2015年11月7日土曜日

息を止めてモルトマンへジャンプする心境というか

モルトマンを読むのを我慢している状態なので、コメントするのも控えますが、説教集や講演集とかは「超訳」のほうが合うと思います。「最近の教会の牧師たちの説教、はっきり言っておもしろくないんですよね。私も若い頃は牧師をやりましたし、今でも日曜日の礼拝には出てますけどね」みたいな訳し方。

今の国内の政治情勢の中で、教会に通っているクリスチャンや牧師さんが、

「どう考えてもさすがにヤバイ。政治こわれすぎ。なにかしなくちゃ」

と重い腰を上げてみたものの、どの政党も右すぎるか、他宗教か、左すぎるように見えて見えて仕方なく、とてもじゃないが応援する気になれない。

まして「神とかマジ無理」とか「宗教こわい」とか「キリスト教こそ諸悪の根源」とか言っている人たちと組んだら、何を言われるか分からない。

「あんたかりにもクリスチャンなんでしょ。政治力学の数合わせのためなら無神論者とでも組めるわけ?」

とか口汚く罵られるんだろうなあ。

でも、けっこう当たってるんだよな、あの人たちの言い分。「もっと言ってもっと言って」と言いたくなるくらいに。政治のスタンスだけいえば、ほぼドンピシャだし。でも「無神論」ていうのが、どうもなあ。困ったなあ。

みたいなことでお悩みの方に「モルトマン」が効くかもしれません。

(副作用が出た場合は服用を中止してください。)

ああ読みたい。けど我慢我慢。いま手が離せないことがありまして。

ぜひブックレポート書いてください。シェアさせていただきます。人任せ。

日本の教会でより大きな運動を起こすためにはすでに広く出回っているテキストに基づく議論でなければならないと思います。カール・バルトでもいいのですが、いかんせん世代が違いすぎる。バルトが知らないインターネットをモルトマンは知っている。モルトマンの感性は我々とほとんど同じだと思います。

ダメだ、モルトマンを読んでいる。『十字架と革命』(新教出版社、1974年)。それと訳者・大庭健氏の解説に「うわあ」という言葉にならない思いを抱きながらも魅了されてしまっている。まあでも、今日予定していたことは無事完了。なんとか道が開けそうだ。Taking a New Step.

これしかないので、長いお付き合いの方には「またか」と飽きられるほどしつこい感じになりますが、私とユルゲン・モルトマン先生の一緒に写らせていただいた写真は、これです。



詳しい状況は、以下のとおり。

2008年12月10日(水)オランダ・アムステルダム自由大学(Vrije Universiteit te Amsterdam)で「ファン・ルーラー生誕100年記念」(ファン・ルーラーは1908年12月10日生まれです)で開催された「国際ファン・ルーラー学会」(Internationale Van Ruler congres)の主催者から私の個人名宛てに招待状が届きましたので(事実)、これは「来い」ということだなと自分で思い込み、人生初の単独(ひとり)オランダ旅行を敢行した次第。

そんな光栄な国際学会に、せっかく日本から(多額の旅費を投じて)行くのだから、挨拶ぐらいせなあかんやろと、事前に主催者にメールを送り、スピーチさせてほしいと、私から頼み込んだ次第。

そして、英文のスピーチ原稿をアメリカ人宣教師にネイティヴチェックをしていただいたうえで、事前に主催者にメールで送り、オッケーをいただいた次第。(国際ファン・ルーラー学会でのスピーチ全文

そしたら、12月10日(水)当日、国際ファン・ルーラー学会のすべてのプログラムが終わる最後の最後に、プロテスタント神学大学総長ヘリット・イミンク先生が私をオランダ語で200人(後日主催者発表)の神学者(学会出席者)に紹介してくださったうえで、私の登壇となった次第。

国際学会の会場には、ファン・ルーラーの子どもさんたちもおられたし、国際学会のメイン講師としてドイツから招待されていたユルゲン・モルトマン先生もおられる前で、ウルトラ下手な英語で私が5分ほどのスピーチをさせていただいた次第。

そして、国際学会閉幕後、アムステルダム自由大学の別室で、オランダ、ドイツ、アメリカ、南アフリカ、日本(!)などの出席者200人によるレセプション(ビール、ワイン、ウィスキーなど)があり。

すっかり気持ちよくなったあと、「さて帰りましょうか」と、私と一緒に出席した石原知弘先生(改革派教会)と青木義紀先生(同盟基督教団)とでアムステルダム自由大学の玄関広間でウダウダしていたら、その玄関広間のベンチで、「ユルゲン・モルトマン先生」が、おそらく「次のレセプション」(二次会)に行くタクシーを待っておられた次第。

その姿を見た私、関口康が、石原先生と青木先生に耳打ちし、「ぎゃー、あれモルトマン先生だよね。ツーショット撮らせてもらおうよ。たぶんもう二度と会えないし。ゼッタイチャンスだよ。ぼくドイツ語できないから、先生たち交渉してよ」とけしかけた次第。

石原・青木両先生は、しぶしぶモルトマン先生のところに行ってくださり、交渉成立。それで実現したツーショット(フォーショット)写真です。

ですが、私は最初、4人の中の向かって(めっちゃ遠慮して)左端に立とうとしました。そしたら、写真左端のブリンクマン教授(アムステルダム自由大学神学部組織神学正教授)が、私の体をがっとつかみ、ご自分と入れ替えて、「きみはここだ」とモルトマン先生の隣りに押し込んでくださって実現した「写真」です。

なお「ファン・ルーラー研究会」は、昨年(2014年)10月27日に正式に解散しました。「ファン・ルーラー研究会」は、今は一人一人の心の中で活動しています。



誤解がありませぬように。モルトマンを私は初めて読もうとしているというわけではないのです。30年以上前から買って読んでいるし、ある人々からすれば過去の人扱いではないかと思います。私もどちらかというとずっと反発を感じてきたほうです。この人とは与すまいと決意していた時期があるほどです。

しかし最近、次第次第にですが心境の変化が起こってきました。モルトマンを読もうという気持ちとそれは深い次元で連結しています。モルトマンは私にとって、ある「一つ」の目的意識をもって読めばやっと意味が分かるという感じです。それは「一つ」だけです。その代わりその点は頑固なまでに明確です。

その「一つ」でモルトマンと合わない人は、彼の思想世界にたぶん一歩も入れないし、入る必要はないとずっと感じてきました。やっと読む気になったのは、「機が熟した」というか、彼を支持すべきかもという思いが生じているというか、他に道が残されていないようだと追い詰められているというか、です。

まあ、今はまだ、何を書いても暗号文を書いているような感覚があるので、「たとえを用いないで」話せる日が来るのが待ち遠しいです。待っていてくださいね、モルトマン先生、もう一度お会いしたいです。地上で。ドイツに行ったことないので、お金貯めて遊びに行きたいです。よろしくお願いいたします。

2015年11月4日水曜日

「今こそモルトマンを読むべきだ」と焦りながら手をつけられないでいる

やっと届きました、ユルゲン・モルトマンの説教集。古書店さま、ありがとうございます。

私が所蔵しているモルトマン先生の本はこれで15冊目です。まだまだ少ないです。ちょっとマニアックに原著出版年順に並べました。

ユルゲン・モルトマンの著作
(左から)
Theologie der Hoffnung(希望の神学), 1965.
『希望の神学』1968年(原著1965年)
『現代に生きる使徒信条』(共著)、1975年(原著1967年)
『神学の展望』1971年(原著1968年)
『十字架と革命』1974年(原著1970年)
Theology and Joy(神学と喜び), 1973 (Original German Version, 1971)
『人間』1973年(原著1971年)(※上の写真にはありません)
『キリストの未来と世界の終わり』1973年(原著1972年)
『聖霊の力における教会』1981年(原著1975年)
『神が来られるなら』1988年(原著1975年など)
『三位一体と神の国』1990年(原著1980年)
『二十世紀神学の展望』1989年(原著1984年など)
『創造における神』1991年(原著1985年)
『今日キリストは私たちにとって何者か』1996年(原著1994年)
『いのちの泉』1999年(原著1997年)

「今こそモルトマンを読むべきだ」と焦りながら手をつけられないでいる。モルトマン44歳の作品『十字架と革命』(原著1970年、日本語版1974年)の中の「無神論者との出会い」と「キリスト者とマルクス主義者の批判的連帯のために」という2つの章の趣旨をよく考える必要があると思っている。

前者の趣旨は「キリスト者は無神論者を敵視することはできないし、してはならない」ということであり、後者の趣旨はタイトルどおり、キリスト者とマルクス主義者の「批判的」連帯への模索である。今こそホットなテーマではないか。しかし、一筋縄では行かない問題であることは、依然として間違いない。

今こそモルトマンを読まなければと焦りながら手をつけられずにいるのは、読み始めると止まらなくなるほど面白すぎるからである。文句を言いたくなる部分もたくさんあるが、それは違う、モルトマンが我々にものすごく激しく文句を言っているのだ。現代の教会と牧師に対して、厳正な抗議をしているのだ。

2015年11月2日月曜日

作文の書き方(不定期)

本文とは関係ありません
私はネットだけに書いているわけではないが、比率としてはネットが多い。リアルで/に口下手で、子どもの頃の吃音の後遺症がまだあり、電話をかける前に原稿を書いていた時期が過去にあるほどで、字で思いを伝えるほうが対面よりもはるかにらくだ。ネットでリアルなしゃべり方ができるし、してしまう。

でも、字は字なので、対面でしゃべるのとは違う。それは当然そうだと思っている。ただ、字で思いを伝えることを何年も続けていると(ネット20年目)、文体は変わるし、変えたくなる。語順や語尾や感嘆文などでいろいろ細工したくなる。その影響がリアルの作文、説教や論文の文体のほうにも出てくる。

最近、ひとりで面白がって試してみているのは、facebookのコメントのやりとりのようなところで、相手のお名前を文章の途中に入れてみることだ。「たしかにそうなんですよね、○○さん、それよく分かります。教えてくださり、ありがとうございます。」のような書き方。ちょっぴり欧米風かなと。

主語と述語を逆さまに書いてみるのも悪くない。初めての相手にそういう文体はよしたほうがいいだろうが、ネットで長い付き合いのある相手であれば内容や意図が伝わらないことはないと思う。「面白くないんだよね、そういうのは」とか。「美味しかったです、今日のラーメンは」とか。さてどうだろうか。

私は自分でもかなり間違うくせに、他人の話のテニヲハや熟語や慣用句の言い間違いが逐一気になるほうだ。でも滅多なことではその人に訂正を求めたりはしない。もしかしてその相手の言い方のほうが、たとえセオリーどおりでなくても内容的に考えると正しいかもしれないと考えこんでしまうほどルーズだ。

だけど、自分は他人の言葉づかいを逐一チェックして訂正させるようなことを滅多にしないほどルーズでも、すべての人が私と同じでないことも分かっているつもりなので、私は他の方々にチェックの手間をお取らせしないよう可能なかぎりセオリーどおりの日本語でしゃべりたいし、書きたいと考えてはいる。

ただの当てずっぽうだが、自分がしゃべるときに、テニヲハや熟語や慣用句でどれほど言い間違いがあっても全く気にならない人は、たぶん吃音にはならないと思う。一瞬の脳内エラーのようなものかも。バグ。もしかしてセオリーの言い方や文法と違うかもと、迷いがよぎるたびに、つっかえてしまうのでは。

私の吃音の話になってしまったが、こういうことを書くと「よい治し方がありますよ」とか「あの病院に通ってみられたら」とか、ご丁寧に指南してくださる方がまれにおられるが、そういうのは勘弁してもらいたい。「うるさいよ」とかすぐキレるので取り扱い注意。笑。言いたいのは、そこではないわけで。

しゃべるように書き、書くようにしゃべる。それがたぶん、作文力が伸びる最短コースではないかと私は考える。吃音の人は、自分の吃音どおりに書けばいいかもしれない。「えーと、あのー、そ、そうですよね。んま、まあ、なんとなく分かりますよ」とか。その原稿を読めばいい。もっとひどくなるのかな。

教会と学業の両立

小学生が書いてくれました
いま教会で通常の日曜学校とは別に中学生向けの入門クラスを私が担当しているが、「分かる」とか「面白い」と言ってくれる。詳しいことは書けないが、公立中学に通い、公立高校を目指している子たちだ。私の基本スタンスは、公立学校の教育内容を全否定するような「神学」に立って話さ「ない」ことだ。

厳密な話をしているのではない。たとえば、文科省の学習指導要領に忠実にそった「神学」(もしそんなのがあるとすれば)に立って話「す」というような意味では全くない。そもそも学習指導要領を見たことがない。もう30年以上前だが、私も小中高は公立学校だった。その頃の感覚を忘れていないだけだ。

なぜ私が公立学校の教育内容を全否定するような「神学」に立って話さ「ない」で中学生たちの入門クラスをするのかといえば、理由は単純。その子たちが学校に行くのが嫌にならないようにすべきだと思うからだ。少し大げさに言えば、教会の使命は人を神のもとから世へと「派遣」することだと思うからだ。

中学生向けの入門クラスのことを先に書いたが、日曜学校の小学生たち向けの説教も月3ペースで私がしているが、基本スタンスは同じにしている。その子たちが学校に通うのが嫌になるような教え方はしない。「世との妥協」を教えているつもりはないが、歯車の噛み合わせのようなことを常に意識している。

別言すれば「世との妥協」ではないが「世離れ」しないように教える。そのような意識で、子どもたちにも大人たちにも話すように私はしている。このような私の基本スタンスは、ある見方をすれば、おそらく「リベラル」と評される。面と向かって私に「リベラル」というラベルを貼った人は、まだいないが。

どんなラベルを貼られようと私は構わない。教会と学業の両立ができるようになってもらいたいという願いが間違っているとは思わない。子どもたちにはある意味で過酷かもしれないが、プロテスタントらしく「世俗内的禁欲」の線で教える。勇気をもって大胆に世へと突入してほしい。それは不信仰ではない。

2015年11月1日日曜日

牧会祈祷

天の父なる御神よ

今日は秋の特別集会として、敬愛する横田隆先生をお迎えして礼拝をささげることが許されました。午後にも講演会を行います。心から感謝いたします。

天と地と海とその中にあるすべてのものを造り、保ち、統べ治めておられるあなたが御子イエス・キリストにおいて聖霊を通してわたしたちに与えてくださった豊かな恵みを、今日の礼拝を通しても深く味わい知ることができますようにお導きください。

今日の秋の特別集会の企画と準備をしてくださった伝道委員会の方々に特別の顧みがありますようお祈りします。

今日から11月です。2015年の歩みも残り2ヶ月となりました。今日まであなたが教会とわたしたち一人一人をお支えくださいましたことを感謝いたします。来年度の教会も力強く導かれますように、お祈りいたします。

わたしたち自身の日々の生活がこのようになんとか守られていますことを感謝いたします。しかし、体調不良の日もあります。重い気分の日もあります。起き上がることにも立つことにも困難を覚える日もあります。家族や友人や職場の人たちの中にも、苦しんでいる方が大勢います。どうかあなたが全能のそのみ力によって、わたしたちを助け、守り、苦しみの中から救い出し、平安で健やかな日々を与えてくださいますよう、お願いいたします。

日本と世界の平和のために祈ります。為政者が正しい政治を行おうとしないとき多くの人が苦しみ悶えます。この国が武力に頼らない国であることをわたしたちは誇りに思っています。どうか世界をお造りになったあなた御自身が、この世界を正しく整えてくださいますようお願いいたします。

礼拝の奉仕者のために祈ります。奏楽者の方々に、受付の方々に、説教してくださる横田先生に、また司式者の上にも、励ましと顧みがありますように。

また本日は聖餐式を執り行います。主イエス・キリストのお定めになった恵みの契約の儀式です。どうかわたしたちが心を新たにして、主の体と血にあずかることができますように。また、これから新たに洗礼を受け、あるいは信仰を告白して主の聖餐にあずかる兄弟姉妹を増し加えてくださいますように。そのための準備会を今行っていますので、出席者を励ましてくださいますように。

昔も今もとこしえに変わらぬあなたの愛と恵みに感謝し、我らの救い主イエス・キリストの御名によって、この祈りを御前にささげます。

アーメン

2015年10月27日火曜日

この難局を乗り越えた先に希望があると信じよう

『30年代の危機と哲学』(イザラ書房、1976年)
『30年代の危機と哲学』読了。フッサール1、ハイデッガー2、ホルクハイマー1。ハイデッガーの「ドイツ的大学の自己主張」と「なぜわれらは田舎にとどまるか」は端的に面白い。「ドイツ民族統率者養成こそ大学の使命!」とアジった哲学者(前者)が、謝罪の明言はないが反省の色を示す(後者)。

職業柄かもしれない(そうでないかもしれない)が、変節する思想家を嫌いになれない。「勇気をもって大胆に変節せよ」と言いたくなる。それも、「我々は常に正義だ。真理は我らの手にある。誤謬の中にいるのは常にあなただ。ほら早く変節せよ」という意味ではない。そういうことは考えたことがない。

それにしても、変節は許容されるべきである。それが、その人自身の救済になり、かつ思想家と教師の影響下にある多くの人々の救済になる。今からでも、いつからでも、遅くない。その思想、その立場を、変えることはできる。

神学も同じだと考えざるをえない。神が変節することはさすがに考えにくい。しかし、神が人にとって捉えがたい(incomprehensive)存在であることは間違いないわけだから(間違いないと断言できるかどうかも考えなおす余地があるかもしれない)、人は幾様にも神を考えなおすことができる。

神は「捉えがたい」存在であるゆえに、人は神を幾様にも考えなおすことができる。と、ここで話を終わると不安がられることが多いことを知っている。しかし、あえてここで止める。安心を求め過ぎるのは我々の悪いくせだ。考え続けることをやめるべきでないのは、宗教も同じ。

気になって、フッサールとハイデッガーとホルクハイマーの年齢差を調べた。フッサール(1859年生まれ)とハイデッガー(1889年生まれ)は30歳差。フライブルク大学総長就任講演「ドイツ的大学の自己主張」のハイデッガーは43歳。ホルクハイマー(1895年生まれ)とハイデッガーは6歳差。

70代のフッサールと40代のハイデッガーと30代のホルクハイマーを想像すると、「白い巨塔」の東と財前と里見を、つい思い出してしまった。2003年版テレビドラマでいえば、石坂浩二と唐沢寿明と江口洋介。老教授と、野心満々の新進気鋭と、両方からいささか距離を置いて批判的に見ている同僚。

さて、今日は忙しい一日になりそうだ。もうお帰りになったが、朝から来客あり。これから出かけ、あっちに行ったりこっちに行ったりしなくてはならない。書くべき書類(まだ白紙だが)も増えてきた。この難局を乗り越えた先に希望があると信じよう。各自やれることは、まだたくさんあるはずだ。私にもある。

2015年10月24日土曜日

作文の書き方(続き)

本文とは関係ありません
雑誌は「笑点の大喜利」にたとえられるのではと思います。いるのは司会者さんと噺家さんたちと座布団運びさん。司会者さんが編集長、噺家さんがメイン記事の書き手、座布団運びさんは書評の書き手。とか言うと怒られるでしょうか。そこで怒ると座布団運びさんに怒られますよ。座布団持っていかれます。

笑点の大喜利も計算しつくされた編集の世界ですよね。その中で、リーダーシップを持ちながら目立ちすぎてはいけない司会者さんと、目立つことで競い合う気がないなら出る意味がない噺家さんたちと、噺家さんより目立つことはゼッタイ許されないけど時々キラメク座布団運びさんの三者の絶妙のやりとり。

雑誌もそれと同じ。編集長がメイン記事の書き手たちより目立つ雑誌は純粋に個人誌というべきものですが、だったら編集長が全部自分一人で書けばと言いたくなるようなのもたまに見かけます。そういう雑誌は失敗作です。司会者の歌丸さんの独演会のようなもので、噺家さんたちはうちに帰っていいですよ。

しかも笑点の中で、その人がいなければ全体が成り立たないけど・他の出演者より目立つことはゼッタイに許されないのが座布団運びさん。その人の一人舞台になってしまったら全部ぶち壊し。そのあたりの自分に与えられた位置と役割を正確に理解して立ち回れる人が最適任者であるのは間違いないわけです。

それって、考えれば考えるほど、恐ろしいまでに難しい仕事だと私なんかは思うわけです。座布団運びくらい誰でもできるとか、とんでもない誤解です。その恐ろしいまでに難しい座布団運びの仕事が、雑誌で言えば書評の書き手ではないかと思うのです。あれなめたら、次のチャンスなんかゼッタイないです。

いま私の目の前に実例があって、当てこすりか、お小言を書いているわけではありません。ちょこちょこと、さらさらと、小さな小さな文章を締め切りを守って書くことを続けていく中で、でかいものを書かせてもらえるようになるのが「書き物の世界」の常ではないかと当たり前のことを考えているだけです。

いくらたとえと言っても、書評の書き手を笑点の大喜利の座布団運びさんにたとえるなんて、見当違いすぎて間違っていると、やっぱり怒られるかもしれません。私にはだれかをけなす意図はありません。ただ、メインの出演者を食ってしまうような大活躍は控えるほうがいいのではないかと言いたいだけです。

作文の書き方

本文とは関係ありません
これは私(来月50)のことではなく若い世代の方々に言いたいことですが、伝統や権威ある雑誌に論文を掲載してもらうのを狙いつつ待てど暮らせどチャンスが来ないという感じよりも、既成の雑誌という雑誌、紀要という紀要に、ちょこちょこ書き、名前を覚えてもらうというほうが得策だということです。

これは雑誌や紀要の編集側をやらせてもらったことがある人は誰でも知っていることですが、その仕事の最大かつ最悪の悩みは、原稿の締め切り日を守らない人が多いこと。そこ狙い目です。原稿の締め切り日を守れない書き手よりも、守れる書き手のほうが、間違いなく「次の」チャンスが与えられますから。

私にもありました。専門書店に並んでいるような、その筋では著名な雑誌の編集長から電話がかかってきて、「ごめん、関口さん。短い書評なんだけど、予定していた人に急にキャンセルされたので、困ってるんだよね。関口さんなら、さらさらっと書いてくれるかなと思って」と。「あ、いっすよ」で決まり。

雑誌というのもトータルとしての完結した一作品であるために、じっくり時間をかけて書かれた部分だけでなく、さらさらっていう部分も必要。メインの特集記事とか、著名な書き手の連載記事とかと比べて、書評とかそのあたりは「埋め草」のような面がないわけではない。そういうのが狙い目なんだってば。

そのあたりの雑誌発行者のニードをくみ取り、それに合わせた書き方や内容の作文を提供できる書き手は、もてます。「次の」チャンスが必ず与えられます。遅筆なのがいけないわけではないですが、そういう人は初めから、自分は死ぬまでに一冊本を書くことを目標にする、という気持ちでいればいいのです。

でかいのをじっくり時間をかけてドン、みたいな書き方の人は、それなりの生き方を選べばいい。ですが、内容は軽薄かもしれないけど、雑誌発行者のニードを満たしうる作文をさらさらっとたくさん書き、多くの人に名前を覚えてもらえる人になることも、書き手として一つの立派な生き方だと私は思います。

2015年10月21日水曜日

ヨハネによる福音書の学び 04

PDF版はここをクリックしてください

ヨハネによる福音書1・19~28

この箇所の「ヨハネ」はこの福音書を書いたヨハネではなく、イエスに洗礼を授けたバプテスマのヨハネです。このヨハネがそれをするために来たと言われている「証し」の内容が紹介されています。

その「証し」の内容を説明する前に確認しておきたいことがあります。それはバプテスマのヨハネが立たされていた危険な状況です。「エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとに遣わして、『あなたは、どなたですか』と質問させた」(19節)は「質問」というより「尋問」です。「祭司やレビ人たち」と呼ばれているのは宗教家を引き連れた警察官のような存在です。祭司が宗教家、レビ人が警察官。彼らの意図は取り調べです。「エルサレムのユダヤ人たち」は彼らの上司です。

彼らは噂を聞いたのです。ヨハネという怪しい人間がいるらしい。この男は人を大勢集めて新しいグループを作っている。集まった人に洗礼を授け、「これから来る救い主を待ち望め。そのために準備せよ」と呼びかけていると。ヨハネとは何者か。現地に行って本人に会って調べてこい。

ヨハネが置かれた状況とは次のようなものです。一人のヨハネを大勢の取調官が取り囲んでいる。彼らはヨハネに対し、矢継ぎ早に質問を繰り出し、尋問する。ヨハネが少しでも隙を見せたりぼろを出したりすれば、即刻逮捕して、エルサレムに連行し、処刑する。その状況の中でヨハネが「証し」をしました。彼がこの「証し」の中で語っていることの要点は、次のようなものです。

第一は、ヨハネ自身はメシアではないということです。「あなたはどなたですか」という質問に対し、「わたしはメシアではない」と答えています。「わたし自身はイスラエルが待ち望んだ救い主キリストではない」と言っています。

第二は、ヨハネ自身は偉大な預言者でもないということです。「あなたはエリヤですか」という質問に「違う」と答え、また「あなたはあの預言者ですか」と問われて「そうではない」と答えています。「エリヤ」は旧約の時代に活躍した預言者です。質問者の意図は「あなたはあの偉大な預言者エリヤの生まれ変わりだと自称するつもりですか」ということです。「あの預言者」と呼ばれているのが誰を指しているのかは不明です。しかし、彼らの質問の意図は「あなたは自分を特別な預言者だと思っているのですか」です。ヨハネはそれを否定します。私は偉大な預言者ではないと言っています。

第三は、ヨハネが答えている「わたしはメシアではない」とか「わたしはエリヤ(のような偉大な預言者)ではない」と言っているとき、その強調点は「わたしは」にあるということです。「メシアはわたしではない。別の方がメシアである」ということです。これはヨハネの責任逃れではありません。はぐらかしているのでも、他者に責任を転嫁しているのでもありません。「わたしはメシアではなく、メシアは別の方である。あなたがたはその方を知らないが、わたしは知っている」と言っています。

ここまで言えばヨハネを追及している人たちは「メシアがだれかを知っているならば、それは誰かを今ここで言え」と口を割らせようとしたことでしょう。しかし、ヨハネは吐きません。もしヨハネがそれをしゃべってしまえば、追及の手はすぐにでもイエスさまのところへと及んだでしょう。それこそが責任転嫁です。しかしヨハネはそうしませんでした。イエスさまをお守りしたのです。

第四は、「わたしはメシアではない」というヨハネの答えの真意は何かという問いのもう一つの答えです。責任転嫁ではないという点はすでに申し上げました。ならば、何なのか。この点で考えられることは二つです。第一はヨハネの謙遜です。第二はヨハネの信仰です。

第一の、ヨハネの謙遜は、「その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」(27節)という言葉に表われています。イエスさまはヨハネよりも年齢的に若かったわけですし、イエスさまはヨハネから洗礼を受けたのであって、その逆ではありません。しかしヨハネは、自分自身はイエスさまよりも劣っており、イエスさまの下に立つ人間であると告白しています。

優劣の関係だの上下関係だのという話は今日では好まれません。私もこのような話はできるかぎり避けたいほうです。しかし問題となっている事柄が「謙遜」にかかわる場合は、優劣とか上下という関係づけを避けることはできません。なぜなら、「謙遜」とは、相手に対して私は徹底的に下であると自覚すること、そして実際に相手よりも下の位置に自分の身を置いてしまうことを意味しているからです。

「謙遜」とは、力にかかわる概念です。話や言葉として「謙遜」を口にするだけでは足りません。文字どおり相手の持っている力の前に圧倒され、押しつぶされ、粉々に砕かれることが求められます。ヨハネはそれを知っていました。これから来られる真のメシア、イエス・キリストは、私ごときは足もとに及ばない真の力、救いの力を持っておられる方であると、ヨハネは告白しています。

第二の、ヨハネの信仰は、イザヤの言葉を用いて語った「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道を真っ直ぐにせよ』と」(23節)という言葉に表われています。

このイザヤの言葉は、実際には次のようなものです。「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」(イザヤ書40・3)。実際のイザヤ書の言葉とヨハネが引用している言葉が少し違っているのは、この引用がヘブライ語の旧約聖書からではなく、ヨハネ福音書が書かれた頃には広く使用されていた七十人訳と呼ばれるギリシア語訳旧約聖書からのものだからです。新共同訳聖書はヘブライ語の原典から訳されていますので、少し違っています。

この点は勘案するとしても、ヨハネがこのイザヤの言葉を引用している意図は明確です。「主の道」とは神の道です。ヨハネにとってこれから来られる救い主なるメシア、イエス・キリストは、主なる神御自身です。イエスさまは自分よりも年齢が下だとか後輩だとか、そのような次元のことはヨハネにとってはどうでもよいことでした。イエスさまは端的に「神」であられるとヨハネは信じたのです。これが「ヨハネの信仰」の内容でした。真の神であられる救い主イエス・キリストが来てくださる、そのための道備えをしなければならないと、ヨハネは自覚したのです。

ヨハネが引用しているイザヤ書40章の言葉は旧約聖書を読む多くの人々を慰め、励ましてきたものです。イザヤが立たされた現実は、最初は悲惨そのものでした。神の民イスラエルが分裂してできた北イスラエル王国と南ユダ王国が争い合いました。分裂した二つの国は、それぞれの隣国アッシリアとバビロンに滅ぼされました。エルサレム神殿は打ち壊されました。神の民の多くが奴隷として隣国に連れ去られました。そして70年間の捕囚期間の後に神の民がエルサレムに戻ることが許されました。打ち壊された神殿を再び建て直す希望が与えられました。

イザヤ書40章の状況は、いま最後に申し上げた、神の民の希望が取り戻された状況です。イザヤにとっての「荒れ野」は、単なる地理的な意味での砂漠を意味しているだけではありません。宗教的・精神的・内面的に荒廃した人間の心の砂漠をも意味しています。

ヨハネが自分自身を「荒れ野で叫ぶ声」であると呼んでいる意図も、まさにそれです。宗教的・精神的・内面的に荒廃した人間の心の砂漠の中で、彼は叫ぶのです。「真の救い主が来てくださる!あなたの心の砂漠は、豊かな恵みにあふれる地に変えられる!イエス・キリストを信じてください!」

この叫び声は、わたしたちの時代、この状況のなかで、今なお響き続けています。

(2015年10月21日、日本キリスト改革派松戸小金原教会祈祷会)

2015年10月20日火曜日

青野太潮先生の『十字架の神学』について

十字架の神学研究会(2015年10月20日、千葉県八千代市)
御自身の「十字架の神学」に関する青野太潮先生の論考に一貫しているのは、我々がしばしば犯す自己の思想的前提を聖書テキストに「読み込むこと」(Eisegese)を徹底的に排し、テキストの趣旨を「読みだすこと」(Exegese)に集中することである。聖書学でも神学でも基本中の基本ではあるが、青野先生の徹底性に圧倒される。

説教はある意味で、もっと自由であっていいのではと私は考えている。「私はこの個所をこう読む」という面が、説教にはもっとあっていいと思う。しかし、そのようなことはそのテキストのどこにも書かれていないのに、あたかも明示的にそのように書かれているかのように言い張るべきではない。「あくまでも私の想像ですが」とか「ここにはっきり書かれているわけではありませんが」とか断りを入れながら、自由に語ればよい。

我々が聖書を読むときに徹底的に排すべき「自己の思想的前提」は、青野先生の場合には「教会の伝統的な教理」と同一かどうかについては、必ずしもそうではないというか、それ「だけ」ではないと、青野先生のご著書を読みながら思わされている。青野先生から直接お話を伺ったとき、「私は教会大好き人間なので、教会の伝統的な教理そのものを否定したことはない」とおっしゃった。テキストに書いていないことを、まるで書いてあるかのように言ってしまうことをお嫌いになっているのだ。

とはいえ、作業過程としては「教会の伝統的な教理に基づく聖書の読み」から一度は「解放されること」が必要だと青野先生が考えておられることは、おそらく間違いない。一例というか、ほとんどそれが青野神学の核心と言えるところだが、「イエスの十字架上の死」の個所を読むと、いつでも必ず判で押したように「わたしたちの身代わりに死んでくださった」という贖罪論に自動的に連結させるような読み方は「あまりにも一面的すぎる」と、青野先生はお考えになっている。

それ「だけ」だと、イエスの死、あるいは「死ということ」そのものが、どうしても美談化されてしまう。イエスの死には「殺害された」というネガティヴな面が間違いなくある。そのネガティヴな面がまるでなかったかのように美談化することは危険であるという考え方(大意)である。しかし、だからといって、青野先生は贖罪論を否定しているというふうに見てしまうのは、それこそ青野先生のテキストへの「読み込み」に通じるであろう。

これまでにも、多くの聖書学者や神学者が「青野先生は贖罪論を否定している」と誤解した上で、ありとあらゆる罵詈雑言や非難を青野先生に浴びせてきたようで、それに対する青野先生からの反論が縷々『「十字架の神学」の展開』(新教出版社、2006年)にも『「十字架の神学」をめぐって~講演集』(新教出版社、2011年)にも記されている。それを丁寧に読むと、青野先生は決して贖罪論そのものを否定しておられるわけではないことが必ず分かる。

日本国内においても、贖罪論を全否定するような論調の聖書学者や神学者がおられることを、私も存じている。その方々が青野先生のご主張を論拠にしておられるかどうかを確認したわけではない。しかし、もしその方々が「青野先生のご主張を論拠にしている」と明言されるようなら、青野先生にとっては、ややご迷惑かもしれない。

ただ、こういう考え方もできるのではないだろうか。贖罪論を外見上、全否定しておられるように見える方々でも、「贖罪論一本槍の神学」(という言い方を青野先生はなさっている)の方々と同一の教団・教派の中にとどまっておられる場合には、お互いに対立し、場合によっては「憎しみの感情」さえ抱きながらも、もっとメタな視点から俯瞰して見れば、両者は「相互補完的に」立っているように見えなくもない。

なぜそのように私には見えるのか。間違いなく言えるのは、贖罪論の効力が遺憾なく発揮される場は「教会」であるが、その「教会」と「神の国」とは同一なのかという問いが出てくるからである。たとえば、キリスト教主義の学校や病院や福祉施設や政党。そういった場の今の現実は99パーセントが非キリスト者で構成されているケースも決して稀ではない。そのような場で「贖罪論一本槍の神学」だけでキリスト教的言説をどこまでも押し通すことが適切かどうかという問いは十分検討に値すると思われるからである。

私が青野先生のご主張に惹かれるのは、私の主要な研究対象としてきたファン・ルーラーのバルト批判に通じるところがあると感じるからである。ファン・ルーラーもまたバルトの神学を「キリスト一元論の神学」という言葉で批判した。しかしそれは「キリストは不要である」という意味ではない。神は三位一体であり、御子だけではなく、御父も聖霊もおられることをもっと多元的にとらえるべきであるという考えである。

経綸的三位一体についても、神は贖罪の主であるだけでなく、創造の主でもあり、聖化と完成(終末)の主でもある。経綸的三位一体は「区別されない」(opera Dei trinitatis ad extra sunt indivisa)。しかし、区別性がなければ関係性もないわけだから、区別性は「ある」。創造のみわざを贖罪のみわざに吸収することはできないし、聖化のみわざや完成のみわざ(終末)を贖罪のみわざに吸収することもできない。キリスト教的言説の「切り口」ないし「入り口」は、なにがなんでも贖罪論のみからでなくても構わない。終末論から教義学を始めることだってできる、というのがファン・ルーラーの考えである。

青野先生も、西南学院大学や九州大学の著名なバルト研究者の方々とのかなり熾烈な闘いを今でもしておられるようである。

私自身は主に組織神学・教義学の関心や観点から青野先生の本を読ませていただいているが、今の我々が「教会の伝統的な教理に基づく聖書の読み」をする場合の「教会の伝統的な教理」の成立過程を反省してみると、聖書学は教義学の下部構造のように位置づけられ、教会の教理(教会会議の決議事項)の「論拠聖句」を聖書の中から探しだすという仕事を(旧来の)聖書学者が担わされてきたことは否定できない。しかしその「論拠聖句」の個所を「釈義」(Exegese)してみると、コンテクスト的にはそんなことが書かれているわけではない個所であったりすることが分かってしまったりする。

そういうことの反省を、「21世紀の神学」は、もっとしなくてはならないと私は考えている。

私も釈義を万能であるとは思わないし、パーフェクトな無前提の釈義は不可能であると考えている。聖書の言葉を、教会の伝統的な教理を根拠づけるため「だけ」の牽強付会・我田引水の道具に用いることへの警戒心を持つべきだ、と考えているだけである。

(2015年10月20日)