている。
でも、長くは書かない。すぐに終わる。理詰めが苦手だからだ。というか、いつでも一定の論理を定めて詰めていくような考え方や話し方をイヤだと思うからだ。読む前聴く前から結論が分かっている話を、私は読みたいとも聴きたいとも思わないので私もしない。自分にしてほしいと思うことを人にもせよだ。
東京神学大学の学生だった頃、一般教養の精神医学で、赤星進教授の講義を受けたひとりだが、赤星教授推薦のテレンバッハ『メランコリー(改訂増補版)』木村敏訳、みすず書房、1985年)はよく読んだ。秩序(オルトヌンク)からの解放が精神衛生にとって重要であることを理解させてもらえる名著だ。
脳の機能不全に関してはシロウトが立ち入ることのできる余地は全くない。宗教と聖書と神学にできるのは、「あなたがたはノモスのもとではなく、カリスのもとにいる!」と宣言し、説得し、法秩序遵守主義の堂々巡りから解放されて、もっと自由で気楽な人生を送れるように、互いに励まし合うことだけだ。
やたらとだらだら字を書きたくなるのは、土曜日の解放感ゆえか、真夏の暑さにうなされているのか、たぶんそのどちらかだ。
「教会に通わせても治らなかった」と親御さんに言われたことがある。「教会は病院ではない」という答えがありうるが、ならば教会とは何なのかをよく考えなくてはならない。教会に医師やカウンセラーがいれば解決するかというと、そうでもない。教会はノモスから完全にフリーかというと、そうでもない。
「これは脳の病気である」と判断するのも人の脳であることも考えなくてはならない。この件に関して純粋な客観性はないと考えるほうが妥当。「これは脳の病気だ」と考えたがる傾向を持つ脳の病気があるのかないのか。脳は自分にとってより受け容れやすいほうを選択する傾向を持つらしい。薬物依存然り。
脳機能障害(法的表現)の方々を攻めて(または責めて)いるのではなく、教会の護教や防御をしているのでもなく、お互いに少しでもストレスが軽くなればと心から願っているだけだ。そこから先は極度にプライバシーの領域であるゆえに、踏み込むことはほとんど不可能である。
なるほど南方熊楠さんの名前は山川出版社の倫理の教科書に載っていたのですね。そういう事情でしたか。別のルートで学ばれたかもしれませんが、教科書的存在ということであれば、ある意味で納得しました。私が高校生だったころの倫理社会の教科書に載っていたかどうかは覚えてません。どうだったかな。
今夜は少し早めにひとりで美味しいカレーを食べた。冷凍保存していたごはんをレンジで解凍し、トップバリューさんの50円レトルトカレー(200グラム!)を2つ買って(さらに倍!400グラム!)レンジで温めてごはんにかけ、スーパーのお惣菜コーナーで買った野菜かき揚げを乗せて。超贅沢だ!
facebookをツイッターのように使うと、ひと昔前だと(そんな昔からあったのか)「場をわきまえろ」的なことを言われたものだが(そうだったのか)、最近は状況が変わったと思う。facebookのツイッター化。もナニも、使い方のルールなんか初めからなかった。自分でルールを作ればよし。
ちなみに私は「既読」がついて「読みやがれ」「なぜ読まない」「いつ読むのかイライラ」的強制力が機能する連絡ツールは、精神衛生上、自分からすすんでは一切使わないし、極力使いたくないので、その種のものは基本すべてスルー。だんだんそう悠長なことを言えなくなってきているのだが。ひたひたと。
おお、『現代の倫理』(山川出版社、2016年)の筆頭著者の濱井修先生(1936年-)は私は存じないが、東大と東京女子大で長く教えられた倫理学者で、マックス・ヴェーバーの研究が多い方なのだな。ヴェーバーとトレルチの関係は当然ご存じだろう。私が今考えていることは的外れでもなさそうだ。
原稿依頼のようなものが来なくなって、何年になるだろう。完全に忘れ去られたなと寂しく思っていたら、昨日はがきで久しぶりに原稿依頼が届いた。日本基督教団東京教区千葉支区の支区報『しののめ』最新号(第36号)の「新人教師紹介」の原稿(700字)。一生懸命書きます!ありがとうございます!
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